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2015年11月21日 (土)

北の湖敏満が逝く

 昨夜、テレビを見ていたら、突然北の湖理事長の訃報が速報で入ってきた・・・ (__;)

 

 元大関の貴ノ浪が43才という若さで急逝したのが6月20日のこと。
 ちょうど5ヶ月前の事だった・・・ (__;)

 二人ともこれからの協会を背負って行くはずだった屋台骨の一人であることはいうまでもなく、貴ノ浪は広報部長として報道関係者たちからの人気は高かったと言われ、協会関係者とも交友が深く、広い人脈も持っていただけに、これからという時の訃報はファンだけでなく、協会にとっても大きな損失となった・・・ (ノ_-;)ハア…

 

 対して、今回亡くなった北の湖ですが、理事長職を長く務め、文字通り協会の顔であり続けて来ただけに、その衝撃は計り知れない・・・ (__;)

 私と5才しか歳の離れていない62才という年齢も、今の社会では若すぎるし、私が小学生の低学年だった頃から角界に入り、すでに相撲を取っていたワケですから、正直、私の人生とほとんど重なっているような気にさえなってきます (^_^ゞポリポリ

 

 私が小学生の頃は、大鵬の全盛期でしたし、北の湖自身も入門から幕下あたりに居ましたから、テレビに映る事もなく、名前を聞くことは全くありませんでした。
 それ以前に、この頃の私は大相撲にはまったく関心はありませんでしたから、力士の名前も知っているのは数えるほどしかありませんでした・・・ (;^_^A アセアセ・・・

 私が中学生になった頃、ようやく十両に上がり、関取と呼ばれるようになった北の湖。
 この頃から目覚ましい勢いで番付を駆け上がっていきますが、相変わらず北の湖の名前を意識した記憶はありません (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 私が喜多方高校に入学する一ヶ月前に行なわれた春場所に、北の湖は新大関として土俵に上がります。
 そして、大関としての期間は僅かに三場所、高一の夏休みが終わって迎えた秋場所には、すでに腰に綱を締めていた北の湖・・・

 というワケで、私の記憶の中には、北の湖という力士の現役時代は「横綱」としての姿しか残っていません(苦笑)

 

 その後、テレビを見る機会も少なく、高校を卒業した後はテレビの無い生活も長かったですから、正直なところ大相撲をテレビで見たこともほとんど無かったんですが、この頃は北の湖は晩年を迎えており、代わって台頭してきたのが千代の富士隆の里です (^^)v

 私が大相撲をよく観るようになったのは昭和62年の春からのことですから、その頃にはすでに北の湖は引退していまして、北の湖の現役時代を知っているとはいっても、土俵上で取り組みをしていた姿をリアルタイムで見た記憶はほとんどありません (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 時代は蔵前国技館から今の両国国技館へと舞台を移した頃で、小錦の台頭、北尾の横綱昇進と廃業、若貴兄弟と曙の登場、千代の富士の引退と、大相撲の舞台もそこに立つ主役たちも目まぐるしく移り変わっていった頃です・・・

 

 そんな経緯もあって、北の湖は親方として北の湖部屋を創設し、何人もの関取を排出した他、理事長を歴任するなど、私にとっては「力士」というよりは「親方」というイメージの方が断然強かった・・・

 つい先日も、白鵬が栃煌山戦で行なった「猫だまし」について、横綱がやるべき事じゃないと苦言を呈したのは記憶に新しい・・・

 

 現役時代も、親方になってからも、苦虫を噛みつぶしたようなふてぶてしい顔は変らず、個人的にはどうしても好きになれない親方でした (^_^;
 どうしていつもあんな顔をしているのかと思えなくもないんですが、逆に、ニコニコしている北の湖というのも想像できないので、アレはあれで良かったのかとも思えなくもありません (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 いずれにしても、心よりご冥福をお祈り申し上げます・・・

 本当に、お疲れ様でした・・・ m(_ _;)m

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コメント

私が小学に入った頃には既に引退されており、千代の富士の時代でした。

そんな千代の富士も北の湖が大きな壁だったそうです。
(;^_^A

ライブで角界に君臨した横綱としての記憶はなく、やはり理事長としての北の湖さんでしょう。
在任中はいろいろありましたが、個性的過ぎるくらい個性的な力士・親方集団を一つにまとめるには最適任者だった様にお見受け致します。
惜しむらくはもう一度日本人力士に賜杯を渡せなかった事でしょう。

御冥福を御祈り申し上げます。
m(_ _)m

投稿: 力三郎 | 2015年11月21日 (土) 17:46

 力三郎さん、どうもです (^_^)/

 還暦目前の私くらいの年代でも、北の湖の現役時代はほとんど知らないわけですから、偉大な横綱とか憎らしいほど強い横綱とか言われても、ピンと来ない人は私を含めて大多数だと思います (^^;

 いわゆる、昭和の偉人と呼ばれても仕方のないくらい、過去の人なのかもしれません・・・ (;^_^A アセアセ・・・

投稿: 夢ピ | 2015年11月21日 (土) 18:50

この件に関しては、私もブログに書かせてもらいました。(笑)
実のところ私は、アンチ北の湖でした。
それも段違いに強いかったからですね。
ご冥福をお祈りいたします。


ところで、今、また鶴竜に白鳳が負けましたね。
白鳳はどうしたのか。
白鳳らしくなくちょっと不思議な感じがしますし、何かおかしいなあ。
年齢的な限界か、どこか具合が悪いのか、それともやる気をなくしているのか、何だろう。
やっぱり、膝の関係なのかな。


投稿: メイの家 | 2015年11月22日 (日) 17:31

 メイさん、どうもです (^_^)/

 私は、白鵬がどうのというよりも、勝った対戦相手の意地が勝った結果だと思います。

 日馬富士も、照ノ富士も、鶴竜も、この一番だけは負けるわけにはいかないと思ったからこその白星だったんじゃないかと (^^)v

 火事場の○○力ではありませんが、白鵬だって人間です、まったく歯が立たない相手だとは私は思いません。

投稿: 夢ピ | 2015年11月22日 (日) 18:42

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