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2012年1月21日 (土)

新しい風

 大相撲の初場所は、昨日13日目を終え、大関の把瑠都が13連勝を決めた一方で、横綱の白鵬は琴欧州にいいところなく寄り切られて3敗目を喫し、千秋楽を待たずに、13日目で把瑠都の初優勝が決まった ヽ(^◇^*)/

 

 土つかずの13連勝を決めた把瑠都は、12日目の稀勢の里戦で、立ち合いの変化で星をつかむという奇襲戦法に出て場内から大ブーイングを浴びた。
 しかし、私は大関の把瑠都や安馬が注文相撲で勝ったからといって、皆が思うように大関らしくないとは全く思わない。

 なぜなら、彼等は日本人力士ではなく、外国人力士だからです。

 

 大相撲は、その興りから、純粋な「スポーツ」ではなく「興業」だと私は考えています。

 要するに「見世物」なワケですから、そこには「勝ち負け」以外の様々な要素がついて回るわけで、その一つが「らしさ」という事になるのだと思います。

 横綱には横綱としての、大関には大関としての貫禄というか、器量というか、いわゆる堂々とした土俵態度が求められるわけで、そういう重い地位にある力士が、いたずらに変化などをして星をつかむのは、姑息で「品がない」という事になり、そういう事をした力士に対しては、観客からも容赦ないブーイングが浴びせられて当然という事になります。

 

 しかし、そういう大相撲の「様式美」みたいな精神論は、日本人力士に対してなら私もそうあるべきだと思いますが、外国人力士にまで同じように求めていいモノなのでしょうか・・・

 たとえ外国人であっても、大関とか横綱とか、そういう角界を代表する立場にある者であれば、当然、日本人としての「心」をもって土俵を勤めるべきだという意見があるのも当然なのかもしれませんが、私は外国人に対して「心」まで日本人になれというのは、関係者やファンの傲慢ではないかと思う次第です。

 

 例えば、朝青龍が角界のワクからはみ出した横綱で、品格に欠けるという理由から、最後は詰め腹を切らされるように角界から叩き出されてしまいましたが、私はアレはあまりにヒドイ仕打ちだったと思っている一人です。

 外国人力士たちは、いわば日本に出稼ぎに来ているだけの存在ですから、たとえ大相撲で成功しても、角界に骨を埋めようナンて殊勝な人はまず居ないと思います。
 それは、高見山や小錦が活躍していた頃とは時代が違うからであり、右を向いても左を向いても外国人力士が大勢いる今の角界においては、帰化をしてまで角界に残ろうなんて思いで相撲を取っている力士は、まず居ないだろうという事ですよ。

 要は、手っ取り早くカネを稼ぎたいと思って角界に入門してくる外国人力士がほとんどなわけで、それは白鵬や安馬にしても同じなわけですが、たまたまこの二人は人間ができているというのか、それとも他の外国人力士たちとは心がけが違うのか、何かにつけて優等生ぶりを見せてくれていますから、把瑠都とか琴欧州とか、そういう外国人大関はワリをくってよく批判の対象にされています (^_^;

 

 しかし、彼等外国人力士たちからみれば、どんな手を使って勝とうとも、1勝は1勝の価値しかないわけですから、楽して勝ちたいと思っても自然なことだと私は思う次第です。

 それを責めてみたところで、所詮は文化の違いですから、理解されることはないだろうと私は思います。

 

 特に、今回優勝した把瑠都なんか、いつもヘラヘラと笑っているので、ちっとも力士らしくないなどと、バカバカしい事を平気で口にする評論家や相撲関係者も居る始末で、なぜ力士が笑っているといけないのか、私には全く理解できません (ノ_-;)ハア…

 

 できる事なら、来場所も把瑠都に優勝してもらって、今まで見たこともない「陽気な横綱」として角界に君臨してもらいたいと思っているのは私だけでしょうか・・・

 いや、ぜひそうなってもらって、角界に新しい旋風を巻き起こして欲しいですねぇ ヽ(^o^)尸

 

 しかし、こういうめでたいニュースがスポーツ新聞の一面を飾らないのはなぜなんだろうと思わざるを得ない・・・ (ノ_-;)ハア…

 今日の東京版のスポーツ新聞は、ほとんどがダルビッシュが一面で、把瑠都の初優勝を一面で取り上げた新聞はただの一紙も無いというのはどういう事なんだろう(怒り)

 情けない・・・ (__;)

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