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2012年1月31日 (火)

先週の雪

 今さらではありますが、先週首都圏に雪が降りまして、めったに雪なんて降ることのない千葉県内においても若干の積雪があり、交通は鉄道も道路も大混乱を起こしました。

 今日は、その時の模様をお伝えしようかなと思うのですが、内容が内容なだけに直後のアップはさすがにためらわれましてね、少々冷却期間をおいた・・・というのが、一週間のタイムラグの理由です (^^ゞ

 

 23日の月曜日、夜から降りだした雪は、夜半から勢いを増し、一夜明けた24日の朝にはけっこう積もりまして、都心でも4cmの積雪を記録したところもあったという事で、通勤や通学の時間帯に当たる時間帯には、いたるところで交通事故や歩行者の転倒が相次いだようです。

 

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 これが、24日の午前7時過ぎに成田空港周辺を走った時の様子です (;^_^A アセアセ・・・

 ご覧のように、道路上にはほとんど雪は見られませんが、逆にそれが思わぬ事故を招いてしまったようで、特に日陰などでは路面が凍結しており、雪道に対する対策や経験が不十分なドライバーが多いので、そこここで道路脇に突っ込んで止まっている事故車両を見かけました。

 

 よく、首都圏は雪に弱いといわれ、チョッと雪が降っただけで交通網が混乱するのは周知の事実です。
 雪国の人達から見れば、積もったといってもあるか無いかわからないくらいの雪で、どうしてあそこまで大騒ぎするのか理解できないでしょうが、雪が降ることが前提で冬を迎えた雪国の人達と違って、一年に一度積もるかどうかわからない雪のために、しっかりした準備を整えている人というのは首都圏ではほとんど居ないというのが混乱の大きな原因です。

 

 例えば、スタッドレスタイヤですが、さすがに雪国の人でノーマルタイヤのままで冬を迎える人は居ないでしょうが、首都圏ではノーマルタイヤのままの人がほとんどです (^^;

 また、スタッドレスタイヤを履いている人でも、雪道に対する経験はそれほど無いので、実際に雪が積もった道路を走って戸惑う人が多いのも事実です。

 まして、最近の乗用車は、ほとんどが前輪駆動車ですから、そこにはFF特有の弱点も有るわけで、そういう事を知らないで走っていると、思わぬ事故を起こしてしまうものです・・・ (__;)

 

 例えば、スタッドレスタイヤであれ、チェーンを巻いたタイヤであれ、縦方向に対しては比較的強い駆動力を発揮しますが、横方向にはほとんど無防備だという事を知らないドライバーが多すぎます。
 そういう人達が、FF車を運転した場合、特に下りのカーブでパニックを起こしてしまうわけです。

 「FF車は雪道に強い」というハナシをどこかで耳にした人も多いと思います。
 これにはチャンとした理由がありまして、なぜFF車が雪道に強いのかといえば、駆動輪の上に重いエンジンが乗っかっていますから、自然と接地圧が高く、そのために駆動力がタイヤから地面へとしっかりと伝わりますから、滑りにくく、ドンドン走って行けるというワケなんですが、逆に、この構造のために後輪の接地圧は低くなり、チョッとした事で後輪は横滑りを起こしてしまいます。

 私にも経験がありますが、FF車が下り道のカーブにさしかかると、ブレーキなどによって車の重心は前方に移動しますから、ただでさえ接地圧の低い後輪はますます浮いた感じになり、遠心力によって車体は簡単にカーブの外側へと横滑りを起こしてしまいます (^_^;

 この時に、ドライバーはカウンターステアリングというワザを知らず知らずのうちに使っていると思うんですが、問題はその後でして、カウンターを当てて車の体勢をある程度整えたら、間髪を入れずにハンドルを戻さなくてはならないのに、横滑りを起こした車に驚いてカウンターを当てた後、ホッと気が緩んでしまうのか、ハンドルを戻す操作が一瞬遅れると、車は蛇行を始めてしまい、そうなると車はコントロールを失い、最終的にどこかにぶつかるまで止まらない・・・という事が起こり易いのがFF車というものの宿命です。
 私はそれで何度か自損事故を起こしたことがあり、以来、私は雪道を走るのがどうにも億劫で・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 そういうFF車の欠点を補うために、雪国のドライバーの中には、後ろのトランクの中に、コンクリートブロックとか肥料袋などの、何か「重し」となる積載物を、雪道を走る時には積んで走る人が少なくないんです (^^)v
 重量物を何か積むことによって、燃費は当然悪くなりますが、後輪の接地圧を高めるための苦肉の策という事になりますか・・・ (^_^ゞポリポリ

 

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 ・・・という事で、これらの写真は、この日の朝に何台も見かけた事故車両の一部です。

 いずれも、道路脇のガードレールなどにぶつかっていた乗用車ですが、3枚目の写真なんか、完全に横倒しになっていまして、雪道や凍結した道路を走る時には、十分にスピードを落として、慎重に運転するというセオリーを無視したか、あるいは知らないで走って、自損事故を起こしてしまったものと思われます・・・ (ノ_-;)ハア…

 

 皆が雪に備えている雪国とは違い、備えていない車も道路を走っている事が首都圏では多いわけで、そういう無茶な車が一台でも立ち往生すると、それを避けようと混乱が起こるのが首都圏の道路事情です。

 特に、環七環八と呼ばれる都内の大動脈は、交通混雑を避けるために、主だった交差点はオーバーパスやアンダーパスなどでスルーできる構造になっており、滑り止めをしていない車はそういう交差点の坂を登れなくて立ち往生してしまう車がよく見られ、場合によっては通行止めという最悪の事態になってしまう事も少なくありません。

 

 首都圏でも、スタッドレスタイヤなど、雪対策を行なっているドライバーもたくさん居る一方で、そういう準備を怠ったまま走ってしまう不心得者のドライバーも少なくないので、そういう様々な車がゴッチャになって走っている首都圏の雪道は、いつ事故が起きても不思議ではない魔境と呼べるのかもしれません・・・ (;^_^A アセアセ・・・

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2012年1月30日 (月)

商売繁盛

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 先日、東関道を走っていて見かけたアートトラックです。

 

 4年前にも、「居酒屋」というタイトルで、同じ事を語ったことがあります (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 先の記事でも述べましたが、

 「春夏冬
   二升五合」

 これは、「商い ますます繁盛」と読みます (^^)v

 

 四季は「春夏秋冬」ですが、「春夏冬」という事で、「秋」の文字だけが無いので「商い」 (^^ゞ

 

20120130004  「一升枡」なんて最近ではあまり見かけないと思いますが、一昔前ならたいていどこの家にも、こんな感じの一升枡が台所のどっかに一個は置いてあったと思います。

 「二升五合」は、この一升枡で二杯半・・・という事で、「升升半升」と読めるというわけです(笑い)

 

 蛇足ですが、一升枡で五合を正確に計るにはどうやるかご存じですか?

 

 

20120130002  目分量で底から半分でも、だいたい五合には違いないワケですが、もっと正確に計るには、こんなふうに斜めに傾けて計ればバッチリです (^^)v

 

 さらに、このトラックには恵比寿様も描かれています (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 言うまでもありませんが、七福神の「恵比寿様」は商売繁盛の神様として知られています。

 

 背景にはヤシの木も描かれていますから、どこか南国の島をイメージした構図なのかもしれません。
 そう思うと、恵比寿様の着ている服も、なんとなくアロハシャツのように見えてくるから不思議です (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 まぁ、そんな事は置いといて、このアートトラックは、なかなかセンスよく描かれていると思います o(*^▽^*)o~♪

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2012年1月29日 (日)

大阪国際女子マラソン 2012

 またか・・・ (ノ_-;)ハア…

 今日の「大阪国際女子マラソン」をご覧になった方の感想は、おそらくそんな感じなのだろうか・・・

 

 思えば、4年前のこの「大阪国際女子マラソン」は、福士の、福士による、福士のための大会であり、大会前も、大会中も、大会後も初マラソンに挑戦した福士加代子の報道に終始した。

 その時のブーイングを、「冗談じゃないぞ!」という記事にしてアップしたこともありました。

 

 今回の「第31回大阪国際女子マラソン」も、福士加代子以上のビッグネームが不在という事で、彼女は優勝候補と持ち上げられ、彼女を中心に報道が行なわれました。

 前半は先頭集団についていった福士ですが、4年前は終盤にガクンと失速して脱落しましたから、今回も30kmを過ぎてからが勝負だろうと思って冷ややかに観ていたんですが、案の定、後半は醜態を見せ、結局9位という無様な結果に終わりました。

 前回の初マラソンの時には、30km過ぎからでしたが、今回はそれよりも早い26km過ぎから福士は脱落していきました・・・ (ノ_-;)ハア…

 

 思うに、福士加代子や渋井陽子は、マラソンには不向きの選手だと私は思います。
 前半は持ち前のスピードを生かして善戦するんですが、距離が長い分、どうしても後半スタミナ切れで脱落してしまいますから、ベストなのは1万mで、やはりトラック向きの選手なんだろうと・・・

 ロードでも、駅伝なら活躍できるだろうと思うのですが、もう、マラソンは止めた方がいいんじゃないかな。

 

 優勝は、天満屋の重友梨佐が、マラソン挑戦2度目にして初優勝を遂げました。

 しかし私は、競技場でガメラシュミルコに抜かれて、結果的に3位ではありましたが、野尻あずさの方に可能性を大きく感じたレースでもありました。

 なんというか、確かに終盤は独走だった重友ですが、走りそのものは、野尻の方がスタミナの点でも力強さの点でも精神力の点でも、重友よりも上じゃないかなと思いましたねぇ。

 第一、野尻のレースには他の選手には感じられない「安定感」が感じられます。

 スキーから陸上に転向したという事で、まだ走り方とかレースの駆け引きとかが身についていないだけで、そのあたりは第一生命の山下監督がしっかりと指導してくれると思うので、これからの伸びしろが期待できるんじゃないかと p(^_^)q ワクワク

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LOOK

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 先日、スーパーでこんなチョコレートを見かけましてね (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 おそらく、誰でも知っていると思う、不二家の「LOOKチョコレート」です。

 私が子どもの頃、けっこう好きで、よく買って食べていたので覚えているのですが、

 思わず、「まだ売ってたんだ~ (*^.-^*)♪」

 ・・・という事で、懐かしくて一つ買ってきました。

 

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 さすがに、40年近くも経つと、パッケージなんかも小洒落てまして、こんなふうに上に開くようになっていますが、私が子どもの頃食べていたLOOKのパッケージは、内箱を横にスライドさせて開けていたような記憶があるのですが・・・ (^_^ゞポリポリ

 

 私が今回買ってきた「LOOKチョコレート」は、外箱は裸のままで、フタを上側に開くと、上の写真のようなホイルに包まれた内箱が入っていまして、食べるためにはこのパックを切って開けなければなりません。

 しかし、私が子どもの頃食べていたLOOKは、パッケージそのものが透明のフィルムで包まれていまして、フィルムを開ければ直ぐに内箱を引き出せたように記憶しています。

 どちらが食べやすいかといえば、断然後者でして、今のように内箱を覆うようなパッケージだと、一度ホイルから内箱を取り出して、あらためて外箱の中に入れなければなりませんから、私には面倒に思えてしまって・・・ (^_^ゞポリポリ

 

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 それはともかくとして、「LOOKチョコレート」の魅力といえば、チョコの中に入っている4種類の味が付いた生クリームでして、今回私が購入したLOOKは、「バナナ」「アーモンド」「ストロベリー」「キャラメル」の味だったんですが、「バナナ」と「ストロベリー」はいいとして、昔食べていたLOOKもこんな顔ぶれだったかなぁと・・・ (^_^ゞポリポリ

 「アーモンド」なんてあったかどうか記憶にないし、「キャラメル」も有ったような、無かったような・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 まぁ、そんな事はどうでもいいんですが、乏しいお小遣いを握りしめ、LOOKチョコレートを買って食べていた小学生の頃を思い出しましたよ。
 40年くらい前の価格がいくらだったのかは記憶にありませんが、おそらくは30円くらいで売られていたように思うのですが・・・ (;^_^A アセアセ・・・

 今もこうして、同じようなパッケージで売られているところをみると、今の子ども達にもけっこう人気があるんだろうなぁと(笑い)

 もしかして、今、LOOKチョコレートを食べている子ども達が、40代とか50代とかになった頃にも、同じような顔でお店に並んでいるんでしょうか(苦笑)

 そうだとすれば、これはスゴイ事だと思いますねぇ (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 

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 あまりに懐かしかったので、思わず衝動買いをしてしまったんですが、隣にこんなパッケージのLOOKも並んでいたので、合わせて買ってきました (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 こちらのLOOKは、「ガナッシュクリーム」「トリュフクリーム」「チョコレートムース」の3つの味で、18粒入りでした。

 あまり食指を伸ばしたくなるようなシロモノではありませんが、まぁ、話しのタネにと (^◇^) 。。。ケラケラ

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2012年1月28日 (土)

オトコという生き物

 今さらではありますが、世の中には「男」と呼ばれる生き物と「女」と呼ばれる生き物の、二種類の生物が存在します。

 

 そして、あらためてよく見つめ直してみると、両者の間にはずいぶんと大きな違いがあるように思う次第です。

 どうしてなんでしょうねぇ、同じ人間なのに、オトコオンナとでは、シュミというか行動というか、そういう点で様々な相違点があり、オトコだけに見られる「変わった共通点」がある事に気付きました (^^)v

 そして、おそらくそれは、世の女性陣たちには決して理解されないだろう事も・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 その1 オタク

 まず、オトコには「オタク」と呼ばれる特殊な人種が存在します(笑い)

 「オタク」そのものは女性の中にも存在しますが、一般の女性と比べればその数は微々たるものだと言わざるを得ません。

 しかし、男性の場合には多かれ少なかれ、誰もが「オタク」の素質を持っているんじゃないでしょうか (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 何かを一心不乱に集めるコレクターなんてのはその代表例だと思います。
 切手とか鉄道模型などの王道に始まって、フィギアだったりオモチャだったり、挙げ句の果ては石だとか女性の下着だとか、そういう、他人には価値のわからない「ガラクタ」や「ゴミ」のような類に至るまで集めている変人も存在するのが、男性のオタクの奥深さです (^◇^) 。。。ケラケラ

 「何か」に取り憑かれたように、夢中になってしまうという点では、オトコはオンナの比ではありません。
 それ故、オトコはいつまでも「夢」を見続ける生き物と言われるんじゃないでしょうか (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 その2 下着

 その1の収集癖にも関連しますが、オトコという生き物はすべからく、女性の下着に興味があり、ソレを見たり触れたりすることに、とても興奮する生き物です(笑い)

 中には、どうしても女性の下着が欲しくて、下着ドロをする輩まで現われる始末です (;^_^A アセアセ・・・

 しかし、女性が男性の下着を見て興奮したとか、干してある男性の下着を盗んだとかいうハナシを、私はいまだかつて聞いたことがありません (^◇^) 。。。ケラケラ
 もしかしたら、モッコリした股間のふくらみとか、逞しい筋肉などの肉体を見て興奮する女性はいらっしゃるのかもしれませんが、単にパンツなどの下着を見て性的な興奮を覚える女性はおそらく皆無だと思います。

 つまり、異性の下着にある種の妄想を抱く人種というのは、決まってオトコという生き物だという事です。

 

 その3 女装

 その2にも関連しますが、女性の下着に興奮するあまり、中にはソレを身に付けてみたいと思ったりするのも、オトコという生き物に限った性癖のようです(笑い)

 下着を身に付けるだけに止まらず、外見も女性のようになってみたいと思ったりするのもオトコだけです。

 その結果、女装に走るオトコが出現することになります。いわゆる、ニューハーフとか、オネエキャラなどと呼ばれている人達ですな。

 ここで勘違いして欲しくはないんですが、女装癖はビョーキの一種ではありますが、最近よく言われるところの「性同一性障害」とは違い、あくまでもオトコが女性のマネをしているだけのことで、外見が女性もどきに見えても、心も身体もしっかりと男性のままなワケですよ (;^_^A アセアセ・・・

 「女装する男性」というのは、古来から存在しましたが、「男装する女性」というのは、宝塚などの男役に限定されるようで、あまり一般的ではないようです (^_^ゞポリポリ
 しかも、宝塚の男役も、単に仕事として男性を演じているだけですから、劇団を退団すれば、一人の女性として普通に生活していくことになります (*^.-^*)♪

 

 その4 性犯罪

 「痴漢」ということばは見聞きした事があると思うんですが、その一方で「痴女」ということばはほとんど聞かないと思います。

 「痴女」ということば自体は確かに存在するのですが、そういうことばを見聞きすることがないという事自体、そういう事を行なう女性が居ないというコトの何よりの証左だと思います(苦笑)

 「痴漢行為」にしろ、「レイプ」にしろ、あるいは「覗き」や「盗撮」などという、いわゆる「性犯罪」は、男性だけに見られる犯罪行為というのが一般的な認識であり、女性が男性に対して行なったという例は、おそらく無いのではないでしょうか・・・

 もっとも、仮に男性が女性から痴漢行為やレイプなどの強制ワイセツ行為をされたとしてですよ、ソレを迷惑行為として訴える男性が居るとは私には思えないんですよね (;^_^A アセアセ・・・
 私がそうであるように、逆に「ラッキ~」と思ってしまうのが、オトコという生き物なのではないでしょうか (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 かように、オトコという生き物は、摩訶不思議な生物であり、今までも、そしておそらくはこれからも、世の女性達からは絶対に理解される事はないだろうと考える次第です・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

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2012年1月27日 (金)

カイロ

 このところ、とても寒い日が続いているので、皆さん方の中にも「カイロ」をお使いになっていらっしゃる方がおいでかもしれません (^^ゞ

 

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 カイロといえば、今はこんな感じの「使い捨てカイロ」が主流ですが、一昔前はベンジンを使用する「白金カイロ」がよく愛用されていました。

 

20120127001  私も、人一倍の寒がりやなので、高校時代にナショナル製の「黄金カイロ」という名前の白金カイロを購入して使っていた事があります (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 引っ越しなどを繰り返すうちに、いつの間にかどこかに行ってしまってそれっきりとなりましたが、けっこう長い間お世話になったことを思い出します。

 写真は、ネットで見つけてきたモノですが、まさにこれと同じ商品で、本体とそれを入れるカバー、ベンジンの計量カップと電池式の点火器の4点がセットになっていました。

 

 朝ベンジンを詰め、点火して出かければ、夕方くらいまでは十分に持ち、詰めるベンジンの量で使用時間を変えることができ、確か最大で12時間以上は温かさが持続したと記憶しています。

 

 この商品は、すでに生産が終了しており、入手は不可能だと思いますが、どうして市場から「白金カイロ」の類が消えてしまったのか、理解に苦しみます。

 逆にいえば、どうして皆が「使い捨てカイロ」ばかり使いたがるのでしょう・・・

 おそらく、手軽に使えるからというのがその理由だと思うんですが、私のようなアタマの固い人間には、「使い捨て」というのがどうしても納得できなくてね(苦笑)
 私なんか、一度きりで捨ててしまうことに罪悪感すら感じてしまいますよ (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 カイロ一つ取っても、こんなモノが毎年山のように使われては廃棄されていくわけで、資源の無い日本でどうしてこういう類の商品が売られ、消費されるのか、理解に苦しみます・・・ (ノ_-;)ハア…

 ベンジンを入れれば、繰り返し使えた「白金カイロ」の方が、エコノミーの点からもエコロジーの点からも、はるかに優れていると私は思うんですがねぇ・・・

 今こそ、こういう商品の復活が日本には必要なのではないかと個人的には思うんですが、再商品化のハナシはないんですかねぇ (__;)

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2012年1月26日 (木)

まん丸

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 これは、千葉県の船橋市にある「行田」という街の航空写真です。

 ご覧のように、まん丸の道路に囲まれているのがおわかりになると思います。

 

 私は、かつて船橋市内に在るお店に勤務していたことがあり、配達をしていてこの地区の存在を知りました。

 

 

 

 上は行田周辺の地図ですが、すぐ近くには中央競馬でも有名な「中山競馬場」が在ります。

 

 実は、ここにはかつて、旧日本海軍の「船橋送信所」が在りました。

 そのために、送信所特有の丸く囲まれた敷地になったというわけなんですが、送信に用いられた鉄塔が撤去された後も、かつての道路はそのまま生かされているために、こんな独特の街並みになりました。

 

 その直径は、およそ700m

 なかなか見事なサークルだと思いませんか (*^.-^*)♪

 

 この「船橋送信所」には、興味深いエピソードがいくつもあるようですが、冗長なので今日のところは割愛します (;^_^A アセアセ・・・

 興味がお有りの方は、「船橋送信所」でググってみるとおもしろいかも~・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

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2012年1月25日 (水)

豚皮

 先週、「秘密のケンミンSHOW」という番組の中で、大分県の中津市周辺では「豚の皮」を食べる人が多く、スーパーなどでも当たり前に販売されている、ごく一般的な食材だというのを家内と見ました。

 調理の手順も放送されまして、出来上がった「豚皮」のメニューを家族が美味しそうに食べている光景を見て、そんなに美味しいものなら一度試してみようかというハナシになりましてね (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 というのも、千葉県の旭市では養豚が盛んでして、新鮮な豚肉が安く手に入ります。
 その辺りの事は、2年ほど前にも「ミートプラザ HIGATA」という記事でご紹介したことがあります。

 あれ以来、このお店で豚肉を買う機会が増えましてね、昨年辺りからは、週末に家内と旭市に出かけて、このお店と業務スーパーで買い物をするのが我が家のマイブームとなっています (^^ゞ

 そんな中、陳列棚の中に「豚の皮」が置いてあるのを先日見かけましてね、料理好きな家内でも、さすがに豚の皮はどうやって食べるのか調理法がわからないという事で、その時には見るだけに止まったんですが、テレビでその「豚の皮」の料理方法が紹介され、それが美味しいとなると、これは放っておく手はありません(笑い)

 

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 で、さっそく週末に旭市で豚皮を買い込んできまして、家内が料理してくれたのが上の写真です。

 材料の豚皮は200円足らず。
 それが美味しいツマミに化けるとしたなら、これはマジで美味しいハナシじゃないですか (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 レシピはいたって簡単で、買ってきた豚の皮を適当な大きさに切り、2時間ほど茹でた後、塩コショウで炒めるだけ・・・

 

 さっそく家内と二人で味わってみたんですが・・・

 

 

 なんというんですかね・・・

 家内は一切れ、私は三切れ食べただけで、それから先は箸が進みませんで・・・ (;^_^A アセアセ・・・

 

 レシピが簡単な分、テレビで放送されたものと出来上がりがそう違うとも思えないんで、中津市の人が食べている「豚皮」も、おそらくこんな感じの味をしていると思うんですが・・・ (^^;

 決して「不味い」というわけではないんですが、くどいというのか、アブラのカタマリを食べているみたいで、噛んでいる間に飲み込むのが辛くなってきまして・・・ (__;)

 

 ・・・やはり・・・

 地域による味の好みの違いってあるんでしょうね・・・ (^◇^) 。。。ケラケラ

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2012年1月24日 (火)

できれば

 先日、TBSラジオの「大沢悠里のゆうゆうワイド 」に、エレキギターで有名な寺内タケシがゲスト出演なさいまして、いろいろと語ったのを聞きました。

 

 寺内タケシといえば、「エレキの神様」として、その世界では超が付くくらいの有名人です。

 その寺内タケシが、ライフワークにしている「ハイスクールコンサート」は、回を重ね、いよいよ1500回の大台に乗ったと報じられました。

 

 1500回もやっていると、おもしろいエピソードもいくつかあるようで、中でも石川県の星稜高校でのハナシは秀逸でした (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 座った生徒たちの前でコンサートをしていると、一人だけ立っている生徒が居たんだそうで、おやっと思ってよく見ると、立っているわけではなく、際だってデカイ生徒だったので座っていてもそんなふうに見えたという事で(苦笑)

 その生徒というのが、高校時代の松井秀喜で、興味を持った寺内が「君は将来何になりたいんだ」と尋ねると、「できればプロ野球選手になりたいです」と答えたといいます。
 そういうような事は珍しい事ではないと思うんですが、寺内タケシがおもしろいのはそこからです。

 「『できれば』だと!プロをなめるな、このヤロー」と、松井を一喝したんだそうです(苦笑)

 プロというのはその道の達人ですから、「ぜったいになってやる」という一途な思いで人一倍努力してこそ道が開けるのであって、『できれば、なれたらいいな』みたいな中途半端な気持ちでいるうちはプロになんか到底なれないぞ!という、寺内ならではのエールだったのだと思いますが、その思いを酌みとった松井少年は、その場で寺内に向かって「絶対にプロ野球選手になります」と言ったといいます。

 

 いわゆる、「一念岩をも通す」という事で、必ずできるという信念で必死に努力すれば、この世に不可能なものはない・・・という事を寺内は伝えたかったのでしょうが、世の中、そんなに甘いものではないとはいえ、やはり「覚悟」は大事なんだと思います。

 そういう「覚悟」が無いままに、チンタラやっていたって、所詮は玄人裸足止まりで、とてもプロの域には届かないでしょうな・・・

 

 というわけで、その時の寺内タケシのことばが効いたのかどうかはわかりませんが、松井はプロ野球界はおろか、大リーグでもその人ありといわれるほどの大選手になりました・・・ とさ。

 チャンチャン (^^)v

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2012年1月23日 (月)

佐久間山

 大相撲の初場所は、大関把瑠都の初優勝で幕を閉じましたが、それに勝るとも劣らないビッグな記録が今場所生まれました。

 

 幕下の佐久間山が、序の口デビューから続いていた連勝記録を、「27」まで伸ばし、これまで板井の持っていた「26」を32年ぶりに更新するという快挙をやってのけたというものです ヽ(^◇^*)/

 

 そもそも、この佐久間山ですが、埼玉栄高校時代は、2006年に世界ジュニア相撲選手権大会の無差別級で優勝。

 日本大学時代は、2008年に全国学生相撲選手権大会で優勝し、学生横綱のタイトルを獲ったほどの実力者です。

 

 学生横綱のタイトルを獲れば、幕下付出しの資格を得た事になりますから、普通なら大学を中退して、即、角界入りをするものなんですが、この佐久間山は、父親の「男なら途中で投げ出すようなことはせずに、最後まで学業を全うしろ」との言葉に従い、角界入りは大学を卒業してからとなりました。

 幕下付出しの資格は、優勝してから1年間で失効してしまいますから、キチンと卒業してから角界入りした佐久間山は、一般の新弟子同様、前相撲からのスタートとなりました。

 

 しかし、アマ時代の成績は伊達ではなく、序の口、序二段、三段目と全て7戦全勝で、各段とも一場所ずつで通過してきた、ツワモノです (*^.-^*)♪

 今場所は、東の幕下15枚目という地位で土俵に臨みまして、6番目の相撲までは順調に勝ち進み、先に述べたように、板井の持つ26連勝の記録を塗り替えました (^^)v

 

 そして迎えた13日目、今場所最後となる7番目の相撲となりまして、もしこれに勝って今場所も全勝ですと、前相撲から序の口、序二段、三段目、幕下と、所要5場所で新大関の誕生かと騒がれもしたんですが、さすがにそこまで世の中は甘くないというか・・・ (^◇^;)

 この取り組みを、たまたま見る機会を得まして、BS2で観戦していたんですが、苦労人の千昇に上手投げで敗れ、史上最速での十両昇進は無くなりました・・・ (__;)ガクッ

 

 この千昇との7番相撲ですが、勝った方が新十両に上がれるという事で、チョッとワケありの因縁相撲となりました (^_^;

 片や、白鵬と同期で、11年目となる苦労人のモンゴル人力士。
 片や、史上最速での関取誕生かと騒がれる若手のホープ。

 場内は、ほとんど全員が佐久間山の勝利を願って声援を送っていたようですが、それに発憤した千昇が、意地で佐久間山の挑戦を跳ね返し、目の前にぶら下がっていた新十両の権利を佐久間山から奪い取って自分のモノにしたという事で、やはり、ここ一番ではどれだけホンキでそれを願っていたのか、その差が出てしまったんでしょうかねぇ (;^_^A アセアセ・・・

 

 ただ、佐久間山は新十両のキップは逃したものの、6勝1敗で並んだ8人の幕下力士による優勝決定戦では勝利を収め、今場所の幕下優勝を決めました ヽ(^o^)尸

 これで、序の口、三段目、幕下と、優勝を納めたことになります。
 残念ながら、序二段だけは全勝だったものの、優勝決定戦に敗れて優勝は逃しています (^_^;

 まぁ、少し回り道をする事にはなりますが、おそらく佐久間山にとってこの程度の挫折は、なんでもないことに違いありません (^^)v

 「十両に上がるのが目標じゃないんで。もっと上を目指していきたい」

 これは、今場所6勝目を挙げ、連勝記録の新記録となる27連勝を決めた時のことばです。

 当然の事ですが、佐久間山本人も、関取になれればそれでいいなんて思っているほど志の低い力士では無いわけで、この力士、どこまで上り詰めることができるのかマジで楽しみです p(^_^)q ワクワク

 

 ただ、今までの記録保持者だった板井ですが、デビュー当時の期待とは裏腹に、関取となってからの成績はパッとせず、最高位も小結止まりで、いろいろと角界に芳しくない話題を残して廃業し、角界を離れた後も八百長問題で度々マスコミにも名前が挙がるような、個人的にはあまり好きではない力士の一人である事も事実でして、そういう点だけは同じ道を歩んで欲しくはないなと (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

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2012年1月22日 (日)

カレーの日

 今日は「カレーの日」なんだそうで、1982年といいますから、昭和57年の今日、全国の小中学校で一斉にカレーの給食が出されたことにちなんで、全国学校栄養士協議会が決めたそうです。

 

 今も昔も、子ども達はカレーが大好きで、それは子ども達に限らず、カレーラーメン「国民食」とまで呼ばれ、老若男女、全ての人に愛されていますから、これが苦手で食べられないという人は、日本中探してもまず居ないんじゃないかと思います(苦笑)

 

 それはともかくとして、私の給食の思い出といえば、やはり「脱脂粉乳」を抜きには語れません (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 小学校に入学した当時から、お弁当の時間には決まって脱脂粉乳がアルマイトのお椀に注がれて配られました・・・

 個人的には、皆が言うほど不味いものではなかったと記憶していますが、かといってそれほど美味しいモノでもありませんでした (^^;

 皆に不評で、残す子供も多かったこともあり、給食のおばちゃんはいろいろと工夫を凝らして脱脂粉乳をこしらえてくれまして、時々コーヒー牛乳ふうに味付けして出してくれたことがあって、その時にはけっこう飲み干す子ども達が多かったです。

 

 その「脱脂粉乳」も、高学年になった頃、突然打ち切られ、「味噌汁」に替わった時には驚きましたねぇ(笑い)
 田舎者ゆえ、味噌汁の人気は高く、皆が競っておかわりをしたので、脱脂粉乳の時のように残るようなことは無くなりました。

 その時に、確か「カレー」も出されたような記憶があるのですが、さすがに半世紀近くも経ってしまうと、ホントにそんな給食が出されたことがあったかどうかさえ、あやふやな記憶でしかありませんが・・・ (;^_^A アセアセ・・・

 「カレー」といっても、普通のカレーではなく、単に調味料の味噌がカレーに替わっただけで、肉なんて入っていない、カレー味のみそ汁・・・といった感じの情けないシロモノだったと思うのですが、それでも当時の子ども達は大喜びでカレー汁を食べていました o(*^▽^*)o~♪
 もちろん、私もその中の一人だった事はいうまでもありませんが・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 今でも、私はカレーには目がない方でしてね、夏バテなんてした事はありませんが、どんなに体調不良で食欲が無いような時でも、カレーだけは別腹で食べる事ができるのが私です (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

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2012年1月21日 (土)

新しい風

 大相撲の初場所は、昨日13日目を終え、大関の把瑠都が13連勝を決めた一方で、横綱の白鵬は琴欧州にいいところなく寄り切られて3敗目を喫し、千秋楽を待たずに、13日目で把瑠都の初優勝が決まった ヽ(^◇^*)/

 

 土つかずの13連勝を決めた把瑠都は、12日目の稀勢の里戦で、立ち合いの変化で星をつかむという奇襲戦法に出て場内から大ブーイングを浴びた。
 しかし、私は大関の把瑠都や安馬が注文相撲で勝ったからといって、皆が思うように大関らしくないとは全く思わない。

 なぜなら、彼等は日本人力士ではなく、外国人力士だからです。

 

 大相撲は、その興りから、純粋な「スポーツ」ではなく「興業」だと私は考えています。

 要するに「見世物」なワケですから、そこには「勝ち負け」以外の様々な要素がついて回るわけで、その一つが「らしさ」という事になるのだと思います。

 横綱には横綱としての、大関には大関としての貫禄というか、器量というか、いわゆる堂々とした土俵態度が求められるわけで、そういう重い地位にある力士が、いたずらに変化などをして星をつかむのは、姑息で「品がない」という事になり、そういう事をした力士に対しては、観客からも容赦ないブーイングが浴びせられて当然という事になります。

 

 しかし、そういう大相撲の「様式美」みたいな精神論は、日本人力士に対してなら私もそうあるべきだと思いますが、外国人力士にまで同じように求めていいモノなのでしょうか・・・

 たとえ外国人であっても、大関とか横綱とか、そういう角界を代表する立場にある者であれば、当然、日本人としての「心」をもって土俵を勤めるべきだという意見があるのも当然なのかもしれませんが、私は外国人に対して「心」まで日本人になれというのは、関係者やファンの傲慢ではないかと思う次第です。

 

 例えば、朝青龍が角界のワクからはみ出した横綱で、品格に欠けるという理由から、最後は詰め腹を切らされるように角界から叩き出されてしまいましたが、私はアレはあまりにヒドイ仕打ちだったと思っている一人です。

 外国人力士たちは、いわば日本に出稼ぎに来ているだけの存在ですから、たとえ大相撲で成功しても、角界に骨を埋めようナンて殊勝な人はまず居ないと思います。
 それは、高見山や小錦が活躍していた頃とは時代が違うからであり、右を向いても左を向いても外国人力士が大勢いる今の角界においては、帰化をしてまで角界に残ろうなんて思いで相撲を取っている力士は、まず居ないだろうという事ですよ。

 要は、手っ取り早くカネを稼ぎたいと思って角界に入門してくる外国人力士がほとんどなわけで、それは白鵬や安馬にしても同じなわけですが、たまたまこの二人は人間ができているというのか、それとも他の外国人力士たちとは心がけが違うのか、何かにつけて優等生ぶりを見せてくれていますから、把瑠都とか琴欧州とか、そういう外国人大関はワリをくってよく批判の対象にされています (^_^;

 

 しかし、彼等外国人力士たちからみれば、どんな手を使って勝とうとも、1勝は1勝の価値しかないわけですから、楽して勝ちたいと思っても自然なことだと私は思う次第です。

 それを責めてみたところで、所詮は文化の違いですから、理解されることはないだろうと私は思います。

 

 特に、今回優勝した把瑠都なんか、いつもヘラヘラと笑っているので、ちっとも力士らしくないなどと、バカバカしい事を平気で口にする評論家や相撲関係者も居る始末で、なぜ力士が笑っているといけないのか、私には全く理解できません (ノ_-;)ハア…

 

 できる事なら、来場所も把瑠都に優勝してもらって、今まで見たこともない「陽気な横綱」として角界に君臨してもらいたいと思っているのは私だけでしょうか・・・

 いや、ぜひそうなってもらって、角界に新しい旋風を巻き起こして欲しいですねぇ ヽ(^o^)尸

 

 しかし、こういうめでたいニュースがスポーツ新聞の一面を飾らないのはなぜなんだろうと思わざるを得ない・・・ (ノ_-;)ハア…

 今日の東京版のスポーツ新聞は、ほとんどがダルビッシュが一面で、把瑠都の初優勝を一面で取り上げた新聞はただの一紙も無いというのはどういう事なんだろう(怒り)

 情けない・・・ (__;)

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2012年1月20日 (金)

不可思議な交差点

   20120120001

 これは、千葉県内の香取市内を走る、国道356号線を撮ったもので、銚子方面へと向かう運転席からの光景です。

 

20120120002 20120120003

 片側2車線の国道なんですが、市街地のはずれにある「佐原消防署脇」の交差点から先は1車線になっているので、交差点の手前はこんなふうに左側車線が規制され、右側車線へと合流を余儀なくされます。

 まぁ、それはそれでやむを得ない事だと思うんですが、問題なのは合流した先の交差点の状況が納得いかないなと・・・ (ノ_-;)ハア…

 

   20120120004

 これが私が問題にしたい交差点の様子です・・・

 

 あろう事か、合流を促すゼブラゾーンの先には、左折専用のレーンが設けられており、左折する車はそこを利用しなければ左折できません。

 しかし、左折レーンの右側には、車線変更禁止を示す、黄色い実線が引かれており、この左折レーンに進入するためには、いったん右側の車線に合流した後、ゼブラゾーンから黄色の実線へと変わる間に引かれている、白い点線の部分で車線変更を完了する必要があるわけです・・・

 ただ、実際には、この道路はけっこう混み合う場所なので、そういうお役所が思い描くようなルールは無視されるのが普通で、「佐原消防署脇」の交差点を左折しようとする車は、左側車線を走ってきて、そのまま車線変更をせずに、ゼブラゾーンを直進して左折レーンに入って行く車がほとんどです (;^_^A アセアセ・・・

 そういう、ルールを無視した車が、交差点からゼブラゾーンの方まで数珠つなぎになって止まっている光景も珍しくありません・・・ (__;)

 

 そもそも、このゼブラゾーン左折専用レーンは、なんのために設けられているのかと私は言いたいわけですよ q(`o')ブー!!

 このゼブラゾーンと左折専用レーンが無ければ、普通に左側車線を走ってきて、そのまま左折できるわけでしょ。

 で、交差点を過ぎてから合流させれば、誰も戸惑うことなく、スムースに走れると思うのですが、そうではなく、交差点の手前でムリヤリ合流させようとするから、ルールを無視してゼブラゾーンを突っ切る乱暴な車が横行する状況を作り出してしまうわけですよ。

 

 私は、一応プロのドライバーですから、この交差点を左折する必要がある場合には、仕方なく右側車線に移って、なかなか前に進まない状況にイライラしながら、左側のゼブラゾーンを当たり前のように走って追い抜いて行く車を横目で眺めるのが常です (^_^;

 この交差点は、悪名高い渋滞のポイントですから、いつ交差点にたどり着けるのかわからないままに渋滞の中にはまっているよりは、いけないことだとわかってはいても、最初から左側車線を走ってきて、そのまま直進したい気持ちは十分にわかります。

 

 第一、先にも述べましたが、左折レーンにはゼブラゾーンの方まで延々と車が止まっていることも珍しい事ではないので、ルール通りに一度右側の車線に移り、白い点線の部分で車線変更をしようとしても、なかなか左折専用レーンには入れてもらえない事もあり、そうすると肝心の直進レーンに並んでいる車が前に進めないという、本末転倒の事態も発生し、さらに渋滞に輪をかける事になってしまうという悪循環が繰り返されます (ノ_-;)ハア…

 そんなこんなで、ここの交差点は悪名高い渋滞のメッカとしてドライバーの不評を買っているしだいです・・・(怒り)

 

20120120005  こんなゼブラゾーンと左折専用レーンは、いっその事、無くしてしまって、こんな感じのどこにでも在る「普通の交差点」にして、合流は交差点の先で行なった方が世の中のためだと私は思います。

 交差点の先には合流のための車線を作るスペースは十分にあるわけですから、なぜそうしないのか、お役所の考えることはよくわかりませんねぇ・・・ (__;)

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2012年1月19日 (木)

宵越しの銭

 「宵越しの銭は持たねぇ」というのは、江戸っ子のセリフとして有名ですが、多くの人は江戸っ子は気っぷがいいから、持っているお金はパ~ッと使うのが粋だと思っていたので、そのようなセリフを口にしたんだろうというように思っていますが、実はそれは大きな勘違いです。

 

 現代と違い、江戸時代の頃の庶民には、お金を貯めようにもその手段が無かったので、有り金は残らず使ってしまった方が「得」と考える人が多かったためと思われます。

 

 お金を貯めたくても、できなかったなどというと、なぜなんだろうと思われる方も多いと思いますが、まず、当時の住宅にはカギが無かったという事が挙げられます。

 時代劇をご覧になった事のある方ならご存じだと思うのですが、就寝前などに、入口の引き戸に心張り棒をあてがって戸が開かないようにしているシーンをご覧になった方も多いと思いますが、アレは家の中に人が居るからできるわけで、外出する時にできる業ではありません。
 なぜなら、表から家の中の戸に心張り棒をあてがうことはできないわけで、もし仮にできたとしても、今度は家人自身が外から戸を開けられなくなってしまいますから (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 で、当時の人は、外出する時に戸や窓にカギはかけずに出かけるのが一般的だったわけで、外出している間に泥棒にお金を盗まれる心配は常にあったわけです。
 金庫のような防犯グッズもなく、たいていは床下とか天井裏とかにお金を隠すのがせいぜいだったとすれば、家の中にお金を残しておくことは危険極まりない所行だったというわけです。

 それでも、奥さんが家を守っていてくれる場合には、一応、留守ではないわけですから、空き巣に狙われることはなかったでしょうが、居直り強盗のようなケースではどうしようもなかったと思われます (^^;

 

 お金持ちなら、蔵のような頑丈な建物の中にしっかりした錠前をかけて保管しておくことも可能だったと思いますが、そういう場合にも、火事だけはどうしようもなかったわけで、「火事と喧嘩は江戸の花」ナンてことばが残っているほど、当時の江戸では火事が頻繁に起こったといわれています。

 Wikipediaによりますと、関ヶ原の戦いの翌年となる1601年から、大政奉還の行なわれた1867年に至る267年の間に、江戸では49回もの大火が発生し、大火以外の火事も含めれば、1798回もの火事が起きたと記録されているそうです (^_^;

 つまり、江戸市中では、二ヶ月に一度はどこかで火事が起き半年に一度は大火があった計算になります w(゚o゚)W

 

 木と紙でできた住宅ですから、火事が起きればひとたまりもなかったでしょうし、全財産が一度に焼失してしまうワケですから、そんな事になる前に使ってしまった方がマシだと考える人が多かったとしても不思議ではないと思います。

 決して、江戸の庶民は、キリギリスみたいなその日限りの毎日を送っていたわけではなく、家の中にお金を残しておくことができなかったので、やむを得ず使い切ってしまうようにしていた・・・ と考えるのが妥当なのではないかと思う次第です (^_^ゞポリポリ

 

 現代では、誰もがカギの付いた住宅に住んでいますし、普通は銀行のようなところにお金を預け、カードや通帳を使って、いつでもどこからでも出金できますから、江戸時代の人達が知ったら、ずいぶんと便利な世の中になったと羨ましがる事でしょうねぇ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

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2012年1月18日 (水)

20周年に思う

 来月の5日、私がパソコン通信を始めてから、20周年となります (^_^ゞポリポリ

 新しい物好きな私が、当時PCショップに勤務していたこともあって、趣味と実益を兼ねて始めたものです(苦笑)

 その辺りの事は、5年前にも「思わぬ記念日」という記事の中で語ったことがあります。

 

 しかし、当時は今のようにインターネットの環境が整っているわけでもなく、モデムという機械を電話回線につないで行ない、やり取りできる情報もテキストだけという貧弱な状況でしたが、それでも私にはおもしろくて仕方がありませんでした。

 そういえば、かつて「ハム」と呼ばれるアマチュア無線が流行ったことがあります。
 遠く離れたところに居る同好の士と、交信を通して仲良くなり、お互いの情報を交換し合う・・・
 思えば、当時のパソコン通信にもそれと似たような雰囲気があったのかもしれません。

 「パソコン通信」などということばそのものが、いかにも古めかしい印象を与えると思うのですが、当時メジャーだった「Nifty 」の会員となり、そこの会議室で発言を繰り返していく中で、多くのネッ友さんたちと出会いました。

 

 そういう中で起きた、1995年の「阪神・淡路大震災」・・・

 昨日は、その「阪神・淡路大震災」から、17年目という事で、神戸市を中心に各地で追悼行事が行われたそうです。

 

 当時は成田ではなく、八街市内に住んでいましたが、朝、普通に起き出してテレビを点けたワケですが、その時のショッキングな映像は今でもよく覚えています・・・

 震災直後の映像で一番印象に残っているのは、高速道路が倒れているシーンで、正直、私の人生の中であれほど大きな災害を目にしたことはなかったものですから、ただただ、ことばも無くテレビの映像に釘付けになっている私がいました・・・

 

 あの大震災を境に、何人かのアクティブ会員さんがネットから消えていきました・・・

 直接被災した方の中にアクティブさんがいらしたのか、そうでないまでも、震災によりパソコン通信を続けられない状況に陥ってしまったのか、そこいらの事情はわかりかねますが、ハンドルネーム以上の情報は持ち合わせてはいませんから、どうしていつものように会議室に現われないのか、その理由はわからないままで、ネットでのつながりというのはなんと脆弱なものかと思ったのを思い出します・・・

 

 おそらく、これだけ大きな天災は、私の人生においては二度と遭遇することは無いだろうと思っていたのですが、まさか、それを大きく上回る大震災が、それも私の故郷を含む東北地方で起きてしまうとは・・・ (__;)

 

 幸い・・・ということばが相応しいのかどうかはわかりませんが、私自身は、どちらの大震災でも直接的な被害はありませんでしたが、それは単に運が良かったという事だけのことであり、いくつもの火山帯や台風の進路上に日本列島が在るという事を考えれば、地震や台風などの天災からは逃れられないわけですし、今までが大丈夫だからといって、これからもそうであるという保証など何処にもないわけです・・・

 

 私がこんなふうにブログなんか書いて、ネット歴20周年なんて事をお気楽に語っているという、その事実一つを取り上げてみても、その背景には、気付くと気付かないとに関わらず、数え切れないくらいの幸運と、たくさんの方のお力添えがあったればこそ、こうして「普通の生活」が、昨日も、今日も、そして、おそらくは明日からも、送れるというワケですよ (^_^ゞポリポリ

 

 私のネット歴が、来月無事に20周年を迎え、さらに30周年、そして40周年・・・ と、これからも細く長く続けていけることを願いつつ、今日の更新とさせて頂きます・・・

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2012年1月17日 (火)

北風

 今は冬ですから、北西の季節風が多く吹く季節です。

 一般に、「北風」と呼ばれるヤツですが・・・

 

 「東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花
           主なしとて 春な忘れそ」

 これは、菅原道真が太宰府に左遷させられ、都を去る時に詠んだ歌として有名でして、冒頭の「東風」「こち」と読むのは多くの人がご存じだろうと思います。

 なぜ、「東風」と書いて「こち」と読むのか・・・

 理由は定かではありませんが、一説によると、瀬戸内海の漁師ことばが語源ではないかとも言われているそうです。

 

 それはともかくとして、「東風」に「こち」という独特の読みがあるように、あまり知られてはいませんが、「南風」・「西風」・「北風」にも、それぞれ古来よりの読みが存在します。

 「南風」・・・はえ

 「西風」・・・ならい

 「北風」・・・あなじ

 上のように読まれているそうですが、「南風」を「はえ」と読むのは、なんとなくわかるような気もします。 (^^;
 南風が吹く季節になると、暖かくなってきますから、飛び回る蝿の数も増えるので、それで「はえ」なんでしょうか・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 ただ、「北風」は一応「あなじ」とはなっていますが、「西風」と同じく、「ならい」と読むこともあるんだそうで、ややこしいというか・・・ (;^_^A アセアセ・・・

 千葉県の鴨川市には、「北風原」という地名が在り、読み方は「あなじはら」ではなく、「ならいはら」と読みます (^^)v

 

 

 どうして「西風」と「北風」が同じ読みになるのか・・・

 そんなだから日本語は難しいなどと言われてしまうわけで(苦笑)

 

 来月には立春を迎え、暦の上では春となるわけですが、今しばらくは「北風」とお付きあいしなければならないわけで、先月から比べれば多少日が長くなってきてありがたいなと思っている私がいますが、昨日の関東なんか、身も凍るほど寒~い一日になりまして、生活していく上では、「北風」の読み方なんて「あなじ」だろうと「ならい」だろうとそれほど大きな違いはないんじゃないかと思っている私がいます・・・ (^◇^) 。。。ケラケラ

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2012年1月16日 (月)

初詣 2012

 昨日の小正月、家内と成田山新勝寺に初詣に行って来ました。

 例年、混み合う松の内を避けて、1月の中旬頃に詣でるのが私流の初詣なんですが、そうはいっても平日ではなくて日曜日に参拝するワケですから、さすがに松は取れたとはいえ、その人出はハンパではありませんが・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

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 午前中に仕事をして、午後からはいろいろとヤボ用を済ましてからの参拝でしたので、時間的には16時くらいの、すでに夕方という時間帯の初詣でしたが、それでも参道はご覧のような状況で、毎年のことではありますが、全国的に有名な寺社仏閣への初詣というのは、それはそれでなかなかたいへんなものですよ (^◇^) 。。。ケラケラ

 

   20120116003

 初詣を済ませ、帰り際にいつものお店で縁起物の熊手を買って、今年も無事に初詣が終了しました。

 

 今年も、昨年新しくできた時間貸しのパーキングを利用したんですが、詣でた時間が時間だったので、お参りと熊手を購入しただけで、早々に成田山を後にしたので、1時間以内の駐車という事で、表示された料金はたったの100円でした o(*^▽^*)o

 成田山周辺の駐車場は、時間貸しではなく、一度入れると1日分の駐車料金が請求されるシステムがほとんどなので、相場からいっても、初詣に要した駐車料金がたったの100円というのは異例中の異例だと私は思います。

 

 昨年はもう少しゆっくりと参拝したので、さすがに100円では済みませんでしたが、それでも200円しかかかりませんでしたから、私が今まで利用していた市営駐車場の400円から比べてもかなりリーズナブルだと言わざるを得ません。

 山門に近い民間駐車場の相場は、800円から千円ですから、参道への入口に在る駐車料金が60分あたり100円というのは、このあたりの駐車料金の相場を破壊するに十分な価格設定だと思います。

 

 元ジャスコの敷地だったこともあり、更地になった今でも十分すぎる広さがあるからなのか、はたまた、私が停めた時間が時間だったからなのか、そんな重宝な駐車場なのに、空いているスペースはいくらでもありまして、どうしてこの駐車場が人気がないのか理解できませんねぇ・・・ (^_^;

 周りの駐車場から比べても、この駐車場が見劣りするのは舗装されていないことくらいなものでして、そんな事くらいでユーザーから敬遠されるとしたらなんという愚かな事かと私は思う次第です。

 まぁ、私が利用する駐車場ですから、利用する客は少ない方が私には都合がいいのはいうまでもありませんがね (^◇^) 。。。ケラケラ

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2012年1月15日 (日)

成人の日

 今日、1月15日は、私など昭和世代の人にとっては「成人の日」という事で、それなりに感慨深い日であると思うのですが、ハッピーマンデー法という愚法の導入により、2000年からは1月の第2月曜日ということになってしまったので、毎年「成人の日」が違うという事態になってしまいました (ノ_-;)ハア…

 他の祝日でもそうだと思うんですが、何のためにその祝日が制定されたのか・・・

 そういう事を考えたら、いたずらに祝日の日付を変えるというのはいかがなものかと思うしだいです・・・ q(`o')ブー!!

 

 それはともかく、成人式のルーツは埼玉県にあった・・・ということを先日知りまして、チョッと意外な感じがしましてね。
 こういう祝日がらみのイベントというのは、国が音頭を取って行なうものだと思っていたものですから、発案者も霞ヶ関のお役人で、その指示のもとに全国に広まっていったと思っていました。

 

 埼玉県の南部に、蕨市というところがありまして、そこが日本で初めて「成人式」を行なったとされています。

 当時は、埼玉県北足立郡蕨町だったそうですが、敗戦により希望を失い、すっかり元気の無くなってしまった若者たちを励まそうと、昭和21年の11月に町の青年団が企画して行なわれた「青年祭」が評判となり、国が昭和23年に制定した「祝日法」の中にも、「成人の日」が設けられることになりました。

 蕨市が「青年祭」を行なったのは11月でしたが、国が決めた「成人の日」は1月15日でした。
 これは、1月15日は小正月であり、かつて元服の儀がこの日に行われていたので、それに由来するといわれています。

 これにより、毎年成人の日には、蕨市に敬意を表して、同市の成人式の模様がニュースで取り上げられているようだと、埼玉の住人だった家内から教えてもらいました (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 ただ、蕨市では「成人式」とは言わないんだそうで、昭和21年の第1回からずっと一貫して「成年式」と呼んでいるということで、そのあたりにも生みの親としての誇りがあるんだろうなと・・・

 

 昨年も「成人式」というタイトルで、私の成人式の想い出を語ったことがあります (^^ゞ

 誰にとっても、記念となるであろう「成人式」・・・

 いつまでも心に残る日となれば幸いです・・・ (*^.-^*)♪

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2012年1月14日 (土)

千葉鍋

   20120114001

 この冬の我が家のお気に入り・・・

 「ミルフィーユ鍋」です (*^.-^*)♪

 

 家内がテレビで見て、見よう見まねで作ってくれたのがエライ美味しくてね、以来、我が家の食卓によく上るようになりました (^^)v

 

 見よう見まねで作ったので、最初のうちは料理の名前もわからなくてね、家内が勝手に「豚肉と白菜の鍋」ナンて言ってたんですが、そのうちにテレビで「ミルフィーユ鍋」という名前だという事を知り、家内は妙に納得していました(笑い)

 白菜と豚肉が交互に重なっている様は、ミルフィーユ菓子そっくりだという事ですが、あいにくと私ゃ、そんなハイカラなお菓子など見たことも食べたこともなくてね (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 ところで、「ミルフィーユ」というのはフランス語でして、「Mille」(ミル)は「千」「Feuille」(フイユ)は「葉」ということで、「Mille Feuille」は、直訳すると「千枚の葉」という意味になるそうで・・・

 ということは、「ミルフィーユ鍋」というのは、「千葉鍋」ということでいいのかなと (^◇^) 。。。ケラケラ

 通りで、一度で我が家のお気に入りになったワケだ o(*^▽^*)o~♪

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2012年1月13日 (金)

明治神宮

 明治神宮といえば、初詣では毎年日本一の参拝客を集める事でも知られています。

 その数は、三が日で300万人を超えるといいますから、例年、一日あたり100万人を超える参拝客が詣でるわけで、ただただ、スゴイとしか言いようがありません (^_^ゞポリポリ

 

 明治神宮には及びませんが、私の住んでいる成田にも、成田山新勝寺がありまして、やはり300万人近い参拝客を集めることで有名でして、神奈川県にある川崎大師と共に、初詣の人出ランキングでは明治神宮に次ぐベスト3には必ず入ります (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 この明治神宮ですが、明治天皇とその皇后が祀られていることは周知の事実ですが、昔からあった神社というわけではなく、明治天皇が崩御してから建立が決定され、大正9年に完成したとされています。

 当然、神宮の森とよばれる70万平方メートルにも及ぶ広大な森も、人工的に作られたものであり、人の力というのもけっこう凄いなと(苦笑)

 

 それはともかくとして、私が住んでいる成田の十余三(とよみ)地区にも、なぜか「明治神宮」が存在します (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 下は、その写真なのですが、こぢんまりとしたその社殿は、とても「明治神宮」と名乗るのはおこがましいようにも思えますが、実はこの神社、地元の人の要望からできた明治神宮の遙拝所(ようはいじょ)という事で、大正13年に宮内省の建設許可が下りて建設されたものだそうです。

 

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 「遙拝所」というのは、遠く離れた所から神仏を拝む事を目的に作られた場所ということで、簡単に言うならば、なかなかそこに行って参拝することが叶わない人々のために設けられた「出張所」のようなものと考えて頂ければいいのかなと (^^ゞ

 そのために、この成田の明治神宮に参拝すると、その拝殿の背後のず~っと向こうには、東京代々木の明治神宮が在るように造られているので、成田に居ながらにして、東京の明治神宮にお参りしている事になります。

 当然、今年も三が日にはこの遙拝所に詣でた地元の方は多いと思いますが、だからといって、その方たちは東京の明治神宮の参拝客には含まれていないと思います (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 なぜこの地に明治神宮の遙拝所が建設されるに至ったのか・・・

 それは、この地が御料地として皇室とも縁故が深かったということで、開墾地で生活する人々のためにも、崇める信仰の対象が必要であり、当時できたばかりの明治神宮をこの地から参拝したいと考えた住民たちの切なる願いからだったそうです。

 

 初代の遙拝殿は、昭和25年に建替えられたそうですが、その二代目の遙拝殿も、そばを通る主要地方道の改修工事にともない、境内の一部が道路用地として買収されることになり、築後50年を経て老朽化も甚だしいということで、これを機会に遙拝殿の新築を行なう事を決め、平成12年に三代目となる現在の遙拝殿が完成しました。

 

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 これが、今現在の明治神宮周辺の航空写真なのですが、ご覧のように遙拝所の境内のすぐ北側を斜めに道路が走っています。

 この道路は県道44号線、通称「小見川街道」と呼ばれる主要地方道であり、成田から茨城県の鹿嶋市に至る、地元でも利用価値の高い重要路線です。

 写真のすぐ下側に成田空港があり、上方向に向かうと鹿嶋市です。

 

 20120115001

 

 しかし、以前は、こんなふうに遙拝所のところを迂回するように道路が造られていました (^^;

 おそらくは、遙拝所の方が県道よりも歴史が古いので、道路を創るにあたっては遙拝所を移転するなどというような畏れ多い発想は無く、そのために道路はカクンカクンと二度直角に曲がるクランク状に造らざるを得なかったのでしょうが、この道路はけっこう交通量も多いので、走りにくい事この上ありませんでした。

 写真では、すでに用地買収が済み、境内の背後まで工事も進んでいる状況です。

 

 今のように、道路の改修工事が済み、真っ直ぐに走れるようになったのがいつの事だったか、ハッキリとは思い出せませんが、せいぜい、ここ2~3年の事です。

 最近では、皆、当たり前のように新しく開通した真っ直ぐな道路を走っていますが、ついこの間までは、この道路は畑と神社の境内だったというわけです (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 いわゆるバイパス工事により、ほとんどの人が明治神宮の前を通ることは無くなったわけで、今は多古・匝瑳方面に向かう道路を利用する人だけがこの遙拝所の前を通るだけになってしまいまして、これにより、この遙拝所の存在は人々の記憶からもしだいに忘れられていく運命にあるんでしょうかねぇ・・・ (;^_^A アセアセ・・・

 もちろん、ここに住む十余三地区の人たちにとっては、これからも変わらない信仰の対象であり続けるのでしょうが・・・

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2012年1月12日 (木)

マーキング

 運送屋なんて仕事をしていますと、一日のほとんどを車の運転席で過ごすことが多いわけで、誰にでも経験があると思うんですが、そういう時に一番困るのが「生理現象」というヤツです (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 私の場合、基本的には、高速道路の「SA・PA」や、一般道では「道の駅」を利用するようにしているんですが、いつもいつも都合よくそういう施設がある道路を走っているわけでもなく、そういう時に利用するトイレがいくつかあります (;^_^A アセアセ・・・

 

 まぁ、以前とは違って、コンビニがどこにでも在る時代ですから、そういうところを利用すればコトは足りるワケで、実際に私もコンビニのトイレはよく利用する方です(苦笑)

 しかし、私はアタマの固い人間ですから、コンビニに入ってトイレだけを利用して出てくることにとても抵抗があります (^^ゞ
 で、トイレの使用料としてガムやアイスクリーム等の菓子類とか飲み物なんかをついでに購入することになるわけなんですが、そうそういつもいつも欲しいモノがあるワケじゃないというか、ムダな買い物はできないわけでして、そういう時に、さてどうしようかと考えるわけですよ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 ガマンするのも一つの選択肢ではありますが、ガマンして目的地で済ます事ができるのならともかく、そういうアテもないのにいたずらにガマンしていると、集中力が散漫になり、マトモな運転はおぼつかなくなってきますから、危ない事この上ありません(笑い)

 

 そういう時に私のアタマの中に浮かんでくるのは、まずホームセンターやスーパーなどの大きなショッピング施設です (^_^ゞポリポリ
 そういうところなら、駐車場も広いですし、トイレだけを使って出てきても罪悪感を感じずに済みますから (^◇^) 。。。ケラケラ

 次に、公園などに設けられている公衆トイレというヤツです (^^)v
 都内を始めとする街中にはけっこうそういう施設がありますので、とても重宝しています (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 私がこの仕事を始めた頃には、「東京タクシー近代化センター」が発行している「都内交通案内地図」という、タクシー運転手御用達の地図を使っていました。
 この地図には、公衆トイレの場所が地図上に克明に記載されており、とても重宝したのを覚えています。

 

   20120110004

 今は、こんなふうにカーナビにトイレの情報も入っているので、いつの間にかそういう地図も必要なくなりましたが(笑い)

 

 それはそうと、長年走っているとよく利用する道路というのはある程度決まってきまして、目的地へと向かうのに、いくつもあるルートの中からよく知っていて走り慣れた、いわゆる「お気に入りのルート」と呼ばれる道を選択するのが常であり、そういう道は誰でも持っていると思います。

 そういう道ですと、道筋に在る施設の情報なんかもよくわかっていますから、あそこの公園の近くを通るので、そこに在るトイレでマーキングしようなどという予定を立てることができます (^^)v

 

 私には、そういう、よく利用する「御用達のトイレ」がいくつもありまして、下はそんな公衆トイレを撮った写真です。

 別に、利用頻度のベスト3を挙げたつもりはありませんが、いずれも都内にある公衆トイレでして、私のお気に入りのルートに在るものですから、確かに利用する回数では他を圧倒していると思います (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 

20120110001  これは、墨田区の横川に在る「栗原橋際公衆便所」と名前が付けられている公衆トイレで、写真には写っていませんが、橋の上からはスカイツリーを間近に見ることができます。

 大きな通りに面しているわけではないので、知る人ぞ知る・・・という感じのトイレなんですが、千葉方面から一般道で豊島区とか文京区などに向かう時、抜け道として好んで用いる「春日通り」に至る道筋に在るので、行き帰りに利用することが多いトイレです (^^ゞ

 

20120110002  これは、江東区の扇橋に在る「江東区公衆便所」という、身もふたもない名前が付けられている公衆トイレで、三島橋公園の中に設けられています。

 やはり、千葉方面から日本橋や銀座方面へ向かう時に抜け道として利用する「清洲橋通り」に通じる道筋に在るので、利用する頻度も高いトイレです (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

20120110003  これは、江東区の東雲に在るトイレで、さしずめ「東雲駅前公衆便所」・・・という事になると思うんですが、特に名称らしき表示は見当たりませんでした。

 東京都江東区の新木場駅と東京都品川区の大崎駅とを結ぶ、東京臨海高速鉄道の「東雲駅」の真ん前にあるトイレでして、「湾岸道路」と呼ばれる国道357号線に沿って設けられている、抜け道を走る時に利用することが多いトイレです。

 湾岸道路は、仕事の行き帰りに利用することがとても多い道路なので、このトイレを利用する機会も自然と多くなります (;^_^A アセアセ・・・

 

20120110005

 

 ただ、来月の中旬には、待ちに待った「東京ゲートブリッジ」が開通する予定なので、それが開通すれば東雲付近を通る事は激減するだろうと思いますから、このトイレを利用することも少なくなるだろうと思います (^_^ゞポリポリ

 個人的には、けっこう愛着のあるトイレだったので、残念なことではありますが、新しい道路ができれば、自然と便利な方を走ることが多くなると思うので、それはそれで仕方がないことなのかなと思っています。

 

 以上、記事のネタとしてトイレを採り上げるという暴挙を行ないました。

 「不浄」ナンて別称があるように、普段は口の端に上ることさえはばかられるような話題ではありますが、生きていく上では欠かすことのできない大事な場所であると思っているので、不愉快な思いをなさった方にはお詫び申し上げます。

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2012年1月11日 (水)

優勝額

 日曜日から、東京両国の国技館で大相撲の初場所が開催されています。

 今場所も、昨場所に続いて新大関が誕生して話題を振りまいていますが、そういうめでたい話題をイッキに吹き飛ばすようなショッキングな話題が国技館全体を覆っています・・・ (__;)

 

20120110002  実は、両国国技館の二階席の真上の位置には、各場所の優勝力士を描いた「優勝額」が掲げられています。
 その数は、正面、向こう正面、東と西の四方に8枚ずつ、計32枚が常時掲額されています。

 この優勝額は、両国国技館で本場所が行なわれる初日に、前回の両国国技館の優勝力士と直前の地方場所の優勝力士の表彰が行なわれ、続いて優勝力士の優勝額の披露が行なわれます。
 スペースの都合もあって、掲げられる優勝額の数にも限界があり、32枚の優勝額のうち古い方から2枚を外し、新しい2枚を掲げるという事が毎回繰り返されてきました・・・

 

 ところが、最近の外国人力士の台頭に伴い、日本人力士の成績が振るわなくなり、今回新しく2枚の白鳳の優勝額を掲げるために、平成18年の初場所と春場所の優勝額が外されることになり、最後の砦だった栃東の姿が消え、とうとう、日本人力士の優勝額が1枚も無くなるという悲しい事態になってしまいました・・・ (ノ_-;)ハア…

 長い大相撲の歴史の中でも、日本人の力士が1枚も無いというのは、初めての事といわれ、いかに大相撲が危機的状況を迎えているのか、これ一つをとっても、如実に現われています・・・ (__;)

 

   20120110001

 

 これが、初場所が始まる前までの優勝額の配置図ですが、栃東と朝青龍の2枚が外され、替わって白鳳の2枚の優勝額が掲げられました。

 これにより、今現在の優勝額の顔ぶれですが・・・

 白鳳 20枚
 朝青龍 9枚
 安馬  2枚
 琴欧州 1枚

 こんな状況となりました・・・ (__;)

 

 思えば、高見山が優勝し、初めて外国人力士の優勝額が国技館に掲げられたのが昭和47年の9月のことでした・・・

 その後も、平成に入り、小錦が優勝し、曙や武蔵丸の台頭で、優勝額の顔ぶれの中に外国人力士の数も増えてはいきましたが、まさか外国人力士ばかりになってしまう日が来るとは、正直、夢にも思いませんでしたよ。

 

 どうしてこんな事になってしまったんでしょうねぇ・・・

 

 よく言われることですが、外国人力士は身体も大きいから、身体の小さな日本人力士では太刀打ちできないんだろうと・・・

 しかし、小錦や曙、あるいは武蔵丸などのハワイ勢が活躍していた頃ならともかく、今は外国人力士といってもモンゴル勢が中心であり、把瑠都とか琴欧州みたいな大型の力士も居るには居るんですが、そういう力士はむしろ例外的な存在であり、日本人力士たちと比べても身体が際だって大きいわけではありませんから、私は他に理由があるんだろうと常々思っています。

 

 では、今の外国人力士たちと、日本人力士たちとを比べた場合、どこに違いがあるのか・・・

 ズバリ、稽古のの差です。

 

 今の若手を始めとする日本人力士たちは、あまり「稽古」をしたがりませんからねぇ・・・ (ノ_-;)ハア…

 あまつさえ、稽古が嫌いだなどとぬけぬけとインタビューで答えるアホも居る始末ですから、強くなれるワケがありませんって q(`o')ブー!!

 それに加えて、四股やテッポウなどという古来からの稽古を時代遅れとかぬかし、筋トレを始めとする近代的なトレーニングとやらを一生懸命にやって、それをもって稽古だとほざく馬鹿者も増えており、そんなんじゃ相撲は強くなれないのは自明の理です。

 

 それに比べて、外国人力士たちは日本に来てから初めて相撲を取る事が多いわけで、そういう力士たちは先入観がありませんから、親方の言う事をけっこうよく聞いて、素直に稽古に励んでいるようです。

 第一、今の力士たちの中で、一番稽古量が多いのが、白鳳と安馬だといいますから、日本人力士たちが太刀打ちできないのも当たり前というか・・・ (ノ_-;)ハア…

 何事もそうですが、人間、素直でマジメでないと、どんなに素晴らしい素質を持っていても、伸びる事ができずにダメになってしまうという典型的な例なのかなと。

 

 まして、最近の力士たちは、下積みを嫌がり、中学や高校を卒業して前相撲から取るという正統派の力士は減っており、大学である程度の成績を残してから、幕下付け出しの資格を取って入門したがります。
 幕下付け出しの番付が得られそうにない時には、キッパリと相撲は諦めるという学生力士はたくさん居ます。
 学生相撲である程度の実績があるのに、中学卒などの連中と一緒になって関取の付け人となり、序の口のさらに下からスタートするという待遇は、プライドが許さないんだそうで(苦笑)

 そもそも、学生相撲出身で優勝した力士なんて、最近では琴光喜とか出島くらいで、栃東や魁皇はもちろん、大相撲の歴史を振り返っても、優勝力士のほとんどは前相撲から一生懸命に稽古を積み上げ、一段ずつ番付を昇ってきた力士たちだという事を忘れてはいけません。

 

 ところで、今回外された栃東の優勝額ですが、縁あって福島県の会津に在る、柳津町の観光協会に寄贈されることが決まっているんだそうで・・・

 と申しましても、栃東自身は東京都の出身ですから、福島県と直接縁があるわけではありませんが、彼の父親である先代の栃東が、福島県の相馬市の出身でありまして、私が子どもの頃には、唯一の郷土力士ということでけっこう応援していました (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 ちなみに、栃東は通算で3回優勝しており、過去の2枚は、父親の出身地である相馬市と、玉ノ井部屋のある足立区に寄贈したそうです。

 

 今度、両国国技館に日本人力士の優勝額が掲げられるのはいつの事になるんでしょうか・・・

 最右翼は、新しく大関になった琴奨菊稀勢の里あたりなんでしょうが、彼等にそれを期待するのは、ムリかもしれないなぁと思っている私が居ます・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

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2012年1月10日 (火)

1分の明暗

 昨日行なわれた高校サッカーの決勝戦をテレビ観戦しまして、千葉県代表の市立船橋が9年ぶり5度目の優勝を果たしました。

 

 それにしても、なんというか、予想していた以上にスゴイ試合になりました・・・ ヽ(^◇^*)/

 試合開始早々、右のCKからゴール前の混戦になり、得点王候補の浅野が押し込んでアッという間の先制~ (゚◇゚;)!!!

 記録では、1分のゴールとなりました (^^;

 

 私の予想では、堅守の市船が四中工の猛攻を凌ぎ、相手の隙を突いてなんとか1点を取って逃げ切りを狙う・・・というモノだったのですが、始まって直ぐにビハインドを背負い、攻めるしかなくなった市船の焦りをあざ笑うように、四中工はピッチを広く使って市船に主導権を渡しません。

 前半は完全に四中工ペースで、運動量も多く、ボールに対する寄せも早くて、市船はサッカーをさせてもらえなかった・・・というのが正直なところだったと思います。
 しかし、四中工に再三攻め込まれながらも、追加点を許さず、0-1のまま折り返せたことが、後半の反撃につながったのだと思いますねぇ (*^.-^*)♪

 

 後半も、序盤は四中工のペースで進むんですが、徐々に、徐々にではありますが、市船の動きが良くなり、ボールが回るようになってきます。
 もしかしたら、四中工の運動量が落ちてきたからそう見えただけなのかもしれませんが、中盤から終盤にかけては完全に市船ペースになり、特に終盤に見られた再三のCKは、いつ得点が入ってもおかしくなかっただけに、45分が過ぎ、ロスタイムに入った時には、さすがにもうダメかなナンて思ってしまいました (^_^ゞポリポリ

 

 そんな絶体絶命の状況の中、右のCKから同点ゴールを決めてくれた主将の和泉には脱帽です ヽ(^o^)尸

 記録では、後半の46分という事で、四中工にしてみれば、最初の1分に点した優勝の灯が、最後の1分で消されてしまったわけで、まさに「1分の明暗」だったのではないかと思う次第です。

 

 延長は、追いついた市船側に若干勢いがあったかなと思って観ていました。
 もちろん、ヒイキ目かもしれませんが・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 そんな中、延長後半の5分にたたき込んだ和泉の決勝ゴールは、見事というか、素晴らしく美しいゴールでしたねぇ (^◇^) 。。。ケラケラ
 切り替えしてDFを振り切ったシーンなんか、思わず、おお~っと唸ってしまいました (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 やはり、地元のチームが勝ってくれるのは嬉しいなと(笑い)

 

 しかし、番組の中で、これまでに敗退していったチームのロッカーでの様子などが放送されまして、皆、一様に泣いているんですが、私にはそれが理解できません・・・ (^_^;

 高校野球なんかでも、負けて泣いている選手をよく見かけますが、悔しい気持ちはわからないでもないけれど、だからといって人目をはばかることなく涙を流すなんて、無様でみっともないだけだと私は常々思っています。

 健闘空しく敗れた選手たちの涙を見て、感動する人も居るのかもしれないけれど、所詮は負け犬の遠吠え・・・というのとはチョッと違うけれど、涙の大安売りには違いないワケで、そんな程度の覚悟しかないから負けてしまうんじゃないかと私は言いたいですねぇ q(`o')ブー!!

 同じ泣くのなら、勝って泣けと声を大にして言いたいです。

 負けた時には、グッと堪えて、雪辱を誓えよ!
 それが戦うオトコの姿ってもんじゃないの!

 

 仮に、その試合を最後に引退するのであれば、自分自身で雪辱はできないわけですから、後輩にその思いを託し、独りになってから泣くくらいのコトがなぜできないのかなと・・・

 男が人前で泣いてもいいのは、産声を上げた時と、親が死んだ時だけだと言われて育った私には、とても納得いかない醜態ですな。

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2012年1月 9日 (月)

高校サッカー

 私自身は、ほとんど関心の無い高校サッカーですが、今日、国立競技場では、千葉県代表の市立船橋と三重県代表の四日市中央工との決勝戦が行なわれます。

 

 実は、今回の大会、準決勝の舞台には、福島県代表の尚志が立っていまして、四日市中央工と決勝をかけて争いました。
 福島県勢初のベスト4という事で、もし、準決勝で尚志と市立船橋が勝てば、決勝戦は福島県代表と千葉県代表の対戦になるワケで、そうなったら私はどちらを応援しようかなとマジで思っていました (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 残念ながら、尚志は四日市中央工に1-6で敗れ、決勝戦には駒を進められなかったわけですが、市立船橋の方は大分を2-1で下し、今日の決勝戦に臨むことができました ヽ(^◇^*)/

 

 今日は祝日ですから、仕事が入らなければ、久しぶりに高校サッカーをテレビ観戦してみようかなと思っているのですが、果たしてどちらの高校が優勝するんでしょうか・・・ p(^_^)q ワクワク

 

 思えば、私が前に高校サッカーを見たのは、94年の第73回大会で、前年にJリーグが華々しく開幕したこともあり、サッカーにはほとんど興味の無かった私も、勢いでテレビ観戦をしたというわけです (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 この時応援していたのも、千葉県代表の市立船橋であり、順調に勝ち進み、初優勝を遂げました (^^)v

 この時の優勝メンバーには、森崎嘉之北嶋秀朗鈴木和裕茶野隆行という、後にJリーグでも大活躍するそうそうたる顔ぶれが居まして、翌年、森崎、鈴木、茶野の三人は揃ってジェフ市原に入団し、市船トリオとしてけっこう話題にもなりました。

 鈴木と茶野はDFとしてレギュラーにも定着し、けっこう活躍したんですが、得点王になった森崎はいまいちパッとせず、96年には戦力外通告を受けてJ2のクラブに移籍していきました・・・ (^_^;
 高校サッカーの時には眩しいくらいに輝いていて、私ももちろん一番のヒイキ選手だったんですが、プロでは全く通用しませんでした (ノ_-;)ハア…
 おそらく、高校の時の活躍でちやほやされて、つい天狗になり、道を誤ってしまったんだと思うのですが、残念なことだと思っています・・・

 

 余談ですが、この時の大会には、ナンバーワンGKとして楢崎正剛が奈良育英の選手として出ていまして、準決勝では、得点王候補の森崎と、鉄壁の守備を誇る楢崎との対戦が、大きな話題にもなりました。

 

 あれ以来、市立船橋は4度の優勝を重ね、強豪校の仲間入りを果たし、今回は5度目の優勝を目指して、2度目の優勝を目指す四日市中央工と戦います ヽ(^o^)尸

 

 私が応援するのは、もちろん千葉県代表の市立船橋ですが、四日市中央工には共に6得点を挙げて得点王候補の、浅野と田村という強力2年生コンビが居まして、その破壊力はバツグンであり、市船が苦戦するだろう事は必至でして、いわゆる、攻撃力に勝る四日市中央工か、守備力に秀でた市船かという図式になるだろうというのがおおよその見方だと思います。

 おそらく、主導権は攻撃的なサッカーをする四日市中央工が握り、その隙を突いて市船がカウンター攻撃を仕掛ける・・・ というような展開になるのではないかと私は思っているのですが、さて、どうなりますことやら・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

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2012年1月 8日 (日)

七並べ

 今時の子ども達は、お正月といっても特別な遊びをするわけでもなく、相変わらずゲーム機を手に遊ぶことが多いんだろうか・・・ (^_^;

 

 私らが子どもの頃は、お正月といえば双六とかカルタ取りとかの遊びがポピュラーで、外では凧揚げ羽根つきなんて遊びをする子ども達も多かったと思います。

 そうはいっても、私のところのような田舎では、羽根つきや百人一首ナンて高尚な遊びをしている子供なんて一人も見かけた事はありませんが・・・ (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 当時のマンガ雑誌などにはたくさんの「付録」が付いているのが当たり前でしたから、正月の1月号には、双六とかカルタとか福笑いとか、そういうお正月用のグッズがたくさん付いてきたので、家族とか友達とか、大勢集まってそういうモノを使って遊ぶことも多かったですね。

 まぁ、お正月に限りませんが、当時の私が一番好きで遊んだモノといえば、「トランプ」でして、お店で売っている任天堂のプラスチック製のトランプはもちろん、雑誌の付録に付いてきた紙でできたチンケなトランプでもよく遊びましたねぇ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 そういえば、私が10代だった頃に流行ったトランプゲームがありまして、高校の時なんか休み時間ごとに「7ブリッジ」で遊び、勝った順に手のひらを重ねて一番下の者が上に乗っている者の手のひらを叩くとか、一番に上がった者が一番負けた相手の腕にしっぺをするとかの罰ゲームが楽しかったですねぇ (^◇^) ヒャッヒャッヒャ・・・

 

 不思議と、「大貧民」は会津ではそれほど流行らなかったと思うのですが、20代の頃、私のアパートに集まっては、毎夜毎夜「七並べ」をして遊んだことを懐かしく思い出します。
 20代前半だったと思うのですが、会津に住んでいる高校時代の友人たちが私のアパートに集まっては、徹夜で「七並べ」をして遊ぶ光景というのは、今思うとなんとも奇妙なモノだったと思うのですが、当時は真剣になって「七並べ」に興じていましたねぇ(爆笑)

 これが「麻雀」とかなら、大の大人が徹夜で興じるというのもわかると思うんですが、なぜか「七並べ」ですからねぇ、やっていた私自身も、なぜ「七並べ」であそこまで夢中になれたのか、ホントのところはよくわからなかったりします (_ _)ノ彡☆ギャハハ!!! バンバン!!!

 

 「七並べ」そのものについては今さら説明する必要は無いと思いますが、当時私らが遊んでいたソレは、かなりの「ローカルルール」を独自に設けていまして、それがために、あそこまで盛り上がったのではないかと・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 30年近くも経ってしまうと、細かなルールは忘れてしまいましたが、今でも覚えているのは、「七並べ」「大貧民」のルールを付け加えたというところが画期的だったと自負しております (^_^ゞポリポリ

 つまり、最初の1回目だけは普通にゲームを行ない、上がった順に「大富豪」「富豪」「貧民」「大貧民」というように序列を決め、席替えを行なった上で、「大貧民」は「大富豪」に「6」か「8」、もしくはそれに準じる好カードを2枚渡し、「大富豪」は「大貧民」に自分が不要だと思っているカードを2枚渡します。
 同じように、「貧民」と「富豪」もお互いの間でカードを1枚ずつ交換します。

 また、ジョーカーは1枚用い、ジョーカーが置かれた場所のカードを持っている人はそこにカードを出さなければなりません。
 ジョーカーは最後に出すことはできず、最終的にジョーカーを持っている人がゲームの敗者となり、「大貧民」となります。

 さらに、「K」まで、もしくは「A」まで到達した列は、以後は逆の方からカードを置かなければなりません。
 つまり、「K」が置かれた時点で、その列は「A」の方からしかカードを置けなくなりますから、仮に「6」を出さずに止めていた人が居た場合、「6」は一番最後でしか出せなくなります (^^;

 他にも、何かローカルルールがあったような気がしますが、よく思い出せません (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 手前味噌ながら、こんなふうにチョッとルールを変えただけで単純な「七並べ」が奥深いゲームに変わってしまいましてね、オトナでも時間を忘れてしまうくらい楽しく遊べました o(*^▽^*)o~♪

 そうはいっても、「七並べ」で徹夜できるなんていうのは、やはり変わっているのかもしれませんが・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

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2012年1月 7日 (土)

仕事始め

 今年の仕事始めとして、長野県に行って来ました。

 

 水曜日に荷物を引き取り、一昨日の朝に納品してきたのですが、今週は冬型の気圧配置が強まり、長野とか新潟などでは大雪警報が出ていまして、正直、雪道を走るのは苦手なので長野には行きたくなかったのですが、今年初めての仕事ですからねぇ、私にとっては「初荷」となるワケで、それを断わったりしたら、なんとなく今年一年の仕事が逃げていってしまいそうな気がしましてね (^_^ゞポリポリ

 それでなくても、昨年は仕事が薄かったので、ここはひとつ頑張ってみようかなと思って、思い切って引き受けることにしました (^^ゞ

 

 行き先は、下伊那郡の「喬木村」だったんですが、さて、皆さんにはこの村の名前がお読みになれますか?

 恥ずかしながら、私は納品伝票に書かれているこの村の名前が読めませんでした (;^_^A アセアセ・・・

 

 私は、難しい読み方とか変った文字が使われているなどの地名や人名が大好きでね、この「喬木村」という文字を見て、まず思い出したのが、黒澤明監督などの映画によく出ていた「志村喬」でした (^^ゞ
 彼の名前は「しむらたかし」ですから、もしかして「たかぎむら」と読むのかな~ナンて思ったんですが、案の定、それで正解でした (^^)v

 

 それはともかく、「伊那」という事で、中央高速の「伊那IC」の近くかななんて思い、軽い気持ちで引き受けたんですが、喬木村は郡部という事で、「伊那IC」からは40km近くも離れていまして、最寄りのICは「伊奈IC」から二つ先の、「松川IC」でしたよ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 一応、4日の深夜、中央道の小淵沢ICから伊奈ICまでの区間はチェーン規制がかかっていましたが、高速道路上に雪が積もっているわけではなく、ガチガチに凍り付いた圧雪が、薄~く路面に張り付いている・・・といった感じでして、スタッドレスを履いているとはいえ、さすがにスピードは出せませんでしたが、普通に60kmくらいのスピードで走る分には、それほどコワイ思いはしなくて済みました。

 規制を抜ければ、大雪警報なんてどこ吹く風で、さすがに寒さは厳しかったですが、お天気は晴天で、道路の周辺にも雪はほとんど無く、案ずるより産むが易しっていうのはこういう事をいうんだろうなぁなんて思いながら運転してました・・・

 甲府から諏訪にかけて、大きな月と星がとてもキレイで、もしかしたら、私は何か大きな力に守られているのかな~なんて思いながら伊奈を目差して走っていました (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

20120107002_2 20120107003

 これは、最寄りインターである、松川IC周辺の様子です。

 帰り道、午前9時前に撮ったものです (^^)v

 

20120107001 20120107004

 そしてこれが、喬木村の近くの高森町を走っている時に撮った写真と、諏訪南ICで下車し、国道20号線へと向かう県道を撮った写真です。
 いずれも、帰路途中に運転席から撮ったものです。

 今回の長野行きでは、この諏訪南IC周辺の県道だけ、少々コワイ思いをしましたが、その他は、おおむね雪で困るような事態には遭遇しませんでした o(*^▽^*)o~♪

 

 というわけで、今年の仕事始めは、なかなか順調な滑り出しかなと・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

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2012年1月 6日 (金)

ちあきなおみ

 かつて、「ちあきなおみ」という歌手が存在しました。

 主に70年代を中心に活躍した歌手なので、30代くらいまでのお若い方・・・
 もしかしたら40代くらいの方たちでさえその存在さえご存じない方も多いと思いますが、私なんかはモロにリアルタイムで聞いて育ったので、懐かしい思いをぬぐい去ることはできません (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 ちあきなおみ本人は、決して引退を宣言したわけではありませんが、92年に夫と死別して以来、完全に芸能活動を「休業」しており、表だった活動は一切しておりませんから、実質的には引退したのと同じ状況ではあるのですが、関係者やファンからは活動再開を望む声も多いと聞きます。

 

 私自身も、ちあきなおみの歌唱力については、その非凡な才能を認めてはいましたが、それほどのファンだったわけでもなく、単に「歌の上手い歌手」くらいの認識しかなかったのですが、先日、ラジオで、ちあきなおみの「ねぇあんた」という作品がたまたま流れまして、まぁ、ラジオで採り上げられること自体が珍しい作品ですので、私もそんな歌があったことを初めて知ったワケなんですが・・・ (^_^;

 最初のうちはラジオから流れてくる歌声を、なんとな~く聞いているだけだったんですが、そのうちにだんだんと歌の世界に引きずり込まれている自分に気付かされましてね、その圧倒的な歌唱力に、不覚にも涙が滲んでしまうという経験をしました (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 もちろん、歌に聴き惚れて感動するなんてことは珍しいハナシではありませんが、さすがに、歌を聴いて目が潤んだなんて体験はそうある事ではなく、さっそく帰宅してから「ねぇあんた」をネットで探してみました・・・ (;^_^A アセアセ・・・

 

 それが、下に貼り付けた YouTube の動画です ( ^-^)/ ♪

 お時間がありましたら、ぜひ一度お聞きになってみてください。
 好き嫌いは別にして、決して期待は裏切らないと思います(苦笑)

 

 

 世の中に、歌の上手い歌手なんて掃いて捨てるほど居まして、一頃はアイドルなんて呼ばれる、それこそ箸にも棒にも引っかからないような「歌手もどき」がたくさん居たものですが、最近のシンガーは若手も含めて、皆さんメチャクチャ歌が上手くてねぇ、そういう粗製濫造の「まがい物歌手」は少なくなりました。

 しかし、そうはいっても、本当に上手い歌手というのはそうそうは居ませんでね、美空ひばりみたいな歌手は別格で、めったにお目にはかかれないと勝手に思い込んでいました (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 そんな中で出会ったこの「ねぇあんた」ですが、正直、ちあきなおみがこんなに上手い歌手だったとは思いませんでしたよ・・・ (;^_^A アセアセ・・・

 これじゃ、彼女のカムバックを望む声が無くならないのはよくわかります。

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2012年1月 5日 (木)

府中の松

 お正月も「松の内」という事で、古来よりの習わしである「門松」を始めとする松飾りをしていらっしゃる家々も多いと思います。

 この松飾りですが、神事に基づくもので、新年に際し歳神様を迎えるための道しるべとして門ごとに置かれるようになったといわれています。

 

 そうはいっても、住宅事情の変化などから松飾りを省略する家庭も増えてきており、我が家でもあらたまって松飾りをしたりはしません (^^ゞ

 20120105001   20120105002

 せいぜい、こんな感じのリースを玄関のドアに飾ったり、ホンの申し訳程度の鏡餅をお供えしたりするくらいで、お正月の松の内は過ぎていきます・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 そんな中、始めから「松」は飾らないという地域も存在しまして、東京の府中市では、松を使わずに竹だけで作った門松・・・松を使っていないので門松といえるのかどうかわかりませんが、そういうモノに杉の葉などで飾り付けをした門松を立てる風習があるそうです (^_^;

 

 これは、地元に在る「大国魂神社」にまつわるエピソードが起源になっているそうで、そこに祀られている大国主命が八幡様と出かけた時に、八幡様に置き去りにされたとか宿を探しに行って戻らなかったとか、いくつか説があるようですが、待つのに疲れた大国主命が「もう、待つのは辛い」「待つは嫌いだ」と嘆いたので、以来、大国魂神社には松は根付かないと言われており、今現在においても境内には松の木は1本も無いそうで、それに倣って府中市内では門松に松を使わなくなったという事ですが、最近では松飾りをする人そのものが減ったこともあり、また、新しく住むようになった住人の中にはそういういわれを知らない方も多いようで、あまり話題には上らないようですが・・・ (^_^ゞポリポリ

 

 土地土地によって、様々な風習とか独特の慣習とかがあると思いますが、お正月に「松」を飾らないというのも、変っているというか、珍しいのではないでしょうか ( ^-^)/ ♪

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2012年1月 4日 (水)

箱根駅伝 2012

 今年も、朝早くからテレビの前に座って、箱根駅伝を全て観戦させていただいたのですが、なんというか・・・ (ノ_-;)ハア…

 観戦に耐えないヒドイ大会だったなと・・・(怒り)

 

 結果は、東洋大の圧勝で、総合優勝はもちろん、往路も復路も制した完全優勝であり、大会記録を8分以上も塗り替える記録ずくめの大会となりました。

 なにしろ、4区から8区まで連続して東洋大が区間賞を取り、アンカー区間の10区まで東洋大が区間賞を取りましたから、後続の大学との差は広がる一方で、とても勝負としての観戦には耐えないような一方的な展開のレースになりました。

 

 まるで、今年の箱根駅伝は、19の大学が2位を目差して行なわれた大会といっても過言ではなかったかなと q(`o')ブー!!

 それだけ、東洋大の選手たちは次元の違う戦いをしていました。
 東洋大の選手諸君の大活躍は今さら言うまでもありませんが、それにしても他の大学は何をやっていたんだと q(`o')ブー!!
 いくらなんでも、首位と10分近くも離されてしまうなんて、これはとてもレースとは言えない茶番ですよ!!!

 もちろん、私がヒイキの早稲田とか順大とかが同じような戦いをしてくれれば、「おもしろい」大会だったというコトになったんでしょうが、ライバル校が横綱相撲をしても不愉快なだけです (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 しかし、柏原は確かに抜きん出た「超人」であることは否めませんが、他の9人の選手たちも、区間賞が5人、区間2位が2人という、圧倒的な強さを示したわけで、果たして彼等はそれだけの能力を持っていたのかとなると、私は大いに疑問に思っています。

 もちろん、箱根駅伝の大舞台に立てるというだけで、常人には考えもつかないアスリートであることはわかりますが、私は、そんな身体的な能力よりも、むしろ、気持ちで他校のランナーたちを凌駕していたのではないかと思う次第です。

 東洋大の酒井監督のコメントにもありましたが、昨年の大会でたった21秒差で早稲田に優勝をさらわれ、3連覇を阻まれた悔しさで、心の底からリベンジしたいと本気で思った結果がこの圧倒的な強さとなって現われたのだと思います。

 

 それは、昨年3秒差でシード権を掴めなかった城西大が、7位という順位ながらも予選会を通過し、本大会では往路で5位、大手町では6位という好成績でフィニッシュして、今年はしっかりとシード権を手にした事にも現われていると思います。
 彼等もまた、ホンキでリベンジに燃えた大学だったのだろうと私は思います。

 

 たしかに、気持ちだけで勝てるほど世の中は甘くないと思いますが、逆に、一途に願うその気持ちが、良い結果をもたらす事は多いと思います。

 誰だって「勝ちたい」とは思っているのでしょうが、その気持ちがどれだけ強いのか、どれだけホンキでそう思っているのか・・・
 そして、駅伝はチームで戦う競技ですから、そういう「勝ちたい」と本気で思っている選手がチームの中にどれだけ居るのかによっても結果は違ってくるだろうと思います。

 一人や二人が「勝ちたい」と思っていても、当然戦いにはならないでしょうが、東洋大の場合は監督や選手たちはもちろん、マネージャーなどの裏方に至るまで昨年一年間、本気でリベンジに燃えていたといいます。
 そういう「団結力」のようなものも、当然レースに大きく影響するだろう事は容易に想像がつきます。

 昨年の早稲田の三冠だって、渡辺監督がかなり早い時期から「今年は三冠を取る」と公言してきたからこそ、実現したものだと私は思っています。

 

 それはともかくとして、今年の箱根駅伝では、お気に入りの選手がまた一人増えました (*^.-^*)♪

 東洋大の6区を走った市川孝徳クンなんですが、彼はいつもギラギラと燃える目をしており、私好みの実に熱いヤツです(苦笑)
 箱根では、3年連続6区の山下りを担当し、1年の時は区間9位、2年の時には区間3位、そして3年になった今年は、ついに区間賞を取りました ヽ(^◇^*)/

 私が彼を意識するようになったのは、昨年の箱根で、早稲田の高野クンとデッドヒートを演じてからですが、「絶対に負けないぞ」という強い意志が全身から伝わってきて、それでも終盤に高野に置き去りにされたのがそうとう悔しかったようで、そういう思いを一年間抱いてしっかりと練習を積んできただろうコトが、出雲や全日本の時にもよく現われていました。

 タスキを待っている時、あるいは、タスキを次の選手に渡す時、市川クンは押さえきれない闘志を全身から溢れさせていまして、なんというか、実に小気味よい選手ですわ (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 今年の収穫は、3年ぶりに箱根に出場した順大が7位に入り、来年も応援できるという事くらいが救いなだけで、特に早稲田の情けない戦いにはガッカリしました・・・ (ノ_-;)ハア…

 正直、本気で箱根を戦ったのは、5区を走った山本修平と、7区を走った佐々木寛文だけだったのではないかとさえ思える不甲斐なさで、1区の大迫、2区の平賀、3区の矢沢あたりの実力を持ってすれば、もっと好タイムを出せてもおかしくないだけに、とても不満の残る往路でした。
 彼等の背任行為により、東洋大はトップで柏原にタスキを渡すことができ、結果的に往路で5分以上もの大差をつけられてしまったために、復路では各大学とも無難に2位を狙う戦法に変えたのだと思います。
 ムリして東洋大を追って、脱水症状なんかを起こして自滅したら、それこそ元も子もないと思ったのでしょうが、見ている方にすれば、非常につまらない消極的な復路だったと思っています。

 他の大学がそんな消極的な戦いをしたからこそ、復路では5人中4人もの区間賞を東洋大は取れたんでしょうな (ノ_-;)ハア…

 1区・2区・3区のスタートダッシュに失敗した早稲田と、逆にそこで良い流れを作った東洋大と、すでに勝負はあの時点で決まっていたんじゃないかと思う次第です・・・ (__;)

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2012年1月 3日 (火)

南極大陸

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 TBSが開局60周年記念と銘打った「南極大陸」という冬ドラが昨年放送され、年末に最終回を迎えました。

 いわゆる、日本初となった第1次南極越冬隊の悲喜こもごもを描いたドラマであり、主役は木村拓哉、助演はたくさんの樺太犬を演じる「犬たち」が脇を固めるという、異色のドラマでした。

 タロジロのエピソードはあまりにも有名ですし、ある程度結末がわかっているとはいえ、さすがに最終回は私の目も滲んできてしまいましてね・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 とはいえ、私はあのタロとジロのハナシはでっち上げだったと思っている一人ですが・・・ (;^_^A アセアセ・・・

 もちろん、生き残った犬が2頭居たのは疑いようのない事実だったろうと私も思っていますが、それが「タロ」と「ジロ」の兄弟犬だったというのはあまりにもできすぎだろうと、へそ曲がりの私は思うわけですよ。

 もちろん、そういう事が全くあり得ないとは言いきれませんが、鎖につながれたまま置き去りにされた15頭ですから、そこから抜け出すだけでも至難の業だったろうと思いますし、仮に抜け出して自由の身になれたとしても、南極の冬を生き抜くのは困難を極めただろう事は容易に想像がつきます。

 それらの試練を越えてなお、生き残った犬が居たとしてですよ、それがタロとジロの兄弟犬だったというような、実にわかりやすい、そして実に都合のいいハナシは、そうそう無いんじゃないかと・・・ (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 つまり、「誰か」が美談として、後からそういうハナシをでっち上げたのではないかと思うのが自然ではないかと私は考えています。

 前年に、犬たちを置き去りにした事が世界中から非難されたこともあり、犬が生きていたという「奇蹟」を利用し、それをよりセンセーショナルに報じることによって、世論を「非難」から「感動」に変えたいと思った誰かが居たとしても不思議じゃないように思うんですよ。

 

 「太郎」と「次郎」といえば、もっともポピュラーでわかりやすい兄弟の名前ですから、もしかしたら「タロ」と「ジロ」なんて犬は最初から存在せず、生き残った犬がたまたま2頭だったから、「タロ」と「ジロ」という名前を付けて勝手に兄弟犬という事にして、「美談」をねつ造したんじゃないかという疑念さえ拭いきれません。

 そこまで極端ではなくても、発見した当時、どの犬なのかわからなかったという証言もありますし、犬の名前を順に呼んでいったら、「タロ」と「ジロ」という名前に尾を振って反応したので、じゃぁ「タロ」と「ジロ」なんだろうという程度の事らしいので、私の「美談ねつ造説」は消えることはありません。

 だって、そこで「何」があったかなんて事は、他の誰にも確認のしようがないわけですから、どのようにでもハナシを作り上げることは可能だったと思うんですよね。
 それこそ、疑い出せばキリがありませんから、第3次南極観測隊が新しく2頭の樺太犬を連れて行き、それらの犬を生き残った犬として発表し、世間の批判をかわした・・・ナンていうストーリーだってあり得ないハナシではないでしょ (^^;

 

 そんな事はともかく、「南極越冬隊」といえば「犬ぞり」というイメージは、誰もが抱いていると思うのですが、現在第52次隊が越冬中ですが、1991年に採択された「環境保護に関する南極条約議定書」により、動物の持ち込みは一切禁止されているそうで、当然の事ですが樺太犬も犬ぞりも過去のことになってしまい、犬は居ないそうです (^_^;

 

 それにしても、ドラマの中に登場した樺太犬役の犬たちですが、たいした役者っぷりでしたよ (^◇^) 。。。ケラケラ

 犬に演技指導をするといっても、そこは動物のことですからねぇ、教えてできるモンじゃないと思うし、それを思うと、あんなに上手く演技?をしていた犬たちに脱帽ですわ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 彼等の目の表情なんか、そこいらの三文役者にはできない、実に見事なモノでした。
 犬はあまり好きではない私なんですが、いやぁ、もう見ていてメロメロになっちゃいましたよ (^◇^) 。。。ケラケラ

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2012年1月 2日 (月)

ニューイヤー駅伝 2012

 今年の元日も、ニューイヤー駅伝で始まった私の2012年です(笑い)

 

 ホントは7時くらいまでは寝ているつもりだったんですが、トシを取ったからなのか、はたまた、大晦日に起きていられなくて少々早寝をしてしまったからなのか、5時過ぎには目が覚めてしまいましてね (;^_^A アセアセ・・・

 なんとかもう少し寝ていようと頑張っては (^^; みたんですが、どうしても眠れないので5時半過ぎに起き出してしまいました (^◇^) 。。。ケラケラ

 うまくすれば、初日の出を見れるかな・・・なんても思ったんですが、成田はあいにくの曇り空でして、太陽の姿を確認することは叶いませんでした (^_^;
 前日までの快晴がもう一日続いてくれれば、見れたと思うと、いつになく早起きした元旦だっただけに、ちょっぴり残念だったかなと (;^_^A アセアセ・・・

 

 それはともかくとして、今年のニューイヤーですが、戦前の下馬評通りに、日清食品が終始安定したレースを展開し、2年ぶり2回目の優勝を果たしました。

 

 さすがにスター選手が集う日清食品、危なっかしいところは見当たらず、唯一危うかったのは、トップで受けたタスキをトップと41秒差の3位まで落とした、3区担当の保科だけでしたが、それさえも想定内という事で、その差を4区を走ったエースの佐藤が挽回し、5区以降は2位以下につけいる隙を与えず、実に見事な優勝でした。

 

 一方、優勝候補の筆頭に挙げられていたトヨタ自動車ですが、1区、2区の出遅れと、4区のエース区間の不振を最後まで挽回できずに、4位という結果に終わりました。

 

 私が応援していたのは、いつものごとく、中国電力富士通でしたが、共に見せ場を作る事もできずに入賞圏外の9位と10位でした・・・ (__;)

 

 それはそれでやむを得ない結果だったのかなと思いますが、心残りは富士通のエース区間を走った堺晃一クンの不振です・・・ (ノ_-;)ハア…

 個人的に好きな選手で、応援しているんですが、6位から17位まで11も順位を落とす大ブレーキを起こしまして、放送では日清食品の佐藤悠基とコニカミノルタの松宮隆行とのトップ争いがメインで、10位以下では18位から11位へと大躍進を遂げるホンダの藤原正和を映す事が多く、堺クンが画面に映るようなことはほとんど無かったので、どんな様子でそうなったのかはほとんどわからないのですが、藤原クンが9位集団をイッキに追い越していく時に映った5人の中で、一番身体が重そうでスピードが無く、辛そうな顔をしながらズルズルと集団の最後尾に落ちていく堺クンが映っていたのが、唯一といっていいくらいの堺クンのシーンでした・・・

 この堺クンですが、大学の頃から見て知っていますが、いつも安定した走りをする選手であり、決してブレーキを起こすような選手ではないと思っていたのですが、体調が悪かったのでしょうかねぇ・・・ (__;)

 

 あと、気になった選手ですが、やはり個人的に応援している安川電機の飛松クンが、今年は6区を走りまして、なかなか健闘してくれたのが嬉しかったです (*^.-^*)♪

 一方で、日清食品の小野クンが今年はメンバーに入っていなかったのが気がかりで・・・ (^^;
 まぁ、あれだけ選手層の厚いチームですから、メンバーの7人に選ばれるだけでもたいへんな事なんでしょうが、今年は彼の走りを見れなかったのが残念だったなと・・・

 

 さらにもう一人、日清食品の1区を走った若松儀裕クンが私の心に残りました。
 彼は、昨年までは東京電力に所属していた選手で、2010年と2011年に東京電力の選手として1区を走り、区間3位と2位という成績でした。

 今年は新天地に移り、日清食品の選手としてやはり1区を走り、今年はさらに順位を上げて区間賞を獲得しました。
 昨年はいろいろとあった1年間だったのでしょうが、それに負けずに新天地でしっかりと結果を残す・・・
 口でいうほど簡単なことではないと思いますし、それを成し遂げた若松クンの精神力に脱帽です。
 今後の彼の活躍を応援したいと思います。

 

 さて、今日と明日は箱根駅伝です・・・ p(^_^)q ワクワク

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2012年1月 1日 (日)

謹賀新年

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 皆さん、明けましておめでとうございます。

 今年もどうぞよろしくお願いします。

 

 ・・・などと、いつも通りのご挨拶をさせて頂きましたが、東日本大震災の影響から「おめでとう」という挨拶は控えるような風潮が今年は広がっているようです。

 まぁ、そう考えたい気持ちもわからないではないですし、大切なお身内を亡くされた方も居らっしゃいますから、そういう方に対して「おめでとう」ということばが相応しくないことは重々承知しております。

 

 しかし、だからといって、お正月に「明けましておめでとうございます」と言えないというのはおかしいんじゃないかと・・・

 今、こうして新しい年を迎えることができたという事は、昨年までつつがなく人生を送ってこれたという何よりの証拠ですし、そのこと自体はとても「おめでたい」事のはずですから、そういう事に感謝し、お互いに「おめでとう」と挨拶を交わし合うのは、自然なことではないかと私なんかは思う次第です。

 

 震災直後にも思いましたが、何でもかんでも自粛自粛では経済も立ちゆかなくなりますし、そんな状況がいつまでも尾を引くようでは、震災からの復興なんて夢のまた夢ではないかと・・・

 どんなに辛いことや苦しいことがあったとしても、「今」を生きている人達には「未来」があるわけで、そういう人達は嫌でも前を向いて歩いていかなければならないわけですよ。
 そうでなくても、生きている人達には未来を担っていかなければならない責任というか役割があるはずで、そのためにもいたずらに自粛などするべきではなく、少なくても、今まで通りに「普通」に生活する事くらいは行なうべきだと思っています。

 

 年が改まるという事は、新たな未来に向かって第一歩を踏み出すいいチャンスじゃないですか。

 こうして新年を迎えることができた私たちは、もしかしたら、とても幸運だっただけなのかもしれません。
 そう考えれば、元日の今日、「おめでとう」という挨拶を交わしあうのは、もっともなことであり、大切な事ではないかとさえ個人的には思っています (;^_^A アセアセ・・・

 

 それはともかくとして、今年私は、54才になります ヽ(^◇^*)/

 かつては、人生五十年ナンて言われていた時代もあったわけで、そう考えればこのトシまで無事に生きてこれた事がどれだけありがたい事か・・・

 ひたすら、感謝、感謝ですよ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 というワケで、私の一年の事始めは、いつもの事ですが「ニューイヤー駅伝」です(笑い)

 おそらく、今頃はテレビの前に陣取って、ビールでも飲みながら観戦している頃なんでしょうが、今年は、どのチームがどんなレースを見せ、そしてどこが優勝するのか、非常に楽しみです・・・ p(^_^)q ワクワク

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