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2009年2月22日 (日)

下山

20090220001  五木寛之氏の著書に、「人間の覚悟」という作品があります。

 その中に「下山の哲学を持つ」という章があって、なかなか考えさせられる事が書かれています。

 

 一部を引用させて頂くと・・・

 

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 「登山」という言葉を聞くと、私はいつも不完全な言葉のような気がします。なぜなら、登山した人は必ず下山をします。登ったきりで終わるわけではなく、山登りには必ず山下りというのがあって、登山に成功したなら今度は安全に下界までたどりついてはじめて「登山が成功」したことになるからです。

 登頂することだけが登山の目標ではない。きちんと安全かつ優雅に山を下っていくことが、人間にとって大切なのだと私は思います。

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 これは、当たり前の事を言っているだけではありますが、目からウロコという人も多いと思います。
 「登山」というと、人はどうしても山に登ることを目標としがちであり、登ったら山頂でしばし休憩し、記念写真を撮って目的を果たしたような気分になりがちだからです。

 その後に待っているはずの「下山」については、なんとなくオマケみたいな認識しか持ってもらえず、山を下るだけだから「楽」な事だと勘違いしている方も多い・・・

 

 今の私は運動などとはほど遠い生活をしていますが、高校生の時には山岳部に在籍していました (^_^ゞポリポリ
 高校生ですから、それほど本格的な山行とか岩登りとかはしたことがありませんが、2~3泊で喜多方周辺の山々に登ってテントを設営し、生活したことは何度かあります。
 そこでの体験からいうと、確かに「山登り」は肉体的にもキツイです。しかし、登ることだけなら素人でも休み休しながら登ることは可能です。

 それに反して「下山」はテクニックが必要で、見た目ほど簡単で単純なモノではないということです。
 ハイキングなどで利用されるような、比較的低くなだらかな山でさえ、しっかりした装備を怠り、下りのテクニックを知らない素人の方が我流で下ると、膝を痛めてしまう危険性が指摘されています。

 登山でなくても、足の悪い方にとっては、階段の上り下りは、登ることよりも下りることの方がはるかにたいへんで危険な行為となります。

 

 冒険家として名高い植村直己氏は、アラスカでマッキンリーの厳冬期単独登頂に挑み、途中で行方不明となった後、山頂で手を振る姿が小型飛行機から確認されたものの、現在に至るもその姿は発見されてはいない。
 おそらく下山途中で遭難したのだろうと推測されますが、この例に限らず登頂に成功したものの、下山の途中で遭難したパーティは少なくないと思います。

 

 このように、「登山」ということばには、「登る」だけではなく、「下る」事もセットになっているという事を忘れてはなりません。


 無事に麓まで下山してこそ「登山」は成功したと言えるわけです。

 

 さらに、五木氏は「下山」を人生に例えて次のように述べています。

 

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 (中略)人生百年という今の時代でいうなら、五十歳くらいまでに山を登りつめたなら、そこで十年くらいは頂上にとどまったとしても、それから先は六十歳からの長い下山をはじめないといけないわけです。

(中略)下山は決して寂しく惨めなことではないし、穏やかで豊穣で、それまでの知識や情報では及びもつかなかったような知恵にふれる、そういう期間であるはずです。山を下りるその時は疲れているだろうと思いますが、その疲れは人生の正しい疲れであって、ひたすら上を目指して競争している間は、気がつかなかったことが感じられる。

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 ここに、氏ならではの「下山の哲学」があります。

 

 「登り」に比べて、おろそかにされがちな「下山」というフィニッシュに向かう行為を、しっかりと見つめ、確実に行なうことこそが、人生を誤らないためのコツというか、大事なことだと氏は述べています。

 私も、人生の下山を控えた年齢になりました (^_^ゞポリポリ

 足下をしっかりと見つめ、確かめながら、一歩一歩しっかりと、麓まで歩みを進めていきたいと思っています。

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コメント

おはようございます。いつも訪問ありがとうございますm(__)m

昔、雑誌で読んだ記事に、(鉄道の)碓氷峠の話が書かれており『峠を登ることよりも、降りることの方がむつかしい。降りるときこそ慎重になる』
とのことでした。
『人間、登ることばかり気にして、登頂に成功した気の緩みから、思わぬ怪我をしやすい』
とも書いてありました。
確かにそうですね、人間、登るときは慎重になりがちですが、登頂に成功したら、どうしても気を緩めがち。
自分の知人も山で亡くなっています。詳しい状況は分かりませんが、山頂近くで滑落して亡くなっています。気の緩みかどうかは分かりませんが…

確かに、登りと下りで、登頂に成功したと言えるのかも知れませんね

投稿: お茶汲み坊主 | 2009年2月22日 (日) 09:44

 お茶汲みさん、どうもです (^_^)/

 こういう話しを聞くと、昔、古文の教科書に載っていた「高名の木登り」という逸話を思い出します。
 「かばかりになりては、飛び降るとも降りなん。如何にかく言ふぞ」という問いに答えて、「その事に候ふ。目くるめき、枝危きほどは、己れが恐れ侍れば、申さず。あやまちは、安き所に成りて、必ず仕る事に候ふ」と言ったというものなのですが、忘れてはならない心構えだと思います。

投稿: 夢ピ | 2009年2月22日 (日) 10:20

ピーターさん、こんにちわ~

下山。。。なかなか興味深い内容ですねぇ~

年をとっていく時に自分の進路に悩む時が来る。。。

私は可愛い、おばぁちゃんになれたら良いなぁ~(o^-^o)

その時に隣に優しいおじいちゃんがいたら嬉しいなぁ(o^-^o)

いつか土に戻るまで元気に過ごす事が今の目標です(o^-^o)

投稿: デイジ~♪ | 2009年2月22日 (日) 12:46

 デイジ~、どうもです (^_^)/

 夢は、願うこと、思い続けることで、きっと叶うものです (*^-^*)ノ
 元気に生きる・・・
 デイジ~らしい生き方ですね o(*^▽^*)o~♪
 頑張れ~ ヽ(^o^)尸

投稿: 夢ピ | 2009年2月22日 (日) 14:03

「クライマーズハイ」では、主人公の友人が「なぜ山に登るか」と聞かれて、「下りるために登るのさ」と答える場面がありました。

投稿: むうさん | 2009年2月23日 (月) 02:31

 むうさん、どうもです (^_^)/

 「下りるために登る」とすれば、実にムダなことをしていることになりませんかね(笑い)
 少なくても、「登る」事に何らかの意味を見いださないと、登頂にはなんの意味も無いことになります・・・

投稿: 夢ピ | 2009年2月23日 (月) 07:40

はじめまして。

五木さんの書評ブログを運営しています。リンク先では、『人間の覚悟』の書評をしました。

「下山」という五木さんの言葉には、長年の読者である私にも様々なことを考えさせられました。人生においても、国家においても、「下山」は本当に難しいことなのかもしれません。ものの追求よりも、人生の質を追求すべき時期なのかもしれません。

それでは、またおうかがいします。

投稿: ほめ屋 | 2009年2月24日 (火) 23:05

 ほめ屋さん、ようこそ居酒屋へ ( ^-^)/ ♪

 ブログの方、拝読させていただきました。
 あそこまで踏み込んだ書評を目にするのは、正直初めてかもしれません。しっかりした感想とご意見、ただただ感激するのみです。

 私自身は、五木さんの書をキチンと読んだことは一度もありませんので、ほめ屋さんのような五木ファンの方にコメントを頂くのは恐れ多い感じさえします (^_^ゞポリポリ
 日々、他愛のないことを綴っているだけのブログですが、よかったら時々ノレンをくぐって頂けると幸いです m(_ _)m

投稿: 夢ピ | 2009年2月25日 (水) 11:51

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