2009年10月 6日 (火)

さようなら90番

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 ソフトバンクホークスの「あぶさん」こと景浦安武外野手(62)が今シーズンのヤフードーム最終戦となるオリックス戦を最後に現役を引退する・・・

 以下は、昨日発売となったビッグコミックオリジナルに収録された、第873話の一部です(笑い)

 

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20091007001 思えば、私のプロ野球観戦の歴史は、常に「あぶさん」とともにあったような気がします。

 高校一年生の時に、同級生の一人からコミックの第1巻を借りて読んだのが「あぶさん」との出会いの最初でした。

 以来、今日までちょうど35年、私の人生は「あぶさん」とともにあったと言っても過言ではありません。

 この辺の件は、昨年の8月に「景浦安武」という記事と、今年の3月に書いた「あぶさん」という記事に詳しく書きましたので、興味があればご一読ください(苦笑)

 

 「引退」という二文字は、アスリートには必ずついて回ることばであり、これはどんな名選手であっても避ける事のできない現実です。
 これについても、先月「引退」という記事の中で引退に対する持論を述べましたので、あらためてご一読願えれば幸いです ( ^-^)/ ♪

 しかし、多くのアスリート達は、その輝いていた時とは裏腹に、誰にも知られることのないままにひっそりと現役を引退していくのが常であり、引退セレモニーとか、引退試合とかを設定してもらえる選手はごく一握りの人たちに限られています。

 中日の落合監督が、選手たちに言っていることばの一つに、「引退をさせてもらえる選手になれ」というのがあるそうです。
 使えない選手として球団からクビを言い渡されて放り出されてしまうのではなく、セレモニーなどを設けて送り出してもらえるような選手になれという意味だと思うのですが、本人はそう思っていても、球団やファンから愛されていないとなかなかそういう花道は作ってもらえないと思います。

 球界は、今年もオフを迎えようとしています。
 今年も、たくさんの選手が現役を引退していくのでしょう・・・
 新人が入団するためには、席を空けておく必要があるからですが、はたして本人が納得して引退していく選手は何人いるのでしょう (^^;

 

 

 今回、景浦安武選手は、自らの引退試合をサヨナラホームランで締めくくり、そして引退セレモニーを経て球場を後にしました・・・

 37年間という、気の遠くなるような現役生活を送り、試合後にロッカールームに現れた母親に、脱いだばかりのユニフォームを手渡し、「お袋、丈夫な体をありがとう。」「やっと終わったよ。」のことばとともに、淋しい思いをさせ続けた母親に対し、精一杯の感謝の気持ちを伝えた・・・

 

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 あぶさんは今日引退しましたが、作品の連載が終わるようなコメントはありませんでしたので、おそらく引退後もユニフォームを着せ続けるんだと思います(笑い)

 ファンの一人として、ぜひそうあって欲しいし、これからもあぶさんの活躍を見ていきたいと思っています。

 ありがとう、そしてお疲れ様でした。
 このオフは、例年以上に、恋の宿でゆっくりと体を癒してください・・・

 

 最後に、現在、日本で最も長く連載が続いている「あぶさん」の、コミック各巻の表紙をアップして記事を締めくくりたいと思います。 もちろん、全巻所有しています (^^)v

 

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2009年3月21日 (土)

あぶさん

 ついに・・・「ついに」というか「とうとう」と言うべきか、そういう表現がまさにピッタリと当てはまる記事を先日ネットで目にした・・・
 私の愛する景浦安武の「引退宣言」が発表されたのだ・・・ (__;)

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 景浦安武・・・ ホークス一筋36年、今年37年目のシーズンを迎える62才の現役のプロ野球選手です。
 もちろん、実在の選手ではなく、小学館発行の成年コミック誌「ビッグコミックオリジナル」で連載中の野球漫画「あぶさん」の主人公なんですが、私にとっては実在の選手以上に愛して応援し続けて来た唯一の選手です。

 昨年の夏に、「景浦安武」というタイトルで記事を書いたこともあるので、今日の記事をお読み頂く前に、ぜひそちらの記事もお読み頂きたいと思います m(_ _)m
 上のタイトルをクリックして頂ければ、過去の記事にジャンプしますよ ( ^-^)/ ♪

 

20090321001  連載が始まった頃ならともかく、年々現実とのギャップが大きくなっていきましたから、いつかはこういう日が来るだろう事は予想してはいましたが、現実となるとやっぱり淋しいですねぇ・・・ (__;)

 

 10年くらい前からは、毎年、シーズンオフになると、来年も現役でやってくれるだろうかと、常に心配している私がいまして、春が来て、ユニフォーム姿の景浦選手を紙面に見つけると、ああ、今年も一年間はあぶさんの活躍が見れると安心するのが常でした (^^;

 

 この作品の連載が始まった73年は、私は中学の3年生。高校1年生の時に、クラスメートのMからコミックの第1巻を借りたのがきっかけで、それから延々と買い続けてきて、現在93巻まで刊行されています (^_^ゞポリポリ

 この間、私も高校生から社会人となり、サラリーマンから自営へと、様々な人生を歩んできましたが、いつも心の中には南海ホークスがしっかりと座り続けていました。

 そのホークスも、南海からダイエーへ、そしてソフトバンクへと2度も親会社を変え、万年Bクラスだった弱小球団もいつの間にか毎年優勝争いができるチームへと変わりましたが、監督は野村克也氏を解任した頃から長期低迷を続け、代を変わるごとに監督の質は落ちていきました。

 最近でいえば、根本陸夫氏が監督として大きな仕事をしてくれたのを高く評価しています。彼が今日のチームの土台を作ってくれたおかげで、後任の凹が監督として美味しいところを独り占めできましたが、チームの優勝とか日本一とか、そういう栄光は決して凹の功績ではありません。
 凹は人間的には評価できますが、監督としては仕事らしい仕事は何もできず、単に根本氏の残した遺産を食いつぶした挙げ句に、チームを再び弱小球団にしてしまった戦犯です q(`o')ブー!!

 

 それはともかく、この「あぶさん」という作品は私の人生を大きく変えてくれました。
 それまでの私は、皆がそうだったように巨人のファンであり、巨人以外のことはほとんど知りませんでした。ましてパ・リーグの事なんて知る術もなく、どんな球団があるのかさえもわからないような状態でしたが、これ以降、私の観戦スタイルはパ・リーグ中心になり、セ・リーグとは縁を切ります (^^ゞ

 もちろん、パ・リーグの試合を観戦する手段なんてありませんでしたから、ホークスを応援しているとはいっても、どんな選手が居てどんな戦いをしているのかさえわからず、時々スポーツ新聞で順位を確認するくらいがせいぜいでしたが・・・(苦笑)

 そして、年に一度、日本シリーズに出てくるパ・リーグのチームをひたすら応援していました(笑い)
 この頃は、西武の黄金期が長く続いたので、応援しているホークスよりも、西武の選手の方が名前も顔もよく知っていましたよ (^◇^) 。。。ケラケラ

 この作品の中で監督をしていた野村克也氏は、以後私の一番尊敬する野球人になりました。もちろん、今も私にとっては神に等しい存在です (^_^ゞポリポリ

 

 引退したあとも、当面作品の連載は続けるそうです。そうなると、当然チーム内でのポジションは指導者ということになります。
 それでも、ホークスと一緒に歩いてくれるということだけが嬉しくてね (^_^ゞポリポリ

 

 私の人生の三分の二近くを共に歩んできた景浦安武・・・
 できれば、これからも彼の姿を見続けていきたいと思っています。

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2009年3月18日 (水)

少年キング

 昨日は、「漫画週刊誌の日」という事を、こやなぎ名人のブログで知りました。
 1959年の昨日、日本初の少年向け週刊誌として「少年マガジン」「少年サンデー」が発刊された日なんだそうです。

 私が生まれたのが1958年の4月ですから、ほとんど生まれた時から漫画週刊誌が存在していたことになります。
 もちろん、赤ん坊の頃からマガジンやサンデーを読んでいたわけではありませんが、生まれて初めて買ってもらった「少年マガジン」のことはよく覚えています。
 1964年、当時の定価は40円でした。メインの連載作品は「エイトマン」「黒い秘密兵器」「ハリス無段」など・・・

 

20090318011  ところで、これら二つの週刊マンガ雑誌に遅れること4年、少年画報社から「週刊少年キング」が発刊されます。
 以後、私の少年時代は、「マガジン」「サンデー」「キング」の三誌が三つどもえで読者を奪い合っていました。
 後に、「少年ジャンプ」、「少年チャンピオン」が相次いで発刊されて、少年マンガ雑誌は五誌になり、漫画界は隆盛を極めます。

 

20090318012  しかし、その中にあって「少年キング」だけは思うように部数が伸びず、1982年の4月に休刊の憂き目にあい、その後は「少年KING」として月2回の刊行で生きながらえていましたが、それも1888年で休刊して今に至るので、「少年キング」の名前を知らない方も多いと思います。

 

 

 確かに、キングの連載作品にはそれほど読者を惹きつける作品は無かったけれど、初期でいえば「サイボーグ009」、中期では「ワイルド7」、後期ですと「銀河鉄道999」など、常に柱となる強力な作品があって、根強い読者を取り込んでいました。これらの人気漫画のタイトルに、いずれも数字が入っているのも偶然とはいえ興味深いなぁと・・・ (^^;

 

20090318013  他にも、「サイクル野郎」「ジャイアント台風」など、異色の作品が多く、秀逸でしたが、いかんせん他の作品群が貧弱すぎたことが部数が伸びない大きな原因だったように思います。

 

 

 しかし、当時ならともかく、ゲーム機器やPCなど、これだけ娯楽が多様化した現代においても、マンガ雑誌は相変わらず子ども達をとらえて放しません。
 これは、本当に凄いことだなぁと思いますねぇ。

 

 海外ではマンガは子供のためのモノであって、オトナの観賞に堪えうるような作品は少ないと思いますが、日本ではサラリーマンのためのマンガ雑誌まで存在しますから(笑い)

 

 私が一番好きだったのは「少年マガジン」で、それは今も変わっていませんが、「少年キング」もなかなか魅力的な雑誌だったんですがねぇ・・・ (__;)

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2009年1月27日 (火)

はじめの一歩

 この週末も、いつものように彼女と一緒に過ごしたんですが、帰りはいつものように車ではなく、電車で彼女を送っていきました (^.^; ポリポリ
 なぜ車ではなく、電車だったのかというと、彼女の愛車を成田に持ってくる都合があったからで、彼女の自宅のあるさいたま市からは、彼女の愛車に乗って成田のアパートまで帰ってきました (^^)v

 ホントは、彼女が運転して私のアパートに来てくれればコトは簡単なんですが、自宅の周辺ならともかく、そんな遠くまでは運転できないと彼女が言うもので(笑い)

 

 それはともかく、いよいよ同居のための「はじめの一歩」が完了しました (^^)v

 

 今度の週末には、私の営業車で迎えに行き、彼女の荷物と一緒に成田に戻ってきて、そのまま同居に入る予定です (^.^; ポリポリ
 つまり、今度の週末は、彼女の成田への引っ越しです ヽ(^◇^*)/

 

 いよいよこの日が来たという事で、感慨深いですねぇ(笑い)
 楽しみで仕方ありませんよ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 いわば、彼女の愛車は同居のための人質という事で・・・ (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 同居したら、とりあえず静岡辺りの温泉地にでも、一泊で旅行に行ってこようかなと・・・ (^_^ゞポリポリ
 私は、寒いところは苦手なので、比較的近場で、かつ暖かいところというと、やっぱ静岡辺りになるのかな (^^;

 

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 タイトルは、少年マガジン連載中の人気コミックから頂きました (^^)v
 時々読む程度で、ストーリーとかはまるでわかっていませんが、一歩クンは可愛くてねぇ(笑い)

 ボクシング漫画というと、有名なところでは「あしたのジョー」「がんばれ元気」がありまして、私の大好きな作品です。
 また、「リングにかけろ」という作品もあるのですが、途中から荒唐無稽な展開になっていくあたりからチョッとねぇ・・・ということで、一応コミックは持ってはいますがそれほど好きな作品ではありません(笑い)
 そういえば、「リングにかけろ」をパロって、「リングにこけろ」なんていうダジャレも当時は聞かれましたね(笑い)

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2008年12月16日 (火)

週刊少年マガジン

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 先日、お昼を食べようと思って、セブンイレブンにおにぎりを買いに入ったところ、レジの脇に見切り商品が入ったワゴンが置いてあって、その中におもしろいものが入っていたので思わず買ってしまいました (^.^ゞポリポリ

 袋の裏には・・・

 少年マガジン創刊50周年と発売50周年を迎えるベビースターのコラボレーション商品です。
 1960年代に人気の8(エイト)マンをパッケージにしました。

 ・・・という、文が書かれています。

 

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 チョッと調べてみると、11月7日~11月23日まで行なわれていた『少年サンデー・少年マガジン50周年記念 セブン-イレブンフェア』のタイアップ商品の「ベビースター マガジン ペッパーソルト(100円)」らしい・・・

 どうりで、半額の50円で売られていたわけだ(爆笑)

 

 私は、少年マガジンに対しての思い入れは、きっと他の人よりは大きい方だと思います。
 一番最初に手にした週刊少年マガジンは、1963年頃に父に買ってもらった一冊で、価格は40円だったと記憶しています。
 巻頭に収録された「8マン」は今でもよく覚えています。他の作品はほとんど記憶にないのに、この作品の存在感はバツグンでした。

 「8マン」は、その後アニメでも放送され、いとこの家でよく見ました (^.^ゞポリポリ
 当時、丸美屋のふりかけには「8マン」が描かれ、プリントシールがよくオマケで入っていたので、大好きで買って食べていました(笑い)

 

20081216004_2  週刊少年マガジンは、小学生の頃、定期購読を始めて、けっこう長いこと読んでいました。
 この頃の主な掲載作品は「巨人の星」「あしたのジョー」・・・

20081216005  価格は70円くらいになっていたと思います。購読中に、80円、90円、そして110円くらいまで上がったように記憶しています。

 

20081216006  マガジンの他にも、例えばサンデーやキング、ジャンプなどの雑誌がありましたが、この頃はマガジンに連載されているマンガが抜きん出ておもしろかったので、以後も私のマガジン崇拝は続きます (^^;

 

20081216007  「リュウの道」「無用ノ介」なんかも、大好きで読んでいました。

 

 

20081216008  中学生の頃に好きだった作品は「男おいどん」「釘師サブやん」・・・ 実に子供ららしくない大人びた作品だ(笑い)

 

 

20081216009  後に「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」で松本零士のブームが訪れますが、私にとっては松本零士はSF作家というよりも、四畳半ものに代表される人情作家というイメージがずっと強いです。
 「デビルマン」も大好きな作品でした (^^)v

 

 高校の頃になると、「釣りキチ三平」「三つ目がとおる」などの作品が秀逸でした。

 一つ一つ作品の名前を挙げているとキリがありませんが、とにかく、私にとって週刊少年マガジンはバイブル的存在のマンガ雑誌です (^^)v

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2008年8月13日 (水)

くそ暑い夏

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 今週号のBJ(ビジネスジャンプ)に、水島新司が巻頭カラーで50ページ読み切り作品を寄稿しているので、買って読みました (^^)v

 その作品のタイトルが、今日の記事のタイトルの「くそ暑い夏」です(苦笑)

 一気に読んで、最後は思わずもらい泣き・・・ (^.^; ポリポリ
 まったく、最近は涙腺がゆるんでしまって、何かにつけて目頭が熱くなってしまって・・・ (^^;
 昔、ちばあきおの「キャプテン」や「プレイボール」を読んだ時のような清々しい感動を思い出しました・・・


 今回の作品は、氏にしては珍しく、甲子園大会の試合の様子を描いています。やはり、時期的にタイムリーな作品をという事なんでしょうか。

 しかし、内容はというと、単に勝った負けたという勝負を描いているのではなくて、一人の補欠の選手を通して、彼の家族の悲喜こもごもを描いているというところが氏らしいというか・・・

 水島新司という作家は、実にしっかりとキャラクターの設定をしていて、その時々の心理状態や表情、あるいは人間関係などを実に巧みに描いています。
 そういうところが、私が氏の作品を大好きな理由にもなっているんですが・・・

 氏の代表作でもある「あぶさん」や「ドカベン」でも、決して一人のスーパースターの活躍を描いているだけの薄っぺらな野球マンガではないからこそ、アレだけのファンが居るのだと思います。
 主人公を取り巻くチームメイトや監督さん、あるいはマネージャー、さらには対戦相手である選手たちなどを、一人一人丁寧に描いているところが好感が持てる所以です。


 実は、今週号にはもう一つ目玉がありまして、それが2週連続で掲載されている水島新司のロングインタビューです。
 先週号で前編が掲載されていたので、今週号では後編が載っていました。

 それによると、氏は「数ある野球の中でも高校野球が一番おもしろい」と考えているという事で、その事について熱く語っていました。

 高校野球が一番おもしろいと考えている人はけっこう多いと思います。かつては私もそういう考えの一人でした。
 負けたら終わり・・・ そういう切羽詰まったところが、見ていて感動を覚えるのだというファンは多いです。
 でも、最近の私は高校野球はまず見ません。プロ野球から比べると、プレーは実にせこくて稚拙、なおかつ退屈だからです (^.^; ポリポリ
 自分の故郷の代表校が出る試合とかいうならわからないでもありませんが、こんなモノをチャンネルを切り替えながら一日中見ている人が居るのかと思うと、いくら野球が好きな私でも理解できないなぁと (^◇^) 。。。ケラケラ

 高校時代にはブラバンの一員でしたから、母校の応援のために授業を公欠してあちこちの球場にも出かけて行った事もあるので、10代とか、20代の頃の私は、高校野球にはけっこうはまって見ていたんですが、もう、そういうモノでは熱くなれない自分がいる事にかなり淋しい思いもしています。
 それがトシをとったという事なんでしょうかねぇ・・・ (__;)


 高校野球はともかくとして、甲子園大会には否定的な私ですからよけいにそんなふうに思うのかもしれませんが・・・
 甲子園大会なんてナンセンスな大会は、止めてしまうべきだという事を以前に書いた事があります。興味がある方は以下のURLでご覧ください。
http://yume-peterpan.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_1d41.html

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2008年8月11日 (月)

景浦安武

20080811001_2  ネッ友さんから、あぶさんが表紙に描かれた「BT(Baseball Times)」が発売されているという情報を得て、コンビニに走りましたが、成田市内では見つける事ができませんでしたので、仕方なく近くの本屋さんで注文してきたのが、先日届きました (^^)v

 私のサイドバーに貼付けてあるプロフィールをご覧になられた方なら、私の尊敬するプロ野球選手は、景浦安武だという事をご存じの方も多いと思います。

 この景浦選手のニックネームが「あぶさん」なのですが、これは、名前の「安武」を音読みすると「あぶ」になるからです。


 このあぶさんですが、1973年にドラフト外で南海ホークスに入団した選手で、61才になった現在でもなお現役生活を続けている、36年目の大ベテラン選手です (^^;

 入団した当時は、代打専門、その後指名打者などで活躍したあと、91年からはホークスの四番に座り続け、91年~93年には3年連続三冠王という前人未踏の大記録も樹立しました (^^)v
 さらに、94年には、シーズン56本塁打という、世界の王を越える日本記録をも達成した名実ともに「ホークスの顔」ともいえる看板選手です。


 もちろん、景浦安武は、水島新司という漫画家が創り出した架空の人物ではありますが、野球ファンならその名前はけっこう知っている人も多いと思いますし、少なくても私の中ではマンガの中の登場人物という意識はないんですよね。
 現実にソフトバンク・ホークスの中に存在して活躍しているスーパーヒーローなんですよ o(*^▽^*)o~♪


 私は、高校1年の時にクラスメートから「あぶさん」のコミック第1巻を借りて読んだのがきっかけで、ホークスのファンになり、以来ホークスを中心に、パ・リーグ一筋に応援し続けて来ました。

 当時のホークスは、野村克也がプレイングマネージャーとして実に良くチームを率いていましたが、77年のシーズンオフに監督を解任されると、翌78年からは20年連続Bクラスという暗黒の時代で、本当に辛く苦しい時代を過ごしてきました。
 そんな中、あぶさんの活躍が本当に嬉しくてね、それだけを楽しみにホークスを応援し続けて来ました (^.^ゞポリポリ


 あぶさんも、現在61才という事で、すっかり人間的に丸くなってしまった感がありますが、入団した当時の20代の頃の姿が、今回のBTのこの表紙です ( ^-^)/ ♪
 この頃のあぶさんは、眼光鋭く、まさに鷹が獲物を狙う時のような厳しい目で投手を睨みつけ、ひたすら代打として、ここぞという場面で大活躍していました (^^)v



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 3年前には、Number誌上でこんな特集記事もありました (^.^ゞポリポリ

 かたや82才の現役投手、かたや58才の現役四番打者・・・
 その夢の対談が、初雪舞う札幌で実現したというものだった・・・ (^^;


20080811003  まぁ、マンガの中の世界とはいえ、決して荒唐無稽なハナシだとは言い切れない真剣な対談がそこにありました・・・


 私は、こういう遊び心が大好きでね、本気で景浦選手を応援しているんですよ (^_^)V。

 このマンガを読み始めた頃には、まさかこんなに長く連載が続くとは思わなかったのですが、実際にこうなってみると、いったい、いつまで現役を続けてくれるのかととても気になります・・・


 私の人生の大部分を占めている景浦安武というアスリートの生き様と活躍・・・
 まだまだ、見ていたい気持ちがありますねぇ・・・ヽ(^o^)尸

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2008年8月 9日 (土)

赤塚不二夫が逝く・・・

20080808001  「天才バカボン」「おそ松くん」などのギャグ漫画で一世を風靡した漫画家の赤塚不二夫氏が、2日、肺炎のため東京都内の病院で死去したと報じられた・・・

 通夜は6日に、葬儀は7日に、それぞれ執り行なわれました。


 折しも、今週の私は公私共に多忙を極めていたので、氏についての記事をまとめることができず、いささか時機を逸した感があって、今さらではありますが、漫画好きの私としては氏のことを語らないわけにはいかないので、お付き合いください・・・ m(_ _)m


20080808002  私が氏の漫画に触れたのは、昭和39年くらいだったろうか・・・ ハッキリした記憶はないけれど、少年サンデーに連載されていた「おそ松くん」を読んだのが最初だったと思う。


 「漫画」ということばは、もともとおもしろおかしく描いた絵を指して付けられたものだと思うのだけれど、赤塚不二夫の描くマンガは、そういう従来の作風からは大きく逸脱しており、良くいえば独創的、悪くいえば独善的な内容のものが多かった・・・

 暴力的・・・ そう、まさに暴力的というのがピッタリというような、えげつないネタで強引な笑いを取りに来る・・・
 例えるなら、今風の無芸のお笑い芸人たちのような節操のない内容のマンガが多かったです (^^;


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 「おそ松くん」なんて、最初の頃は悪ガキの集団が悪さをして周囲の大人たちを驚かせるとか困らせるとかいった内容のものが多かった・・・
 内容もハチャメチャであり、ワケのわからないことばを連発するだけのものだったけれど、意外とそれが子ども達にはウケた。
 イヤミの特技である「シェー」は、私はもちろん、全国の子ども達が真似をして大ブームとなった。なにしろ、映画の中で、あのゴジラも真似をしたくらいですから(爆笑)


 今でこそ、ギャグマンガなんてことばがあるけれど、そういうことばさえも無かった当時は、氏の描くマンガは独特の世界を創り出していました・・・

20080808003  のんびりとした絵柄が多かった当時、氏の描く作品の中では、登場人物たちが生き生きと動き回っていました。足をタコのように何本も描くことによって連続して動いている様子だとか、そういう独特の手法を作品の中に取り入れることによって、紙芝居のように静止画が多かった当時のマンガの世界に、スピードという新風を吹き込んだのはおそらく氏が最初だったのではないか・・・


 氏の描く作品には、実に様々なキャラクターが登場します。先に挙げた「イヤミ」などはその代表的なキャラクターですが、他にも「チビ太」や「デカパン」といった名前はすぐに出てきます (^^;

 中には、人間でないキャラもおもしろおかしくデフォルメされて描かれました。
 「ニャロメ」とか「ウナギ犬」「ケムンパス」なんてのが有名ですが、他にもいろいろとありましたね(笑い)
 彼らは、人間ではないわけですが、人間のことばを話すというのも、桃太郎に出てきたサルやキジなんかに似た設定でおもしろいというか、興味深いです。
 人間のことばを話すからこそ、読者も感情移入できて親しみやすいわけで (^^)v


 マンガ界には、いろいろなパイオニア的な漫画家がたくさん居ます。
 手塚治虫なんてその代表的な漫画家であり、戦後のマンガ界を牽引してきた神様的な存在です。
 他にも、劇画で大成功を収めたさいとうたかをや、野球マンガでその地位を確立した水島新司、時代物で一時代を築いた白土三平など、いろいろな独創的な漫画家が居ましたが、赤塚不二夫は、間違いなくギャグマンガという世界を創り上げた創始者だと私は思っています。

 その後も、様々な漫画家が次々とギャグマンガを描きましたが、赤塚不二夫ほどアクの強い作品を描いた漫画家は存在しなかったのではないか・・・


 まさに、巨星落つ・・・

 そういう感が否めない残念な訃報でした・・・ (__;)


 今頃は、先に逝った、手塚治虫や寺田ヒロオ、藤本弘、石ノ森章太郎などのトキワ荘時代の大御所たちと、天国で再会して懐かしい昔話などしている頃だろうか・・・

 漫画好きの一人として、心からご冥福をお祈り申し上げます・・・(合掌)

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2007年12月29日 (土)

少女マンガ

 サイドバーに貼り付けてある、私のやたらに長~いプロフィールをご覧になられた方ならご存知かもしれませんが、私の趣味の一つに「マンガ」があります (^.^; ポリポリ
 もちろん、描く方ではなくて、もっぱら読む方ですが(笑い)

 昭和38年当時、私は5才で、その頃にはすでに「週間少年マガジン」を読んでいた記憶があります(苦笑)

20071229001  当時の価格は1冊40円、「エイトマン」が代表的な連載作品でした。

 もちろん、絵だけを見ていたわけではなく、キチンとフキダシの中のセリフを読んで、ストーリーを楽しめました (^^)v
 当時のマンガは、実に丁寧に作られていたので、フキダシの中の漢字には全てルビ(ふりがな)が振ってありましたから、ひらがなさえ読めれば、作品を読む事は十分可能だったワケです。


 昨日、ネッ友さんのブログで、『マンガということばからすぐに思い出すのが「魔法使いサリー」「ひみつのアッコちゃん」・・・』というコメントを目にして、なるほどと思ったのが今日の記事になった理由です (^^;
 ちなみに、コメントの主はkyoroさん。私も子どもの頃に読んだ記憶があるので、両方の作品ともよく知っています。もちろん、雑誌でも読みましたが、どちらかといえばこれらの作品はアニメとしての印象の方が強いかもしれません・・・ (^^ゞ
 もちろん、私もアニメの方が好きでした (^^)v

 で、ここでチョッとした思いが頭を過ぎった・・・

2007122900220071229003 「魔法使いサリー」の作者は横山光輝、一方の「ひみつのアッコちゃん」の作者は赤塚不二夫だった・・・

 二人とも男性であり、彼等の描いたマンガが少女マンガ雑誌に連載されていて、女の子の間でも人気があったという事 (^^;

20071229004  同じ頃、人気のあった「リボンの騎士」の作者は手塚治虫だった・・・

 しかし、これは別に不思議な事ではない。今のようにゲーム機もパソコンも無く、娯楽の少なかった昭和30年代から40年代にかけて、マンガが子どもたちの間での娯楽の王様だった頃、作者である漫画家はほとんどが男性だった。その頃は女性が漫画家に成るなんて考えられなかった頃ですから、実際に女性の漫画家は数えるほどしか居なかった事もあって、男性でも否応なしに少女マンガを描かなくてはならなかっただけの事だ。


 この頃の女性漫画家で有名な方に里中満智子が居て、私は大好きな漫画家です。最近の少女マンガは、ベル薔薇に代表されるような細いタッチで細面の登場人物が描かれる事が多く、私の好みとは遠くかけ離れていて好きになれないのですが、里中満智子美内すずえなどの、太いタッチで描かれる丸い顔の「バタ臭い」絵柄が私のお気に入りです (^^)v
 なんとなく、ほのぼのとした温かさが紙面から伝わって来て、いかにも「マンガ」を読んでいるという感じがするところがイイんですよね~ (o^∇^o)ノ

20071229005  なんでかな・・・ やっぱ、手塚治虫「鉄腕アトム」が一番最初に読んだマンガだったからかな (^.^; ポリポリ
 手塚治虫の絵柄は、典型的な「丸い絵」で描かれていますからね (^^)v

 だからなんでしょうかね、私の女性の好みも、丸い顔の女性がタイプだったりします(笑い)
 関係ないか・・・ (^.^; ポリポリ

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 そういえば、同じ頃、楳図かずお「へび少女」に代表される恐怖マンガで一世を風靡した・・・ 発表の場はもっぱら少女雑誌だった。
 この頃、なかよしに連載されていた「ロマンスの薬あげます」が秀逸で今でも記憶に残っています。お家芸の恐怖マンガではなく、学園コメディーというところが後の「まことちゃん」「アゲイン」に通じるルーツになっていくのかな。


2007122900920071229010 この後、和田慎二弓月光なんて男性作家も少女マンガの世界で大活躍をした・・・

 いずれも私の大好きな漫画家たちです (^^)v

 いやぁ~、マンガって本当にいいもんですねぇ! o(*^▽^*)o~♪

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2007年5月 3日 (木)

会津の星

 今日から5日まで、私は会津に帰省いたします (o^∇^o)ノ
 実家ではネットに接続できないために、更新は帰宅後になります (^.^ゞポリポリ
 一応、携帯で多少の読み書きはできますが・・・ (^^;

 

 ・・・という事で、今日は「会津」つながりの少しくだけた話題を・・・ (^^ゞ

 

 今では誰でも公に「苗字」を名乗っています。そして、日本には膨大な数の「苗字」があり、その中には特定の地域にのみ多く見られるユニークな苗字も少なく有りません。
 本名は公開してはいませんが、私の苗字なんかもそういうものの一つです (^^;

 

 私が中学や高校の頃に、大好きでよく読んでいた作家に「星新一」が居ます。
 SFが得意で宇宙モノのショートショートもよく書いていました。
 だから、本人も「星」という苗字がとてもお気に入りのようで、そのルーツが南会津にあると、氏が文庫本の後書きの中で書いていました (^.^ゞポリポリ

 

 ところで皆さんは、梶原一騎の原作で川崎のぼるが描いた「巨人の星」というマンガはご存知だと思います。
 アニメにもなって一世を風靡した感の有る、超有名なマンガですから、どこかで一度くらいは見聞きした事が有るんじゃないかな。私が子供の頃は、知らない人は居ないくらいに流行ったものです。

 その主人公の名前は「星飛雄馬」でした。親友の伴宙太やライバルの花形満が、飛雄馬の事を「星」とか「星君」と呼んでいたのは有名です。
 この「星」という苗字ですが、実際に南会津で多く見られるけっこうポピュラーな苗字です。
 子供の頃は、マンガのヒーローが知っている苗字だったので、妙な親近感を抱いたものです。

 そういう事実を踏まえた上で、あらためてこのマンガを読み直してみると、おもしろい事に気付きました。

20070502001  飛雄馬自身は、おそらく東京の下町で生まれ育ったのでしょうが、父親の「星一徹」はまず間違いなく会津の出身だと思われます(笑い)
 あのバカが付くくらいの「ウルトラ頑固オヤジ」は、会津を代表する人物像そのモノです(爆笑)

 

 昭和20年代は、戦後の荒廃からの復興が目覚ましかった時代で、地方から高収入の仕事を求めて上京する人が跡を絶たない状況でした。それに加え、高度経済成長のあおりを受け、道路や建物の建設ラッシュに湧いた時代でもありました。

 おそらく、一徹も、会津の片田舎から出稼ぎという形で上京して、そのまま日雇い人夫として東京に住み着いた一人だと思われます。
 飛雄馬が生まれたのは、昭和25年頃と推測できるので、もしかしたら母親の女性と一徹とは、お互い会津の出身で、上京前に知り合って結婚していたのかもしれない。

 そう考えると、明子のあのでしゃばらない控えめな性格は、なんとなく会津の女性を感じさせるところがないわけでもありませんので、母親譲りなのかな・・・と(苦笑)

 

20070502002  また、貝塚ひろしが描いた「父の魂」という野球マンガもありました。
 こちらの方は正真正銘、会津若松が舞台でした (^.^ゞポリポリ
 バット職人の南城丈太郎が経営する「南城バット工場」は会津に在り、後にプロ野球選手になる主人公の隼人はその息子でした。

 私はけっこう大好きなマンガだったのですが、ご存知ない方も多いんですよね、この作品は・・・ (^^;
 「少年ジャンプ」の創刊時には「ハレンチ学園」や「男一匹ガキ大将」などと並んで大人気の作品だったのですが・・・(苦笑)

 

 やっぱり、地元に所縁のあるマンガだと、思い入れも強いですね (^◇^) 。。。ケラケラ
 もっとも「巨人の星」は、私が勝手に会津に関連づけただけで、キチンとした裏付けが有るわけでもありませんが・・・ (^^;

 でも「星」という苗字を持っている方なら、ご本人かもしくは親御さんが会津の出身だという事は十分に考えられる事なのです (^^)v

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