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2006年9月27日 (水)

丹波哲郎が逝く・・・

 先日、俳優の丹波哲郎が肝炎のために84歳で他界した。正直、年齢不詳のようなところがあったので、亡くなったというニュースに驚くと同時に、84歳という年齢にも驚かされた。

 

 丹波哲郎といえば「キイハンター」か「Gメン’75」というイメージがついてまわる。もちろんホームグラウンドは映画なのだが、前出のテレビドラマで広く茶の間に顔を売った事でより幅の広い活躍の場を得た。

 邦画はハリウッドに代表される洋画に比べると作品の規模も質も見劣りがして、アニメか動物ものでないとヒットしないなどと陰口を言われる事も多いが、私が一番好きな邦画である「砂の器」にも主役として出演していた。この時の相棒の若手刑事が森田健作だった。作品そのものももちろん素晴らしいのだが、この映画の見どころはやはり日本海沿岸の圧倒的な大自然と終盤の「宿命」の演奏であろう。テーマが重いが、私は18歳の時に初めてこの映画を見て、以来数回は映画館に通った。同じ映画を繰り返し映画館で見たという経験は、後にも先にもこの「砂の器」だけである。すでに30年以上経過した映画ではあるが、この映画は今でも十分に鑑賞に耐えうる秀作だと思う。

 

 彼が出演した映画は、エンドロールに名前が載っているものだけでも優に300本を超える・・・
 お茶目なところもあったので、チョイ役でスクリーンをかすめる事も多く、そういう作品には丹波哲郎の名前は残っていないので、その手の作品を含めると出演した映画は400本とも500本とも言われて、その数ははっきりしない(笑い)
 出演をめぐるエピソードもいくつもあり、諸葛孔明にならって、出演依頼は二度断り三度目に応諾するとか、5ページ以上台詞のある仕事は受けない、などは有名なところかな(苦笑)
 近年出演する映画やテレビドラマでは、出演者のクレジットはいつも最後に登場するか、「特別出演」となっていることが多かった。キャリアや年齢、役柄からそうなっているのか、その様な待遇でないと出演しなかったのかは定かではない (^^;

 

 撮影の際にもかなりのワガママを通した事で、武勇伝には事欠かない。台詞を覚えない事は有名だが、自分の台詞以外の部分は台本を読まないとか、台本を隠し読みしながら演技をするようなこともあったという。
 蛇足ではあるが「丹下左膳」という右目、右手が無い剣士の役を演じる際に、殺陣がやりにくいからという理由で、左手・左目がないことにして右手で刀を持つ、という提案をして周囲を驚かせた。歴代の丹下左膳の中でも右手で演じる丹下左膳は「丹波左膳」のみである(爆笑)

 

 遺作ともなった公開中の映画「日本沈没」では、ヒロインの柴咲コウの祖父役で出演しているが、写真のみの出演で実際には演技はしていない。
 1973年に作られた「日本沈没」の中では総理大臣という重要な役で出演していたので、今回のリメイクにも敬意をはらっての出演となったという。

 

 しかし、丹波哲郎といえば最近では俳優というよりも“霊界の宣伝マン”としてのキャラの方が有名だったように思う(苦笑)
 約40年間研究を続けたという死後の世界についての著書は60冊以上にもなるし、自ら手掛けた映画「大霊界」シリーズはあまりにも有名だ(笑い)

 亡くなった方に対してこういう物言いは不謹慎ではあるが、自ら「死は怖くない。天国は素晴らしいところ」と語っていた丹波哲郎・・・
 先月に入院した際にも、「現世以上に素晴らしい世界」へ帰ることが「楽しみ」と周囲に語り、息を引き取る直前まで、明るくふるまっていたという。

 豪放な人柄と演技、天性の明るさで霊界についても愛きょうたっぷりに語るちゃめっ気で、幅広い世代に親しまれた丹波哲郎は、24日の夜に容体が急変して、眠るように静かに憧れの「大霊界」へと旅立った・・・

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