会津帰省記 08GW編 その2
連休二日目となる5月4日の日記です (^^ゞ
翌朝は、8時に目覚め、少しお酒の残っている私とY氏は、しばしPC談義に花が咲く・・・
Y氏のPCを拝借して、ネットを巡回してみたりして (^.^; ポリポリ
ただ、他人のPCだと、文字の入力の勝手が違って使いにくい・・・ (^^;
日本語入力システムはIMEだし、ひらがな入力で辞書も顔文字とか出て来ないし(苦笑)
ローマ字入力に切り換えるのは簡単な事だけれど、辞書だけは如何ともし難い・・・ (__;)
そんなこんなで、ザッと巡回して、朝ご飯をご馳走になって、さらにPC談義に・・・ (^^;
手元のPCからメモリを全て外してメインのPCに増設していたY氏の予備のPCは、メモリが全く無い (^^; 状態で、起動できないと言っていたので、私が持って行ったジャンク品のメモリを取り付け、めでたく起動してくれました (^^)v
私でも人の役にたつことはある (^_^)V。
一宿一飯の恩は、これで返せたかな(笑い)
その後、お昼過ぎにY氏が家族サービスと言って、奥さんを温泉に連れて行きたいと言いだし、私の村で営業している「昭和温泉」に連れて行ってくれと・・・ (^^;
昔、私が子供の頃、隣の金山町で石炭が取れていたので、ウチの村でも出るかもしれないと言ってボーリングをしたところ、石炭ではなくお湯が出たといういわく付きの温泉です(笑い)
お湯が出た当初は、トタン板で回りを囲っただけで、湯船はドラム缶 (^^; 一つだけという粗末な施設で、入りたい人は勝手に入れたんですが、そのうち利用者が増えるといろいろと不都合な事も出て来たので、村の方で簡単な建物を作り、湯船も男女別々にして体裁が整えられたのが35年くらい前の事です。
その頃になると、周囲には何も無い殺風景なところだったのですが、やがてバスの停留所もできて、利用者はさらに増えていきました。
そんなこんなで、何回か建物や施設を建て替えて、今の名前になったのはいつ頃の事だったろう (?。?)
村を離れて久しいのではっきりした事は覚えていないけれど、少なくても平成になった頃には「しらかば荘」という名前はあったように記憶しています (^^ゞ
ずっと無料で入れた温泉だったのですが、「しらかば荘」という名前が付いた頃から有料となり、村外の人の現在の入浴料は500円です。
もちろん、その間も増改築が繰り返され、今では温泉施設というよりも、冠婚葬祭まで行える「複合施設」という趣が強いのかも・・・
お湯は、かなり熱めですが、私にはとても快適な温度です (^^)v
なお、記事中の写真はパンフレットからの転載です (^.^; ポリポリ
下の写真は、会津若松から私の村に向かう途中のスナップです。
会津若松から私の村へと続く国道です。この辺は若松と私の村の間にある、会津美里町の景色です。こんな感じで、次第に山の中へと分け入っていきます (^.^; ポリポリ
村境の峠の様子です。ここは「博士峠」といって、この付近で一番高い「博士山」の中腹を超えるための道路です。道路自体は昔からあったのですが、長い間車が通るには向かない林道でしかありませんでした。しかし、私の村から会津若松に出るにはここを通るのが一番近くて便利なので、村からの大きな働きかけがあったのだと思います。いつの間にかこれだけの道路に整備され、林道も国道に昇格しました (o^∇^o)ノ
ここを通らないと、村から会津若松に出るのに距離も時間も倍以上かかりますからね (^^;
しかし、高地を通っている道路なだけに、まだ道路脇には雪が残っています。もちろん、冬期間は積雪のために半年近く閉鎖されてしまいますが・・・ (^^;
これは、峠付近で見かけた山桜です。会津の平野部はともかく、私の村あたりですと例年GWくらいまでは桜は当たり前に見かけるのですが、今年はすでに時期を終わったようで、ほとんど見かける事はありませんでした。
地元の人達だと思うのですが、山菜を採りに来ていた人達です。けっこうあちこちに山菜目当ての車が何台も停まっていました。
この後、地元の特産品である「からむし織り」の工芸博物館に立ち寄り、上記の温泉に入ってくつろいだ後、Y氏ご夫妻と別れて実家に戻りました (^^)v
なかなか充実した中身の濃い一日でしたよ(笑い)
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