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2009年9月 7日 (月)

花嫁街道

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 先日、館山に仕事で行った帰り道、前々から温めていたネタの情報収集をしてきました (^_^ゞポリポリ

 ・・・といっても、根性無しですから、ホンのさわりを撫でてきただけで、記事として紹介するにはおこがましいのですが・・・(笑い)

 

 房総半島の最南端に位置する館山市(厳密にいえばチョッと違いますが (^_^; )の隣に、今は合併で南房総市と名前を変えましたが、かつて「和田町」と呼ばれた町がありました。

 和田町は、国内でも数少なくなった捕鯨基地が町内にあり、鯨料理が普段から食べられる町として有名なのですが、他にも珍しいものがありまして、今日ご紹介する「花嫁街道」もそういうものの中の一つです。

 

 もう、10年くらい前の事になりますが、館山への納品で海岸線沿いの国道を走っていると、「花嫁街道」という、なんともロマンチックな名前が書かれた立て札を見かけた事がありました。
 以来、ずっと気にはなっていたんですが、その正体を確かめる機会もなく、今日までズルズルになってしまっていましたが、いつかはブログで紹介したいとは思っていました (^_^ゞポリポリ

 勝手な思い込みですが、「花嫁街道」というからには、その昔、その道を通って花嫁が嫁いできたのかなとか、いろいろと想像はしていたんですが、その実態は私のイメージしていたものとはずいぶん違っていました (;^_^A アセアセ・・・

 この写真が、国道に立てられている案内板の一つです。
 私は、ここから車を乗り入れて、「花嫁街道入口」まで行って来ました (^^)v

 その先の「花嫁街道」本体の部分は、ハイキングコースですので、徒歩でないと通行は無理ですから、今回は行くのを諦めましたが、私は根性無しですから、たぶん、この後も実際に歩くことは無いと思われます (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 ・・・という事で、以下は、国道から「花嫁街道入口」までの道筋に立てられている案内板と、その先の道の様子を撮った一連の写真です ( ^-^)/ ♪

 

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 国道から入ってくると、すぐにT字路に突き当たり、ここを案内板に従って右に曲がって車を進めます。

 

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 ここも案内板に従って進みます。
 このあたりの道路は、まだ走りやすかったです (^^)v

 この写真を撮った場所で、道端の畑で働いていたおばちゃんや、犬を連れて散歩していたオジサンにチョッと声をかけて取材をしてきました (^^)v
 それによると、「花嫁街道」は、道そのものは昔からあったけれど、そういう名前が付いたのはそんなに昔の事ではなく、ワリと最近のことだと・・・ ヾ(;´▽`A``
 そのコメントを聞いて、ガラガラと音を立てて崩れていく「花嫁街道」のイメージ・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 でも、まぁ気を取り直して奥に進みます・・・ (^^;

 

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 この案内板を左折した先は、車一台がやっと通れるくらいの道になってしまい、進むのにチョッと勇気が要るような、不安な感じがしてきました・・・ (;^_^A アセアセ・・・

 

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 畑の間に作られた、ほとんど農道というか、山道というか、そんな趣の道が続きます・・・(苦笑)
 道はどんどん狭く、気持ちも心細くなっていきました・・・ (^^ゞ

 

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 この案内板の所で、農家の軽トラとすれ違ったので、手を挙げて車を止め、チョッとお話を伺ってきましたが、帰りが心配になるくらいのとても心細い道でしたよ(笑い)

 実は、道の先がどうなっているのか不安だったので、ここに車を置いて歩いて行こうと思っていたのですが、歩き始めた時に向こうから軽トラがやって来るのが見えたので、チョッと様子を聞いてみようと思ったわけです。
 それによると、この先の橋を渡ったところに車を停めるスペースがあると言われたので、車に戻ってさらに奥へと車を進めます (^_^;

 

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 これが、「花嫁街道入口」となる、ちょっとした広場というか、空き地です。
 車で来れるのもここまでで、この先は行き止まりになっており、農業とか林業などを営んでいる限られた人のみが用いているだけのようです。
 2枚目の写真に写っている小屋は、「和田浦歩こう会」が設置した公衆トイレで、その前に花嫁街道へと続く小高く盛り上がった場所が見えます。

 花嫁街道の入口ということで、ここまでマイカーを乗り付ける方も居らっしゃるようですが、山間部だけに駐車スペースはそれほど広くはないので、一般的には、国道沿いの「歩こう会ビジターセンター」や「町営駐車場」、国道からちょっと入った所にある「うな陣」の駐車場が開放されているそうなので、そちらに停められる方が多いようです。

 

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 これが、「花嫁街道」の姿というか、正体です (^◇^;)

 車も停められる空き地から、「花嫁街道入口」という道標が立っているところに向かう辺りを撮った写真と、道標の写真が上の2枚です。

 下の2枚は、道標から50mほど足を運んでみた花嫁街道の様子です。
 こんな道では、もし花嫁が実際に歩いたとしても、イメージしていたのとは違って、花嫁衣装で行列を組んで歩いたというのは無理でしょ (^◇^) 。。。ケラケラ
 せいぜい、野良着を着て歩いてきて、嫁ぎ先で着替えるというのが一般的だったんじゃないのかな (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

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 これら2枚の写真は、ネットで見つけてお借りしてきたものですが、最初の写真は、国道付近に設けられているという「花嫁街道」の全体図というか、コースを描いた案内板で、「和田浦歩こう会」という地元の有志が設置したそうです。

 次の可愛らしい写真は、烏場山頂上に置かれているという花嫁姿の石像です(笑い)

 

20080525009_2  こんな姿ではこの道を歩くことはかなわなかったと思いますが、花嫁といえばやっぱり文金高島田に角隠しを付けた姿をしていなくちゃねぇ (^◇^) 。。。ケラケラ
 ・・・ということで、左の写真は、昨年潮来市に行った時に撮ってきた、前川あやめ園に設置されている「潮来花嫁さん」のモニュメントです。これぞ日本の花嫁という姿をしているでしょ (^^)v

 

 この「花嫁街道」と呼ばれている道は、その昔から、山間に在る上三原の集落と、和田浦を始めとする海辺の集落との交流道として存在していたもので、海辺の集落からは魚貝類や塩などの海の幸を、山の集落からはカゴや樽などの漁具の材料となる竹を運ぶ、生活物資の往来はもちろんのこと、学校への通学路としても利用されたようです。
 もちろん、名前の由来となった花嫁たちも、この道を通ってそれぞれの集落へと嫁いでいったものと思われます。

 昭和30年代にハイキングや登山がブームになり、日本中でハイカーや登山者の姿が見られるようになると、この道を通って、「烏場山(からすばやま)」に登る人が増えたそうです。
 この烏場山は、2004年10月5日付けの朝日新聞で発表された、岩崎元郎さんが選定した「新日本百名山」の一つにも選ばれている山だそうです。
 百名山とはいいますが、千葉県には500mを超える山というのは存在せず、一番高い山でも408mの愛宕山ということで、烏場山も標高は265mしかなく、「山」と呼ぶにはあまりにも低いものであることは否めません (^^;
 しかし、この山からの眺望は素晴らしいそうで、房総の山々はもちろんのこと、遠く伊豆半島、富士山、伊豆大島等も見えるそうです。

 昭和50年代に入ると、地元有志たちが集まって「和田浦歩こう会」を設立し、彼等を中心にして、昔とは多少道筋は変わってはいるものの、地元に昔から在る花嫁街道を楽しく歩いていただこうと、ハイキングコースとして道を整備し、名称も、花嫁行列も通ったという言い伝えから、「花嫁街道」と名づけられて今日に至るそうです。
 という事は、「花嫁街道」という名前そのものは、まだ30年くらいの歴史しかないという事になります。

 しかし、この「花嫁街道」という名前とハイキングコースは、後世まで伝えて残してほしいものですね o(*^▽^*)o~♪

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