続・宝珠花
先日紹介した「宝珠花橋」と「宝珠花神社」ですが、まだ語り足りない事があるので、今日はその続編です (^.^ゞポリポリ
退屈かもしれませんが、おつきあい頂ければ幸いです・・・
「宝珠花橋」が架かっている江戸川を境にして、東側は千葉県、西側は埼玉県となっていますが、実はこの橋の両岸に「東宝珠花」と「西宝珠花」という地名が存在します (^^;
当然、「東宝珠花」は千葉県で、「西宝珠花」は埼玉県という事になりますが、実は江戸時代までこの二つは一つの村でした。
しかし、徳川家康の命で行われたという、それまで東京湾に注いでいた利根川の流れを、銚子へと変え、太平洋に流すという「利根川東遷」と呼ばれる大工事によって東西二つの村に分断されてしまいました・・・
後に、明治政府によって行われた廃藩置県によって、さらにこの二つの村は千葉県と埼玉県とに分かれる事になってしまいました (^^ゞ
長い歴史があって二つの県に分かれてしまったわけで、単なる飛び地のようなものとは根本的に違います。
人間の都合で、川の流れが変えられ、それによって一つの村が二つに分断され、やがてそれが二つの県に分かれてしまったわけです・・・
ナンか、無常を感じますねぇ・・・ (^.^ゞポリポリ
この二つの地区を結んでいるのが先に紹介した「宝珠花橋」ですが、この橋は今はしっかりした「永久橋」ですが、昭和25年までは船をつなげて橋げた代りとする「船橋」だったという事です。
その船橋でできた「宝珠花船橋」も、大正14年完成という事ですから、おそらくそれ以前は渡し船かナンかで行き来していたんじゃないでしょうか・・・
私は、こういう、どうでもイイような事がとても気になる性格なので、仕事で車を走らせているウチに、変わった地名とか珍しいモノを目にすると、いつまでも頭から離れないんですよね (^◇^) 。。。ケラケラ
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