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2008年2月29日 (金)

KY

 私は、芸能界にはほとんど興味が無いので、誰がどうしたとかこうしたとかいう、不毛な話題には全く無縁です・・・ (^.^; ポリポリ

20080228001  だから、昨年の暮れに毎日新聞が「'07年顔 空気読んだ?」というインタビュー記事の特集を組んだ時、人気俳優の小栗旬が、「KY(空気読め)って言葉、オレは許せない。どこまで知的レベルを落とせばいいんだ、この国は、って思います。オレだって勉強ダメですけど、でも自分の中に良い悪いの基準はちゃんとつくっているつもりだから」と語ったという事を、ずっと知らないままでいました・・・ (^^;

 小栗のこのことばに対しては、インターネット上の巨大掲示板「2ちゃんねる」を中心に大きな反響を呼んだという・・・
 その多くが、好意的な意見という事で、この国もまだまだ捨てたモンじゃないなぁという思いをあらためて思いました(笑い)

 この「KY」ということばですが、「空気を読め」という意味の若者ことばだそうですが、マスコミなどではもっぱら「(周囲の)空気が読めない(人)」という意味で使われているようです。

 しかし、「空気を読め」にしても、「空気が読めない」にしても、いかにも日本人的な考え方だと思う (^◇^) 。。。ケラケラ
 周りに気を使い、周りと同調する事で自分が浮いた存在にならないようにという、いわゆる「保身」のための護身術みたいだ(苦笑)

 とかく日本人は、周りに合わせていれば安心という考え方が主流で、人と違う事をすると叩かれたりする事が少なくない・・・ (__;)

 それは、子育てにおいて、より顕著に表れる・・・
 自分の子供が、周りの同年代の子供たちと比べて、違うところはないかという事を探す事に一喜一憂している親がほとんどだからだ。
 オムツが取れるのが遅くはないか、立って歩くのが遅くはないか、ことばは遅れていないか、友だちと仲良く遊べているのか、仲間外れにされてはいないか・・・etc.、etc.・・・
 別に、ことばが遅れていようと、他の子供たちと一緒に遊べなかろうと、それが我が子の個性なのだと思えばなんて事ないはずなのに、周りの母親たちの手前、自分の子供だけが違うという事が恥ずかしいのだと思う。

 親がこんな調子だから、そんな中で育つ子供はとにかく周りと同じにしようという「事なかれ主義」の子供になってしまう。いわゆる、オトナたちにとって都合の良い「イイ子」と呼ばれるように、オトナの顔色を伺うような小賢しい子供に育つワケです(笑い)

 「個性」は否定され、画一化された子供たち・・・
 そういう子供たちだから、「KY」ナンてことばが、当たり前に使われるようになってしまうのだろう・・・ (__;)

 なぜ「空気を読む」必要があるのだろう・・・(?。?)

 百歩譲って、場の空気を読む事は大切な事かもしれないが、だからといって自分の意見をはっきりと言えないのは問題ではないのか・・・

 おそらく、欧米ではこのような考え方は理解されないと思います。
 自分の意見を持っていない人間は存在価値が無いというのが、あちらでの一般的な考え方だからです。
 人と違う意見を言う事で、その人の株が上がったりする事は、欧米ではよくある事のようですが、日本では場合によっては「変人」扱いされてしまいかねませんからねぇ・・・ (^^;

 こういう意見を、分別のついた年寄りが言うのならまだしも、若い小栗旬が言ったというのが意味のある事で、彼はけっこう人気もある俳優ですから、彼のことばは少なからず若者たちに影響を与えるだろう事は想像に難くない。
 オトナたちが、こういうことを言っても、おそらく若者たちは反発をして聞く耳を持たないと思うけど、自分たちとそれほど年齢差も無い小栗旬のような若者が発することばというのは、比較的すんなりと受け入れてくれるものだ。

 昔でいえば、吉田拓郎の歌に共感する若者がたくさん居たように、次の世代では、尾崎豊の歌に共感する若者がたくさん居たように、若者たちは、常に親とか先生とか、そういう一段上から見下ろすオトナのことばではなく、自分たちの目線でモノを言う身近なことばを受け入れて成長して来た・・・

 小栗旬のように、自分の意見をキチンと持っている若者は好感が持てる。
 これまでもけっこう好きな役者だったけれど、これからはもっと好きになりそうだ (o^∇^o)ノ

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コメント

私の敬愛する乙武さんの言葉には「個性」という素晴らしい見解の「違い」がよく登場します。

白い杖をつく人が駅の雑踏の改札で行き場を見失っていたら・・・

アナタはどうしますか??

その状況の対処の仕方は様々で・・
まさしく、それも「個性」です。

もっと、辛辣にいえば。
その状況が眼に入らず、気付かない人もいます。

まず、その状況に頻繁に出会うことのある自分に、私は感謝しています。
その お陰さま で、私の個性はかなりなみはずれた^^;ものに、なっています。


たぶん。人それぞれの 視界のフィルターの粒子の数に左右される事 なんだと感じています。

目の粗いフィルターを通して見えるものは限られた範囲の動きしか目に止まらないと思うからです。

細かい粒子のフィルターの目はけっして、特別なものではなく、日々の中で育まれていく成長する「個性」の一つだと感じています。


ちなみに 私は・・・
 迷う彼を改札の方向に身体を向かせ
 背中を軽く押す 事にしています。

状況に応じ、変わる事は多々ありますが、
判断は 彼(彼女)の個性の邪魔にならないようにしています。

投稿: ○♪ | 2008年2月29日 (金) 17:50

 ○♪さん、どうもです (^^)/

 「個性」って、口でいうほど簡単じゃないよね (^.^; ポリポリ
 単純に、人と違う事をする事が個性ではないもの・・・ (^^;
 別に、他の人と一緒じゃイケナイとか言うつもりはないけれど、自分のポリシーとか考えとかをキチンと持っているなら、周りと一緒でもそれはそれで良いんじゃないのかな (^^)v

投稿: 夢見るピーターパン | 2008年2月29日 (金) 19:24

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