2013年9月 5日 (木)

あきらめない

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 あきらめないこと
 どんな事態に直面しても
 あきらめないこと

 結局
 私のしたことは
 それだけのことだったのかもしれない

 

 これは、冒険家である植村直己が残したことばです。

 

 「あきらめない」・・・

 かつて、松下幸之助も、「成功の秘訣はなんですか」と問われて、
 「成功するまでやめないことです」と答えたというのは有名なハナシです。

 しかし、これが植村直己の語ったことばだとすると、少々ハナシが違ってきます。

 

 ご存じのように、植村直己はモンブランを始め、キリマンジャロやチョモランマなど、世界初の五大陸最高峰登頂者として歴史に名前を残した
有名な登山家ですが、1984年2月12日、43歳の誕生日にマッキンリー世界初の冬期単独登頂を果たした後、翌2月13日に行われた交信を最後に連絡が取れなくなり、消息不明となりました・・・ (^^;

 遭難したということで何度か捜索も行なわれましたが、今現在も氏の発見にはいたっておらず、残念ながら生存の可能性は無いというコトです。

 

 氏の数々の偉業も、「どんな事態に直面してもあきらめない」という信念があったからこそ成し遂げられたのだと思うのですが、逆に、「どんな事態に直面してもあきらめなかった」から、最後は遭難するような事態に至ってしまった・・・ とも言えるわけで・・・ (;^_^A アセアセ・・・

 

 よく、「引き返す勇気」などと言われたりもしますが、登山に限らず
ナンにでも言えることですが、困難な事態に直面した時、「それでも前に進む」のか、「諦めてそこから引き返す」のか、その判断を下すのは、いつの場合も、誰にとっても、非常に難しい・・・

 

 勘違いしている人も少なくないのですが、登山」というのは
「山に登ること」が全てではありません

 山に登っただけでは目的の半分しか達成していないワケで、登った山から無事に下山したからこそ、「オレはあの山に登った」と誰かに言うコトができるわけです。

 

 翻って、植村直己が最後に登った「マッキンリーの冬期単独登頂」は、確かに山頂に立ったことが証明されているとはいえ、「成功した」と言えるのでしょうか・・・ (?。?)

 記録には『マッキンリー冬期単独登頂(世界初)』と記されていますから、下山途中に遭難していても、登頂成功者としてその名前を歴史に残したようですが、一応高校時代に山岳部に籍を置いた私としては、最後のマッキンリーだけは「登山としては失敗だった」と思っています。

 まぁ、遭難して亡くなっているワケですから、下山に失敗したからといって単独登頂は成功していないとは言えないというか、せめて登頂には成功したという事にしないと気の毒だという思いが関係者にはあったんだろうと思います。

 

 生前の植村直己は、「冒険で死んではいけない。生きて戻ってくるのが絶対、何よりの前提である」という言葉を残していたそうで、戻ってくることの大事さは十分にわかっていたようですが、最後はその思いを果たせなかったようで、非常に残念でなりません・・・ (__;)

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2013年8月 1日 (木)

ふりむくな

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 これは、70年代に一世を風靡した競走馬の「ハイセイコー」が引退した際に、寺山修司が書いたとされる「さらばハイセイコー」という詩の中の一節です。

 昨日の、斉藤和巳の退団を受け、こんな詩があったコトを思い出したので・・・ (^^ゞ

 

 「ふりむくと・・・」という書き出しで、何人もの人生を綴っていくこの詩は、なかなかに味があっておもしろい・・・ (*^.-^*)♪

 けっこう長い詩なんですが、全文をお読みになりたい方は、下にリンクを貼り付けておきましたので、クリックしてご覧ください ( ^-^)/ ♪

 

20130801001

http://www.geocities.jp/anato_senka2/meiba/haiseikoh.html

 

 それはともかくとして、3年前にも「さらばハイセイコー」という
タイトルの記事をここに書いたことがあります。

 あの時には、オグリキャップの訃報に接し、その昔、一大ブームを巻き起こしたハイセイコーの思い出として、引退時に発表された歌謡曲をご紹介したワケなんですがね・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 引退に際し、歌謡曲や詩まで作られたハイセイコー・・・

 競馬ファンだけに止まらず、社会現象にもなったからこそ、そんな作品も作られて発表されたんだと思います。

 

 それだけ人々に愛されていた、ハイセイコー・・・
 それだけ人々に引退を惜しまれた、ハイセイコー・・・

 

 私自身はリアルタイムでハイセイコーを知っている世代ではありますが、子供だったこともあって、テレビでさえレースをしているハイセイコーを見た記憶はありません。

 でも、そんな私でさえハイセイコーブームに沸いたあの頃を知っているわけで、今ほど情報が得やすい社会情勢ではなかったにも関わらず、社会にそれだけの影響を与えたハイセイコーという競走馬は、やはり怪物であり、アイドルだったのだろうと思わざるを得ません。

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2013年2月22日 (金)

ドーナツ

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 楽観主義者はドーナツを見、
 悲観主義者はドーナツの穴を見る。

 

 これは、アイルランド出身の作家である、オスカー・ワイルドのことばです。

 ( The optimist sees the doughnut, the pessimist sees the hole )

 

 思わず、なるほどと唸らされてしまいました(苦笑)

20130222001 確かに、ポジティブな人は、食べる方の「ドーナツ」そのものに目がいき、美味しそうだとか思うんでしょうが、ネガティブな人は、食べられない「穴」の方につい目がいきがちで、穴が大きいから食べるところが少なそうだとか思うのでしょうか・・・ (;^_^A アセアセ・・・

 「穴」なんか見ても、つまらないだろうと私なんかは思うんですが、世の中、いろんな人がいますから、中にはそういう人もいらっしゃるのかもしれません (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 

 蛇足ですが、「ドーナツ(doughnut)という名前の語源は、「ドウ(dough)」と呼ばれる小麦粉の生地の上に、クルミなどのナッツ(nut)が載っていたからというのが一般的な説です。

 

20130222003jpg  しかし、別の説もありまして、ドウで作られたナット状のモノだから、ドーナツだというもので、私なんかはこちらの説を支持しています (^^)v

 「ナット」というのは、こんな感じの雌ネジであり、真ん中にボルトを通す穴が開いたリング状のモノで、見た目はまさに「ドーナツ」そのものじゃないかと (^◇^) 。。。ケラケラ

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2012年9月 8日 (土)

変化

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 誰もが世界を変えたいと思うが


  誰も自分自身を変えようとはしない。

 

 これは、トルストイのことばだそうですが、
なるほどなぁと・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 今、政局は混迷を極め、与党の民主党も、野党の自民党も、党の顔を誰にしようかと躍起になっていますが、国民の目には白々しく映っているのではないか・・・ (ノ_-;)ハア…

 

 何だかんだ言われてきましたが、結局、現政権のもとでは自ら痛みを伴う改革は先送りで、議員定数議員報酬も、今までのままとなりそうです q(`o')ブー!!

 そんなだから、国民の多くは、橋本氏率いる
「維新の会」に期待するんじゃないのか!

 

 私も、今選挙が行なわれるとしてですよ、私の選挙区で「大阪維新の会」の候補者が立候補したなら、間違いなくその候補者に一票を投じようかなと考えています(笑い)

 それが、無党派層の私の、今できる「抵抗」であり、「意思表示」なのだと・・・ (^^)v

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2012年4月18日 (水)

本多忠勝

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 「家康に 過ぎたるものが二つあり
          唐(から)のかしらに 本多平八」

 

 これは、武田信玄と徳川家康の間で行われた、一言坂の戦いにおいて、しんがりを務めた本多忠勝の武功を讃え、武田方の小杉左近が詠んだとされている狂歌です。

 

 昨日、「大多喜城」に絡んで、本多忠勝の名前が出たので、今日は城主だった本多忠勝のコトについて少々・・・ (^_^ゞポリポリ

 

 上の狂歌の中に出てくる「平八」というのは、本多忠勝の通称だった「平八郎」のことです。

 「忠勝」の名前の由来は、「ただ勝つのみ」という事からもわかるように、本多忠勝は戦国時代に星の数ほどもいた勇猛果敢な武将の中でも、ずば抜けて強かったとされている猛将の一人で、徳川四天王や徳川三傑にも名を連ね、徳川軍の中でもNO.1の武功派であり、豪傑と言われた武将です。

 

 幼い頃から家康に仕え、生涯に57回の合戦に臨み、いずれの戦いにおいてもかすり傷一つ負わなかったと伝えられており、家康の信頼も厚く、常に重用されてきたものの、天下統一が成し遂げられた晩年は戦もなくなり、活躍の場を失うと、本多正純に代表される吏僚派がハバを効かせるようになり、中枢からも次第に遠ざけられるようになって居場所を失い、嫡男の本多忠政に家督を譲って隠居した・・・

 

 要は、戦一筋にしか生きられなかった「不器用者」という事なんでしょうが、だからこそ、私好みの武将の一人であり、好きなんですよね・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 「大多喜城」・・・

 前から、ぜひ一度は訪れてみたいと思っている場所です・・・

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2011年10月29日 (土)

悪法

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 「悪法もまた法なり」

 これは、古代ギリシャの哲学者である、ソクラテスが言ったとされていることばなんですが、たとえ納得できないようなひどい法律であっても、法律である以上、それを守る事が社会秩序の維持には必要であり、大切だという事です。

 

 それはともかくとして、警察庁は、25日、ルールやマナーを無視して歩道を走行する自転車が後を絶たず、事故も多発しているとして、取り締まり強化などを柱とした自転車の総合対策をまとめ、悪質で危険な運転に対しては赤切符で摘発するように全国の警察に指示したと報じられました。

 

 なるほど、歩道を我が物顔で走行する自転車は私も見かけたことがあるし、歩行者保護のためにも歩道から自転車を締め出すことに対しては私も大賛成です。

 

 ただ・・・
 一応、賛成ではあるのですが、自転車が本来走るべき「車道」ではなくて、敢えて「歩道」を走ろうとする気持ちもわからないでもありません。

 自転車も、道交法の上では「軽車両」という名前のクルマに分類されるわけですから、そこには交通ルールに則った安全運転が義務づけられるのは当然の事であり、車輌であるからには「自転車が歩道を走るのは論外だ」というのは、いわば「当たり前」だとは思うのですが、狭い我が国の事とて、簡単に自転車専用道路のようなモノを作るようなわけにはいかないのは理解できます。

 そこで、やむを得ず一般の車道を走らざるを得ないということになるわけですが、一昔前ならともかく、自動車が道路に溢れている現代においては、それらと一緒になって車道を走ることに恐怖を感じる自転車の運転者も多いと思います。

 狭いだけならまだしも、道路は「生きている」わけですから、どこでどんな状況が発生するのかもわからないので、「自転車なんだから車道を走れ!」というのはかなり一方的すぎる言い分のようにも思えなくもありません。

 例えば、路線バスや駐車車両が道路の左端に止まっていた場合、自転車が歩道を走れないとしたなら、車道側から止まっている車を追い越して行かなくてはならないわけですから、自転車にとっても車を運転しているドライバーにとっても、非常に危険な状況になってしまうわけですよ (^^;

 

 先の、「悪法もまた法なり」というソクラテスのことばを借りるまでもなく、携帯電話やヘッドホンステレオを利用しながら自転車を運転したり、歩道を走行する自転車に対して「赤切符」を切るのは、納得できない人も多いと思いますが、ある意味やむを得ない処置なのではないかと、個人的には思う次第です・・・

 

 手軽な乗り物ゆえに、自転車を運転する人のモラルが低下しているという指摘は、確かに間違いないと思います。

 無灯火飲酒運転は言うまでもなく、傘をさした片手運転二人乗り、挙げ句は道路の右端を走る逆走信号無視など、危険な運転をしている自転車は毎日のように見かけます (ノ_-;)ハア…

 こういう規範意識の薄い自転車・・・というよりも、無謀な運転をしている自転車が減って、歩行者も自転車も安心して歩道を利用できるような社会になれば、「自転車は歩道を走るな」なんてヤボな事は誰も言わなくなると思うんですがねぇ・・・ (__;)

 つまるところ、今回の取り締まり強化は、自転車を利用している人が自ら招いた結果という事になるのかなと・・・ (^^ゞ

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2011年9月 8日 (木)

中年の星

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 これは、アメリカの元ヘビー級チャンピオンである、ジョージ・フォアマンが語ったとされる言葉です。

 昨日、ロッキーの記事の中でフォアマンの事にちょっと触れまして、そういえばそんな凄いボクサーが居たなぁと懐かしく思い出し、今日の記事となりました (^_^ゞポリポリ

 

 フォアマンが生まれたのは、1949年という事ですから、戦後間もなくのことであり、私より10才近くも年上です。

 そのフォアマンがボクシングで有名になった最初の一歩が、1968年に行なわれたメキシコ五輪です。
 この時、フォアマンは圧倒的な強さを見せつけてヘビー級の金メダルを獲得しました。
 フォアマンが19才の時のことです。

 

 翌年、20才でプロに転向し13連勝、翌年にも12連勝という快進撃を続け、71年に22才でNABF北米ヘビー級王座を獲得。

 73年には、ジョー・フレージャーを2ラウンドKOで倒し、統一世界ヘビー級王座を獲得して、名実ともに世界チャンピオンとなります。
 フォアマンが24才の時のことです。

 以後、74年にモハメド・アリに敗れてチャンピオンの座から陥落するまで、プロで40連勝を続け、怪物ぶりを存分に見せつけました。

 しかし、77年に、ジミー・ヤングに判定負けを喫し、試合後のロッカールームで「神を見た」と言って28才で突然の引退を発表します。

 

 以後は、宣教師になってボクシング界からは遠ざかるのですが、ここまでの人生だけでも、ボクサーとして十分に輝いたスーパースターだったことがうかがえます。

 

 しかし、フォアマンの本当の凄さは、実はこの後の人生にあります・・・

 

 87年に、10年ぶりに現役のリングに復帰しますが、この時すでにフォアマンは38才という年齢です。
 加齢と不摂生な生活のせいですっかり脂肪が付いた肉体は、かつての体型とはほど遠く、すでに伝説のボクサーとなっていたフォアマンですから、このカムバックは無謀と言われ、嘲笑さえ起こりました・・・

 なにしろ、ヘビー級のリングでは、大男達が自慢の豪腕を振り回して戦うわけで、何が起こっても不思議ではないほどの死闘が繰り広げられます。一歩間違えば大怪我はもちろん、命だって失う可能性があります。
 そんな危険な世界へもう一度足を踏み入れようというのですから、周囲は大いに驚き、戸惑ったろうと思います。

 

 しかし、フォアマンは、「カムバックの動機はカネのためではない」と言い放ち、戦いに向かう目はいつも真剣で、その強さもまたホンモノでした。

 明らかにスピードは無くなりましたが、かつての豪腕は健在であり、試合運びが上手くなったことも手伝って、カムバック後、24連勝を続け、91年には、統一世界ヘビー級王者であるイベンダー・ホリフィールドの初防衛戦の相手に指名されるところまで上り詰めます。

 

 往年のハードパンチは、42才となった当時でも健在でしたが、相手は脂の乗った28才の実力派王者であり、下馬評ではホリフィールドの圧倒的優利は動きませんでした。

 予想通り、スピードで上回るホリフィールドは優位に試合を進めますが、防戦一方のフォアマンを倒すまでには至らない・・・

 結局、このタイトルマッチは、12ラウンドをフルに戦って3-0でホリフィールドが初防衛を果たしますが、勝者のホリフィールドを称える声よりも、フォアマンの大健闘を賛辞する声の方がはるかに上回った試合となりました。

 

 冒頭の「老いは恥ではないんだよ」ということばは、このホリフィールド戦の後に語ったものとされています。

 確かに、若さでもスピードでも、フォアマンはホリフィールドの敵ではありませんでした。
 しかし、フォアマンには加齢と共に培ってきた「経験」という確かな武器と、決して失うことのなかった「夢」という大きな支えがありました。

 

 冒頭のことばの他にも、フォアマンは数々の名言を残しました。
 そして、その多くに「夢」ということばが含まれています。

 「夢を見ないくらいなら、死んだ方がマシだ。」

 「努力を続ければ、夢は現実になる。」

 「夢を見ることが出来る者は、何でも出来るということを教えてやる。」

 「目的がはっきりしていれば、苦しい練習にも耐えることができる。」

 「どんなに絶望的でも、どんなに彼方でも、それを私は目指す。」

 

 

 そして、94年の11月、世界中がフォアマンに奇跡を見せられ、そして驚かされることになる・・・

 

 3年前にフォアマンを破り、初防衛を果たしたホリフィールドに勝って、新しくヘビー級のチャンピオンになったマイケル・モーラー。
 フォアマンよりも19才も年下の、26才の若いチャンピオンとのタイトルマッチが組まれ、下馬評を覆して、見事にKO勝ちを納め、史上最年長で世界ヘビー級チャンピオンとなったフォアマン。

 その時にも・・・

 「なあみんな、夢見ることを諦めちゃいけないよ。
  いくつになっても星に願いをかけようじゃないか。」

 そんなことばを語ったと言います。

 

 当時、世界中の人々から「中年の星」と崇められ、讃えられたジョージ・フォアマン・・・

 

 下に、奇跡といわれたKOシーンの動画を貼り付けてみました。
 よかったら、一度ご覧になってみてください ( ^-^)/ ♪
 ちなみに、赤いトランクスを履いている方がフォアマンです。

 

 

 

 その後、フォアマンは95年にアクセル・シュルツを、96年にクロウフォード・グリムスリーを破ったものの、97年の11月、シャノン・ブリッグスに12R判定負けを喫し、今度こそ本当にグローブを置き、リングを後にした・・・

 

 87年にカムバックした時、動機は金ではないと言った通り、ファイトマネーは慈善事業に惜しみなく寄付してきたという・・・

 戦う宣教師として、10年間をリングという四角い戦場に身を投じたジョージ・フォアマン。

 その姿は、お世辞にも美しいとはいえなかったけれど、多くの人が感動を受け、賛辞を贈ったのではないか・・・

 

 もちろん、私もその中の一人であり、フォアマンは間違いなくリングの中で一際大きく輝いた「中年の星」だったと思っています。

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2011年8月29日 (月)

ふるさとは

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 これは、室生犀星の「ふるさとは遠きにありて」という、有名な詩の中の一節です。

 

 「ふるさとは遠きにありて」というのが本当のタイトルなのかどうか、文学に疎い私にはいまいちハッキリとはしませんが、以下に詩の全文を貼り付けてみます。

 

 ふるさとは遠きにありて思ふもの
 そして悲しくうたふもの

 よしや
 うらぶれて 異土の乞食となるとても
 帰るところにあるまじや

 ひとり都のゆふぐれに
 ふるさとおもひ涙ぐむ
 そのこころもて
 遠きみやこにかへらばや
 遠きみやこにかへらばや

 

 故郷はなんとなくいいものだという「望郷の念」は誰にでもあると思いますが、室生犀星のこの詩には、そういった想いは全く書かれてはいません。

 故郷は、遠くで思うものであって、たとえ乞食に身を落としても、断じて帰るところではないと言っているわけですから・・・ (^^;

 自分の生まれ育った故郷を、ここまでの思いで捨て去ることが出来る・・・というか、捨てざるを得なかった室生犀星という人物とはどんな人間なのか、どのような人生を歩んできたのか・・・

 

 私にはよくわかりませんが、故郷はその人の原点ですからねぇ、実際にそこで暮らすかどうかは別にして、帰りたいと思うのが一般的な感覚だと思うので、絶対に故郷には帰らないぞ、帰る場所は都会であって、オレは都会で暮らすんだと考えざるを得ないとなると、そうとう悲しい人のようにも思えます・・・ (__;)

 

 それはともかく、今年のお盆も、故郷である会津には帰省できませんでした・・・ (^_^ゞポリポリ

 なんとかやり繰りをつけて、雪が降る前までには、一度両親の顔を見てきたいとは思っているのですが・・・ (^_^ゞポリポリ

 それと、会津の友人たちとも、今年は一度も顔を合せていないので、日頃の無沙汰をわびる意味でも、家内を伴って酒を酌み交わしたいなと・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

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2011年7月 3日 (日)

誰かと見る夢

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 ひとりで見る夢は 夢でしかない
 しかし 誰かと見る夢は 現実だ

 

 これは、芸術家であり、音楽家でもある、オノ・ヨーコのことばです。

 なかなかうまいこと言うなぁと思います (^_^ゞポリポリ

 

 ヨーコも、ジョンと二人で、同じ夢を見ていたのでしょう。

 それがどんな夢だったのか・・・

 おそらくは、平和 ・・・ なのでしょうねぇ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

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2011年6月27日 (月)

二人の視線

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 「愛するとは ただ互いに見つめあうことではない

     二人が 同じ方向を見ることだ」

 

 これは、フランスの小説家、サン・テグジュペリが言ったとされることばです。

 まぁ、言っている事はなんとなくわかるかなと・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 男女が二人寄り添って、お互いの顔を見つめ合い、
「愛してるよ・・・」ナンてささやき合う姿は、映画なんかではお馴染みのシーンだと思います(苦笑)

 

 実際に、そういう事を行なうかどうかは別にして、恋愛とは、お互いのことをよく見つめ合うことだと思っている方も少なくないと思います。

 そういう方達の中には、最近は、自分の事を見てくれなくなったから、愛情が薄れてきたんじゃないかと相手の愛情を疑ってしまうなんてハナシさえ耳にすることがあります (^^;

 

 しかし、本当に大事な事は、お互いを見つめ合うことではなく、二人が同じ方向を見ているかどうかです。

 

 ここでいうところの「同じ方向」とは、二人の視線の先という文字通りの意味ももちろんありますが、どちらかといえば、二人の描いている将来的なビジョンという意味合いの方が大きいと思います。

 言い換えれば、価値観が同じかどうかということです。

 

 もし、二人の考えている「幸せ」の形が、同じものでなかったとしたら・・・ (^_^;

 

 幸せな結末にはならないだろうということは容易に想像がつきます。

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