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2008年6月15日 (日)

かあさんの下駄

 一昨日、「大阪で生まれた男」 という記事を書きましたが、ネッ友さんから頂いたコメントの中に「チューリップのアップリケ」という岡林信康の作品のタイトルを目にしました。

 この「チューリップのアップリケ」という作品は、貧しさに負けて家を出て行った母を偲ぶ、父子家庭の幼い女の子の事を歌ったもので、チューリップのアップリケの付いたスカートが欲しいから持って帰ってきて・・・という内容なのだが、お父ちゃんも時々買ってくれるけど、私はやっぱりお母ちゃんに買ってもらったスカートが欲しいと心の中で叫んでいる内容を、実に切なく歌っていた・・・ (__;)

 この作品の歌詞はこちら、岡林信康本人の歌っているYouTubeの映像はこちらでご覧になれます (^^)v

 

 私が子どもの頃は、母子家庭や父子家庭でなくても、皆同じように貧しい生活を送っていました・・・
 もちろん、私の家も似たような状況で、本当にお金には苦労していた両親を見て育ったものです・・・ (^^;

 でも、私なんかは長男で最初の子どもでしたから、けっこう甘やかされて育った方なので、オモチャなんかもそこそこ買ってもらった方だと思います。
 その分、妹なんかは何も買ってもらった事など無いんじゃないのかな (^^;
 いつも家の手伝いや年の離れた弟の子守などをさせられていたので、今でも妹と顔を合わせると「お兄ちゃんは可愛がってもらってよかったね。私ナンか・・・」ナンて皮肉をよく言われます(苦笑)

 

20080615011_2  そんな、日本中が貧しかった時代の母子家庭の一シーンを歌った、中村ブン「かあさんの下駄」・・・
 今日はそんな作品をご紹介してみようかなと・・・ (^.^; ポリポリ

 この作品の歌詞は以下の通りです・・・

 

   かあさんの下駄   詩・曲 中村ブン

 

 世界中で一番きらいなものは かあさんの怒った顔
 世界中で一番うれしいのは かあさんの笑った顔
 世界中で一番つらいのは かあさんの泣いた顔

 隣のおばさんと出かける時も 父兄会で学校へ行く時も
 かあさんはいつもすりへった男ものの下駄をはいて行った
 「これしかないんだから仕方ない」って
 大きな声で笑ってたけど
 ぼくにはどうしてもかあさんのように
 笑うことができなかった

 新聞紙に包んだ新しい下駄を 両手にかかえて息をきらして
 「ただいま」ってえばって戸を開けたら かあさんは今日も内職してた
 「かあさんこれ・・・」って包みを渡したら
 「何だい」って少し頭をかしげた
 「いいから早く開けてみてよ ぼくのプレゼントだよ」

 包みを開けるとかあさんは こわい顔してぼくに言った
 「お前これどうしたの この下駄どこからもって来たの
 いくら貧乏してても人様の物に
 手をかけるような子に育てたおぼえはないよ
 情けない・・・」って ふるえながら 下駄とぼくをにらんでた

 「違うよかあさんぼく買ったんだよ」
 「嘘をつきなさい お前に どうしてそんなお金があるの
 小遣いだってあげたことないのに」
 「弁当代ってもらう中から毎日五円づつためてたんだよ
 タコ糸に通してずっと前から ためてたんだよ」

 「赤い鼻緒の下駄を買いたくて かあさんをびっくりさせたくて
 内緒にしていただけなんだ 悪いことなんかぼくしてないよ」
 下駄を包んだ新聞紙の上に 大きなしずくがボトボト落ちた
 「悪かったね」って言って子供のぼくに 何度も何度も頭を下げた
 「すまなかったね」って も一度言ってあとは言葉にならなかった

 ぼくが初めて 生まれて初めてかあさんの涙を見たのは
 それは小学六年生の冬

 これが歌詞の全てですが、中村ブンが歌っている YouTube の映像はこちらでご覧になれます・・・

 

 私が子どもの頃・・・といっても、40年くらい前の事 (^^; ですが、当時はキチンキチンとお小遣いを貰っている子どもは少なかったと思います。
 たいていは、何か欲しいものがある時に親に言って、その都度いくらかのお金を貰うのが一般的だったと思います。
 もちろん、私もそんな一人だったのですが、いつ頃だったでしょうか、小学校の高学年になった頃、私は母に言って毎週金曜日に300円ずつお小遣いを貰う事を決めました (^.^; ポリポリ
 なぜ小遣いを貰う日が金曜日だったのか、なぜ金額が300円だったのかは失念しましたが、かなり長い間、そんな事を続けていました。

 この当時、ファンタとかコカコーラとかのビンが1本30円、ラーメンが1杯90円だったと記憶しています。
 ただ、ラーメンは友達とつるんで、おばちゃんに「半分」と言って45円で食べていた事を思い出します (^◇^) 。。。ケラケラ
 麺だけ半分ずつで、スープは普通に丼にいっぱい入れてありました。具もそこそこ入っていたと思います。なにぶん、小学生の子どものやる事ですから、おばちゃんも大目にみて大サービスしてくれていたのだと思いますが・・・ (^^;

 時には、前借りとか言って、金曜日になる前にいくらか貰った事もありましたし、そのお金を毎週少しずつ貯めて、通信販売でオモチャとか趣味の切手とかを買った事もありました (^.^; ポリポリ
 でも、中学生になった頃のある日、母と交渉して300円から500円に値上げしてもらった事もよく覚えています (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 いずれにしても、この頃の子どもたちは、お小遣いには苦労していましたよねぇ (^^;
 母の日とか、確かにありましたけど、何かを買ってプレゼントするなんてまず無かった頃でした。
 で、そんな子どもたちのプレゼントの定番は、「お手伝い券」でしょうか (^◇^) ヒャッヒャッヒャ・・・
 「お使い券」とか「肩たたき券」とかを何枚かホチキスで止めて渡して、その券を渡されたら書かれている事をするというものです (^^;
 そんなモノが無くても、家の手伝いをするのは当然の事なんですが、当時はけっこうポピュラーなものでしたよ (^.^; ポリポリ

 

 この歌のように、お小遣いを貯めて、親に何かをプレゼントするなんて事はほとんどありませんでした。
 もっとも、私らのような田舎の子ども達だからそうだったのかもしれません。
 都会の子ども達は、周囲にいろんなお店もたくさんあったでしょうから、けっこう買い物をしていたのかもしれませんが・・・(苦笑)

 だから、このお母さんも、普段そんな事をされた事が無いだけに、息子が手渡した真新しい下駄を見て、どこからか盗んできたのだろうと思ってしまったのでしょうね。しかも、包装紙ではなくて、新聞紙に包んであったというわけですからなおさらかな (^^;
 でも、この頃のお店は、けっこう新聞紙に商品を包んで手渡してくれたものです。店員の内職の一つに、新聞紙での袋作りがあったくらいですから (^_^ゞポリポリ

 

 ところで、今日は「父の日」という事になってはいますが、「母の日」にはカーネーションの寄せ植えのバスケットを毎年送っている私も、今年の「父の日」は省略してしまいました (^.^; ポリポリ
 例年だと、ミニ盆栽と焼酎の4合ビンのセットを送っていたのですが(苦笑)
 代わりに、昨日の朝、自宅に電話をかけて父に謝っておきました (^^;
 その電話の最中に、あの地震が起きたのですが、奇しくも実家の無事確認をその電話で行なう事ができました (^^)v
 通話の中でも、特に地震とかの事は言っていませんでしたので、もしかしたらほとんど揺れなかったのかもしれません。私の住んでいる成田ではゆ~っくりとした横揺れがしばらく続いていました。
 実家のある南会津のあの一帯は、相当強固な地層の上に乗っかっているらしくて、私が子どもの頃にも地震とかはあまり記憶にありません。
 昭和39年に起きた、あの「新潟地震」の時にも、ほとんど被害らしいモノは無かったというか、揺れたような記憶もない (^^;
 私は小学校に入学する前年の事ですし、場所からいってもそれほど離れていないので、揺れていたら幼心にも記憶に残っていると思うんですがねぇ・・・ (^^;
 へんぴな所ですが、そういう意味では安心して住める場所なのかもしれません (^^)v

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コメント

子供の頃は、週末にお小遣いを少しもらって、駄菓子屋を2軒、3軒、友達とはしごするのが楽しかったナー
夢さんも週末に、駄菓子屋なんかに通っていたんですね。
それで金曜日にお小遣いだったのでは?

投稿: すが太郎 | 2008年6月15日 (日) 17:28

 すがさん、どうもです (^_^)/

 なるほど、そう言われれば、子どもの頃にお小遣いを使うのは週末が一番多かったかもしれません (^^ゞ
 鋭いですね~(苦笑)

 私は、子どもの頃から計画性のない子どもでしたから、そう言われれば、週末のために金曜日にお小遣いをもらっていたのかもしれません(笑い)

投稿: 夢見るピーターパン | 2008年6月15日 (日) 22:15

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