フラガール
昭和40年代に、福島県のいわき市に作られた「常磐ハワイアンセンター」の誕生秘話を描いたドキュメント映画ともいえる「フラガール」が今月から全国で上映されている。
仕事もなくてヒマだった (^^; ので、思い切って映画を見て気分転換でもしようと話題の「フラガール」を見るために久しぶりに映画館に出かけてきた。
この映画は、時代に振り回されて、それでも生きていかなければならなかった地元の人々の、涙なくしては語れない悲哀を、女性たちの立場から描いたサクセスストーリーで、見終わった後にはぐっしょりと濡れたハンカチが手元に残る・・・
私自身が福島県の出身であるから、常磐ハワイアンセンターは他人事ではない。
できるまでの事はほとんど何も知らないが、できてからの事はよく知っている。
炭坑の町というのは三池しかり、夕張しかり、多かれ少なかれどこでも似たような経緯をたどっているが、常磐炭坑も本州最大の炭坑町として長く栄え、特に戦前から戦後にかけては毎日がお祭りのような活気を呈していたという・・・
しかし、昭和30年代も後半になると「黒いダイヤ」ともてはやされた石炭も、主役の座を石油に譲り、炭坑をとりまく状況は一変する事になる。
石炭産業は坂道を転げ落ちるように没落の一途をたどり、同時に石炭に依存していた地域経済にも不景気という深刻な波が否応なしに押し寄せていった・・・
今でいうところの大幅な「リストラ」を断行し、何とか倒産を先伸ばしにしようと悪あがきをする経営者に対し、行き場を失った多くの失業者たちと新たな新規事業を模索する会社の一部の人達が手を取り合って立ち上げたのが、石炭掘削の妨げとなって捨てられていた豊富な湯量を誇る「温泉」を逆手にとった「温泉レジャー施設」計画でした。
当時の日本の為替レートは、1$=\360、単純に旅費も今の3倍かかるわけですし、所得も低かった当時では、一般の人達にとって海外旅行など夢のまた夢の事で「あこがれのハワイ航路」なんていう歌謡曲まであったくらいですから、常夏の楽園ハワイに対する人々の憧れは相当なものでした。
そこで「温泉レジャー施設」の売り物として考えられたのが南国を象徴する「熱帯樹とフラダンス」でした。発想は安直でしたが、日本にハワイを作るという今風にいえばテーマパーク計画は悪くはないものの、あまりにも突飛すぎてなかなか地元の理解は得られませんでした。 (^^;
しかし、ハワイアンセンターがりっぱだったのは、あくまでも町興しのために積極的に雇用対策としてこの事業を進めた事です。単に利益優先で経営するのならプロを雇って踊らせた方が手っ取り早くて効果も大きかったと思いますが、決してそういう安直な手段をとらなかった事で逆に細く長く営業を続けられる結果になりました。
できて間もない頃の常磐ハワイアンセンターに行った事がありますが、確かに目新しさはありましたが、それほどおもしろいところでも楽しいところでもありませんでした。
最初のうちこそ確かにもの珍しさも手伝って客は押し寄せましたが、リピーターを呼べるほどの魅力はありませんでした。あのままだったら他のテーマパークなんかと同じで、客足は次第に遠のき、経営難から閉鎖に追い込まれていたと思います。実際に昭和50年代に入ると客足は減っていきます。人間は、特に日本人は飽きるのが早いのです(苦笑)
しかし、現状に満足する事なくハワイアンセンターの挑戦は続いた・・・
50年代に入ると次々と新しい施設を増やし続ける・・・
そして平成になって名称も「スパリゾートハワイアンズ」に変えた。過去の栄光にとらわれることなく、そして未来に向かって、心機一転の意気込みの現われだったように思う。
そして、今、常磐ハワイアンセンターは名実ともにリピーターを呼べる「スパリゾートハワイアンズ」にと生まれ変わった・・・
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