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2011年10月24日 (月)

英雄

 今年の春、チュニジアでの暴動から始まった、「アラブの春」と呼ばれるアラブ諸国の民主化運動は、ついにリビアでも政権を掌握していたカダフィ大佐が殺害されるという重大な転機を迎えたと報じられた。

 

 この「アラブの春」と呼ばれる民主化運動についてはことさら触れるつもりはない。

 そこで生活している当事者でない限り、背景もわからないし、その運動が正しいことなのかどうかもわからないから、第三者が勝手な憶測で何かを言うことは慎むべきだというのが私の持論だからです。

 ただ、多くの民衆が自ら立ち上がり、現政権に対する不満をデモという形で示すということは、やはり多くの問題がそこに在るのだろうという事はわかります。

 しかし、だからといって他国の人がそれぞれの価値観に基づいて何かを言うというのはよけいなお世話であり、場合によっては内政干渉になるのではないかと思う次第です。

 例えば、欧米諸国でまかり通っている「常識」は、決して世界の常識ではないという事であり、そういう価値観をアラブ諸国に対して持ち込もうとしても、はたして良いことなのかどうか、私は大いに疑問に思っています。

 

 それはともかくとして、今回、カダフィ大佐を殺害したのは東部出身の未成年の民兵だった事が明らかになってきました。

 反カダフィ派の「国民評議会」に近い筋のハナシでは、「われわれは犯人を知っているが、未成年で裁判にもかけられない。彼(少年)はリビアの英雄であり、われわれは彼を守るだろう」と語ったとされています・・・ (__;)

 

 子供が銃を手に戦う、あるいは殺し合うということ自体が異常な事態であると思いますが、「殺人者」が「英雄」として讃えられる・・・
 そういう狂気の世界が「戦争」とか「内乱」などでは往々にしてまかり通ってしまう・・・ (ノ_-;)ハア…

 

 そうは言っても、「革命」なのだからある程度の「犠牲」は付きものだとか、あるいはしょうがないだとか、訳知り顔でおっしゃる方も少なくないんでしょうが、少なくても1961年にカダフィ氏が同士とクーデターを起こし、リビアを掌握した時には「無血革命」だったというように記録されています。

 カダフィ大佐が政権を掌握している間にやって来たことは別にして、カダフィ大佐自身は血を流さずに政権を奪ったにも関わらず、自らは殺害されて政権を追われたという事になります・・・

 

 どんな理由を付けてみたところで、「殺人」を行なった者は「殺人者」でしかないわけで、普通の感覚なら罪深き人という事になるはずなんですが、そういう事を一律に申し上げられないのが「世界」の「世界」たる所以であり、奥深いところです。

 だからこそ、第三者の勝手な価値観でもって物事を一方的に判断するのは慎まなければいけないという事になります。

 

 「殺人者」が「英雄」だと讃えられるような世界は、やはりどこか根本的に間違っているように私には思えてなりません。

 昔、チャップリンが「殺人狂時代」という映画の中で語った、「一人の殺害は犯罪者を生み、百万の殺害は英雄を生む。数が(殺人を)神聖化する」というセリフは有名ですが、1人を殺せば20年の実刑、3人以上なら死刑・・・がタテマエであるはずの我が国において、もし百人とか千人を殺した大犯罪者が現われたとして、彼は英雄として人々から賞賛されるのでしょうか・・・ (^^;

 もしかしたら、神戸連続児童殺傷事件の酒鬼薔薇や、秋葉原無差別殺傷事件の犯人のように、一部の人たちの間でならカリスマ化されるのかもしれませんが、やはり一般の人々に受け入れられるとは思えないんですがね・・・

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