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2013年7月 5日 (金)

桶狭間

 先日、兵庫県の尼崎市へ仕事で行って来たんですが、その帰り道、いつものように少しでも高速代を節約しようと、滋賀県の栗東から国道1号線をひた走って愛知県の岡崎へと向かいました。

 

 ただ、いつもですと、四日市市からは国道23号線を走るのが常なんですが、ふと、いつも同じ道を走るのも芸がないなと思い始め、そのまま国道1号線を走り続け、四日市市から桑名、弥富、愛西、蟹江を通って名古屋市内へと入りました。

 いずれも名前だけは知っているつもりだったんですが、愛西市という名前は今回初めて知りました (;^_^A アセアセ・・・
 愛西市ですから、愛妻家が多いんでしょうか(苦笑)

 

 それはともかくとして、こういう仕事をしていますと、ふと思いがけない地名に遭遇するのが常でして、先の「愛西市」もそうなんですが、
名古屋市の緑区に「桶狭間」という地名を見かけて「オオッ」と・・・ w(゚o゚)W

 歴史の教科書なんかで、「関ヶ原」と並んで有名な「桶狭間」ナンですが、地名を見ただけでなんとなく歴史の舞台に立ったような、不思議な気持ちにさせられます (^_^ゞポリポリ

 

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 国道1号線ですから、昔風にいえば「東海道」という事で、かの今川義元もこの道を通って京に向かおうとしたのだと思います。

 

 実際の合戦場は、この交差点を右に折れた先に在るようですが、ご覧になっておわかりのように、道の左右は小高く盛り上がった地形になっており、いわゆる狭い谷状のところを縫うように道が造られ、名前の通りの「狭間」となっています。

 古来、こういう場所は待ち伏せにはもってこいの地形という事で、避けて通らねばならないとされていますし、やむを得ず通らなければならない時には、急いで通り抜けるのが兵法上はセオリーとなっています。

 にも関わらず、なぜ今川義元はこの地で休憩などとったのか・・・

 

 文献によると、今川義元の軍がこの地を通ったのが正午頃で、急なにわか雨に見舞われたとありますし、その前に伝えられた戦勝報告に気をよくして油断したのかもしれません。

 いずれにしても、数に勝る今川軍を奇襲で破った織田信長は、この合戦後から時代の表舞台に立ち、戦国の勢力図は大きく変わっていくことになります。

 

 まぁ、遠い昔の出来事ですから、どこまでが事実で、どこからがフィクションなのかハッキリとはわからないワケですが、そういう名前の戦国大名がいて、どこかの戦で敗れて没落していった・・・という事については、ある程度は事実なのでしょう(苦笑)

 私は、「歴史の大部分は、ウソ八百のデタラメで作られている」というのが信念ですが、だからといって、全てを疑っているわけでもありません (;^_^A アセアセ・・・

 だからこそ、「歴史には夢とロマンがある」と考えている一人でもあります (^◇^) 。。。ケラケラ

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