昨年、「サイクリング」というタイトルで記事を書いたことがあります。
その時には、サイクリングについての一般的な事を記事にしたんですが、今日は、私のツーリングの体験記を中心に語ってみようかなと・・・ (^_^ゞポリポリ
私が中学3年生の時の夏休み、友人と二人で東北一周を目指し、自転車で会津の山村を出発した事がありました (^^;
特にルートも目的地も決めず、一週間から十日くらいの予定で行けるところまで行こうという、今思えばずいぶんいい加減で無謀なツーリングだったと思います(苦笑)
なにしろ、私は昔からズボラな人間でしたから・・・ (^◇^;)
まるで、映画の「スタンド・バイ・ミー」さながらの、子どもの、子どもによる、子どものための、無計画な冒険旅行そのものでした (〃⌒∇⌒)ゞ ♪
実際に走ったルートは、会津若松~喜多方~米沢~山形~新庄~雄勝峠~新庄~鶴岡~村上~新発田~西会津という、距離にして約450km程度の5泊6日の旅でした (〃⌒∇⌒)ゞ ♪
私が生まれ育ったところは、会津でもかなり山の中でしたから、車ならともかく自転車で村から出ようとするとそれだけで大仕事となりますから、普通はそんな無謀なことを考える人は居ないわけで・・・ (^◇^) ケラケラ
で、初日はとりあえず村から出ようと、山越えルートで会津若松を目指して走り出しました。
川沿いに向かう、比較的楽で一般的な国道ルートもありましたが、それだと山越えの倍以上の距離がありまして、朝出発しても若松までたどり着くのが精一杯かなと思い、ムリしても山越えの方のルートを選びました (^^;
まぁ、若気のいたりといいますか、恐いモノ知らずというか(爆笑)
だいたい、当時の山越えルートは今のように整備された道ではなく、自動車だって通れないような山道というか、峠道でしたから、ほとんど自転車を押して越えたことを思い出します (^^;
なんとか会津高田町に抜け、会津若松を通り過ぎ、国道121号線で喜多方に向かって走り出したのは夕方近く・・・
途中、薄暗くなってきたので、国道から見えた神社で泊まることにしました (^^ゞ
神社の境内で、携帯コンロを使って炊事をしていると、近所のオジサンが様子を見にやってきました (^^;
どこの馬の骨ともわからない子ども達が、神社で火を燃やしているとなれば、不審に思われるのは当然の事で・・・ (^.^; ポリポリ
サイクリングをしていて、今夜はここに泊まる予定だと言うと、火の始末だけはキチンとするようにと言って帰り、しばらくして夕飯の差し入れを持って現れました (^^;
他人の親切が身にしみましたねぇ・・・ (;_;) ウルウル・・・
初日は、疲れもあって、神社の社の中に勝手に入り込んで寝袋で寝ました・・・
二日目は、薄暗い中出発しました。昨夜早めに寝てしまったこともあり、目が覚めてしまって、他にする事もなかったので走り出そうと・・・ (^.^ゞポリポリ
喜多方を抜け、米沢に抜ける国道121号線の大峠を越えようとしていた際に、あまりの急坂にへたり込んでいた時、通りがかったダンプカーのオジサンが声をかけて乗せてくれました ヽ(^o^)尸
自転車は荷台に、私らは運転席に乗り込み、仕事先の峠まで送ってくれました。ありがたかったですねぇ o(*^▽^*)o
登りとは違って、峠からの下り道は楽でした(笑い)
米沢を抜け、国道13号線を通り、上山温泉に着いた辺りで暗くなってきたので、通り沿いにあった大きなお寺に立ち寄り、ご住職にお願いして本堂に泊めていただきました (^^)v
このお寺では、夕飯をごちそうになり、畳の上でゆっくりと眠れました。
このツーリングで一番快適な夜でした(笑い)
三日目の朝は、本堂の掃除を手伝って出発しました。
この日は国道13号線をひたすら北上・・・
山形、天童、尾花沢と走り抜け、新庄を過ぎて、いよいよ秋田県に入りました。
一番快適に走れた一日だったでしょうか (〃⌒∇⌒)ゞ ♪
この日は、県境の雄勝峠を越えたところにあった神社で泊まることにして、そのまま休みました。いよいよ翌日は横手~秋田と、さらに北に向かうぞと計画を話し合っていたのですが・・・
なんと、四日目は朝から雨が降っていまして、疲れていたこともあって神社の中で出発をしばらく見合わせることにしました(笑い)
しかし、いつまで経っても止みそうになかったので、とりあえず北に向かうのは断念して、引き返すことにし、お昼前に出発しました。
ポンチョを着て走るのは、馴れていないこともあって正直きつかったです。
国道13号線で新庄まで戻り、そこから国道47号線で鶴岡に向かいました。
全く同じ道を戻るのも芸がないので、日本海沿いを南下しようと思って・・・
しかし、悪いことは重なるもので、私の自転車の後輪がパンクしてしまいます。
すぐに修理を始めましたが、雨降りの中ではゴム糊がうまく乾かないんじゃないかと懸念されたので、チューブそのものを持参した新品に交換することにし、後輪を本体から外します。
この、後輪を外したことが後のトラブルを引き起こします (^^;
前輪ならわけなく脱着できますが、後輪はチェーンや変速ギアが複雑に絡み合っていて、素人には荷が重いことをその時は知りませんでした (^^ゞ
で、最初のうちだけ調子よく走っていたのですが、いくらも走らないうちに後輪が重くなり始め、間もなくロックした感じで完全に回らなくなってしまったんですよ (__;)
そうなるとお手上げです。後輪を持ち上げながら歩き、目についた自転車屋に飛び込んで治してもらいました (^^;
そんなこんなで、すぐに暗くなってきたので、その日は通りがかった大きな橋の下にもぐり込んで野宿をしました (^^;
雨はしのげましたが、ヤブ蚊が酷くて、寝袋の中に頭まですっぽりと覆って寝ました。
それでも翌日はあちこち蚊に刺されていて、いろんなイミでこの日が一番ヒドイ一日でしたね(苦笑)
五日目は、国道7号線に出て、日本海を見ながら快適に走り続けました。私が日本海を見たのは、この時が最初です (^_^ゞポリポリ
村上からは内陸に入り、新発田を目指します。
途中、人気のない材木小屋を見つけたので、勝手にもぐり込んで寝ました (〃⌒∇⌒)ゞ ♪
なんか、だんだん宿のレベルが落ちてきたなと (^◇^) 。。。ケラケラ
最終日となる六日目は、新発田から国道290号線で安田に抜け、そこからは国道49号線で会津を目指しました。
途中、新潟県と福島県の県境のトンネルをくぐる前に、道端にあった電話ボックスから自宅に電話をかけ、夕方には帰ると伝えました。
この辺りになると、お互いにもう会話をする気力もなくなって、無言でペダルをこぎ続けます・・・
思い出すのは、コカコーラのホームサイズを買って、一気に飲み干したことかな(笑い)
当時、500mlのホームサイズと呼ばれたボトルは、けっこう大きく見えたので、それを一息に飲めるなんて思ってなかったものの、口につけて飲み始めるとアッという間で・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪
それだけ喉が渇いてて、水分を欲していたという事なんでしょうが・・・
西会津町から三島町に入り、金山町と過ぎて、村に入った時にはホッとしたのを思い出します。
自宅には、日焼けとホコリで真っ黒になった姿で戻り、呆れられました。
おそらく、家を留守にしている間、家族は心配でしょうがなかったんでしょうが、そういう気配も見せない気丈な親でした (;^_^A アセアセ・・・
で、ゆっくりと風呂に浸かり、一週間分の疲れと汚れを洗い流しました・・・
その後は、頼まれたってそんな事をしたいと思ったことはありませんが、あの当時はそんな無茶もちっとも無茶なことだとは思っていなかったんですよね (^◇^;)
やっぱ、若かったんでしょうね(爆笑)
蛇足ですが、この時のツーリングの後、程なくして私の自転車は壊れてしまいまして、スクラップになったことを思い出します。
もっとも、すぐに雪が降り、春には高校生として喜多方に下宿しましたから、村で自転車に乗る機会がなかったのが幸いでしたが・・・
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