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2012年4月18日 (水)

本多忠勝

20120418001

 

 「家康に 過ぎたるものが二つあり
          唐(から)のかしらに 本多平八」

 

 これは、武田信玄と徳川家康の間で行われた、一言坂の戦いにおいて、しんがりを務めた本多忠勝の武功を讃え、武田方の小杉左近が詠んだとされている狂歌です。

 

 昨日、「大多喜城」に絡んで、本多忠勝の名前が出たので、今日は城主だった本多忠勝のコトについて少々・・・ (^_^ゞポリポリ

 

 上の狂歌の中に出てくる「平八」というのは、本多忠勝の通称だった「平八郎」のことです。

 「忠勝」の名前の由来は、「ただ勝つのみ」という事からもわかるように、本多忠勝は戦国時代に星の数ほどもいた勇猛果敢な武将の中でも、ずば抜けて強かったとされている猛将の一人で、徳川四天王や徳川三傑にも名を連ね、徳川軍の中でもNO.1の武功派であり、豪傑と言われた武将です。

 

 幼い頃から家康に仕え、生涯に57回の合戦に臨み、いずれの戦いにおいてもかすり傷一つ負わなかったと伝えられており、家康の信頼も厚く、常に重用されてきたものの、天下統一が成し遂げられた晩年は戦もなくなり、活躍の場を失うと、本多正純に代表される吏僚派がハバを効かせるようになり、中枢からも次第に遠ざけられるようになって居場所を失い、嫡男の本多忠政に家督を譲って隠居した・・・

 

 要は、戦一筋にしか生きられなかった「不器用者」という事なんでしょうが、だからこそ、私好みの武将の一人であり、好きなんですよね・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 「大多喜城」・・・

 前から、ぜひ一度は訪れてみたいと思っている場所です・・・

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コメント

 本多忠勝は、装備が軽装で、槍術もそれほどのものではなかったと伝えられていますね。

 それでもかすり傷一つ負わなかったのですから、実に不思議です。

 総大将なのに、常に陣頭に立って、戦場を駆け巡っていた上杉謙信を彷彿させるものがありますね。

 

投稿: ナンカイ | 2012年4月22日 (日) 09:15

 ナンカイさん、どうもです (^_^)/

 戦国時代には、それこそ星の数ほども武将がいたわけですが、名前を残した武将もいればそうでなかった武将もいるワケで、今思うとスゴイ時代だったんだなと (^_^ゞポリポリ

 それに比べると、今の時代は誰もが小粒で、チョッと淋しいなと・・・ (^_^;

投稿: 夢ピ | 2012年4月22日 (日) 13:55

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