2016年3月10日 (木)

天満神社

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【2008年7月10日撮影】  【2016年3月3日撮影】

 

 写真は、千葉県の柏市にある「天満神社」という神社です。

 建立は1616年(元和2年)といわれますから、今年がちょうど400年目の節目に当たります。

 その間、50年毎に神社の建替えや修復を重ね、今日に至るそうです。

 

 私がこの神社を初めて目にしたのは、上の写真を撮った2008年の事ですが、それ以前にもこの神社の前を何度も通っているはずなのにその存在は全く気付きませんでした (;^_^A アセアセ・・・

 写真を撮った2008年の7月10日は、たまたまこの前を通った時に真新しい白木の社殿が目に入ったので、へぇ、こんな所にこんな立派な神社が在ったんだ ・・・ というか、その時の印象は「出来たんだ」 ・・・ という事で、さっそく車を停め、境内の散策と写真撮影を行なってきました。

 

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 上は、境内にあった「天満神社崖工事公園完成記念碑」ですが、そこに刻まれた銘文によると、『平成十五年、菅原道真公生誕千百年際を迎えるにあたり、神社を建替えることになり 云々・・・ 』とありますから、この写真を撮った年から5年くらいの間にこの社殿が造られた事になります。

 通りで、この写真を撮った時には白木が眩しく、真新しい感じの神社だったんですが、それでもこうして8年ほど経ってみると、雨風に晒されて白木もそれらしく黒っぽくなってきて、なんとなく神社としての風格というか重みというか、厳かさが出てきたように思いませんか (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 神社とかお寺というのは、最初からそこに建っているのが普通で、社殿もかなり老朽化しているものが多いわけで、真新しい社殿を見かけるのは希ですから、そういう意味ではラッキーだったなという思いが強く、この神社に対する思い入れも多少は強かったりします (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

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2013年7月 6日 (土)

白旗神社

 

 神奈川県の藤沢市内に「白旗交差点」という場所が在りまして、渋滞のポイントとしても有名です。
 運送業などという仕事をしていると、そういう混み合うところは時間のロスもバカにできないので、できるだけ避けて通るのが常だったりします。

 ところが、配達の都合上、どうしてもそこを通らねばならないことも時にはあったりします (^^;

 

 先日、藤沢駅前から町田駅前へと向かわねばならない仕事がありまして、これはどうしても国道467号線、通称藤沢街道を使って向かうのがセオリーであり、そのルート上には悪名高き「白旗交差点」が待ち構えているわけですよ(苦笑)

 気が重かったのですが、やむを得ず渋滞にはまりながら藤沢市街から大和市の方へと車を走らせていた時に見かけたのが、タイトルに掲げた「白旗神社」でした。

 

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 上は、渋滞にはまりながら、運転席から撮ってきた「白旗神社」の写真です。

 通ったことが無かった道端の神社ですから、そんなものがそこに在ることさえぜんぜん知りませんでね、意外だったというか、不思議だったというか、目はその神社に釘付けになっていました (^^ゞ

 

 「白旗」といえば、戦いで降参する時に掲げる目印として知られていまして、私なんかはせいぜいその程度の知識しか持ち合わせていないので、「神社」「白旗」という組み合わせがどうにも違和感有り有りに思えましてね (;^_^A アセアセ・・・

 世の中には様々な神社が存在しますが、たいていは何らかの御利益があると謳われていまして、例えば「商売繁盛」だとか「縁結び」、あるいは「子授け・安産」などが代表的なモノでしょうか。
 中には「必勝」などのように、賭け事や勝負事に御利益のある神社もあるくらいです。

 にも関わらず、「白旗神社」という名前では、お参りして何かをお願いしてきても、いかにも御利益が無さそう (^^; に思えて、いったいどういう方面に御利益のある神社なんだろうかと不思議で仕方がありませんでした (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 そんな中、風にはためくノボリに「源義経」の文字を見つけ、
「なるほど」 と!

 

 「源氏」ゆかりの神社なら、「白旗」というのも納得がいきます。

 「白旗」は、いうまでもなく「源氏の旗印」であり、降参の時に掲げる「白旗」とは全くの別物ですからね (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 ちなみに、4年前に書いた「運動会」という記事の中で、源氏と平家の旗印である「赤」と「白」について語ったこともあります (^^ゞ

 

 通りすがりに眺めただけで、参拝してきたわけではありませんから詳しくは存じませんが、源義経が祀られてある神社ということだけはわかりました (^_^;

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2012年1月13日 (金)

明治神宮

 明治神宮といえば、初詣では毎年日本一の参拝客を集める事でも知られています。

 その数は、三が日で300万人を超えるといいますから、例年、一日あたり100万人を超える参拝客が詣でるわけで、ただただ、スゴイとしか言いようがありません (^_^ゞポリポリ

 

 明治神宮には及びませんが、私の住んでいる成田にも、成田山新勝寺がありまして、やはり300万人近い参拝客を集めることで有名でして、神奈川県にある川崎大師と共に、初詣の人出ランキングでは明治神宮に次ぐベスト3には必ず入ります (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 この明治神宮ですが、明治天皇とその皇后が祀られていることは周知の事実ですが、昔からあった神社というわけではなく、明治天皇が崩御してから建立が決定され、大正9年に完成したとされています。

 当然、神宮の森とよばれる70万平方メートルにも及ぶ広大な森も、人工的に作られたものであり、人の力というのもけっこう凄いなと(苦笑)

 

 それはともかくとして、私が住んでいる成田の十余三(とよみ)地区にも、なぜか「明治神宮」が存在します (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 下は、その写真なのですが、こぢんまりとしたその社殿は、とても「明治神宮」と名乗るのはおこがましいようにも思えますが、実はこの神社、地元の人の要望からできた明治神宮の遙拝所(ようはいじょ)という事で、大正13年に宮内省の建設許可が下りて建設されたものだそうです。

 

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 「遙拝所」というのは、遠く離れた所から神仏を拝む事を目的に作られた場所ということで、簡単に言うならば、なかなかそこに行って参拝することが叶わない人々のために設けられた「出張所」のようなものと考えて頂ければいいのかなと (^^ゞ

 そのために、この成田の明治神宮に参拝すると、その拝殿の背後のず~っと向こうには、東京代々木の明治神宮が在るように造られているので、成田に居ながらにして、東京の明治神宮にお参りしている事になります。

 当然、今年も三が日にはこの遙拝所に詣でた地元の方は多いと思いますが、だからといって、その方たちは東京の明治神宮の参拝客には含まれていないと思います (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 なぜこの地に明治神宮の遙拝所が建設されるに至ったのか・・・

 それは、この地が御料地として皇室とも縁故が深かったということで、開墾地で生活する人々のためにも、崇める信仰の対象が必要であり、当時できたばかりの明治神宮をこの地から参拝したいと考えた住民たちの切なる願いからだったそうです。

 

 初代の遙拝殿は、昭和25年に建替えられたそうですが、その二代目の遙拝殿も、そばを通る主要地方道の改修工事にともない、境内の一部が道路用地として買収されることになり、築後50年を経て老朽化も甚だしいということで、これを機会に遙拝殿の新築を行なう事を決め、平成12年に三代目となる現在の遙拝殿が完成しました。

 

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 これが、今現在の明治神宮周辺の航空写真なのですが、ご覧のように遙拝所の境内のすぐ北側を斜めに道路が走っています。

 この道路は県道44号線、通称「小見川街道」と呼ばれる主要地方道であり、成田から茨城県の鹿嶋市に至る、地元でも利用価値の高い重要路線です。

 写真のすぐ下側に成田空港があり、上方向に向かうと鹿嶋市です。

 

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 しかし、以前は、こんなふうに遙拝所のところを迂回するように道路が造られていました (^^;

 おそらくは、遙拝所の方が県道よりも歴史が古いので、道路を創るにあたっては遙拝所を移転するなどというような畏れ多い発想は無く、そのために道路はカクンカクンと二度直角に曲がるクランク状に造らざるを得なかったのでしょうが、この道路はけっこう交通量も多いので、走りにくい事この上ありませんでした。

 写真では、すでに用地買収が済み、境内の背後まで工事も進んでいる状況です。

 

 今のように、道路の改修工事が済み、真っ直ぐに走れるようになったのがいつの事だったか、ハッキリとは思い出せませんが、せいぜい、ここ2~3年の事です。

 最近では、皆、当たり前のように新しく開通した真っ直ぐな道路を走っていますが、ついこの間までは、この道路は畑と神社の境内だったというわけです (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 いわゆるバイパス工事により、ほとんどの人が明治神宮の前を通ることは無くなったわけで、今は多古・匝瑳方面に向かう道路を利用する人だけがこの遙拝所の前を通るだけになってしまいまして、これにより、この遙拝所の存在は人々の記憶からもしだいに忘れられていく運命にあるんでしょうかねぇ・・・ (;^_^A アセアセ・・・

 もちろん、ここに住む十余三地区の人たちにとっては、これからも変わらない信仰の対象であり続けるのでしょうが・・・

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2011年5月28日 (土)

三猿

 「三猿」ということばがありまして、一般的には「さんざる」と読まれているようです。

 

 「三猿」の代表は、なんといっても日光東照宮にある「見ざる・言わざる・聞かざる」の彫刻でしょうか。

 皆さんも、「見ざる・言わざる・聞かざる」ということばは、よくご存じだと思います。

 

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 これが日光東照宮の神厩舎に彫られている「三猿」で、上の写真はWikipediaからお借りしてきました (^^ゞ

 

 目・口・耳をふさいでいる姿の猿は、幼年期の猿といわれ、「子供のころは悪い事を見たり・言ったり・聞いたりしないで、素直なままに育てた方がいい」という、教育論の意味が込められているそうです。

 

 ところで、「三猿」ですが、日光東照宮の「見ざる、言わざる、聞かざる」が有名すぎて、他にも「三猿」は存在するんですが、そのことは意外と知られていないようです。

 それが、埼玉県の秩父市にある「秩父神社」の本殿に彫られている「三猿」です。

 

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 これらの写真は、昨年の暮れ、12月25日に仕事で秩父市に行った時に、たまたま見かけた秩父神社に立ち寄って撮ってきたものです。

 時節がら、新年を迎える準備が行なわれている中での参拝になったのですが、その時にこの神社に彫られている「三猿」の存在を知りました。

 

 「秩父神社」の歴史は古く、平安時代にはすでに神社が在ったとされ、それを、関東移封を命じられた徳川家康が今の社殿に建て替え、今に至っていると伝えられています。

 徳川家康といえば「日光東照宮」という事で、日光東照宮が建築される際には、秩父神社の建築様式が大いに参考にされたそうです。

 

20110526008_3  そういう経緯もあって、日光東照宮に彫られている「三猿」が、秩父神社にも彫られていても不思議ではないのですが、日光東照宮の「三猿」が「見ざる・言わざる・聞かざる」であるのに対し、秩父神社の「三猿」は、「よく見・よく聞いて・よく話そう」だそうで、そういわれてよく見ると、三匹の猿は目や耳を両手で覆ってはおらず、目や口を大きく開けているのがおわかりかと思います(笑い)

 これにより、秩父神社の「三猿」は、俗に「お元気三猿」と呼ばれているんだそうで・・・ (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 ちなみに、日光東照宮の「三猿」も、秩父神社の「三猿」も、江戸時代の伝説的な彫刻職人である左甚五郎の作といわれているそうです。
 しかし、ネットで調べてみたんですが、これらの「三猿」が左甚五郎の作だと明確には書かれていませんでした (^^;

 

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 左甚五郎が彫った作品として公に認められているのは、日光東照宮においては「眠り猫」であり、秩父神社においては「つなぎの龍」という事になっています。

 上の写真が、秩父神社の本殿に彫られている「つなぎの龍」です。

 

 日光東照宮も秩父神社も、社殿にはたくさんの彫刻が彫られています。
 ですから、「眠り猫」が左甚五郎の作品ならば、「見ざる・言わざる・聞かざる」の「三猿」も左甚五郎が彫ったに違いないと思う人がいても当然であり、同じ理由から、「つなぎの龍」が左甚五郎が彫ったものなら、「お元気三猿」も左甚五郎が彫ったんじゃないかと考えるのはもっともなことかと・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 ただ、一人の彫り物師が、これらの彫刻を全て彫ったと考えるのはかなり無理があり、当然の事ですが、何人もの彫刻職人が招かれて彫り上げたと考えるのが自然だと思います。
 そういう時に、代表者の名前だけが記録されて後世に残るという事はよくあることであり、それが左甚五郎だったというコトなんじゃないかと・・・ (^_^ゞポリポリ

 よく言われることですが、大阪城を造ったのは誰かという質問に、豊臣秀吉と答えると、残念でした、大阪城を造ったのは大工さんですという、意地悪なクイズがありますが、それに似ているなと(笑い)

 

 しかし、左甚五郎が実際に存在していた事を証明する記録などは無く、実際には名人として理想化された架空の人物だったのではないかという説も有力視されています。

 まぁ、実在しようがしまいが、見事な彫り物がそこに在るという事は動かしがたい事実ですから、左甚五郎が彫ったといわれているのなら、それはそれでいいんじゃないでしょうか (;^_^A アセアセ・・・

 

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 最後に、これらは、お正月の飾り付けなどの準備中だった、秩父神社の境内の様子を写した写真です ( ^-^)/ ♪

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2011年3月 1日 (火)

龍津寺

 静岡の温泉に行ったついでに、ネッ友さんに教えて頂いたお寺に詣でてきました。

 このお寺は「龍津寺」といって、可愛らしいお地蔵さんが居らっしゃるとのことで・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 家内を伴って、お地蔵さんに会いに行ってきました (^^)v

 

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 山門の前に立っていらっしゃったお地蔵さんです (*^.-^*)♪

 どうです?
 可愛いでしょ o(*^▽^*)o~♪

 

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 こちらは、本堂の前にいらっしゃったお地蔵さんです (^^)v

 こちらのお地蔵さんも、とってもチャーミングで (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 こういうお寺もいいんじゃないかと・・・(苦笑)

 さぁ、今日から3月。気持ちも新たに頑張るぞっと o(*^▽^*)o

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2010年11月14日 (日)

分福茶釜

 昨日、群馬県の館林市に行く仕事の依頼を受けまして、その旨を家内に告げると、館林に行くなら、行きたいところがあるから一緒に連れてってと言われました (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 その理由というのが、「館林」といったら「茂林寺」ということで、昔話で有名な「分福茶釜」の伝説が残るお寺を見てみたいからというものでした(笑い)

 「分福茶釜」という昔話は、ストーリーはともかくとして、その名前くらいは私でも知っています。
 しかし、「分福茶釜」の伝説が生まれたお寺が実際に存在するという事は知らなかったので、せっかくですから二人で参拝してきました (^^)v

 

 

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 「茂林寺」の付近の地図と、通りから「茂林寺」へと向かう参道の様子です。

 

 さすがに「分福茶釜」で有名なお寺なだけに、「分福町」という地名が可笑しかったのと、そこいら中に「タヌキ」の姿を見かけました(笑い)

 最初に私たちを出迎えてくれた大きな狸の置物と、狸を象った様々なグッズが並んでいる土産物店です。

 

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 お寺の入口に建っている「総門」と、境内の真ん中に建てられていた「山門」です。

 総門から山門へと続く参道の両側には、ご覧のようにたくさんの狸の像が立ち並んでいました。

 

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 山門の奥に建てられていた「本堂」と、併設されていた「宝物展示室」に納められていた「分福茶釜」です (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 展示室の中には、狸の剥製や焼き物などのコレクションが数多く展示されており、狸で売り出しているお寺なんだということを、まざまざと実感してきました。

 

 ところで、このお寺は、山門も本堂も、珍しい茅葺きの屋根で、なかなか趣のある建物でしたよ o(*^▽^*)o~♪

 

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 最後に、かなり本格的な機材を持って現われた、プロらしきカメラマンをご紹介して〆とさせて頂きます ( ^-^)/ ♪

 

 なかなか堂に入った立ち居振る舞いで、山門前に三脚を固定し、撮影していました。

 アングルから想像するに、どうやら紅葉を撮っていたんじゃないかと・・・

 

 お天気は曇天で、黄砂のせいか見通しもよくない中、なんとか参拝を済ますことができました。

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2010年10月30日 (土)

百尺観音

 水曜日、宮城県の松島まで仕事で行きまして、その帰り道、国道6号線をひたすら南下していたんですが、福島県の相馬市まで来た時に、道端に思いがけないものを見かけました。

 

 よく見かける案内看板なんですが、そこには「百尺観音参道入口」と書かれてありまして、それほど急いでいるわけでもありませんし、せっかくだからチョッと見ていこうかなと・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 で、車をそちらに向けまして、行ってみました (^^)v

 

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 道路に面した駐車場から撮った写真と、敷地の中に入ってから撮った写真です。

 思っていたよりもずっと大きいのにはビックリ w(゚o゚)W

 

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 この観音像についての詳しい説明は割愛しますが、一人の男性が意を決して山を掘り始めたということで、昭和6年から製作に取りかかり、現在は三代目の男性が制作中ということですが、まさに「涓滴岩を穿つ」の言葉通り、一人の人間の力でも、長い年月の間にはこれだけのものを作り上げることができるわけで、ただただ驚くとともに、頭が下がる思いでいっぱいです・・・

 

 下に、付近の地図と、YouTubeで見つけた30秒ほどの動画を貼り付けたみました。
 よければご覧ください ( ^-^)/ ♪

 

 

 

 

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 というわけで、今日は家内と一緒に、一泊二日で会津に帰省してきます。
 明日中には成田に戻ってくる予定ではいますが、台風が接近中ということで、若干お天気が心配ではあります・・・ (^_^ゞポリポリ

 

 おそらく、明日の更新はできないだろうと思います・・・ (;^_^A アセアセ・・・

 その節は、平にご容赦を・・・ m(_ _;)m

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2010年7月27日 (火)

豪徳寺

 土曜日に、都内二カ所の配達に行って来ました。

 仕事そのものはいつもの事でもあり、さして問題もなかったんですが、困ったのはその指定時間です。
 一件目は、世田谷の松原11時、二軒目は、港区の麻布17時というものだったからです (^^;
 松原から麻布までなんて、10kmもありませんからね、いくら混んでいたとしても、1時間も走れば十分に着ける距離でしかないんですよ。そこを半日かけて移動しなくちゃならないわけで、途中どうやって時間を潰そうかと・・・ (^◇^) 。。。ケラケラ

 で、地図を広げてルート上に何かめぼしいモノはないかと探し始めました (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 こういう時に探すのは、大きな公園だったり、寺社仏閣などの史跡だったりします。
 そういうところは、たいてい駐車場が設けてあり、施設そのものもたいしたお金もかからずに利用することができるからなんですが、特に寺社仏閣を見て回るのは私の趣味というか、けっこう楽しみでもありますので、あちこちに行ったついでに目についた神社やお寺に立ち寄ることはよくあることです。

 で、見つけたのが、納品先のごく近くにあった「菅原神社」と、ちょっと離れてはいましたが、同じ世田谷区内にある「豪徳寺」です。

 時間はたっぷりあったので、両方寄ってみました。
 今日の記事では「豪徳寺」の方だけのご紹介に止めますが、機会があれば「菅原神社」の方もご紹介したいと思っています。

 

 下が、豪徳寺付近の地図です ( ^-^)/ ♪

 

 

 

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 豪徳寺の山門です。ここまで来ても、なかなか風情のある門だとは思ったものの、それほど何かを期待をしていたわけではありません (^^ゞ
 しかし、私の期待を大きく裏切って、けっこう見所のあるお寺でした (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 まず、山門の左端に「都史跡 井伊直弼墓」と書かれた石柱が立っていまして、え~、ここってそんな有名な場所なの~・・・というのが正直な感想でした (^.^; ポリポリ

 

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 山門から仏殿を見た写真です。
 木立で仏殿の姿は見えませんが、山門と仏殿との間には、巨大な香炉が置かれてありました。

 

 下は、仏殿にかかっていた大きな扁額です。「三世仏」と書かれているそうですが、「三」は普通なら「参」と書かれるところなんでしょうが、「弐」の「二」の部分が「三」になった不思議な文字が書かれていました (^^;

 「三世仏」というのは、中に安置されている「阿弥陀如来」「釈迦如来」「弥勒菩薩」を指しています。
 仏教では、三世(過去・現在・未来)という教えがあり、それぞれの世を司っている仏様が、過去世は阿弥陀如来、現在世は釈迦如来、未来世が弥勒菩薩というわけです。
 従って、豪徳寺だけが「阿弥陀如来」・「釈迦如来」・「弥勒菩薩」を三世仏として特別視しているわけではなく、これらの三体の仏像をご安置しているお寺は、曹洞宗を中心に他にもたくさん在るそうです。

 

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 これは、4年前に完成した三重の塔です。ご覧のように、ゲバケバしい着色はされておらず、木材の質感を生かした落ち着いた造りで好感が持てました。
 材質がなんなのか、特に明らかにはなっていませんが、色といい、木目といい、私はケヤキではないかと思って見てきました。
 ネットでは、ヒノキではないかと書かれているところもいくつもありましたが、どうでしょうねぇ、確かに寺社仏閣にヒノキ材は付きものですが、これはケヤキじゃないのかなぁ (?。?)

 周りには楓の木がたくさん在りまして、紅葉の頃に訪れたらさぞかし見事だろうなぁと思って見てきました (*^.-^*)♪

 

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 仏殿の真後ろに建てられていた本堂です。

 正面に掲げられた扁額には「豪徳禅寺」と書かれています。

 

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 そして、このお寺のメインとなる、彦根藩ゆかりの墓地です。

 彦根藩主だった井伊直孝が、世田谷の領主となった際に、当時は弘徳院と呼ばれていたこのお寺を井伊家代々の菩提寺にしたといわれます。
 以後、彦根藩の比護のもと、豪徳寺と名前を変え、今に至ります。

 

 墓地の奥には、桜田門外で暗殺された井伊直弼をはじめ、井伊家代々の墓や江戸で亡くなった彦根藩士の墓もあります。

 あいにく、現在は墓石の修復中ということで、井伊直弼の墓の周囲はフェンスで囲われており、近づくことはできませんでしたので、区の写真でご勘弁下さい (^_^ゞポリポリ

 

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 あと、この日わかったんですが、このお寺は「招き猫」発祥の地ということで、境内には「招猫殿」と呼ばれる社殿もありました。

 その傍らには、願が成就したお礼として奉納された招き猫がたくさん置かれてありましたが、ご覧のように、立て札には心ない落書きが残されており、情けないやら悲しいやら・・・
 どうしてこんな事ができるんでしょうかねぇ・・・ (ノ_-;)ハア…

 

 招き猫発祥の由来については、ご面倒でも、各自ネットでお調べ下さい (^_^ゞポリポリ
 非常に興味深い言いつたえが見つかると思います。

 しかし、招き猫にも、井伊家が深く関係しているというのも凄いなと(笑い)
 ちなみに、彦根城の築城400年イベントのメインキャラクターを務めた「ひこにゃん」のモデルとなったのがここの「招福猫児」だそうです ( ^-^)/ ♪

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2010年6月17日 (木)

諏訪大社上社本宮

 ・・・という事で、今日は諏訪大社の〆となる、「諏訪大社上社本宮」をご紹介させて頂きます ( ^-^)/ ♪

 

 春宮秋宮とはそれほど離れてはいませんが、秋宮から本宮までは10km近い距離がありまして、とりあえず国道20号線から中央道の諏訪ICを目指して車を走らせます。

 目指す本宮は、とてもわかりやすい場所にあるので、私も初めての参拝でしたが、迷わずにすぐに見つかりました (^^)v

 

 《 本宮境内案内図 》

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 北側の一番大きな参道から本宮に向かい、鳥居周辺と境内正面を撮った写真です。

 さすがに、全国にたくさんある諏訪神社の総本社だけあって、この日回った中でも一番の賑わいを見せていました(笑い)

 鳥居をくぐってすぐのところには、御柱が建てられていました。これは、「本宮一之御柱」になります。
 参拝にみえた観光客の多くが、まずここで写真を撮っていました。

 

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 石段を登った先の境内に設けられていた参拝所弊拝殿です。

 参拝所の先に弊拝殿が建てられていましたが、本宮では弊拝殿は囲いで仕切られており、直接拝殿のところまで行く事はできませんで、ご覧のように少し手前の参拝所からお参りをするようになっていました。
 おそらく、弊拝殿が重要文化財に指定されている事もあって、参拝客から保護する目的で近づけないようにしているのだと思われます。

 

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 お約束の御柱です (^_^ゞポリポリ

 こちらは、先にも述べたように、北側の参道に面した鳥居の背後に建てられていた「本宮一之御柱」です。
 本宮に四本建てられている御柱の中で、一番目につく御柱です。

 

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 こちらは、東側の参道の鳥居をくぐった辺りに建てられていた「本宮二之御柱」です。

 本宮でも、三と四の御柱は見ることができませんでしたが、境内の案内図を見ると、必ずしも隔離されているわけではないようなので、もしかしたらどこかに御柱へと続く道があるのかもしれません。

 

 以下はオマケの写真です。

 

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 1枚目と2枚目の写真は、二之御柱のすぐ横に生えていた巨木なんですが、そのたたずまいが見事でね、思わず写真に撮ってみました。
 ある意味、御柱よりも神々しい姿に私には見えました (^^ゞ

 3枚目の写真も、その近くで見かけた古木ですが、折れるかなんかして一度切られたものらしく、上部が無くなっていましたが、それでも新しい枝にはみずみずしい若葉が繁っていました。
 こういう姿を見ると、力強い「生命力」を感じてしまいます。

 

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 これは、神楽殿とその背後に造られていた土俵です。

20100615048  こういうものを見ると、相撲は神事と深く結びついていたということをあらためて教えられます。

 一之御柱のところにいらっしゃったボランティアと思われるガイドさんの説明によると、この土俵では毎年、奉納相撲やわんぱく相撲が行なわれるとのこと。

 そばには、信州出身の大力士である「雷電爲右エ門」の像も建てられていました。

 

 次の写真は、神楽殿の中に置かれていた巨大な二つの太鼓です。
 こんな大きな太鼓、どんな音がするのかぜひ聞いてみたいです(苦笑)

 

 以上、三つの諏訪大社を駆け足でご紹介させて頂きました。

 実は、この他にも「諏訪大社上社前宮」という神社が本宮の近くにあるのですが、さすがにそこまでは回りきれなかったので、次に機会があれば寄ってみたいと思います。

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2010年6月16日 (水)

諏訪大社下社秋宮

 松本での納品を終え、次に向かったのが「諏方大社下社秋宮」です。

 とりあえず、近い方からと思うのは自然の理でありまして(笑い)

 基本的に、春宮秋宮は同じ造りになっていまして、境内の配置などは規模の違いこそあれ、ほとんど同じにできていました。
 しかし、全てがこぢんまりとしている春宮とはずいぶん違っていまして、駐車場一つとってみても、秋宮はずいぶんとりっぱでしたよ(笑い)

 

 《 秋宮境内案内図 》

   20100615010

 

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 これが大通りに面した「鳥居」で、ここからなだらかな石段を若干登って境内に入っていきます。

 上に境内の案内図をアップしましたので、それぞれの位置関係などもご確認ください。

 

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 境内の中央に建てられていた「神楽殿」です。
 正面からと側面から撮った写真をアップしてみました。先の記事でご紹介した、春宮の神楽殿と比べて頂ければ、似た造りなのに如何に大きくて立派かおわかり頂けるでしょうか (^^;

 

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 神楽殿の真後ろに在る弊拝殿です。

 あいにく、今現在は改修中とのことで、社殿全体が工事用のシートに覆われてまったくその姿を見ることはできませんでした。
 ただ、社殿を覆っているシートに、弊拝殿の原寸大と思われる写真が印刷されていたのには、感心すると同時に、笑ってしまいましたよ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪
 上の、横から撮った神楽殿の写真の右後方に弊拝殿が写っていますが、チョッと見るとホンモノに見えませんか (^◇^) 。。。ケラケラ

 そのシートの傍らには、臨時に造られたとおぼしき仮の参拝所が、妙に白々しく見えて仕方ありませんでしたよ(苦笑)

 社殿を見られなかったのは残念ではありますが、こういう光景も今しか見られないと思うと、それはそれで貴重な体験だったのかなと (^◇^) 。。。ケラケラ

 

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 向かって右手の左片拝殿の前に建てられていた「秋宮一之御柱」です。
 参拝に来ていたお婆ちゃんたちが、柱を撫でていました(笑い)

 

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 こちらは、向かって左手の右片拝殿の前に建てられていた「秋宮二之御柱」です。

 弊拝殿の裏手に建てられている「秋宮三之御柱」と「秋宮四之御柱」は、やはり見ることは適いませんでしたが、まぁ、善しとしときます (^^ゞ

 

 秋宮は、9時から10時くらいまで、おおよそ1時間近くかけて、ゆっくりと参拝させて頂きました (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

20100615044  このくらいの時間になりますと、参拝客もそれなりにいらっしゃいまして、春宮とは規模も違うので当然なんでしょうが、けっこう賑わっていました。
 私が帰る頃には、観光バスなんかも停まっていたりして・・・ (^^ゞ

 

 そして、いよいよこの日のメインイベントへと向かいます・・・

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