サウスポー
これは、昨年亡くなった阿久悠の作詞で、作曲は都倉俊一という、いわゆるゴールデンコンビによる作品であり、ピンク・レディーの代表曲の一つの「サウスポー」という作品です。
歌われている内容は、巨人時代の王選手の事をモチーフにしていると思われます。
発表された時期が1978年であり、その前年に王は756号を放ってハンク・アーロンの持つ世界記録を抜いたと騒がれた事もあったので、おそらくその影響もあって書かれたモノと思われます。
選手時代の王は、地味すぎてそれほど好きな選手ではありませんでしたが、評価はしています (^^)v
しかし、監督としての王はダメですね (^^;
アタマが古すぎます。もしかして、脳が化石化しているんじゃないのか・・・ (^^;
この人の野球アタマは、もう時代遅れだという事を本人も周囲もしっかりと認識する必要があると思います。
4年連続V逸の責任をとって、昨年のオフに辞めてくれるものだと当然のように思っていたのですが、ここでもファンの想いを見事に裏切ってくれました (__;)ガクッ
それはともかく、最近では「左利き」の事を「サウスポー」ナンていって、なんとなくカッコイイんですが、私が子どもの頃は「ぎっちょ」というのが周囲での一般的な呼び方でした。
しかし「southpaw」ということばの中に「左」とか「手」というような意味のことばが含まれていないのもおもしろいなと (^.^; ポリポリ
もっとも、「ぎっちょ」ということばの中にも、「左」とか「手」というような意味のことばは含まれてはいませんが・・・ (^^;
私等が子どもの頃は、左利きの子どもたちは、右手を使うようにと強制的に矯正をされるのが普通でした。親御さんたちは、子どもが将来不自由な生活をしなくても済むようにと、矯正をするのが「親心」といわれたものです。
しかし、最近では、左利きも「個性」という事で、あえて矯正をしないで育てるという親御さんが増えているようです。
評論家の中にも、左利きをムリに矯正しようとするのは子どもたちにとって大きなストレスになるから、左利きのままで育てるべきだナンて本気でおっしゃっている方も居たりして、軽率な親御さんもそういうことばを鵜呑みにして育てている方も少なくないようで・・・ (^^;
私も、左利きは「個性」だと思う一人で、日常生活の中の動作は左手で行ってもなんら不都合はないと思っていますので、あえて「左利き」を「右利き」に矯正するような無駄な事は意味がないと思っています。
そうは思いますが、それでも「鉛筆」と「箸」だけは右手で持つべきであり、これだけは絶対に右手でも行えるように練習するべきだとも考えています。
「鉛筆」に代表される「筆記用具を持つ手」は、どうしても右手で持つ必要があります。
それは、日本語に限らず、たいていの国の文字は「右手で書く事」を前提にして形作られているのが普通だからです。
これを左手で書こうとすると、ムリがあるのは否めない事で、ハタで見ていても不自然極まりありません (^^;
百歩譲って、鉛筆などのペン類なら、それでもなんとか文字を書く事は不可能ではないと思いますが、筆を使って行う「書道」は左手ではムリです。
「はね」「とめ」「はらい」などのあの独特な筆遣いは、右手で行う事が前提ですから、左手でもマネできない事はないと思いますが、現実的にはムリだと思います。
まぁ、PCなどもドンドン普及していますから、いまさら書道でもないでしょうし、手書きで文字を書く事自体がほとんど無いような現代では、右手で文字を書く事にそれほどのメリットは無いのかもしれませんが、食事をする際の「箸」はそういうワケにはいきません。
筆記用具は、右手で持とうが左手で持とうが、本人だけの問題ですから、本人が不自由を感じてさえいなければそれで済んでしまう事で、問題にするような事でもないんですが、食事をする際に手にする「箸」は本人だけの問題では済まされないので絶対に右手で持てるように練習するべきだと私は思っています。
家庭などで食事をするだけなら、左右に居る人はほとんど居ないと思うし、仮に居たとしても身内だけなので問題にはならないと思いますが、食堂などのように不特定多数の人の中で食事をする際には、左手に箸を持っているのはハッキリ言って「迷惑」になります。
特に、カウンターなどのように横に並んで食事をする場合には問題になります。
左隣に座っている人の箸を持った右手と、箸を持つ左手とがケンカをしそうで見ていてとても不愉快になるからです。
そうはいっても、実際に手と手が触れ合うなんて事は、普通はあり得ないと思いますが、実際に私のように不愉快に感じる人が居る以上、箸は右手で持つべきだと思うし、それが食事のマナーだと思っています。
「食事のマナー」ということばを、皆さんはどのように理解しているのかわかりませんが、たいていの方は「食事の作法」というような意味で捉えているのではないかと思います。
「テーブルマナー」なんていうと、やれフォークとナイフがどうのとか、手にする順番がどうのとかいうような「どうでもいいような事」ばかりが話題にされがちなので、ついそういう堅苦しい決まり事が「マナー」だと勘違いしている方も少なくないと思いますが、そもそも「マナー」とはお互いに気持ちよく生活をしていくための「思いやり」という意味です。
「運転マナー」や「公共のマナー」、最近では「ネットのマナー」など、いろいろな場所で「マナー」ということばが聞かれますが、いずれも「相手を思いやる気持ち」から出る行動の事を差すわけです。
「マナー違反」というのは、具体的に「こういう事」というようなモノではなく、相手に嫌な思いをさせたり、不愉快に感じるような事をしたら、それが「マナー違反」という事になります。
翻って、先ほどの箸の件ですが、左手に箸を持つ事によって周囲に居る人が不愉快な思いをするようなら、それは本人がどう思っていようと「マナー違反」という事になります。
決して「個性」で済まされていいような問題ではないと私は思っています。
私自身は、右利きですが、友人たちの中にも左利きの人は何人も居ます。
中には、ウチのソフトボールチームのエースのように、鉛筆も箸も左手で持つのに、ボールを投げるのもバッターボックスに立つのも右という友人も居ます (^^;
このエースはかなり変わった例ですが、私のように右利きなのに「右投げ左打ち」というような例はよく見られる事です。
私は、もともとは右で打っていたわけですが、中学生の頃に「野球は左が優利」という事を知ってから左打ちに変えました (^^)v
おかげで、今は左右どちらでもバッターボックスに立つ事ができます(笑い)
もっぱら左打席に立ちますが、サウスポーの投手の場合には右の打席に立ちます (^^)v
左の打席の方がヒットの確率は高いのですが、右打席の方が当たれば遠くへは飛ぶようです(笑い)
まぁ、そうはいっても、戦力にはなりませんから、実際に試合に出るような事はほとんど無いので、どうでもいいことではありますが・・・
(_ _)ノ彡☆ギャハハ!!! バンバン!!!
また、右手を怪我した時なんかに備え (^^; て、左手で箸を使う練習をした事があり、食べ物をつまむくらいはできるようになりました (^.^; ポリポリ
チョッと練習したくらいで、不器用モノの私でさえ左手で箸を使えるのですから、子どもの頃から何年もかけて練習をすれば、利き手でなくても箸を使うのはそれほど難しい事ではないと思います。
ようは、やる気さえあれば、「左利き」を「右利き」に直す事はできなくても、右手を使って鉛筆や箸を持つ事くらいの事はできるという事で、それを最初から子どもに求めようとしないのは、ただ甘やかしているだけで、子どもの将来を考えていない「ダメな親」だと私は思っています。
なぜ「鉛筆」と「箸」は右手で持った方が良いのか、キチンと子どもに理解をさせれば、矯正はそれほど難しい事でもストレスを伴うような事でもないというのが、私自身の経験から得た持論です。
親は、子どものシツケには手を抜くべきではありませんし、甘やかして育てるべきではありません。
なんといっても、人生は長いのですから、幼い子どものうちの数年のシツケは、その後の子どもの長い人生において、大きな財産になるというのが私の持論です。
幼い子どものうちは、とにかく可愛いですから、ついなんでも甘やかして大目に見がちですが、「三つ子の魂百まで」ということばもあります。
可愛い時期に甘やかして育てても、子どもの将来にはナンのイイ事もありません。逆に、キビシイくらいでちょうど良いんですよ。
甘やかす・・・ というか、子供の意見を尊重するのは自我が芽生える
10代くらいからで十分です。
今の親御さんは、それとは逆に、幼い頃にトコトン甘やかして、10代くらいになってやたらと厳しくするから、子供の反発をくらって、非行に走ったりするんだと私は思っています (^.^; ポリポリ
| 固定リンク
コメント