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2008年11月30日 (日)

トンカツ

20081130001  今朝、ラジオを聞いていたらおもしろい話題で盛り上がっていました。

 自分なりに決めているルールをリスナーが披露するというもので、うどんの食べ方、カレーの盛り方、いろいろとおもしろい人が居るなぁと思って聞いていたんですが、その中にトンカツの食べ方というのがあって、意外だったというか、笑えたというか・・・ (^^;

 

 トンカツって、一枚のカツを揚げたあと、適当に包丁を入れていくつかに切って盛られると思うのですが、その人は、まず左端のカツに箸を持っていき、次に食べるのは右端のカツだそうです (^^;
 で、左と右と交互に端の方から食べていくというもので、彼女にこの話をしたら、そこまで厳密にというのではありませんが、やはり両端のカツから食べるという事で・・・ (^.^; ポリポリ

 

 で、私はどうかなと思って思い出してみたら・・・ (^^ゞ

 ソースというか、私の場合はしょう油をかけて食べる事も多いんですが、たっぷりかかっている真ん中のカツから食べる事がほとんどだという事に気付きました。で、内側から順に食べていき、端のカツを食べるのは最後ですねぇ(笑い)

 

 まぁ、こんな事気にして食べた事はないのですが、人それぞれ、こだわりはあるんだなぁと・・・ (^.^; ポリポリ

 皆さんは、どうですか ( ^-^)/ ♪

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2008年11月29日 (土)

紅葉狩り

 もう、冬も目の前なので時期はずれの話題になってしまいますが、皆さんはこの秋に「紅葉狩り」にお出かけになりましたか?

 栃木県の日光方面は、紅葉の名所として名高く、いろは坂に続く日光宇都宮道路の清滝IC付近は、休日ともなれば紅葉狩りのマイカーが延々とつながって大渋滞を起こします。

 

20081126001  私も、78年の10月に会社の同僚と二人で日光に紅葉狩りに行った事があります。もう、30年前の事になりますから、私が20才、同僚が19才の時のものです (^.^; ポリポリ
 この時には、お天気に恵まれず、ずっと雨模様だったのを思い出します (^^ゞ
 写真は、日光湯元温泉の温泉寺の前で撮った一枚で、観光客の誰かにお願いしてシャッターを切って頂いたものです。

 

 まぁ、それはともかく、紅葉見物をする事をどうして「紅葉狩り」なんていうんでしょうかね・・・

 「狩り」といえば、すぐに思い浮かべるのは「狩猟」です。猪とか熊などの鳥獣を銃などの武器を使って仕留める事ですが、他にもイチゴ狩りだったり、ミカン狩りだったり、あるいはキノコ狩りだったりと、果物や山菜を採る事にも「狩り」ということばが使われます。

 目的はなんであれ、何かを捕まえたり採取したりするのが「狩り」だと思うんですが、紅葉狩りは別に紅葉した「枝」とか「葉」を採取しに行っているわけではないと思います(笑い)
 強いていえば、写真などに撮って紅葉の様子を持ち帰る事はよくある事なので、それを指して「狩り」と呼べない事もないんですが、やはり少々無理があるかなと・・・

 

 でも、「紅葉狩り」ということばは一般的に使われていて、もちろんマスコミなどでも普通に用いていまして、ニュースなどでもよく聞かれます。

 繰り返しになりますが、どうして紅葉見物をする事が「狩り」になるんでしょう・・・ (?。?)

 国語辞典をひもとくと、「狩り」ということばには、「訪ね、探す事」という意味もあるので、これが「紅葉狩り」のことばの語源になったのかな (^^;

 辞書には載っていませんが、きっと何かを「愛でる」事も「狩り」ということばの意味の中にあるんじゃないかしら。でないと、「紅葉狩り」ということばは納得できませんもの・・・ (^◇^) 。。。ケラケラ

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2008年11月28日 (金)

馬鹿者

20081128001

 失言癖は、昔からだと聞いていますが・・・

 それにしても・・・
 普通は責任ある立場に就いたなら、少しは慎重にモノを言うものじゃないかな。

 繰り返し、繰り返し・・・
 ほんとうに懲りない人だ (^^;

 マジで、オツムが足りないんじゃないのかな・・・ (ノ_-;)ハア…

 はっきり言って、バカなんじゃないの!

 

 

 ・・・あ、そうそう

 これ、私のチョッとした知り合いの事です (^◇^) 。。。ケラケラ

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2008年11月27日 (木)

日馬富士

 昨日、関脇の安馬が大関に昇進したのをきっかけに、四股名を「安馬」から「日馬富士」にあらためたと報じられた。

 大関になった事だし、いつまでも「安い馬」というわけにもいかないだろうと師匠の伊勢ヶ浜親方は語り、「日馬富士」という新しい四股名を考えたという事で・・・

 

 この四股名ですが、日馬富士の「日」は日輪を意味し、大輪の花を咲かせることを願うもの。「馬」は旧名の安馬を生かし、「富士」は師匠の現役時代の四股名の旭富士にちなんだという。

 言いたい事はわからないでもないが、この四股名、もっとなんとかならなかったのかねぇ (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 だいたい、なんで四文字なんだ(爆笑)
 四股名のバランスから言ったら、二文字か三文字の四股名が私はいいと思う。四文字だと番付表に相撲文字で書かれた場合、どうしてもスペース的な都合で四股名を小さく書かざるをえないから、他と比較して貧弱に見えちゃうんですよね (^^;

20081127002  これは、秋場所の星取り表の一部ですが、この中で四文字の四股名は「千代大海」ですが、上下に書かれている琴欧州豊丿島の堂々とした感じから比べれば貧弱に見えませんか(苦笑)

 そういえば、昔、千代の富士という極めて珍しい五文字の四股名の横綱が居ました(笑い)
 この例外的な五文字の四股名を書く呼び出しさんも、そうとう苦労したんじゃないかな (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 また、「富士」という部分ですが、旭富士の四股名から取ったというのは理解できなくもないけど、安馬に富士なんて大きな四股名は似合わないんじゃないかな(笑い)
 富士は日本一の山・・・という歌にもあるように、富士は大きくてどっしりとした力士に付けてこそ相応しいと私は思いますよ。単に、「日馬山」ではダメだったんだろうか (?。?)
 これも、千代の富士という比較的小柄な力士が居ましたが、彼は結果的に大横綱となりましたから富士という四股名が相応しかったと今は思えるんですが、安馬はどうですかね・・・
 はたして、そこまでの力士になれますかね (?。?)
 もっとも、伊勢ヶ浜親方はそれを見込んで付けたのでしょうが、今場所の白鳳との本割りや千秋楽の決定戦を見ていると、白鳳に対して互角に取っていますから、案外と綱も遠くないのかもしれませんね (o^∇^o)ノ

 

 さらに、「日」という文字を「はる」と読ませるというのも強引というか・・・ (^^;
 もちろん、そんな読みは無いわけですが、戸籍法によると名前として使える文字には制限がありますが、認められた文字ならどのように読もうと自由という事に則って「はる」と読ませたのかな (^^;

 

 いずれにしても、私にはそれほど良い四股名には思えないんですがねぇ・・・ (__;)

 「馬」という文字に対して本人がどれほどの思いを抱いているのかわかりませんが、いっその事ヘンな小細工はやめにして「旭富士」を継がせるという選択肢もあったのではないか、私はそんなふうにも思っています。

 しかし、稽古嫌いの旭富士の四股名を継がせたら、稽古好きの安馬が稽古嫌いになってしまうという危険性もありますが(爆笑)

 猛虎ならぬ、蒙虎なんてだめっすかね(笑い)
 どうしても馬にこだわるのであれば、大蒙馬とか・・・ (^.^; ポリポリ

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2008年11月26日 (水)

高下在心

 昨日、中日の中村紀洋が、FA宣言して楽天と移籍交渉を行なったと報じられた。

 

 その際に、米田球団代表から手渡されたのが、野村監督も好きなことばだという「高下在心」と書かれた一枚の色紙・・・
 中国の古典「春秋左氏伝」にある格言で、「こうげざいしん」と読み、「すべての物事が成るか否かは心掛け次第で決まる」という意味だそうです。

 さすがに私の崇拝するノムさんですなぁ(笑い)
 実に含蓄のあることばです (^^)v

 先日放送された「行列のできる法律相談所」の企画、 『100枚の絵でつなぐ!カンボジア学校設立 プロジェクト』 にも、実に味のある書を出品しているのを見ましたが、この人は野球人としてだけではなく、書家としての才能もあるんじゃないかと思えます。
 天は二物を与えずとはよく言われることばですが、一芸に秀でた人というのは何をやらせてもそれなりにこなせるというか、二物も三物も与えられているんじゃないかと思えてなりません(笑い)

 

 しかし、このニュースはいかがなものか・・・ (ノ_-;)ハア…

 楽天が大砲を欲しいという台所事情はわかるし、楽天は消滅した近鉄の後継のチームであるから、もともと近鉄の選手だったノリが古巣に戻りたいと思ってもなんの不思議もない・・・

 だが、一昨年のあのゴタゴタを経て、中日というチームに育成選手として拾われた経緯を忘れてはならないのではないか・・・
 あの時、ノリは、「契約してくれるだけでもありがたい」「初心に帰って野球がやれます。ユニホームを着たからには恩返しをしたい」と語ったはずだ。

 確かに、この二年間のノリの活躍は目覚ましかったし、中日という球団への貢献度はかなりのものがあった。

 今回FA宣言して他球団との交渉に臨むというのは、中日への恩返しは自分なりに済んだという意思表示なのだろうか・・・ (?。?)

 ふざけるんじゃないよ!

 もともとノリという選手の事はあまり好きではなかったんですが、件の経緯もあったし、その後のノリを見ていると、人が変わったように中日で頑張っていたので応援もしていたんですが、やはりというか、この人間は信用できんなぁと・・・ (^^;

 

 人間、「恩」を忘れたらお終いなんじゃないのか!
 「義理と人情」・・・ 私の大好きなことばであり、それを座右の銘としてこれまで生きてきましたが、新庄といい、中村といい、日本球界には手前勝手な「人でなし」が多すぎるんじゃないのか・・・ q(`o')ブー!!

 もう、現役生活も先が見えているわけですし、変なイロケを出すことなく、出身地の大阪に近い中日でユニフォームを脱ぐという選択肢だってあっていいと思うがなぁ・・・ (__;)
 積極的に自分を売り込むという事ももちろん大事な事だとは思いますが、ここはジッと動かない事の方が将来的には得だと私なんかは思うんですがねぇ・・・

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2008年11月25日 (火)

緬羊会館

 先週、たまたま見ていた「ぶらり途中下車の旅」で、旅人の石丸謙二郎氏が立ち寄った「緬羊会館」・・・

 番組の中で、ジンギスカン料理はここ三里塚が発祥の地であり、「元祖」ジンギスカンという事で紹介していた。

 私が成田に住むようになって6年以上になりますが、そんなハナシは全く聞いた事がなかったのに、戦前戦後を知る成田の住民なら、誰でも知っているという事で、同じ三里塚に住んでいる住人の一人として知らないでいるというのも癪であり、それでは行って食べてこようという事になり、日曜日に彼女と二人で出かけてきました (^^)v

 

 この「緬羊会館」という建物ですが、仕事がらお店の前の通称「三里塚街道」と呼ばれるバス通りは年中走っていますから、建物の存在自体は以前から知ってはいましたが、林の中にポツンと一軒だけ建っており、建物もなんとなく古ぼけた感じで、しかも人気を感じた事もなかったので、私は空き家だとばかり思っていました (^_^ゞポリポリ
 まさか、あそこが現在でも営業している飲食店であり、しかも歴史のあるジンギスカン料理を出す店だったとは・・・ (^^;
 あの番組を見なかったら、おそらくこれからも知らないままだったんじゃないかと思えてなりません(笑い)

 

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 これが建物の外観です。とても飲食店には見えません (^◇^) 。。。ケラケラ
 道路に面して、「元祖ジンギスカン 緬羊会館」という看板が見えます。

 

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 建物の中の様子です (^^;
 ご覧のように、なんというか・・・ ワイルドそのものであり、野外で行なう焼き肉を、屋内でそのまま再現しているといえばいいのでしょうか・・・ (笑い)
 内装も床も天井もな~んにもなくて、屋根裏が丸見えで、足下は砂場という、いわゆる倉庫というか、納屋というか・・・
 はっきりいって飲食店というよりは、土間作りの作業場です (^_^ゞポリポリ

 床が張ってなくて砂のままなのは、扱う料理が焼き肉という事で、飛び散った油などで滑る事のないようにというお店側の配慮であり、数年に一度新しい砂を入れて平らに均すそうです。決して床を張るお金がないからではありません (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 この建物は、もともと羊毛の刈り取りのために飼育された羊が、年老いてハムやソーセージを作るために処分される時の肉処理加工場として、昭和29年頃に作られたという事で、その時に明治35年に建てられた近くの尋常高等小学校の廃材を使って建てられたといいますから、三里塚の地で百年以上もの歴史を刻んでいる建物という事になります。
 番組では、昭和27年からの営業と言っていましたが、昭和27年9月に発足したのは「千葉県緬羊協会遠山支部」の事で、このお店の事ではありません。
 そして、この協会が母体となってこの肉処理加工場が作られ、ジンギスカン料理を三里塚名物として紹介する事によって、ここから全国に広まっていきました・・・

 

 明治政府が、軍や国鉄の拡充政策を取り、その制服の防寒具用にと羊毛の需要が高まると、羊毛の自給自足と羊肉の生産を目的として、明治8年に日本で初めて牧羊場が三里塚に作られました。そして、昭和の初期の頃にはすでにジンギスカン料理をしたと伝えられる鉄板が「三里塚御料牧場記念館」内に展示されているといいます。

 

 現在では、ジンギスカン料理といえば北海道という事になっていますが、これは北海道は寒冷地であったために羊毛の需要が高く、各地で盛んに羊が飼育されたことによります。
 飼育される羊が多ければ、当然食用とされる羊肉も多く生産され、生産地と消費地が近いという事から輸送時間も短く、それによって新鮮な羊肉を安価で入手できた事がジンギスカン料理を一般的なものにしたものと思われます。

 

 そういえば、二十世紀梨も一般的には鳥取県産が有名ですが、発祥の地は千葉県の松戸市です。

 どうも、千葉県は商売が下手と見えて、せっかく開発したオリジナル商品をよその自治体に取られてしまう事が少なくないようです (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 折しも、やはり件のテレビ番組を見て来たという先客が一組居らっしゃいました。
 他にも、電話での予約が入っているという二名分のテーブルが一つ用意されていました。
 私らは、営業しているかどうかも怪しかったので、予約はせずに、昼過ぎに飛び込みで入りましたが、店主の木村さんは快くテーブルを用意してくれました (^^)v

 

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 メニューは、「ラム」一種類だけ。
 一人前が¥1,100で、私らは最初三人前を注文しました。
 他に、彼女はビール(大瓶)を、私は運転もあるのでウーロン茶 (^^; を・・・
 ご飯もありますが、私らはひたすら肉だけを食べました(笑い)

 

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 注文した三人前はアッという間に無くなってしまったので、追加で二人前を注文しました (^^ゞ
 それが2枚目の写真です。

 テーブルの中央に大きな穴が空いており、そこに炭を熾した七輪をセットし、さらに穴の空いた独特のジンギスカン鍋を乗せて調理します。
 肉は、一度冷凍したものを解凍して焼き、タレに漬けて食べる「生ジンギスカン」です。
 出されたタレは、ご主人の木村さんがリンゴや柚子、蜜柑などなどの果物エキスにこだわって作ったという、自慢のタレで、ちょっぴりニンニクの味がする程度の、甘めのさっぱりとしたタレで、とても美味しかったです o(*^▽^*)o~♪

 

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 上の写真にも写っていますが、出されたジョッキやグラスは、お店の雰囲気とは似つかわしくないほどピカピカに磨かれていて、木村さんの職人としての心意気に感動しました。私は、こういうところについ目がいっちゃうんですよね (^_^ゞポリポリ
 帰り際にも、それぞれのお客さんをお店の外まで出て、丁寧にお見送りしてくれる念の入れよう・・・ 本当に頭が下がります。

 お店の裏手は、成田空港も近いので、時々お店の窓からも離発着をする飛行機が見えたりします(苦笑)

 

 なかなか、いい感じのお店・・・ というか、はっきりいってご主人の木村さんが気に入ったので、これからも機会があればこのお店を利用させて頂こうと思っています (^_^)V。

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2008年11月24日 (月)

貧乏神神社

 先日、千代田区内での仕事が午前中で終わったので、帰り道、前から一度行ってみたかった「貧乏神神社」に足を運んでみました(苦笑)

 「貧乏神神社 亀戸分社」と呼ばれるこの神社は、もともと長野県飯田市に本社が在ります。脱サラして事業に失敗し、貧乏神に取り付かれてしまったというこの神社の祭主さんが、本家である飯田市の「貧乏神神社」の存在を知り、「貧乏はお金ではない、心の問題である」と悟ったことから、この神社が生まれたといいます。
 もともとは、このショッピングモール「サンストリート」の2階に在ったようですが、今は1階に移設されています。

 

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 これが、ショッピングモールの広場にある「貧乏神神社」です。
 小さな祠と、その周囲に設けられている様々な付随施設が見て取れます。
 「退散箱」と書いてあるお賽銭箱には、決して五円玉を入れてはいけないのだそうです。言わずもがなで、貧乏神と「ご縁」が通じてしまうという事で・・・ (^^;

 

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 この神社が在る広場です。こんな感じの広場の片隅に、ワリとひっそりとした感じで設けられています。

 「はずれ・供養」と書いてある、宝くじや馬券などのハズレ券を供養してもらえる箱です。「今まで夢を見せてくれてありがとう」という意味で箱の中に投じることによって供養して頂けるということで。

 そばに立ててあった説明には『ここへ参詣して「良い事ある、ある、ある」と念じて下さい。強く念ずれば、必ず良い事に恵まれます。』と書かれてありました。

 

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 そして、これが「貧乏神神社」を世に知らしめている独特でユニークな参拝方法です。

 「貧乏神出ていけ! 出ていけ! 出ていけ!」と木柱の上部を棒で思いっきり3回叩くというもので、この日も木柱を叩いていた少年をたまたま見かけたので写真に納めてみました。
 しかし、私自身は人目もあって恥ずかしかったので、叩く事はせずに、写真を撮るだけで帰って来ましたよ (^◇^) 。。。ケラケラ

 どうですか、あなたなら人目もはばからず、この木柱を思いっきり叩けますか(笑い)

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2008年11月23日 (日)

20081121001

 スターリンというのは、旧ソビエト連邦時代の政治家であり、第二次世界大戦の時には祖国の英雄と呼ばれたこともあったものの、後に多くの国民を虐殺するなどの独裁政治を行なうに至り、その死後は国中から非難され、否定された・・・

 交通事故なんかでも、1件1件の犠牲者は痛ましいものですが、「昨日の交通事故による死亡者は○人です」とか、「昨年度の交通事故による犠牲者は××人です」なんて報道を見聞きしても、慣れてしまっているのか、それほど心を痛めるようなことはないと思います (^^;
 これは、統計上の数字として、「死」とは無関係に報道されてしまうからだと思います。

 

 また、これとは別に、チャップリンは「一人の殺人は悪漢を、百万の殺人は英雄を生む。数量が事を神聖化するのである」ということばを残しています。

 

 人が人の命を奪う行為は、どんな宗教においても罪とされ、悪いことだということは子どもでも知っていますが、そういう非道な事が「正義」として認められるのが戦争というものの恐ろしいところです。

 そこでは、そういう常識が通用しないばかりか、逆にたくさんの命を奪った者が英雄として讃えられるのです (^^;

 

 そういう、恐ろしい戦争は、誰がどんな理由を付けたとしても、絶対に行なってはならないのですが、今現在でも、世界中で多くの内戦や紛争などを含む「戦争」が行なわれているのが現実です。
 なぜ戦争が無くならないのかといえば、戦争をすれば莫大なカネが儲かるからで、例えばジェット戦闘機1機は100億円前後で売買されます。最新型のステルス戦闘機だと2~300億円もするわけですから、戦争が無くなればそういう兵器産業に関わる人達は大きな市場を失う事になります (^^;

 そういう「死の商人」と呼ばれる一部の人達が、政治などの世界に大きな影響力を及ぼして、戦争を無くさないようにと画策しているからです (^^;
 先日のイラク戦争だって、世界の反対を押し切って、アメリカが一方的に戦争を仕掛けたもので、5年以上経った今でも終息の気配はない・・・

 そして、いつの時代も、苦しい思いや悲しい思いをするのは、庶民と呼ばれる一般の人々です・・・ (__;)

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2008年11月22日 (土)

ガソリン価格 2

20081121011  先日、給油した際のガソリン価格です。リッター115円という価格になっていました (^^)v

 場所は、私がいつも利用している、東関道の四街道IC近くにあるセルフスタンドです。

 今月の初めにもガソリン価格を記事にしましたが、その時にはリッター123円でした。
 高騰を続けていたガソリン価格も、その後どんどん下がってきていて、リッター115円というのは、おおよそ3年前の時の価格です (^^)v

 おそらく、この先もじりじりと下がり続けるんじゃないかと思っています。
 個人的には、リッター100円程度くらいにまで下がってくれれば仕事もずいぶん楽なんですがねぇ・・・ (^.^; ポリポリ

 いっその事、90円台にまで下がってくれれば言うことはありませんよ (^◇^) 。。。ケラケラ

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2008年11月21日 (金)

ラジオ・チャリティ・ミュージックソン

 今年も「ラジオ・チャリティ・ミュージックソン」の季節がやって来た・・・

 一日中ラジオを聞いていると、ニッポン放送では募金の呼びかけを耳にすることも少なくない。

 

 私も、かつて会津若松で仕事をしている時に、地元の放送局である「ラジオ福島」が参加していたので、何度か募金をしたことがあります。
 ペットボトルに買い物の時のお釣りである一円玉や五円玉を一年間貯め、それを市内に設けられていた支社の窓口に持っていったものだ。

 

20081120001

 写真は、その時に頂いたノベルティなのですが、その年によって品物はいろいろと変わり、この時には鉛筆を頂いたものの、使うこともなく手元に残っていたものです (^.^; ポリポリ
 確か、1本くらい削った記憶があるので、そうすると頂いた鉛筆は半ダースで、それが箱に入っていたんだと思います。

 

 この頃は、けっこうミーハー的に募金にも参加することが少なくなかったのですが、30代の頃から募金に対する考えが変わってきて、今では一切の募金はしないのが私の主義です。

 この辺の持論については、2年ほど前にも「募金運動」というタイトルの記事を書いたことがあります。
 簡単に言えば、国の福祉政策がダメだから国民が募金なんてしなくてはならないわけで、戦後とかの混乱した時代ならともかく、今の時代に「募金」なんてナンセンスであり、ふざけるなよと・・・
 関心がありましたら、そのヘンのことについて語った過去の記事もぜひご一読を願いしたいものです (^.^; ポリポリ

 

 それはともかく、75年に始まった「ラジオ・チャリティ・ミュージックソン」も、今年で34回目を数えるという・・・

 集まった寄付金は、音の出る信号機の設置や録音図書などの制作と購入など、目の不自由な人に対する理解の促進と思いやりの心の育成を図るという「明確」な目的があるから、この募金に対する私の心証はまだいい方なんだけど、でもこの番組、いったい、いつまで続けるつもりなんでしょうかね (^^;

 番組が続くということは、すなわち、国の福祉が目の不自由な人達に対して行き届いていないという事のなによりの証しであり、人々の理解も思いやりも、満足ではないという事になるのではないか・・・
 そんな事を考えている私が居ます (^.^; ポリポリ

 別に、この番組に対してどうこう言うつもりはないんだけど、こんなチャリティ番組をしなければ音の出る信号機や録音図書が増えず、社会の理解も得られないというのでは、世の中どっかおかしいんじゃないか、間違っているんじゃないかと思わずにはいられない・・・

 電車の「優先席」なんかと一緒で、こんな番組が無くても弱者に優しい社会でなければいけないんじゃないかな・・・

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2008年11月20日 (木)

社員旅行

 私は、サラリーマン時代、何度も転職を繰り返したので、その時々で様々な人達といろんな所に社員旅行をしてきた経緯があります・・・ (^.^; ポリポリ

 

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 これは、79年の秋に、会津の印刷会社で働いていた時に行った磐梯山の麓に在る押立温泉に行った時の写真です。
 この時には泊まりではなく、日帰りで温泉とお酒を楽しんでまいりました (^.^; ポリポリ

 

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 これは、83年の6月26日の日付が写っています。有線放送の会社に勤務していた折、青森転勤を言い渡され、東北方面の各営業所総出での社員旅行でした。
 私は青森の営業所からの参加になり、これは松島での写真です。

 

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 これは、翌年同じ会社での社員旅行です。私は会津の営業所に戻っており、この時には岩手県の猊鼻渓に行って船下りを楽しんできました。
 前年の時もそうですが、この時ほどの規模の人数で行った社員旅行は、後にも先にも私には経験はありません (^.^; ポリポリ

 

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 最初の写真は、85年の夏に行なった同じ会社での社員旅行ですが、この時には会津の営業所だけで行なったので、ずいぶん小規模になりました(苦笑)
 行った先は那須で、泊まりは川治温泉でした。

 次の写真は、同じ年の暮れに会津営業所と新潟方面の営業所との合同の社員旅行というか、はっきりいって忘年会です(笑い)
 場所は新潟県の月岡温泉にあるホテル泉慶 (^^)v
 うっすらと積もった雪がキレイだったことを覚えています。

 

 最近では、経費を極力押さえるためにも、社員旅行を取りやめる会社も少なくないと聞いています。
 それ以前に、会社の人達と一緒だと楽しめないからと、参加を渋ったり、断ったりする若い社員が増えているそうです。特に、女子社員からの評判はすこぶる悪く、お酌等のコンパニオンまがいのことを強要させられるからと、社員旅行などにはハナから関心のない方も居ます。

 会社とは、仕事をする場所であり、仕事以外のことで煩わしい思いはしたくないという愚かな考えの方も増えています。いわゆる自己中な輩です。そういう人達は、会社というところがどういうところであり、自分の役割はなんであるのか、根本的なことがわかっていないから平気でそういう事を口にすることができるのです。

 仕事というのは、目先の事だけをやっていればいいというものではありません。忘年会や社員旅行だって立派な仕事であり、ノルマのうちなんですよね(笑い)

 会社である以上、自分一人で仕事をしているわけでもないだろうし、多くの人達の協力があってこそ自分の仕事が成し遂げられるということを考えれば、勤務時間の間だけが仕事だと思っているのはあまりにも短絡的というか・・・ (^^;

 

 社員旅行なんかに参加すると、普段は顔を合わせたことのない違う部署の人とか、他の営業所や支店などからの参加者などと知り合いになるチャンスであり、人と人とのコミュニケーションの基本は相手を知る事だということを考えれば、せっかくの機会を自ら投げ出してしまっていることになるわけで、私に言わせれば実にもったいないというか、残念なことだと思わずにはいられません・・・

 社員旅行や忘年会、あるいは同僚同士などでの飲み会など、確かに仕事とは直接関係ないように見えますし、煩わしくもあり、それよりもプライベートの時間を大切にしたいと考えるのも無理のない事なのかも知れません。
しかし、それらは本当に無駄な事なのでしょうか?
 私はちっともそんなふうには考えていません。

 車のエンジンに入っているエンジンオイルは、それ自体は燃焼するわけでもありませんし、走りになんの役にも立っていないように見えますが、それが無いとエンジンはアッという間に焼きついてしまいエンジンその物が壊れてしまいます。社員旅行や忘年会、あるいは飲み会などもそれと同じで、会社という機構をスムースに動かすための潤滑剤だと考える事はできないものでしょうか?
 そうすれば無駄だなんて考え方をする人も少なくなるんじゃないのかしら・・・

 仕事だけをやっていればいいだなんて、そんな考え方の人達ばっかりの会社って、なんとなく無機質な感じがしませんか?
 いかにも「会社の歯車」ってイメージがしてくるんですけどね・・・ (^^;

 そういう潤いのない会社だと、社員の定着率も低そうだ・・・ (^^;

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2008年11月19日 (水)

ひとり飲み

 毎週楽しみにしているTBSラジオの「えびシャケ!」のコーナー・・・
 昨日のテーマは、「ひとりで飲み屋に、行ける? 行けない?」でした(笑い)

 このテーマについて語る前に、リスナーの投票結果はというと・・・

 行ける …57%
 行けない…43%

 ・・・ということで、番組的には、日本人のスタンダードは「行ける」に決定 ヽ(^o^)尸

 

20081119011  私はお酒が大好きで、ほとんど毎晩のように晩酌をしていますが、昔はともかく、最近の私は飲みに出かけるということはめったにありません (^.^; ポリポリ
 ただ、そんな私のポリシーは「お酒は手酌に限る」というものです。
 したがって、お店に飲みに行くなら一人で行った方が楽しめるし、基本ではないかなというのが私の持論で・・・ (^.^; ポリポリ

 ここで誤解して欲しくないのは、決して誰かと飲みに行くことが嫌いとかいうわけではありません。やっぱりお酒は大勢で飲んだ方が楽しいし、私もどうせ飲むなら楽しく飲みたいと思う一人ですから(笑い)

 言っていることが矛盾しているようですが、そうではありません。本当にお酒を楽しみたい時には私は一人で飲みます。
 その反対に、誰かと一緒に飲む時には、お酒を楽しんでいるわけではなくて、その人とのコミュニケーションとかその場のムードを楽しみたいと思っているわけで・・・ (^^)v

 わかりやすく言うと、友人達とか、彼女とか、そういう誰かと一緒にお酒を飲むというのは、カラオケを歌うとか、スポーツをするとか、そういう事と一緒なワケです。
 決してお酒を飲む事が目的ではなく、彼等と会話をしたり、ツマミを食べたり、そういう事がメインなわけです o(*^▽^*)o~♪
 その場合、お酒は単なる添え物であり、主役はあくまでも一緒に居る人達です ( ^-^)/ ♪

 「彼等と一緒だから」お酒も飲んでいて楽しい、そうでなければ彼等と一緒に飲む意味はないわけです。

 

 また、一人で飲みに行くといっても、そのお店は限定されます。村さ来つぼ八などに代表されるようなチェーン店や、広くて大きな居酒屋に一人で行くということは基本的に考えられません(笑い)
 そういうところは、大勢で行ってこそ意味があるわけで、そんなお店に一人で入っていく人が居るとしたなら、この人、大丈夫なのと心配してしまいます (^^;
 よけいなお世話ですが、もしかしたら、友達が居ない孤独な人なのかなと・・・(爆笑)

 

 一人で行くのが楽しいお店・・・ それは、カウンターのあるこぢんまりしたお店で、テーブル席があるとしてもそれほど広くないお店です。
 カウンターの向こうにいるのは、女将でも大将でもママでもマスターでもいいですが、人生の裏も表も知り尽くしたような、そんな味のある風貌とか雰囲気とかをかもし出している人が一人だけ!(笑い)

 あとは、お店を手伝っているヘルプの店員が一人か二人、お酒や料理を持ってお客の間をそっと動き回る・・・

 お店のお客は常連さんが占めていて、一種独特のお店の雰囲気を作っている・・・

 そんなのが理想ですねぇ (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 よく、一人で飲みにいって、何をしたらいいんだろうなんてヤボな事を言う人が居ますが、そんな事を心配しなくても、黙ってお酒を飲んでいればいいんですよ、飲み屋なんだから (^◇^) ヒャッヒャッヒャ・・・
 あとは、食べたいものとか、お店のお勧めとかのツマミを時々注文して食べていれば、1時間とか2時間とかくらいはアッという間に過ぎてしまうものです (^_^)V。
 もし、退屈だとか、居心地の悪さを感じるとしたなら、そのお店は自分には合っていないお店ということになります。

 何回か通ううちに、自分も常連客の仲間入りをしたら、そこはもうかけがえのない隠れ処になるでしょうね ヽ(^o^)尸

 そういうお店で知り合った常連客というのは年齢や職業なども様々であり、普段付き合っている人達と違ってなんのしがらみも無いわけですから、一緒に飲んでいてもお酒の邪魔にはなりませんし、理屈抜きで楽しいですよ (^_^)V。

 

 とにかく、お店に「飲み」に行くなら、気に入ったお店は誰にも教えないで、一人で行くのが基本だと私は思っています (^_^)V。

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2008年11月18日 (火)

芋煮会

 秋も深まって、北海道あたりでは雪の便りも聞かれ始めるような今頃の時期になってしまうと、少々時期はずれの記事になってしまいますが、今日は「芋煮会」の事でも語ってみようかなと・・・ (^.^; ポリポリ

 

20081118007  「芋煮会」は「いもにかい」といいまして、東北地方などではけっこう一般的に行なわれている季節行事です。

 春に「お花見」が行なわれるように、秋に皆で食材を持ち寄って河川敷などに集まり、鍋を作って食べて親睦を深めるのが目的で、特に山形地方の芋煮会はニュースなどでも取り上げられたりするので有名なんじゃないかな ( ^-^)/ ♪

 私も、会津で生まれ育ったので、学校や職場などで開催される芋煮会によく参加した記憶があります。

 

20081118006  芋煮会というと、文字通りイモを煮るわけでして、ここで使われるイモは「サトイモ」というのが一般的なようですが、決してそれでなくてはいけないとかいうわけではなく、私なんかはサトイモはあまり好きではないのでジャガイモを使うことが多いです(笑い)

 味付けも、しょう油などが多いと思いますが、味噌だったり、あるいはカレーだったりと、これでなければならないというような芋煮会のレシピがあるわけではありませんので、土地土地で、あるいは参加するメンバーの好みによってできる鍋は千差万別です (^^)v
 大きな鍋で、いっぱいのカレーを作って、アウトドアで大勢で頬張る・・・ それも立派な芋煮会であり、なんとステキでダイナミックな宴でしょう(爆笑)

 

20081118003_2 20081118001_2 20081118002

 これは、私がかつてお世話になった会社で行なった芋煮会の時のスナップです (^.^; ポリポリ
 93年10月6日という日付が写真に写っていますので、もう15年も前の事になりますが・・・(笑い)

 私が千葉県は船橋にあるお店に勤務していた時に、千葉市や柏市などのお店と合同で、千葉県内にある養老渓谷に行って行ないました。
 メンバーのほとんどは千葉県在住の人達ですが、会社自体は会津に本社があり、店長などは会津や新潟方面の人が多いので、このような行事も行なわれていたわけです。

 

20081118004  この時の参加人数は、総勢14名だったのかな。
 集合写真に写っている人は13人で、写真を撮った人が一人居るはずですから、計算上はそうなりますが、あまりに昔の事で、はっきりとは覚えてはいません。

 

20081118005

 私の記憶では、芋煮会の後に養老温泉の旅館に泊まったと思っていたんですが、写真の日付では夕飯の宴席は5日となっていますので、旅館に集合して一泊した後、翌日芋煮会をして解散したという事になります (^^;
 へぇ~、そうだったんだ・・・ (^.^; ポリポリ

 

 同じ仕事をしているとはいっても、お店が違えば普段は電話でのやり取りがせいぜいで、社員同士が顔を合わせることはめったにありませんから、慰安旅行などと一緒でこういうイベントはお互いの人となりを知る上でもとても大事だと私なんかは思います。

 私のように、自営などで一人で仕事をしていると、誰かとお酒を飲むなんて機会もほとんどありませんから、芋煮会をしたのもこの時が最後になりました・・・ (^^;
 今でも、とても貴重な思い出です (^_^)V。

 

 ちなみに、私は5枚全ての写真に写っています(笑い)
 あえて名乗りはしませんが、全部の写真に写っているのは私だけなので、すぐにわかると思います (^.^; ポリポリ
 体型的には、この頃が一番メタボだった頃です。この後、2年ほどかけて12~3kgほどダイエットしたんですが、今はリバウンドして、ほとんど変わらなくなってしまいました (^^;

 

20071121001 20071121002

 また、これは無線の仲間達と福島県の羽鳥湖に行って行なった芋煮会の様子です。写真の日付は85年の11月3日となっています (^.^; ポリポリ
 こちらには私は写っていませんね。おそらく、写真を撮っているのが私だったからだと思います (^.^; ポリポリ

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2008年11月17日 (月)

ニラレバ炒め

20081117001  よく言われる事ですが、「ニラレバ炒め」「レバニラ炒め」、どっちの言い回しが正しいんだろうと・・・ (^^;
 そんな事を考えたことはありませんか?

 巷での主流は「レバニラ炒め」の方で、圧倒的に「レバニラ炒め」と言っている人の方が多いようです。
 では、「レバニラ炒め」が正しい言い回しなんでしょうか、今日はそんな話題で・・・ (^.^; ポリポリ

 

 こういう話題になると、必ず言われるのが「分量の」違いで名前も違うんだろうという意見(笑い)
 つまり、ニラがメインであれば「ニラレバ炒め」で、レバーがメインであれば「レバニラ炒め」と呼ぶという説・・・
 一応、もっともらしい意見ではあるけれど、ホントなのかぁ(爆笑)

 そもそも「ニラレバ炒め」と「レバニラ炒め」は、同じ料理だというのが私の持論であるからして、分量だとかレシピだとかで言い回しが違うことはあり得ない。
 まぁ、「カレーライス」と「ライスカレー」のように、どっちがどっちでも別にいいんだけれど、この記事では、一応私なりの「正論」を語ってみたい (^^)v
 一応お断りをしておきますが、「正論」といっても別に誰かがしっかりと考証しているワケではないので、いつものように私の独断と偏見に満ちた意見であることをお含み置きください ( ^-^)/ ♪

 

 この記事では、「ニラレバ炒め」「レバニラ炒め」のバトルに、一応のピリオドを打ってみたいと思います。

 勝者・・・ 「ニラレバ炒め」 ヽ(^o^)尸
 よって、「レバニラ炒め」という名前は邪道だということになります (^^)v

 なぜそうなのか、以下にその理由を述べてみたいと思います。

 

 「ニラレバ炒め」というメニューは、「中華料理」のメニューの一つだということは皆さん方にも異論のないことだと思います。
 であるならば、絶対に「ニラレバ炒め」でなければならないし、逆に「レバニラ炒め」であってはいけないことになります。

 なぜなら、中華料理では、「ニラレバ炒め」「韮菜炒豚肝」と書きます。これを文字通りに直訳すると「ニラ炒めレバー」ということであり、ニラとレバーという順序で書かれています。
 決して「豚肝炒韮菜」とは書かれていません(笑い)

 従って、仮にも「中華料理」を謳っている料理店であるならば、メニューは「韮菜炒豚肝」と正式に書くか、日本人にもわかりやすいようにという事であれば「ニラレバ炒め」と書くべきです。間違っても「レバニラ炒め」なんて書いてはいけません。

 それが証拠に、横浜の中華街などでは「ニラレバ炒め」という名前が一般的なメニューであり、「レバニラ炒め」なんて書かれたメニューはまず見かけないと思います。
 料理人達も、「ニラレバ炒め」という名前に誇りを持っており、決して「レバニラ炒め」とは言わないものです。(ホントか (^^; )

 

 一応、「中華料理」であるならば「ニラレバ炒め」と言うべきだと書きましたが、家庭でおかずの一つとして作るのであれば「ニラレバ炒め」でも「レバニラ炒め」でも、どっちがどっちでも構わないわけです。お母さん達には、別に本格的な中華料理を作っているという意識は無いと思いますし、食べる方だって中華料理を食べているという意識は無いと思いますから(苦笑)
 だから、それが「ニラレバ炒め」であろうと「レバニラ炒め」であろうとなんら差し支えないわけです。

 でも、「中華料理」の看板を掲げているお店に入って、メニューに「レバニラ炒め」と書かれていたとしたなら、そのお店は中華料理というモノを知らないダメなお店なんじゃないのかな、私はそんなふうに思っていますよ(笑い)

 

 では、どうして「ニラレバ炒め」ではなくて「レバニラ炒め」と言う人がこんなにも多いのでしょうか・・・

 「レバニラ炒め」の方が言いやすいからという理由ももちろんあると思いますが、私はそれよりももっと説得力のある説を見つけました (^^)v

 それは、赤塚不二夫が描いた「天才バカボン」というマンガが発端ではないかという説です。
 このマンガの中で「レバニラ炒め」はバカボンのパパの大好物とされ、作品中でも「レバニラ炒め」ということばがしばしば語られます。この時の名前は決まって「レバニラ炒め」であり、「ニラレバ炒め」ではない。なぜか・・・
 バカボンのパパの口癖は、「はんたいのさんせい」「さんせいのはんたい」という事で、物事は逆さまに語ることが多いというものだ。アニメの主題歌にも、「西から昇ったお日さまが東へ沈む」「崖から落ちてケガをした だからガケなのだ」などのように、逆さまに語る例が歌われている。
 従って、「ニラレバ炒め」も、赤塚不二夫がわざとことばをひっくり返して、パパに「レバニラ炒め」と語らせたというものだ。

 このマンガは、アニメと共に大ヒットして一世を風靡した。だから、その中のことばが一人歩きを始めて全国に広まったと考えてもなんら不思議はない。現に、イヤミの「シェー」などのように、マンガから広まって流行語になったことばはたくさんある。

 マンガが発端で、全国に「レバニラ炒め」という名前が広まっていった・・・
 そういう事も十分にあり得ると私は思いますよ (^^)v

 

 あまり、マジメに受け取られても困りますが、以上が私が「ニラレバ炒め」の方が正当な名前であるという事を推す根拠です (^◇^) 。。。ケラケラ

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2008年11月16日 (日)

東京国際女子マラソン 2008

 09年に行なわれるベルリン世界選手権の代表選考会を兼ねた、最後の「東京国際女子マラソン」が今日行なわれ、第一生命の尾崎好美が2度目のフルマラソン挑戦で初優勝を遂げて、30年の大会の歴史に幕を閉じた・・・

 この大会、とても楽しみにテレビ観戦をしていましたが、予想通りというか、それ以上の劇的なレースになり、いまだに興奮している私が居ます ヽ(^o^)尸

 この大会の見所は、なんといっても35km地点を過ぎたあたりからダラダラと続く高低差30m近くの坂道であり、過去にもこの坂ではいくつものドラマが生まれた・・・
 今年も、この坂道でトップが入れ替わるという信じられないレースが展開され、とても見応えのあるレースになりました ヽ(^o^)尸

 

 スタート直後から積極的に飛び出してレースを引っ張る渋井陽子・・・
 2km過ぎにはすでにトップ集団は渋井を含む4人に絞られ、8km手前では加納尾崎がふるい落とされてトップは渋井チェムジョーの二人に・・・
 さらに12km手前でチェムジョーが遅れ始めると、12km過ぎには渋井の独走が始まる・・・
 この展開は、いつもの渋井のレース運びであり、終盤に失速するのが彼女のいつものマラソンのパターンなので、私は終始冷ややかに見ていました (^^;

 私は、この渋井陽子という選手のことを、いつも「速い選手ではあるが、決して強い選手ではない」と言い続けてきた。案の定、25kmを過ぎた時点で5キロのラップタイムは16分47秒と、ホンの少し落ちてきたかなと思ったら、30kmの時点では17分台に落ちた・・・ (^^;

 

 この頃、優勝した尾崎はマーラ・ヤマウチにかわされて一時4位にまで順位を落としたものの、自分を見失わずにしっかりとしたペースと足取りで先頭を追っていた・・・

 この後、ペースの上がらない渋井を尻目に、尾崎が、加納が、次々にとらえ40km手前で一気に抜いていった・・・ (__;)ガクッ

 結局、終始しっかりとした足取りで、周囲に惑わされずに自分のペースを刻み続けた尾崎がそのまま逃げ切って、2時間23分29秒という自己ベストを大きく更新するベストタイムで初優勝を遂げた ヽ(^◇^*)/

 渋井は、加納、ヤマウチにもかわされて、最終的に尾崎に2分21秒及ばずに4位でゴールした。

 このレースを振り返って、渋井の失敗レースというのは簡単なことなんだけれど、私はそれよりも、渋井はフルマラソンには向いていないんじゃないかと思えてなりません。ハーフとかくらいならいい勝負をしてくれると思いますが、フルを闘うにはスタミナが無いんじゃないのかなと・・・
 あるいは、レースの組み立てというか戦法が間違っているんじゃないのかなとも思います。
 毎度毎度、同じようなレース運びで惨敗というのは、進歩がないというよりもしっかりした指導者が居ないせいなんじゃないのかなと(苦笑)

 先行逃げ切りが渋井の性格にも合っていて、そういう戦い方をずっとしてきたわけですが、結果が伴わないのなら、もうあらためるべきなんじゃないかと私は思いますよ。

 

 今日の大会、個人的には、尾崎好美を応援してきたわけですが、しだいに順位を下げていくレース展開に、さすがに一時はダメかなとも思ったんですが、粘って粘ってヤマウチを抜き返し、加納をとらえ、渋井に迫っていく時には万歳でしたね ヽ(^o^)尸
 見事なレース運びでした (^_^)V。

 おめでとう~  ( ^-^)o-o<※ ☆ パンッ☆彡

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 「新」という文字は、一文字だと「あらた」と読むということは皆さんもご存じだと思います。もちろん、私も知っていますが、これが「新しい」となるとどうでしょう・・・
 「あらたしい」とは読まずに、「あたらしい」と読むのが一般的だと思います。

 今まで、なんの疑問も持たずに、一文字だと「あらた」。
 そこに「しい」という送り仮名が付くと「あたらしい」と読んでいまして、そういうものだと思っていたのですが、「新しい」は、もともとは「あらたしい」と読んでいたと聞くと、なるほど、そうだろうなぁ・・・と思っている私がいます(笑い)

 

 本来「○×」ということばだったのが、いつの間にか「×○」というように、読みの順序が入れ替わってしまうことを「音位転倒」と言います。
 「音位転倒」は、それほど珍しいことではなく、言い間違いがそのまま定着してしまったものや、本来の言い回しが発音しにくいために、いつの間にか言いやすい方に入れ替わってしまったものなど、見渡せば身近にもけっこうあったりしますが、まさか「新しい」が音位転倒したことばだったとは思いませんでしたよ(笑い)

 例えば、「communication」は「コミュニケーション」と読まれるべきものですが、「コミニュケーション」と言っていたり、「simulation」も「シミュレーション」と読むべきなんでしょうが、「シュミレーション」と言っている方も少なくないのではないでしょうか (^^;
 このあたりは、本来の発音だと言いにくいために前後が入れ替わってしまった例です。

 英語なんかだと馴染みがない発音のためにそういう例はけっこうあるんですが、日本語だと最近言われているのは「雰囲気」「ふいんき」と読むという例・・・ (^^;
 今だからおかしいと笑っていられますが、おそらく近い将来「雰囲気」は音位転倒して、「ふんいき」ではなく「ふいんき」と読むのが一般的になるのではないか・・・ 私はそんなふうに思っています。

 

 「舌鼓」も、本来は「したつづみ」と言っていたのが、いつの間にか「したづつみ」と読まれるようになってしまったことばです。
 「鼓」は、「つづみ」という楽器のことですから、それがわかっていれば「したつづみ」が正しいのは一目瞭然なんですが、耳の方ではそうとは思ってくれないようで(笑い)

 

 いずれにしても、間違いがいつの間にか市民権を持ってしまって、教科書にも載るようになるわけですから、言い間違いなんていちいち指摘するのは無意味なことなのかもしれませんね (^◇^) 。。。ケラケラ

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2008年11月15日 (土)

なおざり

 日本語というのは本当に難しいもので、あらためてことばの意味を問われるとよくわからないものが多かったりします(笑い)
 しかし、そういう奥深いところが私は好きなんですが、今のお若い方たちなどは、自分たちで次々と新しいことばを生み出していきますから、あまりそういう事には無頓着なのかな・・・ (^^;

 

 ところで皆さんは「なおざり」ということばと「おざなり」ということばをお聞きになった事はありますか?
 どちらも似たようなことばであり、意味も「いい加減に扱う」というようなものなので、どちらがどちらというか、そういう区別をする事もなく口にしていることも少なくないのではないでしょうか・・・

 実際、私自身がそうであり、二つのことばの明確な意味を調べることもせずに今日まで生きてきました (^.^; ポリポリ
 その間、この二つのことばを口にしたこともあったはずなんですが、どういう時にどちらのことばを口にしたのかも今では覚えていません (^^;
 性格がいい加減ですから、そういう事もいい加減で・・・(笑い)

 で、先日、ラジオを聞いていると、両者の違いをわかりやすく説明してくれましたので、なるほどなぁと・・・ (^.^; ポリポリ

 

 「なおざり」というのは、「等閑」あるいは「猶避」と書きますが、私の愛用している三省堂の国語辞典には「猶避」という表記は載っていませんし、使用している日本語入力システムであるATOKでも「猶避」という変換はされませんから、あるいはこちらの方は正確なことばではなくて当て字なのかもしれません。

 一方、「等閑」は「とうかん」ということばで私の愛用している三省堂の漢和辞典にも載っていますから、こちらの方が漢字表記としては正しいのかな。
 「等閑」は、漢語であり、その意味は、物事に対してそのままの状態で放っておくこと、いい加減にして真剣に取り組まないことという事で、「なおざり」という平安時代にはすでに使われていたと思われる言い回しに対して「等閑」という漢字を当てたものと思われます。

 

 「おざなり」というのは、「御座成り」と書き、もともとは江戸時代の頃の芸者達が用いたことばだという事です。
 日本には、昔から「席次」というものがあり、お座敷に座る時には、年齢や役職などに応じて席に着く位置が細かく決められるのが普通です。「上座」とか「下座」などということばは皆さんも忘年会や結婚式の披露宴などの時に耳にしたことがあると思います。
 芸者さん達は、お座敷に伺った時に、それぞれの座っている位置を見てお客さんのランクを決め、扱いを変えたそうで、ランクの低い客に対しては「お座なりに」、つまりいい加減に、適当に、軽~くあしらったそうで、「おざなり」ということばにはそういう意味があるということです・・・ (^^;

 

 つまり、「おざなり」は、わかっちゃいるんだけれども、ついつい、いい加減に扱っちゃうことで、「なおざり」は、そういう意識すらなく、最初から何にもするつもりもないということで、どちらも「いい加減に扱う」という点では一緒ですが、意識レベルの上では、「おざなり」>「なおざり」という事で、なおざりの方が、より悪いということかな(笑い)

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2008年11月14日 (金)

神明通り

 「神明通り」というのは、会津若松市内にあるメインストリートに付けられている名前で、ここが会津若松の商業活動の中心地になります。

 

 たいてい、どこの市町村にも「メインストリート」と呼ばれる、その土地を代表する商店街があるものです。
 「○○通り」あるいは「××銀座」などと名付けられ、通りの両側にはたくさんのお店が軒を並べ、場合によっては通り全体に屋根をかけて、アーケードになっている場合もあったりします。

 当たり前の事ですが、その通りは街一番の繁華街として、買い物客などの多くの歩行者で賑わい、活気があるもので、そうなると当然のことですが、立地的にも街の中で比較的便のいいところに設けられているのが普通です。そうでないことにはお客さんにとっては不便なところということになり、集客力が落ちるからなのですが・・・

 そこで、立地がいいというとたいていは駅前などがその候補地に挙げられ、普通は駅前に大きなメインストリートが設けられ、そこを中心に栄えるのが一般的な街の姿なのですが、会津という土地ではなぜかそういう常識は通用しません(笑い)

 会津では、たいていどこの駅でもそうですが、改札を出て街へと足を踏み出しても、賑やかな繁華街を擁するメインストリートが目の前に広がっているという事が無いのが普通です (^^;

 

20081114001 20081114002 20081114003

 

 これは、会津を代表する「会津若松市」「喜多方市」「会津坂下町」の駅周辺の地図ですが、ご覧のように、それぞれのメインストリートは「駅前」からはずいぶん離れた所に設けられているのがわかると思います。

 

 なぜこんな事がまかり通っているのか・・・
 正確なことはよくわかりませんが、鉄道が敷設され始めた明治初期の頃、蒸気機関車は煙を吐いて走るので、火事を心配した住民の多くが、街から遠く離れたところに線路を敷くことを願ったからではないかと私は思うのです。

 で、駅も当然のことですが、街外れに設けられることが多く、当時の国民は汽車に乗るなんて事はそれほど一般的な事でも無かったので、駅を利用するのはごく希なことであり、したがって駅前が栄えるなんて事は地方ではあまりなかったのではないかと・・・

 しかし、交通網の発達と共に、生活圏もだんだんと広くなっていき、多くの街ではしだいに駅が重宝されるようになっていった結果、自然と駅前にメインストリートができるようになっていったんだと思うのですが、会津の人達は一様にガンコですから、そういう時代の流れに逆らってまでも、繁華街は町の中心に残したのではないかと・・・ (^_^ゞポリポリ

 

 今でこそ、会津若松の駅前からメインストリートである「神明通り」に続く「中央通り」と呼ばれる広く近代的な通りができて、一応街らしい姿を呈してはいますが、古くからある「神明通り」に対して、「中央通り」の歴史はわずかに30年足らずです。
 私が高校生だった頃、まだこの「中央通り」は影も形もなくて、会津若松の駅からメインストリートである「神明通り」に向かうには「大町通り」と呼ばれる商店街を通っていくのが一般的なルートでした。

 「中央通り」の建設が決定し、着工が始まっても、用地の買収はなかなか進まず、特に、「神明通り」との接続部分に建っていたメガネ屋さんは、店の真裏まで通りが完成しているにもかかわらず最後の最後まで頑として居座っていました (^^;

 《中央通り》

20081114011 20081114013

 

 《神明通り》

20081114012 20081114014

 

 写真は、上が「中央通り」、下が「神明通り」の光景です。いずれも、駅の方から南側を向いて撮った写真で、それぞれの車道と歩道の様子です。

 「中央通り」は、新しくできた通りだけあって、片側2車線の広い通りとなっており、すっきりと整備されていますが、「神明通り」は、昔ながらの通りなので、片側1車線しかなく、アーケードにはなっているものの、さすがに時代を感じさせますね (^^;
 それでも、近年、電線が地中化されたので、いくぶんすっきりした感じにはなっていますが・・・

 

20081114015_2 20081114016  

 これは、「中央通り」ができる前に、会津若松の駅から「神明通り」へと向かう唯一の通りだった「大町通り」の今の光景です。この通りは「中央通り」と平行して南北に走っています。

 この通りも時代がかった通りで、駅から「神明通り」に向かって走って行くと、途中からは一方通行になってしまい、対向車は無くなります (^^;

 そして、「神明通り」と平行して走る「野口英世青春通り」へとつながっています。この通りもまた一方通行です。
 野口英世は、会津を代表する有名人であり、世界にも著名な医学者ですが、その野口英世が書生として医学を学ぶために数年間を過ごした「会陽医院」の跡地がこの通りにあるということから、「野口英世青春通り」という名前が付けられたそうです。
 もちろん、私が会津に住んでいた20年くらい前までには、そういう通りの名前も存在していませんで、通りで一番大きな「ロイヤルボウル」というボウリング場が在ったことから、仲間内では「ロイヤルボウル通り」なんて呼んでいたような記憶があるのですが、そのヘンも四半世紀も経ってしまうといい加減な記憶でしかありませんが・・・ (^.^; ポリポリ

 

 この記事中の写真は、いずれも「管理人さん」のHPからお借りしてきました ( ^-^)/ ♪  有り難うございました・・・ m(_ _)m

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2008年11月13日 (木)

白虎みそ

20081111011  世の中には「手前味噌」なんてことばもあるように、お味噌にこだわる人は少なくないと思います。

 写真は、私がいつも食べているお味噌で、「会津天宝白虎みそ」といいます。
 会津の老舗である「会津天宝醸造株式会社」が作っているお味噌で、この味噌を食べるようになってから、もう30年以上になります。
 といっても、この味噌を食べるようになったのはホンの偶然からですが、今ではこの味噌でないと、どうにもガマンできません・・・というほどではありませんが、できればこの味噌を食べたいと思って買い続けています(笑い)

 

 きっかけは、高校を卒業して江戸川で独り暮らしを始めた頃のこと・・・
 初めてのアパート暮らしだったので、当時はけっこうおもしろがって自炊をしていたんですが、そんな頃にあるスーパーで見かけたのがこの「会津天宝白虎みそ」でした。
 故郷の会津を離れ、そろそろ里心も出て来始めた頃、遠い故郷で作られた味噌がこんな所のスーパーに売っているなんて信じられなくて、思わず懐かしくて買ってきたのが最初です。

 それほど違いがわかるほど舌が肥えているわけでもありませんが、なんとなく会津のお味噌というだけで美味しく感じたのは事実です。
 それ以来、そのスーパーで「白虎みそ」を買うようになりました (^^)v

 会津に戻ってからは、どこのスーパーでも売っているので、入手は容易でした。

 

 そんなこんなで、浮気もせずに、今に至るわけですが、千葉県のスーパーでは見かけたことは無いので、会津に帰省した折に、地元のスーパーに立ち寄ってまとめて買ってくるのが常です (^.^; ポリポリ
 特別上等な製品でもなく、会津のスーパーならどこにでも売っているようなごく一般的な品物で、1kg入りの袋が300円チョッとくらいのプライスだったと思います (^.^; ポリポリ

 今までは、自炊なんてまずしないので、まとめて買ってくるとはいっても1kg入りの袋を一つか二つ買ってくれば、半年くらいは十分に間に合ったんですが、最近は週末に彼女が手料理を作ってくれるので、来年のGWまでの半年分ということで5袋も買ってきてしまいました(爆笑)
 これだけあれば、きっと大丈夫だろうと・・・ (^^)v
 それに、彼女も、このお味噌は美味しいと言ってくれてますし・・・(笑い)

 

20081111012  ちなみに、袋に描かれているのは、会津地方の郷土玩具である「赤べこ」です。
 「べこ」というのは、東北地方の方言で「牛」という意味で、赤い色をしているから「赤べこ」と呼ばれています。
 赤い色には、魔除けの効果があるということで、会津地方では昔から子供が健やかに成長するようにとの願いを込めて、張り子の「赤べこ」をプレゼントをしたりする風習があり、そのユーモラスな風貌と、可愛らしく上下左右に首を振る動作が、会津の人達の間では広く親しまれています ( ^-^)/ ♪

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2008年11月12日 (水)

失言

20081111031  兵庫県の井戸敏三知事が、11日に和歌山市内で開かれた「近畿ブロック知事会議」で、「関東大震災が起きればチャンスだ」と述べ、批判の声が上がっていると報じられた・・・

 最近思うのですが、中山前国交相の一連の失言や、田母神前空幕長の歴史誤認と言える失言など、場をわきまえぬ愚か者が多すぎるように思いますねぇ・・・ (ノ_-;)ハア…

 そりゃね、私自身がそうであるように、いろんな「持論」を展開するのは自由だし、勝手だと思うんですよ。
 世の中、いろんな人が居るわけですから、いろんな考え方があって当然で、それを一つに縛り付けようなんてことはあってはならないことで、許されることでもないんですが、だからといってどこでもそういう事を言っていいかといえば、決してそんな事はないわけで。
 まして、公の立場にある人なら、そこの所はしっかりとわきまえて欲しいわけですよ。

 居酒屋で、酒を酌み交わしながら仲間内で語る世間話ならともかく、語った内容がマスコミを通じて公になるような場所では、たとえ自身の持論がどうであれ、言ってはならないことはあるということをオトナなら知るべきです。

 憲法で保障されている「言論の自由」というのは、どこでも自由に好き勝手な事を語ってもいいという事を保証しているわけではないという事です。

 例えば、学校の先生が、授業中に中山前国交相や田母神前空幕長のような持論を繰り返し語り続けたとしたなら、その授業を受けた子ども達は先生の持論に影響を受けるだろう事は容易に想像がつくことで、その先生の持論はともかくとして、語る場としては相応しくないということです。

 

 こういう、アタマの程度はともかくとして、社会人として未成熟な愚か者が増えるということは、国家の存亡にもかかわってきますから、大いに憂うべき事と私は思っています。

 「口は災いの元」とは、昔から言われてきた事です。一度口にしたことばは、二度と取り消すことはできないのです。後から謝ればいいとかそういう問題ではないし、まして井戸知事のように、「第2首都機能は関西で引き受けなければならず、それを関西発展のきっかけにしなければ。そういう意味ではチャンス」「謝るようなことを申し上げたつもりはない。真意を理解してほしい」と開き直るに至ってはなにをか言わんやで・・・ (__;)

 まぁ、言いたいこともわからないでもないけれど、用いたことばが適切ではなかったということで、大震災が「チャンス」だなんて、公の場では口が裂けたって言ってはならないことばだという事は子どもにだってわかる事なんじゃないのかな(笑い)
 いかに思慮もボキャブラリーも不足しているかがうかがい知れるひと言ですね(苦笑)

 

 そういえば、中山前国交相も、田母神前空幕長も、失言は持論だとして、取り消しも謝罪もしていない (^^;
 中山氏あるいは田母神氏個人としてならどのような持論を持っていようと勝手ですが、大臣や幕僚長などの公の肩書きを背負い、国を代表してそういう事を言われてもねぇ・・・ (^^;
 本当に、こういう「確信犯」的な失言癖のある輩が責任ある立場に居るというのは、困ったもんだと思いますよ q(`o')ブー!!

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2008年11月11日 (火)

大関取りに大きな不安

 大相撲の九州場所の三日目が今日行なわれて、大関取りを目指す関脇の安馬が、自身もライバルと言ってはばからない平幕の稀勢の里に一方的に押し出されて黒星を喫した・・・

 

 大関昇進の目安となる成績は、関脇として三場所通算で32~33勝が目安とされており、安馬は名古屋場所で10勝5敗、秋場所で12勝3敗と、22勝を挙げていますから、今場所11勝すればまず間違いなく昇進の目はあると思います。場合によっては10勝でも大丈夫だと思うので、安馬の実力からすれば二桁の勝ち星を挙げるのはそう難しい事でもないと思うので、今場所後の昇進はまず間違いないと思っていたんですが、ここまでの三日間の安馬を見ていると、そうでもないかなと思えてきました・・・ (^^;

 

 私は常々、次の大関の最右翼は安馬だと思っていました。
 一頃から見れば身体も一回り大きくなって、相手の圧力を受けとめられるようにもなってきましたし、なによりもけれんみのない真っ直ぐな攻めと持ち前のスピードは安馬の大きな魅力でもあります (^^)v
 まるで、獲物を見つけた鷲が高い空から真っ直ぐに舞い降りてくるように、その取り組みはある種の美しささえ感じさせてくれます。

 しかし、今場所の安馬は「らしく」ないですねぇ (^^;

 初日から、自分の相撲が全く取れていません。辛うじて白星を拾ってはいましたが、今日の相撲を見ていると、私の不安はやはり当たっているのかなと・・・ (^.^; ポリポリ

 こんな調子だと、二桁はおろか、勝ち越しさえ難しいんじゃないかと思えてなりません。
 それ以前に、こんな内容の相撲を取っていると、仮に12勝なんて星を挙げても、取り口の印象が悪いですから昇進を見送られる可能性だってあるんじゃないかなと・・・ (^^;
 やっぱり、初日に5回も立ち会いをやり直させられたのが、そうとう堪えているのかな (^^;

 何はともあれ、一日も早く、いつもの安馬に戻ってほしいと切に願っています。

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2008年11月10日 (月)

中町フジグランドホテル

 タイトルの「中町フジグランドホテル」というのは、先日、会津に帰省した折に利用した若松市内のビジネスホテルなんですが、ネッ友さんのブログでこのホテルのことを知ってから、今度の宿泊はここと決めていました (^_^)V。

 実は、私の常宿とはいかないまでも、お気に入りのホテルはこの中町フジグランドホテルとは目と鼻の先のホテルニューパレス (^.^; ポリポリ
 このニューパレスは、友人の結婚式で利用してから何かあると利用してきたワケで、私はガンコですから一度利用するとあまり他には浮気はしない方なんですが、今回だけはフジグランドの方に泊まってみたくなって・・・(笑い)
 別に、ニューパレスに不満があるとかいうわけではないのですが、こういう機会でもないと別のホテルに泊まってみようなんて気は起こらなかったと思うし (^.^; ポリポリ

 で、泊まってみての感想ですが、至れり尽くせりのサービスで大満足です ヽ(^o^)尸
 今度から、会津若松での宿泊は、この中町フジグランドホテルに決めようかと思っています(笑い)

 

 今回私たちが利用したのは、ダブルのスタンダードタイプの部屋で、1泊の料金は¥10,300 (^^)v
 リーズナブルな料金のワリには、細かいところまで行き届いたサービスは見事というか、これなら次も泊まってみようと思わせてくれるだけの魅力があります。

 チェックインを済ませて部屋に入ると、テーブルの上には施設案内などのインフォメーションと一緒に、ピンク・青・白の3枚のA4サイズのクリアファイルが置いてあり、ご自由にお持ちくださいと書いてあります(苦笑)
 こういうものは、いくつあってもいいものですし、仕事に使えるということで彼女が持って帰りました (^^)v
 他にも、テレビの番組表や、会津のキャラクターである赤べえのストラップが2個置いてありました (^^)v
 また、フロントに申し込むと、女性用のアメニティグッズのセットや、加湿器も用意してくれました o(*^▽^*)o~♪

 

20081110012  これは、フロントの脇に設置してあったパソコンです。2台のノートPCが置いてあって、私もしばしば使ってネットにつないでみました (^^)v

 ネットを利用したいのなら、ノートPCくらい自前で持っていくのは当たり前なのかもしれませんが、私らは持っていかなかったので、こういうサービスはありがたいなと(笑い)
 ちなみに、部屋によっては有線LANが利用できるそうなので、予約時に申し込めば部屋の中で自前のPCをネットにつなぐこともできるそうです。来年行く時には、ノートPCでも持って行こうかなと・・・ (^.^; ポリポリ

 

20081110013 20081110011  朝食を食べた食堂と、運ばれてきた和食のトレーです。朝食は無料で、ご飯やみそ汁のお代わりも自由にできるので、これはありがたいです(笑い)
 出された和食の他にも、レギュラーコーヒーやロールパンも置いてあって、無料で自由に食べる事ができました (^^)v

 また、朝には地元の新聞がドアの隙間から差し入れられているのもポイントが高いかなと (^^)v

 

 実は、フジグランドホテルは、中町の他にも姉妹館として駅前にもう一つあるのですが、立地という点では中町の方に軍配が上がるので、今回はあえて中町の方に予約を入れました (^^)v
 普通は駅前の方が便がいいと思いがちなのですが、ここ会津ではそういうセオリーは通用しません(爆笑)
 この中町フジグランドホテルは、会津若松のメインストリートである「神明通り」に隣接しており、当然のことではありますが、様々な歓楽施設も周囲にたくさんありますから、お店間の移動も歩いて行くことが可能です。
 この会津若松という地方都市は、飲み屋さんを始めとする水商売関係のお店がやたらと多い街でもありますが、そのほとんどが神明通りを中心とする一角に集中しているということも忘れてはならないポイントです(笑い)
 しかし、駅前のグランドホテルだと、タクシーを使わなければ飲みに行くこともままならず、お店間の移動も容易ではないのです(笑い)

 こういう事は、ジモティだからこそわかる情報で、なかなか旅の情報誌なんかでもこんな事まではわからないかもしれませんね (^.^; ポリポリ
 もっとも、駅前にだって飲み屋さんやカラオケなどのお店は無いわけではないでしょうが、私の会津の情報は20年くらい前からほとんど更新されていないので、最近の街の事情はよくわかりませんが(笑い)

 

 ・・・というわけで、彼女と二人、十分に満足させて頂きましたよ o(*^▽^*)o~♪

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2008年11月 9日 (日)

甲子道路

 先日、会津に帰省した折、国道121号線を「塔のへつり」へ向かって車を走らせていると、意外なものを目にしました。
 道路の案内標識で、国道121号線から右折して「白河」と書いた国道289号線の表示です。これまではこんな表示ではなくて、那須方面へと向かう道路は車両通行止めになっていたはず・・・ (?。?)

20081107002

 これがこれまでの一般的な地図なんですが、思えばこの国道289号線は、南会津の下郷町から白河へ向かう西郷町との間の「甲子峠」付近は険しい地形に阻まれいて、登山道として人の歩ける道路はあるものの、車輌の通行はできないという不便な状況が、私が子どもの頃からずっと続いていました・・・

 そのために、全国でも珍しい「車の通れない国道」として、その名前が一部のマニアの間で知られていました(笑い)

 

20081107003

 これが、かつての「甲子道路」です。写真はネットで見つけてきたもので、白河方面から甲子峠に向かったところを写したもので、「通行不能」の標識が写っています。

 

20081107004 20081107005

 そして、これがかつて有名だった「登山国道」を知らしめる証拠写真です (^^;
 「甲子山登山口」の立て看板があり、石段が見えます。
 さらに、山でよく見られる登山道の脇に立てられている「国道289号線」の標識です (^^;
 どうですか、こういう不思議な光景は、なかなかお目にかかれないのではないでしょうか (^◇^) 。。。ケラケラ

 かつては、このような道しかない国道であったわけですが、ここが車で通れるようになれば南会津と那須方面へのアクセスは容易になり、生活の上でも観光の上でも会津と関東の距離は飛躍的に縮まることになります。

 その悲願であった甲子道路が、今年の9月21日に開通したというのです。これは会津で生まれ育った私にとっても大きな感動でありました ヽ(^◇^*)/

 で、せっかくですから会津からの帰り道、開通したばかりのこの道路を通ってみることにしました (^^)v

 

 

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 今月の3日、会津若松から関東へと向かう、国道121号線の下郷町付近の写真です。この交差点を左折して白河方面へと向かいます (^^)v

 国道121号線や国道289号線の道筋には、これと同じ「国道289号 開通甲子道路」の看板がいくつか立てられていました。

 最後は、甲子トンネルに入る手前で、産地直売の売店が設けられていたあたりで撮った写真です。写真の奥が南会津の下郷町方面です。
 せっかくなので、売店で温かい「みそ汁」を二人で頂いてきました。一杯100円でした o(*^▽^*)o

 

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 これが、全長4,345mの「甲子トンネル」と、それに続く887mの「安心坂トンネル」です。会津周辺では、トンネルなんてそれほど珍しいものでもないですが、それでも4kmを越えるトンネルというのはさすがに無いので、貴重です (^^;
 上の2枚が、甲子トンネルを過ぎて、白河側に設けてあった駐車スペースから撮った甲子トンネルで、下の2枚は、同じ場所から撮った安心坂トンネルです。

 最後の写真は、白河方面にかなり下ってきて、キョロロン村近くで撮った一枚です。上の「通行不能」の標識が写っている写真を、反対側から撮ってみました (^^)v

 

 走ってみての感想ですが、いつも走っている、国道118号線から羽鳥湖を回って白河に抜ける県道37号線から比べると、はるかに走りやすくて快適な道路です ヽ(^o^)尸

 これは素晴らしい道路ができました。想像していた以上に快適に白河に向かうことができます。この日は白河から国道4号線で関東に向かいましたが、いつものように国道294号線で向かってもいいので、会津の人間としては嬉しい限りです ヽ(^◇^*)/

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2008年11月 8日 (土)

新しいオモチャ

 今日、彼女の乗っている愛車に、ETC車載器カーステレオを取り付けてきました (^_^)V。

 私が仕事で乗っている車には当然ETCの車載器が付いていて、日常的にETCレーンを通っていますが、時々乗る彼女の車にはETCは付いていません (^^;
で、気をつけていないと、うっかりといつもの習慣でETCレーンに向かってしまうことがあったりするんですよね (^^;

 先日も、彼女を乗せて成田へ向かう時に、ETCレーンにうっかり入りかけて、慌てて急ブレーキを踏んだことがあります (^^ゞ
 幸い、後続車は無かったので大事には至りませんでしたが、この時以来、ETCを付けなきゃ危ないなと真剣に思うようになり、今日私がいつも利用しているカーショップでETC車載器を取り付けてきました (^^)v

 これで、いつもの感覚で高速道路を利用できます ヽ(^o^)尸

 また、せっかくですから、カーステレオも新しくしようかなと・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 今付いているカーステレオは、だいぶ年期が入っているようで、CDの部分が壊れていて再生できないんですよ (^^;
 先日も、会津への帰省の折、ラジオしか聴けないし、そのラジオも山間部だとほとんどマトモに受信できなくて、チョッとだけ淋しい思いをしたのを思いだしたので、この機会に買い換えようと思ったのが最初です。

 で、いろいろと店内のカーステレオを物色しているうちに、おもしろい製品を見つけました ヽ(^o^)尸

 

20081108003

 

 ケンウッドのMNA-350という製品なんですが、CDレシーバーに簡易カーナビが付いているという異色のシロモノです(笑い)
 なんといっても、付いているプライスが安い ヽ(^◇^*)/
 ¥39,800という価格で、オーディオとカーナビが買えるとしたなら、たとえ役に立たないオモチャでも惜しくはありません (^^)v

 

20081108001 20081108002

 

 で、これが取り付け前と取り付け後のコクピットです ヽ(^o^)尸

 なかなかいい感じになりましたよ(笑い)

 実際に使ってみた感想ですが、私が普段使っているパイオニアのカーナビとは、価格もまったく違うのでとうてい比較にはなりません。
 第一、画面が3.5型ととても小さいので表示される地図も貧弱この上ありませんが、まぁ、地図を持っていなくても、知らない場所で迷わない程度のお守り代わりには使えます (^.^; ポリポリ

 ただ、このカーナビは安価なので、一般のポータブルナビと同様に、ジャイロセンサーとか車速パルスとかは付いていないので、自律航法はサポートされていません。そのために、ビルの谷間やトンネル 高架下などのようなGPSの電波が受信できない、あるいは受信しにくい場所では自車位置の測定ができないという欠点もありますが、カーショップから自宅アパートまでの道案内をさせても、そこそこナビをしてくれました (^^)v
 道を外れても、リルートはかなり早いですし、これならまぁ、使えるんじゃないかと(笑い)

 

 これで、これからは彼女とどこかにドライブに行っても、お気に入りのCDを聞くことができますし、道にも迷わなくて済みそうです ヽ(^◇^*)/

 また、ETCも付けたので、高速道路で割引きも受けることができます。
 今以上に楽しいドライブができそうですよ(笑い)

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2008年11月 7日 (金)

ガソリン価格

20081107021  昨日、仕事の帰りに、いつも利用しているガソリンスタンドで給油したんですが、リッター123円になっていました。

 このところ、急激に下がってきたガソリン価格ですが、これでもまだ私なんかは高いと思うのですが、一時期のあの信じられない価格から比べればまだマシなのかなと・・・ (^.^; ポリポリ

 千葉県内では、市川あたりでリッター121円なんていうセルフスタンドもあるとラジオで言っていましたが、仕事で使う以上、1円でも安いに越したことはないわけで・・・

 高速道路が1000円で乗り放題なんてバカな事を言っている場合じゃないっての(怒り)

 一日も早く、ガソリンの暫定税率を廃止する方が、はるかに経済効果はあるでしょうに・・・ (ノ_-;)ハア…

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2008年11月 6日 (木)

大内宿

 「塔のへつり」の観光を済ませた私らは、続いて「大内宿」へと車を走らせました。
 いくらも離れていないところに、話題の宿場町があるからで、これはかねてからの予定の観光でした。

 

 「塔のへつり」「大内宿」・・・ どちらも会津では有名な観光スポットではありますが、この日、続けて回ってみると、その印象はまったく違ったものになりました。

 昨日の記事でも書いたとおり、「塔のへつり」にはもう行くつもりはありませんが、「大内宿」の方には来年また寄ってみようと思っています (^^)v

 なぜそう思ったのか、以下に、この日私が感じたことを述べてみたいと思います。

 

 実は、「大内宿」には20年ほど前に一度行った事があります。会津に住んでいた当時、友人とチョッと立ち寄ったんですが、その時には茅葺き屋根の民家が並んでいるだけで、土産物屋らしいところさえ皆無と言っていいほどで、何も無い殺風景なところでしかありませんでした。

 しかし、この日2度目の訪問をした「大内宿」は、あの頃とはまったく様変わりをしていて、活気があってとても賑やかなところになっていました。
 食事処や土産物屋が延々と軒を並べていて、たくさんの観光客は言わずもがなですが、お店の人達にも商売に対する熱意のようなものを感じたのです。
 単に、マスコミに取り上げられたからというだけではない、何か特別なオーラが宿場全体を包んでいたというような印象さえ受けました。

 

 以下は、当日撮ったスナップの一部です ( ^-^)/ ♪

 

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 国道から「大内宿」に向かう道へと左折して車を走らせます。しばらくは快調に走っていたんですが、「大内宿まで4km」という案内板を過ぎた頃から、しだいに流れが滞るようになり、やがて止まったままほとんど動かなくなってしまいます (^^;
 それが最初の写真です。延々と続く車の列が運転席から見えています・・・

 駐車場待ちの大渋滞にはまること約1時間、やっと駐車場の入口に着きました (^^ゞ
 それが次の写真で、係員の指示で車を進めます。

 駐車場から宿場の大通りへと続く近道です。バスで来た他所の団体客の列に混じり、一緒に歩きました(苦笑)
 個人で行くと、右も左もわからないので、こうして団体客に付いているガイドさんの説明なんかを聞くのも一興です (^◇^) 。。。ケラケラ

 

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 これが、大内宿の大通りの様子です。約450mの道の両側に、茅葺きの民家がズラ~ッと並んでおり、江戸時代の宿場の雰囲気をよく残しています。

 この通りは、かつて「会津西街道」と呼ばれ、会津藩の参勤交代や会津と江戸とを結ぶ物流の道として賑わったわけですが、明治17年に今の国道121号線の前身となる会津三方道路が設置されたことに伴い、主要街道としての機能は衰退していきました。つまり、今で言うところの「バイパス」が設けられたことにより、大内宿の役割も終焉を迎えたわけです。

 現在、旧街道筋にあたる大内宿には、往事の町並みや建造物が残されており、「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されています。

 

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 この日、遅めの昼食を食べた「山本屋」さんです。すでに14時を回っていたので、お腹はもうペコペコ・・・(苦笑)

 通りに面したところでは、お店の人が岩魚や串だんごを焼いていました。お店の中へは通りに面したここから入るのではなくて、軒を連ねた路地の方に玄関が設けてありました。
 大内宿では、山本屋さんに限らず、どこの家も通りに面した方ではなく、軒の方に回った方に玄関が作られていました。
 この通りは南北に通っていますから、普通は道路に面した東側か西側に入口を設ければ出入りは容易なわけですが、一様に南側の建物の中央付近に玄関が設けられていました。
 理由はよくわかりませんが、宿場町だからという事が何か関係あるのかもしれません。もしかして、侍の通る大通りに面して玄関を作るのははばかられたとか・・・ (^^;

 

20081106016 大内宿では、ネギ1本で食べる「ねぎそば」なるものもマスコミなどでおもしろおかしく取り上げられていますが、私はそういうマスコミに踊らされるのは苦手というか、癪で・・・ (^.^; ポリポリ

 で、なんとなく美味しそうな「ニオイ」がした「山本屋」さんに入ったわけですが、これが大当たりでしたよ(笑い)

 

 今回注文したのは、会津に代々伝わる「高遠そば」 (^^)v
 「高遠そば」というのは、長野県の高遠地方で取れる特別辛い大根のしぼり汁に、醤油か焼き味噌を溶いて作った汁に浸けて食べる蕎麦のことで、江戸初期の頃、高遠の城主だった保科正之が会津に転封されたことにより、この食べ方を会津に伝え、広めたそうです。
 とはいうものの、会津で生まれ育った私でも、「高遠そば」という名前は初めて聞きましたが (^◇^) 。。。ケラケラ 

 山本屋さんでは、大根のしぼり汁にネギなどの薬味を入れて、しょう油を混ぜて食べるのですが、この蕎麦、メチャクチャ美味しい~ ヽ(^◇^*)/
 もちろん、1本のねぎではなくて、普通に割り箸で食べたわけで、大内宿の高遠そばは、どこでもねぎ1本で食べるのが当たり前ではありませんって(笑い)

 ところで、この山本屋さんはメニューにも凝っていて、見てください、このレトロな感じのメニューを (*^-^*)ノ
 私は、こんなステキなメニューを見たことはいまだかつてありませんよ。
 風格といい、重厚さといい、実に見事なもんじゃありませんか ヽ(^o^)尸

 

20081106013  これは、相方の彼女が注文した岩魚の骨酒です(笑い)
 もちろん、私は飲んでいませんが、とっても美味しかったと言っていました (^^)v
 しかし、この徳利というか急須というか、骨酒の入っている容れ物のユニークなこと、こんな徳利で出された岩魚の骨酒なんて、それだけでも美味しいと感じるんじゃないでしょうか (^◇^) 。。。ケラケラ

 

20081106014  これは、食事をした部屋の柱に貼ってあった習字の紙ですが、この山本屋さんでは一般の民家をそのままお店として使っているようで、間取りとか調度とかはそのままでした。
 部屋の中には囲炉裏が作られ、隅には仏壇もありました。

 過去にも、このブログで会津の風習として「火の用心」という記事を書いたことがあります。
 私の村では、数えで6才になった子ども達が「火の用心」という習字をするのですが、下郷地方では、数え年12才になった子ども達が、12月12日に「十二月十二日」と書く風習があるそうです。
 所変わればというか、土地土地によって様々な風習があるモンですね(苦笑)

 

20081106015  これは、散策の途中で見かけたお店です。
 「三澤屋」さんというのですが、来年はぜひこのお店にも行ってみたいなと (^.^; ポリポリ

 

 実は、このお店はたまたま美味しそうだと感じてそう思ったんですが、帰ってからネットで調べると、大内宿を代表するかなり有名なお店ということがわかりました (;^_^A アセアセ・・・

 私が邪道だと思うねぎ1本で食べる「ねぎそば」も、もちろん扱っていて、その点は他の多くのお店と同じです。
 せっかくですから、今度行った時には、ここで話題の「ねぎそば」を食べてこようかなと (^.^; ポリポリ  
 邪道だとか、口で言うのは簡単なんですが、なんといっても、実際に食べてみないことには評価はできないと思うからです (^^ゞ

 

 今度大内宿に行く時には、駐車場のところへ直接入って行ける抜け道を見つけたので、休日でも渋滞とは無縁で楽しんでこれると思います o(*^▽^*)o~♪
 いわゆる、ジモティの特権というヤツですね (^◇^) 。。。ケラケラ

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2008年11月 5日 (水)

塔のへつり

 先日、会津に帰省した折に、前から一度は行ってみたかった「塔のへつり」に行ってきました。

 

 「塔のへつり」は、福島県の南会津に在る、奇岩で知られる景勝地であり、長年の浸食と風化により特異な断崖を形成しています。
 塔のへつりと呼ばれる場所は、この一帯の河岸約200mほどの事を指していますが、この場所の上流や下流にも、これほどではないにしても似たような岸壁は見られますから、この場所だけが特別というわけではありません。

 塔のへつりの存在は、私も昔から知ってはいましたし、国道からこの観光地へと入っていく入口の前も何度も通ってはいましたから、その気になればいつでも見ることはできたわけですが、私がここを通る時には決まって観光客の車の列がつながっているので、入っていくのが億劫で、いつも国道から車の列を眺めるだけで通り過ぎるのが常で、実際にこの目で見たことはこれまでに一度もありません (^^;

 私が行ったこの日は、帰省初日の11月1日で、塩原温泉郷を通るあたりから降り出した雨は、栃木県と福島県の県境あたりでは土砂降りとなり、観光もためらわれたんですが、南会津町を過ぎ、塔のへつりのある下郷町に近づくあたりになると次第に小降りとなりました(苦笑)

 で、国道から入口の方へ右折すると、雨模様のせいもあったのか、いつもなら長い車の列があるはずなのに、この日に限ってすんなりと駐車場のあたりまで入れてしまいました(笑い)
 こうなると、雨模様の空もまんざら悪いものではないなと (^◇^) 。。。ケラケラ

 駐車場のあたりでは、さすがに少々混雑していましたが、空いているスペースを見つけて車を停めると、もう雨はほとんど気にならないくらいになっていましたヽ(^o^)尸

 

 さぁ、いよいよ初めて見る塔のへつりですヽ(^o^)尸

 「へつり」というのは、地元の方言で「険しい崖」のことを指して言うのだそうですが、私はこの「塔のへつり」でしか耳にしたことはありません。したがって、その意味もよくわからなかったというのが本当のところです (^^;

 これとは別に、大工さんや職工さんの世界で用いられる専門用語に「はつる」とか「へつる」ということばが存在します。
 「はつる」は「削る」と書き、少しずつ削り取る事をいい、「へつる」は「剥る」と書き、やはり少し削って減らすことをいいます。
 この事から、私は「塔のへつり」の事を、浸食によって岩肌が削られた様子を指していて、それが高くそびえている様子をイメージしていました (^^;

 まぁ、当たらずとも遠からずという事で、間違いではないのでしょうが、「へつり」という文字も存在しているとなると、やはり「削る」という意味ではなくて、「険しい崖」という意味が本来のものなのでしょう・・・ (^^;

20081105010  ちなみに「へつり」という文字ですが、機種依存の文字ということでPCの文字の中にはありませんが、左のような文字になります。

 

 以下は、当日撮ったスナップの一部です ( ^-^)/ ♪

 

20081105001 20081105002

 駐車場から、塔のへつりの方へと歩いて下りていったところにある広場です。展望台のあるレストハウスや土産物屋・食事処などが軒を並べていました。

 

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そこから塔のへつりの在る対岸へと渡る吊り橋へと下りていく石段です。
 石段そのものはある程度の巾もあり、中央に手すりも設けられているのですが、別に上り下りの区別があるわけではないので、登る人と下りる人がお互いに邪魔をしあって混雑に輪をかけています。
 人間、誰しもわざわざ遠い方の階段を使おうとは思わないので、手前側の階段にお客さんは集中しますから、なかなかスムースに上り下りをする事ができません。
 こういう場合には、駅の階段などがそうであるように、登りと下りを分ければ済むことで、中央に手すりが設けられているわけですから、どちらかを登り専用、もう一方を下り専用にするべきです。別に、大金がかかるわけでもありませんし、やる気になればすぐにでもできるのに、それをしようとしないのは管理者の怠慢であり、足を運んでくれる観光客に対して失礼でしょう(怒り)
 「右側通行」とかの表示をするだけでも、混雑の具合はぜんぜん違うと思うのですがねぇ・・・

 

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 吊り橋を渡った先の、塔のへつりの醍醐味の部分です。この吊り橋は狭い上に、左右に大~きく揺れて非常にコワイです (^^;
 両側の手すりも膝上くらいまでしかないので、つかまる部分が無く、行き交う人達がすれ違うのに避けあうのですが、橋の端に避けるのはとても恐かったです (__;)
 吊り橋は、揺れるからこその醍醐味であり、楽しみなのかもしれませんが、中には私のように高所恐怖症の人も居るわけですから、多少の配慮も欲しいですねぇ (^.^; ポリポリ
 例えば、同じ吊り橋をもう一つ架けて、一方通行にするとかすればいいと思います。すれ違いが無いだけでも、ずいぶん違うと思うのですが・・・

 

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 吊り橋を渡ったところにある石段を登ると、虚空蔵尊が祀られているところに出ます。
 どうも、このところ、こういう石段に縁があるようで、行く先々で狭くキツイ石段に出会います (^◇^) 。。。ケラケラ
 中は広い洞窟のような穴ぐらになっていて、入ってお参りできるようになっていました。

 

 この「塔のへつり」を訪れて感じた印象ですが、総じて、景観の上にあぐらをかいた殿様商売をしていて、それほど経営努力をしているふうでもなく、格別魅力的な場所でもありません (^^; が、ヒマがあったら見ておいても損はないというか、その程度の場所でしたね (^◇^) 。。。ケラケラ

 改善すべき点は多々あるように思えましたし、私ならこうするのにと思うようなアイディアも無くはありません。
 まず、展望台のあるレストハウスを兼ねた土産物屋のトイレは早急になんとかしないとダメでしょう (ノ_-;)ハア…
 狭い、汚い、レイアウトが悪いと、どうしようもないシロモノです。少なくても、利用者のことを考えているようにはまったく思えません。店の都合だけで仕方なく置かれているだけのオマケの施設です。あんなモノしか用意できないというだけで、客商売をする心構えが全く無いと思えてなりません(怒り)

 

 現状ではおそらく、リピーターはまず無いと思いますね。
 ここを訪れた多くのお客さんは、たいてい失望観を抱えて帰って行くのではないでしょうか・・・ (__;)

 私は、いちいち腹が立って仕方がありませんでしたよ・・・ q(`o')ブー!!

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2008年11月 4日 (火)

会津帰省記 08霜月編

 この連休を利用して、彼女と一緒に会津の実家に帰省してきました ( ^-^)/ ♪

 私は、GWとお盆の休みを利用して毎年2回は必ず会津に帰省することにしているのですが、雪が降る直前のこの時期にも、できれば一度会津に帰ることにしています。
 雪が積もってしまうと、実家のある山村につながる道路のほとんどが冬期閉鎖になってしまい、金山回りのルートでしか村に入ることができないので、雪が溶けて閉鎖が解除されるGWまで、約半年間近づくことができなくなってしまうため、可能な限り日程や仕事をやりくりをして行くことにしています。

 ただ、この時期はいつ雪が降ってきてもおかしくないので、今月も月末にもう一度連休がありますが、このあたりだと帰省できるか不安だったので、早めに帰省することにしました (^^)v
 実際に、昨年は雪の降り出しが早かったために、この時期の帰省は断念しましたから・・・ (^^;

 それに、今回の帰省にはもう一つ、彼女と二人で帰省して、両親に会わせておきたいという思惑もあったものですから・・・ (^.^; ポリポリ
 お盆に帰省した時に一度、両親に会ってもらった事がありますが、あの時には会津若松のホテルに泊まったので、実家に泊まってもらうのは今回が初めてのことになります (^^)v

 

20081104001 20081104002

 

 1日の早朝に彼女の自宅を出発し、外環道と東北道を乗り継いで実家を目指します。
 紅葉のシーズンですから、途中の道路もある程度混むのかなとも思っていたんですが、それほどでもなく、案外スムースに会津に着きましたヽ(^o^)尸

 その後、会津の観光スポットでもある「塔のへつり」「大内宿」にそれぞれ立ち寄ってから、実家に着いたのが17時頃・・・
 もっと早く着ける予定だったのですが、「大内宿」に向かう道路が想像以上に混んでいて、1時間近くも渋滞の中で身動きできなかったからです (^.^; ポリポリ
 このあたりの件は、後日記事にして語ってみたいと思います(苦笑)

 実家では、彼女のキビキビとした立ち居振る舞いに両親ともに感激していました(笑い)
 彼女のおかげで、親不孝で心配をかけ通しだった私の株も、少しは上がったのかな (^◇^) 。。。ケラケラ
 もっとも、歓迎されたのは彼女の方だけで、私に関してはそれほどでもなかったのかも・・・ (^^;
 甲斐甲斐しく家事を手伝ってくれていた彼女に対して、私は何もせずにコタツに座っていただけですから、ムリもないことですが・・・ (^.^; ポリポリ

 

 翌2日は、朝から全日本大学駅伝をテレビ観戦して、その後友人達との宴会のために若松市内のホテルにチェックイン・・・
 今回は、こやなぎ名人のお勧めもあって、中町のフジグランドホテルに決めました (^_^)V。
 このホテルについても、後日記事にしてみたいと思いますが、メチャンコ気に入りましたヽ(^o^)尸
 至れり尽くせりの心配りと設備で大満足です。さすがに、旅慣れている名人の御用達のビジネスホテルだけの事はあります(笑い)

 酒席は7時からという事で、少し前にホテルを出て、勝手知ったる通りを歩いてお店に向かいます。
 「串ぜん」というそのお店は、このGWにも一度このメンバーで入った事があり、すぐに見つかりまして、二人でいざお店の中へ・・・
 予約を入れておいてくれたのですぐに座敷の方に案内して頂きましたが、お店の中はすでに満席で、賑わっている様子が伺えます。このお店はお勧めですねヽ(^o^)尸

 旧友達としばらく飲んで食べて盛り上がった後は、お決まりのカラオケへ(苦笑)
 ここでも大いに盛り上がり、日付が変わる頃にようやくお開きに・・・

 いやぁ、とても楽しかったです ヽ(^◇^*)/
 セッティングをしてくれたB氏、仕事を終えて駆けつけてくれたY氏、カラオケから合流してくれたM氏、いつも私のことを気遣ってくれてありがとね~ o(*^▽^*)o~♪
 また、来年のGWに飲みましょうヽ(^o^)尸

 

 連休最終日の3日は、11時にチェックアウトした後、新しく開通した甲子道路を通って白河方面に抜け、国道4号線で関東に向かい、途中から常磐道と外環道を通って彼女を自宅に送り届け、私の役目は無事終了、満足して帰宅しました (^^)v

 

 以上、とても楽しくて、有意義な連休となりました。

 なお、写真は、自宅前から見た山並みと、実家から会津若松へと向かう途中で通った博士峠付近の紅葉の様子です (^^)v

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2008年11月 3日 (月)

東北一周

 昨日、サイクリングの記事を書いたので、今日はその続きでもさせて頂こうかと・・・ (^^;

 

 当時、自転車に乗ってどこか遠くへ出かけてみたくて、中学生の頃はよく村のあちこちへ買ってもらったスポーツ車で出かけていきました。

 そんな事を繰り返しているうちに、次第に遠くへ、遠くへという思いがつのり、やがて村の外までへも出かけて行くようになります。
 この頃は、隣町の金山町とか田島町(現南会津町)とかへは、買い物目的で何度か出かけたことがあります。

 

 そして、中学校3年の時の夏休み、私はかねてから計画していたロングツーリングに出かけることにしたわけです。

 気心の知れた友人と二人で、「東北一周」という遠大な目標を持って、しかしほとんど無計画のまま村を後にしました(苦笑)

 

20081103001

 

 目標は決めていましたが、コースとか日程とかは特に決めていたわけではありません。
 根がいい加減な私は、行き当たりばったりで行動することが多いのはいつものことで、今も昔もそのヘンは変わりませんねぇ (^◇^) 。。。ケラケラ

 上が、実際に走ったルートなんですが、出発する前の漠然としたイメージでは、国道13号線を使って北に行けるだけ行って、そこから国道4号線あたりを使って帰ってこようかなと・・・ (^.^; ポリポリ

 村を出るだけでも、高い山の峠越えが待っていますから、自転車でとなるとたいへんな事で、今は車でアッという間に会津若松に着きますし、峠の道も信じられないくらい整備されていますが、30年以上も昔だと、舗装されている道はほとんどありませんし、そこを自転車で走るなんて無謀も無謀、今では考えられない無茶をしたものだと思いますねぇ (^_^ゞポリポリ

 

 で、初日は、会津若松と喜多方の中間辺りまでたどり着いたので、そこで泊まることにしました (^^;

 国道から見えた小さな神社に勝手に上がり込んで、そこで寝ることにしたんですが、境内で火を起こして炊事をしていると、近所の人が訝かしんでやって来まして、何をしているんだと・・・ (^^;
 事情を話すと、夕飯の差し入れとかしてくれて、帰り際に火の後始末だけはしっかりしておくようにと言い残していかれました。

 当時は、このように人間関係にもどことなく、ほのぼのとしたおおらかなところがあって、優しい人達が多かったように思います。
 今なら、よそ者が神社で火なんか焚いていたら、不審者扱いをされて、パトカーがやってくるような事態になっていたかもしれません・・・ (^^;

 

 二日目は、喜多方から大峠を越えて山形県の米沢に抜けました。

 この道路も国道とは名ばかりで、今でこそ大きなトンネルがいくつもできて、米沢へも簡単に行けるようになりましたが、当時は険しい山道があるだけでした。
 そこを自転車で越えるわけですから、メチャクチャたいへんです。
 途中でへばって休んでいると、通りかかったダンプのおじさんが自転車を荷台に積んでくれ、峠まで乗せていってくれました (^^ゞ
 おかげで、だいぶ時間を節約できたので、国道13号線で上山市まで行って、そこで泊まりました。
 この日は、国道沿いの大きなお寺にワケを話して泊めて頂きました。
 この日も、住職から夕飯にいろいろと差し入れをして頂きました (^_^ゞポリポリ

 

 三日目は、山形~天童~尾花沢~新庄と、国道13号線をひたすら北上し、秋田県との県境にある雄勝峠を越えたところにあった神社に上がり込んで寝ました。

 この付近には民家は無かったので、差し入れも無く (^^; 、疲れて泥のように眠った記憶があります。

 

 翌、4日目は朝から雨が降っていまして、雨の中を走るだけの気力は持ち合わせていない軟弱者だったので、それまでの疲れもあって午前中は神社の中で様子を見ることにしました (^^;

 しかし、いっこうに止む気配もなく、何も無い神社の中も退屈になってきたので、お昼頃に出発することにしたんですが、雨の中をこれ以上先に進む気力はなく、ここから引き返すことにしました(笑い)

 で、いったん新庄まで戻って、そこから国道47号線と345号線で鶴岡を目指しました。
 しかし、悪いことは重なるもので、新庄を過ぎたあたりで私の自転車の後輪がパンクしてしまいます (^^;

 泣き面に蜂というか、雨の中でパンク修理をしても、糊が乾かないのではないかということもあり、メンドウ臭かったので、予備のチューブと交換することにしたんですが、これが失敗のモトでした (^^;
 前輪なら難しい構造でもないので、外すことは簡単なのですが、後輪となるとそうはいきません。
 変速ギアやらチェーンやらと、ワケのわからないものが複雑に付いていて、タイヤを外すだけでも一苦労です。
 やっと外したタイヤからチューブを引っ張り出して、新しいチューブと交換して組み立て直したんですが、これがうまくいかなかったようで、思ったようには走ってくれなくなりました (^^;
 とにかくタイヤがスムースに回ってくれず、車体がとても重いんですよ (^^;
 それでも、なんとか騙し騙し走り続けたんですが、そのうちに今度は後輪が回転しなくなってしまいました (^^;
 こうなるともうお手上げです。暗くなってきた道を自転車を引きずりながら自転車屋さんを探して飛び込みました。
 お店のおじさんは手慣れたもので、ワケもなく治してくれましたっけ(苦笑)

 そんなこんなで、その夜はどこかの大きな橋の下で寝ました (^^;
 初めて建物ではないところで野宿をしたんですが、雨は凌げるものの、ヤブ蚊がひどくてほとんど寝ることはできなかった記憶があります(笑い)

 

 5日目は、雨は上がっていたように記憶しています。
 主に国道7号線を南下して新潟を目指しました。

 日本海を見たのは、この時が初めてだったと思います。走りやすい道路で、新発田から安田を目指した辺りで日が暮れたんだったかな (^^ゞ
 で、どこかの材木置き場のようなところを見つけたので、勝手にもぐり込んで寝ました (^^;

 

 6日目は、国道49号線で会津を目指しました。

 この頃になると、すっかり疲れきっていて、お互いに口をきく気力もなくなり、スプライトのホームサイズ(500ml)をラッパ飲みしながら、黙々とペダルをこいだ記憶があります・・・

 福島県との県境にある大きなトンネルをくぐる前に、道端にあった公衆電話BOXからお互いに自宅へと電話をかけて、今日帰るという事を伝えました (^.^; ポリポリ

 西会津からは、国道400号線、国道252号線と走りついで、金山町経由で実家に戻ってきたんですが、もう、精も根も尽き果てたって感じで、風呂に入ってそのまま寝てしまいました (^_^ゞポリポリ

 

 以上、6日間の忘れがたい東北一周もどきの思い出です(笑い)

 東北一周はなりませんでしたが、もし4日目に雨が降らなかったら、秋田の先へとさらにペダルをこいでいたはずなので、そうなったら無事に家まで戻って来れたかどうか・・・ (^^;

 もしかしたら、体力が尽きてどこかで遭難していたかもしれないと思うと、あそこで半日間身体を休め、なおかつ引き返して正解だったんだと思えなくもありません(苦笑)
 なにしろ、ツーリングの間、マトモなモノは食べていませんし風呂にも入っていませんから、身体を壊したってなんら不思議でないわけで (^.^; ポリポリ

 

 まったく、若い頃は無茶を無茶とも思わないで、平気でバカをやれたなぁと、今振り返ると恐いです (^_^;

 おかげで、愛車は帰って来て間もなく、ガタが来て壊れてしまいました (^^;
 それでも、サイクリングの途中で壊れなくて、本当に良かったなと (^◇^) 。。。ケラケラ

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2008年11月 2日 (日)

サイクリング

 最近、ネッ友さんのブログで、サイクリングにはまっているという記事を目にしました。
 単に、自転車で走り回るだけではなく、専用の自転車まで購入したという事で・・・ヽ(^o^)尸

 

 思えば、30年以上も前の事、私が中学生だった頃にサイクリングが大ブームになった事がありました。
 70年代は、様々な雑誌とか、マンガや歌謡曲の中にまでサイクリングを題材として取り上げるものもあったくらいです。

 

   20081102001

 

 私自身も、「サイクルスポーツ」なんて雑誌を時々購入したり、少年キングで連載されていた「サイクル野郎」なんてマンガを真剣に読んでいたこともあります。
 雑誌やマンガを読みながら、あれこれと夢を膨らませるのが楽しみでした。

 しかし、当時でもサイクリング専用の自転車はとても高価でしたから、私が乗っていたのは、やっと買ってもらったミヤタのスポーツ車と呼ばれる普通の自転車で、下の写真のようなタイプのものでした (^^ゞ

 もちろん、ハンドルはごく普通のタイプで、ドロップハンドルなんて夢のまた夢でした・・・

 

20081102002_2 20081102003_2

 

 ただ、この頃流行だった「電子フラッシャー」というデカイ方向指示器が付いたハデな自転車をねだって買ってもらった記憶があります (^.^ゞポリポリ
 こんなモノ、動作させるためには電池をたくさん入れなければならないわけで、その分車体は重くなるわ邪魔だわで、その後は見かけなくなりましたが、当時は多くの子ども達がこの電子フラッシャー搭載のスポーツ車に乗っていたものです。
 今思えば、幼い子ども達が仮面ライダーのバイクに似せたオモチャの自転車に乗りたがるような、そんな感じだったんじゃないかと思います(爆笑)

 写真は、いずれもネットで探したものなので、私が乗っていたものとは違いますが、当たらずとも遠からずということで、感じはおわかり頂けるでしょうか・・・

 

 私の生まれ育った山村は、狭いながらもそれぞれの部落間はけっこう離れているので、友達の家に遊びに行くとなるとどうしても自転車が必要になるわけで、小学生の頃から、年がら年中サイクリングをしているような状態でした(笑い)

 私は村の中心部で育ったので、学校へ行くには徒歩でしたが、中学生になると周辺の部落からは、自転車に乗って中学校へ通うのが一般的でした。
 だから、中学生になると新品の自転車を買ってもらうのが入学お祝いの定番でしたね (^^)v

 私の場合は、学校の近くに住んでいるので、自転車通学は認められてはいませんでしたが、札付きの不良でしたから、そんなのはお構いなしで、中学校へはいつも自転車で通っていました (^^ゞ
 で、先生に見つかるとひっぱたかれるワケで(爆笑)
 それがいやなので、たいていは学校の近くの同級生の家に置かせてもらっていましたよ (^^;

 

 この当時、週一のクラブ活動として私が入っていたのが「サイクリングクラブ」でした(爆笑)
 課外活動として毎日行なう部活動とは違って、クラブ活動はあくまでも授業の一環なので、必ず何かのクラブに入らなければならない必修科目でした。

 クラブ活動とはいっても、このサイクリングクラブは、授業時間の1時限を使って村のあちこちを走り回るだけの、ほとんど遊び同然のものでしたが・・・ (^^;
 ただ、このクラブがある日だけは、授業で使うので学校公認で自転車で通学できました(笑い)

 

20081102004  左の写真は、中学三年生の時のもので、中央の黒い学ランを着ているのが私です (^_^ゞポリポリ
 もう、35年も前の事になるんですね (^◇^) 。。。ケラケラ

 これは、クラブで近くの畑まで土器を拾いに行った時のものだったと記憶しています。もちろん、それはタテマエですが (^_^ゞポリポリ

 当時の自転車も写っていますが、記憶ははっきりしないのですが、私のものではなく、部員の誰かのものだったと思います。

 

 今は、当時と違って車の数もぜんぜん違いますから、サイクリングも難しくなっているんじゃないでしょうか・・・
 反面、道路は当時とは比較にならないくらい立派なものになってはいますが・・・

 もちろん私も、サイクリングはこの頃以来ずっとやっていませんね (^_^ゞポリポリ

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2008年11月 1日 (土)

箱根山

20081029001

 

 これは、世の中にはさまざまな立場の人がいて、それぞれがそれぞれの役割を果たすことによって社会は成り立っているという事の喩えとして、良く言われることばです。

 

 この社会には、駕篭に乗って運ばれる社会的地位の高い人や、お金持ちの人がいる一方で、その駕篭を担いで運ぶ人も居ますし、さらに、その駕篭屋が足に履くワラジを作る人も存在します。

 それぞれがそれぞれの仕事をしているから、社会は上手く回っていくわけで、駕篭屋は裸足では仕事になりませんから、どうしてもワラジを作ってくれる人が必要になります。
 また、駕篭屋は駕篭に乗ってくれる人が居なければ商売になりませんから、お金を出して駕篭に乗ってくれる人がどうしても必要になります。

 だからといって、駕篭屋より駕篭に乗る人が偉いというわけでもありませんし、ワラジを作っている人が駕篭屋と比べて見劣りするような仕事をしているわけでもありません。

 ワラジを作っている人にとっては、仕事で履き潰して何足も何足もワラジを買ってくれる駕篭屋は、いいお客さんということになりますし、駕篭屋にとっては、高いお金を払って駕篭に乗ってくれる人は大切なお客さんということになります。
 お互いに、持ちつ持たれつしながら社会が成り立っているということを考えれば、どっちがエライとか立場が上とかを考えることは空しいというか愚かというか・・・

 

 また、このことばは、人間はどんな人であろうと一人で生きていくことはできない。
 お互いに支え合い、助け合って生きているんだという事を言い表していることばでもありますね (^^)v

 今自分が着ている服や、今日食べたもの、住んでいる家、等等・・・
 どれ一つとっても自分が創り出したものなんてほとんど無いんじゃないのかな・・・

 逆に、自分も知らないところできっと誰かの役に立っていると思えれば、毎日毎日同じようなことの繰り返しに思える日常でも、やりがいというか生きがいというか、そういう幸せや喜びを感じることができるんじゃないでしょうか・・・

 

 

 ・・・ということで、私は今日から三日間、会津の実家に帰省します ( ^-^)/ ♪
 今頃は、会津に向かう車の中でしょうか (^_^ゞポリポリ

 連休が明けるまで、皆さんのブログ等へもお邪魔できなくなりますが、悪しからず・・・ m(_ _)m

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