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2013年6月21日 (金)

的を得る

 一昨日の朝、ラジオを聞いていて、これまでの私の認識を改めざるを得ない出来事がありました。

 

 ラジオのパーソナリティが「的を得る」という言葉を用いたところ、
「いいトシをしたオトナで、なおかつアナウンサーという言葉を生業とする仕事をしているにも関わらず、『的を得る』ナンて間違った言葉を用いるのはいかがなものか・・・」
 「的は『射る』ものであって、『得る』ものではないだろう! バ~カ」

 ・・・みたいな内容の、メールをリスナーから頂いたんだそうで・・・ (^◇^;)

 

 いかにも、私あたりがやらかしそうなエピソードだったもので、おもしろがって聴いていたんですが、このパーソナリティもなかなかガンコなジジイらしく、そのメールに「的を得た」という言葉を口にした理由を、長々と綴った返信をしたところ、さらに口汚くののしった返事が来たというもの・・・ (;^_^A アセアセ・・・

 で、さらに丁寧に説明した返信をしつこく送り返したそうですが、すでにメルアドが宛先不明になっており、逃げやがったんだそうで・・・ (^◇^) 。。。ケラケラ

 もちろん、このメールの主は私ではありません、念のため(笑い)

 

 まぁ、それはともかくとして、「的を得る」という言葉はワリとよく耳にすると思います。

 もちろん、「的を射る」の誤用であり、簡単に言えば「間違った言葉遣い」という事になるわけで、私もこれまでに何度か、用いた人に間違いを指摘してきた過去があります (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 家内もそういう被害者の一人だったりしますが・・・(笑い)

 

 ところが、最近の辞書の中には、「的を得る」を正しい表現として扱っているものも少なくないんだそうで、簡単に誤用だとは言いきれない状況になってきているようです・・・ (;^_^A アセアセ・・・

 詳しい理由は割愛しますが、単に「言葉は生き物」的な、いわゆる間違った言葉遣いも使われ続けているうちに市民権を得て認められるようになった・・・というような類のものではなく、そもそも「的を得る」という表現は国語的にもアリというもので、アタマの固い私なんかはトンカチでアタマをガ~ンと殴られたようなショックを受けました・・・ (__;)

 そうはいっても、現状ではうっかり「的を得る」ナンて口にすると、
今回みたいに誤用だと突っ込まれる危険性があるわけで、無用な論争を避けるためにも「的を射る」の方を用いるのが賢明な対応だろうと件のパーソナリティは締めくくっていました(苦笑)

 

   20130619001_2

 

 ちなみに、私が日本語入力用に使っている ATOK では、ご覧のように「まとをえる」を変換しようとすると、《 「当をえる/的を射る」 の誤用》 とご丁寧にも注意勧告してくれます (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 窓付属の MS-IME だと何事もないかのように「的を得る」と変換しますが、良いのか悪いのか、ATOKでは入力の間違いをその都度指摘してくれます (;^_^A アセアセ・・・

 多少煩わしくも感じますが、そのおかげもありまして、そそっかしい私ですが、言い間違いは極力避ける事ができています・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 このブログでは、6年前にも、「足元をすくわれる」という記事の中で、「的を得る」を誤用だと書いたことがあります (^_^;

 しかし、「足元をすくわれる」はともかくとして、「的を得る」という表現が間違いとはいえないとなると、少なくても私は、今後「的を得る」と言った人に対して、間違いだと突っ込むことは止めにしたいと思います・・・ □\(__ ) ハンセイ・・・ 

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コメント

こんにちは

私も高嶋さんの話聞きました。

その時、ちらっと夢さんが浮かびました^^。

投稿: kyoro | 2013年6月22日 (土) 14:32

 あはははは・・・ (^◇^)

 kyoroさんも、お聞きになりましたか・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 さすがにアナウンサーですから、話術が巧みで、聴いていておもしろかったです(笑い)

投稿: 夢ピ | 2013年6月22日 (土) 17:17

的を得る正当論を滅ぼすためのテンプレ。コピペ拡散希望

正鵠を得るが礼記にある→ない。礼記の不失正鵠(正鵠を失せず)を失わずと間違え、そこからの推測で正鵠を得るができただけ。漢語に得正鵠は存在しない。失正鵠(正鵠をそれる)の対義語は中正鵠(正鵠にあたる)。用例もある
正鵠は的の中心の黒星のこと→それは礼記からずーっと時が経ってからできた意味。正鵠の本来の意味は的の中心の黒星ではなく、単純に的のこと。正も鵠も的の大きさで言い分けるだけ
得には当たる意味がある→ない。得より取のほうがよっぽどマシかもね
射るだと当たったかは不明。射抜くにしなければならない→違う。射るには当たる意味がある。これは日本古来の意味。用例もある
昔は漢籍に精通した人が多く、年長者ほど正鵠を得ると的を得るを使用する→正確に伝来できずに意味を間違えた漢語は沢山ある。正鵠を得るは日本最初の要点を上手く捉える意味の語句だから認めざるを得ないだけ
中国語で得正鵠がある→それは日本から中国に伝わったもの。正鵠を得るは諸悪の根源である
正鵠を得る、正鵠を射る、的を射る、的を得るの順に作られた。正鵠を射ると的を射るこそが誤用→正鵠を射る(正鵠=的。射る=中)は正鵠を得るの訂正。的を射る=正鵠を射る=中正鵠≠正鵠を得る=得正鵠=的を得る
的を得るは誤用じゃない→誤用は言葉の意味を誤って使うことで、言葉そのものを誤ったときには使用できない。的を得るは誤用ですらない
的を得るは正しいんだ→的を射るは慣用句で、的を得るは慣用句ではない。慣用句は特定の単語の組み合わせでなければならず、同じ意味の単語ではダメ。100階から目薬、写輪眼が無い、馬の耳に聖歌、ハローキティに小判が正しいとでも言うのか
根拠を出せ→民明書房にも劣る得る正当説を信じる君が大好きなネット検索で調べてみよう。それでも納得できなければ、辞書や古典とかいろいろ読んでみよう。もちろん角川や三省堂以外もね
無根拠で得るを否定する無責任なヤツは得る正当論に反論できなかった。論破したから正論だ→なにが正論かは時と場合によって変わるし、論破されなければ正論というわけでもない。文化庁などの総意を無視して詭弁をふりかざす無責任なことは止めてください

言語力をなくした悲しい正鵠を得る・得正鵠・的を得る信者さん。このキュアハートが、あなたの正しい言葉の観念、取り戻してみせる!

投稿: No Name | 2014年4月 8日 (火) 22:33

 だから、ことばは生き物だって言ってるでしょ。
 時代と共に変っていくのが自然なんですよ。

 アレは正しくてコレは間違いとかいちいち言ってみても、空しいだけですよ(苦笑)

投稿: 夢ピ | 2014年4月 9日 (水) 06:21

的を得る正当論を滅ぼすためのテンプレ。コピペ拡散希望

正鵠を得るが礼記にある→ない。礼記の不失正鵠(正鵠を失せず)を失わずと間違え、そこからの推測で正鵠を得るができただけ。漢語に得正鵠は存在しない。失は失うではなくそれる・すべ・はずれる意。対義語はあたるの中。失正鵠(正鵠をそれる)の対義語は中正鵠(正鵠にあたる)
虞集『尚志斎説』などで用例もある。下記のサイトで「中正鵠」で検索してみよう
http://zh.wikisource.org/wiki/Wikisource
正鵠は的の中心の黒星のこと→漢籍では的自体を指す。日本での意味は槇島昭武の個人言語から広まった可能性あり。西周がそれを参考にしたのか、仏語の' blanc de cible'を正鵠と訳し、弓道の正鵠ができた
結局西周が正鵠と訳した対象は、銃に関わるもので弓とは無関係。日本の弓術は矢が的のどこに当たったかで評価は変わらない。得点的は西洋からきた
中国の正鵠≠日本の正鵠≠仏語の正鵠≠弓道の正鵠。「正鵠を得る=的の中心を射抜く→要点をつかむ」という解釈は近代的・西洋的である
得には当たる意味がある→ない。中国でも日本でも得に当たる意味などない。
射るだと当たったかは不明。射抜くにしなければならない→射るには当たる意味がある。『平家物語』の「扇の的」で「うつ→放つ」「射抜く→射切る」「あてる→射る」と言い分けている
失の対義語は得である→得⇔損。失敗⇔成功。失望⇔希望。得手⇔苦手。過失⇔故意。失業⇔就業。失火⇔放火。失効⇔発効。見失う⇔見付ける。面目を失う⇔面目を施す。礼を失する⇔礼を尽くす。あれれ?
昔は漢籍に精通した人が多く、年長者ほど正鵠を得ると的を得るを使用する→正確に伝来できずに意味を間違えた漢語は沢山ある。それらは誤りだが正しいとせざるを得なくなった。正鵠を得るは日本初の要点を上手く捉える意味の語句だから誤りだが正しいと認めざるを得ないだけ
中国語で得正鵠がある→それは日本から中国に伝わったもの。
正鵠を得る、正鵠を射る、的を射る、的を得るの順に作られた。正鵠を射ると的を射るこそが誤用→正鵠を射る(正鵠=的。射る=中)は正鵠を得るの訂正。的を射る=正鵠を射る=正鵠に中つ=中正鵠=正鵠をそれず=不失正鵠≠正鵠を失わず=正鵠を得る=得正鵠=的を得る
的を得るは誤用じゃない→誤用の意味は「言葉の意味を誤って使う。言葉自体を誤ることではない」。的を得るは誤用ですらない
的を得るは正しいんだ→的を射るは慣用句で、的を得るは慣用句ではない。慣用句は特定の単語の組み合わせを用い、同じ意味の単語ではダメ。100階から目薬、写輪眼が無い、馬の耳に聖歌、ハローキティに小判が正しいとでも言うのか
正鵠を得るがなければ正鵠を射るも的を射るも作られなかった→不失=中=射る、正鵠=的。「的外れ」は18世紀から、「当たらずといえども遠からず」は1810年頃から用例がある。的を射るが慣用句化した可能性は十分ある
三省堂が誤用撤回したから正しい→規範主義でもない記述主義の三国の「誤用。正用」を参照するの?
的を得る誤り説の初出は三国じゃない。三国の前のものには論拠が無い?話題にならなかったから大したことない?論拠を間違えただけで、的を得る自体が誤りという認識があり、的を得るが誤りという論に違和感がなかったかもしれない
それを言うなら、的を得る派が正鵠を得るの基となった正鵠を失わずが正しいとする論拠を一切提示していない
ちなみに文化庁に「三省堂が的を得るは誤りではないと言ったから、的を得るは正しいのか」という問い合わせの返答は以下の通り
『三省堂国語辞典 第7版』の新しい記述に関しては承知しておりますが,他の辞書が同様の見解を示しているわけではありません。
例えば,同じ三省堂であっても,『現代新国語辞典 第4版』や『大辞林 第3版』などでは『三省堂国語辞典 第7版』と同じ見解ではないようです。
三省堂だけでなく,各社の今後の動向を注視していこうと考えております。
BIFFの亜空間要塞は正しい→的を得るを勝手に慣用句にする。的を得る未掲載の辞書を得るを容認しているように話す。日本の正鵠の初出を勘違いした相手を調査不足だと人身攻撃も厭わない。無知と卑下しながらインテリナルシシズム全開
余談だけど心理学では「難しい言葉を使いたがる人ほど心が狭い」とされている。下記のサイトもチェックしてみよう
http://ronri2.web.fc2.com/index.html

投稿: No Name | 2014年12月27日 (土) 15:47

日本と中国は異文化。正鵠を得るは中正鵠でなくて不失正鵠を「正鵠を失わず」と日本読みし、そこから生まれた日本の慣用句。中国にない表現でも誤りではない。日本独自の文化。そもそも異文化を間違いなく解釈することなんて無理。変化は必然。失わずは決して間違いではない
→金玉均はきんたまきん?開眼をかいげんとかいがんのどちらで読んでもいい?『ボールが外れたから拾う』を『ボールを失ったから拾う』と通訳する?礼記は日本の本?漢語の失正鵠の対義語は得正鵠?
外国人「糞うぜぇマジshineと書いてるが、死ねじゃなくて輝きと訳して問題なし」
日本人「英文で『難病と闘う少年にクラスメイトみんなでshineと言った』という文章があったので、みんなで死ねと言ったと解釈しよう」
中国人「日本の小説で『戦友から託された手紙』という文章があった。トイレットペーパーを託されたという意味に違いない」
カトリック教徒「ハライチ澤部は童貞キャラで人気を博した。カトリックの尼僧キャラだな」
メロンパンナ「神戸市民から美味しいサンライズと毒入りメロンパンを貰った。私はサンライズがメロンパンだと思うので、私にとってのサンライズを食べる」
現代人「古典でことわるという単語が出た。判断する意味じゃなくて現代の意味で読むべき」
アメリカ人「日本の子供はポケットモンスターが好きで、ポケットモンスター専門店があるらしい。日本の性教育はおかしい」
現代人「昔の医学書に『この患者は二の腕に注射しないと助からない』と書いてあった。現代人だから一の腕に注射する」
タイ人「日本人は性的な意味で好きな人にmoeと言うようだ。なるほど陰毛か」
イザナミ「雨上がり決死隊のホトちゃん=雨上がり決死隊のvaginaちゃん」
北海道民以外「北海道民が『子供をチョコでぼったくった』と言った。この北海道民は子供から金を巻き上げた」
沖縄県民以外「沖縄県民が『漫湖で写生した』と言った。vaginaでejaculationだろう」
この人たちが「異文化だから間違えても変じゃない。俺たちの文化に当てはめて何が悪い。言葉は変化するものだ。何も間違ってない。現代日本人だって不失正鵠を正鵠を失わずと読むだろ!」と言ったら?
的を得ると得正鵠の基となった正鵠を得るの基となった正鵠を失わずを認めるなら、この人たちの理屈を認めなければダブルスタンダードだと思いませんか?
大きな事柄は小さな事柄の積み重ね。正鵠を失わずを正しいと認めるの?

文字とは昔から今、今から未来へと続いていく約束事だ。それが守られるから現代人は過去の書物を理解し、未来の人々に我々の意思を伝えることができ、異文化と交流できる
文字とは公共財だ。もし自分勝手に意味を読み変えることに寛容であれば、文字の体系性が破壊し、コミュニケーション機能が崩壊し、文字が文字の役目を果たせなくなる
我々人間が他の生き物と違うのは言葉が使えること。自分の意思を相手に伝えるからこそ人間社会は成り立っている
「言葉は生き物。意味が通じれば誤りや誤用でも大丈夫」という意見があるのは、「相手に伝えたい」という言葉が存在する意味を理解しているからだ
言葉は自分だけでなく相手を救うもの。相手を尊重するからこそ、我々は文化・時代・国を超越して理解し合えるのだ
それは文化ではなく、人が人を想う心そのもの。互いが互いを思いやる人間として当たり前のこと
それを「自分の文化・時代・国として読みが正しければ、相手の文化・時代・国を無視した意味でも正しい」とかどんだけワガママなんだよ
村岡花子の爪の垢を煎じて飲まなくちゃ、ダメよ~ダメダメ

投稿: No Name | 2014年12月27日 (土) 15:47

 どなたか存じませんが、おそらくはどこからか拝借してきたコピペのコメントだと思います。

 ありがとうございました・・・ m(_ _;)m

投稿: 夢ピ | 2014年12月27日 (土) 18:13

名前を名乗ってコメントをしたら、IPアドレスを公開される事がある。
しかしながら、余りにも悪質なコメントだったら、そうされても仕方無いでしょう。
しかし、私は、悪質なコメントをしていないのに、IPアドレスを晒された事があります。

しかし、私は、BIFFさんの所で、コメントを非表示にされた、野原しんのすけさんではありません。
そう、野原しんのすけさんは、コメントを非表示にされましたが、私の場合は、全く他所のサイトで、IPアドレスを公開されました。

言葉は生き物って言い訳は、役に立つのでしょうね、言い訳だから。
間違っていても、言葉は生き物だ!!で、通るから。
あなたは、浅田真央さんの名前を別の記事で出しているのに、五輪に関心は無いと書く。
でも、陸上には興味があるのか。サニブラウンとか、詳しいな?
陸上には興味があるのか。

浅田真央さんは、確かに世界選手権などにも出場なさいましたものね。
それに、ニュースなどで、結果だけ知る人もいますものね。
新聞などでも。インターネットなどでも。

あなたは、キュアプリンセスがお好きなんですか?

私は知りませんでしたが、夢ピさんが、キュアプリンセスがお好きだって事は。
今でも、キュアプリンセスがお好きなんですか?

あなたは、野原しんのすけさんから、名前を奪ったのでは?
そんな経験はございませんか?
無かったら、返信は一切不要でございます。
それでは、永遠に、さようなら。

投稿: berial_black_angel_tyrant | 2019年10月 6日 (日) 13:59

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