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2010年5月31日 (月)

白黒の夢

 一昨日にアップした「夢」の記事で思い出したことがあったのですが、皆さんのご覧になる夢は、カラーですか? それとも白黒ですか?

 

 よく、夢は白黒が一般的で、カラーの夢を見る人はデザイナーだとか画家だとかの、いわゆる普段から色を意識する仕事などをしている人が多く見るなんて言われたりもしています。

 

 しかし、私は子どもの頃からカラーの夢しか見たことがありません。
 だから、白黒の夢などと言われても、現実味が無く、そんなものが本当にあるのか、個人的には疑問に思っています。

 ちなみに、家内にも尋ねてみたのですが、やはり夢はカラーだそうで、白黒の夢は一度も見たことがないそうです。

 

 第一、色盲の人などならともかく、普通モノを見る時にはカラーで見るのが一般的だと思います。
 それなのに、夢だけは白黒に見えるというのは説得力がないというか・・・

 

 私は、夢の中の一つ一つの色が鮮やかに思い出せることが少なくありません。
 それは例えば、山々の深い緑色だったり、空の抜けるような青色だったり、色とりどりの草花だったりとするわけで、登場する人たちの服や持ち物なども、当然ではありますがそれぞれに色が付いています。

 私自身は、特に色に関わる仕事をしているわけでもありませんし、絵心などもありません。ですから、一般的に言えば見る夢は白黒ということになるはずなんですが、そうではないのはどういう事なんだろうと・・・ (?。?)

 

 個人的には、白黒の夢なんて、夢を見た人の勘違いなんじゃないのかとも思っています。
 そうでないと、カラーの夢しか見たことのない私には、とても納得がいきません。

 

 さらにいうならば、夢の中に出てきたモノには、触った時にチャンと手触り感がありますし、食事の夢を見た時には「臭い」とか、ケガなんかした時には「痛み」さえ感じる時があります。
 そうしてみると、私の見る夢というのは現実とそう変わらないとてもリアルなモノということになります。

 テレビや映画などを観ている時とは違って、夢の中では私は主人公ですから、手触り感や臭いや痛みなどを感じることがあっても不思議ではないと思っているのですが、そういう事は皆さんはありますか?

 

 私なんか、根がスケベですから、淫夢と呼ばれるいわゆるな夢を見ることもしばしばあります。
 そういう時に、相手の女性の肌の感触や温もりなんかをチャンと感じています (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 私にとって「夢」とは、現実味のない絵空事ではなく、比較的リアルなものだとずっと思ってきたんですが・・・ (^_^ゞポリポリ

 違うんですかねぇ・・・ (?。?)

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2010年5月30日 (日)

愚かな決断

 社民党は、普天間飛行場の移設問題をめぐる福島瑞穂党首の閣僚罷免を受け、連立政権から離脱する方針を決めたと報じられた。

 

 バカじゃないのと正直思う・・・ (ノ_-;)ハア…

 

 衆参合せても、たかだか12議席程度の弱小政党なのだから、政権与党に与していてこそ、その存在価値があるのであり、自ら下野して何ができるというの!
 おそらくは、7月に迫った参議院選挙のためのパフォーマンスなんだろうけど、それにしても目先の事しか見えないボンクラどもとしか言いようがない q(`o')ブー!!

 

 確かに、ここに来て民主党の支持率は急落しているけれど、それは麻生政権時代の自民党の支持率が下がった時と同じではないという事だ。
 あの時なら、沈みかけた船からいち早く避難することは身を守るためにも必要だったろう。

 しかし、今の民主党の支持率が下がっているのは、あの時とはワケが違う。なぜなら、民主党が支持率を下げた分、自民党が支持率を上げているわけではないからだ。

 おそらく支持率は低くても、民主党政権はまだまだしばらくは続くだろうと私は見ています。
 だから、今、動くことは得策ではない。二度と与党には戻れない危険性の方がはるかに高いと思うから・・・

 

 思えば、社会党から社民党へと党名を替えた時、土井たか子を見限って多くの党員が民主党へと宗旨替えを行なった。

 おそらく、今回もあの時と同じように、福島瑞穂を見限って民主党へと乗り換える党員が何人か出るのではないかと私は思っています。

 なぜなら、与党にいる事の美味しさを知ってしまった党員には、野党の水はことさら苦く感じるだろうことは必至だから(笑い)

 

 かつて、土井たか子が、空中分解させた社会党・・・

 今、福島瑞穂が、自らその歴史に幕を下ろそうとしている・・・

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ブログ開設四周年記念日

20100530001 今日は、このブログの開設四周年記念日ということで、今日から5年目に入りました ヽ(^◇^*)/

 

 思えば、昨日までのまる4年間はアッという間だったような気がします。

 もちろん、それまでにはいろんな事もあったわけですが、過ぎてしまうと、それさえも懐かしく思い出されます。

 

 ブログの開設当時は、何をどのようにしていいのかもわからず、Nifty で主催していた「サークル」と呼ばれる掲示板のようなところに書いた内容を、このブログにも転載していた事もありました (^^ゞ

 もっとも、いきなり公開するのは気が引けたので、しばらくは非公開のまま記事を溜め、URLを公開したのはお盆休みが終わった8月の中旬くらいからでしたが・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 時々、過去に書いた記事を自分自身で読み返してみることがあるんですが、よくこんな記事を書いたなぁと思う事がしばしばあります (^^;

 思えば、あの頃はPCに向かうといくらでも記事が書けていたように思います。

 よく、音楽家や小説家なんかが、天からシャワーのようにメロディとか文章が降ってくることがあるなんて言いますが、私の場合もそんな感じで、何かに取り憑かれたように指先が勝手にキーボードを叩いて記事を書き上げているように感じたことがしばしばありました (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 しかし、家内と交際を始めた2年くらい前から、私のブログのカラーが変わってしまったとお感じになっている方も少なくないと思います(笑い)

 事実、記事にしたいネタはいくらでもあるのですが、それをどのように料理したらいいのかわからないことが最近は増えてきました (^^;
 PCに向かっても、サッパリ文章が浮かんでこない事も少なくないんですよね (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 つまり、家内と一緒に居ることによって、雑念というか煩悩というか、そういう今までは感じることのなかった日常生活の様々なことによって、ブログに集中ができなくなったというのが正直なところなんでしょうか・・・ (^^;)☆\(-- )

 家内とひとつ屋根の下に暮らしているという事が、とても楽しく幸せに思えてね、一緒に食事をしたり、テレビを見たり、そんな事やってる方がブログ書いてるよりずっと楽しいんだもの、やむを得ないのかなと・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 ・・・というわけで、こんな極楽トンボでこれからもブログを続けていきたいと思っていますが、皆様方におかれましては、今後ともどうぞお見捨てなきよう、よろしくお願い申し上げます ( ^-^)/ ♪

 

                          店主敬白

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2010年5月29日 (土)

悪夢

 私は、寝ている間にけっこう「夢」を見る方です (^^ゞ

 そもそも、ハンドルが「夢見るピーターパン」ですから、それは当然といえば当然なんですが、起きてからも覚えている夢というのは少なくて、何か夢を見たような気はするのですが、たいていはそれがどんな夢だったのかは思い出せないことが多いです。

 ただ、夢の途中で目が覚めてしまった時などは、ワリとよく思い出すことができます。

 

 その夢なんですが、たいていはどうでもいいような内容のものが多く、仕事をしている夢なんかはよく見ますね。
 配達先が見つからずに困ってしまうとか、運転中に事故を起こしてしまうなんてのも少なくありません。
 そういう内容の夢も「悪夢」と呼べると思うのですが、私は恐い夢とか恐ろしい夢とかはそれほど見る方ではありません。もっとも、内容を思い出せないことが少なくないわけですから、見ていても見ていないと思っているだけかもしれませんが・・・ (^^ゞ

 

 ところが、先日、嫌な夢を見てしまいましてね、それが今まで見たこともないような奇妙な夢だったので、目が覚めてからもしばらく気が重かったです・・・ (__;)

 やけにリアルな夢だったので、内容もよく覚えています。途中で目が覚めてしまったから・・・

 

 どこかはわかりませんが、知らないスーパーのお店の中で、私は買い物をしているところから記憶があります。

 お酒のコーナーでワインを買おうとしているところで、様々な種類のワインが並んでいる中から、一本のワインを手にしました。
 価格は2千円、サイフを確認すると、千円札が二枚 (^^; 入っているので、これなら大丈夫と思ってレジに並んだんですよ。
 まぁ、いいトシをした大人が、サイフに2千円しか入っていないというのもどうかとは思うんですが、そこは夢の中のハナシということで(笑い)

 で、レジの女性がワインのバーコードを読み取って「2千円になります」と私に言いました。
 私はサイフから先に確認した千円札を二枚取り出してレジのお皿に置きます。女性はそのお札を手にして確認します。いつもの事ですから別にどうという事はありません。
 どうという事はないはずだったのですが・・・ (^^;

 あろう事か、ひっくり返したお札の裏側は、なぜか二枚とも真っ白で・・・ (゚◇゚;)!!!

 女性は、このお札は使えませんと私に言いますが、他にお金は持っていませんし、そもそもなぜ持っていたお札の裏側が白いままなのか私には理解できませんで、どこかでニセ札をつかまされたのかとも思ったのですが、そんな心当たりもなく・・・

 カードは使えますか?と聞いてもみたんですが、使えませんとにべもない返事・・・ (^^;

 そうこうしているうちに、ちょっとこちらへ・・・と、お店の奥に誘われる私・・・ (^◇^) 。。。ケラケラ

 オレは犯罪者になってしまうのか・・・というところで目が覚めたんですが、目が覚めてからも、情けないやら、腹だたしいやらで、しばらく眠れませんでした・・・ (__;)

 

 なんでこんな内容の夢を見たのかは不明ですが、嫌な思いをしたのは確かなので、これも「悪夢」には違いないワケで・・・

 

 第一、サイフの中に入っているお札や硬貨なんて、いちいち本物かどうかなんて確認している人はまず居ないと思うので、お店で支払う際になって使えないお金だと言われてもどうしたらいいのか慌てちゃいますよね (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 そもそも、ニセ札は、理由はどうあれ、使用した時点で犯罪者になってしまいますから、もし自分のサイフの中にニセ札が紛れ込み、知らないで使ってしまったらと思うと恐ろしくなります。

 法律上は、知らないで使った場合には罪には問われないそうですが、知らなかったといくら説明しても警察には納得してもらえないんじゃないかと思うと、その間ずっと留置され、取り調べを受け、家宅捜索もうけるであろうリスクを考えると、仮に無実で釈放されても社会的には信用を失ってしまうでしょうから、恐いですよね・・・ (__;)

 

 そんなことは普通はあり得ないワケですから、取り越し苦労だと一笑に付される方も多いと思いますが、どんなに精巧に作られたお札であっても、しょせんは人間の作ったものですから、そっくりに真似ようと思えばできないことはないと私は思います。

 某国では、国をあげて偽ドル札を作っているなんてウワサも無いわけではありません(苦笑)

 日本のお札は世界一精巧に作られているそうですが、それでもPCなどを使った偽札のニュースが報じられることがあるのは周知の事実です。

 

 チカンなどのように、でっち上げや勘違いなどで濡れ衣を着せられてしまうケースとは違って、一般市民が知らないうちに自ら犯罪行為を行なってしまう危険性のあるニセ札は、とても恐ろしいと思います。
 しかも、ニセ札を作ったり、使ったりすることは、一般の犯罪よりもずっと罪が重い!
 となれば、我々は、もっと真剣にサイフの中のお札を確認し、お金の授受の際には今以上の厳しいチェックが必要なのではないかとも思いますねぇ・・・

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2010年5月28日 (金)

ガリ版

 昨日の佐藤慶の追悼記事を書いている中で、「ガリ版」なんてことばが出てきて懐かしいなぁと (^_^ゞポリポリ

 今は、コピー機やPCなどが身近にあるのが当たり前の時代になりまして、ワープロを使って誰でも体裁のよい文書を作り、それを印刷したりコピーしたりして、同じ印刷物を複数枚用意するのはそれほど苦労しなくなりましたが、私が子どもの頃には「ガリ版」と呼ばれる簡易印刷機がありまして、学校などではそれを使って印刷するのが常でした。
 50代の人ならほとんどの人が「ガリ版」をご存じだと思いますが、40代となると年齢によっては微妙かもしれません(苦笑)

 

 「ガリ版」は、「謄写版」というのが正式な名称ですが、製版する時にガリガリと音がすることから、当時の人たちはもっぱら「ガリ版」と呼ぶのが慣例でした。

 ガリ版は、テスト用紙だったり、学級新聞や父兄へのお知らせなど、同じ文面が複数枚必要な時に利用され、コピー機が無かった当時は本当に重宝したものです。

 B4サイズくらいの「原紙」と呼ばれたロウ紙に、鉄筆で文字や絵を書き、それを印刷機にセットし、インクの付いたローラーを転がしてわら半紙と呼ばれたザラ紙に印刷しました。

 

 たいていは、学校の先生が授業のためのプリント類とかを印刷するために使っていましたが、時には子ども達も自分たちの手で原紙に文字を書き、印刷をする事がありました。

 新聞部員なんかはその最たる例だと思いますが、一般の生徒たちであっても、遠足に持って行くしおりとか歌集などの製作や、研究発表の時などに使った記憶があると思います。

 

 私も、何度か鉄筆を握って原紙に文字を書いたことがありますが、もともと字を書くのが苦手で、下手くそな字しか書けませんでしたから、印刷されたプリントもお粗末なものでしかありませんでしたが、私はこのガリ版刷りがけっこう好きでした(笑い)
 なにしろ、自分の書いたものが印刷物となって出てくるわけで、子供心にも感動とまではいきませんが、得意な気持ちになれたのは事実です。

 なんといっても、ガリガリと鉄筆で原紙に文字を書くあの作業が好きでした (^^ゞ
 しかし、印刷そのものはインクを使うこともあって、ハッキリ言って嫌いでしたね。
 気をつけてはいるんですが、どうしても手が黒く汚れてしまいますから・・・ (^^;
 どこまでもワガママな奴でスミマセン・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 ガリ版がどんなものなのか、イメージできない方は、ぼんくらオヤジさんがご自身のブログでご紹介していますから、そちらの方でご確認ください。
 特に、記事中に貼り付けてある「謄写印刷歴史探訪」という山形謄写印刷資料館を紹介した動画が秀逸なので、お時間があればぜひご覧になってみてください ( ^-^)/ ♪

 

 それまでは多くの人から重宝がられて、どこにでもあった物なのに、時代の流れと共に使われることが減り、やがて見かけなくなったものはいくらでもあります。

 ランプ、ホウキやチリトリ、レコードやビデオテープ、フィルムのカメラ、ワープロ専用機・・・

 ガリ版もそういうものの一つに過ぎないのでしょうが、なんとなくさびしいですねぇ・・・ (__;)

 

 そういえば、かつて年賀状作成の際によく使われた「プリントゴッコ」ですが、アレもガリ版を応用したものでした。
 けっこうヒットした商品で、私の友人たちの中にも持っている人は少なくなかったんですが、やはりPCなどに取って代わられ、今では全く見かけなくなりました・・・

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2010年5月27日 (木)

佐藤慶が逝く

 今日の記事は、俳優の佐藤慶の追悼記事になっていますが、氏が亡くなったのは今月の初めのことですから、一ヶ月近くも経ってからこういう記事を書くというのもどうかなぁとも思うのですが、やはり語らずにはいられなかったので、よければおつきあいください (^_^ゞポリポリ

 

 そもそも、なぜこんなに経ってからの記事になってしまったのかといえば、亡くなったのが5月2日だったという事で、一般に訃報が伝えられたのがGW明けの6日のことでした。
 その頃、GWに帰省したこともあって、「帰省記」だとか「青ばととうふ」、「矢ノ原湿原」なんて故郷に関する記事をご紹介し、合間に「穴守稲荷」とか「足利フラワーパーク」などの観光記も時機を逸したくないのでアップせざるを得ませんでした。

 そうこうしているうちに、佐藤慶氏に対するモチベーションが下がってきてしまって、記事に取り上げようという気持ちが萎えてしまっていました (^^;

 さすがに、月が変わってから記事にするというのもなんなので、あらためて今日語らせていただく事にしました (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

20100529001  佐藤慶は、会津若松市の出身で、私と同郷ということもあり、けっこう好きな役者でした。
 独特の風貌と雰囲気を併せ持ち、それがために非情な悪役などを演じる事も多かったです (^^;

 大河ドラマなんかでは、脇役として欠かせない役者であり、その存在感は時には場の主役たり得るほどの重厚さがありました(笑い)

 写真は、北斗七星プロジェクトのプロフィールからお借りしてきたもので、このガンコそうな風貌と、木訥とした口調は、まさに会津っぽのイメージそのものです (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 福島県出身の俳優は、例えば西田敏行や佐藤B作、最近では伊東美咲など、何人もいますが、こと会津出身となると佐藤慶くらいしか思い当たりませんからねぇ、そういう意味でも氏の訃報は残念でなりません。

 

 氏の出演作品といえば、「日本の首領」や「極道の妻たち」などに代表されるヤクザ役が印象的なんでしょうが、個人的に一番記憶に残っているのは、テレビドラマではありますが、NHKのスペシャルドラマとして2008年に放送された「感染爆発~パンデミック・フルー」という、新型ウイルスを題材にしたものです。

 北朝鮮から漂着した漁船の乗組員から、新型のインフルエンザがアッという間に広がっていく様子を描いたパニックもので、主役は医師の三浦友和、佐藤慶は、その父親役で出ており、感染元となった日本海に面した寒村の開業医という設定でした。

 原因不明の高熱に苦しむ患者を目の前にし、麻生祐未ら感染症予防研究所のチームは診察ではなく病原菌の解明に躍起になる。そんな麻生祐未に佐藤慶は「君たちも医者だろう。どうして患者を診ようとしないんだ」と怒りをあらわにする。
 「医者の仕事は、目の前の患者を診るだけだ」と孤軍奮闘し、やがて自らも発病して亡くなっていく・・・
 佐藤慶は、そんな愚直な開業医を見事に演じきっていた。

 主役の三浦友和や準主役の麻生祐未などよりも、露出度は極めて少ない脇役の佐藤慶の方が、はるかに印象に残った作品だった・・・

 

 佐藤慶の演技というのは、ハデなところはほとんど無い。静かに、そして言葉少なに、画面の片隅に「居る」だけのことが多い。
 このドラマのように、作品の中で声を荒げるようなことは希なのかもしれない。しかし、だからこそ私の記憶にも印象深く残った。

 

 会津若松市内の高校を卒業後、市役所の戸籍係に勤務しながら演劇にのめり込み、無断欠勤して県の演劇大会に出場したため、市役所をクビになったという佐藤慶・・・
 そういう、不器用ながらも一途なところがいかにも会津の人間らしい(笑い)

 上京してからも、下積み時代は貧乏で、会津に居た頃から得意だったガリ版刷りで検定教科書や同人誌などの筆耕の仕事を紹介してもらって食いつないだんだそうで、当時のガリ版用具は捨てがたく、晩年まで大事にしていたといいます。

 

 氏の訃報は本当に残念でならないのですが、ファンの一人として心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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2010年5月26日 (水)

小顔

 先日、テレビを見ていたら、非常に興味深いことを報じていました。

 最近のデジカメ技術の進歩は目覚ましく、もはやなんでもアリの状況になっています。その中で目を引いたのが、顔の部分だけをひとまわり小さく写すことのできる「小顔フィルター」を搭載したもの (^^;

 

20100525001  写真はペンタックスの「Optio P80」ですが、なんでも「顔検出機能」をさらに高機能化した「スマイルキャッチ」や「まばたき検出」の延長で、撮影後に顔の部分を3段階から選んで小さく加工できる機能が付いているという。

 

20100525002  また、プリンターでも同様の機能が搭載された製品が発売されたそうで、エプソンの「E-330S」は、デジタルデータのカラーノイズを低減させる「ノイズ除去」や人物の肌荒れやしみを目立たなくできる「美肌」機能に加え、小顔や美白に補正できる「ナチュラルフェイス」や、全身をスマートに補正できる「スリム補正」もできるという (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 う~ん、気持ちはわからないでもないけど、これって写真っていえるのかぁ?

 

 まぁ、写真そのものがもともと「ウソ」なワケで、見合い写真なんか修整のオンパレードですから、なんでもアリっちゃぁアリなんでしょうが、それにしても被写体とそれを撮った写真が明らかに違うというのはいかがなものかと(笑い)

 

 そもそも、「小顔」がもてはやされる最近の風潮はどうなんだろうか・・・

 

 最近の子ども達は、固い食べ物が苦手で敬遠する傾向にあるという。好きな食べ物はハンバーグやカレーなどに代表される、それほど噛まなくても食べる事のできる柔らかいものが人気ということで、とうとうガムまで柔らかいガムが登場したそうです (^^;
 ロッテから新発売となり、すでに高い支持を得ているという「Fit's」・・・ 固いというこれまでの板ガムの常識を覆し、フニャッとしたその食感は大人気だそうです。

 ガムって、私が子どもの頃なんかボクサーがアゴを鍛えるのに日常的に噛んでいるなんてハナシがまことしやかに聞かれるほどでしたので、寒い時に食べると口の中でパキパキいうくらい固い板ガムがあったりしました(苦笑)
 ですから、フニャフニャしたガムといわれてもちょっと想像できないのですが、いわゆるグミみたいな感じなんでしょうかね (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 私らが子どもの頃は、給食などの食事の際には、「一口50回は噛め」などと言われたもので、牛乳を飲む時でさえ、ゴクゴクと飲むのではなく、いったん口に含んで、モグモグと噛むようにしてから飲むようにと指導されたもんです (^^ゞ

 

 そんな、固いものを食べなくなり、あまつさえ咀嚼数が激減したといわれる最近の子ども達は、一様に福山雅治に代表されるようなアゴの線がほっそりとした「小顔」になっているように思います。
 そういう顔って、今はもてはやされていますが、つまるところアゴの骨が退化してしまった、新人類って事ですよね(笑い)

 アゴはエラがはっているのが当たり前の世代の私にとって、小顔なんてのは、なんとも情けないというか、頼りない容姿にしか見えないんですが、世の中には好んで小顔になりたいと思っている人が少なくないからこそ、こんなおかしな機能の付いたデジカメが売り出されるんでしょう (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 何年か前に森高千里が顎関節症になった事があって、そんな病名があることを私はその時に初めて知ったんですが、アゴが未成熟な小顔の人は、そういう病気になる危険性だって普通の人よりは高いんじゃないのかな。
 そういうリスクがあることを承知でなお、小顔になりたいと思うのであれば、なにをか言わんやですが・・・

 

 そういえば、私が子どもの頃ですから、もう50年近く昔の事ですが、「八頭身美人」なんてことばが流行りました。
 全身を頭の大きさで分割した際に、八等分になるのが最も美しいバランスになるということで言われるようになったことばなんですが、そんな昔から「小顔」が美しさの条件になっていたのかと思われる方も少なくないのかもしれません。

 しかし、「八頭身美人」ということばは、別に顔の大きさを云々言っていたわけではなく、胴長短足の体型が日本人の特徴だった当時、八頭身美人と呼ばれた女性達は一様に足がスラッと伸びていて、同じく当時流行語だった「トランジスタグラマー」とは対極にある美人を指していました。

 

 第一、小顔の方が美しいとか可愛いとか思っている女性達は多いと思いますが、小顔の方が美しいとか可愛いとか思っている男性達は本当にいるのでしょうか(爆笑)
 私には、女性達が勝手に思い込んでいる「幻想」なのではないかと思えてならないのですが・・・

 少なくても私には、女性に求める美の条件の中に「小顔」なんていう項目はありません (^^)v

 私に限らず、世の男性達は、顔の作りに関してはこだわりがあったり、譲らない方も少なくない (^^; とは思うけど、顔の大きさにはそれほどのこだわりはないんじゃないかな。

 それが証拠に、私の大のお気に入りの藤原紀香なんて、決して小顔なんかじゃありませんよ。どちらかといえばデカイ顔をしているんじゃないかな(笑い)
 それに加えて、痩せてなんかいないでしょ。誰も彼も「ダイエット、ダイエット」とバカの一つ覚えみたいに唱えている中で、藤原紀香はパッツンパッツンのボディと丸顔で国民的アイドルになったんですよ。あの健康的な肉体美は、ガリガリのアイドルが主流の中でバツグンの存在感を誇っていました o(*^▽^*)o~♪

 

 「美しさ」の評価なんてそんなもんです。小顔が似合う人もいれば、そうでない人もいるわけで、何事もバランスの上に成り立っているのが「美」というものの実態です。
 バランスの崩れた「美」なんてあり得ないと私は思いますよ。

 まして、加工をしてまで、写真に写った自分を小顔にしたいというのはどうなのかな。

 もっとも、それが「女心」だと言ってしまえばそれまでなんですが・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

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2010年5月25日 (火)

点と線

 昨夜、サッカーの日本代表は、埼玉スタジアムに韓国代表を迎え、国内最後の強化試合を行なった。
 私も、テレビの前で試合の行方を見守りました。

 

 結果は0-2の完敗・・・ (^^;

 

 開始早々の5分に、パク・チソンに独走を許し失点・・・ (__;)ガクッ

 ゲームはそのまま動かず、試合終了間際に、ゴール前に抜け出したパク・チュヨンに対し、楢崎が反則を犯して倒し、PKに・・・
 パク・チュヨンはこのPKをキッチリ決めて逃げ切った。

 

 なんというか、日本代表は個々人のプレーには光るものがあったと思うが、それがとなってつながらない・・・
 いわゆる、一つ一つのプレーをとして見れば、決して韓国代表に劣ってはいないと思うけれど、それがつながらないから、チームとしては機能していなかった。

 

 全体としての印象は、大人と子供の試合だったなと思う (ノ_-;)ハア…
 それだけ韓国代表はチームとして完成していたように思えました。

 

 韓国代表は、終始落ち着いて試合を進め、日本代表をいいようにあしらっている、そんなふうにも見えました。

 

 ◎韓国代表の良かった点は・・・

 1:シンプルにゲームを進め、ロングボールで相手の裏を突くプレーが目立った。

 2:フィジカルが強く、1対1では常に勝っていた (^^;

 3:動き出しが早く、日本代表よりも常に1歩早くボールに達していた。

 4:何よりも、組織だったプレーに終始しており、その戦いぶりは見事でした。

 

 ◎日本代表は、その反対だったと思います(苦笑)

 1:細かなパスが多く、わざと難しいサッカーをしようとしているように見えました。そのために、途中でパスをカットされることが多く、ボールを奪われると途端にピンチになることが目立ちました (__;)

 2:接触プレーでピッチに倒されるのは日本の選手ばかりで、韓国の選手が倒れているシーンはほとんどありませんでした (^^;

 3:選手間のコミュニケーションがうまくとれていないようで、ボールに対する反応が鈍く、それがために韓国の選手にボールを奪われることが多々ありました。

 4:チームとしてはまったく機能していないように見えました (__;)

 

 岡田監督の采配で、私がグッドだったと思ったのは、森本を投入する際に俊輔を下げたこと ヽ(^◇^*)/
 いったい誰を下げるのかと思ったら、俊輔だったのには喝采を贈りました (^◇^) 。。。ケラケラ

 しかし、本田まで下げてしまうのはどうかなと・・・ (ノ_-;)ハア…
 ゲームを作れる選手が居なくなって、いったいどうやって戦おうと思ったのでしょう (?。?)
 もしかして、昨夜の試合は途中で捨てて、中村憲剛や駒野、矢野らを実践で試したかったのかなと・・・(笑い)

 中村俊輔と森本貴幸の交替はともかく、本田圭佑と中村憲剛の交替に関しては、知将と呼ばれる岡田武史とは思えない、実にマヌケな采配だったと思います。

 もっとも、最近の岡田武史は、フランスW杯の時の岡田武史とは別人ではないかとさえ思えるほど凡人に成り下がっているような印象を受けるので、期待する方がムリなのかもしれませんが・・・(笑い)

 

 昨夜の試合を見ての感想ですが、今回のW杯南アフリカ大会では、3戦全敗で終わると私は思います。
 それだけ日本代表の仕上がりは悪いです。こんなサッカーをしていて勝てるほど世界は甘くはないよと q(`o')ブー!!

 

 トルシエが完成させたかに見えた、日本代表の組織的なサッカー・・・

 それを、ジーコがぶち壊し、オシムが蘇生させようとしたが、岡田が息の根を止めた・・・

 これが、日本代表に対して抱いている私の想いです・・・ (__;)

 

 最後に、埼玉スタジアムのスタンドが真っ赤に染まっていると、思わずレッズのサポーターが応援に来ているのかと勘違いしちゃいそうでした (_ _)ノ彡☆ギャハハ!!! バンバン!!!

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2010年5月24日 (月)

ソースカツ丼

 昨日の吹奏楽委員会の記事を書くにあたってネットサーフをしていたら、同じ吹奏楽員だった後輩のブログを偶然見つけまして、その記事の中にこんな動画を見つけました (*^.-^*)♪
 会津のソースカツ丼をこよなく愛する兄妹が歌うご当地ソングということで、「伝統会津ソースカツ丼のうた」というのがソレなんですが、歌の方はともかく、「伝統会津ソースカツ丼の会」という地元有志が集まった加盟店のソースカツ丼がバックに映し出されるのは秀逸だなと(笑い)
 まるで、会津中の名物カツ丼を一度に味わっているかのような気持ちになれますから・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 

 

 

20100524001  普通、「カツ丼」といえば、玉子でとじられたものをイメージする方がほとんどだと思いますが、会津ではソレとは違った「ソースカツ丼」というものが主流・・・とまではいいませんが、ソースカツ丼をこよなく愛する人たちがたくさんいます。

 かくいう私も、会津人の一人として、普通の玉子でとじたカツ丼よりもソースカツ丼の方が断然好みです (*^.-^*)♪

 

20100524002_2  私は、以前会津若松市の宝町に住んでいたことがあるので、宮町にある「白孔雀食堂」のソースカツ丼をよく食べたものです。

 このお店のウリは、なんといっても丼から大~きくはみ出している超デカのカツです ヽ(^◇^*)/

 あまりにもインパクトがありすぎて、初めて見た人はどうやって食べていいのか、固まってしまうんじゃないかと(笑い)

 ちなみに、私は、上のフタをひっくり返してテーブルに置き、そこに上に乗っかった大きなカツをどけてから食べ始めます (^^)v

 

 会津若松に住んでいた頃には、白孔雀のソースカツ丼は私もお気に入りだったので、お店にもそこそこ通ったんですが、千葉に引っ越してからは一度も足を運んでいません (^^;

 ソースカツ丼は今でも私の大好物ですので、仕事で走っていてそんな看板とかのぼり旗とか見かけると、つい食べたくなってしまって・・・ (^_^ゞポリポリ

 

 あ~、会津のソースカツ丼が食いてぇ~ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

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2010年5月23日 (日)

喜多方高校吹奏楽委員会

20100523002

 《 昭和49年度の部員たち

20100523001

 《 昭和50年度の部員たち

 

 これは、私が在籍していた「喜多方高校吹奏楽委員会」の集合写真です。
 卒業アルバムに載せるために、毎年一学期中に、それぞれの部毎に校舎の中庭で撮影します。
 白黒の写真というのが、なんとも時代を感じさせますが・・・ (^◇^) 。。。ケラケラ

 上が、私が高校一年生の時のもので、この写真を撮った時には私はまだ部員にはなっていませんでしたから写ってはいませんが、どうしてもこの時の仲間たちの写真が欲しいと、申し込みの際には私も名前を書かせて頂き、こうして手元に残っています (^^ゞ

 下は、その翌年、私が高校二年生の時のもので、写真の一番左端に立っている学ラン姿が私です (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 入部に至る経緯や、担当楽器の事については、3年前にも「ブラバン」という記事で語ったことがありますので、興味があればそちらも合わせてご一読願えれば幸いです。

 

 喜多方高校では、運動や芸術などの多くの「部」が存在する一方で、「委員会」と呼ばれる別組織が存在しました。
 全ては覚えていませんが、私が在籍していたブラバンもその一つで、正式名称は「吹奏楽委員会」です。

 他に記憶のあるところでは、「放送委員会」があったのは覚えていますが、現在の喜多方高校のHPを見ると、「新聞委員会」とか「応援委員会」とか、たくさんの委員会がありますが、当時もこんなにあったのかは不明です (^^;
 「応援委員会」なんて、私が在校生だった頃には、単に「応援団」と呼ばれていたようにも思うのですが、正確なところは記憶にありません (^_^ゞポリポリ

 「部」と「委員会」の違いはなんだったのか、当時もよくわからないままでしたが、例えば当時も「吹奏楽委員会」と交流があった「音楽部」ですが、合唱や弦楽演奏の活動をしていまして、やっていることは「吹奏楽委員会」とそれほど変わりはありませんでしたが、「委員会」ではなくて「部」という存在でした (^^;

 

 勝手な思い込みでは、「委員会」は、学校の行事に密接に関わっていたかどうかではなかったかと推測しています。
 「部」は、例えば「野球部」だったり「美術部」だったりと様々なものがありましたが、彼等は独立して個々に活動していました。つまり、活動はあくまでも自分たちだけで、対外試合とかの他校と一緒に行なう活動もありましたが、それも同じ部同士の交流であり、喜多方高校内で他の部と一緒に活動するようなことはありません。

 それに対して、「委員会」は、例えば「放送委員会」は学校という大きな枠の中で、学校全てを対象に活動していましたし、「吹奏楽委員会」は自分たちだけの演奏に止まらず、野球の試合があれば、授業そっちのけで応援団と一緒に競技場に駆けつけて観客席から各種の応援歌などを演奏していました。

 

 このように、自分たちの活動だけに止まらず。外に対して開かれた活動を行なっているのが、おそらくは「委員会」と呼ばれた組織ではなかったのかと個人的には思っています。

 あくまでも、私の勝手な「思い込み」ですから、本当に正しいのかどうかは保証の限りではありませんが、「新聞委員会」にしろ、「保健委員会」にしろ、「図書委員会」あるいは「選挙管理委員会」などもそうですが、「委員会」は身内だけを相手にしているのではなく、全校生を相手に活動しているわけで、そういう意味では開かれた活動を行なっているということで、当たらずとも遠からずだと思っているのですが、さて、その真実はどうなのかな・・・ (^_^ゞポリポリ

 

 それはともかく、私が在籍していた高校一年の二学期からの2年半、厳密にいえば、三年生の時には後半はほとんど一緒に活動することはありませんでしたから、2年間くらいになるのでしょうが、とても充実した時期だったと今振り返っても懐かしく思い出されます。

 

 活動のメインは、あくまでも秋に行なわれる「全日本吹奏楽コンクール」の県大会に向けての課題曲と自由曲の練習ですが、私が今も鮮明に記憶しているのは、毎年夏休みの間に行なわれた「合宿」です (〃⌒∇⌒)ゞ ♪
 なにしろ、高校生の男女が一週間近く学校で寝食を共にするわけですから、いやが上にも盛り上がりました(爆笑)

 タテマエは楽曲の集中練習ですが、練習の合間を縫って、上級生も下級生も、男子生徒も女子生徒も、全ての垣根を取り払い、一緒になって食事の支度をしたり、夜は花火や肝試しをしたりと、どちらかといえば練習よりもそういう共同生活やレクリエーションの方がメインという印象の方が強かったです (^◇^) ヒャッヒャッヒャ・・・

 

 そんなゆる~い事ばっかりやっているような、いわゆる「楽しむ事を目的とした部活動」だったので、在籍中の「全日本吹奏楽コンクール」の県大会の成績は、三年間全て「銅賞」という結果でしたよ (^^;
 ちなみに、この大会の表彰は「金賞」「銀賞」「銅賞」の三つであり、「金賞」と「銀賞」は入賞、それ以外の学校は全て「銅賞」でしたから、「銅賞」=「参加賞」という意味合いのものでしかありませんでしたが(苦笑)

 

 最近でこそ、喜多方高校吹奏楽委員会のレベルもだいぶ上がったようですが、私が在籍していた当時の吹奏楽委員会は、毎年20人を超えるか超えないかくらいの部員数しか在籍していない零細クラブでしたから、実力もそれなりでしかありませんでした (^_^ゞポリポリ

 さらに、顧問と呼ばれる先生は確かに存在しましたが、それは名前だけでしかなく、練習に参加して指揮を振ったり、部員に指導したりするようなことはまったくありませんで、全てが部員達による手作りの活動でした。
 日々の練習も、合宿も、大会の指揮でさえ歴代の部長が先頭に立って行なっていました (;^_^A アセアセ・・・

 そんな状況でしたが、それがために部員達の連帯感はいやが上にも増したように思います。部活動ではありましたが、一般によく見られる学年によるタテの関係はほとんど見られず、どちらかといえば全員が「友達」のような横一列の仲良しクラブでしたね (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 卒業してからも、何年かは部活や合宿にも顔を出したこともあったんですが、それも数年過ぎると顔見知りの下級生もいなくなり、次第に敷居が高くなって喜高に立ち寄ることもなくなってしまいました・・・ (__;)

 今では、お互いに顔も名前も知らない状況なので、「喜吹会」という喜多方高校吹奏楽委員会のOB会も存在して、毎年お正月に喜多方市内で新年会を催しているようですが、私は千葉に住んでいることもあって、ほとんど付き合いはないので、淋しい思いをしています (^_^ゞポリポリ

 

 私の青春の一ページを彩る「喜多方高校吹奏楽委員会」の想い出。

 今も少しも色褪せてはいません (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

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2010年5月22日 (土)

飯岡灯台

20091116027  千葉県の北東部で灯台といえば、なんといっても犬吠埼にある「犬吠埼灯台」が有名で、半年ほど前にもこのブログで紹介したことがあります。
 左の写真が、犬吠埼灯台です。

 

 しかし、この犬吠埼からほど近い旭市の旧飯岡町にも、小型ではありますが灯台があります。

 今日は、そんな飯岡灯台をご紹介させてください ( ^-^)/ ♪

 まずは、場所から・・・・・

 

 

 

20100521001

20100521004

 灯台が建てられている、刑部岬と呼ばれる場所に設けられた公園内にあったパノラマ図です。
 眼下に見える飯岡漁港と飯岡の街の様子が見て取れます。

 その下に、私が撮った飯岡漁港周辺の二枚の写真をくっつけて、パノラマ風にした写真も合せて載せてみましたので、パノラマ図と比べてみてください ( ^-^)/ ♪

 

20100521006_2 20100521005_3

 これが「飯岡灯台」です。
 大きくてりっぱな「観音崎灯台」から比べれば、高さも10m足らずと、非常にコンパクトな灯台です。

 

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 これは、ちばてつやの代表作である「あしたのジョー」の主人公、矢吹丈と、そのライバルだった力石徹の石像です。公園内の片隅の、飯岡漁港を見下ろす場所に設けられていました。
 その台座には「ちばてつやが育った町」と書かれていまして、へ~、そうだったんだと思ったものの、ちばてつやの公式HPによると、戦後、満州から引き上げてきた直後の一年間を、父の故郷だった飯岡で過ごしたと書かれており、住んだことのある町には違いないのでしょうが、小学校2年生時分の一年間だけというんじゃ、育った町というのは大げさなんじゃないかな(笑い)

 

 3枚目の写真は、灯台のそばに建っている展望館です。
 屋上からは、広大な太平洋はもちろん、銚子の犬吠埼や飯岡・旭方面の街並みなど、360度の眺望を楽しむ事ができ、けっこう楽しめました (^^)v

 

20100521010

 ・・・とまぁ、飯岡灯台そのものはそれほどインパクトのあるものではありませんで、観光地と呼ぶのもおこがましい場所なのですが、ここにはチョッと他所では見られないとても珍しいものがあります。

 それが「東洋のドーバー」と呼ばれる「屏風ヶ浦」の景観です。

 高さ40m~50mの絶壁が、約10kmにわたって続いているこの光景は、この灯台の足下にあるため、この場所からは直接見ることはできませんが、下に銚子の「地球の丸く見える丘展望館」で撮った写真をアップしましたので、そちらでご確認ください (^^ゞ

 

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 精一杯ズームアップしてみましたが、遠目なので私のデジカメではこんな写真しか撮れませんでしたが、おおよその感じはおわかり頂けますでしょうか (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 3枚目の写真に写っている屏風ヶ浦の、一番左端の部分が飯岡灯台の在る場所になります。
 そこから延々と連なる切り立った崖は、こうして見てもやはり珍しい光景なのではないでしょうか (^^)v

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2010年5月21日 (金)

三人ひろし

 このところ新党の結成が相次いでいまして、渡辺喜美「みんなの党」平沼赳夫「たちあがれ日本」などがすでに旗揚げをしています。

 

 そんな中、先月の18日に、山田宏杉並区長を党首として「日本創新党」が結成されたと報じられました。

 党首には山田、代表幹事には中田前横浜市長、政策委員長には斎藤前山形県知事が就任したと発表があり、「日本を根こそぎ改革する。自由で力強い日本をめざし、国家、地方、国民の自立を基本目標としたい」と抱負を語ったそうです。

 

 ところで、「日本創新党」の幹部三人の名前ですが、いずれも「ひろし」という事で、誰言うともなく「ひろしの党」なんて揶揄される始末です(苦笑)

 いわゆる、「三人ひろし」なワケですが、「三人ひろし」といえば、お笑い界には、ヒロシ犬井ヒロシ猫ひろしという三人のピン芸人がいるそうで、彼等を「三人ひろし」と呼ぶことがあるそうです。

 私自身は、バラエティ番組はほとんど見ることはないので、名前を聞いてもまったくわからないのですが、昭和30年代にブームを巻き起こした「ロカビリー三人ひろし」ならかろうじてイメージできます (^_^ゞポリポリ

 

 井上ひろしかまやつひろし水原弘がもともとの「三人ひろし」だったそうですが、水原弘が歌謡曲で成功を収めると、代わって守屋浩が三人の中に加わって「三人ひろし」と呼ばれたそうです。

 私自身がロカビリーを知りませんから、こんな事を申し上げても、さすがにピンと来る方は少ないんでしょうが (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 この、井上ひろし、かまやつひろし、守屋浩の三人の中で、一番馴染みがあるのは、やはりかまやつひろしですが、ザ・スパイダース時代さえもあまり記憶のない私にとって、ロカビリー時代のムッシュなんてまったく知りません (^_^ゞポリポリ
 ましてや、井上ひろしとか守屋浩なんて、年齢的にいっても、私の中では記憶の外の歌手でしかありません。

 私にとってのムッシュといえば、やっぱりスパイダース解散後のソロ時代のムッシュという印象しかありませんで・・・ (^^ゞ

 

 

 

 そんなムッシュの作品の中で一番好きなのが、この「我が良き友よ」です。

 この歌がヒットしていた頃、私は喜多方高校の2年生。越境入学でしたから実家からは当然通えず、学校のそばの民家に下宿をしていました。

 そんな境遇もあって、「下宿」ということばが歌詞の中に入っている「我が良き友よ」は、とてもシンパシーを感じる作品でもありました。

 もっとも、私のところの下宿のおばさんはとてもキビシイ人でしたし、高校生ですから、お酒やタバコは御法度でしたが・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

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2010年5月20日 (木)

遠いのに

 昨日、千葉県の君津市まで仕事で行って来まして、その時に思った事を少々・・・ (^^ゞ

 

 朝の10時前に荷物を積んで成田を出発しました。

 このコース、普通なら国道51号線で千葉市内まで走り、そこからは国道16号線で向かうのが一般的なルートです。
 そう距離があるわけでもありませんし、途中混み合うようなところもそんなには無いので、高速道路を使うまでもないというのがその理由です。

 

 ただ、正午を回ってしまうと、会社によってはお昼休みに入り、午後一時までは荷物の受け付けをしてくれないところも少なくないので、下道でも間に合うかもしれませんが、念のためにと、途中の「松が丘IC」から高速に乗ったんですよ。

 で、カーナビの指示通り、「木更津南IC」で下りようと思っていたんですが、納品先の最寄りのインターチェンジは「君津IC」だという事がわかり、それぞれの高速料金を比べてみようと思ったんですよね。多少の違いならより近くで下りた方が楽ですから(笑い)

 しかし、この事が今日の記事を書くきっかけになるわけですから、世の中何が幸いするかわかったもんじゃありません (^_^ゞポリポリ

 

20100520002 20100520005

 ご覧のように、「松が丘IC」から君津方面に向かうと、「木更津南IC」「君津IC」の順でインターチェンジが設けられていまして、1枚目の写真を見ても、木更津南ICまで5km君津ICまで6kmとなっています。

 明らかに、木更津南ICよりも君津ICの方が遠いことがこの案内板からもわかるわけです。

 

20100520001

 しかるに、料金表を見ると、木更津南ICまでが1,000円
 一方、君津ICまでは950円となっています (^^;

 遠い方のインターチェンジであるはずの、君津ICで下りた方が料金が安いというおかしなことになっているではありませんか (?。?)

 ちなみに、料金の下に記載してあるインター間の距離は、君津ICまでの方が300mほど短くなってはいますが、それにしても普通の感覚なら、君津ICの方が遠くに感じると思うので、この料金はヘンだと思うのが一般的な感想なのではないでしょうか・・・

 

20100520003 20100520004

 この料金のトリックは、二つのインターチェンジが「木更津南JCT」で二つに分かれた先にそれぞれ別々に設けられているからじゃないかと思います。

 「木更津南IC」は、左側にルートをとった先に直ぐ料金所があり、その先に出口があります。

 一方、「君津IC」は、館山方面に伸びる右側の本線を走った先に設けられており、「木更津南JCT」を過ぎて最初のインターチェンジが「君津IC」です。

 

 地図を見ても、「木更津南IC」よりは「君津IC」の方が、明らかに遠くにあると思うのですが、料金表に記載してある距離というのはどういうワケでこんな数字になっているのかなと・・・

 

 まぁ、理由はどうあれ、私にとってはラッキーということで、もちろん安くて納品先により近い「君津IC」で高速を下りたことはいうまでもありません(笑い)

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2010年5月19日 (水)

自給自足

20100519002 20100519001_2 20100519003_3

 最近、我が家でもベランダのプランターで家庭菜園もどきを楽しんでおります(笑い)

 

 きっかけは、根っこの付いたみつばを家内がスーパーから買ってきたことに始まります。
 普通は、食べる部分だけ切り取って、根っこの部分は捨ててしまうんでしょうが、家内はマメなもので、切り取った後の根っこの部分をベランダのプランターに植えたんですよ。
 そうしたら、次第に成長して、今ではお味噌汁の具なんかに採取して使えるまでになりました (^^)v
 それが1枚目の写真です。左側に成長したみつばが写っています(笑い)

 

 ベランダのプランターでみつばが採取できるようになると、家内はおもしろがって、昨年の夏に行なわれた衆議院選挙の投票に行った時にもらってきた小松菜の種をみつばの隣に蒔きました。
 これも、芽を出し、少し育ったものがみつばの右側に見えるモノです。
 種を蒔いたままの状態ですから、混み合ってしまってるので、この写真を撮った後に少し間引きをしました (^^ゞ

 

 こうして、徐々にではありますが、ベランダで野菜を育てる楽しみに目覚めてしまった家内は、先日大葉の苗が欲しいとリクエストをしてきました (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 で、一昨日、仕事のついでにホームセンターに寄って大葉の苗を買ってきました (^◇^) 。。。ケラケラ
 小さな苗が4つ入ったものと、少し育って大きくなった苗も見つけたのでそれを一つ購入しました。

 売り場を見ていると、ナスやキュウリやピーマンなど、たくさんの種類の野菜の苗が売られており、それらを見ているうちに大葉だけを買って帰るのもナンかもったいないような気がして、家内の好きなミニトマトの苗を見つけたのでそれも買って帰ることにしました (^◇^;)

 それが2枚目と3枚目の写真です (^^)v
 昨日、私が仕事に行っている間に、家内がプランターや鉢に植え替えたものを撮ってみました。

 

 みつば以外の野菜が食卓に上る日はまだまだ先になると思いますが、いよいよウチも自給自足の一歩を踏み出したようです (^◇^) ヒャッヒャッヒャ・・・

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2010年5月18日 (火)

模様替え

 昨日、全国的に気温が上がったようで、成田でも25度を超える夏日となりました。

 そんな中、午前中は時間があったので、部屋の模様替えを行なってみました。

 

 居間と台所に置いてあるファンヒーターを片付け、トイレの中にある電気ストーブも仕舞い、代わりに扇風機をそれぞれの部屋に4台 (^^; 出しました。

 家内も、洗濯の合間に、台所の暖簾やトイレ周りのマットなどを夏物に取り替え、部屋の中はすっかり夏らしくなりました (^^)v

 

 これから半年間、お世話になりますね o(*^▽^*)o~♪

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2010年5月17日 (月)

餌やり

 先週、将棋の元名人である加藤九段が、東京都三鷹市の集合住宅で野良猫等に餌をやり、ふん尿などで迷惑しているとして住民が起こした訴訟で、東京地裁立川支部は加藤元名人に対し、住宅敷地内での餌やりの禁止と、慰謝料など計204万円の支払いを命じたと報じられた。

 

 こういう問題は、そこここで見かけられると思いますが、訴訟にまで発展するのは珍しいと思いますし、まして訴えられた被告に対し、これほど明確な判決が言い渡されるのはほとんど無いんじゃないかなと・・・

 加藤氏は控訴する方針らしく、報道陣に対しても、「猫の天寿を全うさせたいと思ってやった行為が裏目に出た判決」と無念そうに話した後、「敷地内での給餌はできないが敷地外の違法性はない」などとして餌やりを続けることを宣言したという。

 互いの言い分もわからないでもありませんが、両者ともに自分こそが正しいと思っているわけですから、アンタが間違っていると司法が一方的に決めつけても、加藤氏が納得することはまずあり得ないと思います。

 

20100517001 20100517002 20100517004

 話は変わりますが、私も家内も大の猫好きでして、上の写真はお向かいのお宅の飼い猫です。
 今では私ら夫婦にもすっかりなついてくれまして、地面に寝転んで甘えてくれるまでになりました (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 しかし、だからといって私らは食べ物を与えたりはしませんし、まして私の家の中に上げることは絶対にありません。
 なぜなら、この猫は他所の飼い猫であって、いくら可愛くてもそこにはキチンとした分別があってしかるべきであり、他所様を差し置いて勝手に食べ物を与えたり家の中に招き入れたりするべきではないというのが私の考えだからです。

 

 これは、飼い猫に限らず、野良猫であったとしても同じだと私は考えています。野良ですから誰の所有物でもなく、ゆえに誰が可愛がってもいいというのは間違っていると思います。
 野良だからこそ、いい加減な気持ちで彼等と接するべきではないのです。

 野良ゆえに、一度餌をあげたりすると、彼等はつけあがってきます。この人間からは餌をもらえると知ると、今まで以上に甘えてきたりもします。生きていくためですから彼等も必死です (^^;

 

 もし野良猫に餌を与えるのなら、家に連れ帰って一生面倒をみるくらいの覚悟がなければ安易に餌を与えるべきではありません。
 お腹を空かせているから可愛そうだと思うのは勝手ですが、一時的に餌を与えることによってさらに悲惨な事態を招いてしまうことになることを知るべきです。

 つまり、野良猫たちに慈悲を与えているつもりで、かえって無慈悲な事をしているという事です。

 こういうことを申し上げても、何を言っているのかわからないとおっしゃる方も少なくないと思いますが、野良猫が餌を与えてもらって仮に何日か生き延びたとします。その何日かは確かに猫にとって幸せな時間かもしれませんが、そうして生き延びている間に生まれなくてもいい子猫が生まれたりする事もないわけではありません。
 そうやって、無慈悲な餌やりが繰り返され、可愛そうな野良猫がさらに増えていくわけですよ。
 可愛そうだと思ってたった一度餌をあげることによって、可愛そうな期間がさらに延びることは、見方を変えれば真綿で首を絞めるような残酷なことにはなりはしないでしょうか。少なくても私はそのように思っている一人です。

 

 加藤氏が行なっている餌やりは、言うなれば自己満足の類に過ぎません。本当に野良猫が可愛そうだと思うなら、全ての野良猫に去勢手術を施した上で自分の家の中で飼うべきです。
 自分ではなんの責任も負おうとはせずに、餌だけやり続けることは無責任にもほどがあります。
 こういう自己中心的な人間が増えつつあることに、私は危機感を感じざるをえません。

 しかも、こういう人間に限って自分はいいことをしているという自負があるだけに始末におえないんですよね。

 本当に困ったものだと思います・・・ (ノ_-;)ハア…

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2010年5月16日 (日)

渡部恒三

 昨日、銚子市内で仕事をしていたんですが、道路のあちこちにこんな捨て看板が立てかけられていました。

 

20100516001

 

20100516002  どうやら、民主党の渡部恒三が銚子市内に講演に来たみたいなんですが、渡部恒三といえば、私の故郷である会津を中心とした福島県第4区から出馬して、1996年の第41回衆議院議員総選挙以来5回連続で当選を果たしている、地元の有名人の代表みたいな人です。

 今の小選挙区になる以前の、中選挙区だった福島県第2区時代を含めると、1969年の第32回衆議院議員総選挙で自民党から出馬して初当選を果たして以来、一度も落選したことがなく、14期連続で当選を果たしているという、地元では人気も人望もかなりのものです(笑い)
 いわゆる、会津の顔みたいな政治家なんですよね (^^)v

 私も、千葉県に移り住んでからすでに20年以上経ちますから、今ではすっかり千葉県民みたいな顔をしていますが、こういうものを見るとやはり会津人としての血が騒ぐというか、懐かしさとか親しみみたいなものを感じてしまいます (^_^ゞポリポリ

 

 テレビなんかで報道される渡部恒三といえば、独特の風貌と会津弁丸出しの個性的な語り口で知られており、最近では「政界のご意見番」とか「平成の水戸黄門」なんて呼ばれたりもしています(笑い)

 いかにも人の良さそうな好々爺にも見えないことはありませんが、そこは会津の人間ですから、芯は一本通っており、曲がったことには頑として抵抗するという気骨の人でもあったりします (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 正直、同郷の政治家でもありますから、民主党政権になった今、もう少し表舞台で活躍して欲しいとも思っているのですが、いかんせん小沢氏を始めとする年寄連中から煙たがられているのも事実で、冷や飯を食わされているのが現状だったりします (^^;

 岡田克也や前原誠司あたりがもう少し党内で力を持ち、若手がもっと台頭してくるようになれば事情も少しは変わってくるとは思うのですが、どうですかねぇ・・・ (ノ_-;)ハア…

 

 蛇足ですが、会津には渡部姓の家では節分の豆まきはしないという言い伝えがあります。

 「わたなべ」といえば「渡辺」姓が一般的だとは思うんですが、会津には「渡部」姓もけっこう多いんですよ。
 で、先の渡部姓の家では伝統的に豆まきはしないということになっているんだそうで・・・ (^^ゞ

 これは、大江山の鬼の右腕を切り落とした渡辺綱の伝説によるもので、鬼よりも強い渡部家では豆まきの必要はないから、しなくてもいいということになったそうなんですが、なぜ渡辺姓ではなくて渡部姓の家でそういうハナシになったのかが今でも疑問です(笑い)

 ちなみに、渡部恒三も節分の豆まきはしないそうです(笑い)

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2010年5月15日 (土)

夜がくる

 お日様が沈めば、夜がくる・・・

 夜がくれば、お酒が飲みたくなる・・・

 という事で、ウィスキー大好き人間の私がグラスを片手につい口ずさみたくなる、「サントリーオールド」のCMソングがあります。
 作曲者は小林亜星で、そのタイトルが「夜がくる」です。

 きっと皆さんも、一度くらいはお聞きになったことがあるはずの、お馴染みのメロディなんですが、何をおいても、まずはこちらの動画をご覧になってみてください ( ^-^)/ ♪

 

 

 

 ごく短いこの作品を、いろんなバージョンで構成したこの動画は実に秀逸な一作だと思います。

 

 スキャットというかハミングというか、そういう意味のないことばだけで歌われたこの作品は、歌詞がないゆえに、逆にいろんな顔を持って聴き手に迫ってきます。
 悲しい時には悲しいように、嬉しい時には嬉しいように、不思議ではありますが、その時々の心境に合わせるように聞こえてくるのがこの作品の凄いところだと思います。

 

 チャールズ・ブロンソンを起用したマンダム化粧品のCMもそうでしたが、この「夜がくる」のCMもなかなか男臭い雰囲気が漂ってくる作品でした。
 酒は必ずしも男だけの専売特許ではありませんが、「夜」と「酒」とくれば、たいていイメージするのは疲れたオヤジというのは世の常であり、お酒が好きな女性も多いとは思いますが、魅力的な女性がグラスを片手にカウンターに座っている・・・なんて図を人はあまり思い描こうとはしないものです(笑い)

 

 ダンダン デュラン シュビラデン・・・

 こんな感じで聞こえてくる「夜がくる」のCMソング・・・

 もう、いつの事だったかは失念しましたが、初めてテレビから流れてきたこのメロディを聴いた時、思わずゾクゾクッとしたのを覚えています。
 あの時とは年齢も社会的な立場もずいぶんと違ってはいますが、このメロディを聴いた時に湧き上がってくる、どことなく懐かしいような、なんとなくぬくもりを感じるような、そんな切なさを覚えるのは、今も昔も変りはありません・・・

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2010年5月14日 (金)

一極集中

 以下の写真は、道路を挟んで同業社が向かい合って建っているところを撮ったものです。

 

20100409021

 これは、サイドバーにも貼り付けてある私の裏の掲示板でも取り上げた事があり、栃木県は足利市内を走る国道50号線で撮ったものです。
 ちょっとわかりにくいかもしれませんが、ホームセンターの「カインズホーム」「ビバホーム」が写っているのが見えると思います。

 

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 この写真は、福島県の郡山市内を走る国道4号線で撮ったものです。
 家電量販店の大手である「ヤマダ電機」「コジマ電気」が見えます。

 

20100514002

 この写真は、二枚目の場所とほぼ同じ場所で撮ったもので、こちらは紳士服の「青山」「AOKI」が写っています。

 

 このように、車のディーラーであったり、スーパーであったり、ラーメン屋であったりと、同じ場所に同じ業種のお店がいくつも建っているのを見かけるのは珍しいことではありません。

 私のような素人が考えると、同じ業種のお店が近くにあるとお客を奪い合うことになるので、お互いのお店にとってメリットは無いんじゃないかと思えます。
 つまり、限られたお客を奪い合い、売上げが減って共倒れになる危険性もあるという事です。

 

 しかし、同じようなお店が近くにいくつもあると、買うお客にとってはとてもありがたい事はいうまでもありません。
 例えば、テレビが欲しいと思った時に、電器店が一件しか無かったとしたら嫌でもそこで選んでそこで買うしかないわけですが、何件もあったらどうでしょう。心ゆくまで品物を選び、値段を比較し、サービスを比べあって、納得して購入することができます。

 

 同じ業種のお店が1カ所に集まるということは、それを欲しいと思っているお客を、限定された地域だけではなく、その周辺の地域まで巻き込んで強力に引きつけ、「集客力」がより増すという大きなメリットが生まれます。
 中には、そういう同業社が集まって、いつの間にかひとつの街ができてしまうことさえあります。電気街で有名な東京の「秋葉原」や大阪の「日本橋」などはその代表的な例だと思います。
 書店や古書店が多く集まっている神田の「神保町」なども、そういった同業社の街といえると思います。

 このような状況になると、電気製品や本を求める人は、都内に住んでいる人でなくても、秋葉原や神保町にわざわざ足を運ぶようになります。
 別に、電気製品や本なんてどこで買っても同じモノで、秋葉原や神保町まで行かなくても手に入れることはできますが、そこに行くことによって他所では手に入れることが難しいような掘り出し物や限定品などに遭遇する可能性も出てくるので、マニアなどは自然とそういう街に集まってくるものです。

 他にも、食器や調理器具などを扱うお店が集まった浅草の「かっぱ橋」や、仏壇や仏具を扱うお店が建ち並ぶ浅草の「仏壇通り」などは、その方面ではかなり有名な存在だったりします。

 商店街ではありませんが、ラーメン店が集まった「横浜ラーメン博物館」や、カレー店が集まった「横浜カレーミュージアム」なども、ラーメン好きやカレー好きを集める効果は大きいと思います。

 

 このように、一見すると「商売敵」が集まってお客の奪い合いをしているように見える、同業社の一極集中も、商売の上ではけっこうメリットが大きいのかもしれません。

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2010年5月13日 (木)

ヤンチャーズ

 なんとも愉快で痛快な企画が先月実現した。

 加山雄三のデビュー50周年を記念して、豪華メンバーによる夢のバンドが結成されたというモノだが、その顔ぶれがまた凄い!
 加山雄三を慕う、森山良子谷村新司南こうせつさだまさしという、フォークソングで一時代を築いた大御所とも呼べるビッグネームに加え、桜井賢坂崎幸之助高見沢俊彦という「THE ALFEE」の三人が加山雄三のバックを務める。

 このバンド名が「加山雄三とザ・ヤンチャーズ」という事で、何はともあれ、今回彼等が発表した「座・ロンリーハーツ親父バンド」を映した下のYouTubeの映像をご覧になってみてくださいな ( ^-^)/ ♪

 

 

 

 

 どうですか、この悪ノリした、楽しそうなオヤジたちの顔!顔!顔!

 ・・・といっても、私のように彼等と一緒に同時代を生きてきたフォークソング世代でなければ、このワクワクするというか、ゾクゾクするというか、そういう身体を揺さぶられるような感動は湧いてこないかもしれませんが・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 このバンドの中心にいる加山雄三は、1937年の生まれですから、今年満73才を迎えました (^^;
 しかし、この元気そうな顔のどこに70才を超えた老人の姿を感じることができるというのでしょう (;^_^A アセアセ・・・
 こんな73才は見た事ないというか、スゴイと思いませんか(笑い)

 そして、ヤンチャーズの森山良子が満62才、谷村新司と南こうせつが共に満61才と、いずれも還暦を越え、さだまさしが満58才、坂崎幸之助と高見沢俊彦が満56才、桜井賢が満55才という、全員がアラ還と呼ばれる団塊の世代なのにもかかわらず、こうして元気にパフォーマンスをしている姿を見せられると、いやでも元気を頂けるというか、少なくても今年満52才の私が彼等に負けてるわけにはいかないぞと (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 ところで、この「加山雄三とザ・ヤンチャーズ」という絶妙のバンド名ですが、加山雄三が1962年に結成した「ザ・ランチャーズ」をもじったものというのが一般的な認識なのかもしれませんが、リリースした作品のタイトルが「座・ロンリーハーツ親父バンド」という事で、これはビートルズがかつて発表した8枚目のアルバムである「Sgt Pepper’s Lonely Hearts Club Band」をパロったものじゃないかと考えると、同じ海外のバンドで今も現役で活躍している「ザ・ベンチャーズ」をもじったものと考えた方が、どちらも親父バンドですから妥当なのかもしれません (^_^ゞポリポリ

 

 いずれにしても、ノリだけでこれだけの豪華メンバーが一堂に顔を揃えるという事自体がニュースであり、凄いことだと私は思います。

 ちなみに、この作品の作詞を担当したのがさだまさし、作曲は弾厚作こと加山雄三で、さだライクなユーモアとペーソスたっぷりの歌詞と、若大将のかもし出す湘南サウンドのコラボレーションの妙と、やんちゃな親父たちの粋な姿をお楽しみください (^^)v

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2010年5月12日 (水)

道交法違反

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 これは、北関東自動車道を走っていて見かけたオートバイの二人乗りです。

 ちょっと変わっているバイクだったので、それを狙って撮ったものなんですが、よくよく見ると、二人ともヘルメットを被っていません (^^;

 道交法では、自動二輪に乗る際にはヘルメットの着用は義務のはず・・・
 このバイクは三輪ですが、だからって、オートバイには変りはないよね (?。?)

 ・・・という事で、この二人は道交法違反だと思うんですが、一般道ならともかく、高速道路なんて逃げ場がありませんから、パトカーに見つかったらアウトですよね (^^;

 

 

 

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 こちらは、国道408号線を走っていて見かけたオートバイです。

 原チャの二人乗りは禁止されているはずなのに、彼等は三人で乗っていました (^◇^) 。。。ケラケラ

 しかも、運転している彼はヘルメットを被っているのに、後ろの二人はノーヘルです (^^;

 こちらも、見つかれば即キップだと思うので、度胸があるなぁと・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 

 以上、日々いろんな所を走っていると、いろんなモノを目にします(爆笑)

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2010年5月11日 (火)

足利フラワーパーク

 一昨日の日曜日、家内を伴って栃木県の「足利フラワーパーク」に行って来ました。

 

 実は、前日まで埼玉県の春日部市にある「牛島の藤」を見に行くことになっていたんですが、「牛島の藤」は昨年も見に行っていますし、同じ藤の花を見に行くのなら、より規模が大きくてまだ見たことのないところに行きたいという家内の意見を尊重し、最近テレビなどでの露出の多い「足利フラワーパーク」に急遽変更となりました (^_^ゞポリポリ

 

 ひとことで言って、メチャクチャ素晴らしいところでした。
 今日はその感激と感動をぜひ皆さんにもお伝えしたいと思っているのですが、こんな写真を並べたくらいで、はたしてどれほど感じ取って頂けるのか・・・ (;^_^A アセアセ・・・

 とにもかくにも、そんな日曜日の足利探訪記を語ってみようかなと (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 

 例によって、高速上限千円の恩恵にあずかろうと、成田から稲敷ICに向かい、圏央道~常磐道~北関東自動車道~東北道と乗り継ぎ、先月開通したばかりの佐野田沼ICで高速を下りて「足利フラワーパーク」へと向かいます。

 途中混んでいるようなところも無く、とても順調にドライブをしてきたんですが、やはり世の中そうそう甘くはないようで、目的地まであと2kmほどの「寺岡町」の交差点まで来た時に、目の前に延々と連なるマイカーの列を見て、え~、もしかしてここからずっと渋滞してるの~・・・ (^^; と思いつつ、他に手段もなかったので、最後尾について停車します・・・ (__;)
 ある程度混んでいることは織り込み済みだったんですが、まさか駐車場から2kmも離れているところから並ばなければならないとは思わなかったので、「足利フラワーパーク」の人気の凄さをまざまざと実感させられました(苦笑)

 

20100511029  そんなこんなで、1時間ほどかかったでしょうか、やっと係員の誘導で田んぼの中に設けられた臨時の駐車場に愛車を停められました。

 もう、14時を回っていましたが、見渡す限り、マイカーがギッシリ・・・ (^^;

 

 

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 入場料は、花の咲き具合などを見て当日の朝に決められるそうで、この日の料金は大人が1600円。
 料金だけを見ると、いささか高いようにも思いましたが、JAFの会員割引を使って1割引で入場。

 入場ゲートをくぐって直ぐに、おお~という感嘆の声・・・ (^^ゞ

 目の前に広がる、巨大な藤棚を始めとする色とりどりのが織りなす自然のアート・・・
 これだけでも入場料金は決して高くないと思ったんですが、これはまだホンのプロローグに過ぎませんでした・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

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 私らが入場した西口ゲートの目の前にあった「大長藤」です。
 最大で1.8mにも成長するという、この園を代表する藤だそうです。
 という事は、この藤もさらに長く伸びるんでしょうが、今でも十分に感動を与えてくれました (*^.-^*)♪

 

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 時期的に、藤の花とツツジが盛りでした。

 その様々な姿の藤の花をご覧ください ( ^-^)/ ♪

 

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 世界でも珍しいといわれる「八重黒龍」の藤棚と、「きばな藤」が80mも続く黄色いトンネルです。

 

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 この園の主役となる「大藤」です。
 『樹齢140年超、約600畳もの広さに枝を広げた、日本が誇る大藤』とパンフレットに載っていました ( ^-^)/ ♪
 こんな藤棚、私は初めて見ましたよ ヽ(^◇^*)/

 

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 この日はとても暑かったので、水辺がとても気持ちよかったです(笑い)

 

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 この「足利フラワーパーク」は、とても広大な敷地の中を歩いて回るスタイルをとっており、そのためにいたるところに休憩できるベンチや椅子が用意されているのには感心しました。

 トイレも園の内外にたくさん設けられており、あれほどのお客さんが押し寄せているにも関わらず、女性でもそれほど待たされるようなことはありません。もちろん、混み合うトイレも中にはありましたが、私も家内もおおむね直ぐに済ますことができました (^^)v

 さらに、園内がキレイなのには感服しました。特に清掃員のような方をお見かけはしませんでしたから、お客さんたちのマナーがいいのだと思われます。
 さすがに、これだけ綺麗な場所では、ゴミを捨てることさえはばかられるのでしょうね(苦笑)

 

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 私もその一人ですが、皆さんカメラや携帯を園内の花たちに向けていました。

 上の写真は、そんなカメラマンたちを撮ったものです (^^)v

 

 以下は、例によってオマケの写真です (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

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 この暑い最中、ブーツを履いている女性を見かけました (^^;

 2枚目は、ヒールを履いていた女性です。未舗装の園内をこの靴で歩くのはたいへんだったろうと・・・

 

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 コメントは省かせて頂きますが、明るい日射しの下、フトモモが眩しかったです (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 次の子供は、他所の子供ですが、親の横で私も一枚 (^^)v

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2010年5月10日 (月)

矢ノ原湿原

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 今日は、私の村のチョッとした名所というか、「矢ノ原湿原」という場所をご紹介してみようかなと・・・ (^_^ゞポリポリ

 

 ここは、約8万年前にできたといわれる日本で2番目に古い湿原とされていますが、私自身にはそれほど大げさな感覚はありません(笑い)
 私にとっては、近くの山の中にある湿地帯で、雪解けの頃は満面に水をたたえていますが、夏場にはほとんど干上がってしまう程度の、どこにでもあるような沼地でしかありません。

 子どもの頃から、モリアオガエルが生息しているということくらいは聞いて知っていましたが、一度もその姿を見かけたことはありません。なぜなら、矢ノ原湿原も、うわべの景色は何度も見ていますが、遊歩道ですら一度も歩いたことがありませんし、生息している生物や植物なんかにもなんの興味もありませんから (^^;

 こうして湿原の写真をご紹介していても、ホンの上っ面だけしかご紹介できないのがなんとも情けないのですが、たとえ生まれ育った所であっても、関心の無いことなんてそんなものかもしれません (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 

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 湿原といっても、尾瀬などのように特別整備されたところではありませんから、訪れる人もごく限られていますが、それがためにかえって自然のままで残っているんだと思います。
 有名になるのは、それはそれでありがたい事ではありますが、人が集まればそれなりに影響を受けてしまうでしょうし、私は今のままでいいと思っています。

 

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 写真は、この矢ノ原湿原に湧いている「代官清水」です。
 以前は「沼清水」と呼ばれていたというこの湧水ですが、十二代将軍徳川家慶が派遣した幕府巡見使の一行がここを通った際に、この清水のところで休憩し、喉を潤したと記録されているそうで、あまりにも清らかなこの湧水に感嘆し、末永く保存するようにと申しつけたことが所以となって「代官清水」と呼ばれるようになったそうです。

 この清水は村内ではもちろん、村外でもけっこう有名らしく、近隣の市町村からもいろんな容れ物を持って汲みに訪れる人は少なくないのですが、この日はこんな人を見かけました (^◇^) 。。。ケラケラ
 ナンと、4Lのペットボトルを山と積み上げて、一心不乱に汲み上げていました。
 どこから来たのかは伺いませんでしたが、定期的にここの清水を汲んで帰っていろいろと利用なさっているそうで、おそらくは何かの飲食業を営んでいるんじゃないでしょうか。

 前回ここで汲んでいったのは、昨年の11月ということで、雪が降る前になります。雪が積もると、ここに来ることは不可能になりますから、雪が溶けるのを待ってこの日汲みに来たんだと思うんですが、ここの水は半年経っても傷むことはなく、常温保存で普通に飲めるそうです。

 ここの他にも名水と呼ばれる湧水をいくつも試したそうですが、たいてい保存中にペットボトルの中に苔などの異物が発生してしまい、飲めなくなってしまうんだそうですが、それが無いことから最近ではここの水と決めているそうです。

 

 

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 最後に、3年前の同じ日に撮った写真と、今回撮ってきた写真を並べてみましたので比べてみてください。

 ほぼ同じアングルの写真なのですが、左が2007年5月3日のもので、右が2010年5月3日のものです。
 今年は、雪が多かったせいか、水面がかなり陸地の方まで迫っているのがおわかりかと・・・
 斜めに傾いた倒木も、3年間の間にさらに下側に倒れ込んでいます(笑い)

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2010年5月 9日 (日)

穴守稲荷

 昨日、仕事で川崎市に行って来まして、朝9時までにという約束だったので5時に成田の自宅を出発して、主に一般道を利用して向かったんですが、土曜日ということもあって、順調過ぎるほどスムースに走れました。

 そんなこんなで、羽田空港辺りまで来たのが6時半頃・・・ (^^;
 いくらなんでも早すぎるだろうということで、途中で時間調整をする事にしました。つまりは、道草を食うということです (^◇^) 。。。ケラケラ

 で、どこに行こうかと思案した末に思い出したのが、前から一度行ってみたかった「穴守稲荷」でした (^^)v

 

 「穴守稲荷」は、羽田空港のそばに在るお稲荷さんで、詳しい由来などは公式のHPをご覧頂くとして、以前は羽田空港の敷地内に設けられていました。

 それが、戦後の混乱のさなか、米軍による羽田空港拡張工事のために移転を余儀なくされ、地元有志の尽力によって現在の地に遷座されて今に至ります。

 

 「穴守稲荷」の名前の由来となった古事や、移転にまつわる様々な出来事は、語り出したらキリがありませんが、今回は全部はしょって、写真によるご紹介だけに止めておきたいと思います (^_^ゞポリポリ

 

 

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 こちらが表参道になるんじゃないかと思うのですが、本殿が祀られている境内の北側以外の、三方すべてから境内に入っていくことができ、写真は西側から境内に向かっている一番大きな通りです。

 朝の7時過ぎくらいですから、ちょうど朝日が昇りつつある時間帯でもあり、この向きだと逆光になってしまって上手く写真が撮れませんでした (^^ゞ

 

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 境内の真ん中から本殿を撮ってみました。

 朱塗りではありますが、落ち着いた感じのこぢんまりとした社殿でした。

 

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 手と口をすすぐ手水舎と、本殿の右手に設けられていた、奥の宮へと続く千本鳥居です。

 

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 お稲荷さん独特の、朱塗りの千本鳥居と、それをくぐった奥に設けられていた奥の宮の写真です。

 奥の宮にはたくさんの鳥居が納められていました。
 奥の宮の右手にも、お稲荷さんが祀られています。

 

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 さらに、境内のいたるところに設けられていた、「出世稲荷」「開運稲荷」「必勝稲荷」等々のたくさんのお稲荷さんです。
 最後の写真は、「狐塚」です。

 

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 「神楽殿」と、その向かいに建てられていた「社務所」、さらに、社務所の右手(向かって左側)に在った「遷宮祈念碑」です。

 

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 「穴守稲荷」は、三方を狭い路地に囲まれた敷地に建てられているので、こんな案内看板も設けられています。

 これらの鳥居は、それぞれ敷地の南側に立てられていたものと、東側に立てられていたものです。

 

 

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 「穴守稲荷」をご紹介する上で忘れてはならないのが、この「大鳥居」です。

 羽田空港内にあったかつての穴守稲荷のほとんどが現在の地へ移転した後も、旅客ターミナルビルの前面にずっと残されたままの大鳥居ですが、何度も取り壊しや移転が計画され、行なわれようとその度に、工事関係者に事故やトラブルが相次ぎ、「大鳥居の呪い」という都市伝説まで生まれました。

 しかし、1999年にとうとう今の弁天橋のたもとに移転されて今に至ります。

 穴守稲荷の一部ではありますが、本殿のある境内とは数百m離れた場所に在り、静かに羽田空港を見守っています。

 この写真も、朝日の関係で、正面から撮ったものは逆光になってしまってうまく撮れませんでした (^^;
 大きな写真は、背面から撮った大鳥居です (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

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2010年5月 8日 (土)

再会

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 今朝、8時前のことですが、仕事で納品先に向かう途中で出会ったタンデムです。

 

 場所は、国道409号線の川崎大師の駅前で、大師参道入口の交差点です。

 別に、意味はなく、隣の車線に停まったのでチョッとカメラに納めただけです (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 

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 そして、納品を終えて帰宅を急いでいる、9時過ぎの国道357号線で撮った写真です。

 

 後ろから私の車を追い抜いていった川崎ナンバーのタンデム・・・
 間違いなく、今朝川崎大師の所で遇った二人です(笑い)

 場所は、TDLを過ぎて、浦安市と市川市との境界辺り・・・

 今朝は2台で走っていましたが、今回は4台ほどのグループになって千葉方面に急いでいました (^^;
 おそらく、川崎のどこかで友人たちと合流し、房総方面にツーリングに向かう途中だったんじゃないかと・・・

 

 ホントに偶然の再会だったんですが、こんな事もあるんですね (^◇^) 。。。ケラケラ

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青ばととうふ

 私の村の隣に在り、会津でも有名な「玉梨とうふ茶屋」・・・
 ここの豆腐は、ネッ友さんもわざわざ立ち寄って買っていくほどのお気に入りだという・・・

 

 私も、ここの豆腐のことは以前から知ってはいましたが、まだ一度も口にしたことはありません。
 お店の前は何度も通っているのに、タカが豆腐に何をそんなに大騒ぎしているんだろうというのが正直なところでした (^_^ゞポリポリ

 

 しかし、ネット通販も始め、全国から注文が来るようになったというハナシを聞くと、いったいどんな豆腐なんだろうという興味は湧いてきます (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 で、先日の帰省の折、どうせ店の前を通るんだからと、寄って買っていくことにしました (^^;
 話のタネに、一度くらいは有名な「青ばととうふ」というものを食べてみたいと・・・

 

 「青ばと」とは、奥会津の金山町玉梨地区の方言で「枝豆」のことを指すそうで、「青ばと豆腐」とは一般の豆腐のように大豆から作るのではなく、大豆になる前の「枝豆」から作った豆腐のことで、見た目も少し緑がかって見えます。

 

20100508002  お店の前を通ったのは、朝の7時過ぎ・・・

 豆腐屋だから、そんな時間でも営業しているかもしれないと思ってはいたものの、入口には「準備中」の札がかかり、戸も閉ざされています。

 

 しかし、せっかく来たわけですし、ダメもとでと、引き戸を開け、中のお兄さんに豆腐を売ってもらえないかと声をかけました。
 すると、意外にもどうぞと言われて中へ誘われました。

 

20100508001  水槽の中の豆腐を、網ですくってカゴに入れ、レジに持って行くのですが、水槽の中にはパックに入った「青ばととうふ」と「奥会津極上豆道一貫」という大きめの二種類の豆腐が入っていました。
 前者は350円、後者は1100円という事で、いくらなんでも豆腐一丁に千円は出せませんから、350円の「青ばととうふ」を3丁買って実家へ向かいました。

 私がいつも食べている、スーパーで売っている一丁35円の豆腐の10個分ですから、車中でも期待感は高まります p(^_^)q ワクワク

 

 しかし、実家でパックから出し、しょう油をチョッとたらしてそのまま食べてみたんですが・・・

 

 ・・・ん・・・ (?。?)

 ナンだ・・・これ・・・

 

 いや、ヘンな味がするとか、不味いとかいうワケじゃないんですよ。
 不味いというわけではないんですが、コレがそんなに評判になるほどの味なのかなと・・・

 へんに期待していただけに、思いっきり肩すかしを食らったというか・・・ (ノ_-;)ハア…

 で、「コレ、美味いか?」と家内と妹夫婦にも確認してみたんですが、彼等の感想も特別美味しいとは思わないというものでした (__;)

 

 こんなモン、350円も出して購入するだけの価値があるんだろうか、少なくても私らはそんなふうに感じたわけで、「コレなら、スーパーで買ったいつもの豆腐の方が美味しいんじゃないの?」と、最終的に出た結論は、そんな身もふたもないものでした・・・

 

 もしかしたら、かつては確かに評判になるような素晴らしい豆腐だったのかもしれません。
 しかし、よくあることですが、美味いと評判になった店が、次から次へと押し寄せるお客をさばいているうちに、味を維持できなくなり、次第にダメになっていく例は枚挙にいとまがありません。

 この店がそうだとは言いませんが、評判の上にあぐらをかき、材料や手間を以前ほどかけられなくなったということは十分に考えられることです。
 細々と豆腐を作っていた頃と、大々的に豆腐を作っている今とでは、同じ品質を維持したくても難しいのかもしれません。

 

 やっと食べた、故郷の「青ばととうふ」・・・
 なんというか、期待外れの残念なシロモノでした・・・ (__;)

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2010年5月 7日 (金)

再びの

 3日と4日で、会津に帰省してきたばかりなのに、昨日の仕事は福島県の郡山まででした・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 アメリカンチェリーを積み、先日通ったのと同じ道を通って納品に向かいます・・・

20100506021_2 ただ、圏央道の稲敷ICから高速に乗ったものの、常磐道の友部JCTからは北関東自動車道で東北道に向かいました (^^;
 常磐道~磐越道経由でもよかったんですが、さすがに一昨日に走ったルートと全く同じというのも芸がないので、敢えて東北道経由で行くことにしました (^^)v
 写真は、東北道の大谷PAで小休止した時に撮ったもので、抜けるような青空が眩しかったです。

 一昨日までなら、千円で行けたんですが、さすがに平日ということで4千円チョイかかってしまいました(苦笑)

 

 それにしても、暑い、暑い・・・ (;^_^A アセアセ・・・

 行きは、高速ということもあって、エアコン全開で走りましたが、帰りは窓を開けて、初夏の田園の風を受けながらのんびりと一般道で帰って来ました (^^)v

 私は、エアコンはそれほど好きな方ではないので、真夏でもできる限り使わない方なんですが、都心部辺りを走っているとそうもいかないことも多いんですよ。でも、昨日は地方の田園部ですからね、やはり風が違うんですよね(笑い)

 

 やはり、多少なりとも土地勘のある場所への仕事というのは、疲れもそれほど感じませんし、実際の距離ほど遠くも感じないので、正直好きな仕事です(笑い)

 という事で、連休明けの仕事としては申し分のない、楽しい仕事でしたよ ヽ(^◇^*)/

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2010年5月 6日 (木)

木下川薬師

 先日の「昭和の日」に、葛飾区に在る木根川橋を渡る機会があり、納品を終えた時間も早かったので、前から一度行ってみたかった「木下川薬師」に立ち寄ってみることにしました。

 

 「木下川薬師」「木根川薬師」とも書きまして、今では後者の方が通りがいいようですが、その創立は860年といわれており、都内でも最古参に挙げられる、由緒正しい天台宗のお寺だそうです。

 3年ほど前にも、「木根川橋」というタイトルの記事を書いたことがあり、その中でも語ったことがありますが、さだまさしの作品で「木下川薬師」の存在を知った私ですが、その後一度もここを訪れることもなく、30年ほどが過ぎてしまいました (^^;

 

 そして、ついにこのたび念願がかない、ようやく参拝を済ますことができて感無量です (^_^ゞポリポリ
 ・・・とまぁ、そんなに大げさにいわなくても、ここは仕事でもよく通っている場所ですから、その気になりさえすればいつでもお参りはできたわけで、今まで訪れることがなかったのがむしろ不思議な気さえしますが (;^_^A アセアセ・・・

 

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 これが、荒川の土手沿いの道から入ったところに見える「木下川薬師」の入口に建てられている朱塗りの山門と、何かの倉庫にでも使われていたと思われる廃屋 (^^; です。
 この廃屋は、昔からここにこうして建っており、境内はそれほど広い敷地でもないのに今でも取り壊されないでいるのは、やはり何かいわれのある建物なんだろうと想像しています (^_^ゞポリポリ

 このお寺の前の通りは、「きね川さくら通り」と名付けられているようで、ご覧のように花はすっかり散ってしまって青々とした葉っぱだけになってしまってはいますが、桜の木がずっと植えられていました。

 

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 青龍山と書かれた扁額が掲げられた山門と、その両脇に立っていた金剛力士像です。

 木下川薬師の正式名は「青竜山浄光寺」であり、「木下川」という地名に建てられていたお寺ということで、地元民の間では親しみをこめて「木下川薬師」と呼ばれていたのが最初だそうです。

 この地は、室町時代の頃には「木毛河(きけがわ)」と呼ばれていたそうですが、戦国時代には「木毛川」と文字が替わり、その後読み方も「きけがわ」から「きねがわ」に訛ったために、文字も「木下川」と書かれるようになっていき、昭和7年に葛飾区が誕生した際に読みにくいからと「木下川」から「木根川」に改められて今に至っているそうです。

 

 この山門に安置されている金剛力士像ですが、仁王門に立ってお寺を守護する役目があり、一般には仁王像と呼ばれています。
 左の写真が口を閉ざした「吽形(うんぎょう)」で、右の写真が口を開いた「阿形(あぎょう)」です。
 共に、ヒノキの「寄木造」で、高さは275cmとそばに立てられていた説明書きに書かれていました。

 

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 都内のお寺らしく、境内もそれほど広くはありませんで、こぢんまりとした敷地の中に鐘楼や手水場が設けられていましたが、手水場はなぜか板塀で囲われていて、使用できなくなっていました (^^;

 小さめの本堂も、シンプルな中にも荘厳な趣があり、なかなか雰囲気はよかったです。

 

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 鐘楼です。これも小さめのものですが、その造りは手が込んでいて、江戸の心意気を感じるというか・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

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 境内の片隅に設けられていた、藤棚や花木などのミニ庭園です。
 手入れはしっかりなされているようでしたよ o(*^▽^*)o~♪

 

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 季節柄、アヤメやカキツバタなどが植えられていたプランターが境内に並んでいました。
 ちょっと見は同じに見えますが、よく見ると、アヤメのプランターは乾いていて、カキツバタのプランターにはたっぷりの水が溜まっていました。
 なるほど、こういう違いがあるのね(笑い)

 

 あまりゆっくり散策はできませんでしたが、それでも十分に楽しめたお寺でした (^^)v

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2010年5月 5日 (水)

会津帰省記 10GW編

 3日と4日の二日間を利用して、会津に帰省してきました。

 今日は、GW恒例の、そんな帰省記でも ( ^-^)/ ♪

 

 一泊二日の強行軍ですから、時間的な余裕もそれほどなく、アレもコレもと予定を詰め込むようなことはせず、今回のメインは3日の夜に会津在住の友人たちとの旧交を温めることだけに絞りました。

 そのために、初日の3日は、深夜2時に成田の自宅を出発。
 圏央道の稲敷ICから高速に乗り、常磐道~磐越道と乗り継ぎ、会津坂下ICで高速を下りて一般道で実家に向かいました。実家には7時半に着き、ちょうど帰省中だった妹夫婦たちを交えてしばらく団らんした後、15時前には宿泊予定になっている会津若松のホテルに向けて出発・・・ (^^;

 17時半にお店の前で合流、しばし飲食を楽しんだ後、カラオケボックスに移動。
 たっぷりと歌いこんだ後、解散。
 ホテルに戻って就寝・・・

 

 二日目となる昨日は、10時にチェックアウトした後、会津若松ICから磐越道に乗り、常磐道~圏央道と乗り継いで、稲敷ICから一般道で成田に戻ってきました。
 道中は、行きも帰りも渋滞などは皆無で、15時には自宅に到着することができました (^^)v

 

 以下は、道すがら撮った写真です。

 

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 6時前に、磐越道から見える磐梯山を撮ってみました。
 頂にはまだ残雪が見えました。

 高速を下り、国道252号線で実家に向かう途中、会津柳津付近で撮った桜です。
 ご覧のように、会津の里は今が桜が満開でした。

 

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 実家から見える、南側にそびえる山々です。
 こちらも、山肌には残雪が残っており、農作業もまだ始まっていないので、田んぼや畑は秋のままの地肌を見せていました。

 

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 これらの写真は、私の村にある「矢ノ原湿原」という場所で撮ったものです。

 雪解けの水をいっぱいに集め、この時期ならではの光景を何枚もカメラに納めてきました ヽ(^◇^*)/
 いずれ近いうちにこのブログでご紹介させて頂こうと思っています。

 この沼も、夏にはほとんど干上がり、秋には幻想的な紅葉をまとって迎えてくれます。

 

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 その矢ノ原湿原で撮った桜の花と残雪のコラボです(笑い)
 桜はヤマザクラ、私の村ではごく普通に見られるものです。

 

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 15時過ぎに、実家のある村から会津若松へと抜ける、国道401号線の様子を撮った写真です。
 博士峠という高所を通る山岳道路ではありますが、さすがにGWの時期にこれだけの雪が道路脇に残っているのは珍しいことです。

 

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 これは、博士峠から下りてきた、会津美野里町にある宮川ダムです。
 ここの桜は綺麗なので、毎年楽しみにしているのですが、昨年は開花が早かったので、GWにはすでに終わってしまい、残念に思っていましたが、その分今年は例年以上の装いで迎えてくれました ヽ(^◇^*)/

 

 以上、今年は慌ただしく駆け抜けただけの会津帰省となりましたが、半年ぶりに会った両親の顔色もよく、安心しました。

 次回の帰省は、お盆の予定です ( ^-^)/ ♪

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2010年5月 4日 (火)

チンチン

 GWも終盤に入り、予定通りだと今日は会津若松から成田へと帰るドライブを楽しんでいる頃かと思います (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 10時頃にホテルをチェックアウトして、南会津から白河へ抜け、国道294号線で南下というのが私のお気に入りのルートです (^^)v
 おそらく今日の高速は、東北道はもちろん、常磐道も上り線はかなり混むと思うので、様子を見ながらですが、一般道をメインに走ろうかと思っています。

 

 それはともかく、今日はカタイ話しは置いといて、「チンチン」の話題でもいかがですか (^◇^) 。。。ケラケラ

 「チンチン」とは、言うまでもなく男性のアレのことですが、下手な講釈は無用で、とにかく下の二つのYouTubeの動画を、まずご覧になってみてくださいな ( ^-^)/ ♪

 

 

 

 

 

 

 いかがですか(爆笑)

 

 上の作品は、1969年6月25日に発表された、ハニー・ナイツの「オー・チン・チン」というものです。
 ちなみに、作詞は里吉しげみ、作曲は小林亜星といいますから、決しておふざけで作ったキワモノの類ではないと思われます (^^;

 お聞きになってもらえばわかるように、歌詞は非常にバカバカしいのですが、メロディが秀逸なのと、実力派のコーラスグループがしっかり歌っているのとで、聴いていて不快な思いをするような事はないと思われます。

 

 下の作品は、もともとはイタリアの子ども達が歌った「cin cin pon pon」という汽車が走る様子を歌った作品が原曲になっており、1976年に本庄庄一郎がこのような日本語の歌詞をつけてひばり児童合唱団の小谷浩代と前野良典に歌わせたのが最初の「チンチンポンポン」です。
 この「チンチンポンポン」をカバーして、柄沢怜奈とお兄ちゃんに歌わせたものが平成版の「チンチンポンポン」で、先月の14日に発売されたそうです。

 

 いずれにしても、男の子のチンチンをモチーフに作られたこれらの作品ですが、可笑しいというかバカバカしいというか、聴いていて思わず笑ってしまいます・・・ (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 さらに、過去にはこのような作品もありました (o^∇^o)ノ

 

 

 

 これは、つボイノリオが1975年に発表した「金太の大冒険」という作品ですが、ことば遊びというワクを超え、傑作ともいえる歌詞であり、音楽的にもなかなか名曲だったと思っています(笑い)

 

 このように、男性器の場合には「チンチン」などのようにコミカルなネーミングも付き、おおむねコミックソングとして取り上げられることも多いのですが、こと女性器の場合にはそのようなワケにはいかないようで、まず名称そのものが公の場で口にされることがありません (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 個人的には、愛川欽也が昔、自分のラジオ番組の中で募集して使っていた「テトラ」というのが秀逸だと思っているのですが (^_^ゞポリポリ

 

 そもそも、男性器は身体の外に出ていますから、ある意味開けっぴろげで陽気なイメージでとらえやすいのかもしれませんが、女性器の場合にはどうしても隠されることが多いので、なんとなくイメージ的にも暗く陰気なものになってしまうのかもしれません (__;)

 

 

 ところで、沖縄には下のような名前の湖があり、有名な公園として県民には広く親しまれているそうですが、沖縄以外の方にとってはカルチャーショックを覚えるようなネーミングなのではないでしょうか・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 

 

 

 それでは、皆様方におかれましても、残り少ないGWを有意義にお過ごしください (*^.-^*)♪

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2010年5月 3日 (月)

事業仕分け

 昨年11月に行なわれた第1回目に続き、第2回目の事業仕分けが先月に行なわれた。

 

 事業仕分け自体はいいことだと私も思うが、だからといってこんな事、政府が自ら音頭をとって行なわなければならないことなのだろうか・・・

 政府がするべき事は、予算の額を決める事であって、その使い道にまでいちいち口を挟むべきではないと私は思う。

 

 例えば、今が財政難であることは誰もがわかっているわけですから、おたくの今年度の予算は前年度の2割カットとか、3割カットとか、あらかじめ予算額だけを公益法人に伝え、その予算内でどのようにやり繰りするかはそれぞれの判断に任せてもいいのではないか。

 つまり、これこれにいくら必要だから、今年の予算はこの額が欲しいというこれまでのやり方ではなく、今年はこれだけの額しか出せないから、その範囲内でよろしくやってねというスタイルの方が、予算決定もスムースにいくと思うし、ムダを省く効果も大きいのではないか。

 

 どうも、民主党の行なっている事業仕分けというのは、国民に対するパフォーマンスでしかないような気がしてならない・・・ (ノ_-;)ハア…

 第一、徹底的な見直しが必要とされる公益法人の数は4700を超えるといわれているのに、今回見直しの対象に上がったのはその中の47法人で151事業でしかなかった。
 たった百分の一しか目を通せないような事業仕分けなんて、はたして行なうだけの価値があるのか、大いに疑問だ。
 やらないよりはマシというだけのモノでしかないのなら、パフォーマンスといわれても仕方がないのではないか・・・

 

 だいたい、その道の専門家でもない仕分け人に、その事業の必要性とか重要性がどれほど理解できているというのだろう。

 

 だから、仕分け人があれこれ口を出す今のスタイルよりも、ハナからお金が無いから前年度の○割カットでよろしくと言った方がへんに揉めたりしないんじゃないかな。

 文句を言われたら、無い袖は振れぬと言えばいいだけのハナシだ(笑い)

 

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 という事で、今日私らは会津の実家に帰省します o(*^▽^*)o~♪

 すでに、深夜のうちに成田を出発して、圏央道~常磐道~磐越道と乗り継いで、明け方には実家に着いている予定なんですが、実際にはどうだったのか・・・ (^^;

 まぁ、時間も時間ですし、いくらGWとはいっても、そう混むようなところはないと思っているのですが・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

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2010年5月 2日 (日)

のぼり藤

 先日、「藤の花」という記事の中で、今シーズン初めて関東で見かけた藤の花をご紹介させて頂いたんですが、その中にあった「のぼり藤」を、昨日あらためてじっくりと見物してきました (^_^ゞポリポリ

 

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 29日にこの藤の花を見かけた時には、チョッと変わった藤の花くらいの認識しかなかったのですが、自宅に帰って写真をじっくりと見ると、どうやらのぼり藤という種類の藤の花らしく、もう一度この目で確かめてみたくなりまして・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 この藤棚があるお宅は日本蕎麦屋さん。
 私がこの写真を撮っている時に、ちょうどお昼の忙しい時間帯が終わり、夕方まで休憩に入るところで、ノレンを外しに出てきた息子さんにちょっとご挨拶を (^_^ゞポリポリ

 珍しい藤の花ですねということで、写真を撮らせてくださいとお願いしましたが、快く応じてはくれたものの、藤の花にはそれほど関心はない様子・・・ (;^_^A アセアセ・・・

 そんな私たちの会話を聞きつけて、母親らしいご年配のご婦人が出ていらっしゃいまして、ささやかな藤自慢を(笑い)

 お話によると、この藤の花はやはり「のぼり藤」ということで、朝方だともっと元気に上を向いているそうです (*^.-^*)♪
 ・・・な~んて、キレイな花なのに、下品なハナシで恐縮です (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 こんな身近なところなのに、こんな珍しい花に出逢えてラッキーかな o(*^▽^*)o~♪

 もっとも、気にすることがなかったから、今まで何年もこの道を通っているのに、こんな花があることにも気がつかなかったんでしょうが・・・ (^^;

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2010年5月 1日 (土)

墨田詣で

 東京の墨田区に建設中の「東京スカイツリー」ですが、3月29日に東京タワーの333mを超えて日本一の建設物となったと報じられてから、何かとマスコミで取り上げられることも多く、建設現場である墨田区の業平橋界隈では、連日見物客が押し寄せ、スカイツリーを見上げてはカメラや携帯で写真を撮っている人の姿を見かけるようになったそうです。

 そもそも、この界隈は下町の中でも比較的静かな場所だったはずなのに、降って湧いたような人混みに、困惑しながらもおおむね歓迎ムードの地元住民たち・・・

 まるで「お伊勢参り」ならぬ「墨田詣で」ともいえるこの現象、これからは墨田区の名物となるのかもしれません(苦笑)

 という事で、私も仕事の合間に建設中のスカイツリーを何度も見てきたのですが、テレビでしか見たことのない家内にもその異様を見せてあげたくて、25日の日曜日に家内と墨田詣でをしてきました (^◇^) 。。。ケラケラ

 以下は、そんな墨田詣でで撮ってきた写真です ( ^-^)/ ♪

 

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 浅草通りの方からスカイツリーの真下を通り、業平橋の駅前を通って言問橋を渡って上野方面へ・・・
 そして、同じ道を引き返してもう一度業平橋駅前へ・・・

 上のスカイツリーの写真は、言問橋の上から撮った物で、この日の高さは358mとなっていました。
 完成時の高さは634mという事ですから、この二倍近い高さになるわけで、今でさえ十分に存在感を示していますから、出来上がったらどんな建設物になるのか今からチョッと楽しみです (^^)v

 下の写真は、業平橋駅前の川に架かる橋の上からスカイツリーを見物している方たちを撮ってみました。
 ご覧のように、皆さんカメラを構えて、中にはこんなふうに大きなカメラを抱えた女性の姿もありました。
 日曜だったせいもあるのでしょうが、雑踏整理のためにガードマンさんも何人か姿を見かけました。

 

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 これらは、スカイツリーの真下に行って撮ってきた写真です。

 正直、東京タワーよりも地上部の断面積はずっと小さい感じがします。
 こんなにスリムなのに、600mものタワーを支えられるのだろうかという気さえしました。

 集まっていた皆さんは、ツリーをバックに記念写真などを撮っていました(笑い)

 

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 これは、29日に、荒川に架かる木根川橋の東詰で撮った写真です。

 橋を渡っていると、前方からナンか不思議な集団が歩いてきましてね、見るとカメラとか三脚とか持った人たちがゾロゾロと楽しそうに歩いているんですよ。
 おそらく、ここから業平橋の方に向かって3kmほど歩いて墨田詣でに行く人たちなんだろうと思われ、なんとなくほほえましく思って見送りました。

 2枚目の写真は、木根川橋から見えるスカイツリーを撮ってみました (^^)v

 

 東京の新名所となった墨田区の業平橋界隈・・・

 これからは、もっと多くの人たちが押し寄せるでしょうし、遠方から観光バスなどで見物に来る人たちも増えると思われます。
 それに伴い、この辺りの下町の街並みも次第に変わっていくんでしょう・・・

 やがては大きな駐車場や土産物屋なども揃って、一人前の観光地になるのだと思われます。

 道も狭く、アクセスも決してよくない下町の一角なのに、はたしてどのような街になっていくのか、今から若干不安でもあります・・・

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