« 或る日の午後 | トップページ | 日本ハムの優勝に思う »

2006年10月27日 (金)

大木金太郎が逝く

 昨日、タマパパさんのブログで本当に久しぶりに「大木金太郎」という名前を目にした・・・
 子供の頃によく見ていた初期のプロレスを支えていた一人で、頭突きが得意技だった。その大木金太郎氏が、昨日の午後に慢性腎不全などのため韓国ソウル市内の病院で亡くなったという・・・ (__;)  享年77歳だった。
 パパさんのブログの二番煎じになってしまいますが、お許しください (^^;

 

 大木金太郎・・・本名はキムイルといい、韓国出身のプロレスラーである。
 29歳の時に同郷のレスラーだった力道山に憧れて、漁船に乗って密入国して捕まり、翌年に力道山が同郷のよしみで身元引受人となって釈放された。
 その直後、「日本プロレス」に入門し、同年11月にプロレスデビュー。翌年にはジャイアント馬場とアントニオ猪木が入門・デビューし、「若手三羽烏」と称された。
 ちなみに大木のデビュー戦の相手は猪木である。先輩の大木の勝利で猪木はデビュー戦は負けている。

 力道山が北朝鮮の出身という事はけっこう有名だとは思いますが、意外とご存知でない方も少なくないと思います(苦笑)
 ちなみに、力道山という名前は大相撲時代に用いていた四股名だった。

 

 大木金太郎の見せ場は、なんといっても石頭を利用した頭突きである。特に大木の頭突きは、当時の一本足打法の王にならったもので、片手で相手の頭を鷲掴みにして足を大きくあげて繰り出す大技は、当時「原爆頭突き」と呼ばれる程のハデなもので、リングの周りに集まった観客を大いに湧かせた・・・

 

 特に1972年12月に、やはり頭突きを得意技にしていた「黒い魔神」と呼ばれるボボ・ブラジルと行った「頭突き世界一決定戦」は有名だ・・・
 この勝負には敗れたものの、3日後の再戦で勝利しインターナショナル・ヘビー級王座を獲得する (^^)v

 

 彼のリングでの活躍を見ていたのは私が小学生の頃だった・・・
 子供たちの間でも、けっこう大木は人気があって、よく頭突きのマネをしている子供が居た。私もその一人でしたが・・・ (^.^; ポリポリ

 

 その後はあまりプロレスを見る事はなくなったので、団体間のいろいろないざこざとかはほとんど知りませんが、やはりプロレスという興行の黎明期を支えたレスラーであった事には間違い無い・・・

 心よりのご冥福を祈りたい・・・(-人-)

|

« 或る日の午後 | トップページ | 日本ハムの優勝に思う »

コメント

お疲れ様(^_^)v
インターナショナルヘビー級チャンピオン
そうそう!そうです!
やっぱりピーターパンさんの記事にはまとまりがあって
読みやすいですね これからも期待していますよ~(^.^)/~~~

投稿: タマパパ | 2006年10月27日 (金) 19:33

 パパさん、どうもです (^^)/

 いやぁ、パパさんも格闘技好きで嬉しいなぁ(笑い)

 今回の記事は、パパさんとダブッた感じで恐縮です (^^ゞ
 昨日の時点ではそんなつもりは無かったのですが、今朝になって亡くなったと知り、取り上げざるを得ませんでした・・・ (^^;

 大木、吉村、芳の里、豊登・・・ 懐かしい名前ですねぇ(苦笑)

投稿: 夢見るピーターパン | 2006年10月27日 (金) 23:37

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 大木金太郎が逝く:

» 大木金太郎さんを悼む [SIDEWALK TALK]
日ハム日本一の陰に隠れて、スポーツニュースのスミに追いやられてしまったが、日本プロレス界の黎明期を支えた名物レスラー 大木金太郎さんが死去した。 大木さんの生い立ちについては不案内だったが、報道によると、「日本統治下の韓国全羅南道生まれの大木さんは1958年に故力道山にあこがれ、船員として貨物船に乗... [続きを読む]

受信: 2006年10月27日 (金) 12:39

« 或る日の午後 | トップページ | 日本ハムの優勝に思う »