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2009年1月29日 (木)

パフォーマンス

 昨年の大阪場所で、朝青龍が優勝した時、つまり、前回朝青龍が優勝した時の事ですが、両手を挙げて花道を下がっていくパフォーマンスが問題視されたことがありました。
 その時に書いた記事も「パフォーマンス」というタイトルで、私なりの持論を述べさせていただきました。

 

 今回の初場所で優勝した時にも、朝青龍は土俵上でガッツポーズやバンザイをして喜びを爆発させたことに横審達が物言いをつけたと報じられた。
 5場所ぶりの復活優勝を高く評価した横審だが、横綱としての品格が欠如した行為を強く批判する意見も続出したという・・・
 「優勝した瞬間のガッツポーズなどはいかがなものか。伝統ある相撲の場所でのパフォーマンスを問題とする指摘があった」と、海老沢勝二委員長を始め、強硬な意見が続出し、厳重注意する構えらしい・・・ (^^;

 

 全く、今の協会のボンクラどもや、横審達の石頭どもには困ったもんだと思います (ノ_-;)ハア…

 

 型破りの横綱として、常に言動が物議をかもし出す朝青龍を始め、いつもヘラヘラと笑っている把瑠都に、力士としての自覚が足りないなどの、外国人力士達に対しての風当たりは強い。
 その時にきまって言われることばが、「礼に始まり、礼に終わる」「勝っておごらず、負けて腐らず」など、負けた相手を思いやる「礼節」を重んじる大相撲の「伝統」だ。

 一応、なるほどとも思えなくもないが、私はこの考えは根本的に間違っていると思います

 

 朝青龍や把瑠都などの外国人力士達は、相撲を取るために角界に入門したのであって、日本人になるために入門したわけではありません。
 そんな彼らに対して、どうして日本人の「心」を押しつける必要があるのでしょう・・・
 逆に、外国人力士達に対して、彼等の文化をリスペクトすることも大切なんじゃないか、私はそんなふうに思っています。

 日本人達だけで大相撲をやっているのなら、協会や横審達の言うことももっともであり、そうするべきだと私も思いますが、海外スカウトを積極的に行なうなど、次から次に外国人力士達を角界に参入させてきたのは他ならぬ角界の方だったわけです。
 高見山とか、小錦とか、そういう一握りの外国人力士が居た20~30年前とは事情は大きく違ってきているんですよ。
 すでに、外国勢の数は膨大な数になっており、初場所では幕内に14人、十両に4人と、土俵上には次から次に外国人力士達が上がり、取り組みが繰り広げられる状況です。それなのに、いつまで経っても旧態依然とした角界の「常識」や「伝統」を彼等に押しつけるというのは、言語道断だと私は思いますねぇ q(`o')ブー!!

 

 たとえば、柔道が世界進出を目指したために、カラーの道着が導入されたり、ルールがどんどん変わっていったりと、関係者の思惑を余所に本来の柔道とは似て非なるものになってしまい、JUDOに変貌を遂げてしまったように、大相撲も時代に即して柔軟に変わっていかなければダメだと私は思いますよ。

 取り組みに勝ってガッツポーズをするくらいの事の、どこがいけないんでしょうね(笑い)
 今の世の中、そのくらいのパフォーマンスは、どこの世界でも当たり前じゃないですか。
 先の記事でも述べましたが、あのろくでなしの高野連でさえ、最近ではプレー中のガッツポーズは黙認しているご時勢なんですよ(苦笑)

 いつまでも、そういう「つまらないこと」にこだわっているからファンはどんどん離れていくんですよ。
 今さら、角界の伝統だの、日本人の心だのを外国人力士達に語ったところで、遅すぎるというか、空しいだけでしょう・・・

 「伝統」だとか「品格」だとか、お題目は立派ですが、結局のところ、協会側の思い通りにならない力士が居ると扱いにくくてしょうがないから、枠の中に押し込んで、そこから出る事のないように手枷足枷をはめたいだけなんだと思います。
 はみ出したものは、過去の北尾(双羽黒)のように、協会に都合のいい理由をつけて、廃業という形で角界から放り出すのが大相撲の世界の伝統です(爆笑)
 いかにも、右に倣えに代表されるように、他人と違う事をするのを極端に嫌う日本人らしい考え方といえば言えなくもありません(笑い)

 「力士としての品格」だとか、「日本人としての心」だとか、そういう事を本気で言いたいのなら、外国人力士達を全て排除してから語るのが筋だと私は思います。
 外国人力士達が居る中で、そういう事を押しつけるのであれば、やはり彼らの文化に対しての専横であり、冒涜行為だと私は思いますよ。

 

 中には、白鳳のように、品行方正な外国人力士も居るわけで、協会としては「白鳳はチャンとやっているじゃないか、どうしてオマエ等はできないんだ」と言いたいんでしょうが、私はむしろ白鳳の方が例外的なんだと思っています。
 白鳳がそうだからといって、全ての外国人力士達に白鳳と同じようにしろというのはムリがあると思いますよ。

 彼等外国人力士達にとって大事な事は、勝って成績を上げ、大金を得る事。つまり、どんな事をして勝っても1勝は1勝であり、そのためには角界で言うところの非常識な作戦も、反則でない限りなんでもアリというのが、合理的に物事を考える彼等にとっての常識であり、セオリーなわけですから、そういう人達に向かって、やれ作法がどうのとか、心がどうのとかいったって、所詮ムリがあるでしょ(笑い)

 先にも述べましたが、彼等は、相撲レスラーですから、相撲を取って勝つ事によって生計を立てている出稼ぎ人なんですよね。
そういう意味では、プロレスであろうがK-1であろうが、彼等にとっては本質的な違いはないわけで、それがたまたま大相撲であったというだけの事でしかありません。
 関取になったからといって、将来日本国籍を取り、引退後は親方になって協会に残ろうなんて殊勝な考えの外国人力士は、居ないんですよ(笑い)
 結局は、現役でいる間だけの仮の姿でしかないわけで、大相撲は単なるビジネスの場でしかないんですよ。

 だから、外国人力士達には彼等なりの「志」とか「文化」とかがあるわけで、協会側の都合でそれらをあらためろというのは、無茶というか、人権侵害だとさえ私は思うんですよね。
 むしろ、角界の方で、もっと外国人力士達の文化を尊重して、彼等をリスペクトするように、歩み寄るべきです。

 

 朝青龍の大仰なパフォーマンスは、自分のためにやっているというよりも、むしろ観客に対してのファンサービスであり、それが彼のキャラクターなんだと私は思いますよ。
 第一、品行方正な朝青龍なんて、どこに魅力があるのよ (^◇^) 。。。ケラケラ

 いつまでも、角界のボンクラどもや石頭どもに、こんなバカバカしい事を、もっともらしい顔をして言わせておいてはいけません!
 私は、強くそう思いますねぇ・・・

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コメント

こんにちは何時もどうもです(^o^)/

御意見はよくわかりますが、私のような
昔人間には古臭い考えも抜けないのです。

>関取になったからといって、将来日本国籍を取り、引退後は親方になって協会に残ろうなんて殊勝な考えの外国人力士は、居ないんですよ(笑い)
 結局は、現役でいる間だけの仮の姿でしかないわけで、大相撲は単なるビジネスの場でしかないんですよ。

そんなことは有りません。旭天鵬は日本に帰化していますし、将来大島親方に
なることが、約束されています。白鵬だって将来は親方として部屋を持つでしょう。
武蔵丸だって親方として協会に残っています。今後も結構、相撲界に残る人は
出ると思います。


投稿: 偏屈オヤジ | 2009年1月29日 (木) 11:05

 偏屈オヤジさん、どうもです (^_^)/

 ことばが足りませんでしたが、そうやって親方になろうとする外国人力士達は、自ら角界に溶け込もうとしています。だから放っておいても問題などほとんど起こさないのですよ。

 翻って、朝青龍ですが、角界に残ろうと思っていると思いますか?
 全くそういう気持ちは無いから、自分を偽らず、自分のしたい事をしているわけで、そういう人に向かって品格云々を説いたところで馬耳東風なわけですよ。
 問題は、そういう異端児を角界の枠に押し込めようとする事で、そういう事はあらためていくべきだというのが今日の記事の趣旨です (^^)v

 どうせ、現役の期間などタカがしれています。角界に残るつもりのない外国人力士達には、好きなようにやらせてもいいんじゃないかな。
 せっかく個性的な外国人力士が居るわけですから、のびのびやらせた方が大相撲はおもしろいと思いますよ。

投稿: 夢ピ | 2009年1月29日 (木) 11:29

朝青龍のガッツポーズ(特に今回のもの)はパフォーマンスというよりも気持ちがそのまま表に出ただけだと思います。

高見盛の気合入れや北桜の塩撒き。
こっちが問題視されないのは何故?
日本人だから?
こっちのほうがよっぽどパフォーマンスとして意識的にやっている気がするのですが…

>品行方正な朝青龍なんて、どこに魅力があるのよ

これは全くその通りだと思います。
力士が全員優等生になったら多分、チケット捌けなくなると思います。

投稿: 丈ムー | 2009年1月29日 (木) 23:46

ぼく大相撲がプロ興業である以上、節度がある範囲での、ショービジネスはありだという考えです。というわけでゆめさんに同感です。
これは朝青龍が好きだとか、嫌いだとかいう以前の問題で、そこがごっちゃになっている日本の議論って、ばかばかしいと思っちゃうんだよな。

投稿: むうさん | 2009年1月30日 (金) 00:28

 丈ムーさん、どうもです (^_^)/

 高見盛や北桜、それに朝青龍なんかの、個性豊かな力士達が居た方が土俵は盛り上がっていいと私なんかは思っています。

 武蔵川理事長なんかのコメントを新聞報道なんかで見るにつけ、どうあっても朝青龍は辞めさせたくて仕方がないんだなと思えてなりません。
 協会や横審の考えは、始めに引退ありきなので、あれじゃ朝青龍が気の毒ですよ (^^;

投稿: 夢ピ | 2009年1月30日 (金) 01:14

 むうさん、どうもです (^_^)/

 私は、2年前からアンチ朝青龍ですが、好き嫌いは別にして、協会の考え方に納得いきません。
 私は、千秋楽の朝青龍の言動にはなんの問題もないと思っています。
 どうでもいい事を大げさに騒ぐ事で、自らの存在をアピールしているんじゃないかとさえ思えなくもありません。
 それこそが品格のないパフォーマンスですよ(苦笑)

投稿: 夢ピ | 2009年1月30日 (金) 01:19

>角界の方で、もっと外国人力士達の文化を尊重して、彼等をリスペクトするように、歩み寄るべきです。

 私は逆の意見ですね。

 外国人力士の方こそもっと勉強しろと。

 勿論、親方も協会ももっと教育に本腰を入れないといけません。

 また、相撲はスポーツではなく、国技であり、横綱は幕内力士と同等ではないと思っています。

 ああいうのは長期的に見ればかなりのマイナスです。したがって、横審の指弾は至極尤もなことだと思います。その前に理事長がしっかりしたコメントを出すべきでした。

投稿: ナンカイです。 | 2009年1月31日 (土) 13:06

 ナンカイさん、どうもです (^ ^)/

 いろいろな考えがあっていいと思います。
 私も、大相撲はスポーツではないというスタンスですし、横綱は番付上の地位のことではないという考えを持っています。
 郷に入ったら郷に従うべきだという意見ももちろんありますが、私はもうそろそろ角界は変わっていくべきだという考えでいます。
 残すべきところはしっかり残した上で、変えてもいいところはどんどん変えていくべきだと・・・

 髷なんて無意味なものは、すぐにでも廃止していいと私は思いますねぇ(笑い)

投稿: 夢ピ | 2009年1月31日 (土) 15:26

激しく感動しました('∀ 

私も協会側の恐怖政治(言い過ぎかも)にはハラワタが煮え繰り返る思いでした。 

外国人力士に日本人の文化やしきたりを、無理矢理叩き込むような独裁的考えは納得いきません!。 


おかげでスッキリしました、毎日この日記を見るのが今一番の楽しみです

投稿: BBガンツ | 2009年2月 9日 (月) 19:18

 BBガンツさん、初めまして (^_^)/

 私のブログは、かなり偏った見方をした記事が多いので、あまり参考にはならないかもしれませんが、中にはこういう事を考えている人間も居るということで (^.^; ポリポリ

 大勢に流されるのが嫌な、へそ曲がりなだけという声もありますが(苦笑)

投稿: 夢ピ | 2009年2月 9日 (月) 20:17

すみません、つい連続でコメントします。
はじめましてなのに、厚かましくコメントします。
私も外国人力士について、夢さんに同意です。

確かに教育もすべきでしょうが、それももっと深いところから行うべきでしょう。例えば、手水など、日本人は水が清らかなものというのは当たり前だと思っていますが、外国のそれもモンゴルみたいな乾燥地域では違うかもしれません。少なくとも、日本のように雨が多く、しかも国土の背骨に山脈があって川が一気に流れるのが普通の国は極めて稀です。
だから、そういう風土、習慣、風物への感覚も含めて外国人にわかってもらうのは容易なことではありません。だいたい、相撲協会自身、日本の風土の特異性を理解していないと思います。
そして、私は大学で働いているから新入学生への視点と重なるのですが、「外国人力士に何を期待しているか」も表明すべきだと思う。つまり、日本人だけでは相撲の面白さを提供できなくなったから外国人が必要なのです。
「教育すべき」とか欠落のある存在とばかり見なすのは間違いです。
大相撲は芸能的なオモシロさと格闘技の暴力性の両方がなければ死んでしまう。生き生きとした相撲のために、親方連中は外国人を入れているのでしょう。
夢さんがおっしゃっているように、外国人力士はもう70人近くいて、53ある相撲部屋の26は外国人力士が部屋頭です。彼らの貢献を認めるべきです。

投稿: ふじこ丸 | 2009年2月 9日 (月) 20:20

 ふじこ丸さん、どうもです (^_^)/

 外国人力士達へのリスペクトは、あってしかるべきだと私も思います。
 朝青龍なんか、今でこそいろいろとバッシングされていますが、一人横綱だった頃はけっこう持ち上げていた人も多かったはずです。
 あの頃、彼が一人で大相撲の屋台骨を支えていたことを忘れてはなりません。
 貢献度を考えたら、一代年寄りを贈ってもいいくらいだと私は思いますよ。

投稿: 夢ピ | 2009年2月 9日 (月) 20:52

まったく同感

そもそも相撲ってのは「興行」なんだし、その生い立ちを見れば「伝統」だの「文化」だのってのは笑わずにはいられませんわ。
土俵入りだって、弓取り式だって、興行としての華を添えるために歌舞伎や地方芸能を取り入れただけだし。

話は変わるけれども、以前、スノボの仲間で会社主催の大会(競技会)を開催しようと画策したことがあるんだ。
会社の中にスポーツを通じての体力、健康増進って目的で文化会という組織があって、野球やバレー、バスケ、柔剣道に囲碁将棋まで、幅広く金銭面含めて支援しているんだけど。
その申請に行ったときに、会社の意向としては「スキー部の大会と併設ならOK」(スキー部は毎年ゲレンデ借り切って大会やってるのね)ということなので、スキー部と交渉したら「我々が連綿と築いてきた伝統と文化に、スノボなんてアソビを混ぜるわけにはいかない」と一蹴され、その後、何度も交渉したけども聞く耳もってくれなかったな。

要は、そこの世界に染まり、そこの世界を自己のアイデンティティとしている者には、それが少しでも崩れることをよしとしないんだ。
自分の基盤、よりどころが脅かされるのを容認できないんだよね。
大相撲も同じだと思うんだな。

過去、高見山が入門してから幕内に上がり、三役になるってときでもモメにモメたよね。
伝統ある巨人軍に外国人が入るってときでもそう。
「伝統」と「文化」を語る輩に限って排他的なんだよなあ。

たくさんのお客さんに来てもらう、いろんな人にいろんなカタチで楽しんでもらう、そういう発想も持ってもらいたい。

ただね、興行といえど技術を競い合うスポーツの世界であるけども、先輩・後輩のけじめ、実績ある人への尊敬の念、相手の技術への評価といったものは忘れちゃあいけないと思う次第です。

投稿: からころん♪ | 2009年3月19日 (木) 13:37

 私も、まったくもってパパさんのご意見に賛成ですね。
 誰のための大相撲なのか、何のための興業なのか、その辺を考えれば答えは自ずと出ると思うんですが。

投稿: 夢ピ | 2009年3月19日 (木) 19:53

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