原爆の日
今日、広島は65回目の原爆の日を迎える・・・
午前8時から平和記念公園で営まれる「平和記念式典」には、原爆を投下したアメリカからルース駐日大使が初めて代表として出席するほか、国連のバン・キムン国連事務総長が国連トップとして初めて出席する事になっているという。
他にも、核保有国の英仏からも参列が予定されているという事で、今年の平和記念式典はこれまでのものとは少し状況がちがうようだ。
私自身は、広島へは一度仕事で行った事がありますが、あいにく宮島の近くだったものですから、平和記念公園や原爆ドームへは一度も足を運んだことはありません (^^;
しかし、修学旅行などで広島に行ったことのある方も少なくないんじゃないでしょうか・・・
ただ、平和記念公園や原爆ドームは、観光気分で足を運ぶようなところなのだろうかと・・・
昭和20年の今日、広島では地獄絵図が繰り広げられた・・・
「原爆ドーム」は、その時の惨状を今に伝える、貴重な「証人」であり、広島の人たちにとっては、忘れることのできない「悪夢」そのものではないのか。
そんな場所に立って、仲間同士でヘラヘラ笑いあったり、カメラの前でポーズをとったり、そういうのってどうなんだろう・・・
例えば、お墓参りに行った時に、墓前でふざけて大声で笑いあったりとか、ピースなどのポーズをとって記念写真とか撮りますかね。
それと同じで、お参りとまではいかなくても、少しは亡くなった方々を偲び、慰霊の気持ちをもって接することが求められる場所なのではないのか、少なくても私はそう思うのですが・・・
「原爆ドーム」は、お墓ではありませんが、それに近い「慰霊の塔」のような役割も担っているんじゃないか、そんなふうにも思っています。
しかし、戦争という名のもと、原子爆弾を広島や長崎で使用したり、東京大空襲に代表されるような無差別空爆を行なったりと、アメリカは一度に何十万人もの命を奪うような非道な事を何度も行なっているワリには、世論はそれほどアメリカを非難してはいない。
なぜなんだろう、ナチス政権がユダヤ人を大量虐殺した事や、日本軍が中国で行なった南京大虐殺などは、残虐だの、非道だのと今でも責められるのに、アメリカが行なった空爆による無差別大量殺人はほとんど取り上げられることもない・・・
勝てば官軍のことば通り、戦勝国と敗戦国との差なのだろうか (?。?)
だとしたら、あまりにも一方的すぎる扱いではないのか・・・
よく、日本軍による真珠湾の奇襲攻撃に対して、いろいろと言われることがありますが、アレはアメリカが行なったような無差別殺人ではありません。
攻撃目標は軍艦を始めとする軍事施設だけであり、確かに巻き込まれて亡くなった民間人も居たかもしれませんが、始めから民間人を狙い撃ちする空爆とは根本的に異質のものです。
まぁ、そんな事を論じてみても、所詮は目くそ鼻くその類ですから、大切なことは「戦争」は絶対に起こしてはならないという事に尽きると思います。
人が人を殺し合うことが「正義」とされるのが「戦争」ですから、冷静になればいかに非常識な事をしているのかがわかりそうなモノなんですが・・・ (__;)
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コメント
総てが・・
戦争のもたらす非道理。
悲しみの根源です。
久々に、共感・反応してしまう話題でした^^;
投稿: ティンク☆ | 2010年8月 6日 (金) 19:32