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2011年7月31日 (日)

ことほぎ

 高野健一というシンガーソングライターがいらっしゃいまして、彼の作った歌の中に「ことほぎ~君への遺言~」という作品があります。

 「ことほぎ」といっても、ピンと来ない人も多いとは思いますが、漢字で書くと「寿ぎ」となります。
 「言祝ぎ」と書く場合もありますが、いずれにしても「おめでたい」という意味で用いられます。

 

 この辺りの事情と、「ことほぎ~君への遺言~」にまつわるエピソードが、高野健一さんご自身のブログに載っていましたので、下に一部を抜粋したものを掲載させていただきます (^^ゞ

 

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「ことほぎ」とは聞き慣れない言葉かもしれませんね
僕はこの言葉を去年、俳優の森繁久彌さんがお亡くなりになられたときのニュースの中で初めて耳にしました。生前のVTRの中で、森繁久彌さんが奥様を亡くされたときにインタビューに答えてらっしゃるものがあったのですが、そこで森繁久彌さんは、

『「寿命」とは「命」を「ことほぐ」と書くんです。寿命がきて亡くなるということはめでたいことなんです…。』

と、静かながら力強い口調で語ったのでした。。。

「ことほぐ」という美しい日本語の響きと、<死>を悲しむだけではなく、<命を祝福するという考え方>に衝撃を受けた僕は、この森繁久彌さんのメッセージを歌にしたいと思いました。

 

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 つまり、人が亡くなるということは悲しいことではあるけれど、決してそれだけではないということを森繁久弥は言いたかったんだろうと・・・

 

 事故や病気などで、天寿を全うできずに亡くなった人の場合は、確かに残念で無念で悲しいという事になるのでしょうけれど、例えば、高齢のために老衰で亡くなった人の場合には、「大往生」ということばが使われることがあります。

 「天寿を全うした」という事で、それほど苦しむこともなく天国に召されたことを、「喜ぶ」といったら語弊があるかもしれませんが、遺族や弔問客の間には悲しみだけではなく、ある種の安堵感があることは否定できないと思います。

 

 それが、森繁久弥が言うところの「命」を「ことほぐ」ということなんじゃないだろうか・・・

 

 たとえ、事故や病気などで、人生の道半ばで逝くことになったとしても、嘆き悲しむだけではなく、今日まで生きてきたこの命を、どうか慶んで欲しい・・・
 この、「ことほぎ~君への遺言~」という作品は、そんなコンセプトのもとに作られた歌だそうです・・・

 残された遺族に対し、「慶んで欲しい」というのは、亡くなっていく人の勝手な言い分であり、エゴのように思えなくもないけれど、少なくても、前向きな考えであることは間違いないように私には思えます。

 

 

 ・・・という事で、下に、「ことほぎ~君への遺言~」の動画と歌詞を、先にご紹介した高野健一さんのブログからお借りしてきましたので、よろしかったら、一度お聞きになってみてください ( ^-^)/ ♪

 

 

 ことほぎ ~ 寿ぎ・君への遺言 ~   

 

(一)「寿命」とは「命を寿ぐ」という意味なんだ
   今日まで生き抜いたこの命をどうか慶んで欲しい

   君を愛し抜いて 君に先立つと決めていた
   想いを成し遂げるこの命を どうか慶んで欲しい

   大空にほら 涙も悲しみも溶けてゆく
   そばにいてくれてありがとう ごめんね

   君と歩んだ人生 本当に幸せだった
   君と巡り会えたこの命に どうか微笑んで欲しい

 

(二)限りある命はみんな等しくいつか終わる
   どんなに小さくて短い命もどうか愛しんで欲しい

   新しい命が きっとどこかで産まれている
   ずっと繋がってる命の絆を 子達へ伝えてゆこう

   大空にほら 孤独も寂しさも溶けてゆく
   温かいその手ありがとう ごめんね

   君と過ごした日々 本当に幸せだった
   君と巡り会えたこの命に どうか微笑んで欲しい

 

  「寿命」とは「命を寿ぐ」という意味なんだ
  今日まで生き抜いたこの命をどうか慶んで欲しい

  君と巡り会えたこの命にどうか微笑んで欲しい

  君を愛し抜いたこの命にどうか微笑んで欲しい

  命を寿ぎどうか微笑んで欲しい

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2011年7月30日 (土)

同期

 「同期入社」した同僚 ・・・

 

 今の私は、自営の仕事に就いていますから、「同期」と呼ばれるような存在の人はいませんが、同じ時期にこの仕事を始めた組合員が2名いて、彼等のことを私は勝手に「同期」と思ってつき合っています (^_^ゞポリポリ

 サラリーマンをしていた頃も、中途採用を繰り返していましたから、いつも私一人だけが入社していた事もあって「同期」と呼べるような存在の人はいないのですが、唯一、高校を卒業して初めて勤めた電気屋に、社長の甥御さんが私よりも一月ほど早く入社していたので、わずかに一人だけではありますが、私の人生において「同期」と呼べる同僚が存在していたことになります ・・・  (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 この「同期」の同僚とは、1年間ほどの間でしたが、一緒に仕事をしました。

 年齢も同じだったこともあり、住んでいた部屋も社長が用意してくれたアパートに隣同士という事で、公私ともにけっこう意気投合してつき合っていました。

 岡崎の出身という事もあって、熱烈な中日ファンであり、負ける度に「ドベゴンズ、ドベゴンズ」と愛情を込めて嘆いていました(苦笑)
 幸い、私はホークスファンですから、応援するリーグが違うという事もあり、野球で論争になるようなことはありませんでした (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 それはともかくとして、この「同期」という存在なのですが、単なる「同僚」とか「友人」とかいう存在とも違い、一種独特な関係なのではないかと思います。

 もちろん、仕事上で張り合うこともあるでしょうから、一番身近な「ライバル」という事になるのかもしれませんが、なんていうんでしょうかね、うまくいえませんが、例えれば「戦友」みたいな関係に一番近いのかなと私は思っています。

 

 もちろん、実際に「戦友」がいた人というのは、もう数えるくらいしか存在しないのでしょうが、そこまでマジでなくても、体育会系の学生とか、あるいは文化系であっても私のようにブラバンなど、何らかの大会に向けて一緒に頑張った経験のある人達なら、同学年の部員達は皆、「同期」であり、「戦友」だったろうと思うのですよ (^^)v

 よく、「同じ釜の飯を食う」といいますが、一つのことに向かって一生懸命になるという経験をした事がある人たちは、クラス会とかOB会などで集まった時に、何年経っても当時の思い出話で盛り上がることができます。

 そういう「同期」の知己がいるということが、人生においてどれだけしあわせな事か ・・・

 

 私にも、会津に、喜多方高校時代に一緒にブラバンで過ごした「同期」と呼べる同学年の部員達が何人か居り、卒業して30年以上経った今でも、つき合いがあります。
 今現在は、会津と関東とに離れてしまいましたから、会津に居た頃ほど頻繁にではありませんが、事ある際には連絡を取り合って語り合うことも少なくありません。

 まぁ、私にとっての「宝」がもしあるとするなら、同期の彼等の存在は、間違いなくかけがえのない「宝物」ですねぇ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

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2011年7月29日 (金)

帰ってきた鬼平

 中村吉右衛門の当たり役として、平成元年から平成10年までの10年間で、133本放送され、好評を博してきた「鬼平犯科帳」
 その記念すべき第1シリーズが、BSフジで、今週の月曜日からお茶の間に届けられています (^^)v

 鬼平好きの私としては、これは嬉しい企画だと両手を挙げて歓迎しています ヽ(^◇^*)/

 

 中村吉衛門の鬼平犯科帳は、事ある毎にテレビで見てきましたが、いずれも再放送で見ただけなので、今回のように第1話から順を追って放送されるというのは、ファンにとってはありがたい配慮と思わざるを得ません。

 

20110729001  実は、昨年の秋に、デアゴスティーニから「鬼平犯科帳 DVDコレクション」というシリーズが刊行されまして、特別価格の790円という事で創刊号だけは購入しましたが、その後の号は購入を断念したことを「鬼平犯科帳」という記事を書いて語ったことがあります。

 

 ですから、第1話の「暗剣白梅香」と、第2話の「本所・櫻屋敷」だけは、オリジナルのDVDを持っていますからストーリーも知っていますが、第3話以降は1度も見たこともないタイトルも少なくないです (^^ゞ

 その穴埋めをするためにも、第3話以降は毎週録画して、我が家のコレクションにしようかなと思っています (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 そんなわけで、25日の夜に放送されたのが、第1話となる「暗剣白梅香」 ・・・

 コレが実におもしろかった~ o(*^▽^*)o~♪

 

 第1話の見所は、火付盗賊改の長官を解任された平蔵が、凄腕の辻斬りに手を焼いた幕府から再度長官を任命され、単身で追い詰めるというもの ・・・

 その辻斬りとの死闘の舞台となったのが、後に密偵たちのたまり場の一つとなる船宿の「鶴や」です。
 すでに、平蔵の馴染みの店だったものの、この時点では店の亭主は粂八ではなく、ワケありの過去を持つ利右衛門・・・ (^^;
 小房の粂八が登場するのは、この後の第4話からの予定になっています。

 また、第1話で凄腕の浪人剣客を演じたのが、近藤正臣です。実にいい演技を見せてくれていました。

 

 8月1日に放送予定の、第2話「本所・櫻屋敷」では、三代目江戸家猫八演じる相模の彦十が平蔵と再会し、重要な役割を演じます。

 とても楽しみです ・・・  p(^_^)q ワクワク

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2011年7月28日 (木)

納得いかない

 地上波テレビが、24日の正午、東日本大震災の被害が大きかった東北3県を除く44都道府県でデジタル放送に完全移行したと報じられた。

 

 まさか、本当にアナログの電波を止めるとは思っていなかったので、正直、かなり驚いています。

 私の考えでは、1年とか2年とか、時限的延長措置が絶対に行なわれると思っていたので、地デジ未対応の、いわゆる「地デジ難民」と呼ばれる世帯が10万世帯を超えるといわれているにも関わらず、期限となった7月24日に予告通りに電波を止めた総務省のやり方に大いに不満を抱いています ・・・  q(`o')ブー!!

 

 そもそも、今回の地デジ切り替えは、ユーザーの意向を全く無視して行なわれた愚策であり、配信側の一方的な利益のみを追求した暴挙であると私なんかは考えています。

 

 1953年に始まったテレビの歴史ですが、その後も数々の新技術の導入により、さまざまな改革を行ないながら続けられてきました。

 放送側の技術革新といえば、白黒だった画像がカラー放送になったことが一番大きな変革だったと思いますが、その後も多重放送が行なわれるようになり、二カ国語とかステレオ放送が行なわれるようになったことも大きな変化だったと思います。
 また、ハイビジョン放送とか、今では当たり前になった横長の画面の放送も行なわれるようになりました。

 

 技術革新は送り手側だけに止まらず、受信機側でも数々の技術革新が行なわれてきました。

 まず、ガチャガチャと回していた機械式のチャンネルが、電子式のプッシュボタンに変わったことにより、リモコン操作が可能になりました。
 このリモコンも、今では考えられないでしょうが、初期の頃には有線のリモコンもあり、テレビから数メートルのコードが伸びているなんていう笑えないような製品もありました(苦笑)

 画面も、大きくて重いブラウン管から、液晶やプラズマなどの軽量で薄型のものに変わり、部屋の中で大きな顔をしていたテレビが、いつの間にか身近な家具のようになっていきました ・・・

 

 ただ、どんなに新しい技術が開発され、導入されても、古いテレビで見られなくなるような事はありませんでした。

 新しいテレビに買い換えれば、新技術の放送を楽しむ事ができましたが、そういう放送でなくてもよければ、今まで使っていた古いテレビでもそれまでとなんら変わらずに、番組を楽しむ事ができたわけです。

 これは、当たり前の事であり、誰もそんな事を気にしたことは無かったとは思いますが、例えば、テレビ放送が始まった60年くらい前のテレビ受信機を持っていて、それが正常に動作するとしてですよ、今日でもテレビ放送が視聴可能だという事であり、それはとりもなおさず、テレビ黎明期の頃からいかに高い仕様がテレビ放送で採用されていたかを物語るものです。

 電話機やパソコンなど、次々と新しい仕様の製品が開発されるような、そんな技術革新が激しい電子機器の分野で、60年もの間、人々を楽しませ続けて来た「地上アナログ放送」というものが、どれだけ素晴らしい技術だったのか、当時の関係者の見識の高さには頭が下がります。

 

 誰も「地デジ移行」など望んでいたわけではないのに、政府が音頭をとってイッキに行なわれた今回の「地上アナログ放送」の放送停止は、明らかにそこに何らかの意図があって行なわれたものだと私は思っています。

 

20110728001 20110728002

 

 地デジ放送を受信するためには、デジタル放送に対応した機器を買い揃える必要があり、それらにはこういう「B-CASカード」と呼ばれるカードが付属しており、このカードを挿入しなければ放送を受信することができません。
 今までの地上波アナログ放送の視聴の際には必要なかった、このカードの存在そのものが、うさん臭さの象徴だと私は考えています。

 

 つまり、政府が音頭をとって行なわれた今回の地デジへの「強制切り替え」は、誰かにとって「うま味」があるからと考えるのが自然であり、美味しい思いをするその一つが、このB-CASカードの発行や管理を行っている「ビーエス・コンディショナルアクセスシステムズ」、略して「B-CAS社」です。

 この「B-CAS社」に関しては、とにかく不評が山積しており、どう見てもどこかの天下り関連会社の一つであるだろう事は明白です。

 今は、「BS・CS・地上共用カード」を含む全ての種類のB-CASカードのユーザー登録は廃止されたようですが、今年の春まではネットや郵送で住所や氏名を登録しなければ、テレビの継続視聴はできませんでした。
 これは、おそらくNHKの受信料などの未納を防止するためではなかったかと私なんかは勘ぐっています (^^;

 

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 何はともあれ、ユーザーだけに全ての負担を強いる、今回のような政策は許されるべきではありません。

 テレビを地デジ対応に買い換えただけでは、今までと同じようなテレビ生活は送れないという事を政府はもっと真剣に告知するべきだったと思います。

 今時、ビデオを使っていない家庭はほとんど無いと思いますが、ビデオだって地デジに対応していなければ、録画はできないワケで、そういう、地デジ視聴に関わる全てのモノを新しく買い換える費用は、全額利用者負担しなければならないというのは、ユーザーの一人としてとうてい納得いきませんねぇ ・・・  (ノ_-;)ハア…

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2011年7月27日 (水)

蓮の花

 先日、茨城県の石岡市まで仕事で行って来ました。

 

 途中、小美玉市を通った時に、道路脇の蓮田に蓮の花が咲いているのを見かけまして、道端に車を停めて写真に収めてきました (*^.-^*)♪

 

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 「蓮の花」というのは、一般の花とはチョッと違い、なかなかに神秘的で、なんとなくハートに訴えてくるものがあるように思えるので、個人的には好きな花の一つです o(*^▽^*)o~♪

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2011年7月26日 (火)

真夏のサンタ

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 昨日、成田空港内の貨物地区で仕事をしていたんですが、やたらと目立つ服装の外人さんを見かけました ・・・  (^^;

 

 まるで、サンタクロースみたいな格好に、思わずカメラを向けたんですが、帰宅してよく調べてみると、ホンモノのサンタクロースだという事がわかりました (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 なんでも、東日本大震災で被災した子ども達を励まそうと、フィンランドから財団公認のサンタクロースが来日したそうで、クリスマスの季節以外での来日は初めてだそうです。

 少しでも涼を取ろうということで、上下とも七分丈のシャツとズボンで、赤いベストという出で立ちです。

 

 まさか、私の人生で、本物のサンタクロースに遭遇するような機会があるとは思いませんでしたよ (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 ラッキ~ o(*^▽^*)o~♪

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2011年7月25日 (月)

柴又街道

 「わたくし、生まれも育ちも東京葛飾柴又です。
 姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します。」

 お馴染み、「男はつらいよ」の主人公である、寅さんの名セリフの一節です。

 

 「柴又」は、「男はつらいよ」の映画の大ヒットと共に、寅さんの生まれ育った場所として、おそらく日本中の人がその名前を知っているであろう、かなり有名な場所ではありますが、名前は知っていても「柴又」を訪れたことが無い方はたくさんいらっしゃると思います(笑い)

 私は、二十歳前後に3年近く江戸川区内に住んでいまして、柴又とは目と鼻の先だった事もあり、その頃から柴又の様子は知っていまして、今でも仕事なんかで通ることがよくあります (〃⌒∇⌒)ゞ ♪  

 

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 ところで、柴又には、「柴又街道」という名前の都道がありまして、地元の住人たちにはけっこう重宝されている通りだったりします。

 私も、抜け道の一つとして、「柴又街道」を利用するドライバーの一人なので、今日は一つ、そんな「柴又街道」の事をご紹介してみようかなと ・・・ ( ^-^)/ ♪

 

 

 これが「柴又街道」の場所付近の地図です。

 

 北は、京成金町駅前から、水戸街道(国道6号線)、蔵前橋通り(都道60号線)、千葉街道(国道14号線)、京葉道路などの大きな通りと交差しつつ、江戸川区南篠崎町二丁目付近まで、約10kmほどの距離をほぼ真っ直ぐに南へと延びているこの通りは、地元民にとっては利用価値の高い重要な生活道路です。

 

 下に、京葉道路から京成金町駅前まで、北に向かって走る機会があったので、車窓を写真に収めてみました。

 「柴又街道」のイメージとしては、北に向かうほど道路の幅が狭くなっていく、そんな感じです (^_^ゞポリポリ

 北側の金町とか柴又は、古くからある街並みであり、それに比べれば、南側の小岩とか篠崎などは、後から人口が増えていって大きくなった街なので、ある程度計画的に街作りが行なわれたような印象を受けます。
 そのせいもあって、道路も比較的大きなものが作られたのではないかと私は思っています。

 

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 京葉道路から少し北に行った、鹿骨2丁目付近と、もう少し走った南小岩3丁目付近の車窓です。

 この辺りは、比較的広い通りなので、走るのも楽ちんです (^^)v

 

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 千葉街道と交差している「東小岩4丁目」の交差点と、東小岩5丁目付近の車窓です。

 この辺りから先は、ご覧のように若干狭く、商店街にもなっているので、ワリと走りにくい区間です (^^;

 

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 蔵前橋通りとの交差点を過ぎた、北小岩1丁目付近と、鎌倉4丁目付近の車窓です。

 道幅はさらに狭くなっていきますが、この辺りは交通量もそれほど多くないので、見た目よりは走りやすかったです (^^ゞ

 

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 これは、柴又を語る上で外せない、「柴又帝釈天」へと通じる「帝釈天参道」の交差点です。

 「帝釈天で産湯をつかい ・・・ 」と寅さんが口にする、あの帝釈天であり、映画に登場する、おいちゃんとおばちゃんが経営する「とらや」のモデルとなった、だんご屋の「髙木屋老舗」もこの交差点を右に入ったところに在ります。

 紛らわしいですが、「髙木屋老舗」のすぐそばに、「とらや」というだんご屋さんが実在します (^^;
 ただ、ここはもともと「柴又屋」という屋号のお店であり、映画人気に便乗して、昭和の終わり頃に「とらや」に名前を替えたという経緯があります。

 そういう裏事情をご存じない方がほとんどなので、映画に出てくる寅さんのお店だと勘違いするお客さんも多いようで、そのあたりを慮ってか、第40作の「男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日」からは、映画に出てくるだんご屋の名前は「とらや」ではなく「くるまや」に変わっています(笑い)
 確かに、映画の撮影も何度か行なわれた事があったようですが、それならそれで、「髙木屋」のように寅さんゆかりのお店という触れ込みでもよかったはずで、何も名前まで映画と同じにする必要があったとは私には思えません。

  まぁ、私にとっては、そんな事はどうでもいいのですが、世の中には狡猾というのか、それともセコイというべきなのか、他人のフンドシで相撲を取るような輩も少なくないようで・・・ (^_^;
 不景気で世知辛い世の中ですから、なんでもアリっちゃぁ、アリで、やったもん勝ちなのかもしれませんが、なんとなく、寅さんの「それをやっちゃぁ、お終ぇよぉ・・・」という声が聞こえてきそうな気がするのは私だけでしょうかねぇ・・・ (ノ_-;)ハア…

 社名を変更する会社はいくらでもありますが、単に映画の人気に便乗しただけの改名というのでは、明治20年創業という「柴又屋」としての誇りは無かったという事なんでしょうか・・・

 

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 最後に、「柴又街道」の北端に近い、金町浄水場付近の写真と、国道6号線と交差している「金町3丁目」の交差点の写真です。

 

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 この辺りは、「柴又街道」の左側には「京成金町線」の線路が平行して走っており、こんな感じの電車が走っています。

  「京成高砂駅」と「京成金町駅」とを結んでいる「京成金町線」は、営業キロがわずかに2.5kmしかなく、途中駅は「柴又駅」が一つあるだけです (^^;

 しかし、「柴又帝釈天」「寅さん記念館」「矢切の渡し」などの最寄り駅になっていることから、柴又駅を利用する観光客は少なくないそうで、特に年末年始は、初詣の参拝客も相当数利用する、重要駅となっています (*^.-^*)♪

 

 葛飾区内で有名な場所というと、「こち亀」で有名になった「亀有」もありますが、個人的には「柴又」の風情に一票と言いたいですねぇ (^◇^) 。。。ケラケラ

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2011年7月24日 (日)

拓郎と泉谷

 「坂崎幸之助と吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD」というラジオの番組がありまして、関東のラジオ局である「ニッポン放送」が、毎週月曜日の夜に放送しています。

 この番組は、全国19局ネットで放送されていますから、もしかしたら聞いたことがある方もいらっしゃるかもしれません。

 

 私も、毎週というわけではありませんが、坂崎幸之助吉田拓郎も好きなミュージシャンなので、仕事なんかで遅くなった時に聴いたりする程度なのですが、先日、この番組の収録に泉谷しげるが乱入したというのを知り、おもしろそうなので久しぶりに聴いてみました (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 吉田拓郎と泉谷しげるのエピソードといえば、知っている人は知っているけど、知らない人は全く知らない「犬猿の仲」という事で、実はこの二人、1999年に取っ組み合いの大喧嘩を繰り広げ、以来、二人が顔を合わせることは無かったといわれています。

 

 この辺りのいきさつをご存じでない方のために、森山良子がラジオで語った二人のケンカの様子が、YouTube に6分ほどの動画としてアップされていますので、興味があればお聞きになってみてくださいな(笑い)

 

 ニッポン放送 森山良子が語る「拓郎と泉谷のケンカ」

 

 別に、拓郎と泉谷の二人が大喧嘩したとか、和解したとか、そんな事はどうでもいいのですが、番組で二人のトークを聞き、それぞれの年齢を知ってびっくりしました (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 吉田拓郎が65才というのにも、そんなトシだったんだと驚かされましたが、それよりも何よりも、泉谷しげるが63才という事で、拓郎よりも年下で、拓郎のことを「先輩」と呼んでいたのにはビックリです (^◇^) 。。。ケラケラ

 あの風貌ですからね、私ゃ、今の今まで、泉谷しげるの方が拓郎よりもず~っと年上だとばかり思っていましたよ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 世の中には、ウソみたいなホントのハナシが、マジであるんですね~ (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 

  ・・・ というわけで、7月11日にオンエアされた番組の冒頭部分を YouTube にアップしてみました (^^ゞ

 15分弱と、かなり長めではありますが、拓郎と泉谷が繰り広げる興味深いトークです。
 気になる方は、ぜひお聞きになってみてください ( ^-^)/ ♪

 

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2011年7月23日 (土)

21世紀の宇宙開発

 国際宇宙ステーションに物資を運んだ最後のスペースシャトル「アトランティス」が、21日の朝、フロリダ州のケネディ宇宙センターに着陸し、30年にわたるシャトルの歴史に幕を閉じたと報じられた。

 

 そこで私は思うのだが、これを機会に、アメリカもロシアも中国も日本も、世界中の全ての国は宇宙開発など止めてしまうという選択肢もアリだと思うのだが、どんなものだろうかと ・・・

 

 もちろん、「宇宙開発そのものを全て止めてしまえ」と言っているわけではない。

 各国がそれぞれ独自に行なっている現状の宇宙開発は、人材も費用も施設も、ムダ以外の何ものでもないから、宇宙開発に関わる人達はどこか1カ所に集まって、そこで続ければ効率的でいいだろうと思うわけですよ。

 

 そもそも、大陸間弾道弾やスパイ衛星など、宇宙開発は冷戦の副産物というか、米ソがお互いを牽制する意味もあって進められたものであり、やがてそれは自国の科学力を他国に誇示するためのものになっていきました。

 しかし、冷戦も過去のものとなり、東西の壁も無くなりつつある今、これまでのような宇宙開発は改めるべき時期にきているのではないかと私は常々思っています。

 

 最後のミッションの目的地である「国際宇宙ステーション」も、アメリカ合衆国、ロシア、日本、カナダ及び欧州宇宙機関加盟の国々が協力して建設を進めているものであり、すでに国際協力による宇宙開発は始まっています。

 最近では、ロシア製のロケットにアメリカや日本の宇宙飛行士達が乗り込んで宇宙へと打ち上げられたというニュースも伝えられました。

 もう、技術を自国だけで独り占めしておくナンて姑息なことも必要ないでしょうし、むしろ、世界中の頭脳と資金を1カ所に集めた方が、開発もスムースに運ぶだろうし、成果も上がると考えるのは私だけではあるまい。

 

 それぞれの国が勝手に宇宙開発を進めると、同じような施設やロケットがあちこちにいくつも作られることになります。
 それに関わる人達だって、相当数の人数に登るわけで、こういう事は国別に行なうよりも、例えば「国際宇宙開発機構」みたいな機関を一つ作り、そこで集中的に行なった方が物資の面でも資金の面でもメリットは大きいはずです。

 

 時代はどんどん変わっていくわけですから、いつまでも旧態依然としたやり方を続けていては、うまくいくものもいかなくなってしまいます。

 そろそろ、「21世紀の宇宙開発」を、地球的視野で考えるべき時期にさしかかっているんじゃないかと個人的には思う次第です。
 第一、宇宙はどこかの国の所有物というわけではないはずですから、開発も各国がバラバラに行なうよりは、統一された一つの意志のもとに行なうべきものじゃないでしょうか。

 

  まず手始めに、「JAXA」なんてムダなものをバッサリと無くしてしまっていいと思います。

 無くなっても、誰も困らないでしょ(苦笑)

 「JAXA」の頭脳と資金を、「NASA」に統合すればいいだけのハナシですよ (^^)v

 

 

 そして・・・

 将来的には、国家なんてものも存在しなくていいと思っています。

 「地球連邦」みたいな大きな政府の下に、各国の政府があれば、それで事足りると思うし ・・・

 ことばも通貨も法律も、共通のものが一つあれば、それで世界は問題なく動いていくだろうと私は思っています。

 イメージとしては、アメリカ合衆国を世界に見立てればわかりやすいのかなと ・・・

 アメリカの各州を、それぞれの国に置き換えた感じです。

 かつてと違い、乗り物や通信手段の発達によって、世界の距離もどんどん縮まっていますから、将来的にはそういう事もアリなんじゃないかと ・・・  (^_^ゞポリポリ

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2011年7月22日 (金)

ヤバイ!

 先日、奈良に行った帰り道、静岡県の沼津市から、国道246号線で箱根を超えて関東へと向かっていた途中、御殿場付近で、チョッと
「ヤバイもの」を見かけたのでカメラに納めてみました (^_^;

 

 下がその時に撮った「ヤバイ」写真です ・・・  (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 

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 どうですか、かなりヤバイ写真だと思いませんか (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 これ、国道246号線東名高速とが交差する ・・・ というか、
正確に言えば、国道246号線の上を東名高速がまたいで通っている
「矢場居」という交差点の写真で、その字面通りに「やばい」と読みます (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 この辺りを車で走ったことのある方の間では、けっこうポピュラーな地名になっています。

 

 下に、付近の地図も貼り付けておきましたので、興味があればご覧になってみてください ( ^-^)/ ♪

 

 

 

 

20110722004 20110722005

 この交差点を、ちょっと離れた所から見たのがこちらの写真です。

 

 下が国道246号線、その上に架かっているのが東名高速道路の
「矢場居橋」です。

 これが、正真正銘の「ヤバイ橋」という事になりますね (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 私は、これまでに何度もこの「ヤバイ橋」を渡って、東海地方や近畿方面へ荷物を運びました (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

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2011年7月21日 (木)

魁皇博之

20110721001_2  大相撲の大関魁皇が、名古屋場所の10日目の取り組みで、琴欧州に敗れて7敗目を喫し、現役を引退する意向を決めたと報じられた。

 

 ついにこの日が来たかと、ファンなら誰しも思ったのではないか ・・・

 しかし、ここ数年、魁皇は何度も引退の危機を迎えており、正直、いつ辞めてもおかしくない状況だっただけに、よくここまで現役を続けられたものだと驚いている人の方が圧倒的に多いだろうと私は思います。

 

 私も、カド番や休場を何度も何度も繰り返す魁皇に対し、事ある毎に「とっくに賞味期限が切れた腐った大関」と酷評し続けてきたので、今さら引退といわれても驚きもしませんし、残念だとも思っていません (^^ゞ

 ただ、好きな力士ではありませんでしたが、私好みの力士に近い存在だったことは否めません (^_^ゞポリポリ

 

 私の美学からいえば、「大関」というのは番付上の最高位なワケですから、あくまでも「強く」なければならないわけで、大関という名の地位にしがみつき、観客から同情を買いつつ土俵に上がるようになったらお終いだと思っています。

 つまり、「大関」という地位は単なるお飾りではありませんから、土俵に上がって相撲を取ればいいとか、負け越さなければいいとか、そんなレベルの低いハナシではないはずです。
 大関であるからには、少なくても優勝争いに絡むとか、二ケタくらいの勝ち星は当たり前のように挙げるとか、あるいは横綱を脅かす存在であるとかなどの、「存在感」を示さねば、大関を名乗る資格はないという事です。

 魁皇の大関在位は、千代大海と並んで史上1位65場所とはいうものの、負け越してカド番となった場所が13場所、勝ち越したものの、8勝7敗が14場所9勝6敗が10場所と、大関を務めた場所の半分以上が不本意というか、期待を裏切った場所であり、こんな成績しか残せなかった魁皇はやはり「ダメ大関」という事になります。

 私が、「腐った大関」と魁皇を呼ぶ理由も、そこにあります。
 まぁ、腐っていても、「醗酵」しているのであれば、それはそれで価値のあるモノになるわけで、さしずめ魁皇なんかは「醗酵した大関」と言うべきなんでしょうか (^◇^) 。。。ケラケラ

 以上の点から、私は魁皇という力士は最低の大関だったと思っています。

 

 個人的な意見を言わせて頂ければ、魁皇は大関としての相撲が取れなくなった時点で潔く土俵を去るか、どうしても現役を続けたいのであれば、大関を陥落して、三役、平幕と番付を落としながら土俵に上がり続けるべきだったと思っています。
 それならば、今のような無様な土俵を取り続けても、私は素直に魁皇を応援できたと思いますし、ここまでキライな力士にはならなかっただろうと思います (^_^ゞポリポリ

 

 私が大相撲を本格的に見るようになった昭和の終わり頃、小錦霧島という二人の力士が相次いで大関に昇進しました。
 小錦は、私のヒイキの高砂部屋の力士ですから、当然のように応援していましたが、霧島は私にとってはライバル部屋のにっくき敵役でした (^^ゞ

 この二人は、全く違うタイプの大関で、二人とも一生懸命に土俵を勤め、人気も集めていましたが、後に共に大関を陥落してしまいます (^^;

 大関を陥落した後は、年齢による体力の衰えとケガに泣き、二人ともズルズルと番付を滑り落ちていくのですが、それでも引退はせずに土俵にしがみつこうとあがく二人に、私は心からエールを贈っていました。

 なぜ魁皇が土俵にしがみつくのを嫌うのに、小錦や霧島だと応援できたのか ・・・
 別に言っている事が矛盾しているわけではなく、小錦や霧島は元大関であり、現役の大関ではなかったからです (^_^ゞポリポリ

 人間、落ち目になるとその人の本性が現われるといいます。
 この頃の小錦と霧島は、二人とも「元大関」などという看板にはこだわらず、辛い土俵が続いても妙に清々しい顔をして現役を続けていたのを思い出します。

 幕内の下位に甘んじながらも、それでも今できる精一杯の土俵を勤める姿に、私はもちろんですが、大相撲ファンの多くが感動したと思いますし、とうとう幕内からも陥落し、十両落ちが決定して現役引退を発表した時、多くの大相撲ファンが彼等の引退を心から惜しみました。

 

 もし、魁皇が、大関なんていう地位にこだわらず、サッサと陥落して平幕で取り続けていたら、おそらく今以上の人気が出ていたんじゃないでしょうか ・・・
 最多勝記録だって、大関でなければ色褪せるとかいうモノでもないでしょうし、むしろ身体を労りながら土俵を続ける姿は、「元大関」という立場の方が悲壮感をアピールできただろうと思います(苦笑)

 

 

 魁皇という力士を語る上で避けて通れないのが、昭和63年の春場所に角界に入門したという事で、同期には若貴兄弟が居ました。

 曙は、持ち前のパワーでドンドンと番付を駆け上がっていきました。
 若貴兄弟も、曙に遅れは取りましたが、やはりドンドンと出世し、曙・貴乃花・若乃花の三人とも角界の頂点である横綱として角界に君臨しました。

 一方、魁皇はというと、彼等から比べれば歩みは鈍かったものの、持ち前の素質をいかんなく発揮し、一歩一歩ではありますが、確実な歩みで番付を登っていきました。

 確かに、横綱にはなれませんでしたが、決して魁皇が先の三人に力量で劣っていたわけではありません。
 その証拠に、横綱昇進のチャンスは何度もあり、4度目の挑戦となった2004年の九州場所では、ほとんど綱を手中にしていましたが、最終的に横綱昇進は見送られたという不運な出来事もありました。

 単に運が無かっただけで、実力からいっても、魁皇は間違いなく横綱クラスの名大関だったと思いますし、曙や若貴と肩を並べる実力者だったと私は思っています (^^)v

 だからこそ、私はいつまでも大関という地位にしがみついて無様な土俵を見せ続ける魁皇が見苦しく思えて、ガマンならなかったわけです。

 

 しかし、横綱になれなかったことで、逆に力士生命が伸びたという、まさにケガの功名というべき事態も起こりました。
 曙と若乃花は2001年に、貴乃花も2003年に現役を引退をしていますから、彼等と比べても、魁皇は8年以上も長く現役を続けたわけです。

 曙も、若貴も、すでに「昔居た力士」というイメージしかありませんが、魁皇は「今」もなお、黙々と大関という地位のままで現役を続けていたわけです (;^_^A アセアセ・・・

 もし、2004年の九州で横綱になっていたとしたら、その後8度もカド番を迎えていますから、当然の事ですがとっくの昔に引退に追い込まれていたでしょう (^_^;

 

 何年も前から相撲なんて取れるような身体ではなかったと思える魁皇ですが、ここまで長く現役を続けられた理由が二つあると私は考えています。

 

 一つは、福岡県の出身だったという事。

 ご存じのように、一年納めの九州場所が、魁皇の地元である福岡で開催されます。
 地元の英雄ですから、文字通り九州場所は魁皇のためにある場所という事になります(笑い)
 魁皇は、思うような相撲が取れなくなり、くじけそうになる度に、故郷の福岡を思い出し、なんとか大関として九州場所の土俵に上がるまでは現役を続けようと、ただそれだけを心の支えにここまで頑張ってきたんだろうと思います。
 そして、年が明け、初場所が始まると、一年納めの九州場所までは石にかじりついても頑張ろうと、新たに心に誓っていたのだと思います。

 これが例えば、大阪とか名古屋とかの出身力士だと、一年の途中で場所が開催されますから、その時点で心が折れ、とても年末までは頑張れなかっただろうと思えるんですよね (^^ゞ

 

 そして、もう一つの理由が、「左四つ右上手」という絶対的な相撲の形を持っていたことと、私が勝手に「禁断の魁皇スペシャル」と呼んでいる、「悪魔の小手投げ」というべきリーサル・ウェポンを持っていたことだと思います。

 魁皇に小手投げをくらって左腕を破壊され、力士生命を脅かされた力士は、浪之花、栃乃洋、琴龍、栃東、玉乃島、豪栄道、豊ノ島 ・・・ と、枚挙にいとまがない。

 別に、小手投げは相撲の技の一つだから、それをくらってケガをしたとしても、魁皇を責めるのは筋違いという声もあるのはわかるが、実際に魁皇にケガをさせられた力士が大勢いるのは事実であり、優しい顔しているワリにはやる事がえげつないので、そういう点でも私が魁皇を好きになれなかった大きな理由です。

 大相撲も、格闘技であるからには、ケガをする事はある程度やむを得ない事ではありますが、だからといってワザと相手にケガをさせてもいいというものではありません。
 取り組みの流れで、不可抗力でケガをさせたのならともかく、危険だということを十分に認識していながら、同じ技で何度も何度も対戦相手の左腕を壊すというのは、故意にやっていると取られても仕方のないことだと思います。

 これからは魁皇に左腕を壊される力士はいなくなりますから、そういう意味では魁皇の引退は対戦相手達には歓迎されているんじゃないでしょうか(苦笑)

 

 まぁ、何はともあれ、人気のある名物力士だったことは間違いないので、一応は「お疲れ様」と言わせて頂きますが、正直、やっと辞めてくれたという事で、ホッとしている私がいます ・・・  (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

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2011年7月20日 (水)

老いらくの恋

 先日、ネッ友さんの友人が再婚するという書き込みを目にしました。

 その友人というのが、70才近いご高齢という事で、お互いにバツイチで、それぞれに子どももいるので籍は入れず、同居だけするという、いわゆる「事実婚」だそうです。

 

 私ら夫婦も、お互いに50才を過ぎてからの再婚同士ですが、どちらにも子どもはいませんから、再婚といっても障害は何もありませんで、当たり前のように籍を入れましたが、高齢者の結婚にはどうしても周囲の反対が付きもののようで、事実婚でも一緒に暮らせるのはラッキーな方だと思います。

 反対の理由で一番多いのは、「いいトシをしてみっともない」とか「恥ずかしい」とかいう、子ども達の無理解です。

 

 人間、老いたからといって、異性に対する思慕の気持ちが無くなってしまうわけではありません。

 大岡越前の、灰になるまでのエピソードは有名ですが、それ以外でも、老人ホームなどに入居している老人同士が、三角関係でトラブルを起こすなんていう例は少なくないそうです。

 たいていは、高齢者の恋愛は周囲の反対にあってムリヤリ別れさせられるのが多いようですが、なぜ高齢者の恋愛は理解されないのでしょう ・・・  (ノ_-;)ハア…

 

 私は、不倫ならともかく、離婚や死別などで独身となったご高齢者同士の恋愛には好意的な一人なんですが、60代とか70代くらいの年齢になると、子ども達も相応の年齢になっていますから、今さら新しい父親とか母親が目の前に現われても、心情的に受け入れられないというのがホンネなんじゃないかと思います。
 また、中には親に新しい配偶者ができると、遺産の分け前が減ってしまうナンて下世話な理由から、結婚に反対するという例も少なくないかも ・・・  (^^;

 

 しかし、言わずもがなですが、親の人生が子どもによって左右されてもいいとは、私には思えないんですよ。
 未成年の子どもならともかく、成人している子どもが新しい親ができるからといって反対する理由にはならないというか、むしろそんな事で親が結婚を諦めるとか、入籍はしないとか、そういうのはおかしいんじゃないかと私は思っています。

 簡単に言えば、子どものエゴの犠牲になるという事でしょ。
 どうして親の新しい人生を祝福してあげられないんでしょうかねぇ ・・・  (ノ_-;)ハア…

 

 若い時なら、勢いとか、惰性とか、あるいはできちゃったとか、そういう不本意な理由からでも結婚はできますが、高齢になってからの結婚となると、誰でもある程度は慎重になるものだと思います。
 もちろん、お互いを取り巻く事情も環境も、若い頃よりはずっと複雑になっていますから、好きになって交際を続けているといっても、簡単に結婚というようなわけにはいかないとは思いますが、だからこそ、この人と一緒になりたいと周囲に打ち明ける事が、本人にとってどれほどたいへんで真剣な事なのか、少なくても子どもならわかってあげてほしいと思うのですよ。

 それなのに、一番の理解者であるはずの子どもから反対されたら、気の毒とかいうよりも、悲しすぎますよ ・・・  (__;)

 

 昔、「墓場に近き老いらくの、恋は怖るる何ものもなし」と詠んだ歌人が居たそうで、以後、高齢者の恋愛は「老いらくの恋」と呼ばれるようになりましたが、個人的には「老いらくの恋」は素晴らしいことだと思っています (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 何よりも、前向きに生きようとする姿勢が感じられていいじゃないですか(笑い)

 

 老人になったら、身体も気持ちも枯れていくだけだなんて、誰が決めたんでしょう。

 老いらくの恋は、汚くもありませんし、みっともなくもありません。

 昔見た、「マディソン郡の橋」 という映画の中で、クリント・イーストウッドとメリル・ストリープとが演じた、あの世界がまさに「老いらくの恋」の真骨頂なのではないかと個人的には思っています (*^.-^*)♪

 スクリーンの中で愛し合う二人を見て、高齢者のメイクラブも捨てたものではないと思ったのは私だけではないと思います・・・ (〃'∇'〃)ゝ

 

 少なくても、「老いらくの恋」などという、偏見に満ちた情けないことばがこの世の中から消えて無くなり、高齢者であっても当たり前に恋愛ができ、周囲から祝福されて結婚できるような、そんなステキな社会であってほしいと私は思っています。

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2011年7月19日 (火)

メリーチョコレート

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 これは、昨日東関道を走っていて見かけた、「メリーチョコレート」のトラックです。

 

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 メリーチョコレートは、贈答用の高級チョコレートメーカーとして知られていまして、バレンタインデーの仕掛人の一つとしても有名です。

 

20110719005  1958年といいますから、私が生まれた昭和33年、メリーチョコレートは新宿の伊勢丹で日本初の「バレンタインセール」を行なったとされていまして、3日間で50円の板チョコ3枚と、20円のメッセージカードが1枚売れたというハナシが、社内の伝説として語り継がれているようです。

 今でこそ、「本命」だの「義理」だの、果ては「友だち」だの「自分」だのと、さまざまな名目のバレンタインチョコが日本中で飛び交っていますが、所詮はでっち上げですから、仕掛けた最初の年なんてこんなものだったろうと容易に想像がつきます。

 

20110791006  しかし、メリーチョコレートは、翌年も、翌々年も、懲りずにバレンタインチョコを売り続けます。

 

 「年に一度、女性から男性へ愛の告白を!」というキャッチコピーを考案し、チョコの形もハート型にするなど、あの手この手と次々に斬新なアイディアで世の女性達にバレンタインチョコをアピールし続けました ・・・

 もし、メリーチョコレートが、やっぱり日本じゃこんな企画はダメだと思い、早々にバレンタインセールを打ち切っていたとしたら、今日のバレンタインデーの賑わいはなかったかもしれません。

 やはり、何にでも言えることですが、小さなことでもコツコツと積み上げることによって、やがて花が開き、実が成るという事なのでしょう。
 まさに、「継続は力 ・・・ 」、あるいは、「ローマは一日にして成らず」のことばに代表されるような、サクセスストーリーではないかと ・・・  (^_^ゞポリポリ

 

 その後も、会社の思惑ほどにはバレンタインデーは定着しなかったようですが、70年代に入ると、中高生の間からジワジワとバレンタインにチョコレートを贈る人達が増え、80年代にはOL層の間にもバレンタインチョコは広まっていったようです。

 事実、私が小学生だった60年代には、「バレンタイン」なんてことばを耳にすることはありませんでしたし、その存在を知ったのも、中学生になって旺文社や学研が出していた「○○時代」とか「●●コース」という学年誌を購読するようになり、誌面でバレンタインの特集記事を目にしたのが最初でしたから、70年代前半くらいまでは、バレンタインデーもそれほど目立つような社会的現象ではありませんでした。

 

 甘い物が大好きな私ですから、チョコレートはよく買って食べましたが、ロッテとか森永なんかの、ごく一般的なチョコを買うのがほとんどで、メリーのチョコレートのような高級チョコを買ったことは一度もありません (〃⌒∇⌒)ゞ ♪
 第一、メリーのチョコは、その辺に在るコンビニなんかでは売っていませんからねぇ (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 私がメリーのチョコレートに触れる機会といえば、仕事でイオン系のショッピングモールに納品に行く時くらいで、残念ながら食べたことは一度もありません (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 

 ところで、メリーチョコレートですが、2年前にロッテがメリーを買収し、現在はロッテの傘下にありますが、基本的には幹部社員等が一部派遣されただけで、メリーの従業員等はほとんど残し、パッケージや販売経路もそのまま踏襲しているそうです。

 買収されたとはいえ、もともとロッテメリーチョコレートは、得意とする商品や販売先が異なることから、それぞれの強みを生かして、さらなる業績拡大を図ろうという、いわゆる両者にとって「ウイン-ウイン」の図式なんですかね (^^)v

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2011年7月18日 (月)

なでしこの奇跡

 女子サッカーは、今まで一度も見たことが無かったんですが、さすがにこの決勝戦だけは見たくなりましてね、仕事の疲れもあって早々に床につき、3時半に起きてテレビ観戦しました。

 

 立ち上がりから、いきなりアメリカのスピードに翻弄され、日本はいつものサッカーが全くできずに、アメリカのやりたい放題の前半が続きます ・・・  (^^;

 体格でも、スピードでも、テクニックでも、アメリカは日本の比ではなく、ちょっと見にはオトナと子供の試合に見えました ・・・  (^_^ゞポリポリ

 

 そうした、アメリカ主導による前半は、ピンチの連続で、何度も決定機を見せられてストレスが溜まりましたが、そんな中、徐々にではありますが、本来の動きを取り戻していく日本 ・・・

 前半の45分は、本当にアッという間に過ぎて、0-0で折り返します ヽ(^o^)尸

 

 後半は、日本もなかなかいいサッカーをしていたんですが、そんな中、ゴール前から前線のモーガンに一本のロングパスを通され、ほとんどフリーでシュートを打たれ、後半の24分、ついに先制を許してしまいます ・・・  (__;)

 完成度の高いサッカーを繰り広げているアメリカですから、さすがにこれまでかと思ったんですが、後半の35分、ゴール前の混戦から宮間が値千金の同点ゴール! ヽ(^◇^*)/
 いやぁ、このゴールに至るまでの、中盤から前線へ、そしてゴール前へつながる一連のボール運びは、なでしこらしい見事なプレーでしたねぇ ・・・
  (^^)// パチパチパチパチ

 

 そして、マサカの延長へ ・・・  (^◇^;)

 この決勝戦、横綱のアメリカ相手に、延長戦にもつれ込むような展開になるとは思っていませんでした (〃⌒∇⌒)ゞ ♪
 なんか、すごく得した気分です (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 延長に入って、めっきりと運動量の落ちたアメリカに対し、本来の生き生きとしたプレーを取り戻したなでしこジャパンでしたが、前半終了直前にワンバックにドンピシャのヘッドを決められ、万事休す ・・・  (;^_^A アセアセ・・・

 

 ところが、後半も大詰め、の技ありのビューティフルゴールで追いつき、とうとうPK戦に ・・・  (;_;) ウルウル・・・

 

 このPK戦がまたドラマチックでした ヽ(^o^)尸

 アメリカが3人連続で失敗し、3-1で優勝!!!

 

 実に見事な、なでしこジャパンの大活躍でした (^^)// パチパチパチパチ

 

 

 早起きして見ただけの価値はありました (^^)v

 なんか、今日はもう、この試合を見ただけでスゴイ満足感でいっぱいです(笑い)

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2011年7月17日 (日)

臨時休業

     2011xxx

 

 

 まことに恐縮ではありますが、今日のブログの更新は休ませて頂きます・・・ m(_ _;)m

 

 なにぶん、昨日、奈良県の橿原市まで仕事でやって来て、東名の美合PAで仮眠を取り、先ほど目覚めたばかりなものですから・・・ (^^;

 

 今日はこのまま、埼玉に在る家内の実家に向かいます・・・(苦笑)

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2011年7月16日 (土)

里帰り

 昨日、家内が埼玉の実家に帰ってしまったので、独りで淋しい夜を過ごしました (^_^ゞポリポリ

 

  ・・・ といっても、別にケンカしたとかいうわけではないので、ご心配には及びません (;^_^A アセアセ・・・

 

 実は、家内の義母が、先週腹痛のためにかかりつけの病院に入院し、緊急手術を行ないまして、経過も良いので昨日退院の予定になっていました。

 ただ、高齢という事もあり、2~3日くらいは身の回りの世話をしてあげたいという事で、家内は昨日と今日、実家で過ごしています。

 

 一応、明日家内を迎えに行くことになっているのですが、たった二日間とはいえ、家内の居ない部屋は淋しくてね (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 だからというわけではありませんが、昨日と今日と、目一杯仕事を受けました。
 忙しく仕事をしていれば、自宅に居る時間も短くて済むので、独りだという事をそれほど意識しなくて済みますから (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 というワケで、昨日は、日中に木更津まで行った後、夜は墨田区まで走ってきました。

 そして今日は、早朝から成田空港内の横持ちの仕事をこなした後、午後から奈良まで行くことになっています。
 「横持ち」というのは、マトモな配送ではなく、構内やごく近距離で行なわれる、業者間の荷物のやり取りのことを指す運送用語で、今日の仕事は成田空港のそばに在る貨物ターミナルから、空港内の事務所まで荷物を運ぶというものです。

 

 奈良での配達完了は、今日の夜中頃になると思うので、奈良から帰る道すがら、どこかのパーキングか道の駅に車を停めての車中泊の予定です。

 ですから、明日はそのまま埼玉に在る、家内の実家に向かおうかと考えています (^^ゞ

 

  ・・・ 早く、家内に会いたいなと ・・・  (^◇^) 。。。ケラケラ

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2011年7月15日 (金)

プロとアマ

 今年、鳴り物入りで日本ハムに入団した斎藤佑樹 ・・・

 

 確かに人気はずば抜けているが、成績はというと、ここまで6試合に登板し、2勝2敗といまいちパッとしない。

 2006年に甲子園の決勝戦で投げ合った田中将大は、すでに9勝2敗と、順調に勝ち星を挙げていますから、かつての甲子園の王子様も、今ではすっかり影が薄くなった感じです (;^_^A アセアセ・・・

 

 2006年の秋、斎藤佑樹が大学進学を発表した時、わたしは「斎藤の大学進学に疑問」というタイトルで苦言を呈したことがあります。
 斎藤ほどの実力を持ち、野球でメシを食っていくつもりなら、大学進学などタダの回り道だと書いたものです。

 その時の予想通り、即プロ入りを決めた田中将大は、ルーキー時代から楽天のローテーションにしっかりと加わり、結果も残してきまして、今や押しも押されもせぬ大投手に成長しました。

 

 高校3年の時には田中に煮え湯を飲ませた斎藤ですが、今では田中の背中は遙か彼方に小さく見えるくらいに遠ざかり、手の届かない存在になってしまいました。

 

 プロで4年間揉まれてきた田中将大と、大学とはいえ、アマの世界で4年間投げてきた斎藤佑樹とでは、やはり住む世界が違うわけで、大学でそこそこの成績を残したといっても、所詮はアマのレベルでしかないワケですよ。

 わたしが懸念したのは、まさにそこのところであって、もし斎藤が大学ではなくプロに身を投じていたなら、今頃はダルビッシュや田中将大等と肩を並べる日本を代表する大投手になっていただろうと思うと、つくづくバカな選択をしたものだと気の毒にさえ思えます(笑い)

 アスリートとしての寿命は短く、一般的には長くても15年程度くらいしか働けないわけですから、旬の時期の4年間を大学なんかで過ごしてしまったことは、斎藤にとっては取り返しのつかないブランクではなかったかと私は考えています。
 おそらく、今後、斎藤は田中の背中を追いかけ続けるだけで、追い越すことはもちろん、追いつくこともできないだろうと思えてなりません ・・・

 

 今年、斎藤佑樹と対戦したパ・リーグのある打者は、斎藤を評して「最高のバッティングピッチャー」だとコメントしたそうです (^◇^) 。。。ケラケラ

 たいした球威もなく、コントロールだけはバツグンということで、プロの打者にとっては打ちやすい投手という事で、そのあたりが田中将大との決定的な違いであり、投手としての差だと私は思っています。

 

 高校を卒業して以降、4年間一生懸命に同じ野球をやってきた二人ですが、身を置いた場所が違っただけでこれだけの差ができちゃうわけですよ。

 単に、人生の選択を一つ誤っただけですが、一事が万事、人生の岐路に立った時のチョッとした判断ミスが、その後の人生を大きく左右しちゃうといういい事例ではないかと個人的には思っています (^_^;

 

 斎藤祐樹のファンは、それこそ全国に数え切れないくらいいると思いますが、彼等の期待を大きく裏切ったという事で、斎藤の大学進学はナンの意味があったというのでしょうか・・・

 確かに、斎藤祐樹のプロ野球人生はまだ始まったばかりであり、半年やそこいらで結論めいた事を言うのは、あまり感心したことじゃないというのは私にもわかるんですが、大学卒のルーキーというのは即戦力としての活躍を求められるのが常であり、そこいらが同じルーキーでも高卒の選手とは大きく違うところです。

 しかも、田中の場合は高卒ルーキーでもしっかりと結果を残していましたから、それと比べても斎藤のこの不甲斐ない成績は、私にはどうしても納得いかないんですよね q(`o')ブー!!

 

 「何か持ってる」と言われている斎藤祐樹ですが、私には本当に「何か」を持っているとしたら、斎藤佑樹ではなくて田中将大の方ではないかと思っていますよ・・・

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2011年7月14日 (木)

畳の・・・

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 これは、千葉県の香取市内で見かけたお店です。

 

 看板には「畳のだいら」と書かれていまして、
 「だいら」ってナンだ (?。?) と思ったのが最初です。

 

 だいたい、車を運転しながら、店の前をサ~ッと通り過ぎるのが常なので、詳しくお店を観察している時間的余裕はありませんから(笑い)

 

 「畳のたいらならわかるのですが、看板には明らかに「畳のだいらと濁点が付いています・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 

 

  実は、上の写真は国道の「上り線」を走っている時に見たもので、「下り線」を走ってお店を反対側から見るとこんなふうな看板が設置してあるのが見えます (^◇^) 。。。ケラケラ

 

20110709002

 こちら側の看板には、野平と大きく書かれてあり、な~んだ、「だいら」ではなくて「のだいら」だったんだとわかるわけです (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 それなら、最初の看板にも、「畳のだいら」ではなく、「畳の野平」と書けばいいじゃありませんか (;^_^A アセアセ・・・

 

 わざわざひらがなで「のだいら」ナンて書くから、読む方が勝手にいろいろと悩んでしまうわけで・・・ (^_^ゞポリポリ

 

 いちおう、「畳」「のだいら」の間に、「TATAMI」と小さく書かれてありますから、それぞれのことばはつながってはいないという事がわかりますが、遠目には「畳のだいら」としか見えませんよね (^_^;

 

 う~ん、騙されちまったぜ!

 

 そうつぶやいて、ハタと思い当たることがありました。

 おそらく、お店側の思惑としてもそういう事だったんだろうと思います。

 

 「畳のだいら」と書く事によって、見る人に「あれっ?」と思わせ、思わず看板に目を向けさせる・・・
 そういう効果を狙ったのではないでしょうか・・・

 

 わかりやすい看板は、見る方にとっても当たり前すぎて目を引かない。

 わかりにくい看板は、見る方になんだろうと疑問を抱かせ目を引きつける。

 

 おそらくは、そういう事なんじゃないかと・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

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2011年7月13日 (水)

Red Bull

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 先日、東関東自動車道でこんな車を見かけましてね、ちょうどタンクローリーが隣を走っていたので狙って撮ってみました (^^)v

 全く関係のない2台の車ですが、カラーリングといい、スタイルといい、なんとなく親子みたいな感じがしませんか (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 

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 実はこれ、「Red Bull」と車体に描かれていることから、レッドブル(Red Bull)の宣伝カーみたいなものなんだろうと思います。

 

 写真を撮っている時にはわかりませんでしたが、ちょっとネットで調べてみたら、この車、「Red Bull mini(レッドブル ミニ)」と呼ばれている、miniのコンパーチブルを改造した車だそうです。

 え~・・・ コレって mini だったの~ (゚◇゚;)!!!

 

 そんな事言われても、にわかには信じられなかったんですが、よく見ればやっぱり mini ・・・ (^◇^;)

 う~ん、ただでさえ目立つ車なのに、こんなにハデな車に改造しちゃったら、いやが上にも目立ってしょうがないだろうに (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 ちなみに、「Red Bull」は、オーストリア産の清涼飲料水ということで、今ではコンビニなんかでも普通に買えるそうですが、私はまだ飲んだことがありません。

 

 アメリカやイギリス、日本等ではCMに

 ”Red Bull Gives You Wings”

 のキャッチコピーが使われているんだそうで、直訳すると

 「レッドブルは翼を授ける」 (^^)v

 

 写真では、一応ナンバーにモザイクをかけてありますが、キャッチコピーの「翼」をもじって、都内にある全ての Red Bull mini のナンバーは、「・283」なんだそうです(笑い)

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2011年7月12日 (火)

金平湯

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  これは、千葉県の香取市内で見かけた銭湯です。

 

 昔はともかくとして、今は内風呂が一般的ですから、銭湯はどこも経営が厳しく、どんどん姿を消しているようですが、私も独り暮らしをしていた十代とか二十代の頃はせっせと銭湯通いをしていた口なので、こんな感じの昔ながらのたたずまいが懐かしくてね、思わず写真に撮ってみました (*^.-^*)♪

 

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 この銭湯の名前ですが、ご覧のように「金平湯」とカンバンに書かれていました (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 普通に読むなら「かねひらゆ」なんでしょうが、私は「こんぺいとう」と読んでしまいました (^◇^) 。。。ケラケラ
 いちおう、そういうふうにも読めますよね(笑い)

 

 この銭湯は、正式には「金平浴場」というそうで、読み方は「かねへいよくじょう」だそうです。
 という事は、先の「金平湯」も、「かねへいゆ」と読むんでしょうね (^^ゞ

 

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 ところで、この「金平浴場」ですが、入口に「佐原まちぐるみ博物館」という看板が下がっていました。

 佐原は、古くから水運で栄えた街で、「小江戸」と呼ばれる風情のある街並みも残り、街のそこここに古い商家や建物が見られます。

 そういう、趣のある建物や骨董品などをお客さんにアピールしながら営業しているのが、「佐原まちぐるみ博物館」という事で、この「金平浴場」の場合は、さしずめ築100年といわれるレトロな雰囲気いっぱいの建物が展示品という事なのだと思います。

 

 時間があれば、ぜひお湯に浸かってきたいなと思わせてくれる、レトロな雰囲気いっぱいの「金平湯」でした o(*^▽^*)o~♪

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2011年7月11日 (月)

案山子

 さだまさしの歌っている歌の中に、「案山子」という作品があります。

 けっこう有名な曲なので、ご存じの人も多いでしょうし、好きな作品だとおっしゃる方も少なくない、文字通りさだまさしの代表曲の一つです。

 

 今日は、この作品について語ってみたいと思っているのですが、その前に「案山子」の歌詞を貼り付けておきますので、いちおうご覧になってみてください ( ^-^)/ ♪

 

   案山子 
                 作詞/作曲 さだまさし

 

 元気でいるか 街には慣れたか 友達出来たか
 寂しかないか お金はあるか 今度いつ帰る

 城跡から見下せば蒼く細い河
 橋のたもとに造り酒屋のレンガ煙突
 この町を綿菓子に染め抜いた雪が
 消えればお前がここを出てから初めての春

 手紙が無理なら 電話でもいい “金頼む”の一言でもいい
 お前の笑顔を待ちわびる おふくろに聴かせてやってくれ

 

 元気でいるか 街には慣れたか 友達出来たか20110711011
 寂しかないか お金はあるか 今度いつ帰る

 山の麓 煙吐いて列車が走る
 凩が雑木林を転げ落ちて来る
 銀色の毛布つけた田圃にぽつり
 置き去られて雪をかぶった案山子がひとり

 お前も都会の雪景色の中で 丁度 あの案山子の様に
 寂しい思いしてはいないか 体をこわしてはいないか

 

 手紙が無理なら 電話でもいい “金頼む”の一言でもいい
 お前の笑顔を待ちわびる おふくろに聴かせてやってくれ

 

 元気でいるか 街には慣れたか 友達出来たか
 寂しかないか お金はあるか 今度いつ帰る

 

 寂しかないか お金はあるか 今度いつ帰る

 

 

 この作品は、1977年(昭和52年)に発表されました。
 ちょうど私が高校を卒業して、江戸川で独り暮らしを始めた年でもあり、学生から社会人へと人生のターニングポイントとなった年なので、この作品に対する思い入れもひとしおです (^_^ゞポリポリ

 

 ところで、この歌の中に登場する、「お前」を思いやる心優しい主人公は、「お前」にとってはどんな立場の人だと思いますか?

 もちろん、「お前」の家族であることには間違いないことはわかりますが、さて、その正体は ・・・ となるとどうでしょう?

 

 おそらく、多くの方が「父親」だと考え、「父親」が「息子」に対してあれこれと思いを馳せているのが、この「案山子」という作品だと思っているのではないでしょうか ・・・

 

 

 しかし、正解は「兄」という事で、「兄」が故郷を離れて独り暮らしをしている「弟」を偲んで歌っているのが「案山子」です (^^)v

 

 なぜこの歌の主人公が「兄」だとわかるのか ・・・

 

 それは、『お前の笑顔を待ちわびる おふくろに聴かせてやってくれ』というフレーズが、全てを如実に語ってくれています。

 

 もし、「父親」が息子に対して言っているのであれば、「おふくろに」ということばは使わないはずだからです。
 言うとするならば、「母さんに」と言うのが一般的であり、自分の連れ合いを「おふくろ」とは普通言わないと思います。

 父親が「おふくろ」という存在は、息子にとっては祖母という事になり、そういう設定もあり得ないハナシではないと思いますが、ここはやはり「兄」が「弟」に対してというのがベストのシチュエーションだと思います。

 

 後に、この作品にまつわるエピソードが、さだ自身の口から語られ、それを裏づけています。

 それによると、さだのマネージャーをしている実弟の佐田繁理と二人で、大分から福岡へと列車で移動中に、窓の外に見えた景色がモチーフとなって「案山子」が作られたそうです。
 その日は雪が降っており、雪が積もった田んぼの中に案山子がポツンと立っているのを見かけたさだは、「かわいそうにな、雪の中に独りで立ってて」と弟に話しかけた。
 繁理は鈍い反応しかしなかったそうですが、さだはその風景に、自身が経験した都会での一人暮らしと、弟の台湾留学中の思い出などを重ね合わせ、この「案山子」を思いついたといいます。

 

 いずれにしても、「家族愛」とか「家族の絆」というのがこの「案山子」の原点だと思うので、聴いた人がそれぞれに思い描くシチュエーションが「案山子」の世界であってもいいと思うので、「父親」と「息子」の設定でもいっこうに構わないと思います。

 

 さだは、3才からバイオリンを習い始め、その腕前はメキメキと上達し、本格的にバイオリンを習得するために、小学校卒業後に単身上京し、都内の葛飾区や千葉県の市川市で独り暮らしを続けました。

 この頃のエピソードとして、お金に困ると、10円玉を1個握って近くの公衆電話から長崎の実家に救援コールをかけたんだそうで、10円玉1個ですからアッという間に電話は切れてしまうそうで、つながるやいなや、「カネ! カネ! カネ! ・・・ 」と早口でまくし立てたんだそうです (^◇^) 。。。ケラケラ
 当然の事ですが、瞬時の出来事ですから電話に出た相手が誰だかなんて確認する時間的余裕は無いので、時には実家に来ていた親戚の類が電話に出たこともあったんだそうで、「今、ヘンな電話がありましたよ ・・・ なんでも、金・金 ・・・ とか言ってましたが ・・・ 」とか家族に伝えると、家族は心得た様子で、「あ、わかりました」と言ってさだに送金してくれたんだそうで (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 もちろん、さだがコンサートで語ったMCですから、真意のほどは定かではありませんが ・・・ (笑い)

 

 そういう、状況を思い浮かべながら、さだまさしの「案山子」をお聞きになってみてください ( ^-^)/ ♪

 

 

 

 

 蛇足ですが、この「案山子」を聞いたお百姓さんから、さだは抗議の手紙を頂いたことがあったんだそうです (^^;

 その手紙には、「百姓は案山子を田んぼに置き去りにするような事はしない」という一文が書かれてありました ・・・ とサ  (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

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2011年7月10日 (日)

オイル

 今日は「潤滑油の日」ということなんですが、なんで今日が「潤滑油の日」なのかわかりますか?

 

 私は、昨年ラジオでこのハナシを聞いた時、はは~ンと思い当たることがあり、そして案の定、それが正解でしたが、個人的にはこういう発想は大好きですねぇ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

20110710001  20110710002

 

 潤滑油のことを、一般に「オイル」といいますが、英語では「OIL」と綴ります。

 そして、「OIL」をひっくり返すと「710」と読めるところから、これを7月10日と見立てて、潤滑油の普及浸透を図ろうと全国石油工業協同組合が制定したそうです。

 いろんな業界がいろんな思惑で、それぞれに「○○の日」というのを制定していますが、たいていは語呂合わせとか、それにまつわる記念日などを充てるのが多い中で、この「潤滑油の日」の発想は実に秀逸だと個人的には思っています o(*^▽^*)o~♪

 ちなみに、今日は「納豆の日」でもあります。
 こちらは、単なる語呂合わせからですが、「潤滑油の日」から比べれば、発想の点では雲泥の差がありますかね (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 それはともかく、私は運送屋ですから、「OIL」とは切っても切れない縁があり、エンジンオイルを始め、ミッションオイル、ブレーキオイルなど、多くの潤滑油を使っていますが、やはり一番馴染みのあるオイルといえば「エンジンオイル」です。

 一般的には、5,000km前後で交換するようにといわれていると思いますが、おそらくほとんどのユーザーはそういうことには無頓着ではないかと思います。
 まぁ、最近の車は性能も完成度も相当高いので、それほど神経質にならなくてもいいとは思いますが、職業ドライバーとなるとそういうワケにはいきませんで、なにしろ1日に100kmや200kmくらいは当たり前に走りますから、うっかりしていると5,000kmくらいはアッという間に走ってしまいます。
 この業界では、月に1万km走る運ちゃんもザラにいると思います。

 

 私だって、この仕事を始めた頃は、バブルが弾けていたとはいえ、今から比べれば相当忙しく走り回っていましたから、月に1万kmくらいは当たり前のように走っていました。

 そういう状況ですと、こまめにオイル交換をしてあげないと、直ぐにエンジンを傷めてしまいます。そうでないまでも、長く乗り続けるためには、メンテナンスは大切で欠かせないプロとしてのたしなみです (^^)v

 

 運送屋の乗っている車というのは、普通のトラックでも50万kmくらいは当たり前に走りますし、中には100万kmを超えるような積算距離を残すツワモノもけっこう居るのがこの業界の常です。

 私のような、軽トラでも、20万kmくらいの走行距離は少ない方で、普通で30万kmオーバーは走りますし、中には40万km以上の積算距離を残す仲間も少なくありません。

 

20110710011 ちなみに、わたしが前に乗っていた愛車は、オカマを掘られて廃車になってしまったわけですが、それまでに走った積算距離は、38万kmを超えていました (^^)v
 38万kmといえば、月までの距離と同じという事で、我ながらよく走ったなぁと思いますが、事故さえなければもう少し乗る予定でいましたから、40万kmくらいまでは走っていたかもしれません (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 そういう状況ですと、マメにオイル交換をしていないと、思わぬトラブルにも遭遇しかねませんし、長く愛車に乗り続けることもできません。

 

 私の場合ですと、まず5,000kmで一度オイル交換を行ない、次は4,000kmでオイル交換を行ないます。その時にオイルエレメントも一緒に取り替えます。

 つまり、エレメントは、オイル交換2回に1度行なう計算です (^^)v
 さすがに2度目は5,000km持たせるのが不安なので、少し早めにという事で、4,000km程度でオイル交換を行なっています。

 

 この「オイル交換」ですが、いろいろな考え方があると思います。
 例えば、グレードの高い高級オイルを使い、そこそこ長い距離を走ってから交換するという人もいれば、私のように、安いオイルを使い、こまめに交換するという人もいると思います。
 いくら上等のオイルを使っていたとしても、長く使っていれば劣化してきますから、私は安くても常に新しいオイルでエンジンを動かすように努めています (^^)v

 もちろん、高級オイルをこまめに交換するのがベストなことはいうまでもありませんが、仕事で走っていると直ぐに交換時期がやって来ますから、そうそう経費はかけられないという台所事情もありまして、痛し痒しといったところでしょうか (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 そんなわけで、私はだいたい月に一度くらいのペースでオイル交換をしています。

 10年くらい前は、二ヶ月に三度はオイル交換をしていましたから、それから比べれば仕事もずっと少なくなってきたということの証明にもなりますが・・・ (^◇^;)

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2011年7月 9日 (土)

和田慎二が逝く

20110709012  「スケバン刑事」などの作品で知られる、漫画家の和田慎二氏が5日に亡くなったと報じられた ・・・

 

 私は、大の漫画好きですから、当然のように和田慎二の作品を知っています。
 高校生の頃は、「なかよし」とか、創刊したばかりの「花とゆめ」などの少女誌も毎月買って読んでいました (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 この当時で想い出のある作品といえば、やはり「スケバン刑事」という事になるのでしょうか(笑い)

 

 当時、少女マンガ界には女性の漫画家も、もちろんいらっしゃいましたが、男性の漫画家もけっこう少女誌に作品を載せていました。
 手塚治虫の「リボンの騎士」、横山光輝の「魔法使いサリー」、赤塚不二夫の「ひみつのアッコちゃん」などは有名ですが、他にも楳図かずおとか石森章太郎とか、そういう有名といわれる漫画家でさえ、当然のように少女誌に作品を掲載していました。

 あの頃、発表できる場所があれば少年誌とか少女誌とかの区別なく、作品を描くのが常でしたし、出版社側も売上のためにはビッグネームの作品は欠かせないという事情もあったので、当たり前のように男性漫画家陣に原稿を依頼していました。

 

 しかし、中には男性作家なのに活躍の場を主に少女誌に求める漫画家もいまして、和田慎二とか弓月光あたりがその代表といえると思います。

 個人的には、和田慎二も弓月光も大好きな漫画家でして、彼等の作品が読みたいばかりに、「マーガレット」とか「花とゆめ」などの少女誌も買っていたというのが正直なところだったりします (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 このあたりの事は、過去にも「少女マンガ」というタイトルで記事を書いたことがあるので、ご関心がお有りなら、ぜひそちらの記事もご一読頂きたいなと (;^_^A アセアセ・・・

 

 和田慎二の作品の魅力というのは、独特のタッチもそうですが、やはりアクションだろうと個人的には思っています。
 登場人物たちが紙面の上で生き生きと動き回り、戦ったりするのを、小気味よく思いながら読んでいました o(*^▽^*)o~♪

 

20110709011  そういう、アクションをふんだんに取り入れた、氏の代表作でもある「スケバン刑事」ですが、後に斉藤由貴などが主演で何度も映像化されたこともあるので、テレビドラマの方の「スケバン刑事」を思い浮かべる方も多いと思うのですが、私はテレビの「スケバン刑事」は一度も見たことがないので、あくまでも原作である「漫画」のイメージしかありません (^_^ゞポリポリ

 

 過去に、多くの漫画がアニメ化され、中には「スケバン刑事」のように実写版で映像化された作品もありましたが、アニメはともかくとして、私は実写版での映像化には否定的な一人です。

 アニメなら、原作のイメージをある程度止めていると思いますが、実写版では原作を損ねてしまうことがほとんどで、成功した例しは皆無といってもいいんじゃないでしょうか。
 漫画というのはあくまでも架空の世界の物語ですから、それを現実の世界に置き換えてみても所詮はムリがあるというか、愚かで無謀なことだと私は思っています。

 

 テレビドラマの「スケバン刑事」を見たことがないので、うかつなことは言えませんが、おそらくは漫画とは全く別の作品であり、漫画で「スケバン刑事」を知って、テレビドラマをご覧になった方は、そこに原作とは全く違う麻宮サキの姿を見たんじゃないでしょうか ・・・

 簡単にいえば、漫画の「スケバン刑事」と、テレビの「スケバン刑事」は、全く別の作品といえるんじゃないかと (^_^ゞポリポリ

 

 まぁ、ここでそういう事を言ってみても詮無いことなので、氏のご冥福を祈りつつ、記事を〆たいと思います ・・・

 

 たくさんの作品、心から楽しませて頂きました。
 ほんとうにありがとうございました ・・・

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2011年7月 8日 (金)

浄水場

 原発事故の影響を受け、千葉県でも県内にあるいくつかの浄水場で放射性物質の検査を行なっています。

 

 昨日、私のクライアントの一人から浄水場から採取したサンプルを運ぶ依頼を受け、千葉県稲毛区にある「日本分析センター」まで運んできました (^_^ゞポリポリ

 細々と営業している個人事業主の私ですが、事故対策に幾ばくかの貢献をしたような気がして、ホンのちょっぴりですが、誇らしい気持ちになりました (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

20110708002 20110708001

 写真は、私がサンプルを受け取った、香取郡東庄町に在る「笹川浄水場」です。

 

 

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 そして、これが朝の7時に担当者から受け取ったサンプルです。

 500mlのペットボトルに入っていまして、荷室で転がったりしないように、オリコンと呼ばれている折りたたみ式のコンテナに入れ、動かないように毛布を詰めて固定しました (^^)v

 

 こんな小さなもの一つでも荷物は荷物。車一台借り切ってのチャーター便ですから、依頼主は県だと思うのですが、それ相当の運賃がかかります(苦笑)

 笹川浄水場から千葉市の稲毛区まで、行程は約70km。
 10時~10時半くらいまでに間違いなく届けることという指示を受け、朝の混雑を避けながら走ること2時間強・・・
 9時20分にはセンターの職員に渡して、無事に一件落着 (^^)v

 

 私は今回初めてこの仕事を依頼されましたが、なかなか美味しい仕事でした (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 ・・・ といっても、別にペットボトルの水を飲んだわけではありませんが(笑い)

 

 私のクライアントは、先月までは不定期で依頼されていたそうですが、今月からは毎日運ぶことになったそうで、これからも時々依頼される事があるかもしれません。

 ・・・という事で、千葉県のHPでは、浄水の放射線量の測定結果を毎日発表しています。

http://www.pref.chiba.lg.jp/suisei/press/230706-jyousui.html

 

 下は、私が運んだ「笹川浄水場」の、発表されている測定結果を引用したものです。

 

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2011年7月 7日 (木)

思い込み

 世の中には、勝手な「思い込み」というコトがよくありまして、例えば、今日は「七夕」ですが、天の川の両岸にいる彦星織姫星との関係を「恋人同士」と思っていらっしゃる方はけっこう多いと思います。

 この二人、実はれっきとした「夫婦」であり、子どもの頃にその辺りを含めた七夕の伝説も聞いているはずなんですが、年に一度の逢瀬という伝説ばかりが先行し、恋人同士だと勘違いしている人は8割近くにもなるそうです。

 また、「雨が降ると二人は会えない」ということになっていますが、雨が降るのは雲の下に在る地上だけのハナシで、雲の上にある天の川に雨が降ることはありません(苦笑)
 したがって、今日は雨が降りそうだから、もしかしたら二人は会えないのかなナンて心配する必要はないというわけです (^^)v

 

 そんなワケで、今日はこんなふうな、「思い込み」というか、「勘違い」というか、そんなどうでもいいようなネタを思いつくままに並べてみようかと・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 

 ◎手塚治虫の代表作である「鉄腕アトム」ですが、アトムを作った人はお茶の水博士だと思っている人も少なくないと思いますが、実はアトムの産みの親は、モデルとなったトビオの父親でもある天馬博士だというのも意外と知られていない事実だったりします (〃⌒∇⌒)ゞ ♪
 お茶の水博士は、アトムにとっては育ての親という立場です。

 

20110707001  20110707002

 

 また、アトムには両親や兄と妹のロボットも存在しますが、兄のコバルトと妹のウランを作ったのはお茶の水博士という事になっていますが、パパとママはオーダーメイドではありますが、一般のロボット工場で作られたものです。

 

20110707003  ◎往年の名作として名高い「巨人の星」で、父親の星一徹がちゃぶ台をひっくり返すシーンは有名ですが、実は原作のマンガの中でも、アニメの中でも、ちゃぶ台をひっくり返したのはたったの1度だけだったというのは、意外かもしれませんが間違いのない事実です(笑い)

 第一、年中ちゃぶ台をひっくり返していたら、貧乏所帯ですからお茶碗が無くなってしまいます (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 ◎これから夏を迎え、恐~いハナシが歓迎されるシーズンに入りますが、「番町皿屋敷」という有名な怪談がありまして、「一枚、二枚、三枚・・・」と皿を数える幽霊の名前はと訊かれて、「お岩さん」と答える方がどれほど多いことか・・・(笑い)
 「お岩」は四谷怪談に出てくる幽霊であり、番町皿屋敷の幽霊は「お菊」といいますが、お岩の名前があまりにも有名すぎて、お菊の名前はストーリーほどには覚えてもらえないようです。

 

 ◎郷ひろみ小柳ルミ子といえば、有名な歌手ですが、実は二人とも歌手デビューよりも役者としてのデビューの方が早かったというのも意外といえば意外かもしれません。
 もちろん、歌手として売り出す予定ではいたんですが、デビューの前にお茶の間に顔を売っておいた方が、歌手デビューもスムースだろうという事務所としての親心があったそうで、郷ひろみは大河ドラマで、小柳ルミ子は朝の連続テレビ小説で、それぞれ歌手デビューよりも1年ほど早くお茶の間デビューを果たしました (^^)v

 

20110707004  ◎シングル売上で、史上1位の450万枚以上を記録し、歌謡界に燦然と輝き続ける「およげ!たいやきくん」ですが、B面に収録されていたのがなぎら健壱「いっぽんでもニンジン」であることは意外と知られていません。

 記録の上では、「いっぽんでもニンジン」も史上1位の売上曲ということになるはずで、実際に「いっぽんでもニンジン」という歌を知っている人も、相当数いらっしゃるんですが、どういうワケかB面の存在は語られた例しがないのも納得がいかないというか・・・ (__;)

 また、「およげ!たいやきくん」も、もともとは子門真人ではなく、生田敬太郎がオリジナル歌手だったという事実もすっかり忘れられていて、レコードを製作するに当たって様々な事情から子門真人へと歌手が変更されてレコーディングされました。

 

 ◎「男はつらいよ」寅さんさくらは、いちおう「兄妹」という設定にはなっていますが、寅さんは芸者との間に生まれた子供なので、さくらとは異母兄妹という事になります。
 そういわれれば、さくらと寅さんが兄妹といわれても、なんとなく納得できなかった人も、うなずけるんじゃないかな(苦笑)
 ちなみに、映画では第2作と第7作に寅さんの実母が登場しています。

 また、さくらは博と結婚して「諏訪姓」を名乗っていますが、シリーズ第1作では「車姓」だったので、もともとは「車さくら」という名前だったという事も忘れられている事実です。
 「車海老」や「桜海老」という名前がエビの種類にありますから、「車さくら」という名前は、語呂の点でも父親が娘に付ける名前としてはいかがなものかと・・・ (^_^;

 

 ◎水前寺清子という歌手がいまして、彼女の愛称は「チータ」というんですが、これを「チーター」だと思っている人がいかに多いことか・・・
 「チーター」だと、猛獣のチーターと一緒ですから、彼女は足が速いんだろうとかいろいろ想像する人もいたりして(笑い)

 水前寺清子の身長は158cmと比較的小柄であり、かつ本名が「林田民子」というので、「小さい民子」という意味で「ちぃた」と星野哲郎が呼んでいたのが一般にも広まっただけのハナシです。
 したがって、「チィタ」というのが本来の表記のはずなのですが、いつの間にか「チータ」になってしまったとはいえ、「チーター」は明らかな間違いです。

 

 

 以上、お粗末様でした・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

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2011年7月 6日 (水)

整理整頓

     20110706001_2

 

 「整理整頓」ということばがありまして、ことばそのものは皆さんもよくご存じだと思います。

 私が小学生のとき、よく教室に「整理整頓」と大きく書かれた紙が貼ってあったのを思い出します(笑い)

 

 ほとんどの人が、「整理整頓」ということばを四文字熟語のように覚え、「キチンと片付ける」みたいな意味なのだろうと思っていると思います。
 しかし、言うまでもありませんが「整理」「整頓」とは、本来別々のことばであり、それぞれに意味があるわけです。

 

 具体的な行動でいえば、要る物と要らない物とに分け、要らない物は棄てること。これが「整理」です。
 「人員整理」などということばにもそれはよく現われていると思います (^_^ゞポリポリ

 これに対し、キチンと棚に並べたり、収納庫などにしまったり、在るべき本来の場所に戻したりするのが「整頓」です。

 

 まぁ、「整理」にも「整頓」にも、「片付ける」という意味が含まれていますから、「整理整頓」がモノを片付ける事だと短絡的にお考えになられても、決して間違いというワケではありませんが、本来は、選り分けることと、しまうこととを、別々に指して言っているわけです。

 

 それはともかくとして、私はこの「整理整頓」が子どもの頃から大の苦手でしてね (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

     20110706003

 これは、今私が座っているPCラック周辺の様子を写した写真なのですが、ご覧のように、私の机の上や周りにはあれやこれやとたくさんのモノがゴチャゴチャと置かれてあり、必要なものが見つからなくて探し回ることもしばしばです (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 そんな私ですから、掃除好きな家内からは、事ある毎に「片付けてね!」と何度となくお小言を言われてはいるのですが、持って生まれたズボラな性格は一朝一夕には治らないようで、いつまで経っても片付かないというか、片付けようとしない私にあきれ果て、最近では私の机の周辺だけは見て見ぬフリをしてくれています・・・ (^^;)☆\(-- )

 

 決して必要なモノばかりともいえないので、要らない物を棄てるだけでもだいぶスッキリとすると思うんですが、私のお腹周りについた内臓脂肪と同じで、知らない間にどんどんと溜まり続け、もはや生半可な対症療法ではどうにもならず、いつまで経ってもスッキリとダイエットができないまま、みっともない有り様を晒し続けています・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 

     20110706006

 ・・・ というワケで、昨日チョッとだけ「整理整頓」というものの真似事をやってみました (^◇^) 。。。ケラケラ

 ホンの少しだけ不要なものを棄てただけなんですが、普段が普段であるだけに、こんなんでもいつもとはずいぶん違った雰囲気になりましたよ・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

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2011年7月 5日 (火)

料理上手

 私は常々思っているのですが、「料理」というのはまるで「魔法」のようだなと・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 そこいらにある野菜や肉などのごくありふれた食材に、少し手を加えるだけで、全く別のモノとして生まれ変わるわけですよ。

 そして、どんな人でも、どんな時でも、美味しい料理を食べた人は、例外なく幸せな気分になれるわけで、そういう意味では美味しい料理を作れる人というのは、もしかして「魔法使い」なのではないかと思う時があります (^^)v

 料理なんて誰にでもできる反面、なかなか上手にできないのも料理です。

 

 「料理上手」ということばがありまして、美味しい料理を作れる人に対してよく「料理上手」と言ったりします。

 しかし、私は「料理上手」ということばに対して一つの持論を持っていまして、一般に言うところのプロの料理人たちは「料理上手」だとは思っていません。
 なぜなら、食材も調味料も道具も、好きなモノを好きなだけ使って作り出される料理ですから、美味しくて当たり前であって、逆に仕事で料理を作っているワケですから、美味しい料理を作れなければ、プロの料理人としては失格ですよね。

 

 私が「料理上手」だと思っているのは、先にメニューありきで料理を作る人ではなく、そこに在る食材でどんな美味しい料理を作れるかを考えられる人であり、作れる人ということになります。

 例えば、今夜のメニューは○○にしようという事で、それを作るためにあらためて食材などを買い揃えてから料理する人は、いくら美味しい料理を作れても「料理上手」だと私は思わないという事です。

 そうではなくて、冷蔵庫のドアを開けたら××と△△が入っていたので、じゃぁ、それを使って○○を作ろうと思いつき、台所にあるモノだけで美味しい料理が作れる人こそが、「料理上手」という称号に相応しい人だと私は考えています。
 また、急な来客などの時に、間に合わせの材料で手早く何か料理を作れる人も、「料理上手」な人だと思います。

 

 ウチの家内など、そういう点では間違いなく「料理上手」な一人だと思います o(*^▽^*)o~♪

 ウチの場合、週末に一週間分の食材をまとめ買いし、翌週はそれらを使って家内が食事を作ってくれます。
 毎週、買い込む食材にそれほどの違いがあるわけではないのですが、日々の食卓には様々な料理が並びまして、バリエーションが偏っているワケでもありません (^^)v

 家内は、毎食毎食、買い込んである食材を上手に使い、その都度美味しい料理を作ってくれます (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 もしかしたら、ウチの家内は、本当に魔法使いなのかもしれません (^◇^) 。。。ケラケラ

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2011年7月 4日 (月)

紫陽花巡り

 昨日の日曜日、家内と一緒に、成田近隣のアジサイの名所を巡ってきました (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 もっとも、少々・・・ というか、かなり時季を逸したアジサイ見物になってしまいまして、例年から比べればチョッと物足りない思いは否めませんが・・・ (^^;

 決して忘れていたわけではないのですが、日曜になると何かと所要ができ、伸ばし伸ばしになっていたのを、さすがにこれ以上先に伸ばしたらアジサイは終わってしまうということで、やっと昨日重い腰を上げたというわけです (^_^;

 

 成田市のお隣に、多古町というところがあって、そこにはアジサイで有名なところがいくつかあるので、毎年同じようなルートで紫陽花見物をしています。

 訪れた先は、道の駅「多古」に併設されている、「あじさい公園」と、その近くに在る、「日本寺」です。

 

 

 《 あじさい公園 》

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 道の駅「多古」が置かれている栗山川の両岸には、延々とアジサイの花が植えられており、毎年「あじさい祭り」が6月の第3日曜日に開催されています。

 今年は、6月19日がその日にあたり、それから数えても半月近くも遅い訪問だったので、ご覧のようにアジサイの見頃はとっくに過ぎていました (^_^;

 

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 いつもは見るだけで通り過ぎる栗山川の遊覧船なのですが、昨日はチョッと心惹かれまして、冷やかしで覗いてみました (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 というのも、いつもは見かけないモーターボートの姿があったからで、千円くらいで乗せてもらえるなら乗ってみようかなと思ったわけですよ (;^_^A アセアセ・・・

 ところが、料金を訊くと、屋形船もモーターボートも、300円というじゃないですか。同じ料金ならモーターボートに乗りますということで、家内と二人で乗せて頂きました (^^)v

 

 屋形船ならどこにでもありますし、実際に潮来などで何度か乗った事もありますが、モーターボートは乗ったことがないので、短い時間ではありましたがとても楽しかったです o(*^▽^*)o~♪

 川面を吹き抜ける風を心地よく身体に感じながら、水面を飛ぶように走って行くボートが、とても快適で、このフィーリングは屋形船では絶対に味わえませんよ (^◇^) 。。。ケラケラ
 ちなみに、モーターボートに乗っていた時間は、正味5分くらいだったと思うのですが、けっこう長く感じましたね。

 屋形船なら、かなりゆっくり進みますから、もっと長い時間楽しめると思いますが、私らは十分に楽しませて頂きました。
 この体験だけでも、昨日、紫陽花見物に出かけた価値はあったかなと(笑い)

 

 

 

 

 《 日本寺 》

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 日本寺の方も、ご覧のようにすっかり時季を逸していましたが、それはそれなりに落ち着いた雰囲気で私らを迎えてくれました (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 それでも、訪れるのがあと一週間早かったらと、少々悔やまれました (;^_^A アセアセ・・・

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2011年7月 3日 (日)

誰かと見る夢

 20110703001

 

 ひとりで見る夢は 夢でしかない
 しかし 誰かと見る夢は 現実だ

 

 これは、芸術家であり、音楽家でもある、オノ・ヨーコのことばです。

 なかなかうまいこと言うなぁと思います (^_^ゞポリポリ

 

 ヨーコも、ジョンと二人で、同じ夢を見ていたのでしょう。

 それがどんな夢だったのか・・・

 おそらくは、平和 ・・・ なのでしょうねぇ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

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2011年7月 2日 (土)

集団健診11

 昨日、成田市で行なっている集団健診が、三里塚の町内で行なわれる予定になっていたので家内と受診してきました。

 

 9時少し前から受付が開始されるので、例によって、8時過ぎには自宅を出、会場となっている三里塚コミュニティセンターに向かいました。
 それほど遠くにあるわけではないので、徒歩でも楽勝で行けるのですが、暑いのと、健診のために昨晩以来水一滴飲んでいないので、歩けるだけの気力も体力も無かったというのが正直なところで、僅か1km程度のところなのに、今年もマイカーで向かいました (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

20110702001 20110702002

 

20110702004  センター到着は8時15分頃、整理番号は23番と24番を頂きました。
 例年よりは5分くらい遅い到着だったので、正直、もう少し遅い番号になるかと思っていたんですが、昨年より1番遅いだけで済んだので、ラッキーと o(*^▽^*)o~♪

 

20110702003  受付が始まり、胸部レントゲンから採尿、身長・体重測定、血圧、腹囲・・・といつもの手順で健診が進み、メインイベントは採血ということで、目を瞑って腕を出しました (^◇^) 。。。ケラケラ

 最後は、バリウムを飲んでの胃ガン検診で、下剤を渡されて検診は終了。

 

 私の方は、比較的スムースに終わり、9時半には解放されてロビーに戻ったんですが、家内の方は私よりも30分以上も遅れて終了。
 おそらく、女性の受診者の方が人数が多かったのだろうと思います (^^;

 

 そんなこんなで、二人して帰宅したのは10時半。
 例年よりも30分くらい遅い帰宅でした。

 

 思えば、昨年は大腸ガンの潜血検査で引っかかり、内科での内視鏡による再検査の結果、ポリープが見つかり、糖尿病の宣告も受けたワケですが、食事療法などのおかげで体重も腹囲も昨年の数値より3.5kgと2cmそれぞれ減りました (^^)v

 担当者からも「頑張りましたね」と褒められまして、チョッといい気分です (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 結果は、一ヶ月ほどで郵送されてくるそうですが、今年は何事もないことを祈るだけです (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

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2011年7月 1日 (金)

節電

 ここ数日、各地で猛暑日を記録するなど、いまだ梅雨明けには至らないものの、夏本番のような暑い日が続いています。

 

 しかし、今年の夏は、福島第一原発の事故の影響もあって、「節電」が合い言葉のように言われています。

 もちろん、節電することは大事な事ではありますが、マスコミもやたらに「節電」ということばを使っているワリには、肝心なことを伝えてはいないような気がします。
 そのために、「節電熱中症」なんていう本末転倒の事態まで招き、悲劇も起きているようです。

 

 確かに電力需要が逼迫していることは事実ですが、一日中節電しなければならないほど切羽詰まっているワケではないはずです。
 その辺りをキチンと説明すれば、エアコンの使用を一日中控えるなんていう極端な節電は、あり得ないはずなんですがねぇ・・・ (ノ_-;)ハア…

 

 例えば、熱帯夜なのにエアコンの使用を控え、扇風機を使ったり窓を開けて網戸で過ごしているなんていうハナシも聞きますが、夜間は一日の中でも電気の需要は低い時間帯ですから、普段の夏と同じ様に電気を使ったとしてもなんら問題はないはずです。

 もちろん、一日中節電できる方は各々の判断でなさればいいだけのハナシで、国民全てが夜まで節電しなければならないほど、電気の供給量は逼迫してはいないのです。

 極端なハナシ、お昼から午後3時くらいまでの3時間程度だけ、いつもよりも電気の使用量を控えるだけでも、電気不足など起こらないんですよね。

 

 その間、いつもよりもエアコンの設定温度を2~3度高めにするとか、あるいはエアコンを使わなければいいだけのハナシで、「エアコンを使わない」なんて言うとムリだろうとお思いの方も居らっしゃるかもしれませんが、買い物などの用事があるのであれば、その時間帯に自宅を留守にするだけで、節電はOKという事になります (^^)v

 自宅に居れば、エアコンはもちろん、テレビを見たり、照明を点けたり、家事をしたりと、いろいろと電気を使う事は少なくないと思いますが、留守にしていれば電気の使用量は必要最低限に止められるワケで・・・

 

 一日の中で一番暑い昼下がりの時間帯を、外食や買い物などで自宅外に居ることにより、相当の節電になることは間違いないと思います。
 そういう、現実的で効果の上がる節電法をもっとPRする事こそが、政府やマスコミがしなければならない事なのではないでしょうか。

 

 こういう事を言うと、昼下がりの一番気温の高い時間帯に外出することは危険だなどと重箱の隅をほじくるような発言をする人が必ず居ると思いますが、何もことば通りにわざわざこの時間帯に外出する必要はなく、この時間帯に自宅に居なければいいだけのハナシですから、歩きなら午前中に家を出ればいいわけですし、マイカーならエアコンを使えますからそんな心配もありませんよね (^^)v

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