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2011年7月21日 (木)

魁皇博之

20110721001_2  大相撲の大関魁皇が、名古屋場所の10日目の取り組みで、琴欧州に敗れて7敗目を喫し、現役を引退する意向を決めたと報じられた。

 

 ついにこの日が来たかと、ファンなら誰しも思ったのではないか ・・・

 しかし、ここ数年、魁皇は何度も引退の危機を迎えており、正直、いつ辞めてもおかしくない状況だっただけに、よくここまで現役を続けられたものだと驚いている人の方が圧倒的に多いだろうと私は思います。

 

 私も、カド番や休場を何度も何度も繰り返す魁皇に対し、事ある毎に「とっくに賞味期限が切れた腐った大関」と酷評し続けてきたので、今さら引退といわれても驚きもしませんし、残念だとも思っていません (^^ゞ

 ただ、好きな力士ではありませんでしたが、私好みの力士に近い存在だったことは否めません (^_^ゞポリポリ

 

 私の美学からいえば、「大関」というのは番付上の最高位なワケですから、あくまでも「強く」なければならないわけで、大関という名の地位にしがみつき、観客から同情を買いつつ土俵に上がるようになったらお終いだと思っています。

 つまり、「大関」という地位は単なるお飾りではありませんから、土俵に上がって相撲を取ればいいとか、負け越さなければいいとか、そんなレベルの低いハナシではないはずです。
 大関であるからには、少なくても優勝争いに絡むとか、二ケタくらいの勝ち星は当たり前のように挙げるとか、あるいは横綱を脅かす存在であるとかなどの、「存在感」を示さねば、大関を名乗る資格はないという事です。

 魁皇の大関在位は、千代大海と並んで史上1位65場所とはいうものの、負け越してカド番となった場所が13場所、勝ち越したものの、8勝7敗が14場所9勝6敗が10場所と、大関を務めた場所の半分以上が不本意というか、期待を裏切った場所であり、こんな成績しか残せなかった魁皇はやはり「ダメ大関」という事になります。

 私が、「腐った大関」と魁皇を呼ぶ理由も、そこにあります。
 まぁ、腐っていても、「醗酵」しているのであれば、それはそれで価値のあるモノになるわけで、さしずめ魁皇なんかは「醗酵した大関」と言うべきなんでしょうか (^◇^) 。。。ケラケラ

 以上の点から、私は魁皇という力士は最低の大関だったと思っています。

 

 個人的な意見を言わせて頂ければ、魁皇は大関としての相撲が取れなくなった時点で潔く土俵を去るか、どうしても現役を続けたいのであれば、大関を陥落して、三役、平幕と番付を落としながら土俵に上がり続けるべきだったと思っています。
 それならば、今のような無様な土俵を取り続けても、私は素直に魁皇を応援できたと思いますし、ここまでキライな力士にはならなかっただろうと思います (^_^ゞポリポリ

 

 私が大相撲を本格的に見るようになった昭和の終わり頃、小錦霧島という二人の力士が相次いで大関に昇進しました。
 小錦は、私のヒイキの高砂部屋の力士ですから、当然のように応援していましたが、霧島は私にとってはライバル部屋のにっくき敵役でした (^^ゞ

 この二人は、全く違うタイプの大関で、二人とも一生懸命に土俵を勤め、人気も集めていましたが、後に共に大関を陥落してしまいます (^^;

 大関を陥落した後は、年齢による体力の衰えとケガに泣き、二人ともズルズルと番付を滑り落ちていくのですが、それでも引退はせずに土俵にしがみつこうとあがく二人に、私は心からエールを贈っていました。

 なぜ魁皇が土俵にしがみつくのを嫌うのに、小錦や霧島だと応援できたのか ・・・
 別に言っている事が矛盾しているわけではなく、小錦や霧島は元大関であり、現役の大関ではなかったからです (^_^ゞポリポリ

 人間、落ち目になるとその人の本性が現われるといいます。
 この頃の小錦と霧島は、二人とも「元大関」などという看板にはこだわらず、辛い土俵が続いても妙に清々しい顔をして現役を続けていたのを思い出します。

 幕内の下位に甘んじながらも、それでも今できる精一杯の土俵を勤める姿に、私はもちろんですが、大相撲ファンの多くが感動したと思いますし、とうとう幕内からも陥落し、十両落ちが決定して現役引退を発表した時、多くの大相撲ファンが彼等の引退を心から惜しみました。

 

 もし、魁皇が、大関なんていう地位にこだわらず、サッサと陥落して平幕で取り続けていたら、おそらく今以上の人気が出ていたんじゃないでしょうか ・・・
 最多勝記録だって、大関でなければ色褪せるとかいうモノでもないでしょうし、むしろ身体を労りながら土俵を続ける姿は、「元大関」という立場の方が悲壮感をアピールできただろうと思います(苦笑)

 

 

 魁皇という力士を語る上で避けて通れないのが、昭和63年の春場所に角界に入門したという事で、同期には若貴兄弟が居ました。

 曙は、持ち前のパワーでドンドンと番付を駆け上がっていきました。
 若貴兄弟も、曙に遅れは取りましたが、やはりドンドンと出世し、曙・貴乃花・若乃花の三人とも角界の頂点である横綱として角界に君臨しました。

 一方、魁皇はというと、彼等から比べれば歩みは鈍かったものの、持ち前の素質をいかんなく発揮し、一歩一歩ではありますが、確実な歩みで番付を登っていきました。

 確かに、横綱にはなれませんでしたが、決して魁皇が先の三人に力量で劣っていたわけではありません。
 その証拠に、横綱昇進のチャンスは何度もあり、4度目の挑戦となった2004年の九州場所では、ほとんど綱を手中にしていましたが、最終的に横綱昇進は見送られたという不運な出来事もありました。

 単に運が無かっただけで、実力からいっても、魁皇は間違いなく横綱クラスの名大関だったと思いますし、曙や若貴と肩を並べる実力者だったと私は思っています (^^)v

 だからこそ、私はいつまでも大関という地位にしがみついて無様な土俵を見せ続ける魁皇が見苦しく思えて、ガマンならなかったわけです。

 

 しかし、横綱になれなかったことで、逆に力士生命が伸びたという、まさにケガの功名というべき事態も起こりました。
 曙と若乃花は2001年に、貴乃花も2003年に現役を引退をしていますから、彼等と比べても、魁皇は8年以上も長く現役を続けたわけです。

 曙も、若貴も、すでに「昔居た力士」というイメージしかありませんが、魁皇は「今」もなお、黙々と大関という地位のままで現役を続けていたわけです (;^_^A アセアセ・・・

 もし、2004年の九州で横綱になっていたとしたら、その後8度もカド番を迎えていますから、当然の事ですがとっくの昔に引退に追い込まれていたでしょう (^_^;

 

 何年も前から相撲なんて取れるような身体ではなかったと思える魁皇ですが、ここまで長く現役を続けられた理由が二つあると私は考えています。

 

 一つは、福岡県の出身だったという事。

 ご存じのように、一年納めの九州場所が、魁皇の地元である福岡で開催されます。
 地元の英雄ですから、文字通り九州場所は魁皇のためにある場所という事になります(笑い)
 魁皇は、思うような相撲が取れなくなり、くじけそうになる度に、故郷の福岡を思い出し、なんとか大関として九州場所の土俵に上がるまでは現役を続けようと、ただそれだけを心の支えにここまで頑張ってきたんだろうと思います。
 そして、年が明け、初場所が始まると、一年納めの九州場所までは石にかじりついても頑張ろうと、新たに心に誓っていたのだと思います。

 これが例えば、大阪とか名古屋とかの出身力士だと、一年の途中で場所が開催されますから、その時点で心が折れ、とても年末までは頑張れなかっただろうと思えるんですよね (^^ゞ

 

 そして、もう一つの理由が、「左四つ右上手」という絶対的な相撲の形を持っていたことと、私が勝手に「禁断の魁皇スペシャル」と呼んでいる、「悪魔の小手投げ」というべきリーサル・ウェポンを持っていたことだと思います。

 魁皇に小手投げをくらって左腕を破壊され、力士生命を脅かされた力士は、浪之花、栃乃洋、琴龍、栃東、玉乃島、豪栄道、豊ノ島 ・・・ と、枚挙にいとまがない。

 別に、小手投げは相撲の技の一つだから、それをくらってケガをしたとしても、魁皇を責めるのは筋違いという声もあるのはわかるが、実際に魁皇にケガをさせられた力士が大勢いるのは事実であり、優しい顔しているワリにはやる事がえげつないので、そういう点でも私が魁皇を好きになれなかった大きな理由です。

 大相撲も、格闘技であるからには、ケガをする事はある程度やむを得ない事ではありますが、だからといってワザと相手にケガをさせてもいいというものではありません。
 取り組みの流れで、不可抗力でケガをさせたのならともかく、危険だということを十分に認識していながら、同じ技で何度も何度も対戦相手の左腕を壊すというのは、故意にやっていると取られても仕方のないことだと思います。

 これからは魁皇に左腕を壊される力士はいなくなりますから、そういう意味では魁皇の引退は対戦相手達には歓迎されているんじゃないでしょうか(苦笑)

 

 まぁ、何はともあれ、人気のある名物力士だったことは間違いないので、一応は「お疲れ様」と言わせて頂きますが、正直、やっと辞めてくれたという事で、ホッとしている私がいます ・・・  (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

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コメント

こちらにもコメントさせていただきます。

一通り拝読しました。今更ながらですが、現役晩年の魁皇に対して違和感を持っていたのは自分だけではないと分かり我が意を得たりです。

同じ時代の千代大海が「怠慢」と批判される事があっても、盛りを過ぎてもだらだら現役を続けていた魁皇が批判の矢面に立たされた事はありませんでしたが、正直言って千代大海も魁皇も見苦しかったです。現在も続いている白鵬の独走は彼らにも原因があると思っています。

大半の好角家は魁皇と言いますと各界屈指の怪力と人気でしょうし、確かに若貴と曙武蔵丸の居並ぶ時代に怪力で大関に登り詰めたのは事実ですが、私にとっては現役晩年に個人記録の為にだらだらとハチナナで大関に居座り続けた往生際の悪さだけが染み付いて離れないです。

同じベテランでも不惑を過ぎても体のキレがある旭天鵬に対しては好感持てますが、日本人力士とて晩年の魁皇はいただけませんでした。

長文失礼致します。
m(_ _)m

投稿: 力三郎 | 2015年6月22日 (月) 10:34

 力三郎さん、どうもです (^_^)/

 旭天鵬はスゴイですよねぇ・・・ (;^_^A アセアセ・・・

 サーカス相撲の旭鷲山に大きく後れをとりましたが、愚直に四つ相撲にこだわり続け、40才になった今もなお、幕内に止まっているのは驚き以外の何ものでもありません・・・

投稿: 夢ピ | 2015年6月22日 (月) 20:58

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