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2006年11月30日 (木)

募金運動

 明日から12月、いよいよ今年も残すところ一ヶ月だけとなった・・・
 街も、忘年会やクリスマスなどのイベントがめじろ押しで、例年忙しい師走になる・・・

 

 そんな中、街頭の至る所で募金を募る人達を見かける季節でもある。
 「赤い羽根募金」「歳末たすけあい運動」「ラジオ・チャリティ・ミュージックソン」など、それぞれにいろんな名目で街を行く人々に協力をお願いしている。

 私は、この募金運動があまり好きではない・・・ (^^;
 主旨はわかるし、それに関わっている人達が一生懸命にやっているのもわからないでもない。
 しかし、こういう運動がそこここで行われているという事は、取りも直さず「国の福祉がその役割を果たしていない」という事のなによりの証拠なのではないのか。
 行政の怠慢を、一般市民の善意によって補おうとしているようで、とても腹立たしく感じる・・・ (__;)
 役人による税金の無駄遣いのニュースを見聞きするにつけ、なぜ国民の血税をもっと有効に使えないのか、怒りを感じるほどだ。

 

 第一、募金を募っている人達や団体の中にはうさん臭いようなものも少なくない (^^;
 集めた浄財は本当に有効に使われているのか、はなはだ疑問だ・・・

 また「赤い羽根募金」のように歴史のある募金運動の場合だと、たいてい地域の自治会などを通して集金するようなシステムが一般的だ。この場合集金額にノルマを課すなど、「募金」とは名ばかりで、戸別訪問の上半ば強制的に集金していく・・・ (__;)
 募金をお願いされる方も、集金に回って来た相手が町内の顔見知りだと無下に断るわけにもいかないから、一応ご近所と足並みを揃えて、出したくもないお金を嫌々払う事になる・・・ (^^;
 こういう名前の通った由緒ある募金に限って、集めた浄財は老人会の飲み食いに当てるなどの偏った使い道が指摘され、本当に困っている人達のところにも行き渡っているのかとなると、はなはだ心許ない・・・ (__;)

 

 街頭で募金の協力を求められた際に、断ったり、あるいは無視して通り過ぎたりするのは、募金をしている方も、される方も、お互いにイイ思いはしない(苦笑)

 募金という方法は、かつてはそれなりに効果的なモノであったのかもしれないが、現代においてはこういう方法はもう時代に合わなくなって来ているんじゃないだろうか・・・
 国民の善意をアテにするような福祉政策はそろそろ終わりにしていただきたい・・・ (^^;

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コメント

こんにちは。
まったく、そのとおりですよね。
でも、行政と市民ボランティアが完璧に分離されるのは、よくないように思う。
となると、市民が行政に入り込んで動かすこと以外ないのでは、と思います。

投稿: むうさん | 2006年12月 1日 (金) 01:49

まぁ、募金自体は良いと思うんですけど、自治会が各家庭を回って事実上強制的に募金を集めていくようなことはやめるべきですよね。自治会の人が各家庭を回りその場で集めるんじゃ、どう考えても強制になるわけで、募金の趣旨に反するのは明らかなのですから。
共同募金に関しては、共同募金会自身が市を通して各自治会に要請を出してくるので、自治会としても戸別集金などの活動をやらざるを得ない状況になっている(強制的に金を集めるようなシステムを作ってしまっている)のが、根本的な問題か。しかも、そうした自治会による強制的な徴収が「募金」額の大部分を占めている……。

投稿: やし | 2006年12月 1日 (金) 08:05

 むうさん、やしさん、コメント有り難うございます (^^)/

 「募金を」をするのが良いか悪いかと言われれば、やらないよりはやった方が良いに決まっているんですけど、ナンか集金の方法が納得いかないんですよ(苦笑)

 台風とか地震とかの災害が起こった場合によくマスコミなどを通して募金が呼びかけられます。こういった場合には行政の対応は遅れがちなので、一般の方の善意がダイレクトに届く募金やボランティアの活動は欠かせないと思います。

 募金の方法も、振り込みか郵送に限ってとかなら、本当に募金したい人だけがするんじゃないでしょうか。
 ただ、この方法だと小銭は集まらないだろうなぁ・・・ (^^ゞ

投稿: 夢見るピーターパン | 2006年12月 1日 (金) 08:56

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