これは、アメリカの元ヘビー級チャンピオンである、ジョージ・フォアマン が語ったとされる言葉です。
昨日、ロッキーの記事の中でフォアマンの事にちょっと触れまして、そういえばそんな凄いボクサーが居たなぁと懐かしく思い出し、今日の記事となりました (^_^ゞポリポリ
フォアマンが生まれたのは、1949年という事ですから、戦後間もなくのことであり、私より10才近くも年上です。
そのフォアマンがボクシングで有名になった最初の一歩が、1968年に行なわれたメキシコ五輪です。 この時、フォアマンは圧倒的な強さを見せつけてヘビー級の金メダルを獲得しました。 フォアマンが19才の時のことです。
翌年、20才でプロに転向し13連勝、翌年にも12連勝という快進撃を続け、71年に22才でNABF北米ヘビー級王座を獲得。
73年には、ジョー・フレージャーを2ラウンドKOで倒し、統一世界ヘビー級王座を獲得して、名実ともに世界チャンピオンとなります。 フォアマンが24才の時のことです。
以後、74年にモハメド・アリに敗れてチャンピオンの座から陥落するまで、プロで40連勝を続け、怪物ぶりを存分に見せつけました。
しかし、77年に、ジミー・ヤングに判定負けを喫し、試合後のロッカールームで「神を見た」と言って28才で突然の引退を発表します。
以後は、宣教師になってボクシング界からは遠ざかるのですが、ここまでの人生だけでも、ボクサーとして十分に輝いたスーパースターだったことがうかがえます。
しかし、フォアマンの本当の凄さは、実はこの後の人生にあります・・・
87年に、10年ぶりに現役のリングに復帰しますが、この時すでにフォアマンは38才という年齢です。 加齢と不摂生な生活のせいですっかり脂肪が付いた肉体は、かつての体型とはほど遠く、すでに伝説のボクサーとなっていたフォアマンですから、このカムバックは無謀と言われ、嘲笑さえ起こりました・・・
なにしろ、ヘビー級のリングでは、大男達が自慢の豪腕を振り回して戦うわけで、何が起こっても不思議ではないほどの死闘が繰り広げられます。一歩間違えば大怪我はもちろん、命だって失う可能性があります。 そんな危険な世界へもう一度足を踏み入れようというのですから、周囲は大いに驚き、戸惑ったろうと思います。
しかし、フォアマンは、「カムバックの動機はカネのためではない」と言い放ち、戦いに向かう目はいつも真剣で、その強さもまたホンモノでした。
明らかにスピードは無くなりましたが、かつての豪腕は健在であり、試合運びが上手くなったことも手伝って、カムバック後、24連勝を続け、91年には、統一世界ヘビー級王者であるイベンダー・ホリフィールドの初防衛戦の相手に指名されるところまで上り詰めます。
往年のハードパンチは、42才となった当時でも健在でしたが、相手は脂の乗った28才の実力派王者であり、下馬評ではホリフィールドの圧倒的優利は動きませんでした。
予想通り、スピードで上回るホリフィールドは優位に試合を進めますが、防戦一方のフォアマンを倒すまでには至らない・・・
結局、このタイトルマッチは、12ラウンドをフルに戦って3-0でホリフィールドが初防衛を果たしますが、勝者のホリフィールドを称える声よりも、フォアマンの大健闘を賛辞する声の方がはるかに上回った試合となりました。
冒頭の「老いは恥ではないんだよ」 ということばは、このホリフィールド戦の後に語ったものとされています。
確かに、若さでもスピードでも、フォアマンはホリフィールドの敵ではありませんでした。 しかし、フォアマンには加齢と共に培ってきた「経験」 という確かな武器と、決して失うことのなかった「夢」 という大きな支えがありました。
冒頭のことばの他にも、フォアマンは数々の名言を残しました。 そして、その多くに「夢」ということばが含まれています。
「夢を見ないくらいなら、死んだ方がマシだ。」
「努力を続ければ、夢は現実になる。」
「夢を見ることが出来る者は、何でも出来るということを教えてやる。」
「目的がはっきりしていれば、苦しい練習にも耐えることができる。」
「どんなに絶望的でも、どんなに彼方でも、それを私は目指す。」
そして、94年の11月、世界中がフォアマンに奇跡を見せられ、そして驚かされることになる・・・
3年前にフォアマンを破り、初防衛を果たしたホリフィールドに勝って、新しくヘビー級のチャンピオンになったマイケル・モーラー。 フォアマンよりも19才も年下の、26才の若いチャンピオンとのタイトルマッチが組まれ、下馬評を覆して、見事にKO勝ちを納め、史上最年長で世界ヘビー級チャンピオンとなったフォアマン。
その時にも・・・
「なあみんな、夢見ることを諦めちゃいけないよ。 いくつになっても星に願いをかけようじゃないか。」
そんなことばを語ったと言います。
当時、世界中の人々から「中年の星」 と崇められ、讃えられたジョージ・フォアマン ・・・
下に、奇跡といわれたKOシーンの動画を貼り付けてみました。 よかったら、一度ご覧になってみてください ( ^-^)/ ♪ ちなみに、赤いトランクスを履いている方がフォアマンです。
その後、フォアマンは95年にアクセル・シュルツを、96年にクロウフォード・グリムスリーを破ったものの、97年の11月、シャノン・ブリッグスに12R判定負けを喫し、今度こそ本当にグローブを置き、リングを後にした・・・
87年にカムバックした時、動機は金ではないと言った通り、ファイトマネーは慈善事業に惜しみなく寄付してきたという・・・
戦う宣教師として、10年間をリングという四角い戦場に身を投じたジョージ・フォアマン。
その姿は、お世辞にも美しいとはいえなかったけれど、多くの人が感動を受け、賛辞を贈ったのではないか・・・
もちろん、私もその中の一人であり、フォアマンは間違いなくリングの中で一際大きく輝いた「中年の星」 だったと思っています。
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