明治神宮といえば、初詣では毎年日本一の参拝客を集める事でも知られています。
その数は、三が日で300万人を超えるといいますから、例年、一日あたり100万人を超える参拝客が詣でるわけで、ただただ、スゴイとしか言いようがありません (^_^ゞポリポリ
明治神宮には及びませんが、私の住んでいる成田にも、成田山新勝寺がありまして、やはり300万人近い参拝客を集めることで有名でして、神奈川県にある川崎大師と共に、初詣の人出ランキングでは明治神宮に次ぐベスト3には必ず入ります (〃⌒∇⌒)ゞ ♪
この明治神宮ですが、明治天皇とその皇后が祀られていることは周知の事実ですが、昔からあった神社というわけではなく、明治天皇が崩御してから建立が決定され、大正9年に完成したとされています。
当然、神宮の森とよばれる70万平方メートルにも及ぶ広大な森も、人工的に作られたものであり、人の力というのもけっこう凄いなと(苦笑)
それはともかくとして、私が住んでいる成田の十余三(とよみ)地区にも、なぜか「明治神宮」が存在します (〃⌒∇⌒)ゞ ♪
下は、その写真なのですが、こぢんまりとしたその社殿は、とても「明治神宮」と名乗るのはおこがましいようにも思えますが、実はこの神社、地元の人の要望からできた明治神宮の遙拝所(ようはいじょ)という事で、大正13年に宮内省の建設許可が下りて建設されたものだそうです。
「遙拝所」というのは、遠く離れた所から神仏を拝む事を目的に作られた場所ということで、簡単に言うならば、なかなかそこに行って参拝することが叶わない人々のために設けられた「出張所」のようなものと考えて頂ければいいのかなと (^^ゞ
そのために、この成田の明治神宮に参拝すると、その拝殿の背後のず~っと向こうには、東京代々木の明治神宮が在るように造られているので、成田に居ながらにして、東京の明治神宮にお参りしている事になります。
当然、今年も三が日にはこの遙拝所に詣でた地元の方は多いと思いますが、だからといって、その方たちは東京の明治神宮の参拝客には含まれていないと思います (〃⌒∇⌒)ゞ ♪
なぜこの地に明治神宮の遙拝所が建設されるに至ったのか・・・
それは、この地が御料地として皇室とも縁故が深かったということで、開墾地で生活する人々のためにも、崇める信仰の対象が必要であり、当時できたばかりの明治神宮をこの地から参拝したいと考えた住民たちの切なる願いからだったそうです。
初代の遙拝殿は、昭和25年に建替えられたそうですが、その二代目の遙拝殿も、そばを通る主要地方道の改修工事にともない、境内の一部が道路用地として買収されることになり、築後50年を経て老朽化も甚だしいということで、これを機会に遙拝殿の新築を行なう事を決め、平成12年に三代目となる現在の遙拝殿が完成しました。
これが、今現在の明治神宮周辺の航空写真なのですが、ご覧のように遙拝所の境内のすぐ北側を斜めに道路が走っています。
この道路は県道44号線、通称「小見川街道」と呼ばれる主要地方道であり、成田から茨城県の鹿嶋市に至る、地元でも利用価値の高い重要路線です。
写真のすぐ下側に成田空港があり、上方向に向かうと鹿嶋市です。
しかし、以前は、こんなふうに遙拝所のところを迂回するように道路が造られていました (^^;
おそらくは、遙拝所の方が県道よりも歴史が古いので、道路を創るにあたっては遙拝所を移転するなどというような畏れ多い発想は無く、そのために道路はカクンカクンと二度直角に曲がるクランク状に造らざるを得なかったのでしょうが、この道路はけっこう交通量も多いので、走りにくい事この上ありませんでした。
写真では、すでに用地買収が済み、境内の背後まで工事も進んでいる状況です。
今のように、道路の改修工事が済み、真っ直ぐに走れるようになったのがいつの事だったか、ハッキリとは思い出せませんが、せいぜい、ここ2~3年の事です。
最近では、皆、当たり前のように新しく開通した真っ直ぐな道路を走っていますが、ついこの間までは、この道路は畑と神社の境内だったというわけです (〃⌒∇⌒)ゞ ♪
いわゆるバイパス工事により、ほとんどの人が明治神宮の前を通ることは無くなったわけで、今は多古・匝瑳方面に向かう道路を利用する人だけがこの遙拝所の前を通るだけになってしまいまして、これにより、この遙拝所の存在は人々の記憶からもしだいに忘れられていく運命にあるんでしょうかねぇ・・・ (;^_^A アセアセ・・・
もちろん、ここに住む十余三地区の人たちにとっては、これからも変わらない信仰の対象であり続けるのでしょうが・・・
最近のコメント