« 二国の車窓 | トップページ | くさかんむり »

2009年8月15日 (土)

会津の人

 月遅れのお盆で、例年なら私も実家のある会津に帰省しているのが通例なんだけど、今年は諸般の事情により帰省は断念して、成田のアパートでのんびりと過ごしています (〃⌒∇⌒)ゞ ♪
 お盆中であるにもかかわらず、仕事の依頼も毎日入ってくるので、有り難い事この上ないです。

 で、今日は私の故郷である「会津」を偲んで、チョッと会津にまつわるエトセトラでも語ってみようかと・・・(笑い)

 

 「会津」ということばを聞くと、たいていの方は薩長に代表される明治政府軍と対立し、戊辰戦争で敗れた「逆賊」というイメージをお持ちの方がほとんどだと思いますが、私を始め、会津人の多くは誰もそんな事は思っていません(笑い)

 「勝てば官軍」ということばにも言い表されているように、戊辰戦争に敗れてしまったから「逆賊」の汚名を着せられてしまっただけで、仮に勝っていれば歴史の上で「逆賊」と呼ばれていたのは薩長側だっただけの事ですから・・・(苦笑)

 このように、「歴史」というのは、常に勝者側の言い分だけが史実として残っていくのが普通なので、私は学校の授業なんかで教えられる「歴史」は、全部とは言いませんが、そのほとんどは人為的にねつ造された「嘘っぱち」ばかりだという持論を持っています。

 

20090815031_3 20090815032_3   

 それはともかく、福島県は県内を南北に連なる奥羽山脈と阿武隈高地の二つの尾根線を概ねの境界として、ヨコに大きく三つに分けられていまして、海側から「浜通り」「中通り」、そして「会津」と呼ばれています。

 気候や文化、住んでいる人々の気質もこれら三地方では大きく違っていまして、日々の天気予報なんかでも「浜通り」「中通り」「会津」と三つに分けて紹介されます。

 

 このように、「会津」というのは「福島県」の一部なわけですが、会津人の多くはそういうふうには思っていないのが普通じゃないかな (^◇^) 。。。ケラケラ

 よく笑い話なんかでも言われますが、「ご出身はどちらですか?」ナンて問いかけられる事があった際に、私を始めとする会津の人は「会津です」と答えるのが一般的だと思います。
 他の地方の出身の方が「福島の出身です」と答えても、会津の人は決して「福島出身です」とは言わないだろうと思います(苦笑)

 それを聞いた人が、「ああ、福島の方ですか」ナンて受けて答えても、「いいえ、会津です」とガンコに言い直すのが会津人の会津人たる所以です (^◇^) 。。。ケラケラ
 会津って福島じゃなかったかしらと思われても、会津人にとっては「会津」は今でも独立した国なんですよね(爆笑)

 

 会津人は、会津という歴史ある土地に誇りを持っていますから、「福島県」なんて後からできた行政区分に取り込まれるものかと、心の片隅で必死に抵抗しています(ウソウソ)

 廃藩置県が行なわれた明治4年、会津藩はそのまま「若松県」と名前を変えて再スタートを切りました。
 しかし、その5年後である明治9年に、「若松県」は廃止され、浜通りの「磐前県」や中通りの「福島県」とムリヤリ合併させられて、今の福島県が出来上がったという経緯がありますから、よけいにそう思うのかもしれません。

 

 第一、浜通り地方は、南部は茨城県の影響を色濃く受けており、ことばなんかも「だっぺ」に代表される茨城弁が主流ですが、北部は仙台の伊達の影響を受けています。
 また、中通り地方は仙台や米沢の影響を受けています。

 一方、会津地方は、越後の上杉に統治されていた時期もあり、地理的にも新潟に近いですから、気候もことばも他の二つの地方とは大きく違うために、どうしても会津は福島県の中では異質の土地柄という事になってしまいます。

 

 そんな中で培われた「会津人気質」は、夏は暑く、冬は雪に閉ざされるという、東北の盆地によく見られる特有の気候と、古来より盛んな教育、そして漆器や酒造など、ものづくりの伝統の中で培われてきた、「実直で粘り強く生真面目」と一般に呼ばれるもので、私なんかもよく仲間内で「クソが付くくらいのマジメな奴」と言われています (〃⌒∇⌒)ゞ ♪
 けっこう飽きっぽいところもありますが、損得ではなく、「義理と人情」が私の行動の原点であるところなんかも、アナログな会津人を代表しているのかなと・・・ (^_^ゞポリポリ

 まぁ、私はかなりの変人ですから、会津に住んでいる人が全て私のような考えをしているワケではないと思いますが、身内意識がとても強く、よそ者をなかなか受け入れないという閉鎖的なところは、昔も今もそれほど変わっていないと思いますよ。

 

 そんな会津人気質をよく言い表していることばの一つに「会津の三泣き」があります。

 今日は、最後にそんなことばをご紹介して記事を締めさせていただきます ( ^-^)/ ♪

 

 他所から転勤などで会津に住む事を余儀なくされた時に、彼らは3度涙を流すといわれます。
 住み始めて1度、住んでいるさなかに1度、会津を去る時にもう1度・・・です。

 

 まず、その閉鎖的な人間関係が最初のハードルです (^^;
 よそ者扱いされて、なかなか土地に馴染めずに泣くといいます。これが最初の一泣きです。

 次に、住み始めてわかる事ですが、盆地特有の厳しい気候にも泣かされます。
 そしてこの頃になると、会津人は意外と情が深い事もわかって泣かされる事も少なくないといいます。これが二泣きといわれるものです。

 そして、会津を離れる日が来た時に、今度は会津を離れがたくて三度目の涙を流すといわれます。

 これが「会津の三泣き」で、戦後間もない頃にある新聞社の記者が会津に転勤でやって来て数年間を過ごし、会津を去る時に書き残した記事が元になっているそうです。

 

 義を貫き、武士道を全うしただけの会津藩に対して、よそ者の明治政府軍が行なった非道極まりない仕打ちに接し、会津の人々はよそ者に対する猜疑心と警戒心をより強め、排他的になっていきました。

 戊辰戦争なんて、大昔の出来事であり、そんな事を今でも引きずっていることを笑う人もいらっしゃるかもしれませんが、たかだか百年チョッと前の出来事であり、せいぜい4~5代前の先祖が受けた仕打ちです。
 具体的に言えば、私の父の、祖父さんか曾祖父さんあたりの世代がそれにあたります。

 イジメは、した方は忘れてしまうことが多いそうですが、された方はいつまでも心の傷となって忘れることはないといいます。
 たかだか百年程度の年月で、過去のこととして水に流してしまうワケにはいかない事情が会津に生まれ育った人達の間にはあるんですよ。

 だから、他所から会津に移り住むとなると、今でもけっこう苦労すると思います (^^;

|
|

« 二国の車窓 | トップページ | くさかんむり »

独り言」カテゴリの記事

コメント

ほんと、会津は福島県でありながら、
福島県ではない地域のように感じます。
会津県で独立してもいいと思いますが、
経済の厳しい状況では難しいかもしれませんね。

お盆の道路ラッシュはひどいようです。
今回は大移動しないのが正解と思います!

投稿: こやなぎ名人 | 2009年8月16日 (日) 08:52

 名人、どうもです (^_^)/

 誰でも、生まれ育った故郷にはひとしおならぬ思い入れがあると思いますが、会津の人はそれが特に強いのではないでしょうか・・・

 会津の地から他の土地へ出かけるのがとてもたいへんな地形だった事もあり、それが身内意識をより高め、よそ者には排他的になっていった理由なんじゃないかと思っているのですが・・・ (^_^ゞポリポリ

投稿: 夢ピ | 2009年8月16日 (日) 09:00

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/179664/45922990

この記事へのトラックバック一覧です: 会津の人:

» その時なにが起こったか!日航123便 御巣鷹山墜落事故 [日航123便 御巣鷹山墜落事故の真実]
日本航空123便(JA8119) 乗員乗客524名のうち520名死亡!御巣鷹山墜落事故の真実 [続きを読む]

受信: 2009年8月15日 (土) 04:27

« 二国の車窓 | トップページ | くさかんむり »