住民のエゴ
富山県の高岡市において、市営の斎場の使用を巡り、反対派住民と市職員が対立し、ガラス戸などを破損させたとして逮捕者まで出る騒動になったという報道を目にしました。
高岡市グリーンパークに新設された市営「高岡斎場」は、市と旧福岡町が72年から老朽化した火葬場の代替施設として計画されたもので、当初は別の場所を予定していたが、周辺環境の悪化などを理由に住民が反発。01年に現在地へ計画変更し、07年8月に起工され、1日に使用が開始された。
一部住民は現在も反対を続け、同施設の使用を実力で阻止しようとして、車で斎場の入口を封鎖し、座り込みなどをして市側に抗議したというもの・・・
よく見られる「迷惑施設」に対する反対運動の一つですが、なんとまぁ、成田空港の開港の際の一連の騒動に酷似しているというか・・・ (^^;
斎場もそうですが、ゴミ処理場とか原子力発電所、軍事施設など、ある程度必要性は認めるものの、自分のところにだけは作って欲しくないという「住民のエゴ」が問題となるわけですが、ここで問題となるのはどれだけの住民が反対しているのかということです。
誰だって、心情的にはそういう迷惑施設の近隣には住みたくないと思うのはホンネだと思いますが、ソレが無いと困るという事情もわからないでもないので、当初は住民の大部分が反対と言っていたとしても、交渉を続けうちにお互いにある程度歩み寄りを見せ、頑強に反対するのは一部の住民ということが多いものです。
反対者を一人も出さないまでに住民を説得するということは事実上不可能だと思いますので、施設側もある程度のところで見切り発車というか、建設に踏み切るのが普通だと思います。
問題なのは、建設が決定した後も一部の反対者がいつまでもごねて、建設や使用に支障が出る場合でしょう。
成田空港なんか、開港から30年経った今でも反対派が建設予定地の中に居座っているために、建設は頓挫し、国家的な支障をきたしていまして、いまだに出口の見えないトンネルの中です (^^;
強硬な反対者というのは、自分の言い分が通らない限りどこまでいっても反対なわけですから、話し合いなんてしょせん形だけであり、何度行なっても解決の糸口なんて見えようはずもありません。
こういう人達をどのように扱うべきなのか・・・
もちろん、彼等にも正当な言い分もありますし、守られるべき人権もあるわけですが、だからといっていつまでも反対運動をしていてもいいかといえばそんな事はないと思います。
今回の「高岡斎場」の場合も、決して反対という住民ばかりではなく、賛成している人も多いわけで、一部の反対派の意見だけで斎場が使用ができないということになれば、市民の福祉にも反しますし、ゆゆしき問題だと私なんかは思うわけですよ。
人間、誰しもいつかは亡くなるわけで、その時にはどこかの斎場のお世話になるわけですよね。もし、反対派の身内の方が亡くなって葬儀を行なおうとした時は、彼等はどこで葬儀を行なおうとしているのでしょう。
また、住民の方がこの新しい斎場で葬儀を行なおうとした時に、斎場の入口で反対派の抗議にあって利用できないとしたら、遺族の方々はどう思うんでしょう・・・
自分の主張や権利ばかり棚に上げて、反対と唱えるのはオトナじゃないというか、卑怯だと思うんですよ。
これからもその土地で暮らしていくわけでしょうから、もっと、相手の立場に立って物事を考えられないものなのでしょうか・・・ (ノ_-;)ハア…
相手の立場になって物事を考えるというのは、社会生活を営んでいく上では基本中の基本だと思いますがねぇ・・・
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コメント
ほんと、そうですね。
現代人は昔の人より「わがまま」になったように感じられます。
みんなのために、我慢したり、譲り合うことも、必要なはずなのに…。
投稿: こやなぎ名人 | 2009年4月 3日 (金) 08:10
名人、さっそくのコメント、ありがとうございます (^_^)/
ワガママになったというのか、単に自分の事しか考えられなくなったというのか・・・ (ノ_-;)ハア…
そういう考えでは、つまらない人生しか送れないだろうとよけいな事を考えてしまします(苦笑)
自分のために生きても、充実感は得られないだろうと・・・ (^^;
投稿: 夢ピ | 2009年4月 3日 (金) 09:09