« 幕引き | トップページ | 財源 »

2015年12月19日 (土)

岡本おさみが逝く

 「襟裳岬」などのヒット曲で知られる作詞家の岡本おさみ氏が、先月末、心不全のため死去したと報じられた。

 

 岡本おさみといえば、フォークの黎明期からフォークソングにどっぷりと首まで浸かって生きて来た私なんかには、喜多條忠と共にかなり思い入れのある作詞家です。

 かぐや姫をこよなく愛している私には、当時彼等と交友の深かった吉田拓郎も大好きなアーティストでしたから、彼等の作品と共に作詞家「岡本おさみ」の名前は自然とアタマの中にインプットされました (;^_^A アセアセ・・・

 当時、吉田拓郎の多くの作品の作詞を手がけていたのが岡本おさみで、私が最初に「岡本おさみ」の名前を知ったのが、吉田拓郎の歌う「旅の宿」で、私が中学2年生の頃の事です。

 ちなみに、私が大好きな喜多條忠が手がけた「神田川」が大ヒットし、喜多條忠の名前を覚えたのが、その翌年の事になります (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 「岡本おさみ」の名前は、私が中学3年生の時に森進一が歌って大ヒットした「襟裳岬」で全国区になります。
 もちろん、私のように「旅の宿」でその名前を知った人も少なくなかったと思いますが、吉田拓郎と森進一とでは、同じ大ヒット曲を歌っている歌手とは言っても、世間に対するアピール度は雲泥の差がありまして、歌謡界の大御所だった森進一から比べれば、テレビにほとんど出る事のない吉田拓郎は、世間的にはまだまだ知る人ぞ知るといった感じのマイナーな歌手でしかありませんでした。

 そんな吉田拓郎も、「襟裳岬」の大ヒットで、作詞をした岡本おさみと並び、作曲家として一躍名を轟かせます。

 当時はフォークソングなんて、一部のオタクがギターを手に歌っているキワモノ的な歌でしかなかったのが、「襟裳岬」のヒットによって作曲をした吉田拓郎にもイッキに陽が当たるようになり、かぐや姫、吉田拓郎、井上陽水などのフォークシンガーの名前が日本中に知れ渡るようになりました。

 ただ、「フォークソング」というジャンルは、私が中学生だった頃に岡林信康や高石ともやなどによって世に生まれ、高校生だった頃にイッキに花開き、高校を卒業した頃には、荒井由美やアリス、甲斐バンド、ツイストなどに代表される「ニューミュージック」ということばに取って代わられ、その華やかなりし時期は本当に短かったと言わざるを得ません。

 私自身は、十代の感受性の強い時期がまさにフォークソング全盛期だったこともあって、骨の髄まで「フォークソング」が染みついていますが、チョッと世代が違えば、フォークソングよりはニューミュージックとかロックとかが心の歌と言う人は多いと思います (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 それはともかくとして、岡本おさみや喜多條忠の歌詞は、私好みのストーリー性のある歌詞が特徴で、今全盛の「歌詞の無い歌」とは全く違い、作品の中にドラマが描かれているのが私のお気に入りの理由です。

 8年前に「歌詞のない歌」という記事を書いて、『最近の歌には歌詞が無い』と嘆いた事があります。
 そういう、「歌詞のない歌」の対極にあるのが、岡本おさみの詞であり、岡本おさみワールドでもあります。

 ちなみに、私がお気に入りの岡本おさみの作品ですが、代表曲である「襟裳岬」ももちろん大好きな一曲なんですが、どちらかといえば「落陽」の方が好みですかね (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 いずれにしても、ファンの端くれの一人として、ご冥福をお祈り申し上げます・・・ (-人-)

|

« 幕引き | トップページ | 財源 »

コメント

旅の宿を書いた青森の温泉旅館のことを、岡本おさみが語っているのを何かで読みました。
全く歌詞どおりの状況だったとか。

襟裳岬の歌詞の寒い友達が来た温まってゆきなよ、というのも随分と私の印象に残っています。

ご冥福をお祈り申し上げます。

投稿: メイの家 | 2015年12月19日 (土) 19:32

 メイさん、どうもです (^_^)/

 私もそういう歌にまつわる裏話が好きで、昔NHKが放送していた「そして歌は誕生した」という番組をよく見ていました (^^ゞ

投稿: 夢ピ | 2015年12月19日 (土) 20:41

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 岡本おさみが逝く:

« 幕引き | トップページ | 財源 »