公衆浴場
サッカー日本代表前監督の岡田武史氏が、中国スーパーリーグの「杭州緑城」(こうしゅうりょくじょう)と15日に契約を結び、監督に就任したと報じられた。
まぁ、それはそれでいいんですが、私の場合、情報源はもっぱらラジオなので、耳から入る情報が全てといっても過言ではありません。
そんなワケですから、このニュースも、私の耳には「岡田前監督が公衆浴場の監督に就任した・・・」と聞こえてしまいます (^◇^) 。。。ケラケラ
「公衆浴場」・・・
平たくいえば、「銭湯」の事ですが、内風呂が一般的になった現在においては、風呂屋通いなんて体験をお持ちの方は、かなり少なくなっているんじゃないでしょうか・・・
しかし、少なくても70年代くらいまでの日本においては、銭湯はわりと一般的な施設であり、利用客も大勢いました。
私自身、77年から83年までの6年間、住んでいたアパートにはいずれも風呂が付いていなかったもので、せっせと銭湯通いをした事があります (〃⌒∇⌒)ゞ ♪
77年の春から2年半は東京の江戸川区内で、79年の秋から83年の春までの3年半は会津若松市内で、私はずっと銭湯を利用していました。
その後住んだアパートには、当たり前のようにお風呂が付いていた事もあって、銭湯を利用することはなくなりました。
それから、もう30年近く経ちますから、今さら銭湯通いなど考えたくもありませんが、当時はそれが当たり前でしたから、銭湯まで歩いて行くのも、特に面倒だとか思った事はありません (^_^ゞポリポリ
銭湯の想い出はともかくとして、銭湯までの行き帰りの記憶となると、はるか昔の事なのでほとんどありませんが、天気だって晴れていた日ばかりではなかったろうし、雨の日や雪の日だって当然あったはずで、そんな日はどうやって銭湯まで歩いて行っていたのか、ちっとも思い出せません (^_^;
それでも、私が6年の間、銭湯を利用していたのは事実なわけで、当時は私以外にも銭湯の利用客はけっこういました。
その後、銭湯は利用客の減少からどこも経営が苦しいようで、閉店も相次いでいるようですが、私が利用した江戸川の銭湯は30年以上経った今でも営業を続けています。
しかし、会津若松の方の銭湯はすでに無くなってしまいました (^^;
確かに、風呂に入るために銭湯まで出向くのは面倒な事ではあるのですが、やはり餅は餅屋というか、銭湯には銭湯のいいところもあるわけで、大きな湯船にゆ~ったりと浸かり、広々とした洗い場で伸び伸びと身体を洗える開放感は、自宅の浴室ではなかなか味わえない至福の一時ではないかと思います (〃⌒∇⌒)ゞ ♪
まして、最近ではサウナやジャグジーなどを始めとする、様々な付随施設まで設けられた贅沢な銭湯も増えていますから、そういう点でも銭湯を利用する価値は大いにあると思われます。
来週は冬至でもあることですし、柚子湯などのサービスを行なう銭湯も多いですから、お近くに銭湯がお有りでしたら、そういう機会にたまには銭湯を利用してみるのもいいんじゃないかと思うんですが、いかがでしょう (*^-^*)ノ
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