かつては、ヒット曲というものは老若男女を問わず、誰でも知っていたものだった・・・
オリコンなどに代表されるチャートの上位にランキングされる作品は、それなりに露出度も高かったから、必ずどこかで耳にしているのが当たり前で、ランキングのタイトルを見れば、歌えないまでもどのような曲だったのかはだいたい頭に浮かべる事ができたものだった。
しかし、このところそういう「常識」が通用しなくなって来ている・・・
ランキング入りした作品のタイトルを見聞きしても、思い出せないどころか、耳にした事もないような作品がめじろ押しだ・・・ (^^;
さらに言うならば、新曲を聞いてもなかなか覚えられない(笑い)
何度聞いても覚えられないのだ・・・ (__;)
これは、いったいどういうことなのだろう・・・
私が中学とか高校の頃、流行り出したフォークソングを聞いて、ギターを弾きながら拓郎ナンかのマネをしていた頃、周囲のオトナたちは皆マユをひそめて言ったものだった・・・
あんな歌のどこがイイのか、あんなモノは歌ではない・・・と・・・
私も、最初の頃はそれと同じように「ジェネレーションギャップ」のせいだと簡単に考えていた。
自分がトシを取って、若者たちとの感性が違って来たから、最近の歌にはついていけないんだと・・・ (^^ゞ
ところが、最近思う事がある・・・
コトはそんな「単純」な事ではないような気がするのだ。
もしかして、最近の歌には「歌詞」が無いから覚えられないのではないのかと・・・
そんな思いにかられている・・・ (^^ゞ
いや、別にインストルメンタルではないから、カラオケとか歌のない歌謡曲みたいに、音楽だけで出来ているという事を言っているのではない。
「歌詞」のようなモノは一応は付いている (^^;
しかし、それは「歌詞」とはとても呼べない、ただの「ことばの羅列」だ。
ナンの意味もないことばをメロディに乗せて順に並べただけだ。
だから何度聞いても覚えられないのだと・・・
最近の曲は、とても耳当たりが良い。すんなりと入って来る。
しかし、すんなりと入って来る分、右の耳から左の耳へと簡単に通り抜けていってしまう・・・(笑い)
後にナニも残らないのだ。
これは、メロディ先行の曲作りによるものと思われる。
まず、曲ありきで作品作りが行われ、でき上がったメロに後から歌詞をはめ込んでいく・・・
だから、前後のことばにつながりがない事も往々にしてある。
歌詞の中にいきなり英単語なんかが飛び出して来る事ナンか当たり前だ (^^;
とにかく意味なんてなくても、ラップと一緒でメロに乗れることばでありさえすればイイわけだから・・・
昔は、歌謡曲は「3分間のドラマ」だとも言われた。
一曲の間に、様々なドラマが折り込まれており、歌を聞きながらそれぞれにいろいろな事を思ったものだった・・・
最近の歌を聞いても、歌詞に必然性を感じないのだ。
どうしてそういうことばを選び、そういう歌詞になったのか・・・
聞く者に、作者の思いが伝わらない内容の歌詞ならば、それは「無い」のと一緒だ。
歌詞というものは、歌のオマケではない(笑い)
それだけで鑑賞に耐えうるものでなければ存在価値はないと私は思う。
歌詞カードの中に、文学としての香りを感じるようなものでなければ「歌詞」とは呼べないんじゃないのか?
昔、サザンがデビューして間もない頃、桑田佳祐のボーカルが酷評された事があった。
ナニを言っているのか、ナニを歌っているのかわからないというものだ。
そこで桑田は、どうせナニを歌っているのかわからないなら、最初から歌詞カードなど要らないという事で、アルバムの歌詞カードに文字ではなくて様々な記号を印刷した事があった (^^;
この件については、印刷までに歌詞が間に合わなかったとかいろいろと言われてもいるが、実際には桑田の抵抗だったと私は思っている。
しかし、私はこういう事をするのはアーティストとしては失格だと思う。
チャンと伝える努力をするのが本筋ではないのか。
思い上がりもはなはだしい・・・
まぁ、サザンに関しては「アバンギャルド」な存在だったという事が後の時代が証明してくれた。
30年もの間、第一線で活躍し続け、今では誰もが認める人気グループでありトップアーティストだからだ。
もう、誰も桑田のボーカルについてクレームを付けたりはしない(苦笑)
「私」以外は・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪
しかし、最近の「歌詞のない歌」・・・
こればかりはどうにかならないものなのだろうか・・・ (ノ_-;)ハア…
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