« 箱根駅伝 2010 | トップページ | 元旦 »

2010年1月 4日 (月)

弱音

 箱根駅伝が東洋大の二連覇で幕を閉じた3日、スポニチとサンスポのウェブニュースに、興味深い記事が載りました。

 

 スポニチでは「柏原が強すぎるから…区間割りの再検討が必要?」というもの、サンスポでは「山上り偏重に疑問…区割り再検討も?/箱根駅伝」というもので、どちらの記事もほぼ似たような内容でした。

 

 要約すると、5区の山登りで爆走したチームがそのまま優勝してしまうケースが増えており、他の区間の重要性が低くなってしまったので、距離を短くする事を検討するべきではないかというもの・・・

 

 バカ言ってンじゃないっての q(`o')ブー!!

 

 そもそも、5区が今の距離である23.4kmに伸び、全区間中最長区間となったのは、2006年の82回大会からであり、それまでは四半世紀ほどの間20.7kmという最短区間だった。
 しかし、かつては24.7kmと、最長区間だったという。
 戦前から1954年までの詳細な距離は不明ですが、55年に行なわれた第31回大会では25.1kmという数字が残されています。
 それが、60年の36回大会からは24.7kmになり、67年には22kmになり、72年に21.4km、79年からは20.5kmとだんだん短くなって、06年に今の距離に変更されるまで20.7kmで運営されてきました。(計測誤差により、同じコースで20.5km~20.7kmの距離が記録されています)

 では、なぜ長く用いられてきた5区を、今の距離に伸ばす必要があったのだろう。

 

 2005年の暮れに購入した、箱根駅伝の公式ガイドブックが手元にあり、その中に「特別座談会」と称する特集記事が載っており、5区の距離変更の経緯に関する関係者の会話が収録されています。長い対談記事なので、ごく一部ですが、抜粋して引用させていただきます。

 出席者は(敬称略)

 澤木啓祐(関東学連副会長)
 青葉昌幸(関東学連駅伝対策委員長)
 濱崎眞造(関東学連総務委員長)
 廣瀬豊(関東学連会長)司会

 青葉:ここ数年、なかなか5区を走った選手からオリンピック選手が出てこないことも変更の理由の一つです。(中略)箱根駅伝の勝負所というと花の2区ですが、新たに5区というのが話題の区間となり、その中からオリンピック選手が生まれるというところにも意味があるのではないでしょうか。

 廣瀬:確かに42回大会以降5区の距離が短くなり、山登りでがんばった選手が必ずしもマラソンのオリンピック代表選手や世界選手権代表選手にはならないといった状況です。ところが、戦前から戦後の昭和40年くらいまでは5区を走った選手がマラソンの日本代表選手になることが圧倒的に多かった。(中略)箱根駅伝そのものが競技生活の最終でもいいのですが、ある程度力のある人はさらにその上に目標を置いて世界でもがんばっていただきたい。我々も箱根駅伝をやるからには世界に通用する強い選手を1人でも多く出したいというのが願いです。それが今回の距離を伸ばすことで少し光が見えてきたと思います。
 

 つまり、5区の距離を伸ばすことによって、花の2区だけに注目がいきがちな選手や観客の目を5区にも向けさせ、それによって強い選手を発掘して育て、世界に通用するようなマラソン選手を育てたいというのが、当時の距離変更に関わった関係者の狙いだったという事です。

 

 ところが、距離を伸ばした82回大会では、5区を走った順大の今井正人が2分26秒差の6位スタートから逆転して往路優勝を遂げ、山の神と呼ばれることになる。
 この年は亜細亜大が初優勝を遂げ、順大は4位に終わった。

 翌、83回大会でも、今井正人は5区を走り、4分9秒差の5位から大逆転し、区間新の記録を出して往路優勝を遂げ、順大は復路も制して6年ぶり11回目の総合優勝を遂げた。

 84回大会では、早稲田の駒野亮太が5区を走り、1分27秒差の6位スタートから逆転して往路優勝を遂げ、復路でも早稲田は2位と大健闘した。

 そして記憶にも新しい昨年の85回大会では、4分58秒差の9位からスタートした東洋大の柏原竜二が、区間新の猛烈な走りで往路優勝し、復路も制して東洋大は初優勝に輝いた。

 しかし、今年の86回大会では、2年連続で東洋大の柏原の圧倒的な強さを目の当たりにして、とうとう泣き言を言い出す関係者が現れる・・・ (ノ_-;)ハア…

 東洋大のエース柏原竜二の激走は称賛するしかないが、総合力を問われる駅伝で、全体の勝負に占める割合が山上りに偏重しすぎではないのかと・・・

 

 かつて花の2区で沸かせた早大の渡辺康幸監督は「山を爆走したチームがほぼ優勝。それが最近の箱根になっている」と、花の2区と呼ばれるエース区間の意義の低下を嘆き、早大OBの瀬古利彦氏も「1~4区はもういらないんじゃないの」と冗談めかして言ったという。

 これ、早稲田関係者の2人が言っているというところがアヤシイ・・・ (^^;

 今日の箱根駅伝記事の中にも書きましたが、とにかく早稲田は山に弱いというのがもっぱらの評判でして、今年の大会でも、5区と6区の山で転けてしまったから7位なんて成績に終わってしまったわけで・・・

 確かに、2年前には駒野亮太という山登りのスペシャリストと、加藤創大という山下りのスペシャリストを擁し、共に区間新の成績で好成績を収めた年もありましたが、ここ10年以上、2区を走れるエースは何人も居ましたが、いつも山で大きく崩れ、それがためにシードを失うことさえ何度もありました・・・

 つまりは、指導者がダメだから・・・というよりも、平らなところしか走ったことがない指導者だから、山の走り方を教えられないんだと思います。

 そこにもってきて、柏原みたいなスーパーマンが登場すると、彼が在籍するあと2年間はとても勝ち目がないから、ルールを変えて5区の距離を元に戻そうなんて邪なことを考えたんじゃないかな (^◇^) 。。。ケラケラ

 いかにも渡辺とか瀬古とか、エリート育ちのボンボン指導者が言い出しそうな弱音です。
 どうして同じ土俵で正々堂々と戦う事を考えないんでしょうね。情けない・・・ (__;)

 関係者の思惑が当たって、5区に今井とか柏原とかの超人的なランナーが現れた途端に、そういうスペシャリストの活躍できる場を狭めようとするのは、姑息としかいいようがないと思うよ(笑い)

 まぁ、今回の記事は負け犬の遠吠えを記事にしただけで、本当に区割りの再検討なんてあるはずがないとは思うけど、瓢箪から駒なんてことばもあるし、しばらく目は離せないなぁ・・・ (^_^ゞポリポリ

|

« 箱根駅伝 2010 | トップページ | 元旦 »

コメント

初めまして
上州人です
今年のニューイヤー駅伝は小野裕幸選手故郷でまさかの?大活躍でした。寝坊せずに県庁まで見に行けばよかった…

スポーツルールの細かいところはよく知らないのですが、浅田真央が出た途端にフィギュアのジャンプ判定が厳しくなったのとちょっと似てますかね?

私は柏原選手は応援してるし強いと思いますが、東洋大の箱根三連覇以上というのはどうかな?と思います。 

来年も五区を任されたら、本人が自分自身の記録に挑戦しようとするでしょうし、その気持がバネになる部分とチームプレーのバランスが難しそうかな? とも
彼自身が高校時代は無名だったらしいですし 
総合力で特に抜きん出ているチーム不在の中で、長い一年の中の二日間に調整を合わせられたら勝ち、なのだと思います。 

「もし六区を走れと言われたら断るかも」と本人言ってましたが「上りだけの選手と思われたくない」とも… 


二区で留学生相手に走ったり、将来国際大会出る姿とかも見てみたいですけどね。(^O^)

投稿: 小野裕幸ファン | 2010年1月 6日 (水) 11:10

 小野裕幸ファンさん、どうもです (^_^)/

 東洋大は、決して柏原君だけが抜きん出たチームではありません。
 昨年も、実力で早稲田を逆転して総合優勝しましたし、今年も往路優勝した時のタイム差を復路でさらに大きく広げての横綱相撲でした。

 おそらく、柏原は5区以外は走らないと思いますが、仮に別の区間を走ったとしても、ある程度の記録は出せる選手だと思うので、他のメンバーがそこそこのタイムで走ることができれば、優勝は間違いないとまではいいませんが、かなり優位にレースを運べることは動かないんじゃないかと思います。
 柏原が5区を走り続けるのであれば、おそらく今年のような展開になると思うので、東洋大の四連覇の可能性はかなり高いと思います。

投稿: 夢ピ | 2010年1月 6日 (水) 11:52

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 弱音:

« 箱根駅伝 2010 | トップページ | 元旦 »