あれから20年
1995年1月17日の早朝、兵庫県南部を巨大な地震が襲う。
世に言う「阪神・淡路大震災」である・・・
あの日、いつものように目覚め、出勤の準備をしながら朝のテレビを見ていたら、そこには異様な映像が映し出されていた・・・
崩れた建物などと共に、高速道路の高架が倒れたり崩れたりしていた。
まるで映画の一シーンを見ているようで、とても現実の出来事を映したものとは思えなかった記憶があります。
未曾有の大震災ということで、後に「阪神・淡路大震災」と命名されたあの悪夢から今日でちょうど20年・・・
正直、もう20年も経ったのかという印象が強いのですが、あの時に被災された方々にとっては忘れられない出来事として今も鮮明に記憶に残っているのだろうと思います。
もちろん私も「阪神・淡路大震災」の衝撃は大きかったわけですが、私自身が関東在住ということもあって、どうしても直後に起きた「地下鉄サリン事件」のインパクトの方が身近に感じられてショックも大きいのですが、いずれにしてもこのショッキングな二つのニュースは、当時の私にとっては見た事も聞いたこともない信じられない出来事として記憶に刻まれました。
あれからはや20年。
時の過ぎるのは本当に冷酷で、無情なものだと思い知らされています・・・ (__;)
ちょうどこの年いっぱいで私は脱サラし、翌96年の1月から自営で今の軽運送業を始めることになるわけで、それまでは「関西」は私にとってめったに足を踏み入れたことのない、遠い遠い世界だったのが、仕事で大阪や兵庫に行くようになると、けっこう近しい土地に思えてくるからフシギです (〃⌒∇⌒)ゞ ♪
という事で、私の運送屋家業も今年から20年目に突入することになります (^^ゞ
この20年もまた、無我夢中で駆け抜けてきた、アッという間の
20年だったように思えます・・・
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コメント
私は高校入試を直前に控えた中学三年生でした。
テレビ越しでしたが、神戸の惨憺たる姿は未だに鮮明であります。都市部の災害だったので被害が余計に大きくなった様な気がします。
これから、いくら復興が進んでいっても大切な家族や財産を失ってしまった方達の無念は一生消えることはないですし、私達も共有しなければならない記憶でしょう。
亡くなった皆さんの御冥福を心より御祈り申し上げます。
m(_ _)m
投稿: 力三郎 | 2015年1月17日 (土) 11:57
朝、出勤前に見たテレビの映像は衝撃的でした。
これは大変なことになるな、と思いました。
そしてサリン事件、あの日私は都内へ出張予定でしたが、予定が変更になり、地下鉄に乗ることはありませんでした。
その直後に娘が生まれました。
先日成人式に行きました。
投稿: メイの家 | 2015年1月17日 (土) 16:18
力三郎さん、どうもです (^_^)/
意外といったら失礼かもしれませんが、想像していたよりもお若いのには驚きました (〃⌒∇⌒)ゞ ♪
こうした災害の度に思う事は、建物や道路などの建築物はいずれ復興できますが、人命だけは取り返す事ができないので、私にできる事は人的被害が無いようにと祈る事だけです・・・ (__;)
投稿: 夢ピ | 2015年1月17日 (土) 16:20
メイさん、どうもです (^_^)/
そうですか、いい意味でも悪い意味でも、感慨深い20年という事ですね。
あの地下鉄サリン事件の日は、仕事をしながらラジオの情報に耳を傾けていました (;^_^A アセアセ・・・
日本でもこんなテロが起きるんだと恐ろしくなりました・・・ (__;)
投稿: 夢ピ | 2015年1月17日 (土) 19:14