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2009年3月 5日 (木)

いただきます

 食事をする際に、口にする「いただきます」ということばですが、どうですか、皆さんはチャンと言っていますか(笑い)

 

 この「いただきます」ということばですが、最近のアホ親たちの中には、学校の給食の際に子ども達に「いただきます」と言わせるのが我慢ならないと抗議する人も少なくないそうです。
 給食費を払わない(払えないのではない)バカ親たちの事がニュースにも取り上げられたことがありましたが、それとは別に、給食費を払っているのだから、「いただきます」と言わせられる事は封建的で屈辱的だというのが彼等の主張なのですが、給食費を払うことと「いただきます」と言う事がどう結びつくのか、どう考えても理不尽というか、考え違いをしているというか・・・ (^^;

 もしかしたら、彼等は「いただきます」ということばは、食事を恵んでもらっている人が口にすることばだと勘違いをしているのではないかと思えなくもありません。
 だとすると、外食なんかで、街のレストランとかラーメン屋とかでお金を払って食事をする際には「いただきます」と言うのはおかしいという考えになります。
 実際、お店の中で「いただきます」と声に出して言っている人はほとんど居ないのかもしれませんが、それぞれ心の中では「いただきます」と言っているのではないでしょうか。
 私も、声に出して言うことは少ないですが、必ず手を合わせて「いただきます」と心の中でつぶやいています (^^)v

 ここで言うところの「いただきます」は、食事に対する感謝の気持ちから出ることばですから、お金を払って食べているんだからとかの問題とは次元の違うハナシになります。

 

 人は、自分一人で生きているわけではありません。例えラーメン一杯、カレーライス一杯であったとしても、食材全てを一から自分で作りだしたとしたならどれほどの手間になることか・・・
 それが、お米を作る人、野菜を作る人、家畜を飼う人、魚貝類を獲る人、さらにはそれらの食材を運ぶ人、売る人、調理する人・・・ 実にたくさんの人の手を経て口に運ばれることになるわけです。
 その時に支払う代金は、それらの人々に対する感謝の気持ちとしての対価と考えれば、お金を払って食べているんだからというような傲慢な考えにはならないと思うのですがねぇ・・・ (ノ_-;)ハア…
 そう思えれば、食べる前には自然と「いただきます」ということばが出てくるだろうし、食事が済めば「ごちそうさまでした」と思えるのではないでしょうか・・・

 

 この、「いただきます」や「ごちそうさま」のことばは、食事を作ってくれた奥さんや料理人の人達に対するねぎらいのことばという意味だけにはとどまりません。
 狭義的に考えれば、確かに料理を作ってくれた人に対することばなのかもしれませんが、先日、永六輔がラジオの中でこんな事を言っていました。

 「あなたの命を、私の命に代えさせていただきます」というのが本当の意味で、前半は省略されて、最後の「いただきます」という部分だけが残ったのだと・・・

 これを聞いた時に、ああ、なるほどと思いましたねぇ(苦笑)

 さすがに、お寺の息子さんですねぇ、言うことがいちいち説法臭くて、ひと味違います (o^∇^o)ノ

 

 我々人間は、生きていく上でどうしても殺生をしなくてはならないわけで、他の生き物の生命を奪うことによって、自らの命を保っているということを自覚する必要があります。
 ここでいうところの「他の生き物」とは、何も動物だけのことを言っているのではありません。植物にだって「命」はあるわけですから、菜食主義の人だからといって他の生命を奪っていないということにはならないわけです。

 ここで大事なことは、他の生き物の生命を奪うことが、必ずしも罪なことではないということです。
 他の生命を奪って、それを食べて生きていくことを、地球的なスケールでいえば「食物連鎖」といいますが、自分が食べる分の殺生はやむを得ない事であり、それを罪といってしまっては身もふたもないということになってしまいます(苦笑)
 必要もない分まで殺生をしたら、それは罪といわれても仕方がないということになりますが・・・

 

 そこで、先のことばに行き着きます。どのみち、他の生き物の命を奪って生きて行かざるを得ないわけですから、「あなたの命を、私の命に代えさせていただきます」という感謝の気持ちを持つことで、奪った命も無駄にはならず、食べた人の血となり、肉となって、新しい命に形を変えて受け継がれていくことになるわけです。

 様々な宗教において、食事をする際にお祈りをするのは特別なことではありませんが、その根本にある考えというのは、ことばや言い回しは違っても、おそらくそういう事を言っているんだろうと思います。

 

 「いただきます」・・・
 たった6文字の何でもないことばではありますが、現代人は、もっと真剣な気持ちでこのことばに込められた意味を考えるべきだと思いますねぇ (*^.-^*)♪

 そして、食事の前には必ず口にするべきだと思いますよ(笑い)

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コメント

 基本的に感謝の念が足りないのでしょうね~。道徳と哲学の学習時間が絶対的に足りないのでしょう。

投稿: ナンカイです。 | 2009年3月 5日 (木) 11:10

ですね?確かに、今の小、中学校は道徳の授業が無いと聞いてます。食べ物の命の話をしても、理解できないでしょうね!
給食費の話もふざけた話で、しかしその親達は私と同じ世代なんですよ・・・・何処で間違ってしまったか!馬鹿なんでしょう!

投稿: 三里塚住民 | 2009年3月 5日 (木) 14:21

お久しぶりで、お邪魔します~こういう人としての基礎部分は両親の躾だと思います。学校は集団生活を身に付ける場であって、挨拶などは各家庭において身に付けるものではないでしょうか…躾とは身を美しくと書きますよね、また三つ子の魂…という言葉もあるように、やはり家庭における両親の育て方なんでしょうね。
教育は強制を伴います。それを自由だ、権利だと言ってきたために、躾が出来ていない子供や親がいるんじゃないでしょうか…

投稿: にゃ次郎 | 2009年3月 5日 (木) 15:29

 ナンカイさん、どうもです (^_^)/

 道徳教育は絶対に必要だと思っている一人です。
 例の「ゆとり教育」と週休二日制の弊害で、授業時間の絶対量が減ってしまい、道徳がカットされてしまいました。
 こういう事ではイカンと思いますねぇ (ノ_-;)ハア…

投稿: 夢ピ | 2009年3月 5日 (木) 15:52

 三里塚さん、どうもです (^_^)/

 夫婦共稼ぎが当たり前になってしまった70年代から80年代にかけて、「鍵っ子」ということばが生まれました。
 そして、彼等はロクな躾も受けないままに親の世代になってしまったわけですよ。

 そんなダメな親だから、自分たちの子供にもマトモな躾ができないんです。
 子供が子供を育てているようなものですから(苦笑)

投稿: 夢ピ | 2009年3月 5日 (木) 15:55

 にゃ次郎さん、どうもです (^_^)/

 私も、学校は躾を教えるところではないという持論を持っています。
 ついでに言うならば、学校は勉強を教えるところでもないと思っています (^^ゞ

 学校というところは、集団生活を身に付ける場所です。先生やクラスメート、上級生たちとどのように接するかを学ぶ場所です。
 学校は、小さな社会なんですよね。そこでいろいろと生活の知恵を学んでいくわけですよ (^^)v
 授業を受けるということは、学問を通して拘束されるということを学ぶ場なんですよね(笑い)

投稿: 夢ピ | 2009年3月 5日 (木) 16:06

ピーターさんもおっしゃっていますが、いただきますとは、本来食べ物の命を「いただきます」と言うことだそうですね。
私の命を食いつなぐため、あなたの命を頂戴しますと言うことなのに。。。。
今の親は情けないのか、理不尽なのかわがままなのか。。。

投稿: お茶汲み坊主 | 2009年3月 5日 (木) 22:10

 お茶汲みさん、どうもです (^_^)/

 親に限らず、誰も彼も自分の事しか考えていない自己中な輩ばっかりですよ (ノ_-;)ハア…
 戦後、欧米から入ってきた「民主主義」ということばが、間違って広まっていった結果だと思います・・・

投稿: 夢ピ | 2009年3月 6日 (金) 08:05

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