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2011年5月 7日 (土)

昭和温泉

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 一昨日の記事で紹介した「昭和温泉」「しらかば荘」ですが、それほど昔からある温泉というわけではなく、せいぜい40年程度の歴史しかありませんで、私も村の出身者の一人ですから、その誕生からの経緯はよく知っています。

 で、今日はそんな「昭和温泉」のエピソードをチョッと語ってみようかなと・・・ (^_^ゞポリポリ

 

 「昭和温泉」といっても、地元の会津でさえもほとんど知られていない超マイナーな温泉ではありますが、この記事をお読み頂ければそれがなぜなのか、その理由が垣間見えるんじゃないかと・・・(笑い)

 「昭和温泉」は、福島県の会津地方にある、たくさんの温泉の中の一つで、下に地図を貼り付けてみましたので、場所はそちらでご確認頂ければ幸いです。

 

 

 温泉がある「昭和村」については、昨年の8月に「大沼郡昭和村」という記事の中で紹介した事があるので、詳しくはそちらの記事をご覧ください ( ^-^)/ ♪

 

 実は、昭和村のお隣に、金山町という自治体がありまして、そこには「横田鉱山」という黒鉱を産する鉱山がかつて存在し、この界隈では比較的賑わった地区でした。

 黒鉱というのは、銅や鉛、亜鉛などの、外見の黒い鉱石の総称ということで、昭和30年代頃が横田鉱山の最盛期だったそうですが、次第に産出量が減ってくると、もしかしたら横田の周辺でも黒鉱が出るんじゃないかということで、アチコチで黒鉱探査のボーリングが行なわれました。

 その一つが、山一つ隔てた私の村でも行なわれ、結果として出たのは「黒鉱」ではなく「お湯」だったというのが「昭和温泉」の歴史の始まりとなります(笑い)

 

 「昭和温泉」の開業は1972年となっていますが、これは温泉施設として開業した時期を指しており、温泉が出た時期とはイコールではないと思います。
 温泉が発見されたのはもっと前のような気がしていまして、少なくても大阪万博が開催された1970年くらいまでには、すでにそこでお湯が湧いていたように記憶していますが、子どもの頃の記憶なので、正確ではないかもしれません。

 温泉が湧き出たとはいっても、田舎の山里のこととて、それを利用して何か商売に結びつけようという考えは無かったようで、しばらくはそのまま野ざらしで放っておかれたんですが、かなり熱いお湯が豊富に沸き出しているわけでして、そのままにしておくのはもったいないと考えた「誰か」が、野っ原の中にドラム缶を一つ置き、そこにホースでお湯を引き込んで、誰でも入れるようにしたのが、昭和村に温泉が誕生した最初の一歩だったわけです。

 この当時、子供だった私も、友人たちと自転車で出かけて行っては、ドラム缶風呂に入ったことがありますが、山裾の野っ原の中にポツンとドラム缶が一個あるだけで、仕切りのようなものや脱衣所のような類のモノは一切無く、脱いだ服は地面に置き、靴を脱いだ足の裏は泥だらけになりながら、しかも道路からお湯に浸かっている姿が丸見えという、かなり大胆でお粗末なモノでした (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 やがて、「奇特な誰か」が、丸見えのドラム缶の周囲三方を板塀で囲いまして、多少は入りやすくなりましたが、所詮は男女の区別もないドラム缶一個の温泉ですから、まだまだ一般の人が利用するには敷居の高いシロモノでした (;^_^A アセアセ・・・
 この当時の温泉を利用していた人は、子ども達か、農作業を終えた人がタマに入るくらいだったと思います。

 そもそも、黒鉱の試掘をしようとしたくらいの場所ですから、周囲に民家は一軒もなく、部落と部落の中間点といった感じの、いわゆる何もないへんぴな所で、わざわざ出かけて行くほどのシロモノでもなかったというのが当時の昭和温泉の正直な評価でしたね。

 

 そのうちに、「村」がこの温泉の利用に本格的に乗り出しまして、簡単ではありますが屋根の付いた小屋を作り、男女別の浴室と脱衣所を設け、狭いながらも休憩所を併設したのが、おそらくは1972年頃だったので、それを持って開業としたのだろうと、この温泉の誕生からの経緯を見て知っている私には思えてなりません。

 この当時は、温泉といっても、湯船は家庭用のバスタブが男湯と女湯に一つずつ置いてあるだけで、それほど特別な施設ではありませんでしたが、誰でも無料で入ることができましたし、休憩所ができたので、村民達のコミュニケーションの場として、温泉の利用客は次第に増えていきました。
 ドラム缶ではないチャンとした湯船が置かれ、畳が敷かれた休憩所があるだけの共同温泉施設ではありましたが、他に娯楽など無い山の中の事とて、村民たちにとってはありがたい場所になっていきました・・・

 

 利用客が増えると、いつの間にか施設の前にバス停が新設されまして、ますます村民達に重用されるようになります(笑い)
 そして、さらに一回り大きな建物に建て替えられたのが、私が中学生の頃でしたから、73年頃だったように記憶しています。

 この頃になると「昭和温泉」という名前も定着してきたように思え、休憩室にはテレビなんかも置かれ、村内の老人を中心にけっこう賑わっていました。
 アメニティグッズのようなモノはさすがにありませんで、タオルも石けんも持参しなければなりませんでしたが、その代わり、利用料金も入浴料金も相変わらず一切が無料で、村内外の住人を問わず、誰でも自由に入浴できました (*^.-^*)♪

 

 昭和村役場の公式HPを見ますと、「しらかば荘」の落成は1973年となっていますが、この当時私は中学3年生でして、私が村に居た当時からこんなりっぱな温泉施設が村内にあったような記憶は無いので、もしかして、今の「しらかば荘」と同じ建物ではなく、建て替えられて大きくなった共同浴場が、いつの間にか「しらかば荘」と名付けられていたのかもしれませんが、本当のところはよくわかりません (;^_^A アセアセ・・・

 私の記憶では、今の「しらかば荘」の施設は高校生になって村を離れた以降、知らない間に今の場所に建てられたような気がしているんですが・・・ (^_^ゞポリポリ

 

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 実は、「しらかば荘」の敷地の直ぐ下には、「村民いこいの湯」と名付けられた、こんなこぢんまりとした小屋が建てられています。

 

 村民なら誰でも無料で利用できる温泉であり、一般にいうところの「共同浴場」という趣なのですが、最初にドラム缶が置かれ、昭和温泉としての歩みが始まった場所が、まさにこの辺りになります。
 以後、この場所付近で、何度か移転と増改築とを繰り返し行なってきたのが「昭和温泉」の歴史でもあります。

 今、「昭和温泉」といえば、「しらかば荘」に併設されている温泉施設を指して用いられているようですが、そのルーツは、「村民いこいの湯」が建てられている「この場所」になります。

 

 この「昭和温泉」から北に10kmほど離れた隣町に、「玉梨八町温泉」という温泉があります。
 こちらの方は、「昭和温泉」よりも歴史は古く、周囲の自治体にもよく知られた「由緒正しい温泉」です(笑い)

 たった10キロほどしか離れてはいませんが、「玉梨八町温泉」のお湯は茶褐色に濁っており、多少ヌルヌルした感じがしますが、「昭和温泉」のお湯は弱食塩泉なので、無色透明でヌルヌルした感じも、温泉独特の匂いもありませんで、両者は全く違う温泉という感じがします (^_^;
 お湯が濁っていないと温泉という感じがしないという方も多いと思いますが、子どもの頃から馴染みがあるだけに、私はこういう無色透明の温泉が一番好きだったりします (^^ゞ

 

 それと、「昭和温泉」のお湯の温度はかなり高めなので、ヌルイお湯が好きだという方の中には熱すぎて入れないと感じる人もいらっしゃるかも・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪
 しかし、「熱いお湯がたまらなく好き」という、私のようなアツイの大好き人間には、二重丸の温泉です (^^)v

 

 まぁ、一般の温泉地のようなイメージを抱かれてしまうと、その落差にガッカリということにもなりかねませんが、温泉のお湯そのものは「瓢箪から駒」みたいなでっち上げ温泉にも関わらず、りっぱなモノでして、決して期待を裏切らないと思います。 (^^)v

 施設も、お世辞にもりっぱとは言えないものの、木訥な従業員達の素朴なサービスが、かえって田舎の宿らしくていいのかなと (^◇^) 。。。ケラケラ

 しらかば荘の「お湯」と、食堂で出される「蕎麦」は、間違いなくホンモノですよ (^^)v

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