« 2009年12月 | トップページ | 2010年2月 »

2010年1月31日 (日)

つれづれに

 今日で一月が終わる・・・ (^^;

 つい先日、お正月を迎えたと思ったのに(笑い)

 

 なんか、月日の流れが異様に速く感じられて、「光陰矢のごとし」なんてことばをしみじみと実感しています (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 子どもの頃は、けっこう一日が長かったと思います。

 よく、楽しいことをしていると時間の経つのが早いなんていいますが、子どもの頃は遊んでも遊んでも、なかなか日が暮れなかったように今思うと感じます (^^;

 それは、小中はもちろん、高校の頃も同じで、授業は一時限一時限がとにかく長かったし、放課後からの時間はやたらと楽しく、いろいろな事をして遊んだことを思い出します。
 高校の時の部活動なんか、楽しいことしか覚えていませんが、それでも下校するまでのたかだか2~3時間がとても長い時間だったように感じられたものです。
 よく、アレだけの時間の中で様々なことができたもんだと・・・ (;^_^A アセアセ・・・

 

 しかし、社会人になった途端に、時計が早く回り始めたというか、朝起きてから寝るまでの時間が短すぎるように思います(笑い)
 そんな短い一日一日が何回か繰り返され、アッという間に給料日がやって来ました・・・(爆笑)

 サラリーマンをしていた頃は、とにかく給料日が楽しみで、毎月それに向かって爆進していたように思います。
 給料日は、ほとんどの会社で25日でしたから、給料を頂いてすぐに月末を迎え、月が変わって上旬は無我夢中で仕事をしているうちに過ぎていき、そうこうしているうちに月も半ばを迎えます。
 そうなると、次の給料日まで一週間チョッとですから、乏しいサイフの中身と相談しながらなんとか給料日まで我慢の日々が続く・・・と (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 そんなこんなで、20代が終わっていき、30代を過ぎ、40代も超えました (^_^ゞポリポリ

 

 なんか、その間にいろいろあったような気もしますが、過ぎてしまえばアッという間だったような気がしてなりません (;^_^A アセアセ・・・
 別に、空しいとかは思っていませんが、もうちょっと落ち着いて人生を歩いていきたいなとは常々思っています。

 学校に通っていた子どもの頃と、社会人になって働いている大人の頃とは、同じ時間なのに明らかに進むスピードが違うんじゃないかと私なんかは思っています。

 

 明日から2月ですから、今日の日曜日は、今月の疲れを癒し、新しい月を迎えるためにと、の~んびりと日帰り温泉にでも行って、リフレッシュしてこようと思っています (^^ゞ

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2010年1月30日 (土)

シネカノン

 映画「フラガール」や「パッチギ!」などを制作した映画制作・配給会社の「シネカノン」と関連会社の2社が、28日、民事再生法の適用を東京地裁へ申請したと報じられた・・・

 

 「シネカノン」は、今でこそメジャーな存在である韓流のTVドラマや映画を積極的に日本に紹介し、韓流ブームの火付け役ともなった事でも知られています。
 特に、2000年に公開された「シュリ」は、日本でも大ヒットとなりました。

 その後も、「ゲロッパ!」「パッチギ!」「フラガール」と順調にヒットを飛ばし、映画界においてはベンチャーの旗頭的な存在でもあった・・・

 その「シネカノン」も、ここ数年はヒット作に恵まれず、直営の飲食部門でも不振が続いていたという・・・

 

 そういえば、「フラガール」が公開された時に、私も珍しく映画館に足を運んで見てきました (^^)v
 いつもですと、どんなに話題の映画であったとしても、テレビで放送してくれるまでジッと待つのが私のスタイルなのですが、この映画だけはどうしても見てみたかったので・・・

 そのあたりの経緯につきましては、過去にも「フラガール」という記事で書いたことがありますので、興味がある方はどうぞ ( ^-^)/ ♪

 

 奇しくも、同日発表された映連の興行収入では、2年連続で邦画が過去最高を塗り替えたと報じられました。
 その一方で、ベンチャー企業の一つが不況の波に飲み込まれていく・・・

 「シネカノン」が手がけた映画は手堅い印象があり、たいていヒットしてそこそこの興行収入はあると思っていたんですがねぇ・・・

 私がテレビなどを通じて見た事のある「シネカノン」が手がけた映画は、「のど自慢」「シュリ」「パッチギ!」「フラガール」「魂萌え!」「歓喜の歌」などでありますが、いずれも秀作だと思っています。
 機会があれば、他の作品もぜひ見てみたいと思うのですが、なかなかテレビでは放送してくれないようで・・・ (^_^ゞポリポリ
 かといって、レンタルしてまで見たいとも思わないので、いつになるかはわかりませんが(苦笑)

 それ以前に、録り溜めしてあってまだ見ていない映画がたくさんあるので、そちらを消化する方が今の私には優先順位は高いんですよね (^^ゞ

 

 今後、この会社がどうなるのかは不明ですが、ここの人材は優秀な方が多いと思うので、ぜひ活躍の場を見つけてほしいものです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年1月29日 (金)

甘言と諫言

 「甘言」「諫言」という二つのことばがあります。

 どちらも「かんげん」と読みますが、全く正反対の意味合いを持つことばです。

 

 「甘言」は、人の気に入るような口先だけのうまい言葉という事で、本心かどうかは別にして、相手に合わせて話しを進め、波風を立てるような事はまずありません。

 一方、「諫言」はといいますと、「諫める」ということばにも表わされているように、相手にとって言いにくいような事でもハッキリと言う事であり、主に目上の人に対して意見をしたりする時に用いられます。

 似たようなことばに、「苦言」というのもあります。
 「諫言」にせよ「苦言」にせよ、言われた相手の気持ちを逆撫で、場の空気を損ない、場合によっては人間関係にヒビが入ってしまう恐れがありますから、お互いの間に信頼関係がなければむやみに用いるべきではありません。

 

 そういうことばとはちょっとニュアンスが違いますが、「口は災いの元」なんてことわざもあったりします (^_^ゞポリポリ

 

 私なんかは普段から思っている事をそのまま口にする事が少なくないので、反感を買う事がよくあったりします (^^ゞ
 サラリーマン時代は、とにかくワガママで我が道を行くというスタイルの私は、上司や同僚とソリが合わず、何度も何度も転職を繰り返しました・・・

 

 それは、ネットの世界でも同じで、私のブログなんかは言いたい放題書きまくっていますから、しばしば反論とかのコメントを頂いたりもします (〃⌒∇⌒)ゞ ♪
 特に私は、ある種独特の考え方をする方なので、世間一般から見れば常識外れともいえるような人種ですから、記事に同調する方よりも、反感を抱く方の方が多いと思います (^^;

 しかし、それはそれでいいわけです。人は十人十色と言いますし、同じ意見ばかりだとか同じ考え方ばかりという方がむしろおかしいわけで・・・

 ただ、日本人の特徴というのか、人と違う事を極端に嫌がるという国民性があります。とにかく周りと同じでないと不安で、服装から考え方まで周りに合わせようとするのが日本人という人種のようで(笑い)
 そういう点からすれば、私なんかはとにかくメジャーな事が大嫌いという変人ですから、主流派からはことごとく外れています。

 

 そういう私の意見というか毒舌には、これまでも様々な反論がありました・・・ (;^_^A アセアセ・・・

 「日本代表に中村俊輔は要らない」と書いて、ファンだというネッ友さんから苦情のメールを頂いた事がありました (^_^ゞポリポリ

 「ユーミンは好きではない」と書いて、ファンの方から嫌いなものを語るより、好きなものについて語ればいいのではとコメントを頂きました(苦笑)

 似たような件では、「松田聖子は嫌いだ」と書いて、また長々と批判のコメントを頂きました (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 そういう事は、枚挙にいとまがありませんで・・・ (^_^;

 

 しかし、私は別に嫌がらせでそういう事を書いているわけではありません。
 第一、私の記事は好き嫌いを基準に書いているわけではありませんから、嫌いなものを語るよりも好きなものについて語ったらと言われても、困ってしまうわけでして・・・ (^^ゞ

 このブログはタイトルにもあります通り、「居酒屋」ですから、いろんな話題について、好きなものは好き、嫌いなものは嫌い、いいものは良い、悪いものは悪いと、その日その時、私が感じた心のままを書いているだけで、別に読んだ方に同調を求めているわけではありません。
 ただ、「こんな事をそんなふうに思っている」と書き綴っているだけで、言うならば「公開の独り言」ですからねぇ (^◇^) 。。。ケラケラ

 そんな独り言に、いちいち腹を立てるのも大人げないというか・・・(笑い)

 第一、自分が大好きだからといって、他の人も同じようにその人の事を好きだと思っている事自体が子供じみているというか (;^_^A アセアセ・・・

 

 例えば、私は中島みゆきの大ファンですが、彼女についてはいろいろとおっしゃる方も多いです。好き嫌いのハッキリと分かれるアーティストですから、それもやむを得ない事で (;^_^A アセアセ・・・
 好きな人もいれば嫌いな人もいる。ただそれだけの事ですから、誰かが中島みゆきについてボロクソに言ったとしても、それはその人の評価ですから、それについて私がどうこういう筋合いのものではないですし、言われた事によって彼女に対する私の評価や思いが変わるわけでもありません (^^)v

 

 まぁ、嫌いだからといって、敢えて公共の場で「嫌い」だと声高に言って波風を立てなくてもいいんじゃないかというのが大方のご意見なのでしょうが、どこかの新聞みたいに勝っても負けても一面を飾るみたいな提灯記事でネット埋め尽くすみたいな愚は、せっかくの意見の場を自ら放棄しているみたいでもったいないと思いませんか?

 褒めたり持ち上げたりする一方で、けなしたり批判したりする意見もあるのが普通のコミュニケーションの場であって、そうでなければ、言論の自由のない「彼の国」と一緒になってしまいますよ。

 好きだとか素晴らしいとか、そういう事しかネットに書いてはいけないのなら、まるでどこかのカルト教団の掲示板みたいじゃないですか(爆笑)

 

 「甘言」ばかり言う家臣を持つトップは、やがてその地位を脅かされ、追われる事になると歴史が語っています。

 逆に、「諫言」を言ってくれる家臣は、何にも替えがたい家宝だとも言います。

 私は「諫言」とか「苦言」とかを言っているつもりはありませんが、たまには自分とは意見を異にする、耳に痛いようなことも、素直に聞いてみることをお勧めします(笑い)
 そうすることは決して無駄にはならないと思いますし、もしかしたら考え方の幅も広がるかもしれませんから・・・

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2010年1月28日 (木)

八方美人・・・

 平野官房長官が、沖縄の普天間飛行場の移設問題について、25日に「選挙結果を斟酌していたら何もできなくなる」という趣旨の発言をし、それに続いて26日午前の記者会見では、「理解は求めなくてはいけないが、合意が取れないと物事を進められないものなのか。日本の安全保障にかかわってくる問題だ」と述べ、必ずしも住民の同意の必要性はないとの認識を示したと報じられ、この発言をうけて各方面から大きなバッシングをうけている。

 

 まぁ、沖縄の方々のお気持ちもわからないではないが、平野官房長官の発言はもっともなものだと私は思います。

 

 群馬県の八ツ場ダムについても同じだと思うのですが、どうも民主党という政党は、野党生活ばかりで政権を担った事がないから、何事についても及び腰の姿勢が見えて、もどかしい事この上ない。
 八方美人というか、嫌われる事を極端に恐れ、全ての人に気を使う事ばかり考えているのではないか。

 何事においてもそうですが、全ての人が納得する政策なんてあり得ないわけですから、誰かが犠牲になるとか、ことばが適切でなければ、不利益を蒙るとかはやむを得ないわけです。

 

 原子力発電所や葬儀施設、あるいはゴミ処理上など、迷惑施設と呼ばれるものの建設計画が持ち上がると、決まって住民達から建設反対の声が上がり、必要性は認めるものの、なぜ自分たちが住んでいるところに作られるのか、納得いかないから反対だという声が必ず上がる。
 しかし、そういう思いは誰しも抱いているわけですから、そういう人々の声にいちいち配慮をしていたら、日本中のどこにもそういう施設は建設できないという事になってしまいます。

 反対派の声を聞き、それに配慮をするという事は大事な事ではありますが、問題なのはそういう反対派の意見に振り回されて、計画が歪められたり頓挫したりする事があってはならないという事です。

 

 八ツ場ダムの場合、計画発表から実に60年近くも経っており、その間翻弄され続けた住民達の不満の声は当たり前といえば当たり前で、問題なのは、本当に必要なダムならとっくに完成していたはずで、難工事といわれたあの黒四ダムでさえ、計画発表から7年程度の年月で完成しました。
 八ツ場ダムが、なぜこんなに長い間かかっても、ダムの本体工事さえ始まらない状況なのかといえば、工事が長引けば長引くほど儲かる人が居るからで、そういう一部の人たちの思惑によって住民達が振り回され続けているからに過ぎないのです。

 

 必要ないものは、「たとえどんな理由」を付けたとしても、必要ないのですよ!

 

 そういう断固とした思いでダムの建設中止を進めていかなければ、この先何年経っても八ツ場ダムに関わる人たちは翻弄され続けるだけで、その方がどれほど悲惨な事か・・・

 前原国交相には、人気取りではなく、本当に必要な政策はなんなのか、そこのところをしっかりと弁え、例え悪人と呼ばれようとも国としての方向性を見誤って欲しくはないものです。

 

 翻って、沖縄の基地問題ですが、日本の国内に外国の軍隊が駐留している事自体がそもそもおかしな事だという事は誰でもわかっているはずです。
 しかし、アメリカが基地を手放したくないと思っている限り、日本のどこかに基地は在り続けるわけで、戦後、アメリカに占領された沖縄がその矢面に立たされ、返還後も延々と基地は存続し続ける事がアメリカの本音を雄弁に物語っているわけです。

 今回の普天間飛行場の移設問題でも、あくまでも「移設」であって、無くなるわけではなく、沖縄を含む「日本のどこか」に場所を移して存在し続けるという事実に変りはありません。

 それを阻止し、例え一つでも日本の国内から基地を無くそうと、民主党は決着期限を5月までとし、グァム移転も含めてアメリカと水面下で交渉を続けているわけで、決して問題を先送りしているだけでも、閣僚の発言が不一致なわけでもないと私は思っています。

 

 住民達を始めとする全ての声を聞き、その声を尊重し、それを政策に生かす・・・
 いかにも民主主義を貫いているようにも見えますが、単に優柔不断なだけともいえなくはありません。

 本当の優しさとは、あちらもこちらも立てようとする事ではなく、たとえ住民の方々には残酷な決定になろうとも、大ナタを振るいスパッと英断を下す事にあります。少なくても、私はそのように思っています。

 もし、移設先が決まらず、問題がず~っと店ざらしになってしまったとしたら、八ツ場ダムの二の舞で、その間住民達は苦しみ続ける事になってしまいますから・・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年1月27日 (水)

盲点

20080427001  私の愛用のマウスですが、ロジクール製の「MX-610BK」というコードレスタイプのヤツです (^^)v

 購入してちょうど4年くらいになりますが、メインのデスクトップではもっぱらこればっかり使っていまして、もう、このマウスがすっかり手に馴染んでしまいました (^_^ゞポリポリ

 

 ところが、先週の末のこと、今までなんの問題もなく操作できていたこのマウスが、突然ストライキを起こしてしまいまして・・・ (^^;

 マウスを動かしても、カーソルは画面の上でブルブル震えるだけで、ちっとも思うように動いてくれない・・・ (ノ_-;)ハア…

 いきなりですから、まず考えた事は、電池が無くなったんじゃないかということ。
 コードレスですから、それは当然の事でして・・・

 しかし、電池を替えても状況は変わらない・・・ (__;)

 次に思ったのは、マウスパッドがダメなんじゃないかと・・・ (^^;
 で、別のパッドを敷いてみたり、パッドを取って机の上で直に動かしてみたりしたんですが、やはり状況は変わらない・・・ (^_^;

 

 そんなこんなをあれこれ試してみたんですが、不具合は変わらないので、とりあえず別のマウスに取り替えてその場を凌ぎました。
 いつまでやっていても、ストレスが溜まるだけで精神衛生上良くないですから(笑い)

 

 そして、日曜日の夜のことですが、隣の机の上に転がっているロジクールのマウスを見ていてふと思ったんですよね。
 もしかして、底にゴミでも付いているんじゃないかと (^_^ゞポリポリ

 マウスって、元々は中に入っているボールを転がしてカーソルを動かしていました。その時の経験で、年に数回マウスからボールを取り出して掃除をしていたのを思いだしたんです。
 ホコリとかがボールの周りとかに付着すると、ボールの動きが悪くなってカーソルの反応が鈍くなるんですよね (^^;

 

 で、ひっくり返して眺めてみたんですが、底はキレイなもんです。20100127001

 底はキレイなんですが・・・

 あれ?
 穴の中に・・・
 詰まっているのは・・・
 もしかして、ゴミ? (^◇^;)

 ・・・という事で、底にある受光部の穴をよ~く見ると、綿ぼこりが詰まっているじゃない。
 さっそく穴の中につま楊枝を突っ込んでホコリを掻き出しました (^^)v

 試しにロジクールのマウスをつないで動かしてみると・・・

 動いた! 動いた!
 元通り、サクサクと画面の中をカーソルが動き回ります ヽ(^◇^*)/

 

 ナンてことはない、長いこと使っている間に、マウスの底の受光部の穴の中に綿ぼこりが詰まって、センサーが読み取れなくなっての不具合とわかりました (^◇^) 。。。ケラケラ

 う~ん、これは盲点だったなぁ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2010年1月26日 (火)

カーニバルヒルズ

 日曜日に、成田市のお隣になる、香取市の「カーニバルヒルズ」という、日帰り温泉施設に行って来ました (^^ゞ

 リーズナブルに温泉気分を味わって、ちょっとした非日常を味わってくるのが目的です(笑い)

 

20100126001 20100126002_2

 写真をご覧になってもおわかりのように、こぢんまりとした建物で、それほどりっぱな施設ではありませんが、周辺の自治体からもけっこうお客さんは来ているようで、日曜日という事もあったせいでしょうが、館内はそこそこ賑わっていました(苦笑)
 もっぱら、常連さんが多いようですが、リピーターを呼べるという事は、それだけこの施設に魅力があるという事になります。

 正直、スタッフの皆さんは、愛想もよくて気さくな感じなのですが、仕事ができるという印象は受けませんでした (^^;
 つまり、田舎の人たちが一生懸命に営業しているという感じで、木訥で人柄はいいのですが、気がきかないというか・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 オープンしたのは、06年の9月という事で、小見川街道という地元では有名な主要地方道沿いに建てられていますから、私もこの施設の事は以前から知ってはいましたが、実際に利用するのは初めてになります。

 私のアパートがある三里塚からだと、車で30分程度のところに在りますので、ちょっと気軽に出かけられる距離ではあります (^^)v

 

 受付を済ませると、バスタオルとフェイスタオル、それに館内着とロッカーキーを渡されます。
 館内の飲食を始め全ての料金の支払いはこのバーコードが付いたロッカーキーで行なうシステムで、帰る際にフロントで料金を精算する仕組みです。

 

 とりあえずロッカーに向かい、館内着に着替えて、レストラン前にある休憩スペースで生中を一杯 (*^.-^*)♪
 それにしても、昼間から飲むお酒はなぜこんなに美味しいんでしょうねぇ (^◇^) 。。。ケラケラ

 その後、温泉に浸かってきました。
 女湯の方には入れないので、男湯中心の紹介になりますが、その点につきましてはご了承ください (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 浴場には、大きな湯船と水を張った小さな湯船の二つ、露天風呂が一つと、サウナがありました。
 お湯は、関東によく見られる「黒湯」と呼ばれるコーヒーのようなお湯で、私は房総の養老渓谷にある温泉で一度入った事があります。
 しかし、内風呂はかなりぬるめで、熱めのお湯が好きな私にはとても不満でした (^^;
 大きな浴槽をそのまま一つで使うのでなく、二つに分けて、熱いお湯とぬるめのお湯とを入れるくらいの事が、どうしてできないのでしょうねぇ (ノ_-;)ハア…
 たいていの温泉なら、そのくらいのサービスは当たり前に行なっていると思いますが・・・

 それに比べると、露天風呂はけっこう熱めのお湯が張ってあり、私にはとても具合がよかったものの、外気がとても冷たく、とても長居はできませんでした (^.^; ポリポリ
 昼食を済ませてからもう一度入った時には、お天気もよかったせいで気温もそこそこ上がっていたからなのか、露天風呂に肩まで浸かっていると、冷たい風が顔をなでていくのがとても気持ちよかったです(苦笑)

 

 昼食は、レストラン・・・というよりも、館内食堂という雰囲気ですが、比較的豊富なメニューの中から「ホイコーロー」の定食を食べてきました。
 味は悪くはないんですが、油がとにかくギトギトとしすぎていて、ちょっと閉口しました (;^_^A アセアセ・・・

 ここは最近人気のキリンのフリーも置いてあったので、それを注文して一杯やってきました (〃⌒∇⌒)ゞ ♪
 ドライバーにとっては、こういうのを置いてくれるのはありがたいです。やっぱ、ウーロン茶とかではもの足りませんからね(笑い)

 

 というわけで、一日、温泉での~んびりと過ごしてきました (^^)v

 今度は、この温泉の近くにある、「かりんの湯」という日帰り温泉に行ってこようかと思っています。
 「かりんの湯」といっても、ピンと来なかったのですが、「紅小町の湯」が改名したと聞いてなるほどと (^^)v

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年1月25日 (月)

I Have a Dream

 「私には夢がある」というこの一節は、63年8月28日にワシントンDCのリンカーン記念公園で行われた「ワシントン大行進」において、キング牧師がスピーチしたとされる有名な演説のなかのことばです。

 

 当時、深刻な人種差別に苦しんでいた黒人達の人権回復と生活改善のために、人種差別の撤廃と各人種の協和という崇高な理想を掲げて黒人公民権運動を続けていたキング牧師が、文字通り命をかけて訴えたスピーチでした。

 彼の運動が功を奏し、翌年には公民権法が制定され、法の上では人種差別はアメリカから姿を消す事になります。

 

 そして、記憶にも新しい出来事として、昨年、オバマ氏が黒人初の大統領として就任しました。
 キング牧師の「I Have a Dream」の演説から46年の年月が流れていました・・・

 

 オバマ大統領以前にも、ハリウッド映画などでは、黒人がアメリカ大統領を演じる事がしばしばありました・・・

 有名なところでは、「ディープ・インパクト」に登場したモーガン・フリーマンでしょうが、この他にも、人気テレビドラマの「24」のデニス・ヘイスバートや「ザ・マン/大統領の椅子」のジェームズ・アール・ジョーンズなども黒人で大統領を演じました。

 しかし、これはフィクションだという前提の上に役が成り立っていました。
 つまり、黒人が大統領になるなんていう事は絵空事であり、黒人が大統領だという設定によって、このストーリーはあり得るはずのない「架空の物語」なんだという事を、暗黙のうちにスクリーンを通して観客達に訴えていたわけです。

 オバマ氏が大統領に就任した事によって、これらの映画に真実味が加わった事になりますが、それもキング牧師が「夢」を持って黒人公民権運動を続けていたからこそだともいえるでしょう。

 

 残念ながら、この演説の5年後、キング牧師は暗殺されてしまいます・・・

 しかし、彼の功績を讃え、誕生日である1月15日に近い、1月の第3月曜日は、「マーティン・ルーサー・キング、ジュニア・デー」として祝日に設定されています。

 蛇足ですが、生前の功績を讃えて、祝日が制定された故人は、コロンブス、ワシントン、リンカーンの3人という事で、キング牧師を加えてもアメリカの歴史の中では僅かに4人だけという事になります。

 

 ・・・という事で、一週間遅れにはなりましたが、キング牧師の偉業を讃え、「I Have a Dream」ということばをご紹介させていただきました ( ^-^)/ ♪

 別に、人種差別の撤廃などのような大きな夢でなくても、人間にとって「夢を持つ」という事はとても大切な事だと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年1月24日 (日)

バベルの塔

 昨年の4月に「東京スカイツリー」というタイトルで、工事中の新東京タワーの様子をご紹介した事がありました。

 その後も、都内への仕事は何度も行ないまして、見かけるチャンスも無くはなかったのですが、ついうっかりとしていまして、確認する事は一度もありませんでした (^_^ゞポリポリ

 昨日、仕事で浅草通りを通る機会を得ましたので、ほぼ1年ぶりにその姿を確認してきました (^^)v

 

20100124001

 これは、浅草通りに入るずっと手前、江戸川区を流れる荒川に架かっている新小松川橋の上から見えたスカイツリーです。
 何度も何度も渡って、この橋の上からの景色なんて見慣れているはずなんですが、こうしてスカイツリーの姿を確認したのは昨日が初めての事になります。
 やっぱ、最初から見る気持ちがないと、目に映っていても見えていないという事なんでしょうね(苦笑)

 

 下町ですから、それほど高い建物が無いとはいえ、明らかに周りとは異質の一際高い塔が一つ見えました。
 公式HPによると、昨日の時点でのタワーの高さは、274mとなっていました。
 完成後の高さは634mとされていますから、4割強の高さまで完成した事になります。

 

 初めてこのタワーの建設現場を目にしてから、すでに1年近く経っているわけですから、ある程度の高さになっているだろう事は私にも想像がついてはいたのですが、それでもあらためてこういう景色を見せられると、アッという間に建設が進んだ感じがしてしまいます (^_^ゞポリポリ

 

20100124002 20100124003

 20100124004

 これらは、浅草通りを江東区方面から墨田区方面へと走っていて撮った写真です。

 

 スカイツリーの建設現場となっている、東武伊勢崎線の業平橋駅方向を正面に見る位置から撮ったので、真っ正面に大きく見えました。

 これを見る限り、新タワーは、東京タワーとは違って、鉄骨ばかりがムキムキと目立つ無骨な建築物ではなく、スマートな外観のタワーのようです (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 ただ、今の時点でこれだけの姿をしているワケでしょ。
 これから、この倍以上の高さになっていくとなると、ちょっと恐くありませんか・・・ (;^_^A アセアセ・・・

 まるで、雲を突き抜けてそびえ立つ、バベルの塔のように見えてしまうのは、私だけなのかしら・・・ (^^;

 実際に、雨雲などの低い雲は、600mを超えるこのタワーよりも下に見えるはずですから、350mといわれる第一展望台からでも雲の上にある雲海を見る事が可能だと思います (^^)v

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年1月23日 (土)

支那そば

 かつて、「支那そば」というメニューがありまして、私なんかも子どもの頃に食べた記憶があります。

 

 なんてことはない、普通のラーメンの事なんですが、今でも屋台などのノレンとかのぼりとかに書かれた「支那そば」という文字を目にする事は少なくありません。

 現在では、「中華そば」と言い換えられて用いられているのが一般的なので、「支那そば」=「中華そば」という事になるワケなんですが、そういう事情を知らない方の中には「支那そば」というと、なんか「昔ながらの」特別なラーメンというイメージをお持ちの方もお出でのようで、なんとなく昔懐かしい、サッパリしたしょうゆ味で細麺の、独立したメニューだと思っている方も少なくないのかな(苦笑)

 

 「支那」というのは、戦前から使われてきた中国を指すことばで、私が中学生だった頃でも、歴史の教科書の中には「支那事変」などということばが載っているほど一般的なことばだったわけです。

 しかし、辛亥革命を機に「中華民国」が建国され、「中華人民共和国」となるにあたり、中国政府から日本に対して「支那」という名称の使用を止めてほしいという非公式な通達があり、これをうけて当時の政府が1946年に使用自粛の通達を出して今に至ります。

 

 「支那」ということばには、中国に対する差別的なニュアンスが含まれている事から、次第に言い換えが進んでいき、現在ではほとんど目にする事はありません。

 代表的な言い換え例は、タイトルにも挙げた「支那そば」「中華そば」や、「シナチク(支那竹)「メンマ」が有名ですが、前述した「支那事変」も、「日華事変」あるいは単に「日中戦争」と記述している教科書が主流のようです。

 今現在でも公に使用している例外の一つとして、「東シナ海」というのがあります。
 かつては漢字で「東支那海」と表記していたのですが、いつの間にかカナで「東シナ海」と表記するようになりました (^^;
 漢字からカナに変わったからといって、差別的なニュアンスが無くなったわけではありませんから誤魔化しといえばそれまでであり、英語で「East China Sea」という事から「東中国海」というさらなる言い換え案を検討中という話しもあるそうです。

 

 いずれにせよ、「支那そば」という名称は、特別な理由とか思い入れとかがあるのならともかく、積極的に用いるようなものではないと私は思います。

 こういう事を言うと、中国の圧力に屈したとか、史実を誤認しているとか、いろいろとおっしゃる方も少なくないのでしょうが、そういう事とは別に、相手の嫌がる事はしないというのは、対人関係の基本であり、マナーの問題です。
 ですから、「支那」ということばを用いないようにしようという事は、決して歴史を誤認しているとか、弱腰の外交姿勢だとかいうわけではないと私は思っています (^^)v

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年1月22日 (金)

足るを知る

20100122001_2

 

 これは、出典は不明で、誰が言ったことばなのかはハッキリしないのですが、豊臣秀吉が言ったという説もありますし、禅の教えから言われるようになったともいわれています。

 

 いずれにしても、一人の人間に必要なものという事で、足るを知るという事の戒めとして言い伝えられてきたものです。

 前半の「立って半畳、寝て一畳」という部分は皆さんも耳にしたことがあると思いますが、後半の「天下取っても二合半」ということばはどうでしょう・・・

 恥ずかしながら、私はこの後半の部分をつい先日ラジオを聞いていて知りました (^_^ゞポリポリ

 

 一人の人間に必要なものは、立っている時にはせいぜい畳半分の広さがあれば間に合うし、寝ても畳一枚分の広さがあれば十分。
 また、どんなに出世してお金持ちになったとしても、一日に食べられるご飯の量は二合半もあれば間に合うという事をこのことばは語っています。

 この「二合半」という部分を、一日に食べる量ではなく、一度の食事で食べられる量だと解説しているものもあったりしますが、大食い選手権に出場するような大食漢ならともかく、普通の人であれば、一食は一合もあれば十分すぎるくらいの量ですから、二合半はやはり一日の食事で食べられる量だと考えるのが自然ではないかと個人的には思っています。

 

 人間の「欲」というものには際限がないとはよくいわれます。

 一つのものを手に入れると、すぐに新しいものが欲しくなり、美味しいものを食べても、それに満足することなく、もっと美味しいものが食べたいと思うのが人間というものの持つ「業」というもののようです。

 もっとも、その「業」があったからこそ、人類の文明は飛躍的な発展を遂げたともいえるワケで、人類以外の動物たちには、自らの命を保てるだけの食料があればそれ以上の欲望はなく、ムダな殺生はしないともいわれています。

 逆にいえば、「欲」のない人間は、人間であることを自ら放棄しているといえないこともありません (^^ゞ

 

 しかし、先にも述べたように「人間の欲」には際限がありませんから、畳一畳あればいいといわれても、できれば四畳半の部屋に住みたいし、風呂も無きゃイヤだし、欲をいえば、四畳半よりは1DKのマンションの方がいいし、どうせ住むなら1DKよりは2LDK、3LDK、そしていつかは一戸建て・・・と、一つのものが手に入る度により高級なものを手に入れたいと思うのが人の常でして・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 そして、住んだからにはエアコンも欲しいし、地デジ対応の大型液晶テレビも欲しい。PCも無きゃ困るし、ハイブリッドのマイカーもあった方が便利だ・・・

  という事で、そういうもろもろの「欲」が、人の「煩悩」と呼ばれるものなのでしょうか・・・ (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 なんにせよ、人が人らしく生きるためには「欲」も必要ではありますが、「足るを知る」という事も忘れてはならない事だと思います。

 そういえば、昨年の事業仕分けの時に、民主党の蓮舫氏が「二番じゃダメなんですか?」という発言をしてバッシングされた事がありました。
 もちろん、あの時のシチュエーションとは状況がぜんぜん異なりますから、例えとしては適切なものではありませんが、ある程度の生活ができているのなら、さらに上の生活を求める事は、はたして必要な事なのかどうか・・・

 もちろん、向上心とか上昇志向というようなものは大切だと私も思いますが、いたずらにより上流の生活を求める事が、いい事なのかどうかとなると、私には大いに疑問ですねぇ(苦笑)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年1月21日 (木)

場外乱闘

 大相撲の初場所が終盤を迎え、優勝の行方は珍しく混沌としたものになってきた・・・
 それでも、白鳳の優位は動かないのかもしれないが、少なくても、千秋楽まで観戦するだけの興味を残してくれた・・・

 

 そんな本場所の熱気を帯びた土俵とは裏腹に、土俵の外では冷たく醜い大乱闘が続いている・・・

 事のあらましはこうだ。

 初場所後の2月1日に行なわれる事になっている、日本相撲協会の理事選挙を前に、無投票で済ませたいと思っていた協会側の思惑を無視し、貴乃花親方が立候補の意向を表明したために、改選数をオーバーし、選挙になる可能性が出てきたために、各一門の動きがにわかに慌ただしくなってきたというもの。

 

 大相撲の理事は、協会に所属する各部屋の大本となる五つの一門の力関係で決まることが多く、長い間裏での調整で決められてきた経緯があり、ほとんどの場合無投票で決まってきたという長い歴史があり、選挙になったのは98年の理事選が最初。
 以降、3期連続で選挙が行なわれてきたが、04年からは一門の力関係で理事の数が決められ、無投票で決められてきた経緯があります。

 つまり、協会が自分らの身の安泰を考えて、なぁなぁでやってきたから、これからもなぁなぁでやっていきたいという思惑が見え見えなワケですが、そこに貴乃花親方が一石を投じたというもの。

 川の水も、絶えず流れているからキレイなのであって、流れが止り、よどんでくると、濁り、腐ってしまうものです。
 組織もそれと同じで、新陳代謝を繰り返し、新しい顔ぶれが入ることによってうまく機能していくものであり、それが長い間あまり変わらないとか、組織の都合で人事を行なっているようだと、慣れや癒着がはびこるようになり、組織そのものが崩壊してしまうのは、長い歴史が証明しています。

 貴乃花親方は、雄弁な方ではありませんから、その思惑がどこにあるのか今ひとつ伝わっては来ませんが、彼を支持する親方が6人もいるという事実は見過ごせないと思います。
 決して、貴乃花親方が独り善がりのパフォーマンスから理事になりたいと思っているわけではないという事実がそこからうかがい知ることができるからです。

 

 貴乃花親方が所属する二所の関一門では、貴乃花親方本人を事実上破門した上で、彼を支持する6人の親方らも合わせて破門とする決定を下した・・・

 この騒動がおかしいというか、協会に与する各一門の考え方が間違っているというのは明らかであり、誰でも立候補できるはずの理事選が事実上門戸が閉ざされていて、それに異を唱える親方は締め出されてしまうという、時代錯誤の封建的な考えがまかり通る大相撲協会というのはなんなんだと q(`o')ブー!!

 

 こういう旧態依然とした考え方が協会を席巻しているから、いつまで経ってもチョンマゲにマワシなんていう、江戸時代みたいな世界がそこに在るんだと私なんかは思っています。

 すでに大相撲は、外国人力士達が中心になって興業を行なっている時代に突入しています。にもかかわらず、協会関係者達は、「日本人の心」だとか「作法」だとかを外国人力士達にも一様に求めようとしています。

 もちろん、「郷に入ったら郷に従え」ということばもあるように、角界に入ったら角界のしきたりを守るのは当然の事ですが、逆に外国人力士達の文化とか個性とかも尊重されなければならないのではないでしょうか。
 把瑠都がいつもヘラヘラと笑っていることが力士としての威厳を損なうだとか、朝青龍が勝ってガッツポーズをしたりバンザイをすることが負けた相手への配慮を欠く行為だとか、そういう「つまらない」事をいちいち取り上げて、バッシングするのは、彼等外国人力士達への冒涜以外の何ものでもないと私は思いますがねぇ・・・ (ノ_-;)ハア…

 

 第一、彼等外国人力士達は、手っ取り早く大金を手にするために相撲レスラーになっただけであって、日本人になろうと思って角界に入ったわけではないんですよ。

 つまり、大相撲の土俵に上がることと日本人としての心を持つことは全く別のことであって、関取になったからといって必ずしも日本人の心が必要だとは思わないんですよね。

 それなのに、関係者達は外国人力士達が彼の国の一面を見せる度に、日本人らしくないと言ってバッシングするのはいかがなものかなと・・・ (__;)

 こういう「奢り」というか、あるいは「勘違い」というべきなのかもしれませんが、そういうものをいつまでも大上段に振りかざして大相撲を取り仕切ろうというのは、もはや難しいんじゃないかと私なんかは思っています。

 

 なぜ、幕内上位に外国人力士達の顔が並び、日本人力士達が台頭できなくなってしまったのか、そのヘンの大きな理由が、こういう時代遅れの考えを持った親方達にあるのであろう事は否めないんじゃないかな。

 

 自分たちの身の安泰を考える以前に、大相撲の安泰というか、大相撲の発展を考えていくのが上に立つものの責任であり、仕事だろうと私は思うのですがねぇ。

 

 少なくても、今回の騒動を身内の反乱だなんて考えているのは関係者だけで、私たち傍観者の目には見苦しく、後ろ向きだと映っているんじゃないのかな。

 入札だって、談合で決まってしまうのは激しく非難されますし、ここはやはりキチンと選挙を行なって理事を決めるべきだと思いますよ。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2010年1月20日 (水)

栃木の神社

 昨日、仕事で栃木県の那珂川町(またかよ (^^; )に行って来まして、成田からですから、いつものように、つくば~土浦~桜川~益子~茂木と、順に走って行きました。

 

 その道筋には、いくつもの寺社仏閣が点在しており、過去にも「雨引観音」とか「長泉寺」などのお寺をご紹介したことがあります。

 先日、御朱印帳を購入したものですから、走りながらふと目についた神社を二つと、お寺を一つ、帰りすがら寄らせていただいて、御朱印を頂いてきました (^^)v

 

 まず立ち寄ったのが、三重の塔と手入れの行き届いた庭園が自慢の「長泉寺」です。
 このお寺については、過去にブログでもご紹介したことがあるので、詳しくはそちらをご一読ください。

 

 

 このお寺は、私のお気に入りでもあり、昨日で三度目の訪問になります。
 お膝元の成田山に続いて御朱印を頂くなら、ぜひこのお寺にお願いしたいと思い、真っ直ぐにこのお寺を訪ねました (^^)v

 いつもそうですが、ここの奥さんはマメな方で、ご住職が御朱印帳に記入している間、お茶と梅干しのお茶請けを持ってもてなしてくれました (〃⌒∇⌒)ゞ ♪
 せっかくですから、ありがたく頂戴してきました (^^ゞ

 さすがに冬の事とて、自慢のお庭にも花の姿はありませんでしたが、来月の末には梅の木が花を咲かせるとおっしゃってました。見頃は、やはり五月頃という事で、私が初めてこのお寺を訪ねたのも5月の事でした (*^.-^*)♪

 

 長泉寺を後にして、次に向かったのが茂木町にある「八雲神社」です。

 

 《 八雲神社 》

20100120004 20100120005

 

 「八雲神社」は、茂木町に鎮座する神社で、地元の皆さまからは「八雲さん(やくもさん)」「お天王さん(おてんのさん)」として親しまれているそうで、「お天王さん」といういのは、祀られている「素盞鳴尊(すさのうのみこと)」の地元での別称だそうです。

 お社も境内もこぢんまりとしていて、それほど大きなものではありませんが、初詣の名残がそこここに残っており、地元では親しまれている氏神様のようです。

 

 

 《 鹿島神社 》

20100120006 20100120007

 

 

 次に立ち寄ったのが、焼き物で有名な益子町にある「鹿島神社」です。鹿嶋市にある「鹿島神宮」とは、名前は似ていますが、ちょっと調べただけでは縁があるかどうかはわかりませんで、どうも関係はないような感じです (^_^ゞポリポリ

 こちらも、初詣の名残が残ってはいますが、やはり全体的にこぢんまりとした神社でした。

 

 という事で、昨日、頂いてきた御朱印です。

 

20100120003 20100120002 20100120001

 左から、「鹿島神社」、「八雲神社」、「長泉寺」です ( ^-^)/ ♪

 いずれも300円で頂いてきたものです。

 御朱印は、観光地や駅などで押すことのできる、一般的な記念スタンプと似てはいますが、お札などと同等のありがたいものとされていますので、御朱印帳の扱いには注意が必要だといわれています。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2010年1月19日 (火)

災い転じて

 日本中に蔓延している不景気の波は、従来から行なわれている日本の文化も飲み込もうとしていて、盆暮れの付け届けや年賀状なども虚礼廃止の名目のもとに取り止める会社も増えてきているという・・・

 そして、その波はカレンダーにも及んでいるようで、毎年、当たり前のように年末に配ってきたカレンダーも、製作配布を取り止める会社も年々増えているのが実情です。

 

 私は、常々カレンダーなんて買うようなものではないと思ってきた一人なので、これまではずっと貰い物で間に合わせてきました (^_^ゞポリポリ

 しかし、年々もらえる取引先やお店が減ってくると、来年はどうしようかと真剣に考えていたのも事実です。
 というのも、私は月曜始りのカレンダーをずっとヒイキにしてきまして、手帳やPCでは、月曜始りのカレンダーを20年くらい使い続けて来ましたが、部屋にかけるカレンダーは、貰い物ばかりだったこともあって、普通の日曜始りのカレンダーを使ってきました。

 つまり、部屋にかけてあるカレンダーは日曜始りで、PCなんかのカレンダーは月曜始りという、二種類のカレンダーが混在したワケのわからない状態でした(笑い)

 私の、月曜始りのカレンダーに対する思い入れというのは、3年ほど前にも「カレンダー」という記事の中で述べたことがあるので、興味がある方はご一読ください ( ^-^)/ ♪

 

 しかし、昨年の暮れ、とうとう一番アテにしていたガソリンスタンドがカレンダーの配布を廃止しまして、いよいよ困ったという事で、仕方なく今年のカレンダーはお店で購入することに決めました (^_^;

 しかし、たかがカレンダーですが、普通の文具店とか書店なんかに買いに行くと、安いものでも4~5百円はしますから、ここはなんとか100円ショップで買えないものかと・・・ (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 先にも述べたように、どうせ買うなら月曜始りのカレンダーが欲しいという事で、あちこちの100円ショップを回ってみました。

 一昨年までですと、文具店なんかでは数は少ないものの、月曜始りのカレンダーも少し扱っているようでしたが、さすがに100円ショップではごく普通の日曜始りのカレンダーばかりだった記憶がありますから、あまり期待はしていなかったんですが、意外にも月曜始りのカレンダーも、数は少ないながらも幾種類か置いてあるお店もいくつかありました ヽ(^◇^*)/

 

     20100119001

 そんなこんなで、月曜始りのカレンダーをいくつか買ってきて、それぞれの部屋に飾ったのが昨年の暮れのことです (^^)v

 

 雨降って地固まるとでもいうのでしょうか、災い転じて福というのが相応しいのでしょうか、頂き物のカレンダーが手に入らなくなったことで、今まで替えたくても替えられなかった部屋のカレンダーが、月曜始りのものになって新しい年を迎えることができました o(*^▽^*)o~♪

 今、私のアパートでは、各部屋に見慣れた月曜始りのカレンダーがかけてあって、これでやっと落ち着いて日々を過ごせるようになりましたよ(笑い)

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2010年1月18日 (月)

御朱印帳

 遅ればせながら、昨日、成田山に初詣に行って来ました。

 例年なら、松が明けるまでの一月の中旬の日曜日に詣でていたので、今年でいえば10日になるのですが、今年はバスツァーの予定が入っていたので、松が明けてしまいましたがなるべく早くという事で、一週間遅れの初詣になりました。

 

20100118003 20100118004

20100118005

 一月も半ばを過ぎていますので、正直、もう少し空いているのかと思っていましたが、どうしてどうして、かなりの人出で驚きました (^^ゞ

 例年だと、もう少しゆったりとお参りできるんですが、おそらく今年の参拝者は例年よりもずっと多いんじゃないかと思えます。
 景気がよくないので、神頼みの人が多いのかも・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

20100118001_4 20100118002_3

 そして、今年は例年とはちょっと違った初詣にという事で、社務所から「御朱印帳」を購入してきました (^^)v

 私もそうですが、家内も寺社仏閣を詣でることが大好きなので、それならただ見てくるだけではもったいないという事で、行った先々で御朱印を頂いてこようというのが今年の夫婦の目標です(笑い)

 いつも二人で出かけるわけではなく、私の場合は仕事の途中で目についた寺社仏閣に立ち寄ることも少なくないので、それぞれ別個に一冊ずつ買い求めてきました。

 はたして、今年一年間でどのくらいの御朱印が頂けるのか、初めての経験なので楽しみです p(^_^)q ワクワク

 

20100118006  ホントなら、先週詣でた川崎大師で購入すれば、昨日の成田山で2社目の御朱印になるはずなのですが、成田に住んでいる以上、成田山から始めるのが筋なんじゃないのということで、裏表紙に成田山の金文字が印刷された御朱印帳を買い求め、ここを最初とすることにしました (^^)v

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年1月17日 (日)

昨日の車窓から

 昨日、長岡市内に仕事で行って来ました。

 11時前に電話が入り、今から新潟に行けるかと言われまして、雪が心配ですから例によって多少は渋ったんですが、日頃からお世話になっているクライアントからの依頼なので、そうそうワガママも言ってられなくて、行きますと返事をしていました (^_^ゞポリポリ

 

 そんなこんなで、11時半くらいに芝山町の工場を出発して長岡の建設現場に向かいました・・・
 現場ですから、マゴマゴしていると作業員達は皆帰ってしまいますから、できれば5時までには着けて欲しいとは言われたものの、とても間に合いそうもなく、途中から現場担当者と電話連絡をとりながら、とりあえず向かって欲しいと・・・ (^^;

 

 以下は、そんなキビシイ仕事の車窓を撮ったものです ( ^-^)/ ♪

 

20100117001 20100117002

 関越に入ると、左手に富士山がキレイに見えました (*^.-^*)♪

 そんな印象が強かったので、最初の写真は、上里SA付近から左手前方に見えた富士山と思って撮った山です。
 ただ、帰って来て写真を整理していて思ったんですが、関越道を新潟に向かって走っていて、正面に富士山が見えるというのはチョッと考えられないので、方向からして、もしかしてこの山は榛名山か浅間山なんじゃないかと思うようになりました。
 本庄児玉ICを過ぎた辺りで、正面に富士山のように見える山についてご存じの方はいらっしゃいますかね (^_^ゞポリポリ

 

 二枚目の写真は、昭和ICを過ぎた辺りで撮った、沼田市内を見下ろす光景です。
 この辺りは、まだお天気もよく、快適にドライブを続けていた頃で、カメラを手にする余裕もありました・・・(笑い)

 

20100117003 20100117004

 これは、関東と越後との境にある「関越トンネル」手前にある、水上IC付近の様子です。

 だんだんと、アヤシイ雰囲気になってきて、この先の行程が不安になってきた頃です (^◇^) 。。。ケラケラ

 

20100117005 20100117006

 この二枚の写真は、関越トンネル直前の、谷川岳PA付近で撮ったものです。

 関東を後にして、いよいよ雪国へと入っていく覚悟を新たにしました (;^_^A アセアセ・・・

 

20100117007 20100117008

 関越トンネルを抜け、湯沢付近で撮った写真です。

 道路上に雪はありませんでしたが、両脇にはご覧のように高く積まれた雪が・・・ (^^;
 まだ、かすかに青空が見えるくらいの天候で、この辺りはまだそれほどコワイ思いはしませんでした。

 

20100117009 20100117011

 最初の写真は、ガーラ湯沢辺りを撮ったものです。

 昨日は、この先にある塩沢石打ICから長岡JCTまでチェーン規制がかかっており、二枚目の写真のような道路状況が延々と続きまして、所々雪が凍り付いてとても危険なところもありました・・・ (^^;

 さすがに、この辺りになると、カメラを手にしている余裕はなく、両手でしっかりとハンドルを握りながら運転を続けましたよ(苦笑)

 

 次第に暗くなっていく周囲の景色と共に、だんだんと心細くなっていきました (;^_^A アセアセ・・・

 長岡ICで高速を下り、国道8号線と県道などを使って目的の現場へ・・・

 さすがに一般道は走りづらい事この上なく、暗い夜道を慎重に、慎重に車を進めます。
 目的の現場はすぐに見つかりましたが、現場の中でぬかるみにはまってしまい、脱出不可能になるオマケ付き・・・ (^^;
 さっそく携帯で現場担当者に救援を請い、四駆を使って私の軽トラを引っ張り出してもらいました (^_^ゞポリポリ

 

 そんなこんなで30分近くロスした後、無事に納品を終えたのが18時過ぎ・・・ (^^;

 納品が終わるのを待っていたかのように、帰り道は猛烈な吹雪に近い雪がフロントガラスを終始襲ってきまして、ワイパーにはすぐに雪がへばりついて拭き取りがうまくできない状況に・・・

 当然、道路も一般道はもちろん、高速でさえアッという間に雪で覆われてしまい、非常にコワイ思いをしながら関越道まで戻ってきました。

 

20100117010_2  写真は、時々止み間があった風吹の間隙を突いて撮った高速での一枚です (^^;
 もう、今シーズンは雪国への仕事は受けたくないなと思った一日でした (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 関越トンネルを過ぎて関東へ入ってからは、雪の影響は全く無く、千円乗り放題の恩恵にあずかり、なんとか午前1時に帰宅できました (^^)v

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年1月16日 (土)

産直野菜

 20100116001

20100116002_2

 昨日、栃木県の那珂川町に仕事で行って来ました。

 その帰り道、例によって目についた農産物直売所に寄ってみたんですよ。

 

 最近・・・というか、昨年家内と一緒になってから、私の行動パターンがちと変わって来ましてね、以前だと自炊なんて全くしませんでしたから、道の駅なんて立ち寄ってもせいぜい食事をする程度で、そこで販売している野菜などの農産物なんて見たことはありませんでした。

 それが、家内と一緒になり、食事を作ってもらえるようになって、スーパーなんかにも一緒に買い物に行くようになると、野菜の値段などにも感心を持つようになりました (^^ゞ
 そうなると、道の駅や道端の直売所などで売っている野菜の値段が、一般のスーパーなどから比べるとかなり安いことに気付かされ、時々買ってくるようにもなりました。

 野菜なんかを買って帰ると、家内も喜んでくれるので、いつの間にか仕事の帰りには、地方の道の駅や農産物直売所などに寄って、野菜なんかを買って帰るのが私の楽しみにもなりました(笑い)

 

 写真は、昨日買ってきた野菜です (^_^ゞポリポリ

 白菜2個、キュウリとジャガイモがそれぞれ2袋ずつ、タマネギと大根、セリを一つずつ買って、これ全部で880円でした ヽ(^◇^*)/

 下に、それぞれのプライスを撮った写真も載せましたのでご確認下さい ( ^-^)/ ♪

 大根なんて、こんなに大きくて太いのがたったの80円ですよ、笑っちゃうでしょ (^◇^) 。。。ケラケラ
 白菜だって、2個で100円!
 仮に食べきれなかったとしても、この値段なら惜しくありませんもの (^^ゞ

 もう、見るもの見るもの、これは買わなきゃソンみたいな気持ちになっちゃって、次から次にカゴの中に入れるという100円ショップ状態・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 すっかりはまっちゃってますよ (^^)v

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2010年1月15日 (金)

筋肉痛

 この前の日曜日、バスツァーで東京タワーに行ったという記事を書きましたが、そこで大展望台から屋上まで外階段を使って下りてきた事にも触れました (^^ゞ

 

 約600段の階段を休み休み下りてきたんですが、翌日のお昼過ぎに愛車から降りると、やけにふくらはぎが痛い・・・ (^^;
 運転席に座って運転している分には何も支障はないんですが、車から降りた途端に足に痛みが走る・・・ (__;)

 タワーを下りた当日は、太もも、いわゆる大腿四頭筋がパンパンに張っていまして、痛みはないものの翌日以降が心配だなぁと思っていたんですが、実際に痛みを訴えてきたのは、太ももではなくて、ふくらはぎ、いわゆる下腿三頭筋の方でした・・・ (ノ_-;)ハア…

 

 火曜日の12日が一番痛みがひどく、歩くの・・・というよりも、立つこと自体がとにかく苦痛で、マトモに歩くことができませんでした (^_^ゞポリポリ

 仕事の途中で立ち寄った日帰り温泉に浸かり、ゆっくりと揉んだりしてみたんですが、あまり効果はなく、水曜日も痛みは続きました (^.^; ポリポリ

 さすがに、木曜日になるとだいぶ痛みはひいてきましたが、まだ若干歩いたりする際に痛みが出ました・・・

 

 家内も、同じ階段を下りてきたので、やっぱり月曜日からふくらはぎがメチャクチャ痛いと訴えていました。
 痛みの程度は、私よりもだいぶ重症のようで、昨日になってもまだかなり痛いと言っていました・・・ (^^;

 私よりも運動不足のせいなのか、それとも、他に何か理由があるのか・・・(苦笑)

 

 いずれにせよ、トシを考えずに無謀なことはするもんじゃないっすね (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年1月14日 (木)

ふんどし

 ネッ友さんのブログで、仲間がふんどしを着けてイベントに参加したという記事を目にしました。

 それ自体は別にどうこういう問題ではないのだけれど、添えてあった写真を見る限り、もしかしてコレ、「越中褌」なんじゃないのと思えてしょうがないので、ついこんな記事を・・・ (^_^ゞポリポリ

 

 よく、お祭りや何かのイベントの際に、締め込みをキリリと締めた若い衆の粋な姿を見かけることがあります。

 裸に締め込みを締めただけの姿に抵抗を覚える方も少なくないのかもしれませんが、褌は正装であって、決してだらしない下着姿というわけではありません。
 現に、大相撲なんかでは締め込みだけで取り組みを行ないますし、それはしばしば行なわれる天覧相撲なんかの時でも、特別な装いをしないことでも明らかです。
 もし、ふんどし姿が下品だとかワイセツだとかいう事になるのなら、神事とか興業などでふんどし姿が認められるわけはありませんから (^^)v

 

 ただ、一口に「ふんどし」とはいいますが、一般的なものには大きく分けて二つのタイプがあります。

 昔ながらの「六尺褌」と、略式の「越中褌」です。

 

 「六尺褌」は、その名前の通り、おおよそ六尺の長さの一枚の布でできており、身に付ける際には少々テクニックが必要ですが、「越中褌」は、短い布に紐を付けた前掛けみたいな形をしており、特別なテクは必要なく、誰でも簡単に素早く身に付けることができます。

 これは、着物や浴衣などを着る時に締める「帯」にも似たような事がいえます。
 和装で用いる袋帯は、普通は一枚の長い布でできており、それを上手に結ぶ事によって、着物ですと「お太鼓」だったり、浴衣ですと「文庫」などの飾りを背中に作りますが、慣れていないとなかなか形になりません (^^;
 そこで、不慣れな方でも手軽に帯を締められるようにと、背中の部分が帯とは別個に作られ、体裁よく成形してあって、締めた帯に後からワンタッチで取り付けられる「簡易帯」というものも近頃では人気があるようです(苦笑)
 つまり、普通の袋帯が六尺褌で、簡易帯が越中褌の立場に似ていなくもないなと (^_^ゞポリポリ

 

 もともとは、ふんどしといえば「六尺褌」が主流だったわけで、越中褌を身につける人は町人などの限られた人だけだったわけですが、後日「越中褌」が軍隊の正式下着として採用されると、少ない布で作られた越中褌は経済的で取り扱いが簡単という事もあって、イッキに日本中に広まって今に至ります。

 

 しかし、越中褌は正式な六尺褌とは違って、「下着」の域を出ることはなく、褌だけの姿で人前に出るようなことはありません(苦笑)
 今風に例えるならば、ブリーフやトランクスだけの姿で人前に出るようなことは恥ずかしくてとてもできないと思いますが、海水パンツなら大勢の前に出てもそれほど恥ずかしいと思うようなことはないと思いますし、それを見た周囲の人たちも目をそむけるなどの困った思いはしなくて済むと思います。

 六尺褌と越中褌との間には、それに似た違いがあって、祭りとかのイベントで用いられる褌はもっぱら六尺褌と相場は決まっておりますが、ふんどしそのものが現代の人たちには馴染みがありませんから、六尺褌も越中褌も同じモノだと思っている方も少なくないのと、扱いが断然楽ちんという事もあって、越中褌だけを身に付けた姿で人前に出たりする勘違い屋さんも時々目にします (^_^ゞポリポリ

 

 第一、越中褌はその構造上、どうしても「ユルふん」になってしまいがちですから、激しく運動したりすると大事なところがポロリとはみ出す危険性もあります (^◇^) 。。。ケラケラ

 ここはやはり、正式な六尺褌の締め方をしっかり覚えて、キリッと締めた正装姿でイベントに参加するべきだと私は思いますねぇ (^^)v

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年1月13日 (水)

昨日の車窓から

 昨日、山形県は西置賜郡にある飯豊町に仕事で行って来ました。
 飯豊町なんていっても、山形県のどのあたりか見当もつかない方がほとんどだと思いますが、簡単にいうと、昨年の大河ドラマでも取り上げられた米沢市の隣になります。

 会津で生まれ育った私にしてみれば、名古屋とか大阪とか、そういう西の方にある都市よりも、東北方面の都市の方が多少なりとも土地勘がある分、好きだったりします。
 ただ、それも雪がないという条件が付きますが(笑い)

 同じ山形県内でも、山形市内とか酒田とか、もう少し北の方なら雪が心配ですから断っていましたが、飯豊町なら米沢の隣ですから、福島市からもそれほど遠くありませんし、第一、峠一つ超えれば喜多方市ですから、二つ返事で引き受けていました (^_^ゞポリポリ

 

 夜の10時過ぎに成田空港を出発し、圏央道の稲敷ICから高速に乗り、千円乗り放題で東北道の福島飯坂ICまで行って、そこからは国道13号線で米沢に向かいます。

 途中の栗子峠付近は、東西の二つの大きなトンネルができた今でも、大きなスキー場がそばにあることからもわかるように、難所と呼ばれる雪深いところです。
 今回も、除雪が行き届いていますから道路上には雪はありませんでしたが、道路の両脇にはうず高く雪が積もっており、路面も凍結していて恐いことこの上ない状況でした (^^;

 圏央道~常磐道~磐越道~東北道と高速を乗り継ぎ、福島市からは国道13号線で米沢へ抜け、上杉神社の前を通り、国道287号線と県道とを使って飯豊町に入り、荻生駅前を通って目的地へ・・・
 この辺りまでは、夜間のドライブだったので、ご紹介したい景色も無いわけではないのですが、いかんせん暗くて写真に残せなかったこともあり、納品先の駐車場に車を着けて、仮眠をとりながら朝の始業を待ちます。

 という事で、指定時間の8時に納品を終え、目的地を出たあたりからの車窓になりますが、ご勘弁ください・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

20100112001 20100112002

 これは、納品先である、飯豊町の県道を走った時に撮った写真です。

 ご覧のように、路面には雪はありませんが、除雪した雪が道路の両側に積み上げられ、車はともかく、歩行者や自転車で通る方にとっては非常に危険な道路になっています。
 まぁ、これはこの町の道路に限ったことではなく、歩道がしっかりと設けられている道路でなければ、雪国はどこの道路でも、このように車と歩行者とバイクと自転車が混然となって、お互いがお互いを注意しながら通らなければならない状況になることは避けられないのです。
 この状況が約半年近く続くわけですから、雪国に住む人たちの生活はいかにキビシイものか、想像できるでしょうか・・・

 

20100112003 20100112004

 これは、飯豊町から会津の喜多方へ抜けるために、国道121号線へと続く県道を走っていた時に撮った写真です。

 チョッとした峠を通る道で、路面には除雪車に取り付けてある排土板で削られた雪が所々残っており、鏡のようにツルツルしているのでとても危険な路面状況です。
 特に、2枚目の写真の道路だと、うっかりするとタイヤが雪にとられ、簡単に横滑りしてしまいますから、一番事故が起きやすい雪道だといえるでしょう。私が走った早朝とか夜間とかは、地面が出ている黒いところから熱を吸収して溶け出した融雪水が凍り付き、危険極まりない時間帯でもあります。

 

20100112005 20100112006

 これは、山形県の米沢市と福島県の喜多方市とを結ぶ、国道121号線の峠付近を、福島県側で撮った写真です。

 ここも、昔は大峠という難所が存在し、交通の要所ではありましたがおいそれとは行き来できなかった歴史があります。
 しかし、今は大峠トンネルを始めとするいくつものトンネルでバイパスが作られていますので、会津と米沢との間は距離も時間もかなり短縮されています。
 中には、私の友人のように、会津若松からマイカーで米沢に行って映画を観るなど、行楽やレジャーなどにも手軽に使われています。

 それはともかく、バイパスでさえ冬期間はご覧のような状況ですが、それでもこれらのトンネルの開通によって、喜多方~米沢間が通年通行可能になった事は、少なくても会津の人たちにとっては利用価値は大きいと思います o(*^▽^*)o~♪

 

20100112007 20100112008

 これは、峠を下りてきて撮った、喜多方市の様子を写した写真です。

 最初の写真は、市街地からかなり離れた熱塩加納地区のもの、次の写真は、市街地の脇に設けられた国道121号線のバイパスを撮ったものです。

 同じ喜多方市内でも、市街地と郊外とでは、道路の状況も大きく違います (^^;
 市街地の方は、歩道も設けられていますし、除雪した雪もきれいに片付けられていますから、雪のない頃とほとんど変わらずに通行することができますが、郊外の方は両脇に積み上げられたままですから、道路自体も狭くなってしまって、通行はしにくくなっています。

 

20100112009 20100112010_2

 これは、会津若松市の市街地を離れ、芦の牧温泉にほど近い辺りの国道118号線の様子を写したものです。

 遠くの山々は雪化粧をしており、道路には雪はありませんが、両脇にはしっかりと除雪した雪などが残っています。
 走りにくくはありませんが、油断できない道路状況であることには変りありません。

 

20100112011 20100112017

20100112012 20100112014 20100112015

20100112018 20100112016 20100112013

 これは、下郷町で先月見つけた「郷の湯」という日帰り温泉です。見つけた時から入ってみたくて、今回の山形の仕事が入った時に、帰りは会津経由でここに入ることを決めていました(笑い)

 この温泉そのものはけっこう昔からあったようですが、利用者が多くなるにつれて二度の施設改修を行なったという事で、今の建物は2年ほど前に作られたそうです。
 その前の建物も敷地内に残っていまして、現在ではそば屋として営業しているそうです。

 

 この日帰り温泉を見つけるまでは、芦の牧のドライブ温泉をずっと利用していたわけですが、ご覧のように芦の牧の方よりずっとキレイな施設で、料金も50円安い300円 (^^)v
 これなら、これからはこちらの温泉を利用させていただきますよ (^◇^) 。。。ケラケラ

 例によって、最後に露天風呂に浸かっているところを撮ってみました(爆笑)
 洗い場に置いてあった椅子の上にデジカメを乗せ、セルフタイマーを使って撮ったものです (〃⌒∇⌒)ゞ ♪
 ご覧のように、露天風呂を囲んでいる板塀の上には雪も残っており、外気温も0度近くまで下がっていたので、湯船に溜まっているお湯の温度もかなりぬるく、写真撮影を済ませた後は早々に内風呂の湯船に移動して十分に暖まってきました (^^)v

 内風呂の方は、湯気がもうもうとこもっており、一応写真も撮ったんですが、何が何だかわからないものしか残せなかったので紹介は控えさせて頂きます (^^ゞ

 

 仕事の役得とでもいいましょうか、あちこちに行っていろんなものを見、食べ、遊んでくる・・・

 今回の山形への仕事も、たいへんだったという印象よりは、むしろ楽しかったという印象の方がずっと多かったですよ (^◇^) 。。。ケラケラ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年1月12日 (火)

トウメイハウス

20100109011

 仕事で、名古屋市内の国道23号線を走っていて見かけた看板というか、建物というか・・・ (^_^ゞポリポリ

 この、「トウメイハウス」という看板は、名古屋方面ならしばしば目にするので、けっこう大きな不動産屋さんなんだと思います。

 名古屋に所在を構える会社だから「トウメイ」という事で、おそらくは「東名」という意味なんじゃないかと思うのですが、「トウメイハウス」といきなりカタカナの大きな看板が現れても、私のように土地勘のない他所者からすると、「透明ハウス」という文字というかイメージがアタマの中に広がります (^◇^) 。。。ケラケラ

 「透明ハウス」・・・

 ナンか、やたらと明るくて、プライバシーが無く、落ち着いて暮らせないような印象を受けませんか(爆笑)

 あるいは、畑なんかでよく見かける、ビニールハウスみたいなイメージを持つ方もいたりして・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 

 という事で、今日は名古屋とは真逆の、山形県に仕事で向かいます。

 昨夜のうちに成田空港を出発していまして、朝に米沢市の近くの飯豊町に納品ですから、この記事を目にしている頃には、納品は終わっているかな (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 一応、福島市から国道13号線で米沢に向かいますが、できれば帰りは喜多方に抜けて、会津経由で帰って来たいと思っています。
 その方が近道だし、走り慣れているから高速代もかからないと思うので・・・ (^_^ゞポリポリ

 問題は、雪の状況次第なんですが、はたして米沢の天気はどうなのかな (?。?)

| | コメント (6) | トラックバック (1)

2010年1月11日 (月)

バスツァー

 昨日、仕事仲間から誘われてバスツァーに参加してきました。
 昨年の暮れに打診を受け、夫婦で参加することを伝えてあったもので、なかなか楽しい一日になりました。

 

 思えば、バスツァーなんて、昔サラリーマンだった頃に社員旅行で何度か経験がありますが、自営を始めてからはまったく縁がなく、少なくても15年以上は参加したことがありません (^_^ゞポリポリ

 
 今回利用させてもらったのは、成田空港にほど近い、芝山町で営業している「紅仙観光」という地元密着の小さな観光バス。
 しかし、地元密着というだけあって、行きも帰りも自宅そばまでバスを回してくれて、参加者としては申し分のないサービスぶりでした (*^.-^*)♪

 

 コースとしては、昨日も記事にさせていただいた「川崎大師参拝」をメインにしたもので、「虎ノ門金比羅宮」「川崎大師」「横浜中華街」「東京タワー」「上野アメ横」という盛りだくさんの内容で、どこに行っても人人人の大行列と雑踏で、かなり疲れましたよ(笑い)

 

 以下は、コースに沿ってご紹介する観光記です ( ^-^)/ ♪

 

2010011001 2010011002

 

 朝の出発の光景と、途中のトイレ休憩をしたときの光景です。

 私らの集合地となった、自宅そばのポイントに、観光バスが迎えに到着したところです。時間は朝の6時半。ここからバスに乗ったのは、私らを含めて9名でした。
 集合場所を一通り回って、参加者は総勢で42人。70代くらいのご年配の方が中心で、参加者の中では私ら夫婦が一番若かったです (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 港区の虎ノ門に向かう途中、東関道の湾岸幕張PAでトイレ休憩をしました。参加者が高齢者の方ばかりという事もあってか、トイレ休憩はけっこう頻繁に行なわれました(笑い)
 しかし、男性はともかく、女性の方はどこに行っても常に長蛇の列で、皆さんたいへんな思いをしたみたいですが・・・ (^^;

 

 《 虎ノ門金比羅宮 》

2010011003 2010011004

 

 第一の目的地である、虎ノ門の金比羅宮です。

 

 周りは高いビルに囲まれていて、なんとなくビルの谷間にポツンと和の建物がある感じで、かなり違和感のある神社でした (^^;

 到着した時間は、朝の8時半過ぎ。
 まだ早い時間だったせいか、唯一ここだけは人混みとは無縁で、ゆっくりとお参りすることができました (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 簡単にお参りを済ませ、バスに戻って最寄りのランプから首都高に乗り、一路川崎大師を目指します。 

 

2010011005 2010011006

 

 これは、首都高の都心環状線の内回りを走っているときに、バスから見た車窓です。

 いつも走り慣れている道ではありますが、こんなに目線が高いところから見たことはないので、視界もよく、とても新鮮に見えましたよ (*^.-^*)♪
 お天気も申し分なく、東京タワーなんかも綺麗に見えました o(*^▽^*)o~♪

 

 《 川崎大師 》

2010011007 2010011008 2010011009

2010011010 2010011011 2010011012

 

 川崎大師の参道やお土産屋が並ぶ通りの光景です。

 川崎大師そのものについては、昨日の記事でも取り上げましたので、今日は人人人でごった返す参道などをご紹介してみようかなと (^_^ゞポリポリ

 

 ご覧のように、10日だというのにまだまだ参拝客は途切れませんで、境内はもちろん、参道や土産物屋周辺でも、人の波に押し流されるように移動するだけで、なかなか目的の場所にはたどり着けないというか(笑い)

 土産物屋では、いつものように甘酒を一杯頂いてきました。ここでは一杯が100円という事で、とても良心的な価格に感激 (^^)v

 

 川崎大師といえば有名なのが飴屋さん。テレビなどでよく紹介されるトントントンという飴を切る威勢のいい包丁の音がそこいら中から聞こえてきました。
 写真は、とんとこ飴やせき止め飴で有名な「松屋総本店」です。機械で飴を練っている様子が窓越しに見え、アピール度も満点です(笑い)

 

 大駐車場では、隣接している自動車の祈祷殿から、お祓いの声が聞こえてきて、おそらく建物の前に並んでいるたくさんの車がまとめてお祓いを受けているんだろうと思います。
 その後方にも、たくさんの乗用車が停まっていましたので、順次建物の前に移動してお祓いを受けるんだろうと思われます。

 

 駐車場を出ると、すぐ脇に設けられているランプから首都高に乗り、横浜の中華街を目指します。

 

 《 横浜中華街 》

2010011013 2010011014 2010011015

 

 横浜中華街では、昼食の予定です。

 中華街の真ん前に設けられている中華街パーキングにバスを停め、提携してある「状元楼」という中華料理店に向かいます。
 迎えに来ていたお店の女性の先導でお店に向かいます。
 小旗を持った女性の後についてゾロゾロと移動するのは、なんとなく観光っぽい雰囲気が満点で、何年も忘れていた気分を思い出させてくれました (^◇^) 。。。ケラケラ

 お店の3Fでコース料理を頂き、お腹は満腹~ (^^)v

 

 《 東京タワー 》

  2010011026

2010011016 2010011017 2010011018

 

 東京タワーは、足下にセブンイレブンの本社が在った時とかよく目の前を通りましたが、中に入るとなると、小学校に入学する前に、はとバスの観光で一度来たきりですので、実に47年ぶりくらいになるのかな (^^;

 よく言われることですが、あまりにも有名な観光スポットというものは、近くに住んでいると行くことはめったにありません。おそらく、年中目にしているから、それで行ったつもりになってしまうからなんでしょうか・・・

 子どもの頃の記憶なんてほとんど残っていませんから、初めて行ったのと変わらない状況で、ワクワクしながら観光してきました(笑い)

 

 平日ならそうでもないんでしょうが、館内は大展望台へ昇る専用エレベーターを待つお客さんでいっぱい (^^;
 団体扱いですから、長蛇の列を尻目にサッサと中に入ることはできましたが、そこからエレベーター待ちの最後尾につかされ、展望台に着くまでに30分ほどかかってしまいました (;^_^A アセアセ・・・

 写真は、そんな列に並びながら撮った写真です。
 お正月らしくデコレートされた館内の展示物や、子ども達と記念写真を撮るノッポンという着ぐるみキャラです。

 

2010011019 2010011020

 

 大展望台から見た都内の光景です。

 あまりの人の多さで、窓ガラスの前は人垣で溢れ、好きなポイントでゆっくり眺めることもできませんで、少々不満は残ったんですが、それでも上野・浅草方面を臨んだ東の窓と、レインボーブリッジやお台場方面を臨んだ南の窓の光景です。

 しかし、大きな窓ガラスは、多くの人の手垢で汚れていまして、せっかくの眺めもかなり色褪せて見えましたよ (ノ_-;)ハア…

 

2010011021 2010011022 2010011023

 

 下に下りるエレベーターの前も長蛇の列でしたので、無謀にも階段で下に下りようと、外階段を下り始めました (^^;
 600段といわれる階段は、外の風が心地よく、最初のうちこそトントンと軽快に降りていたのですが、すぐに足が痛くなってきて、下りきった時には大腿四頭筋はパンパンに張ってしまいました (;^_^A アセアセ・・・

 途中の踊り場で、時々休みながら写真を撮ったりして、やっと屋上の遊園地までたどり着きました (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

2010011024 2010011025

 

 屋上の遊園地です ( ^-^)/ ♪

 

 何やら人垣ができているので覗いてみると、なんと!猿まわしをやっているじゃありませんか(爆笑)
 今年は、こんな意外なところで猿まわしを見物することができました ヽ(^◇^*)/

 前に成田山で見たのと同じ、太郎倶楽部の猿まわしと思われます。
 成田山で演じていたのは、ひかる君とひかりさんのコンビでしたが、今回のはHPのメンバー紹介を見ると、まさえさんとお猿のこうめさんのコンビみたいです。

 下に、デジカメで録ってきたチョッとした動画をアップしましたので、お楽しみ下さい ( ^-^)/ ♪

 

 

 

 《 上野アメ横 》

2010011027 2010011028

 

 最後の立ち寄り地となった、上野のアメ横です(笑い)

 

 ここで1時間少々の散策をして、不忍池のところからバスに乗って帰ってきました (^^)v
 ここも凄い人出で、まいりましたよ (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 かなりの強行軍となり、正直かなり疲れましたが、いい思い出になりました。
 これからは、バスツァーなんかも利用してみようかとティンクと相談して、心地よい眠りにつきました(苦笑)

| | コメント (6) | トラックバック (1)

2010年1月10日 (日)

初詣 2010

20100110002_2

20100110001_2 20100110003

 今日、川崎大師に初詣に行って来ました (*^-^*)ノ

 

 詳しくは、明日更新予定の「バスツァー」という記事の中で語るつもりですが、仕事仲間のツテで、川崎大師を詣でるバスツァーに誘われたので、ティンクと二人で参加してきました。

 目的は川崎大師に詣でるだけではなかったので、早朝に出発して20時に帰宅という事で、かなり疲れましたし、時間的にもとても一日を振り返る記事に仕上げることはムリと判断して、今日はとりあえず「初詣をした」という事だけ記事にしようかなと・・・ (^.^; ポリポリ

 

 私は、成田に住むようになってからは、毎年成田山に初詣に行くことにしていまして、もちろん今年も成田山には初詣に行きますが、ツァーの日程は昨年から決まっていたので、やむを得ず今年の初詣は川崎大師からという事になりました (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 川崎大師の前は仕事でも何度も通っていますが、参道や境内に足を踏み入れたのは今回が初めてになります。

 関東だけに止まらず、全国規模でみても、東京の明治神宮、千葉の成田山、そして神奈川の川崎大師と、三本の指に数えられるほどの参拝者数を誇るだけあって、今日も境内やその周辺は大混雑しており、とても活気がありました ヽ(^◇^*)/

 

 

 この川崎大師を詣でるバスツァーは、毎年企画されているという事ですが、今年は多摩川に架かる大師橋の上から大渋滞に巻き込まれ、橋を渡って駐車場にバスを入れるまで1時間近くもかかってしまいました (^_^;
 おそらく、三連休の中日という事で混み合ったんじゃないかとガイドさんはおっしゃっていましたが、普段でも渋滞しがちな場所ではありますが、さすがにこれだけ動かないのは初めてだとも言っていました。

 もしかしたら、首都高神奈川線に昨年新しく開通した、横浜方面への大師出入り口が川崎大師詣での車の流れに影響を与えたのかもしれません。
 なにしろ、川崎大師の大駐車場の隣にランプが設けられたわけで、横浜方面から首都高を走ってきて、大師で出ようとする車の長い列が、本線の方まで延々とつながっていましたから・・・ (^^;

 

 私らにとっては、初めての川崎大師・・・
 とても賑やかで活気のある神社だという印象を残して、次の目的地である横浜中華街へとバスは動き出したのでした・・・ (続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年1月 9日 (土)

臨時休業

          20100109001

 

 たいへん申し訳ありませんが、本日の記事の更新はお休みさせていただきます。

 せっかく、居酒屋のノレンをくぐっていただいた方には恐縮なのですが、本日は仕事の疲れもあって、記事をまとめる気力が残っていません (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 ・・・という事で、疲れて記事が書けないという事をもって、ブログの方の更新を終了させていただきます (^_^ゞポリポリ

 お休みなさい・・・ m(_ _)m

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2010年1月 8日 (金)

猿まわし

 2年前のお正月に、成田山新勝寺の参道を通った際に見かけた「猿まわし」です。

 おもしろそうだったので、少し立ち止まって見物させていただき、ついでに持っていたデジカメで動画にも録ってみました。

 当時の記事の中でもご紹介した動画なんですが、とっくにリンクが切れてしまっていたので、あらためてYouTubeにアップしてみました (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 

 猿の方が「ひかる君」で、猿まわしの女性が「ひかりさん」というコンビだそうです(苦笑)

 女性の猿まわしというのが物珍しかったというのもありますが、ひかりさんの口上もおもしろかったですし、ひかる君ともなかなかに息があっていて、楽しく愉快な大道芸だったと思います。

 

 昨年の初詣の祭には見かけませんでしたが、今年は会えるかな・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 それとも、ああいうのを見たのは一昨年の初詣が初めてだったので、あの時一度だけのものだったのかな・・・ (^^;

 

 ちなみに、今年も松の内を避けて、中旬頃に初詣に行く予定です (^^)v

 今年は、成田山だけではなく、川崎大師にも詣でる予定でいます (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2010年1月 7日 (木)

ななくさ

 今日は「七草粥」ですが、皆さんは七草粥なんて口にしたことはありますか?

 中には、キチンと食材を揃え、調理をして食卓に並べるご家庭もあるのでしょうが、ほとんどの家庭ではそんなものを作って食べたりすることはないんじゃないかな (^^;
 私も五十余年の人生の中で、七草粥なんて食べた記憶は一度もありません (^_^ゞポリポリ

 今の日本においては、七草粥なんて風習は、名前だけが残っているだけで人々の記憶からもすでに消えかかっているんじゃないでしょうか・・・

 

 それはともかく、七草には、正月七日の「春の七草」と、秋の「秋の七草」があります。

 

 「春の七草」は、セリ、なずな、ごぎょう、ハコベラ、仏の座、すずな、すずしろの七種を指します。
 一方、「秋の七草」は、オミナエシ、ススキ、キキョウ、ナデシコ、フジバカマ、葛、萩の七種をいいます。

 

 一般的には、「ななくさ」は、「七草」と書きます。
 しかし、「七種」と書く場合もありまして、私はどちらかといえばこちらの方を支持している1人です。

 つまり、「七つの草」ではなくて、「七種類の野草(野菜)」という考え方です。

 

 先に挙げた「春の七草」や「秋の七草」は、一つの例であって、必ずしもここに並んでいる名前の草でなければならないというような、厳格なものではないのではないかというのが私の持論です。

 例えば、七草粥を作ろうと思っても、「すずな(蕪)」や「すずしろ(大根)」などの食材ならともかく、「セリ」も「ハコベラ」も、今では入手は困難なのではないでしょうか。

 もっとも、スーパーなどでは七草粥の食材としてパックに入れて売っているところもありますから、昔のように野原から採取してくるというものではなくなっていますが、それでも「なずな(ぺんぺん草)」や「仏の座」なんて、いわゆる雑草ですから、それらを食材として用意されても、はたして食べ物だと思えるかとなるとビミョーなのではないでしょうか(笑い)

 

 だから、「春の七草」なんていって先人達からあてがわれたモノをそのまま使うのではなく、スーパーなどで普通に売っていて調達が容易であり、なおかつ、自分が食べたい食材を七種類揃えた方が理にかなっているんじゃないかというのが私流の「七種(ななくさ)」の考え方です。

 例えば、小松菜でも人参でもゴボウでも、「たくさんの種類」の野菜が入っているという事が健康のためにはいいという事は自明の理なので、「七草粥」も結局のところは、セリとか大根とかの食材を食べることが重要なのではなくて、いろんな種類の食材を食べましょうといっているのだと私は思っています。

 

 ところで、「春の七草」に対して「秋の七草」は、ススキにしろ萩にしろ、「食べる」という事を意識して選ばれたものではありません(笑い)

 古人達は、これらの草花を愛で、俳句や短歌に詠み込むことによって風流を楽しんでいたのでしょう。

 であるならば、やはり決められた七種類に限定されるのはおかしいというか、間違っているんじゃないかと思います。
 むしろ、そこいらの野山で普通に目にすることのできる、いろんな山野草を眺め、味わうことこそが大切なのだと私は思います。

 

 ですから、「春の七草」「秋の七草」も、「七種」の方が意味としてはより自然だと思うのですが・・・ ( ^-^)/ ♪

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2010年1月 6日 (水)

報道写真

 先日、このブログを運営しているNifty 事務局よりメールがまいりまして、私の記事内に報道写真が無断で使用されている旨の指摘があり、削除を求められました。

 

 個人的には、私的利用の範囲を逸脱していない行為だとは思うのですが、著作権の問題につきましては扱いは微妙であり、特に写真に関しては言い訳はできないのが現状です (^_^ゞポリポリ

 

 したがって、以後はネットから入手した写真は原則添付しないという方針でいきます。

 

 ただでさえ文字だらけの私の記事ですから、写真とかがないとアクセントもナニもなくなって、非常に取りつきにくいブログになってしまうと思いますが、皆様方にはなにとぞよろしくご理解のほどお願いいたします。

 ブログも、ごく親しいネッ友さんだけが閲覧していた初期の頃は、それほど気を使わなくても記事を書くことができたのですが、次第に常連さんも増え、開設から4年近くも経っている今、不特定多数の方がここの暖簾をくぐっています。
 すでに、このブログも書き手である私の思惑を超えて、一人歩きを始めているのかもしれません・・・

 

 なお、過去の記事につきましては、該当写真は順次削除していく方針です・・・
 ただ、1500を超える記事数がありますので、新しい方から削除していくつもりですが、全ての記事を見直すのにどの程度の時間がかかるのか、正直見当がつきません(苦笑)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

甘酒

 私は甘い物が大好きでしてね(笑い)
 さすがに今は家内の目もあって、昔から比べればかなり摂取量は減りましたが、それでも3本入りの串だんごのパックとか、丸ごとバナナとか、家内のお許しを得て時々食べたりしています (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 そんな甘党の私の好物の一つに「甘酒」があります (^_^ゞポリポリ
 初詣などに行ったとき、参道のお店なんかで甘酒が売られていると、つい買って飲んでしまいます(笑い)

 また、スーパーなどで売られている、甘酒のパックなども、時々買ってきては鍋で温めて飲んだりもします。

 

 「甘酒」は、米こうじと米を使い、発酵させて甘味を出す「本格的製法」と、酒粕と砂糖を使い、煮込んで作る一般的な「簡略製法」とがあって、個人的には甘味が強い分、酒粕と砂糖を用いた「簡略製法」の甘酒が好みです (^_^ゞポリポリ

 

 「甘酒」というと、鍋で温めた熱い飲み物で、フ~フ~息を吹きかけながら飲むイメージがあり、どちらかといえば冬の飲み物と思っていらっしゃる方も多いと思いますが、もともとは夏の間酒造りができない酒蔵が、副業として作っていたということで、暑気払いに冷たく冷やしたものを飲むのが一般的だったそうです。ですから、俳句の世界では現在においても「甘酒」は夏の季語だそうで、甘酒大好き人間の私もこれにはかなり驚かされました (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

20100106001  そういえば、昨年の夏に佐原の祭りを見物するために下見に行った時、酒蔵の見学をしまして、そこで冷たい甘酒が無料で振る舞われていたのを飲んだことを思い出しました。

 冷たい甘酒を飲んだのはおそらくこの時が初めてだったと思うのですが、飲み口が実にサッパリとしており、甘味も控えめで、とても美味しいと思いました。
 その時には珍しいものを飲んだという印象しかありませんでしたが、アレが「本格的製法」で作った「甘酒」本来の姿だったのだと、今なら思えます (^^)v

 

 実は、一昨日の夜、テレビのクイズ番組で「甘酒」を取り上げた問題がありまして、その時に「醴」と書いてあまざけと読むという事を知り、へぇ~という事で今日の記事となりました (^_^ゞポリポリ
 お使いのPCによっては「醴」という文字が見えない方もいらっしゃるかもしれません。
 「酉豊」が一文字で「あまざけ」だそうです ( ^-^)/ ♪

 

 「酉」は、「ひよみのとり」という部首で、「日読み」というのは十二支のことをいうので、簡単に「とりへん」と呼ばれることも多いです。
 また、「酉」は、酒壺の形に似ているところから、「酒」の本字と考えられており、「さけつくり」とも呼ばれて、「酌」や「酔」など、お酒に関係ある漢字に用いられる事も多いです。
 つまり、「酉豊」は、お酒がたくさん生産される酒蔵で作られたから「あまざけ」という意味に通じるんでしょうか (^_^ゞポリポリ

 

 ・・・という事で、「醴」の正確な意味はわかりかねますが、漢字というのは見ているだけで楽しいというか、なんとなく文字を通して先人達の思い入れが伝わってくるようで私は大好きです o(*^▽^*)o~♪

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年1月 5日 (火)

マンダム

20100105001  お若い方にはちょっと馴染みのないハナシなので、あまり興味もないだろうけれど、50代の後半以降の年配の方々にとっては忘れられない名前だろうと思う「丹頂チック」という男性化粧品・・・(笑い)

 

 昭和8年に発売されたというこの男性化粧品は、当時の男性達に大歓迎され、爆発的なヒット商品となった・・・
 さすがに、私自身は使ったことはありませんが、それでも名前くらいは知っています(笑い)

 ちなみに、「丹頂チック」というこの商品がどのような製品かというと、固形の整髪料で、リーゼントなどの髪型をガチガチに決めるときに用いられたもので、今風に言えばハードタイプのワックスといった感じでしょうか (^_^ゞポリポリ

 

 とにかく、この商品の人気は凄まじく、一頃は男性達の間で当たり前のように使われ、「丹頂チック」の名前は、私のような子どもでさえ知っているような、会社を代表するヒット商品となりました。

 このために、「金鶴香水」と名乗っていた創業以来の社名を、「丹頂」シリーズのブランド人気と知名度にあやかって「丹頂」と変更したのが昭和34年のことです。
 この当時、男性化粧品の整髪料の分野では、「丹頂チック」は「柳屋ポマード」と並んで市場のシェアを二分していたといいます。

 

 ところが、昭和38年に資生堂が「MG5」シリーズを発売すると、様相は一変してしまいます。
 あれほど売れた「丹頂チック」ですが、斬新なイメージを持った「MG5」に顧客を奪われ、アッという間に売上げを落とし、一時は倒産寸前にまで追い込まれます。

 

 そこで1970年、起死回生の一環として、チャールズ・ブロンソンを起用したCMと共に、「マンダム」シリーズを市場に投入。
 これが大当たりして、再びシェアを奪回した同社は、1972年に再び社名を「丹頂」から「マンダム」へと変更し、今に至ります。

 機を見るに敏というか、ポリシーも節操もないというか、社名ってそんなに軽々しいものではないと私なんかは思うんですが、勝てば官軍とも言いますし、実際に業績も回復し、世界の市場で活躍しているわけですから、社名変更はデメリットばかりともいえないのはマンダムに限ったことではありません。
 TDKとか、シャープとか、古めかしい社名を斬新なものに替え、成功している例は枚挙にいとまがありませんから。
 ちなみに、TDKとシャープの旧社名は、それぞれ「東京電気化学工業」と「早川電機工業」といいます。

 

 

 これが、チャールズ・ブロンソンを起用した有名なCMですが、このCMはジェリー・ウォレスの歌った「男の世界」と共に大ヒットしましたねぇ(笑い)

 

 ブロンソンを真似て、アゴの辺りを右手で擦りながら、「ムゥ~ン、マンダム」と言う男の子が日本中に居たはずです (^◇^) 。。。ケラケラ
 もちろん、私もその一人です (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 そして、大人になって男性化粧品を使うようになったときに、自然と手にしていたのがマンダムシリーズの男性化粧品でした (;^_^A アセアセ・・・

 

20100105004  今現在も、多数派が嫌いなへそ曲がりの私は、資生堂の化粧品を使うことはなくて、「マンダム」シリーズや「GATSBY」シリーズ、「LUCIDO」シリーズを中心に愛用しています。
 いずれも、マンダム社の製品です (^^)v

 

 余談になりますが、「マンダム」という社名は、もともとは「Man Domain」という事で、「男の領域」という意味だったそうです。文字通り「男の世界」がそのコンセプトだったわけです。

 しかし、化粧品というのはもともと女性向けの商品だったわけで、市場の規模も売上げ比も、男性化粧品は女性化粧品には遠く及ばない状況です。
 それに加えて、男女間の格差を無くす方向に社会は確実に動いているわけで、女性の膨大な購買層を無視できなくなってきたことから、1984年からは正式に女性化粧品事業に参入しました。
 これに伴い、「マンダム」という社名はそのままに、「Human & Freedom」の略だと言い訳がましい略称変更を行ないました(苦笑)
 そんな事になっていたとは、ずっと知らずにいましたよ (^◇^) 。。。ケラケラ

 そうそう、「丹頂チック」ですが、今でも細々とですが販売されているそうですよ (^_^;

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年1月 4日 (月)

元旦

 お正月も三が日を過ぎたのに、今さらという感じがしないでもありませんが、ひとこと・・・ (^^ゞ

 

 「元日」ということばと「元旦」ということばがあり、似たようなことばなのでごっちゃにして用いられている感も否めませんが、両者はまったく別のことばなので誤用には注意を・・・ ( ^-^)/ ♪

 

 「元日」というのは、1月1日の事を指します。
 つまり、1月1日の間は一日中「元日」なわけです。

 これに対して、「元旦」というのは、1月1日の「朝」のことを指します。
 つまり、お昼とか午後とかになって「元旦」ということばを用いるのは誤りという事になります。

 

 そもそも、「旦」の文字は、水平線から朝日が昇ったところを表わしています (^^)v

 

 したがって、「元旦の朝」という表記は、明らかな間違いとまではいいませんが、「馬から落馬した」なんていうのと同じで、同じ意味のことばを重ねたという事で、「重言」といってくどい表現という事になります(笑い)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

弱音

 箱根駅伝が東洋大の二連覇で幕を閉じた3日、スポニチとサンスポのウェブニュースに、興味深い記事が載りました。

 

 スポニチでは「柏原が強すぎるから…区間割りの再検討が必要?」というもの、サンスポでは「山上り偏重に疑問…区割り再検討も?/箱根駅伝」というもので、どちらの記事もほぼ似たような内容でした。

 

 要約すると、5区の山登りで爆走したチームがそのまま優勝してしまうケースが増えており、他の区間の重要性が低くなってしまったので、距離を短くする事を検討するべきではないかというもの・・・

 

 バカ言ってンじゃないっての q(`o')ブー!!

 

 そもそも、5区が今の距離である23.4kmに伸び、全区間中最長区間となったのは、2006年の82回大会からであり、それまでは四半世紀ほどの間20.7kmという最短区間だった。
 しかし、かつては24.7kmと、最長区間だったという。
 戦前から1954年までの詳細な距離は不明ですが、55年に行なわれた第31回大会では25.1kmという数字が残されています。
 それが、60年の36回大会からは24.7kmになり、67年には22kmになり、72年に21.4km、79年からは20.5kmとだんだん短くなって、06年に今の距離に変更されるまで20.7kmで運営されてきました。(計測誤差により、同じコースで20.5km~20.7kmの距離が記録されています)

 では、なぜ長く用いられてきた5区を、今の距離に伸ばす必要があったのだろう。

 

 2005年の暮れに購入した、箱根駅伝の公式ガイドブックが手元にあり、その中に「特別座談会」と称する特集記事が載っており、5区の距離変更の経緯に関する関係者の会話が収録されています。長い対談記事なので、ごく一部ですが、抜粋して引用させていただきます。

 出席者は(敬称略)

 澤木啓祐(関東学連副会長)
 青葉昌幸(関東学連駅伝対策委員長)
 濱崎眞造(関東学連総務委員長)
 廣瀬豊(関東学連会長)司会

 青葉:ここ数年、なかなか5区を走った選手からオリンピック選手が出てこないことも変更の理由の一つです。(中略)箱根駅伝の勝負所というと花の2区ですが、新たに5区というのが話題の区間となり、その中からオリンピック選手が生まれるというところにも意味があるのではないでしょうか。

 廣瀬:確かに42回大会以降5区の距離が短くなり、山登りでがんばった選手が必ずしもマラソンのオリンピック代表選手や世界選手権代表選手にはならないといった状況です。ところが、戦前から戦後の昭和40年くらいまでは5区を走った選手がマラソンの日本代表選手になることが圧倒的に多かった。(中略)箱根駅伝そのものが競技生活の最終でもいいのですが、ある程度力のある人はさらにその上に目標を置いて世界でもがんばっていただきたい。我々も箱根駅伝をやるからには世界に通用する強い選手を1人でも多く出したいというのが願いです。それが今回の距離を伸ばすことで少し光が見えてきたと思います。
 

 つまり、5区の距離を伸ばすことによって、花の2区だけに注目がいきがちな選手や観客の目を5区にも向けさせ、それによって強い選手を発掘して育て、世界に通用するようなマラソン選手を育てたいというのが、当時の距離変更に関わった関係者の狙いだったという事です。

 

 ところが、距離を伸ばした82回大会では、5区を走った順大の今井正人が2分26秒差の6位スタートから逆転して往路優勝を遂げ、山の神と呼ばれることになる。
 この年は亜細亜大が初優勝を遂げ、順大は4位に終わった。

 翌、83回大会でも、今井正人は5区を走り、4分9秒差の5位から大逆転し、区間新の記録を出して往路優勝を遂げ、順大は復路も制して6年ぶり11回目の総合優勝を遂げた。

 84回大会では、早稲田の駒野亮太が5区を走り、1分27秒差の6位スタートから逆転して往路優勝を遂げ、復路でも早稲田は2位と大健闘した。

 そして記憶にも新しい昨年の85回大会では、4分58秒差の9位からスタートした東洋大の柏原竜二が、区間新の猛烈な走りで往路優勝し、復路も制して東洋大は初優勝に輝いた。

 しかし、今年の86回大会では、2年連続で東洋大の柏原の圧倒的な強さを目の当たりにして、とうとう泣き言を言い出す関係者が現れる・・・ (ノ_-;)ハア…

 東洋大のエース柏原竜二の激走は称賛するしかないが、総合力を問われる駅伝で、全体の勝負に占める割合が山上りに偏重しすぎではないのかと・・・

 

 かつて花の2区で沸かせた早大の渡辺康幸監督は「山を爆走したチームがほぼ優勝。それが最近の箱根になっている」と、花の2区と呼ばれるエース区間の意義の低下を嘆き、早大OBの瀬古利彦氏も「1~4区はもういらないんじゃないの」と冗談めかして言ったという。

 これ、早稲田関係者の2人が言っているというところがアヤシイ・・・ (^^;

 今日の箱根駅伝記事の中にも書きましたが、とにかく早稲田は山に弱いというのがもっぱらの評判でして、今年の大会でも、5区と6区の山で転けてしまったから7位なんて成績に終わってしまったわけで・・・

 確かに、2年前には駒野亮太という山登りのスペシャリストと、加藤創大という山下りのスペシャリストを擁し、共に区間新の成績で好成績を収めた年もありましたが、ここ10年以上、2区を走れるエースは何人も居ましたが、いつも山で大きく崩れ、それがためにシードを失うことさえ何度もありました・・・

 つまりは、指導者がダメだから・・・というよりも、平らなところしか走ったことがない指導者だから、山の走り方を教えられないんだと思います。

 そこにもってきて、柏原みたいなスーパーマンが登場すると、彼が在籍するあと2年間はとても勝ち目がないから、ルールを変えて5区の距離を元に戻そうなんて邪なことを考えたんじゃないかな (^◇^) 。。。ケラケラ

 いかにも渡辺とか瀬古とか、エリート育ちのボンボン指導者が言い出しそうな弱音です。
 どうして同じ土俵で正々堂々と戦う事を考えないんでしょうね。情けない・・・ (__;)

 関係者の思惑が当たって、5区に今井とか柏原とかの超人的なランナーが現れた途端に、そういうスペシャリストの活躍できる場を狭めようとするのは、姑息としかいいようがないと思うよ(笑い)

 まぁ、今回の記事は負け犬の遠吠えを記事にしただけで、本当に区割りの再検討なんてあるはずがないとは思うけど、瓢箪から駒なんてことばもあるし、しばらく目は離せないなぁ・・・ (^_^ゞポリポリ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

箱根駅伝 2010

 第86回箱根駅伝は、往路優勝を遂げた東洋大が、復路では一度もトップを譲ることなく、堂々の連覇を遂げて幕を閉じた・・・
 もちろん、私もテレビの前に釘付けになって両日のレースを観戦させてもらったんですが、なんというか・・・ (__;)

 

 私が箱根駅伝を見るようになった20年近くの歴史の中では、最低最悪の空しい大会だったなぁと思えてなりません・・・ (ノ_-;)ハア…

 もちろん、個々の選手たちはそれぞれに頑張ってくれたし、感動を与えてくれるシーンもありました。
 しかし、大会全体を大局的に見た場合、昨年の二番煎じというか、東洋大の柏原というスーパースターが作った貯金で優位にレースを運んだ東洋大が無難に逃げ切っただけという、見ている方には非常に退屈な大会になったことは否めないんじゃないかな。

 実際、私は6区が終わった時点で東洋大の優勝は動かないだろうと思い、7区が終わった平塚中継所でそれは確信に変わりました・・・
 以後のレースは、他のことをしながらチラチラとテレビに目をやるくらいで、まったく関心は無くなっていましたよ (__;)

 

 柏原が在籍するあと2年間、同じような大会を見せられるのかと思うと、今から観戦意欲が削がれてしまうというか、少々ブルーな気持ちになっている私が居ます。

 結果だけ見れば、柏原一人で大差をひっくり返して往路優勝を遂げ、復路でもトップでゴールテープを切って総合優勝に輝いた展開は、昨年と同じように見えるのかもしれませんが、内容は全く違います。

 昨年は、往路優勝を遂げたとはいっても、2位早稲田との差は僅かに22秒。
 そして、6区が始まってすぐに早稲田に抜かれ、復路では先を行く早稲田を追いかける展開で、8区の途中までは2位だったワケで、トップに立った後も後続との差をそれほど大きく開くことはありませんでしたから、最後まで展開が読めなくて興奮させられたワケです。

 しかるに今年はというと、往路優勝を遂げた時点で、2位山梨学院大との差は3分36秒もありました。
 ですから、後続の大学は東洋大の選手の背中を見ることはかなわないわけで、これだけの差をもし逆転できるとすれば山下りの特殊な区間に懸けるしか無いわけです。
 しかし、6区の市川は区間9位と苦しんだものの、ブレーキとなるほどではなく、小田原中継所では2位との差は2分50秒もありました。

 7区以降の平地では、両者の間に相当の力の差があるか、そうでなければ前を行く選手がブレーキを起こしでもしない限り、劇的に差を縮めることは不可能ですから、7区を走った田中が区間賞の走りで2位との差を4分27秒まで広げた時点で安全圏に入ったと確信しました。

 レースというものは、接戦だからこそ見ていておもしろいわけでして、復路が序盤からこれだけ一方的な展開になってしまってはねぇ・・・ (ノ_-;)ハア…

 

 チョッと見には、柏原一人の活躍だけが目立ち、優勝した東洋大はワンマンチームのようにも見えますが、昨年も6区以降の選手たちがしっかりとタスキをつないで早稲田を逆転して突き放したように、今年も6区以降の選手たちは、7区で区間賞、8区でも区間賞に1秒差という、実に力強い選手たちが揃っていて、戦力の整った素晴らしいチームでしたよ。

 

 近年は、大学間の力の差が拮抗しており、「戦国駅伝」という表現がよく使われます。
 今年も、予選会組の中から5チームもシード圏内に入るという波乱がありました。もう、シード組と予選会組との間にはほとんど差はないという事を示す何よりの証左だと思います。
 しかも、出雲と全日本を制し、「大学駅伝3冠」という金字塔に王手をかけ、優勝候補にも挙げられていた日大が、まさかのシード落ちをするという、昨年でいえば駒大がシード落ちしたときのような大きなショックを受けるオマケまで付いて・・・ (^^;

 それだけに、チームの中に柏原のような人間離れした「大砲」が一人居るだけで、戦力は格段に上がります。
 今回柏原は、4分26秒差をひっくり返し、逆に後続に3分36秒ものアドバンテージを付けました。という事は、柏原と他の選手たちとの間には8分もの力の差があったという事になります (^^;
 単純に平地で走ったと仮定すると、2500mほど後方からスタートした柏原が、23.4km先にあるゴール手前で全ての選手を抜き去ったという事になります w(゚o゚)W
 信じられない走力ですよ。

 まして、柏原は5区の山登りで結果を残した選手です。5区の山登りと6区の山下りという区間は、他の区間とは全く違う特別な区間であり、ここを走る選手はスペシャリストと呼ばれます。
 他の平地のコースを走れる選手というのは比較的容易に育てる事ができますが、上り下りを担当する二人のスペシャリストを育てる事は並大抵のことではできません。

 ですから、東洋大の選手たちの力がそこそこまとまって無難に戦えさえすれば、柏原が在籍しているあと2年間は安泰という結論が出ちゃうわけですよ (__;)

 

 そういえば、昨年書いた箱根駅伝の記事の中で、「来年(の早稲田)は、竹澤が卒業してしまい、圧倒的な精神的支柱が無くなってしまうわけで、個々人の能力は決して低くはないものの、残念ながら早稲田が優勝争いを演じる事はもう無いだろう・・・ (__;) 」という一文と、「柏原が在籍する4年間、優勝の本命は東洋大で間違いないと私は思う・・・」という一文を書きました。

 図らずも、今年の早稲田は序盤の1区と3区で多少先頭グループに絡んだものの、ただの一度も優勝争いをすることなく、シードを守ることだけで精一杯の大会になりました (__;)ガクッ

 今年の早稲田の敗因は、いつもの事ではありますが、5区と6区の失敗です q(`o')ブー!!
 序盤の流れを4区の大串が壊し、5区の八木が繕えずにほころびを広げた。
 本来なら、区間賞を取ったこともある、6区のスペシャリストの加藤が、復路で少しでも前との差を詰めて7区以降でレースを作り直す目論みだったのだろうが、加藤は区間16位となるブレーキを起こし、差をさらに広げられてレースは破綻した・・・ (__;)

 山に弱いといわれる早稲田、今年もそのアキレス腱は改善されることなく、箱根の山で撃沈しました・・・ (ノ_-;)ハア…

 

 余談ですが、優勝テープを切った高見君の、両手を左右に振るコンダクター走法は今年も健在でした(笑い)

 帝京に居た飛松君の、怒り肩で走るブルドーザー走法も非常に個性的でしたが、高見君もとても個性的です。
 私は、スマートな走りをするエリートランナーももちろん好きですが、彼等のように個性的な走りをするランナー達も楽しくて大好きですよ o(*^▽^*)o~♪

 

 あと、解説の瀬古利彦が今年から変わったんじゃないかな(笑い)

 先日のニューイヤー駅伝の解説を務めたときにも感じたんですが、選手に対するコメントが実に的確であり、それに優しくなりましたよ (^◇^) 。。。ケラケラ
 以前のような自分本位のダメ解説ではなくなりました。
 瀬古もやっとオトナになったということなのでしょうか、こんな解説をしてもらえるのなら瀬古が解説でもそれほど不満はありません (^^)v

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年1月 3日 (日)

初夢

 新年を迎えて最初に見る夢のことを「初夢」といいますが、それでは「初夢」とはいったいいつみる夢のことなんだろう・・・ (?。?)

 

 これには諸説あって、「大晦日から元日」「元日から2日」「2日から3日」の三つの説があります (^^;

 

 時系列からいえば、「大晦日の夜から元日の朝」にかけて見る夢が、その年で一番初めに見る夢ということになると思うんですが、大晦日の夜は、初詣や初日の出を見るために眠らないで外出している人も多いので、必ずしも寝ている人ばかりではないという事から、江戸時代には「元日から2日」にかけて見る夢が初夢という説が現れたといいます。

 私も、個人的には「元日の夜から2日の朝」にかけて見る夢が、その年で最初に見る夢だと思う一人なので、初夢は「元日から2日」を支持しています (^_^ゞポリポリ

 

 ところが、どういう理由からなのか、「2日から3日」にかけて見る夢が初夢だとする説が現在では主流のようで、私はアタマを抱えてしまいます(笑い)

 おそらく、初売りが2日というように、物事を始めることが2日からという事が多いために、こんなワケのわからない説がポピュラーになっていったんでしょうが、やはり、説得力には欠けると私は思います。

 

 という事で、夢なんて必ずしも毎晩見るものでもない(一説には、見ているのを覚えていないだけともいわれています)わけですから、三日の夜でも、あるいは五日や十日の夜であったとしても、その年の最初に見た夢が「初夢」という事でいいと思うんですがねぇ(笑い)

 そうでないと、「元日から2日」であるにせよ、「2日から3日」であるにせよ、その夜に夢を見なかったらその年は初夢は無かったという事になるんでしょうか?
 あるいは、夜勤の人なんかは、夜に寝ているわけにはいかないわけですから、そういう人たちにとっては初夢は無いという事にもなりませんかね (^_^ゞポリポリ

 

20100103001  ところで、「初夢」というと「一富士、二鷹、三茄子」という、ことわざというか言い伝えというか、昔から縁起が良いものを順に並べたものとしてそういうことばが残っています。

 

 一の「富士」は、なんとなくわかるような気がします。
 日本一の山という事で、昔から崇め、讃えられてきた霊峰富士、それにあやかろうという事だろうと思いますが、他にも、「富士」は「無事」にかけているともいわれています。

 

 二の「鷹」は、賢くて強い鳥の代表であり、空を「高く」飛ぶことにかけているといわれています。

 

 三の「なすび」は、親の意見と茄子の花は・・・などともいわれるように、たくさんの花が無駄なく実を付ける事から、子孫繁栄みたいな意味が込められているのだろうと私は思っています。
 単に、事を「成す」なんていう掛けことばだけということはないはずだからです。

 

 ところで、このことばには「四」以降も存在しており、いくつかあるようですが、一番ポピュラーなのは「四扇、五煙草、六座頭」というものです。

 

 四扇(しおうぎ)というのは、扇は末広がりで縁起が良いというもの。

 五煙草(ごたばこ)は、タバコの煙は上に上っていくので、運気が上昇するというもの。

 六座頭(ろくざとう)は、座頭市なんていう映画もありましたが、昔、頭を丸めた盲目の按摩師のことを座頭と呼んでいた事に由来するもので、頭に毛がないことから「怪我ない」に通じるというものです。

 ただ、この「一富士、二鷹、三茄子」「四扇、五煙草、六座頭」というのは、それぞれ独立して一番から六番まで序列をつけたものではなくて、「富士扇」「鷹煙草」「茄子座頭」というのはそれぞれ対になっており、富士と扇は外見から「末広がり」、鷹と煙草は空に高く昇っていくことから「運気上昇」、茄子と座頭は表面に毛が無いので「家内安全」を願うものだとされています (^^)v

 余談ですが、四扇は、「よんせん」と読むことも多いようですが、「いち、に、さん」と順に数えてきたら、次は「し、ご、ろく」と言うのが一般的であり、わざわざ「よん、ご、ろく」とは普通は言わないと思います(笑い)
 確かに、「四」や「七」は、「よん」とか「なな」という事も多く、現在においてはその方が多数派だとは思いますが、それは「四番」とか「7位」などのように、数字を単独で用いる場合に限定するべきであり、順に数を数える場合には、少なくても一桁に限っては「四はし」、「七はしち」と言うのが自然だと私は思います。

 したがって、私は「四扇」は「しおうぎ」と読むべきであり、「よんせん」ではおかしいんじゃないかと思っています。第一、語呂も良くないし(笑い)

 

 さて、皆さんはこのお正月にどんな初夢を見ましたか? ( ^-^)/ ♪

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2010年1月 2日 (土)

ニューイヤー駅伝 2010

 元日恒例の全日本実業団対抗駅伝(通称ニューイヤー駅伝)が1日、37チームが参加して行われ、日清食品グループが出場15回目にして悲願の初優勝を果たした・・・

 日清食品は、毎年優勝候補に挙げられる強豪であるにも関わらず、例年もう一歩及ばず、優勝を逃し続けて来ました。

 特に、昨年はゴール前でのスパート勝負に敗れ、わずか1秒差で優勝を逃しただけに、その悔しさはひとしおだったことと思います。

 

 私も、早起きをして、朝から昼過ぎまでテレビの前に釘付けで観戦しました (〃⌒∇⌒)ゞ ♪
 なにしろ、お正月の三が日の駅伝を見るのが楽しみで1年間を過ごしているようなところがありますから、これだけは外せません (;^_^A アセアセ・・・

 

 序盤は、例によって一人の大砲の活躍で、1区はカネボウの木原が、2区はスズキのマサシが、3区は日清食品の佐藤が、4区はホンダの藤原が、それぞれ区間賞、あるいは区間賞に迫る走りでチームをトップに押し上げましたが、5区で日清食品の保科が中継所手前で再びトップに立つと、その後は安定した走りで首位を守りきり、アンカーの小野が悲願のゴールテープを切った・・・

 

 この、優勝のゴールテープを切った日清食品の小野裕幸ですが、私のブログでも彼のことを取り上げた「小野裕幸」という記事を書いたことがありますので、興味があればご一読ください ( ^-^)/ ♪

 3年生の時に箱根駅伝で5区の山登りに出場したものの、脱水症状のために途中棄権し、翌年も同じ区間に出場して、見事に区間2位の成績で走りきった小野というランナー・・・
 彼の名前は私の記憶の中から消えることはない。
 昨日のレースでも、名だたる先輩ランナー達を抑え、ルーキーながら見事に区間賞を取って優勝に花を添えた ヽ(^o^)尸
 実業団に入っても、逞しく頑張っているようで、ファンの一人としては嬉しい限りです(笑い)

 

 ところで、昨年書いた観戦記では、「来年も、こんなワクワクするレース展開だといいな・・・ o(*^▽^*)o~♪」と締めくくったんですが、今年も非常にワクワクする展開でした (^^)v

 

 エース区間の4区が終わった時点で、1位がホンダ、以下、トヨタ自動車、日清食品、富士通、コニカミノルタ、中国電力の6チームが1分以内にひしめき、それは5区が終わった時点でさらに熾烈になり、6位でトヨタ自動車がタスキを渡したのはトップの日清食品から僅かに22秒差でした (^^;
 こうなると、もう、この中のどこが優勝してもおかしくないわけで、6区以降の展開が楽しみで、一番ワクワクしながら見ていました (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 しかし、6区を走った日清食品の徳本と、コニカミノルタの松宮隆行との実力差は抜きん出ていて、アンカーにタスキが渡った時点では、トップの日清食品と6位のホンダとは2分近い差になってしまい、実質的に優勝争いは日清食品とコニカミノルタとの争いに絞られてしまいました・・・

 最終の7区では、レースが進むにつれて2位以降のチームは次第に縦に長くなってしまい、差は縮まらないどころか、逆に開く一方で、ワクワクした思いはどこかに飛んでいってしまいました(苦笑)

 

 ニューイヤー駅伝も今年で54回を数え、一頃とは違ってチーム間の力の差はますます無くなってきて、2006年の第50回以降は毎回優勝チームが変わっています。
 かつては、旭化成だったり、コニカミノルタだったり、何年も連覇する抜きん出たチームがあったんですが、今は連覇は難しく、直近では、05年と06年にコニカミノルタが連覇したのが最後です。

 見ている方はどこが優勝するのか予想がつかなくて、おもしろくていいと思いますが、選手や指導者はたまらんでしょうなぁ (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 特に今回は、先に挙げた6チームがゴールした後、2分ほどして、10チームが大きな集団となってゴールに迫ってきて、わずか3秒の間に7チームがゴールになだれ込むという、実力が伯仲していることを象徴するような熾烈な入賞争いがありました。
 3秒の中に入った7チームのうち、入賞したのは7位の大塚製薬と8位の旭化成という事で、残りは圏外となりました (^^;
 こういうのも、やってる方にしてみれば厳しいというか、勝負の世界とはいうものの、しびれますねぇ (^^;

 

 ちなみに、私がヒイキにしている中国電力ですが、6区までは優勝争いをしてくれたんですが、最終の7区では実力差もあって、次第に振り落とされ、最終的にトップとは2分19秒差の4位でしたよ (^_^ゞポリポリ

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2010年1月 1日 (金)

賀正

 20100101001

 

 皆さん、明けましておめでとうございます。

 今年もどうぞよろしくお願いします。

 

 今日から私は52才です (^^)v

 「人生の時計」においては、だいたい午後の4時ちょっと前くらいでしょうか・・・
 アフター5までにはまだ3~4年くらいありますし、終業時間までもう一頑張りしなきゃねぇ(笑い)
 夜だってけっこう長いわけですから、日も沈まないうちから疲れたナンていって休んでいるヒマなんてありませんって (^^)v

 

 きっと今頃は、お餅でも食べながら、一年間楽しみにしている「ニューイヤー駅伝」を食い入るように見ている頃かな (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 明日は、カミさんの実家にご挨拶に伺う予定になっているし、今日は昼酒でも飲んでのんびりと過ごそうっと o(*^▽^*)o~♪

| | コメント (8) | トラックバック (0)

« 2009年12月 | トップページ | 2010年2月 »