2009年7月10日 (金)

イロハ

 千葉県には、おもしろい地名があって、タイトルの「イロハ」なんかもその一つです。

 「イ」「ロ」「ハ」・・・という文字が町名になっている自治体が少なくても六つ存在します。

 

 まず、九十九里の「旭市」

 「イ」~「ニ」まで4町あります。

 地図は、スクロールや拡大縮小もできますから、順番に「イ」「ロ」「ハ」・・・と探してみるのも一興かと(笑い)

 

 

 同じく、九十九里の「八日市場市」で、今は町村合併で「匝瑳市」と名前が変わっています。「そうさし」と読みますが、何もわざわざこんな難読の名前にしなくてもと思うのは私だけでしょうか(笑い)
 ちなみに、俳優の地井武男の出身地です。

 「八日市場イ」~「八日市場ホ」まで5町あります。

 

 

 さらに、九十九里の「蓮沼村」で、今は町村合併で「山武市」と名前が変わっています。ちなみに、合併前は「さんぶぐん」であり、「さんぶまち」でしたが、合併後は「さんむし」と読むようになりました (^◇^;)

 「蓮沼イ」~「蓮沼ホ」まで5町あります。

 

 

 次に、千葉県のほぼ中央に位置する「八街市」
 「やちまたし」と読みます。これも難読地名の一つですかね(苦笑)

 「八街イ」~「八街ヘ」まで6町あります。

 

 

 最後に、利根川に面している「佐原市」で、今は町村合併で「香取市」と名前が変わっています。読みは「さわらし」です。「さはらし」ではありません。
 有名なところでは、伊能忠敬の出身地でもあります。

 「佐原イ」~「佐原ホ」まで5町あります。

 

 

 同じく、利根川に面している「東庄町」
 「とうのしょうまち」と読みます、

 「笹川い」~「笹川ろ」まで2町あります。

 

 また、佐原市内には、他にも
 「篠原イ」と「篠原ロ」
 「昭和町い」と「昭和町ろ」
 という町名も存在します。

 それぞれ、クリックすれば地図が表示されますよ ( ^-^)/ ♪

 

 いずれも、地名として採用されるにあたっては、いろいろな歴史とか事情とかあったんだと思うのですが、さすがにその辺りまで深く調べることはできませんでした・・・ (^_^ゞポリポリ

 こういう変わった地名もあるよという事で、今日のところは失礼いたします・・・ m(_ _;)m

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2009年7月 9日 (木)

縦書きと横書き

20090709006_2  文書の表記には、縦書き横書きがあり、日本や中国などの漢字圏では古来から縦書き表記を行なって来ました。

 これに対して、英語を始めとするアルファベットなどの文字を用いる欧米では横書きが主流・・・というよりも、アルファベットでは縦書きは不可能です(笑い)
 無理矢理アルファベットをタテに並べているTシャツのようなものも無いわけではありませんが、そういう場合にも普通は文字を寝かせて、文字の下側を左側にするのが一般的で、文字の下側をそのまま下にして縦に並べて書いてあるのは極めて希です。

 

 しかし、最近では日本国内においても、教科書を始め、PCや雑誌なんかでも横書きがドンドン主流になりつつあり、頑固に縦書きに固執しているのは新聞や書籍類、あるいは国語の教科書くらいのもので、看板でもチラシでもテレビでも、普段目にするものは横書きが断然多いです。

 私の経験でも、ノートを取る場合、縦書きで書いていたのは国語のノートくらいのものでしたが、それでさえ小学校の高学年くらいからは大学ノートに横書きで板書を写していました (^.^; ポリポリ
 社会人になってからは、およそ縦書きで文書を書いた記憶がありません (^^;

 ここまで横書きが市民権を持ってしまった今、縦書きなんて意味がないから無くしてしまった方がスッキリしていいんじゃないかと思っている私がいます (^_^ゞポリポリ

 

 そもそも、日本で縦書きが行なわれてきたのには理由があります。

 漢字と、それから派生したひらがなとカタカナは、その起こりから縦書き用に作られているからで、一つ一つの文字を個々に書く場合はともかく、草書のように崩して書く場合には縦書きでなければ形にならないので、ずっと縦書きが当たり前に行なわれてきたのです。

 しかし、戦後はかなり事情が違ってきています。テレビが普及し、目から入る情報は新聞や本よりもテレビの画面から入る方が徐々に増えてきて、それと共に文字はドンドン横書きが増えていきました。
 書籍類も、小説などは相変わらず縦書きが主流ですが、雑誌類は横書きが増えています。

 そういう目で見た場合、横書きに比べて縦書きになんらかのメリットがあるのかといえば、何も無いのではないかという結論になるわけですよ(笑い)

 

 まず第一に、人は右利きの方が圧倒的に多いわけで、そうなると書くのも読むのも横書きの方が断然有利なんですよね。

 読む場合の事を考えてみましょう。
 縦書きの場合は綴じ口は右側にあります。したがって本屋などで内容を確認しようと思ってパラパラとめくってみる場合、右手で背表紙を持ち、左手の親指でパラパラとやる事になります。利き手でない方の手でパラパラやるのはたいへんじゃないですか?
 しかし、横書きですと綴じ口は左側ですから、左手で背表紙を持ち、利き手の右手でパラパラとめくることが容易にできるわけです (^^)v

 また、文字を追う目の動きも、普通、本はタテの方が長くできていますから、下まで読んでいって上に戻るよりも、右端から左に戻る方が動きが少ない分疲れないんじゃないでしょうか (^◇^;)

 書く場合には横書きの方がもっとメリットがあります。

 縦書きですと、先に書いた文章は右手に隠れてしまって部分的に見えなくなりますが、横書きならそういう心配は全く無く、常に全ての文章が確認できます。
 また、万年筆のように、インクの種類によっては先に書いた文字が右手で擦れて滲んでしまうようなことも起こり得ます。

 

 第二に、横書きの方がエコであるという事。

 文章は、常に行いっぱいを使って書くものではないわけですから、例えば会話のような短い文を連続的に書く場合、縦書きですと紙面の下側が大きく空いてしまいます。
 しかし、横書きの場合タテに比べて辺が短いわけですから、紙面の右側にできる空白も少なくて済みます。

20090709005 20090709004_2

 これは少々極端な例ですが、ご覧のように、文字に比べて白い部分の方がはるかに多いですよね (^^;
 この例の場合、横書きならもしかして2ページで書けたかもしれませんね。3ページなら間違いなく書けますから、それだけでも1ページ余分に使っていることになります (^_^ゞポリポリ
 ちなみに、この写真の「戯曲」に書かれている意味ですが、2年ほど前に「伊奈かっぺい」という記事の中で書きましたので、気になる方はクリックしてお読みください ( ^-^)/ ♪

 

 第三に、横書きは文字の種類を選ばないという事です。

 小説に限らず、文章というものは漢字やひらがな以外にも数字やアルファベットなども書くことがあります。
 よく、「小説は縦書きでないと読みにくい」とか言っている人も多いですが、本当にそうでしょうか(笑い)
 もしかしたら、小説は縦書きの本しか見たことがなくて、そのようなものだとの先入観があるから縦書きの方が読みやすいと勝手に思い込んでいるだけなんじゃないでしょうか (^◇^) 。。。ケラケラ
 その証拠に、理科や社会の教科書は、国語の教科書に比べて読みにくかったですか?

 

 縦書きよりも横書きの方が文章は自然で、利点も多いという事を検証するために、以下のような場合を考えてみましょう。

 

20090709001_2 

 文中に英語の単語や文章が入っている場合です。
 別に専門書などでなくても、小説だってこのように横文字が入っていることも最近では珍しくなくなりました。そういう場合に、縦書きではどうしても読みにくいですよね(笑い)
 いちいち本を横にして読む人も居ないでしょうが、横文字を目にしたらちょっと首を傾げたくなりませんか (^◇^) 。。。ケラケラ

 

20090709002

 次に、日付や時間を書く場合です。
 縦書きだとご覧のような表記になりますが、横書きなら普通にアラビア数字(1,2,3・・・)を使って書くことができます。
 どちらが読みやすいかといわれれば、自明の理です (^_^)V。

 

20090709003

 また、上に準じますが、文中に数字を書かなければならない時に、縦書きだと非常に制約があります。
 二桁くらいの数字なら写真のように33~37とか43~47とか書けますが、三桁とか、それ以上の桁の数字はどうやって書くのでしょう (;^_^A アセアセ・・・
 横書きなら、何桁の数字であってもなんら問題なく書くことができますよ。

 0-0とか、2-3なんて表記も同じです。縦書きで書くよりもこのように横書きの方が自然に読めると思います。

 100%なんて表現も横書きならこの通りですし、100kmとか100cmとか、いずれも縦書きじゃ不自然な表記にならざるを得ませんよね。
 0.4秒というのも同じです。

 

20090709007  ところで、縦書きでないと不自然なものが一つだけ思い浮かびます。
 それは、背表紙に書かれた本のタイトルです (^◇^) ヒャッヒャッヒャ・・・
 本棚に立てた時、これだけは縦書きの方に軍配が上がりますねぇ (;^_^A アセアセ・・・

 

 今は、プロの物書きの多くは、PCを用いて原稿を書いている方が多いそうです。
 中には愛用の万年筆でないと筆が進まないとかいって、相変わらず原稿用紙に手書きをしている人も少なくないようですが、PCの画面は当然ですが横書きで表示されます。それが馴染めないからと、わざわざ縦書きに表示を変えて入力している人も多いと聞きます。
 ソフトによっては、ご丁寧に原稿用紙が画面に表示されるんだそうで (^◇^) 。。。ケラケラ

 縦書きなんて、そこまでしてこだわるようなものなんですかねぇ・・・ (?。?)

 私ゃ、文章の表記は全て横書きだけでいいと思っているんですが・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

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2009年7月 8日 (水)

アチャコ

20090708002_2  最近、私のお気に入りの番組である、NHK教育の「知る楽」・・・
 6月の「こだわり人物伝」で取り上げられたのは「花菱アチャコ」だった。

 アチャコという芸人の名前は知っていますが、世代が違うこともあって芸風などはまったく知らないままでしたから、正直顔すらも思い出せないというか・・・ (^_^ゞポリポリ

 

20090708004_2 20090708003

 この番組を見て、今までほとんど何も知らなかった花菱アチャコという芸人を知りました。
 それに加えて、「漫才」というものの認識が変わったというか・・・ (^^;

 今日は、そんな事を語ってみたいと思います。

 

 「漫才」というと、二人組の芸人が「ボケ」と「ツッコミ」に分かれて、おもしろい事を言い合うのが漫才だと思っていた私は、それは「しゃべくり漫才」というのであって、漫才の本来の姿から一部分を切り出して芸として確立したものであるという事を初めて知りました (^.^; ポリポリ

 平安時代の頃に始まったとされる漫才は、本来は新年を祝う歌舞であり、一方が三味線や鼓などの楽器を演奏し、一方がそれに合わせて舞いを披露するもので、おもしろい話しをしあうようなものではなかったと第一話で紹介していました。
 それが、江戸時代に入ると歌舞のみでなく、言葉の掛け合いや謎かけ問答などを芸に加えて、より滑稽味を増していったといいます。

 

20090708001  その中において、アチャコはメインとなる歌舞の方ではなく、場つなぎとして取り入れられていた話術だけで人を笑わせることができないかと考え、後に同じような事を考えていた横山エンタツと共に「しゃべくり漫才」という分野を生みだし、一つの芸として確立していった・・・

 しかし、その道は容易なものではなく、楽器を持たず、芸もせず、二人で話しをしているだけのアチャコとエンタツに向けて容赦ない罵声とミカンの皮が投げつけられたといいます。
 何事も、人の先に立って道を切り開いていく先駆者の歩む道は険しいということでしょうか (^^;

 その後のアチャコやエンタツの努力と活躍の甲斐もあって、しゃべくり漫才は日の目を見、今では「漫才」といえば「しゃべくり漫才」の事を指すまでになりました。

 

 ただ、最近のお笑いの傾向を見ていると、漫才・・・ つまり「しゃべくり漫才」と呼ばれる芸人は減っているなぁと思えなくもありません。
 代わって増えているのが「コント」と呼ばれる芸を披露するお笑いタレントたちです。

 「漫才」「コント」・・・ どこがどう違うのかおわかりでしょうか・・・

 コントは大正時代に欧米から入ってきたとされ、バラエティーの場面転換とショーのいろどりとして定着したもので、2人ないし数人で演じられ、扮装や化粧、必要があればちょっとした小道具等も使用されます。
 わかりやすい代表が、ザ・ドリフターズコント55号でしょうか(笑い)

 対して、漫才は扮装をする事も化粧をする事もなく、身振り手振りも最小限に止め、話術だけで勝負します。
 こちらの代表が、古くはやすきよツービートであり、その後はダウンタウンウッチャンナンチャンです。

 どちらの芸が高尚とかいうわけではありませんが、やはり才能が試されるのは漫才の方ではないでしょうか・・・
 といっても、最近の若手芸人たちは売れるためならなんでもアリですから、芸風も相互乗り入れを行なっているような状態なので、このこのコンビは漫才師、こっちはコントという風に簡単に分けるのは難しくなってきていますが・・・ (;^_^A アセアセ・・・

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2009年7月 7日 (火)

裕次郎寺

20090707001  昭和の大スターだった、石原裕次郎の二十三回忌の法要が、5日、国立競技場で営まれたと報じられた。

 十三回忌で20万人が参列し、総持寺周辺で起きた大パニックに学び、今回は安全第一を目指して広大な国立競技場に舞台を移した二十三回忌法要・・・のはずだったのだが、フタを開けてみると、そこには様々な問題点が浮き上がってきた・・・

 

20090707004 競技場内に、横浜の総持寺を再現し、そこで法要を行なうことで無用な混雑を避けようという意図だったらしいが、思惑とは裏腹に、手際の悪さは否めない・・・

20090707002  この日来場したファンは、11万7千人弱ということで、当初見込んでいた15万人には及ばなかったものの、国立競技場で開催されたイベントとしては異例の数のファンが押し寄せたことになる。

 ただ、器が総持寺から国立競技場に変わっただけで、応対の悪さは根本的にそれほど変わっていない事に怒りを感じる・・・

 

 普通、こういうイベントを行なう際には、一斉に群衆が押し寄せることのないようにと、上手にさばくことが必要になる。
 しかし、主催者側にそういう思いがあったとは考えにくい・・・

 約5万人収容できる競技場に加え、周辺のスペースを解放する事によって、「15万人はさばける」と目論み、できるだけ多くのファンが献花できるようにと考えていたようだが、それでも各地でトラブルは起きたと昨日のニュースでは伝えていた・・・

 ファンの列に最大「5時間待ち」の表示が出たそうで、一部には6時間待ちという報道もあった。

 

 そもそも、誰がどれだけ来るのかわからないようなイベントを組むこと自体、ファンを蔑ろにしているとはいえないだろうか・・・
 法事に参列したい人には、チケぴなどを通して、前もって入場券を購入させるなどの方法は取れなかったのだろうか・・・
 法事が有料というのは馴染めないのかもしれないが、入場料が千円でも二千円でも、金額は「香典」と考えればなにも問題はないのではないかと私は考えるのだが・・・

 そして、チケットには席種ならぬ、時間種を設け、「○時~×時」という枠を作って販売すれば、最初から献花できる時間は予定が立つわけですから、徹夜組なんて存在は無くなりますし、ゲートでの無用な混雑も無くなると思います。

 この日、一番乗りを果たした来場者は札幌市在住の74才の主婦ということで、3日の午後2時から代々木門前に並んでいたといいます。
 「今回が最後かもしれないから何が何でも来ようと思いました。体力的にキツイですけど老体にムチ打って頑張りました」と笑顔で語ったそうですが、ファンにこんな思いをさせることが本当に故人の供養になるんですかねぇ・・・ (ノ_-;)ハア…
 私はどうにも納得ができないのですが・・・ q(`o')ブー!!

 あるいは、セレモニーに参加できるのは、ハガキの抽選に当たった5万人だけということにして、その他の一般参列者は先のチケット方式にして、午後あたりから時間を区切って入場させるようにするとか・・・

 いずれにしても、誰でもいつでも参加できるという事では、いたずらに混乱を招き、無用なトラブルを起こしかねないので、大勢を集めるイベントとしてはダメだと思うなぁ・・・

 

20090707003 今回、私が一番腹が立っているのは、5万人に配られるはずだった記念品の件です。
 これは、事前にハガキによる抽選が行なわれ、当選した人が当日記念品と交換できることになっていましたが、当選倍率15倍ともいわれた当選ハガキを持って会場に来ても、献花をしないと記念品はもらえないということで、遠方から来ている人などの中には長蛇の列に並ぶのを途中で諦めて、交換できないままに競技場を後にする人も居たということです。
 せっかく当選して、ワクワクしながら競技場にやってきたのに、記念品をもらえないまま帰らざるを得なかったのでは、詐欺だと思った人も居たのじゃないでしょうか・・・

 どうして競技場の外に臨時の交換所を設けられなかったのでしょうか・・・
 設けなくても、係員に事情を話せば、記念品を持って来て渡してくれるくらいのサービスがなぜできないのかと・・・ (ノ_-;)ハア…

 

 大スターだったこともわかるし、大勢のファンが居ることもわかります。
 しかし、それにあぐらをかいて、大勢のファンを何時間も待たせても平気という主催者の感覚と、最後まで並んで献花までたどり着かないと、約束だった記念品を渡さないという方針はいかがなものか・・・

 せめて、後日でも、当選ハガキを郵送すれば、それと引き替えに宅配便で送るくらいのサービスをしないことには、当事者の落胆と怒りはおさまらないと思うのだが・・・

 

 私のネッ友さんの中にも、この法要にお出かけになられ、貴重な記念品を頂いてきた方が居らっしゃいまして、その事を日記に書いていました。
 やっぱり、列並びにかなりの時間を要したようで・・・ (^^;

 本当に、お疲れ様でした・・・ m(_ _;)m

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2009年7月 6日 (月)

ぴぃ散歩 「佐原編」

20090706001_2  一週間前の、29日と30日の二日間にわたって、テレビ朝日系で放送している「ちい散歩」という番組の中で、千葉県の佐原を取り上げてくれました。

 「ちい散歩」というのは、俳優の地井武男さんが散歩の楽しみ方、散歩のお勧めコースをお茶の間の皆さんに紹介する番組で、関東周辺の観光地とかを実際に歩いて見せてくれます。

 私はほとんど見ることはありませんが、ティンクがこの番組が好きでよく見ていて、この日千葉県を取り上げていたのを教えてくれ、一緒になって見ていました。
 写真は、地井さんが番組の中で立ち寄った「ほていや 蔵店」という和菓子屋で、入口のところの黒板に「ちい散歩立ち寄りのお店」と書いてありました(笑い)

 

 佐原は、水郷として有名な潮来と、利根川を挟んで対岸に位置していることもあって、水路を利用した商業で古くから栄えた街であり、江戸時代の名残を留める昔ながらの建物が多数残っていて、北総の小江戸と呼ばれている風情のある街です。

 成田からですと、20kmも離れていない距離にありますし、仕事でもよく出かけるところなので、以前からゆっくりと歩いてみたいと思っていました。
 しかし、一人で行くには億劫な事もあって、つい先延ばしにしていたんですが、番組を見たティンクが行ってみたいと言ってくれたので、それではということで重い腰を上げることにしました (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 ・・・というワケで、「ちい散歩」に倣って「ぴぃ散歩」とタイトルを付けてみました (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 11時頃に成田の自宅を出発。
 お天気はというと、曇り空でしたが、かえって暑い日射しに悩まされることもなく、のんびりと市内を散策できました (^^)v

 

 以下は、昨日撮ってきたスナップの一部です ( ^-^)/ ♪

 

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 これが、佐原の街並みです。まるで大正から戦前の昭和の時代を彷彿とさせてくれるレトロな街並みが見られます。
 映画でいうと、「ALWAYS 三丁目の夕日」とか、「地下鉄(メトロ)に乗って」なんかの世界に迷い込んででもしまったような、ちょっと不思議な世界がそこにあります。

 

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 佐原の市内を南北に流れ、街を二分している「小野川」です。川の東側を「本宿」、西側を「新宿」と呼び、有名な佐原の大祭と呼ばれる祭事も、本宿は夏に、新宿は秋にと、別々に行ないます。

 この川の両岸には、江戸時代や明治時代の建物が数多く残り、このあたり一帯は文化庁指定の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されています。

 

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 小野川を行き来する観光遊覧船です。
 今回は乗りませんでしたが、いずれ乗ってみたいと思っています。

 

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20090706026  街の中で見かけた山車です。
 今度の金曜日から行なわれる、「八坂神社の祇園祭」、通称「本宿祭」の主役となる山車の準備をしているところです。
 その大きさに驚かされるとともに、祭りを楽しんでいる佐原の若い衆が粋でした。

 

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 この日の目的の一つである、酒蔵の見学と、利き酒の様子です。

 酒蔵は、清酒「東薫」の製造元である「東薫酒造」です。
 もともとは、伊能忠敬の実家で営んでいた酒蔵で修行して創業したという事で、佐原でも老舗の酒蔵の一つです。

 見学も利き酒も無料でした。もちろん、私は甘酒のサービスを受けただけで、飲んだのはもっぱらティンクです(笑い)
 右側に「叶」という大吟醸の清酒が置かれており、これだけは特別のお酒ということで一杯300円取られました(笑い)
 無料で置かれていた同じく大吟醸の「夢」を飲んでからこの「叶」を飲めば、夢が叶うという事で、説明してくれたオジサンが笑っていました (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 ここでは、お土産に「にごり酒」を1本買ってきて晩酌で飲みました o(*^▽^*)o~♪

 

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 山車会館が建てられている、八坂神社の境内では、毎月町おこしのイベントとして「骨董市」が開催されており、昨日はたまたま開催日ということでちょっと覗いてきました (^_^ゞポリポリ
 なかなか盛況で、多くの人達で賑わっていました。

 

 

 以下は、オマケの写真です (^◇^) 。。。ケラケラ

 

20090706023_2  東薫酒造の前で見かけた外国の観光客です (〃'∇'〃)ゝエヘヘ
 レンタサイクルで仲間と走っていました。
 なかなか可愛いですよね・・・ (*^.-^*)♪

 

20090706024_2  小野川の川岸で見かけたNコロです。
 先日の記事でも紹介しましたが、こちらは当時の状態のまま調子よく走っているそうです。

 今では懐かしい小さな軽のナンバープレートがまぶしいです。
 写真を撮っているとオーナーが声をかけてきたので、ひとしきり話してきましたが、古い車やオートバイを「集める」のが趣味ということで・・・ (;^_^A アセアセ・・・

 

20090706025_2  街中で見かけた清涼飲料水の自販機ですが、しっかりと街の景色に溶け込んでいました (o^∇^o)ノ

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2009年7月 5日 (日)

お札の向き

 どうでもいいことではありますが、私はお札の向きをとても気にしています (^_^ゞポリポリ

 

 こういう事を言うと、たいてい几帳面だとか思う方がほとんどだと思いますが、私は生来ズボラな方で、整理整頓とかは苦手だったりします(笑い)
 昔、職場なんかでもよく言われたもんですが、血液型はA型だろうとか、部屋はキチンと片付いているんだろうとか・・・ (^^;

 きっと、マジメな性格だから、他の人の目にはそのように写るのかもしれませんが、私は典型的なO型であり、整理整頓とか潔癖とかいうことばとは無縁の生活を送っています (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 そんな私ですが、冒頭に申し上げたように、お札の向きにはこだわっています。

 これは、昔、家電店で働いていた時に、社長からきつく言われていた事が根本にあるからです。

 レジにも立ちましたから、お客さんから受け取ったお札は、必ず向きを揃えてレジに入れるように口を酸っぱくしてたたき込まれました。
 お札の向きなんてどうでもいいと思っている人も少なくないようで、買い物をする際に店員の様子を見ていると、上下も裏表も関係なく、無造作にレジにしまい込む人を見かけます。そのようにしまってあると、お釣としてお客さんにお札を渡す際にも向きがバラバラで渡すことになります。
 別にそれでも構わないのですが、そのように無頓着にお札を扱っていると、間違いも起こりやすくなります。
 向きを揃えてからレジにしまうことくらい、ほんのちょっとした手間をかけるだけですから、それほど時間もかかるわけでもないですし、ぜひ励行してもらいたいと私は思っています。

 お釣りとして受け取る時も気持ちいいですし、レジを締めて精算する際にも向きが揃っていた方が数えやすいですから、当然の事ですがミスも少なくなります。

 

 しっかりしたお店なら、お札の取り扱い方もマニュアルとしてキチンと明文化してあるはずですから、たとえアルバイトやパートであったとしても社員からしっかり教え込まれるはずなので、いい加減に扱っている店員を見かけると、ああ、この店はダメな店だなと私は思ってしまいます・・・ (__;)
 お札の取り扱い方をしっかり教えられないような店に将来性があるはずはないからです。つまり、小さな事をいい加減に済ましてしまうという体質がそこに見えるんですよね。

 

 お札の向きは、財布の中でも同じ事です。
 私は、財布の中にお札の種類ごとにキチンと分けて入れます。
 たいていの財布はお札の入れるところが仕切りで二つに分けられていると思うので、一万円札と五千円札は奥に、千円札は手前に入れています。

 

 向きも、裏表はもちろん、上下もしっかりと気にします (^^;

 全てお札の顔を手前に向け、必ず頭を下にして入れています。つまり、上下を逆さに入れているということです (^_^ゞポリポリ

20090705001 これは、人によっては嫌う入れ方で、お札に失礼だとかいって写真のように上下を正しく入れている人も多いと思います。
 ただ、いろいろといわれもあって、上下を正しい向きで入れておくと、お札が出て行きやすくなるといわれてます (^^ゞ

 それとは逆に、頭を下側にして、上下を逆さに入れておくと、お札は財布から出て行きにくくなるそうで、私はこちらを支持しています (^^)v

 

20090705002_2  写真は私の財布ですが、 私はいつもこんな感じでお札を入れています (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 本当は、こんな二つ折りのタイプではなく、長財布の方が折り目がつかないからお札も喜ぶんだそうで、長財布の愛用者の方が主流だと思うのですが、私はいつもお尻のポケットに財布を入れているので、長財布だとポケットから大きくはみ出すために、すられたり落としたりして財布を無くすことが心配なので、敢えて長財布ではなく二つ折りのタイプを長年愛用しています (^_^ゞポリポリ

 また、色もこんな黒い財布よりも風水的にいえば黄色とかの色の方が金運もアップするとか言われていますが、どうなんですかねぇ、オヤジが持つには黄色い財布なんてハデすぎるでしょ (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 まぁ、お札の上下については、好き嫌いとかこだわりなんかもあるでしょうから、揃ってさえいれば頭が上だろうが下だろうが、どっちがどっちでも構わないと思いますが、せめてお札の裏表くらいはキチンと揃えておきましょうよ ( ^-^)/ ♪
 買い物をする度に、お金に無頓着だと思われるのは損だと思いますよ (^◇^) 。。。ケラケラ

 それに、お札に対して愛情を持つというのは、一つのエチケットというか、礼儀だと私は思っています。

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2009年7月 4日 (土)

自由の女神

 なぜ、今日の記事が「自由の女神」なのかという疑問はあるかと思いますが、単なる気まぐれであって、深い意味はありません (^_^ゞポリポリ
 な~んて最初書きましたが、よく考えてみたら、今日はアメリカの独立記念日ですから、タイムリーな記事じゃないですか (^◇^) ヒャッヒャッヒャ・・・
 決して意図していたわけではありませんが、結果としてそうなってしまいましたよ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

20090704001 「自由の女神」といえば、誰だっていの一番に思い浮かべるのが、アメリカはニューヨーク湾に在るリバティ島に立っている像だと思います。

 これは、1876年に、時のフランス政府がアメリカ建国100周年を記念してニューヨークに贈ったものであることは周知の事実です。

 

20090704002  ところで、世界中にはいろんなところにこの「自由の女神」のレプリカが存在しますが、東京はお台場に在る「お台場海浜公園」の中にも「自由の女神」のレプリカが存在します。
 この事自体はけっこう有名な話しなのでご存じの方も少なくないと思いますが、このお台場に立っている「自由の女神像」は、ニューヨークにある「自由の女神像」のレプリカではない事に加え、立っている様子も少々異なっています (^^;
 今日は、そんな事を語ってみようかなと・・・ (^_^ゞポリポリ

 

 実は、ニューヨークに「自由の女神像」が贈られた際の返礼として、パリに住むアメリカ人たちが、フランス革命100周年を記念して贈ったとされる「自由の女神像」のレプリカが、セーヌ川の「白鳥の散歩道」にも立っています。

 ただ、本家の像から比べるとかなり小さめの像です。
 ニューヨークの自由の女神像は、台座の足下からトーチの先端まで約46mもある巨大な像ですが、パリのそれは、約11.5mと、約四分の一の大きさだそうです。
 それでも、十分にデカイ像であることには違いありませんが・・・(苦笑)

 

 このパリに立っているレプリカ像が、「日本におけるフランス年」事業の一環として、98年4月から99年5月まで貸し出されたことがありました。
 美術品の銅像程度ならともかく、こんな巨大なモノを運んでくるということ自体が私には驚きなんですが・・・ ヾ(;´▽`A``

 この貸し出されて展示された「自由の女神像」は非常に好評で、臨海副都心地区の経済振興に多いに役立ちました。
 このため、地元の「臨海副都心まちづくり協議会」は女神像の返却後も、レプリカを設置することを強く希望し、その結果として、フランスから「自由の女神像」のレプリカ作成が認められ、東京2000年祭事業のひとつとして、高さ約11mのブロンズ製の自由の女神像が完成しました (^^)v

 したがって、お台場の「自由の女神像」は、パリのレプリカであり、本家であるニューヨークの「それ」から見れば、レプリカのレプリカということになり、「孫」という事になります(笑い)
 そして、ニューヨークの「自由の女神像」のレプリカはあちこちにたくさん存在しますが、パリの「自由の女神像」のレプリカは世界でもお台場に一つあるだけです (o^∇^o)ノ

200907040009  ニューヨークのとパリの像とで、何が違うという事はありませんが、左手に持っている銘板に刻まれている文字が違うくらいでしょうか。
 ニューヨークのにはアメリカ合衆国の独立記念日である「1776年7月4日」とローマ数字で刻印されており、パリのにはフランス革命のきっかけとなったバスティーユ牢獄襲撃が起こった「1789年7月14日」の日付が刻まれています。という事は、お台場のものもパリに倣っているという事なんでしょうか?
 意外と、お台場に立てられた日付が刻まれていたりしてね(笑い)

 

 あと、本家のニューヨークの「自由の女神像」は、大西洋から船でニューヨーク湾に入って来た際に、移民局の置かれているエリス島に到着する手前で、船の上から臨むことができるように、海側を向いて立っています。

20090704003 しかし、お台場の「それ」は、明らかに観光客の写真撮影を意識して立てられており、海を背に、フジテレビ本社ビルの方を向いて立てられています(笑い)

 こんなところにも、それぞれの国民性が表れるんでしょうか (^^;

 

20090704004 蛇足ですが、本家のニューヨークの「自由の女神像」を造る際の原型となった「自由の女神像」が、パリのリュクサンブール公園に設置されているそうです。
 大きさは1.2mの像だそうで、制作者はフランス人の彫刻家フレデリック=オーギュスト・バルトルディです。

 ニューヨークの自由の女神像は、この像を徐々に拡大することによって作られたブロンズ製の部品を、組み上げることによって造られたといいます。

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2009年7月 3日 (金)

チンク

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 これは、先日、さいたま市内で見かけた懐かしい車です。

 

20090703008_3  イタリアのブランド車として有名な「Fiat」の小型自動車で、戦前に「トポリーノ」の愛称で親しまれたモデルが初代といわれるFiat500で、写真のモデルは「チンクェチェント」と呼ばれる二代目のものとなります。

 もっとも、低価格で人気のあった「チンクェチェント」は、57年から77年までの20年間製造され、その間にたくさんのバリエーションが造られましたから、私のような素人にはどのタイプか判別は不可能なのですが、65年に発売された「F」以降のタイプであることだけは間違いないと思われます (^_^ゞポリポリ

 ちなみに、チンクェチェントとは、イタリア語で「500」という意味だそうです。
 排気量が500ccだからチンクェチェントなのですが、一般的には「チンク」の愛称の方が通りがいいかもしれません。
 念のため、お断りしておきますが、「ティンク」ではありません、あくまでも「チンク」です (^◇^) 。。。ケラケラ

 乗り心地のいい車とは、お世辞にもいえませんが、価格の安さと経済性の良さをウリにし、路地裏にまで入り込んでいける機動性の高さから、イタリアでは国民車として人気を博したほか、ヨーロッパ全土にも輸出されて、各地で好評を得たそうです。

 いわゆる、日本における軽自動車という位置づけの車なんでしょうね (*^.-^*)♪
 ただ、500ccの車にもかかわらず、チンクが登場した当時の日本では、軽自動車の排気量は360ccだったために、日本国内で登録する際には軽自動車ではなく小型自動車の扱いになるそうで、冒頭の写真のチンクも、軽自動車が付ける黄色いナンバープレートではなく、普通の白いナンバーを付けています。
 法の整備が追いつかない例とでもいいましょうか、軽自動車の排気量が360ccから550ccにアップされてからすでに30年以上、現在の660ccになってからでさえ20年近く経つというのに、500ccで普通車扱いというのはなんとなくワリに合わないように感じるのは私だけなのでしょうか (?。?)

 

 イギリスのミニなんかもそうですが、この手の愛くるしい車に魅せられたオーナーも少なくないようで、日本を始め、世界中にチンクのオーナーズクラブが存在するそうです (*^.-^*)♪

 

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 ところで、このチンクが日本で有名になった理由の一つに、ルパン三世の愛車としてスクリーンに登場したからというのがあります。
 「ルパン三世」の劇場映画版の第二作にあたる「カリオストロの城」の中で、丸く黄色いチンクがスクリーン狭しと走り回ったのが観客に受けたんだそうで・・・(苦笑)
 もっとも、作中のチンクは、車体の後部にスーパーチャージャーを搭載し、100馬力を出せるスーパーカーとして描かれていましたが、実際のチンクは20馬力に満たない非力な車ですから、道路をかっ飛ばすどころか、エアコンさえ付けるのは難しいと思われます (^◇^) 。。。ケラケラ

 

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 そのチンクも、2007年に三代目が発表され、日本でも昨年から販売が開始されました。

 しかし、愛らしい二代目の概観とは裏腹に、三代目はなんとまぁ今風のこざっぱりとした顔とスタイルをしているのでしょう(爆笑)

 一応、小さくつぶらなヘッドライトや軽くせり出した前面と丸っこい全体的なシルエットなど、二代目チンクの雰囲気を残しているとはいうものの、1000ccを超えるエンジンを搭載するなど、一世を風靡したかつての「チンク」の面影はどこにもありません・・・
 冒頭のチンクの写真を見て、古き良き時代のノスタルジアを感じるのは私だけなのでしょうか・・・ (__;)

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2009年7月 2日 (木)

トマト

 ここのところ、スイカ、イチゴと、立て続けに記事で取り上げさせて頂きました。

 

 私は、スイカは野菜、イチゴは果物という認識ですが、そういうふうには思っていない人も多いと思います。
 第一、野菜と果物の基準そのものが曖昧ですから、どっちがどっちでも別に構わないというか、困らないというのが流通業者や消費者のホンネなんだと思います(笑い)

 

20090702001  ところで、今日取り上げる「トマト」ですが、これも野菜と果物、意見が分かれるシロモノだと思います (^^;
 私は、「トマトは野菜」だという意見ですが、果物だと思っている人も少なくないんじゃないかな。

 トマトは、植物学的にいえばナス科の植物ですから、野菜でいいと思うのですが、そうは思わない人も居たりしてね(苦笑)

 

 実は、トマトは「野菜」か「果物」かで言い争いになり、裁判沙汰になったというウソのようなホントの話があります (^◇^) 。。。ケラケラ

 時は19世紀、場所はアメリカでの話しです。

20090702002_2  当時のアメリカでは、輸入の際に果物には関税がかからなかったのですが、野菜には10%の関税がかけられていました。
 これに対して、トマトは果物なので支払った関税を返してほしいと訴えた業者がいたそうです。
 一般にはどうでもいいような事でも、そこにお金がからむとなれば、訴えてみたくなるのも無理からぬ事なのでしょう(苦笑)

 この訴えに対して、果物派の植物学者たちと、野菜派の農務省が侃々諤々と言い争い、裁判所は「トマトは野菜である」との判決を言い渡したそうです。

 判決文には、「トマトは野菜畑で育てられていて、食事には煮て出されるが、デザートにはならないから野菜である」と書かれていたそうです(笑い)

 それ以来、アメリカでは、トマトは「茎に付く実」であることから、植物学的には果物なのですが、法律的には野菜である、ということになっているのだそうです。

 

 ちなみに、日本でいうところの野菜とは、「1年生・多年生の草本性で、食用に供し得る植物のこと」を指し、果実とは、「永年作物などの木本類」をいいます。
 つまり、1年や2年で枯れてしまうような草から収穫できる実は野菜、同じ樹から何年も実が収穫できれば果物という事です。
 日本の農水省の統計では、トマトだけでなくイチゴやスイカなども野菜と定義されているそうです。

 ただし、流通業者の間では、イチゴは果物として取り扱われているそうですが・・・ (^^;

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2009年7月 1日 (水)

イチゴ

 人間、日々勉強とはよく言われます。
 私は、知らないことを覚えることが大好きで、毎日のニュースやラジオの番組の中からブログのネタを拾っていますが、50年以上生きてきても、初めて知るような事や認識を新たにするような事は多々あったりします (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 今日の記事は「イチゴ」という事で、今日から7月ですから、少々時期を逸した感がありますが、そういう最近知ったことの一つであり、個人的にはかなり驚いています・・・(苦笑)

 

20090630001  イチゴは皆さんもよくご存じの果物だと思いますが、あの赤い部分は、実はイチゴの「実」ではないというのが今日の記事の趣旨なのですが、皆さんはご存じでしたか(笑い)

20090630000  イチゴといえば、誰だってこんな風な絵を描くと思いますし、食べている部分もあの赤い部分ですから、そこが「実」ではないといわれても、にわかには信じられないと思います。

 また、イチゴの表面には小さな黒いブツブツがありますが、たいていはアレがイチゴの種だと教えられ、そう思っている人も多いと思います。
 もちろん、私もその一人でした。

 しかし、実はあの黒いブツブツこそがイチゴの「実」であり、赤い部分は「花托(かたく)」と呼ばれる花の「根元」の部分だそうです (^^;

 

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   イチゴの花の写真と、花と実の構造図

 「花托」は花床(かしょう)とも呼ばれ、(がくと呼ばれ、果物ではヘタと呼ばれることもあります)・花びら雄しべ雌しべ等をつける「土台」としてクッションの役目を担っています。

 普通の植物では、花托はそれほど大きくなることはなく、花の土台として目立たない存在ですが、イチゴでは、おしべの花粉がめしべに着いて受精すると、花托が大きく発育し始め、うす緑色から熟すると赤色になります。
 花托の組織の外側は皮層(ひそう)、内部は髄(ずい)と呼ばれます。

 めしべの子房(しぼう)は小さく硬く熟して、大きくなった花托の表面に半ばうずまったような姿で点々と貼りついています。
 植物学上はこれが本当の果実で、イチゴでは硬く小さくやせているので「痩果(そうか)」といいます。ひとつの痩果の中には種が1個入っています。

 この痩果を表面にのせた花托の成熟組織全体が、果物としてのイチゴです。

 

 つまり、私たちが普段美味しい美味しいと食べているイチゴの大部分は、子房が大きくなった「実」そのものではなく、「花托」の組織が大きく発育したものなのです。

 このように、イチゴの場合は、子房が大きくなって実となる他の植物とは異なり、かなり特殊な構造をしています。
 イチゴと同じように花托が大きくなり、それを実として食べられているものに、リンゴとかなどがあります。いずれも、イチゴと同じバラ科の植物です (^^)v
 ただ、同じバラ科の植物でも、桃やサクランボは子房が大きくなって実となりますから、やはりイチゴなどが特殊なんだろうと思われます。

 

 こんな事、知っているからといって別にどうということもありませんが、何事も知らないままでいるよりは、知っていた方がベターなのではないかと・・・ (^◇^) 。。。ケラケラ

 その日その日を、食べる事のみのために生きている他の動物たちと、人間との決定的な違いというのは、「知識」を求めるかどうかということです。
 動物が成長していく過程において、生きていくために覚えなくてはならないことはいろいろとあると思いますが、そういう事とは別に、人間はいろいろと知りたがります。

 子ども達が、親を始めとする周囲の人たちに向かって「なぜ?」「どうして?」と質問するのはそういう「知識」を欲しているからです。
 よく、数学や化学などの授業は、勉強しても将来なんの役に立つのかと口にする人がいますが、実際に生活の中で用いるかどうかは別にして、そういう「ムダ (^^; な知識」を覚えることが人間として生きていくことなのだと私は思っています。

 ただ生きていくだけなら、そういう「ムダな知識」は要らないだろうと思いますが、それでは動物園で飼われている獣たちとそう変わらないことになってしまうと思いませんか(苦笑)

 

 というわけで・・・

 イチゴの黒いブツブツは種ではなくて、本当は「実」
 実だと思って食べていた赤い部分は、花の「土台」

 ・・・ということになります (^^)v

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