2009年11月13日 (金)

つれづれに・・・

 昨夜は、疲れてしまって記事を更新する気力がサッパリ起きませんでした・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 天皇陛下の即位20年を記念する式典が行なわれたとか、その裏では天皇制に反対する人々のデモが行なわれたとか、NHKの行なった電話によるアンケートでは、天皇制の廃止を望む人が8%いたとか・・・

 行政刷新会議の「事業仕分け」が始まって、厳しい判定を連発しているとか・・・

 森繁久弥氏の訃報が伝えられたりとか・・・

 

 いろいろと語りたいことはあるんですが、どうにも考えがまとまりません・・・ (__;)

 

 ひと言だけ言わせて頂くなら、私が事業仕分けでいの一番に切って欲しいと思っているのは、皇室に関わる莫大なお金かな (^◇^) 。。。ケラケラ

 天皇制廃止論者の私にとって、日本で一番ムダだと思うのは、天皇の存在ですかね (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 別に、天皇を名乗りたいならそれはそれで構わないけど、皇居を始め、公の建物を私的に用いるのはご遠慮頂いて、警備なんかも個人で民間の警備会社を雇うならともかく、国家警察を私的に利用するのも廃止にしてもらって、国事行為も一切関わることはお止め頂いて・・・

 天皇誕生日なんて祝日はすぐにでも廃止して、個人の誕生日を国民に祝ってもらおうなんて僭越な考えは捨ててもらって・・・ (^^;

 ああ、元号なんてのも面倒くさいだけで邪魔だから、もう止めましょうよ (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 そういえば、今日は「13日の金曜日」・・・ (^^;

 でも、六曜では「大安」です (^◇^) 。。。ケラケラ

 アナタなら、和洋、どちらを信じますか?

 あ、六曜は中国で生まれたんだっけ (;^_^A アセアセ・・・

 

 

 ・・・な~んて、思いつくままに文字にしただけでも、これだけの量になるのか(爆笑)

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2009年11月 4日 (水)

右書き

20091104001

 これは、先日見かけたトラックで、別にこの会社の車のことを語りたいわけではないのですが、このトラックを見ているうちに思い出したことがあったので・・・ (^_^ゞポリポリ

 このトラックもそうなのですが、車体に会社名などの看板が書かれています。

 たいてい、会社で使っている車には、このように社名とか電話番号とかが書かれているのが一般的なのですが、縦書きならともかく、横書きで書かれている場合、普通は左書きで書かれるのが現代においての決まり事になっています。

 

20091104002

 ところが、車に書かれる看板ですが、時折右書きで書かれたものを見かける事があります。

 上のトラックにおいても、荷台に書かれた看板は普通に左書きで書かれていますが、運転席のあるキャビンに書かれた看板は右書きで書かれています (^^;

 これが、車体の左側(助手席側)ですと、全て左書きで書かれており、右書きで書かれた看板は見かけたことがないのですが、車体の右側(運転席側)には、左書きがあったり、右書きがあったりします・・・

 車体に書かれる看板は、車の前の方から後ろに向かって文字は書かれると、以前どこかで聞いたことがあります。

 だから、車体の左側は左書きになり、右側は右書きになるのだと・・・

20091104003_2  しかし、中にはこんなふうに、社名は右書きになっていても、その下に書かれている電話番号などは左書きになっているというチグハグな車も見かけます(笑い)

 

 個人的な意見では、車体の右側であったとしても、文字は左書きで書くべきだというもので、私の愛車は必ず左書きで書くようにと、購入する時にはディーラーに何度も念を押しています。

 だって、右書きだと読みにくいでしょ (^◇^) 。。。ケラケラ

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2009年10月21日 (水)

 「男は40過ぎたら、自分の顔に責任を持て」なんてことばがありまして、かつてリンカーンが言ったものだとされています。

 

 顔なんて、持って生まれてきたものですから、整形でもしない限り変えようもないし、そんな自分の顔に責任を持てなんて言われても、納得できない人も多いと思いますが、私はそういうふうには思っていない一人です。

 子どもの頃はともかくとして、オトナとして20年以上も生きてきたのなら、顔もそれなりに変わっていくものだと私は思っています。
 つまり、「その人が歩んできた人生考え方が、にそのまま表れる」という事です。

 

20091021001  例えば、今、話題の人である石川遼ですが、若干18才であるにもかかわらず、昨年プロデビューした頃の幼さが残る顔つきとは明らかに変わって来ています。
 私はゴルフは嫌いなスポーツなので、中継などを見ることはありません。せいぜいスポーツニュースなどで見る程度ですが、ここ半年ほどで、実に男らしく精悍で、しっかりした顔つきになってきたなと私は感じています。

 これも、おそらくは自分のプレーに自信を持って大会に臨むことができ、そこで納得のできる成績を収めることができるようになってきたからではないかと私は思っています。

 

20091021002_2  マスコミに比較的顔がよく出てくる政治家なんかだと、その差がハッキリと現れます。

 麻生太郎という政治家がいますが、あの人の顔には性格の悪さがよくにじみ出ています(笑い)
 育ちはともかく、意地の悪い、性格のひん曲がったところは、あの顔そのものです。

 

20091021005 20091021006 20091021007 20091021008

 自民党には、顔が悪い大物が少なくありませんが、今回政権をとった民主党には、小沢一郎なんて例外もいますが、鳩山由紀夫にしろ、岡田克也にしろ、菅直人にしろ、実に誠実そうな顔をしているじゃないですか(苦笑)

 
20091021009_2  前原誠司なんて、その最たる人じゃないでしょうか・・・
 テレビで見かける国土交通大臣としての前原氏の顔には、ウソなんてこれっぽっちも感じられない、清廉潔白を画に描いたような清々しい顔をしています o(*^▽^*)o~♪

 

 まぁ、これは新政権に期待する私の欲目も多分に入っていますから、よけいにそう見えてしまうのかもしれませんがね(爆笑)

 

 

 そういえば、かつて、扇千景という政治家がいました。
 もともとは宝塚出身の女優であり、その美貌は人を唸らせるだけのものを持っていました。

20091021003_4 20091021004_4

 しかし、政治家となり、やがて党首となり、大臣となっていきましたが、それにつれて彼女の顔は大きく変わっていきました・・・ (^^;

 それは、単に年齢を重ねたからなどという生やさしいものではなく、国交大臣を務めている頃の彼女の顔は、まるで夜叉のような険しい顔になっていました。
 おそらく、大臣として仕事をしていく上で、人には言えない様々な「うんたらかんたら」を経験していくうちに、あのような顔に変わっていったんだと思うのですが、それにつけても、「生き方」や「考え方」は大事だとつくづく思うようになりました。

 ちなみに、上の写真は、扇千景が、40才の頃と、70才手前くらいの頃のものです。とても同一人物とは思えないくらい、顔が変わっていると思いませんか (;^_^A アセアセ・・・

 

20091021010  私の尊敬する人物に、楽天の野村克也がいます。

 来シーズンは監督はしない事が決まったようですが、監督であろうがなかろうが、野村克也という人物の本質は変わりません。

 その野村氏の言葉に次のようなものがあります。

 「心」が変われば「態度」が変わる。
 「態度」が変われば「行動」が変わる。
 「行動」が変われば「習慣」が変わる。
 「習慣」が変われば「人格」が変わる。
 「人格」が変われば「運命」が変わる。
 「運命」が変われば「人生」が変わる。

 これなんか、非常にわかりやすい言葉だと私は思うのですが、ここにひと言付け加えるとすれば・・・

 「人生」が変われば「顔」が変わる。

 どうですかね ( ^-^)/ ♪

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2009年9月21日 (月)

シルバーウイーク

 一昨日の土曜日から、人によっては5連休という、五月の連休にも匹敵する大型連休がスタートしました。

 

 この秋の連休のことを、マスコミでは「シルバーウイーク」と名付けたようで、初めて耳にするワリには、もうすっかり世間に認知された感があります(苦笑)

 この「シルバーウイーク」という名前に対し、一部の人たちは嫌悪感を抱いているようですが、私は急ごしらえにしてはよくできた名称だと感心しています。

 おそらくは、名前の元になったのは、五月の「ゴールデンウイーク」だと思います。

 「ゴールド」に対し、「シルバー」というのは、安直ですがなかなか的を射ているというか(笑い)

 それに、この連休の中には「敬老の日」が含まれていますから、お年寄りに対する敬意を払う意味でも、「シルバー」ということばを選んだのは正解だったのではないかと (^^)v

 また、「敬老の日」を、かつての9月15日から、9月の第3月曜日に移すにあたり、9月15日は「老人の日」となり、さらにこの日から一週間を「老人週間」と定められましたので、そういう意味でも「シルバーウイーク」というのはいいネーミングなんじゃないかと私は思っています。

 

 ただ、今年は秋分の日が水曜日となったために、たまたまこのような大型連休になりましたが、毎年毎年このような大型連休になるわけではなく、現行法の下では、次に今年と同じように9月に4連休が登場するのは、2015年まで無いといいます (^^;

 という事は、次に「シルバーウイーク」ということばを耳にするのは、2015年ということになるのかな(笑い)
 なんだか、祝日法に振り回される、影の薄い存在になりそうな予感がするなぁ (^◇^) 。。。ケラケラ

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2009年9月18日 (金)

一度でいいから

 先日、仕事で栃木路を走っていて見かけた選挙ポスターです(笑い)

 投開票から半月以上も経っているのに、まだこうして掲げられているというのもどうかと思いますけど、政権交代も無事に済んだ今なら何を言っても大丈夫かな (^◇^) 。。。ケラケラ

 

   20090919001

  (^-^*)(・・*)(^-^*)(・・*)ウンウン

 気持ちはわかるし、言いたいことも伝わってくるんだけどさ。

 「一度やらせてくださいよ」っていうのは、どうしてもモノにしたい女性を口説く時に使われがちなことばですよ (^^;

 それも、ホンキで惚れている相手にではなく、火遊びというか、「一度」限りの関係でいい相手に対して用いられる事がほとんどの、無責任きまわりない口説き文句です。

 そういうことばが、堂々と選挙ポスターのコピーに用いられるというのは、いかがなものなんでしょうか・・・(笑い)

 

 一応、栃木4区では、当選を果たしたようなので、彼の気持ちというか、思いは有権者には伝わったという事なんでしょうね(爆笑)

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2009年9月 1日 (火)

入口のない家

 建物には「玄関」というものが設けられているのが普通で、人はたいてい「そこ」から家の中に入っていくものです。

 中には、勝手口から入る人もいるでしょうし、縁側などから入っていく人も居らっしゃるかもしれません。
 場合によっては、お風呂場の窓からとか、トイレの窓などからムリヤリ入っていく人も居ないわけではありませんが・・・ (^◇^) 。。。ケラケラ

 

20090901001_2  この玄関に設けられている戸は、かつては「引き戸」が中心で、横にスライドさせて開け閉めしたものですが、最近では欧米などで主流の「ドア」が一般的になり、押すか引くかして開け閉めしているご家庭が多いと思います。

 この、「押す」か「引く」という動作が問題なのですが、欧米では、外側から内側へ開くようにドアを設計するのが一般的のようです。
 これは、客人を部屋の中に「招き入れる」という考え方からそのように作られていると聞いたことがあります。
 しかし、日本では住宅事情があまりよくなく、玄関の内側にいろいろなものが置いてあったりして、内側に開くようにするとそれらが邪魔になることも考えられるので、欧米とは逆に外側へと開くように設計されているのが一般的なようです。

 公共の場所に設けられているドアの場合は、どちらに開くかわからないと利用者も戸惑うことがあるだろうと、「押」とか「引」などの表示がある場合が少なくありません。

 

 希に、コンビニなどの入口に設けられているような「両開き」のドアを見かけ、押しても引いても開くようになっているドアを見かける事がありますが、このようなドアを開ける場合、私は引いて開けることにしています。なぜなら、ドアの向こうに人が居た場合、押して開けるとぶつけてしまう危険性があるからです。

 一般的には、ドアにはガラスが設けられている場合がほとんどなので、ドアの向こうに人が居るかどうかはわかりますが、だからといって相手がどのように開けるかはわかりませんから、もしドアを押して入ろうとした場合に相手もドアを押したら、ドアは開かずにぶつかってしまうことになります (^^;
 この場合、自分は引いて開けようとしていれば、少なくてもドアの向こうにいる相手にドアをぶつける心配はありませんし、相手が押して開けようとすれば、チョッと脇に避けて進路を譲ってあげればいいだけのことです (^^)v
 私がドアを引いて開けたからといって、マンガのようにドアの向こうからこちら側に倒れてくるような人はいません (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 それはともかく、日本の住宅で多く見られるような、外側に開くドアが取り付けられた玄関というのは、「入口」なのか、それとも「出口」なのか、皆さんはそんな事を考えたことはありますか?

 私は、こういうどうでもいいことが気になって気になって仕方がないのですが・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 人によっては、入る時には「入口」であり、出る時には「出口」だから、玄関は「出入り口」であり、「入口」とか「出口」とかどちらか一方に決めてしまうことは無意味だと主張する人も居らっしゃるかもしれません(笑い)
 しかし、物事には必ず必然性があり、それによって名前が付けられているのが普通です。

 

 例えば、道路や鉄道に掘られたトンネルの場合を考えてみましょう。
 トンネルには、両側に穴の中へ通じる場所が設けられていますが、必ず「入口」と「出口」が明確に決められています (^^)v
 どっちがどっちでもいいとか、「出入り口」とか、そういういい加減なものではないのです(苦笑)

 では、トンネルの「入口」と「出口」はどのように決められているかというと、その路線の起点に近い方が「入口」であり、終点に近い方が「出口」になります。

 東海道線で例えると、東京寄りに掘られた穴が「入口」で、大阪寄りに掘られた穴が「出口」となります。
 これは、上り下り線にかかわらず、上り線であっても、大阪寄りは「出口」であり、東京寄りは「入口」ですから、上り線では厳密に言うと「出口」から入って「入口」から出る (^^; ということになります。

 

 このように考えた場合、外開きのドアが取り付けられた玄関というのは、「入口」ではなく、「出口」なのではないかと個人的に考えています。

 人間は、進行方向に向かってドアを「押して」開けようとするのが自然であり、一般的なのではないでしょうか。

 つまり、外から家の中に入ろうとする時には、ドアを押して入ろうとし、家の中から外に出ようとする時にも、ドアを押して出ようと本能的にするものだと思います。
 しかし、取り付けられたドアは外開きになっており、外から中へは押して入ることはできないわけですから、この玄関のドアは家の中から外に出る時に用いることを前提として作られていると考えるのが妥当なのではないかと・・・ (^_^ゞポリポリ

 だとすれば、外開きのドアが取り付けられた玄関は「出口」であって、「入口」ではないと私は思うのですよ (^^)v
 タイトル風にいえば、「入口のない家」という事になるんじゃないかな (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 こういう事を調べても、外開きのドアが取り付けられた玄関は「入口」なのか「出口」なのかを明確に説明している文章は見あたりませんでした。

 どうですかね、どなたかこの辺りのご事情をご存じの方はいらっしゃいますか?

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2009年8月16日 (日)

くさかんむり

 「花」という漢字の画数は、いくつですか?

 こんな質問をされた場合、あなたなら何画と答えますか?

 7画
 8画
 それとも、10画ですか?

 

 答えは、全て正解なのですが、どうしてこんなややこしい事になっているのでしょう・・・

 問題は、「花」という漢字を構成している「くさかんむり」と呼ばれる部首にあります。

 この「┼┼」の部分が、新字体だと「3画」旧字体だと「4画」になり、つくりの「化」と合わせて7画だったり8画だったりするわけです。

 新字体だと横の線はつながっていますから、「3画」ですが、旧字体だと「┼ ┼」と表記されたり、「┤├」のように表記されたりして、いずれも「4画」になります。

 

 しかし、「くさかんむり」は、もともと「艸」(見えていますかね (^^; )という文字でしたから、姓名判断などの本では「6画」として扱われている場合が少なくありません。

 今は、「3画」と数える書籍が多数派のようですが、かたくなに「6画」と述べている書籍も存在しているのが事実です。

 

 私なんかは、姓名判断などの類はまったく信用していませんから、何画といわれてもはっきりいってどうでもいいのですが、世の中にはそういう事にこだわる人が多いので混乱をきたす事になります。
 「くさかんむり」を3画で数えると字画が良いけど、4画とか6画だと悪くなるとか・・・ (^^;

 

 そんな事言い始めたら、キリがないと思うんですがねぇ(笑い)
 だって、今使われている漢字って、ほとんどがもともとの字体から省略を繰り返されて、今の書体に落ち着いたわけですよね。
 例えば、「礼」という文字は、「禮」を省略したもので、「禮」だってその前は違う書体だったかもしれないわけですから・・・

 だったら、戸籍に登録した時の文字がその人の名前という事でいいんじゃないかと私は思いますよ。
 そこに書かれている書体で数えればいいだけの話しなんじゃないかな (^^)v

 

20090816001_3  ・・・なら「7画」

 

20090816002  ・・・なら「8画」

 

20090816003  ・・・なら「10画」
 (こんな文字はありませんが・・・ (^^; )

 

 ちなみに、似たような話は「くさかんむり」だけではなく、例えば次のような部首についてもいえます(笑い)

 「さんずい(津)」は、もともと「水」なので「4画」
 「りっしんべん(快)」は、もともと「心」なので「4画」
 「けものへん(猿)」は、もともと「犬」なので「4画」
 etc. etc.・・・

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2009年8月15日 (土)

会津の人

 月遅れのお盆で、例年なら私も実家のある会津に帰省しているのが通例なんだけど、今年は諸般の事情により帰省は断念して、成田のアパートでのんびりと過ごしています (〃⌒∇⌒)ゞ ♪
 お盆中であるにもかかわらず、仕事の依頼も毎日入ってくるので、有り難い事この上ないです。

 で、今日は私の故郷である「会津」を偲んで、チョッと会津にまつわるエトセトラでも語ってみようかと・・・(笑い)

 

 「会津」ということばを聞くと、たいていの方は薩長に代表される明治政府軍と対立し、戊辰戦争で敗れた「逆賊」というイメージをお持ちの方がほとんどだと思いますが、私を始め、会津人の多くは誰もそんな事は思っていません(笑い)

 「勝てば官軍」ということばにも言い表されているように、戊辰戦争に敗れてしまったから「逆賊」の汚名を着せられてしまっただけで、仮に勝っていれば歴史の上で「逆賊」と呼ばれていたのは薩長側だっただけの事ですから・・・(苦笑)

 このように、「歴史」というのは、常に勝者側の言い分だけが史実として残っていくのが普通なので、私は学校の授業なんかで教えられる「歴史」は、全部とは言いませんが、そのほとんどは人為的にねつ造された「嘘っぱち」ばかりだという持論を持っています。

 

20090815031_3 20090815032_3   

 それはともかく、福島県は県内を南北に連なる奥羽山脈と阿武隈高地の二つの尾根線を概ねの境界として、ヨコに大きく三つに分けられていまして、海側から「浜通り」「中通り」、そして「会津」と呼ばれています。

 気候や文化、住んでいる人々の気質もこれら三地方では大きく違っていまして、日々の天気予報なんかでも「浜通り」「中通り」「会津」と三つに分けて紹介されます。

 

 このように、「会津」というのは「福島県」の一部なわけですが、会津人の多くはそういうふうには思っていないのが普通じゃないかな (^◇^) 。。。ケラケラ

 よく笑い話なんかでも言われますが、「ご出身はどちらですか?」ナンて問いかけられる事があった際に、私を始めとする会津の人は「会津です」と答えるのが一般的だと思います。
 他の地方の出身の方が「福島の出身です」と答えても、会津の人は決して「福島出身です」とは言わないだろうと思います(苦笑)

 それを聞いた人が、「ああ、福島の方ですか」ナンて受けて答えても、「いいえ、会津です」とガンコに言い直すのが会津人の会津人たる所以です (^◇^) 。。。ケラケラ
 会津って福島じゃなかったかしらと思われても、会津人にとっては「会津」は今でも独立した国なんですよね(爆笑)

 

 会津人は、会津という歴史ある土地に誇りを持っていますから、「福島県」なんて後からできた行政区分に取り込まれるものかと、心の片隅で必死に抵抗しています(ウソウソ)

 廃藩置県が行なわれた明治4年、会津藩はそのまま「若松県」と名前を変えて再スタートを切りました。
 しかし、その5年後である明治9年に、「若松県」は廃止され、浜通りの「磐前県」や中通りの「福島県」とムリヤリ合併させられて、今の福島県が出来上がったという経緯がありますから、よけいにそう思うのかもしれません。

 

 第一、浜通り地方は、南部は茨城県の影響を色濃く受けており、ことばなんかも「だっぺ」に代表される茨城弁が主流ですが、北部は仙台の伊達の影響を受けています。
 また、中通り地方は仙台や米沢の影響を受けています。

 一方、会津地方は、越後の上杉に統治されていた時期もあり、地理的にも新潟に近いですから、気候もことばも他の二つの地方とは大きく違うために、どうしても会津は福島県の中では異質の土地柄という事になってしまいます。

 

 そんな中で培われた「会津人気質」は、夏は暑く、冬は雪に閉ざされるという、東北の盆地によく見られる特有の気候と、古来より盛んな教育、そして漆器や酒造など、ものづくりの伝統の中で培われてきた、「実直で粘り強く生真面目」と一般に呼ばれるもので、私なんかもよく仲間内で「クソが付くくらいのマジメな奴」と言われています (〃⌒∇⌒)ゞ ♪
 けっこう飽きっぽいところもありますが、損得ではなく、「義理と人情」が私の行動の原点であるところなんかも、アナログな会津人を代表しているのかなと・・・ (^_^ゞポリポリ

 まぁ、私はかなりの変人ですから、会津に住んでいる人が全て私のような考えをしているワケではないと思いますが、身内意識がとても強く、よそ者をなかなか受け入れないという閉鎖的なところは、昔も今もそれほど変わっていないと思いますよ。

 

 そんな会津人気質をよく言い表していることばの一つに「会津の三泣き」があります。

 今日は、最後にそんなことばをご紹介して記事を締めさせていただきます ( ^-^)/ ♪

 

 他所から転勤などで会津に住む事を余儀なくされた時に、彼らは3度涙を流すといわれます。
 住み始めて1度、住んでいるさなかに1度、会津を去る時にもう1度・・・です。

 

 まず、その閉鎖的な人間関係が最初のハードルです (^^;
 よそ者扱いされて、なかなか土地に馴染めずに泣くといいます。これが最初の一泣きです。

 次に、住み始めてわかる事ですが、盆地特有の厳しい気候にも泣かされます。
 そしてこの頃になると、会津人は意外と情が深い事もわかって泣かされる事も少なくないといいます。これが二泣きといわれるものです。

 そして、会津を離れる日が来た時に、今度は会津を離れがたくて三度目の涙を流すといわれます。

 これが「会津の三泣き」で、戦後間もない頃にある新聞社の記者が会津に転勤でやって来て数年間を過ごし、会津を去る時に書き残した記事が元になっているそうです。

 

 義を貫き、武士道を全うしただけの会津藩に対して、よそ者の明治政府軍が行なった非道極まりない仕打ちに接し、会津の人々はよそ者に対する猜疑心と警戒心をより強め、排他的になっていきました。

 戊辰戦争なんて、大昔の出来事であり、そんな事を今でも引きずっていることを笑う人もいらっしゃるかもしれませんが、たかだか百年チョッと前の出来事であり、せいぜい4~5代前の先祖が受けた仕打ちです。
 具体的に言えば、私の父の、祖父さんか曾祖父さんあたりの世代がそれにあたります。

 イジメは、した方は忘れてしまうことが多いそうですが、された方はいつまでも心の傷となって忘れることはないといいます。
 たかだか百年程度の年月で、過去のこととして水に流してしまうワケにはいかない事情が会津に生まれ育った人達の間にはあるんですよ。

 だから、他所から会津に移り住むとなると、今でもけっこう苦労すると思います (^^;

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2009年8月13日 (木)

帰省

 今日辺りは、時期的には月遅れのお盆にあたりますから、会社なんかも夏休みを取るところが多く、この時期の風物詩として「帰省ラッシュ」が見られる頃になりましたが、今年はちょっと事情が違ってきたのではないでしょうか・・・

 

20090813001  一昨日の早朝、静岡県の焼津市や御前崎市などで震度6弱の地震があり、交通の大動脈の一つである東名高速の一部が崩壊して部分的に通行止めになってしまったからだ・・・

 当然、帰省のマイカーに与える影響は大きいはずで、このお盆に東名を使って帰省を予定していた人たちはどうするのだろうと・・・

 名古屋以西に向かう人たちなら、中央道を使えば問題ないわけだけど、ただでさえ混み合うお盆の中央道ですから、東名を使う予定だった人たちまで乗り入れられてはたいへんな事になるのは目に見えています。

 そうかといって、今さら鉄道や飛行機を使おうと思っても、乗車券の手配はたいへんだと思う。

 

 なら、いっその事、今年は「帰省を取り止める」という選択肢はないのだろうか(笑い)

 

 個人的な事ですが、毎年お盆に帰省していた私ですが、今年は曜日の配列が悪いのと、仕事量が減ってしまって売上げが悪いのとで、早々にお盆の帰省は断念しました (;^_^A アセアセ・・・

 毎年、バカの一つ覚えみたいに、お盆には「帰省」というワンパターンに走るのはいかがなものか (ノ_-;)ハア…
 少なくても、東名利用の方たちにとっては、今年はそういう当たり前に思われている「奇行」を見直すいい機会なんじゃないだろうか・・・ (^^;

 

 帰省するには、ある程度の長期休暇が必要であり、それにはGWやお盆の夏休みはもってこいというのはわかるんだけど、毎年毎年、物差しで測ったように同じ事を同じように繰り返す必要が果たしてあるのだろうか・・・

 今回のように、いつもと違った「何か」があるのなら、他のことを考えてみるのも一興だと思うんですがねぇ(笑い)
 状況に応じて、臨機応変に行動を変えてみるのは、オトナとしてのたしなみというか分別じゃないかと私なんかは思うんですが (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 こういったアクシデントを、マイナスに捉えるのではなくて、逆に前向きに考えて、この機会だからと何か新しいことにチャレンジするのに絶好の機会なんじゃないかと私は思いますよ。

 マイカー利用で帰省するつもりだったのなら、他の交通機関のように前もって乗車券を購入しているわけでもないでしょうから、計画の変更も容易だと思うんですよね。
 もしか、ご近所へのお土産を買ってあったとしても、そんなのはお詫びの一言を添えて宅配便で送ってしまえばいいんじゃないかな (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 いつも以上に混み合うとわかりきっているのに、いつもと同じように行動するのは、芸がないというか、はっきり言って○○なんじゃないかと私は思いますねぇ (^◇^) 。。。ケラケラ

 あ、上の○○には、「無謀」とか「徒労」とかの、当たり障りのないことばを入れてくださいね~ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

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2009年8月 9日 (日)

自分

 最近、私の周りでも、テレビなんかでも、自分のことを指す「一人称」で、「自分」と言う人が増えているように思います。

 本来、「私は・・・」と言うべきところ、「自分は・・・」と言うわけです。

 スポーツなんかをしている学生たちが口にするのならともかく、社会人になっても「自分は」と言っているのを耳にすると、ちょっと違和感を感じざるを得ません。

 

 言っている本人たちには悪びれた様子は見えないので、普通の感覚で口にするのだと思いますが、なぜ「私」ではなく、「自分」なのだろう (?。?)
 その方が格好いいとでも思っているのだろうか・・・

 

 個人的な感覚では、一人称に「自分」という代名詞を用いる社会人を見ると、大人になりきっていないような、なんとなく子どもっぽいイメージを受けてしまいます。
 いつまで仲良しクラブをやっているつもりで居るんだろうと・・・

 あるいは、軍隊的なイメージを感じることもあります。

 いずれにしても、「自分」というのは一般社会には馴染まない一人称だと私は思うのですよ。

 

 大人になったら、それなりの言葉遣いを身に付けるべきなんじゃないかと、私は思うのですがねぇ・・・ (ノ_-;)ハア…

 あらたまった場において、「自分は・・・」なんて言っているのは、おかしくないですかね。

 それとも、そんな事考えている私の方がおかしいんでしょうか (^◇^) 。。。ケラケラ

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2009年7月 9日 (木)

縦書きと横書き

20090709006_2  文書の表記には、縦書き横書きがあり、日本や中国などの漢字圏では古来から縦書き表記を行なって来ました。

 これに対して、英語を始めとするアルファベットなどの文字を用いる欧米では横書きが主流・・・というよりも、アルファベットでは縦書きは不可能です(笑い)
 無理矢理アルファベットをタテに並べているTシャツのようなものも無いわけではありませんが、そういう場合にも普通は文字を寝かせて、文字の下側を左側にするのが一般的で、文字の下側をそのまま下にして縦に並べて書いてあるのは極めて希です。

 

 しかし、最近では日本国内においても、教科書を始め、PCや雑誌なんかでも横書きがドンドン主流になりつつあり、頑固に縦書きに固執しているのは新聞や書籍類、あるいは国語の教科書くらいのもので、看板でもチラシでもテレビでも、普段目にするものは横書きが断然多いです。

 私の経験でも、ノートを取る場合、縦書きで書いていたのは国語のノートくらいのものでしたが、それでさえ小学校の高学年くらいからは大学ノートに横書きで板書を写していました (^.^; ポリポリ
 社会人になってからは、およそ縦書きで文書を書いた記憶がありません (^^;

 ここまで横書きが市民権を持ってしまった今、縦書きなんて意味がないから無くしてしまった方がスッキリしていいんじゃないかと思っている私がいます (^_^ゞポリポリ

 

 そもそも、日本で縦書きが行なわれてきたのには理由があります。

 漢字と、それから派生したひらがなとカタカナは、その起こりから縦書き用に作られているからで、一つ一つの文字を個々に書く場合はともかく、草書のように崩して書く場合には縦書きでなければ形にならないので、ずっと縦書きが当たり前に行なわれてきたのです。

 しかし、戦後はかなり事情が違ってきています。テレビが普及し、目から入る情報は新聞や本よりもテレビの画面から入る方が徐々に増えてきて、それと共に文字はドンドン横書きが増えていきました。
 書籍類も、小説などは相変わらず縦書きが主流ですが、雑誌類は横書きが増えています。

 そういう目で見た場合、横書きに比べて縦書きになんらかのメリットがあるのかといえば、何も無いのではないかという結論になるわけですよ(笑い)

 

 まず第一に、人は右利きの方が圧倒的に多いわけで、そうなると書くのも読むのも横書きの方が断然有利なんですよね。

 読む場合の事を考えてみましょう。
 縦書きの場合は綴じ口は右側にあります。したがって本屋などで内容を確認しようと思ってパラパラとめくってみる場合、右手で背表紙を持ち、左手の親指でパラパラとやる事になります。利き手でない方の手でパラパラやるのはたいへんじゃないですか?
 しかし、横書きですと綴じ口は左側ですから、左手で背表紙を持ち、利き手の右手でパラパラとめくることが容易にできるわけです (^^)v

 また、文字を追う目の動きも、普通、本はタテの方が長くできていますから、下まで読んでいって上に戻るよりも、右端から左に戻る方が動きが少ない分疲れないんじゃないでしょうか (^◇^;)

 書く場合には横書きの方がもっとメリットがあります。

 縦書きですと、先に書いた文章は右手に隠れてしまって部分的に見えなくなりますが、横書きならそういう心配は全く無く、常に全ての文章が確認できます。
 また、万年筆のように、インクの種類によっては先に書いた文字が右手で擦れて滲んでしまうようなことも起こり得ます。

 

 第二に、横書きの方がエコであるという事。

 文章は、常に行いっぱいを使って書くものではないわけですから、例えば会話のような短い文を連続的に書く場合、縦書きですと紙面の下側が大きく空いてしまいます。
 しかし、横書きの場合タテに比べて辺が短いわけですから、紙面の右側にできる空白も少なくて済みます。

20090709005 20090709004_2

 これは少々極端な例ですが、ご覧のように、文字に比べて白い部分の方がはるかに多いですよね (^^;
 この例の場合、横書きならもしかして2ページで書けたかもしれませんね。3ページなら間違いなく書けますから、それだけでも1ページ余分に使っていることになります (^_^ゞポリポリ
 ちなみに、この写真の「戯曲」に書かれている意味ですが、2年ほど前に「伊奈かっぺい」という記事の中で書きましたので、気になる方はクリックしてお読みください ( ^-^)/ ♪

 

 第三に、横書きは文字の種類を選ばないという事です。

 小説に限らず、文章というものは漢字やひらがな以外にも数字やアルファベットなども書くことがあります。
 よく、「小説は縦書きでないと読みにくい」とか言っている人も多いですが、本当にそうでしょうか(笑い)
 もしかしたら、小説は縦書きの本しか見たことがなくて、そのようなものだとの先入観があるから縦書きの方が読みやすいと勝手に思い込んでいるだけなんじゃないでしょうか (^◇^) 。。。ケラケラ
 その証拠に、理科や社会の教科書は、国語の教科書に比べて読みにくかったですか?

 

 縦書きよりも横書きの方が文章は自然で、利点も多いという事を検証するために、以下のような場合を考えてみましょう。

 

20090709001_2 

 文中に英語の単語や文章が入っている場合です。
 別に専門書などでなくても、小説だってこのように横文字が入っていることも最近では珍しくなくなりました。そういう場合に、縦書きではどうしても読みにくいですよね(笑い)
 いちいち本を横にして読む人も居ないでしょうが、横文字を目にしたらちょっと首を傾げたくなりませんか (^◇^) 。。。ケラケラ

 

20090709002

 次に、日付や時間を書く場合です。
 縦書きだとご覧のような表記になりますが、横書きなら普通にアラビア数字(1,2,3・・・)を使って書くことができます。
 どちらが読みやすいかといわれれば、自明の理です (^_^)V。

 

20090709003

 また、上に準じますが、文中に数字を書かなければならない時に、縦書きだと非常に制約があります。
 二桁くらいの数字なら写真のように33~37とか43~47とか書けますが、三桁とか、それ以上の桁の数字はどうやって書くのでしょう (;^_^A アセアセ・・・
 横書きなら、何桁の数字であってもなんら問題なく書くことができますよ。

 0-0とか、2-3なんて表記も同じです。縦書きで書くよりもこのように横書きの方が自然に読めると思います。

 100%なんて表現も横書きならこの通りですし、100kmとか100cmとか、いずれも縦書きじゃ不自然な表記にならざるを得ませんよね。
 0.4秒というのも同じです。

 

20090709007  ところで、縦書きでないと不自然なものが一つだけ思い浮かびます。
 それは、背表紙に書かれた本のタイトルです (^◇^) ヒャッヒャッヒャ・・・
 本棚に立てた時、これだけは縦書きの方に軍配が上がりますねぇ (;^_^A アセアセ・・・

 

 今は、プロの物書きの多くは、PCを用いて原稿を書いている方が多いそうです。
 中には愛用の万年筆でないと筆が進まないとかいって、相変わらず原稿用紙に手書きをしている人も少なくないようですが、PCの画面は当然ですが横書きで表示されます。それが馴染めないからと、わざわざ縦書きに表示を変えて入力している人も多いと聞きます。
 ソフトによっては、ご丁寧に原稿用紙が画面に表示されるんだそうで (^◇^) 。。。ケラケラ

 縦書きなんて、そこまでしてこだわるようなものなんですかねぇ・・・ (?。?)

 私ゃ、文章の表記は全て横書きだけでいいと思っているんですが・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

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2009年7月 5日 (日)

お札の向き

 どうでもいいことではありますが、私はお札の向きをとても気にしています (^_^ゞポリポリ

 

 こういう事を言うと、たいてい几帳面だとか思う方がほとんどだと思いますが、私は生来ズボラな方で、整理整頓とかは苦手だったりします(笑い)
 昔、職場なんかでもよく言われたもんですが、血液型はA型だろうとか、部屋はキチンと片付いているんだろうとか・・・ (^^;

 きっと、マジメな性格だから、他の人の目にはそのように写るのかもしれませんが、私は典型的なO型であり、整理整頓とか潔癖とかいうことばとは無縁の生活を送っています (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 そんな私ですが、冒頭に申し上げたように、お札の向きにはこだわっています。

 これは、昔、家電店で働いていた時に、社長からきつく言われていた事が根本にあるからです。

 レジにも立ちましたから、お客さんから受け取ったお札は、必ず向きを揃えてレジに入れるように口を酸っぱくしてたたき込まれました。
 お札の向きなんてどうでもいいと思っている人も少なくないようで、買い物をする際に店員の様子を見ていると、上下も裏表も関係なく、無造作にレジにしまい込む人を見かけます。そのようにしまってあると、お釣としてお客さんにお札を渡す際にも向きがバラバラで渡すことになります。
 別にそれでも構わないのですが、そのように無頓着にお札を扱っていると、間違いも起こりやすくなります。
 向きを揃えてからレジにしまうことくらい、ほんのちょっとした手間をかけるだけですから、それほど時間もかかるわけでもないですし、ぜひ励行してもらいたいと私は思っています。

 お釣りとして受け取る時も気持ちいいですし、レジを締めて精算する際にも向きが揃っていた方が数えやすいですから、当然の事ですがミスも少なくなります。

 

 しっかりしたお店なら、お札の取り扱い方もマニュアルとしてキチンと明文化してあるはずですから、たとえアルバイトやパートであったとしても社員からしっかり教え込まれるはずなので、いい加減に扱っている店員を見かけると、ああ、この店はダメな店だなと私は思ってしまいます・・・ (__;)
 お札の取り扱い方をしっかり教えられないような店に将来性があるはずはないからです。つまり、小さな事をいい加減に済ましてしまうという体質がそこに見えるんですよね。

 

 お札の向きは、財布の中でも同じ事です。
 私は、財布の中にお札の種類ごとにキチンと分けて入れます。
 たいていの財布はお札の入れるところが仕切りで二つに分けられていると思うので、一万円札と五千円札は奥に、千円札は手前に入れています。

 

 向きも、裏表はもちろん、上下もしっかりと気にします (^^;

 全てお札の顔を手前に向け、必ず頭を下にして入れています。つまり、上下を逆さに入れているということです (^_^ゞポリポリ

20090705001 これは、人によっては嫌う入れ方で、お札に失礼だとかいって写真のように上下を正しく入れている人も多いと思います。
 ただ、いろいろといわれもあって、上下を正しい向きで入れておくと、お札が出て行きやすくなるといわれてます (^^ゞ

 それとは逆に、頭を下側にして、上下を逆さに入れておくと、お札は財布から出て行きにくくなるそうで、私はこちらを支持しています (^^)v

 

20090705002_2  写真は私の財布ですが、 私はいつもこんな感じでお札を入れています (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 本当は、こんな二つ折りのタイプではなく、長財布の方が折り目がつかないからお札も喜ぶんだそうで、長財布の愛用者の方が主流だと思うのですが、私はいつもお尻のポケットに財布を入れているので、長財布だとポケットから大きくはみ出すために、すられたり落としたりして財布を無くすことが心配なので、敢えて長財布ではなく二つ折りのタイプを長年愛用しています (^_^ゞポリポリ

 また、色もこんな黒い財布よりも風水的にいえば黄色とかの色の方が金運もアップするとか言われていますが、どうなんですかねぇ、オヤジが持つには黄色い財布なんてハデすぎるでしょ (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 まぁ、お札の上下については、好き嫌いとかこだわりなんかもあるでしょうから、揃ってさえいれば頭が上だろうが下だろうが、どっちがどっちでも構わないと思いますが、せめてお札の裏表くらいはキチンと揃えておきましょうよ ( ^-^)/ ♪
 買い物をする度に、お金に無頓着だと思われるのは損だと思いますよ (^◇^) 。。。ケラケラ

 それに、お札に対して愛情を持つというのは、一つのエチケットというか、礼儀だと私は思っています。

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2009年7月 1日 (水)

イチゴ

 人間、日々勉強とはよく言われます。
 私は、知らないことを覚えることが大好きで、毎日のニュースやラジオの番組の中からブログのネタを拾っていますが、50年以上生きてきても、初めて知るような事や認識を新たにするような事は多々あったりします (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 今日の記事は「イチゴ」という事で、今日から7月ですから、少々時期を逸した感がありますが、そういう最近知ったことの一つであり、個人的にはかなり驚いています・・・(苦笑)

 

20090630001  イチゴは皆さんもよくご存じの果物だと思いますが、あの赤い部分は、実はイチゴの「実」ではないというのが今日の記事の趣旨なのですが、皆さんはご存じでしたか(笑い)

20090630000  イチゴといえば、誰だってこんな風な絵を描くと思いますし、食べている部分もあの赤い部分ですから、そこが「実」ではないといわれても、にわかには信じられないと思います。

 また、イチゴの表面には小さな黒いブツブツがありますが、たいていはアレがイチゴの種だと教えられ、そう思っている人も多いと思います。
 もちろん、私もその一人でした。

 しかし、実はあの黒いブツブツこそがイチゴの「実」であり、赤い部分は「花托(かたく)」と呼ばれる花の「根元」の部分だそうです (^^;

 

20090630007_3 20090630008_5 20090630009_4

   イチゴの花の写真と、花と実の構造図

 「花托」は花床(かしょう)とも呼ばれ、(がくと呼ばれ、果物ではヘタと呼ばれることもあります)・花びら雄しべ雌しべ等をつける「土台」としてクッションの役目を担っています。

 普通の植物では、花托はそれほど大きくなることはなく、花の土台として目立たない存在ですが、イチゴでは、おしべの花粉がめしべに着いて受精すると、花托が大きく発育し始め、うす緑色から熟すると赤色になります。
 花托の組織の外側は皮層(ひそう)、内部は髄(ずい)と呼ばれます。

 めしべの子房(しぼう)は小さく硬く熟して、大きくなった花托の表面に半ばうずまったような姿で点々と貼りついています。
 植物学上はこれが本当の果実で、イチゴでは硬く小さくやせているので「痩果(そうか)」といいます。ひとつの痩果の中には種が1個入っています。

 この痩果を表面にのせた花托の成熟組織全体が、果物としてのイチゴです。

 

 つまり、私たちが普段美味しい美味しいと食べているイチゴの大部分は、子房が大きくなった「実」そのものではなく、「花托」の組織が大きく発育したものなのです。

 このように、イチゴの場合は、子房が大きくなって実となる他の植物とは異なり、かなり特殊な構造をしています。
 イチゴと同じように花托が大きくなり、それを実として食べられているものに、リンゴとかなどがあります。いずれも、イチゴと同じバラ科の植物です (^^)v
 ただ、同じバラ科の植物でも、桃やサクランボは子房が大きくなって実となりますから、やはりイチゴなどが特殊なんだろうと思われます。

 

 こんな事、知っているからといって別にどうということもありませんが、何事も知らないままでいるよりは、知っていた方がベターなのではないかと・・・ (^◇^) 。。。ケラケラ

 その日その日を、食べる事のみのために生きている他の動物たちと、人間との決定的な違いというのは、「知識」を求めるかどうかということです。
 動物が成長していく過程において、生きていくために覚えなくてはならないことはいろいろとあると思いますが、そういう事とは別に、人間はいろいろと知りたがります。

 子ども達が、親を始めとする周囲の人たちに向かって「なぜ?」「どうして?」と質問するのはそういう「知識」を欲しているからです。
 よく、数学や化学などの授業は、勉強しても将来なんの役に立つのかと口にする人がいますが、実際に生活の中で用いるかどうかは別にして、そういう「ムダ (^^; な知識」を覚えることが人間として生きていくことなのだと私は思っています。

 ただ生きていくだけなら、そういう「ムダな知識」は要らないだろうと思いますが、それでは動物園で飼われている獣たちとそう変わらないことになってしまうと思いませんか(苦笑)

 

 というわけで・・・

 イチゴの黒いブツブツは種ではなくて、本当は「実」
 実だと思って食べていた赤い部分は、花の「土台」

 ・・・ということになります (^^)v

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2009年6月 4日 (木)

身障者マーク

20090604001_2  この写真は、先日見かけた車なんですが、リアガラスに車椅子のステッカーが貼ってありました。
 最近は、この手のステッカーを貼った車をそこここで見かけるようになりました・・・ (^^;

 

 ところで、皆さんはこの車椅子のステッカーを貼った車を見かけたらどんな事を思うのでしょう・・・

 きっと身体の不自由な方が運転していらっしゃるのだろうと思う方がほとんどなのではないでしょうか・・・

 

20090604002  一般に、このマークは「身障者マーク」と呼ばれていますが、実は、このマークを付けている車を運転しているドライバーは、ほぼ100%が健常者だという事をご存じでしょうか (^^;

 

 え~、車椅子のマークだから、車椅子を利用している等の身体になんらかの障害を持っている方が運転しているんじゃないの~・・・と思った、ア・ナ・タ・・・ 違うんですね~(苦笑)

 

20090604003  もし、本当に身体になんらかの障害を持っている方が、車を運転せざるを得ない状況になったとしたら、上のような「身障者マーク」ではなくて、「クローバーマーク」と呼ばれる「身体障害者標識」を車に付けて運転するようにと道交法で定められています。

 この「クローバーマーク」を付ける事は義務ではありませんが、身体になんらかの障害を持っていて、運転に影響を及ぼすおそれのある時には、できるだけ表示して運転するように努めなければならないのです。
 もし、このマークを付けている車に対して幅寄せや割り込みをした場合には、減点1と5万円以下の罰金が科せられます (^^;

 

 それでは、よく見かける車椅子の「身障者マーク」はどういう意味を持つものなのでしょうか・・・

 この「身障者マーク」は、障害のある方々にも利用できる建築物等や各種設備であることを示す全世界共通の国際シンボルマークで、日本においては、財団法人日本障害者リハビリテーション協会が普及をつとめていますが、道交法で定められているような類のものではありません。
 したがって、このマークを付けて道路を走っていても、ドライバーになんらかの特例や免除が与えられるようなものではないのです。

 

20090604006_3  このマークを付けている車というのは、車椅子に限らず、なんらかの障害を持つ方の「送迎」「搬送」を目的にしている車だという事を周囲に知らせるためのもので、主に福祉関係の方が利用する車に貼られています。

 

 一般の方でも、ご家族などに身体障害者の方がいらっしゃって、その方の外出のお手伝いをする場合には車に貼っているようです。

 つまり、運転者が身障者なのではなく、「身障者が同乗していますよ」というアピールなわけです。

 

 しかし、最近どこのカーショップでも、この車椅子マークのステッカーを売っています。
 しかも、このマークを購入するにあたっての規制のようなものは何もありません。
 つまり、誰でもこの車椅子マークのステッカーを購入する事ができます (^^;

 

20090604005_2  身内や知り合いに身体障害者の方がいらっしゃらない、普通の健常者がこういうマークを購入するというのは、普通はあり得ないわけですが、例えば、スーパーなどの駐車場でこのような絵が描かれてあるスペースを見かけた事はあると思います。
 車椅子などを利用している方が駐車する場合、不自由な思いを最小限にする目的で、できるだけ入口近くに設けられている身障者用の駐車スペースです。
 当然の事ですが、このスペースは空いているからといって健常者の方が駐車するべきではありません。もちろん、停めたからといって罰則はありませんが、人間として恥ずべき行為だと言えるでしょう。

 

 障害者にとって便利なこのスペースは、健常者にとっても便利である事は間違いないので、空いていれば、つい停めたくなるのも人情です(笑い)
 一般のスペースよりもゆったりと作られているこのスペースは、駐車が苦手な初心者のドライバーなどにとっては実に有り難いワケで・・・(爆笑)

 でも、普通の車をこの身障者用のスペースに停めておくと、周囲の目も気になるので、この車椅子マークのステッカーを貼っておけば身障者の方の車だと勝手に思ってくれて、多少は誤魔化せるかなというズルイ考えが湧いてくるんでしょうね。

 というわけで、なんでもない普通の車に「身障者マーク」を貼っている心ないドライバーが最近増えているそうです・・・ (ノ_-;)ハア…

 

 「赤ちゃんが乗っています」なんてステッカーよりも、はるかに周囲に対するアピール度も高いので、お守り代わりに貼っている人も居たりして・・・ (^^;

 確かに規制はありませんが、なんでもない方がこういうステッカーを車に貼るのは止めてもらえませんかねぇ・・・ (ノ_-;)ハア…

 紛らわしくてしょうがない・・・ というよりも、身障者の方に対する冒涜行為だと私なんかは思うんですが (__;)

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2009年5月27日 (水)

忌み言葉

 皆さんは、「スルメ」は食べた事がありますか?
 男性なら、居酒屋なんかでお酒のツマミに「アタリメ」を食べた事があったりして・・・・・  (^^ゞ

 ところで、「スルメ」「アタリメ」の違いってご存じでしょうか(笑い)

 実は二つは同じモノなんですが、呼び方が違うだけです。
 「スルメ」の「スル」という部分が「金をする(使い果たす)」という意味にもとれるため、縁起をかついで言い換えたのが「アタリメ」という言葉であり、こういうのを「忌み言葉」といって、探すとけっこう身の回りにあったりしますが、それと気付かずに使っている事も少なくないと思います。

 

 他にも、例えば「梨の実」の「梨」が「無し」に通じるところから、「有の実」と呼ばれたり、「刺身」が「(刃物で身体を)刺す」に通じるところから、「お造り」と言い換えたりするのは、忌み言葉として有名なところかな。

 耳に馴染んだことばでは、「鏡開き」というのもそうです。もともとは「鏡割り」と言っていました。餅を刃物で切るのは切腹を連想させるので、木槌などを使って餅を割っていたから「鏡割り」だったのですが、「割る」では縁起が悪いというので「開く」という縁起の良いことばに言い換えられて今に至ります。

 

 変わったところでは、東京の下町にある「亀有」という地名で、こち亀として有名な「こちら葛飾区亀有公園前派出所」というマンガですっかり全国区の地名になってしまいました(笑い)

 

20090526002  この「亀有公園前派出所」というのは実在しませんが、「亀有公園」は亀有駅の北口からすぐのところに本当に在ります。
 そして、北口を出てすぐのところにはマンガの派出所のモデルとなったといわれる「亀有駅北口交番」があります (^^)v

 マンガを読んだ読者の中には、両さんを訪ねて亀有駅を訪れる人が少なくないそうで、この北口交番に限らず、亀有の交番では、「両さんは?」と尋ねられると「両さんは、今パトロール中です」と答えるそうです (^◇^) 。。。ケラケラ
 日本の警察も、なかなかシャレがわかるというか・・・ (^_^;

 しかし、「亀有」は、もともとは「亀無」という地名だったという事です。「亀梨」という説もありますが、「亀梨」だとどこかで聞いた事のある名前ですね (^◇^) 。。。ケラケラ

 名前の由来は、地形が亀の甲羅に形が似ている事から、亀の形を成すという事だったそうですが、いつの間にか「成」の文字が「無(梨)」に転じたらしいです。
 さらに、江戸時代の初期に、「無」では「無し」に通じて縁起が悪いという事で、現在の「亀有」に改名されたそうですが、これも「梨の実」を「有の実」と言い換えたのと同様、忌み言葉といっていいと思います。

 

 そういえば、「キネマ」も忌み言葉として言い換えられたもので、もともとはフランス語の「シネマ」であり、「死ね」に通じるところから、縁起をかついで「キネマ」となったものです。

 

 日本人は、けっこう縁起を担いだりしますし、ことば遊びとして語呂ナンてのもいろいろなところで用いられています。
 「○○の日」に語呂をもじったものが多いのもそういう例の一つです。

 日本語って、奥が深くて、おもしろいですねぇ (^◇^) 。。。ケラケラ

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2009年5月16日 (土)

寝言

20090514041_2  寝ている時に、寝言を言うことは誰にでもあることです(笑い)
 ただ、寝入っている間の出来事だけに、寝言を言っている本人はそういう自覚が無いのが普通ですから、独身だと自分が寝言を言うクセがあるのかどうかはわからないものです(苦笑)

 この「寝言」ですが、誰かが言っているのを聞いたとしても、たいていはハッキリとは聞き取れないものが多く、あ、何か寝言を言っているなくらいに思われるのがオチです。

 しかし、私の連れ合いのティンクですが、よく寝言を言うんですよ (^◇^) 。。。ケラケラ

 それがまた、ハッキリとした口調で・・・ (^_^;
 だから、チョッと聞くと、私や誰かに対して何か言っているように思えて、目を覚ましてしまうことが多いです(笑い)

 

 先日も、夜中に大きな声で叱られてしまいましてね(爆笑)
 いきなり、「いやだ! 何をやっているのよぉ・・・」と・・・ (^^ゞ
 その後、しばらくしっかりした口調でティンクのお小言が続きます (^◇^) 。。。ケラケラ

 仕方がないので、起こしましたよ・・・ ヾ(;´▽`A``
 夢を見ている間は寝言は止みませんから・・・ (^^;

 で、なんで怒っていたのか聞くと、食事の後片付けをしていた時に、私がよけいな事をして仕事を増やしたからだと・・・ (^.^; ポリポリ
 どうやら、私は寝ている間もティンクに世話を焼かせているようです (;^_^A アセアセ・・・

 

 夢の中に限らず、私自身はティンクのためによかれと思ってやっていることがほとんどなのですが、時々お互いの思いがすれ違って、ありがた迷惑になっていることも少なくないようです (^^;
 その都度、ティンクはハッキリと指摘してくれるのでありがたいなと (〃'∇'〃)ゝエヘヘ

 好き勝手な独り暮らしを長い間やっていて、齢も五十を過ぎると、アタマもそれなりに固くなっているようで、時々我流の生き方が出てしまって、その都度ティンクを困らせているようです (^.^; ポリポリ

 

 しかし、夢の中でまで叱られるようだと、これは相当重症だなと・・・ □\(- -;)ハンセイ

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2009年5月 3日 (日)

マナー

 「交通マナーを守りましょう」みたいな標語は、時々見かけるのではないでしょうか。
 また、「マナーを守らない人が多すぎる」みたいな言い方もされることがあります。

 しかし、私は思うのですが、マナーって、守るようなものなのだろうかと・・・

 「交通ルールを守り、マナーの向上に努めましょう」というのなら話しはわかる。
 ルールや規則は守るためにあるものだからですが、マナーもそれと同じようなものと考えているから、先の「マナーを守る」という言い回しがされるのだと思います。

 

 「交通マナー」や「テーブルマナー」など、マナーということばがつくものは多々ありますが、それらはお互いに嫌な思いをすることなく暮らしていくための「思いやり」とか「心配り」といったものであって、決して「規則」とか「ルール」のような、人が決めたものではないはずです。
 ですから、マナーは「わきまえる」ものであって、「守る」ようなものではないというのが私の持論です。

 

 例えば、「テーブルマナー」ということばがあります。皆さんはこのことばに対してどのような事を連想するのでしょうか?

 食事をする際の「作法」だとか、「手順」とか、そういう事を細かく決めたものが「テーブルマナー」だと思っている人は、堅苦しいものとかのイメージをお持ちの方も居らっしゃると思います。
 しかし、テーブルマナーとは決してそのようなものではありません。例えば、右手にフォークを持って食事をする人を見て、ナイフとフォークを持つ手が逆だから、マナー違反だとおっしゃる人がいたとしたら、その方はマナーというものをはき違えているということになります。
 「マナー」というものが、相手に嫌な思いをさせない心配りのことをいっているのだとわかっていれば、相手に嫌な思いをさせない限り、どのような食べ方をしようとそれはマナーに適っているということになります (^^)v

 逆に、どんなに完璧に作法や手順を身に付けていても、食べ物を咀嚼する音や汁をすする音など、食事をする際に不快な音を立てている人は、周囲の人に対してマナー違反を犯しているということになります。

 

 「交通マナー」であれば、周りの車や歩行者などに嫌な思いをさせることなく、潤滑で円満な通行を心がけることがマナーに適っているということになるのだと思います。
 それは、交通ルールに決められた数々の条文とは別の、言うなれば人間としての基本的な「優しさ」であり、「守る」ようなものではなく、「備えて」というか、「わきまえて」いなければならない当然のものだと私は思いますよ (^^)v

 

 そう考えれば、タバコを路上に捨てるとか、ところ構わずに携帯電話で話しをするとか、そういう周囲に迷惑をかける行為は、「マナーを守れない人」なのではなく、「マナーをわきまえていない非常識な人」ということになります。

 まぁ、マナーをわきまえているかいないかという以前に、他人に迷惑をかけないというのは、人として社会生活を営むうえでは、基本中の基本だと私は思いますが・・・

 

 ・・・ということで、今日から私は、ティンクと二人で会津の実家に帰省いたします。
 今のところの帰宅予定は5日か6日の予定ですので、その間は、皆様方へのコメント等も滞るかもしれません (^_^ゞポリポリ
 その節は、平にご容赦を・・・ m(_ _;)m

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2009年4月30日 (木)

ストリーキング

 先日の、草彅剛クンの全裸事件を受けて、つい連想したことがあります (^^;

 

 70年代の初期、私が中学生だった頃のことですが、「ストリーキング」ということばが流行したことがありました (^◇^) 。。。ケラケラ

 「ストリーキング」とは、大衆の面前を全裸で駆け抜ける行為のことで、何が目的なのか、海外でそういう事をする人が居ると報じられると、日本でも何人かが「ストリーキング」を行なった事がニュースになったりもしました(笑い)

 もう、すっかり忘れていたことばですが、剛クンの「裸になって何が悪い」というコメントを聞いて、そういえば昔似たような事件があったなぁと・・・ (^^;

 

 日本で初めて行なわれたストリーキングは、74年の3月、銀座の歩行者天国を走り抜けた外国人の女性が居て、その場で逮捕されたのが最初と言われています (^^;

 大衆の中で全裸になるという行為は、なんとなく露出狂の一種なのかなと思う人がいらっしゃるかもしれませんが、そうではなくて、「パフォーマンス」の一つであり、自己表現の一種だそうです(笑い)
 「自己の解放」とか、そういう事を訴えていたような記憶があるのですが、田舎に住んでいたこともあり、私自身がそういうものを目にしたことはないのでホントのところはよくわかりません (^_^ゞポリポリ

 

 この当時は、「ヒッピー」とか「フーテン」などの、いわゆる「型」にはまることを嫌い、自由を謳歌する若者が闊歩していた時代でもあります。
 そういう世相にもストリーキングはマッチしていたので流行になったんでしょうか(苦笑)
 もちろん、ストリーキングを行なった人達は「公然わいせつ」の罪で、即、現行犯逮捕されましたが・・・ (^◇^) 。。。ケラケラ

 そういうリスクがあることを十分承知の上で、パッと脱いで、サッと走って、警官が駆けつける前には姿を消すというのが、当時のちょっとした流行でした(爆笑)

 

 1~2年ほどですぐに話題にはならなくなりまして、そういう事があったことさえ忘れていましたが、アレはなんだったのか、いまだによくわからない怪ブームでしたよ(笑い)

 

 さすがに路上でストリーキングをする人は少ないようですが、海外のサッカーなどの競技場などでは、現在でも興奮した観客がスタンドから全裸になって飛び降り、走り回るという光景を見かけることがあるそうで、タマにそういうニュースがおもしろおかしく取り上げられることがあったりしますよね(笑い)

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2009年4月23日 (木)

サンジョルディの日

 今日は、私の満51歳の誕生日です・・・ (^_^ゞポリポリ

 といっても、私はこのお正月から「51歳」と言ってきていますから、今さらという感じもしないではありませんが、一般的に用いられている「満年齢」でいえば、今日から私は51歳ということになります。

 しかし、日本の法律においては、「誕生日の前日に1歳を加えること」となっていますから、厳密に申し上げるなら、私は誕生日である今日ではなくて、昨日満51歳を迎えたことになります(笑い)
 誕生日の前日にトシを取るというのは、一般的な感覚からいえば馴染まないと思いますが、それ以上に、大晦日から元旦にかけてトシを取るという私の考え方は古すぎて馴染まないのかな (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 この「誕生日の前日に1歳を加えること」という法律があるために、4月1日に生まれた人は3月31日に満年齢が一つ増えますから、「早生まれ」という事になります (^^;
 4月1日からは新年度ということになるわけですが、4月生まれなのに1日だけは「早生まれ」というのが私にはどうしても納得いきません。どういう理由があって「誕生日の前日に1歳を加えること」ナンてバカな法律ができたんでしょう・・・
 まったく、お役人のアタマの構造はどうなっているのか・・・
 考えることがあまりにも一般庶民とはかけ離れすぎていて、理解不能なことが多すぎます・・・ (ノ_-;)ハア…

 

20090423001  それはともかくとして、今日は「サンジョルディの日」という事になっていますが、はたしてどのくらいの人がその事を知っているのか・・・(笑い)

 「バレンタインデー」の成功を羨んだ他業種が、ウチもウチもということでいろんな記念日を作りましたが、成功したのは「母の日」「ホワイトデー」くらいのものでしょうか(苦笑)
 最近では、「恵方巻」や「ハロウィン」なども少しずつ定着しつつあるようですが・・・

 「サンジョルディの日」も、本屋が仕掛けたイベントデーですが、PRが足りないようで、制定されてから20年以上が経ちますが、肝心の本屋さんでもそういう事をアピールしないお店も多いようで、市民権を得るにはほど遠い感じがして、この日が誕生日の私としては非常に残念な思いでいっぱいです(笑い)

 

 「サンジョルディ」は、キリスト教の守護聖人で、イングランドにおいては祝日にもなっています。スペインのカタルーニャ地方では、古来より伝統的にこの祝日に男女が赤いバラなどを贈りあうというバレンタインデーと似た風習があったそうです。
 1923年に、カタルーニャ地方の本屋が、この日が、小説『ドン・キホーテ』の作者セルバンテスの命日であり、さらにシェイクスピアの誕生日であり命日でもあるという、文学に非常に縁の深い日でもあることと結びつけて、赤いバラを添えて本を贈るという風習を広めたそうです。
 現在では、カタルーニャ地方では、この日には男性は女性に赤いバラを贈り、女性は男性に本を贈る日とされており、男女ともに本を贈りあうことも多いそうで、この風習を1986年に日本の書店組合が取り入れ「サンジョルディの日」として制定しました。

 しかし、肝心の書店も花屋もこのイベントには乗り気でないために、この習慣が広まることもなく、今日に至っています・・・ (^^;
 もったいないハナシですねぇ、せっかく組合がイベントを作って後押ししているのに、お客さんと接する最前線では自ら儲け話のチャンスを放棄しているわけですよ。

 バレンタインデーだって、新宿伊勢丹で最初に行なった年は3枚のチョコレートしか売れなかったそうです。そこで商売にはならないと諦めていたら今日のような盛大なお祭り騒ぎはなかったわけで、何事も諦めずに続けることこそが大事なんですよね。
 そこんとこ、書店の方たちはわかっていないんですかね (ノ_-;)ハア…

 「商い」は、飽きないで細々と続けていくことで、芽が出て、やがて顧客が定着していくものだと私は思いますよ。

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2009年4月 2日 (木)

アレもコレも

 世の中、いろんな製品が商品として市場に出回っていますけど、売り手としては消費者にアピールするためにあの手この手で製品開発をしています。

 

 そんな方法の一つに、「アレもコレも」というのがあります(笑い)

 一つの製品に、本来の目的以外の複数の役割を持たせることで、ユーザーの購買意欲をそそろうというわけです。
 一番簡単な方法は、二つの商品を合体させることで、昔でいえば鉛筆のお尻に消しゴムを付けた「消しゴム付き鉛筆」や、赤と青の色鉛筆を半分ずつくっつけた「二色色鉛筆」などがすぐに思い浮かびますが、最近でいえば「オーブンレンジ」や「全自動洗濯乾燥機」などのように、一台二役とか三役などといった、複合製品とか多機能製品と呼ばれるものが市場に出回っています。

 PCなどの世界でも、OSだけでなくたくさんのソフトを最初から組み込んだPCや、スキャナやコピー機能が備わった複合プリンターなどは当たり前です。

 これらの製品の中には、確かに役にたつ便利な製品も無くはないのですが、たいていの製品は「帯に短したすきに長し」といった、どっちつかずの「役にたたない」製品になってしまうことがほとんどです (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 先にも述べましたが、作り手の思惑は、いろいろな機能を盛り込むことで消費者にアピールすることが目的ですし、単機能の製品よりは何か付加価値を付けることで販売価格も高く設定できますから、どうしてもそういう「アレもコレもできる」製品が世に出回ることになります。

 しかし、私の経験からいえば、アレもコレもと機能を盛り込んだ製品というのは、結局のところ一つ一つの機能はどれも満足いくようなものではなく、トータルとして見ると「役にたたない」ガラクタという印象を拭えません (^^;

 

 例えば、「オーブンレンジ」ですが、オーブンと電子レンジ、似たような台所製品を合体させたもので、一台で二役に使えるわけですから、なるほど場所も取らないし便利だと思う人がほとんどなんだと思いますが、少なくても私ならオーブンと電子レンジを別々に買って使います。置き場所は取りますが、その方がずっと実用的だからです。
 だいたい、オーブンと電子レンジなんて似ているのは外観だけであって、一緒になったからといって使いやすいとか便利とかいうようなものではありません。電子レンジはキレイな調理が売りであって、料理の下ごしらえとか温め直しという使い方がほとんどで、使った後に庫内が汚れるなんて事はそれほどありません。
 それに対してオーブンはといえば、菓子作りなどならともかく、焼き料理というのは食材に付いた油などで庫内が汚れることが普通なわけですよ (^^;
 そういう性格の違う製品を合体させたところで、実用的な製品にはならないという事です。オーブンレンジなんて、買ってはみたところで温め直しで使うことがほとんどで、オーブン機能なんてめったに使うことは無いでしょう(笑い)
 そういう機能があればいつか使うかもしれないなどという「幻想」のために、割高な商品を買うことが果たして理にかなっているのかどうか・・・
 オーブン料理をした後で、同じ庫内に別の料理を入れて温めるなんて、抵抗はありませんか(笑い)

 

 また、「全自動洗濯乾燥機」ですが、私は全自洗と衣類乾燥機を別々に設置して使っています。洗濯乾燥機は使ったことがないのでイメージでしか語れないのですが、洗濯機はともかく乾燥機は中に入れる衣類を選ぶんじゃないかということです。下着もシャツもタオル類もまとめて洗って、そのまま一緒くたにして乾燥機で乾かすことが果たしてできるのだろうか、30年近く衣類乾燥機を使ってきた経験から言えば、大いに疑問です。
 薄手のシャツとタオル類では乾燥の時間も当然違うだろうし、第一薄手のシャツなんか乾燥機にかけたらシワだらけになってしまうような感じがするのですが、今時の衣類乾燥機はそんな事はないのでしょうかねぇ (?。?)
 確かに、全自洗と衣類乾燥機が一台になっていれば場所は取らなくて、手間もかからないのでしょうが、ホントのところはどうなんですかねぇ (^_^ゞポリポリ
 まぁ、今すごい勢いで売れているともいうし、そんな事は杞憂なのかもしれませんが・・・

 

 PCだって例外ではありません。今時のPCは昔と違ってそれほど高価なものではなくなっています。せいぜい7~8万円も出せば十分実用的なPCが買えるワケなのですが、売り場に行くと相変わらず十何万円とか二十何万円とかのPCが売られているわけですよ。
 知らない人は、安物のPCなんて使い物にはならないんじゃないかとか思って、大枚はたいて高いPCを買っていくようですが、高いPCも安いPCもそれほど大きな違いがあるわけではありません。
 高い方のPCには、ワンセグテレビが見られるとか、使いもしないようなムダなソフトがいくつもいくつも組み込んであるとかで、それらの周辺機器やソフトの代金が上乗せされているから販売価格が高くなっているだけだということを知らないんですよね (^^;

 実際に、自分がどんな事をしたいのか、はっきりした目的がなくてPCを買うから、つい、アレもコレも最初から付いていた方が便利だろうとかいうスケベ根性が出ちゃうんでしょうね(笑い)
 でも、どうですか? 最初から入っていたソフトで、今も使っているものがいくつありますか?
 使っていないものは、ムダな買い物だったということになり、最初からインストールされているからといって無料のオマケではないんですよね(笑い)

 確かに、必要なソフトを一つ一つ買い揃えていったら、結果として割高な金額になると思いますが、それは初期投資であって、次にPCを買う時にはそれをインストールすればいいわけですから、決してムダな買い物ではないと私なんかは思うわけですよ。
 逆に、PCを買い換える度にいろいろなソフトが貯まっていくのはムダ以外の何ものでもないだろうと(笑い)

 

 同じ買うのなら、単機能の製品よりも、アレもできる、コレもできる多機能の製品を買った方が、なんとなく得をした感じがするのでしょうが、その機能はあなたにとってどうしても必要なのか、余分なお金を出してまでその製品を選ぶメリットが本当にあるのか、もう一度冷静に考えてみましょうよ (^_^)/

 意外と、得をしたような感じがするだけで、実際にはムダな買い物をしているのかもしれませんよ(笑い)

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2009年3月28日 (土)

トイレのレバー

20090329001  これは、今日私が利用した公園の公衆トイレです (^^;

 こういう不特定多数の人が利用するトイレは、依然として和式が主流です (^_^ゞポリポリ
 お店なんかに設置されたトイレならともかく、こういう場所にあるトイレだと、手入れが行き届かない分、洋式だと利用者に敬遠されがちだからだと思うのですが、最近の子ども達には和式の便器は馴染みがないので、使い方がわからないという子供も多いのだと聞きます。
 都内の小学校だったか、新入生のために和式便器の使い方を図解で教えるという話しも聞きました(苦笑)

 

 それはともかく、この写真にも写っていますが、用を足した後、水を流す時に用いる水洗のレバーですが、皆さんは手で押しますか? それとも足で押しますか?

 私は、ごく小さい時は律儀に手で押していましたが、いつの頃からか足で押すのが当たり前になって今に至ります (^.^; ポリポリ

 

 そういえば、TBSのラジオ番組である「えびシャケ!」の2005年8月30日のテーマが「和式のトイレのバーは、手で押す?足で押す?」でした(笑い)

 この時のリスナーからの投票結果は・・・

 手で押す・・・33%

 足で押す・・・67%

 ・・・ということで、番組的には、日本人のスタンダードは「足で押す」という結果に終わりました (^^;

 

 この時にも思ったのですが、便器のメーカーは、果たしてあのレバーを手で操作するという意識があって作っているのだろうかということです。

 写真を見てもおわかりのように、手で操作するにはあまりにも不自然な位置にレバーが取り付けられてあり、どう見ても足で踏み込んで操作するようにしか見えません。

 私事で恐縮なのですが、用を足した後、私は立ち上がり、まず身支度を整えてから水を流すという手順でトイレを使います。
 そうなると、当然立った姿勢ですから、わざわざしゃがみ込んで手でレバーを押すという事は考えられないわけですよ (^^;

 レバーではなく、壁に設置されたボタンを押して水を流すという方式を採っている和式トイレもあります。その場合には、ボタンはある程度の高さに設けられているのが普通なので、私は足ではなく手でボタンを押します(苦笑)

 もし、メーカー側に「レバーは手で操作する」という意図があるのなら、もう少し高い位置、例えば腰くらいの高さに取り付けるのが当たり前であり、こんな床ギリギリに取り付けるはずがありません。
 番組内でメーカーの人の声も紹介されまして、作り手としては一応手で操作することを前提としており、足で押すと場合によっては壊れることもあるようなことを語っていましたが、それはタテマエだと思いますね(笑い)

 このレバーは、誰が考えたって、足で押す人が圧倒的に多いだろうと私は思っています。

 皆さんは、どう思います (?。?)

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2009年3月25日 (水)

血液型占い

 私の血液型はO型ですが、皆さんはご自分の血液型をご存じですか?

 実は、私はずっと自分の血液型を知らないままで生きてきまして、親兄弟が全てO型だからきっと自分もO型だろうと、そのくらいの関心しかなくて・・・ (^_^ゞポリポリ

 

 私が自分の血液型をはっきりと知ったのは40才の時です (^^;
 離婚した前妻に子供が生まれまして、その子供との親子関係は存在しない事の証明のために、街の開業医で血液型を鑑定してもらったのがきっかけです(苦笑)
 普通に生まれていたらそんな面倒な事は必要なかったのですが、かなりの早産だったために、そのままだと私の子供として戸籍に載ってしまうことになったからです (^^;

 鑑定の結果は、思っていた通りのO型で、それによって私の子供ではないことが無事に証明されました o(*^▽^*)o

 

 それはともかく、日本には「血液型占い」というものが存在しまして、けっこう気にしたり信じたりしている人が多いのは、私なんかにはとうてい理解できない事でして・・・
 誰がこんな馬鹿げたことを言いだしたのかは知りませんが、どう考えたって血液型で性格が変わったりするわけはないんですよね (^◇^) 。。。ケラケラ

 よく言われるのは、人間の性格がたった四つのタイプに分けられるわけがないじゃないかということです。私はそこまでは言いませんが、人の性格なんてものは複雑極まりないものであって、A型の血液型だから○○の性格だナンて簡単に言えるようなものではないということです。
 第一、本当に血液型で性格が変わってしまうものなら、骨髄移植をした人はそれまでの血液型と違う血液型になってしまうことも多いので、手術前と後で性格が変わってしまう事になってしまいますよ
  (_ _)ノ彡☆ギャハハ!!! バンバン!!!
 実際にはそんな事はないわけで、いかに血液型占いがいい加減なものかの証明にもなると思います。

 

 ただ、「占い」というものは手相でも星占いでも何にでも言えることですが、「統計学」の一つですから、多くのサンプルを元に、こういうケースではこういうパターンという、一つのサンプルのようなものは出ると思いますから、A型の血液型の人に几帳面な性格の人が多いというような結果はあっても不思議ではないと思います。
 しかし、間違えて欲しくないのは、A型の血液型に几帳面な性格の人が多いからといって、「A型の血液型は几帳面な性格」だという事にはならないわけですよ。

 B型の血液型の中にも几帳面な性格の人はたくさん居るだろうし、A型の血液型の人の中にもズボラな性格の人はいくらでも居ると思います(爆笑)

 私は、血液型占いなんてまったく信じてはいませんが、人とつきあう上で、統計学としての血液型占いは有効な手段の一つと言えるだろうと私は思っています。
 A型の血液型の人には几帳面な性格の人が多いという結果が出ているのなら、目の前の人がA型の血液型だったら、この人は几帳面な性格の人なのかもしれないというある程度の目安のようなものにはなるのではないでしょうか。
 特に、上司がたくさんの部下を扱う上で、血液型占いの性格分類を参考にするなんてのは有効な方法ではないかと私は思いますよ。

 

 日本においては、けっこう信奉者が多い「血液型占い」ですが、日本以外では韓国くらいしかそんなモノを話題にしている人は居ないというのが本当のところです。

 信奉者に言わせると、けっこう当たっているとよくおっしゃるようですが、占いというのは万人に当てはまるように上手にことばを選んで語るのがテクニックです。
 試しに、血液型のところを隠して中身だけを読めば、どの血液型の内容も、全て自分に当てはまっているように思えるのが「血液型占い」というものの正体ですよ(爆笑)
 こんなものにいちいち振り回されている人が居るとしたら、愚かな事だと私なんかは思いますねぇ。

 

 2年ほど前にも、「血液型」というタイトルで記事を書いたことがあります。こちらは占いとかとは無関係で、血液型そのものについて語ったものですが、よかったら合わせてご一読ください ( ^-^)/ ♪

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2009年3月19日 (木)

入籍

 昨日、ティンクと二人で成田市役所に出向き、婚姻届を提出して入籍を済ませました (^_^)V。

 先月から一緒に暮らしていたんで、当初の予定だと2月下旬のティンクの誕生日くらいまでには入籍しようと話し合っていたんですが、いろいろと事情があって昨日になってしまいました (^.^ゞポリポリ
 という事で、昨日は私らの「結婚記念日」という事になります ヽ(^◇^*)/
 といっても、お互い再婚同士ですから、結婚式とか披露宴とかの特別なイベントは何もありませんが・・・ (^_^ゞポリポリ

 でも、まぁ、これで肩の荷が下りたというか・・・ o(*^▽^*)o~♪
 逆に、両の肩にズシッと責任がのしかかってきたというか・・・ (^^;

 今までのように、楽しいという気持ちだけでは暮らしてはいけないなと・・・ (^_^ゞポリポリ

 

 9時過ぎに市役所に出向いたんですが、市民課の窓口で手続きを待っている間に、私らの他にも婚姻とおぼしきカップルを二組ほど見かけました(苦笑)
 私らと同じ時間に、同じ窓口で他にも婚姻届を提出する人が居るとなると、昨日だけで成田市役所では何組の婚姻届が受理されたんでしょうね(笑い)

 ちなみに、平成19年度に全国で受理された婚姻件数は719,822組といいますから、おおよそ2分間に3組の夫婦が生まれた事になります。

 もっとも、一方では257,475組の離婚もあったそうなので、こちらは2分間に一組の割合で夫婦が離婚していたことになります(苦笑)

 ・・・ということは、差し引きすると、我が国では毎分一組の割合で夫婦が増えているんですね (^^;

 まぁ、厳密に言うと、離婚でなくても、例えば死別などでも夫婦の数は減っていきますから、そう単純なハナシでもないんですが・・・ (^_^ゞポリポリ

 

 ところで、どうでもいいことですが、今回私らは「入籍」を済ませましたが、「結婚」するということと「入籍」するということとは、厳密には意味が違います。

 普通、未婚の男女が結婚する際には、両家の筆頭者である親の戸籍から抜け、夫か妻のどちらかが筆頭者となり、二人で新しい戸籍を作りますから、「入籍」という手続きにはなりません。
 その場合は、婚姻により「新籍の編成」をしたという言い方をします。

 「入籍」というのは、文字通りすでにある戸籍に他の人が入り、その戸籍の筆頭者の姓を名乗るということです。
 再婚者の場合には、戸籍筆頭者と結婚し、その戸籍筆頭者の姓を名乗ることが多いので、その場合は「入籍」という手続きが行なわれることになります。

 私らの場合も、お互いに離婚して戸籍の筆頭者となった者同士の再婚であり、私の戸籍にティンクが入って、私の姓を名乗ることになりましたから、ティンクが私の戸籍に「入籍」したことになります (^^)v

 一般的には、「結婚」と「入籍」とを混同している人も多いので、マスコミなんかでも誤用はよく見られるようですね。

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2009年3月12日 (木)

苗字

 私は、「人名」とか「地名」とかに、かなり興味がある方でして、変わった名前を目にするとどうしても食指が伸びてしまいます (^_^ゞポリポリ

 私自身の苗字も、「日本の苗字7000桀」というサイトで見ると、4千番台で、人口も2千人ちょっとくらいしかないような、いわゆる「珍名」の中に入る非常に変わったものです(笑い)
 といっても、別に難しい漢字を使った難読タイプではなく、二文字のどちらも小学校の一年生で習う漢字の中に入っているような、ごく易しい漢字なんですが、私のこの苗字を見た人のインパクトはけっこう大きいと思いますねぇ (^◇^) 。。。ケラケラ

 会津でも、ごく一部に限って見られるような、本当に珍しい苗字で、肩身の狭い思いもずいぶんしましたが、私の村ではけっこうポピュラーなものなんですがねぇ・・・ (^_^ゞポリポリ

 

 それはともかく、今、日本における人名は、家系を表わす「苗字(姓)」と個人を示す「名前」とで書き表すのが通例であり、役所などでの公文書でもそのように扱われます。

 ところで、その「苗字」の方ですが、一般的には「苗字」は武士や貴族などの一部の人達にのみ許されたもので、庶民は明治初期に出された「平民苗字許可令」および「平民苗字必称義務令」によって名乗ることができるようになったもので、それまでの庶民は苗字は持っていなかったと思っていらっしゃる方も多いと思います。

 私自身もそのような認識しかありませんでしたが、実際にはそれは誤りであり、武士や貴族などでなくても、古来から日本の国民は、町民から百姓に至るまで苗字を持っていたという事が確認されています。
 ただ、持ってはいても「公には名乗ることができなかった」というだけです。

 そうでなくては、10万を超えるとも言われている日本人の苗字の大部分が、100年そこそこの歴史しかないということになってしまいます(笑い)
 明治政府の方針によって、急ごしらえの苗字が巷に乱立したとしても、さすがにそれはムリあるだろうというのが私の考えであり、実際にお寺の過去帳や古文書などからも庶民達が苗字を持っていたと思われる記録が見つかっています。

 また、100年ちょっとの歴史しか無いようなものだとしたら、姓名判断などの占いも権威は大きく失墜する事になってしまいます (^^;

 

 先の、「日本の苗字7000桀」で見ると、1位は「佐藤」で約200万人近くの人が佐藤姓という事になっており、2位は「鈴木」で約170万人、3位は「高橋」の140万人・・・
 以下、「田中」、「渡辺」、「伊藤」、「山本」、「中村」、「小林」、そして、10位の「斉藤」までの上位10種の苗字の人口が約1300万人ですから、これだけで日本の総人口の約1割を占めています (^^;
 という事は、残りの9割の人口の中に、それ以外の10万を超える苗字がひしめいていることになるわけで、少数派ですと本当に一握りの方のみが名乗っているという苗字もあると思います。

 先日、一躍有名になりました「東国原」なんていう苗字も、そういう少数派の苗字ということになります。

 

 ところで、日本に多い苗字のベスト10の中にも入っていますが、「佐藤」「伊藤」「斉藤」などのように、「藤」の文字を持つ苗字はけっこうあります。
 これらの苗字は、藤原氏に縁続きの家系とか、藤原氏に与した家系に許されたなどのように、藤原氏所縁のものが多いといわれます。
 もちろん、「藤」が付くからといって全てが藤原氏と関係があったと考えるのは早計ですが、例えば「佐藤」ですと、「佐」という文字は、補佐などのことばにもあるように、「助ける」という意味がありますから、「藤原氏を助ける」という役割を持った家系だったという事がうかがい知れるわけです。

 また、「伊藤」は、伊勢地方に移った藤原氏が名乗ったもの、「加藤」は、加賀地方に移った藤原氏が名乗ったものなどのように、藤原氏は平安時代以降、絶大な権力を誇った一大勢力ですから、それにまつわる苗字が多いというのもうなずけるところです。

 あるいは、「平野」や「平山」などのように、「平」の文字が付く苗字も多いですが、これは言わずと知れた平家所以の苗字です。

 

 こんなふうに、身近にある地名や人名でも、ちょっと掘り下げてみるとけっこうおもしろい事がわかってきますから、お好きな方には病みつきになること必至です(爆笑)

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2009年3月10日 (火)

運動会

 今は、運動会の時期ではありませんが、昨日、六平直政氏の記事を書いていて思いだしたことがあったので記事にしてみました (^_^ゞポリポリ

 

20090310001  運動会というと、「赤勝て、白勝て」という事で、中にはクラス対抗なんていうのもあったりしますが、たいていは「赤組」「白組」とに別れて競い合うというスタイルが一般的です。
 そして、赤と白の鉢巻きとか帽子とかを頭に付けて競技に臨みます。

 でも、勝負ということであれば、「白黒をつける」ということばもあるように、赤と白というよりは、白と黒という方が馴染みがあるように思いませんか?

 囲碁やオセロだって白と黒ですから、運動会だって赤と白に分けるよりは、白と黒とに分けた方がわかりやすいというか、なんとなく自然な考えだと思うんですがねぇ(苦笑)

 だとすれば、あえて「赤」「白」とに分けたのには、そこに何かの意図があったのではないかと思うのが普通です。

 例えば、「黒」という色には「負け」という意味や「悪者」というような意味もありますから、「黒組」ではなんとなくイメージが悪いという意見もあったのかもしれません(苦笑)

 

 日本における「運動会」の起源は、明治7年に海軍兵学校で行なわれた競闘遊戯会だといわれていますし、その頃から綿々と行なわれているとするならば、たまたま「赤」と「白」に分けただけだったのなら、とっくの昔に他の色に変わっていてもおかしくはないと思います。

 しかし、運動会が「赤組」「白組」とに別れて行なうという事には、次のような意味があるという事を知って、私はかなり信憑性は高いのではないかと思うようになりました。

 

20090310002

 古来、「赤」と「白」の対立で有名なのは、「源平の合戦」です。
 いうまでもなく、「赤」は「平家」の旗印であり、「白」は「源氏」の旗印です。

 「一ノ谷の戦い」や「壇ノ浦の戦い」で有名な源平の合戦では、双方の兵の数が膨大だったために、同士討ちを避けるためにも味方同士で一目でわかるような目印を付けて合戦に臨みました。この時に用いたのが赤と白の旗だったわけです。
 以後、旗印は戦国大名達の間でも広く用いられるようになりました。

 源平の合戦は、日本の歴史の上でも大きな出来事でしたから、以後、二つのグループの対抗という図式を描く時には「紅白戦」という呼び名が用いられるようになったというものです。

 厳密にいえば、「赤」と「紅」は違う意味を持っているようですが、運動会の組み分けなどのように、単に色の違いを指す時には「赤」という文字を用いるようです。
 「紅」という文字には、「紅一点」とか「口紅」などにも代表されるように、「女性」という意味が含まれる場合があります。
 年末の「紅白歌合戦」が男女対抗という図式になっているのはそのためですが、スポーツなどでよく行なわれる「紅白戦」は、その限りではありません (^^;
 これは、語呂の関係から、「赤白戦」と言うよりは「紅白戦」と言った方が言いやすいからではないかと思うのですが・・・ (^_^ゞポリポリ

 

 歴史の彼方の出来事でしかない平家と源氏の対立ですが、現代においてもその影響を残しているとすれば、なんとなくロマンを感じるというか、凄いことだなぁと・・・ (^_^ゞポリポリ

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2009年3月 6日 (金)

ぞろ目

20090306001  最近の時計は、デジタル表示のものが多くて、私の場合も腕時計を始め、家電とか身の回りにデジタル時計がたくさんあります。

 

 そんな時計で時刻を見る時に、なぜか「11:11」という「ぞろ目」の表示を目にすることが少なくありません。

 

 一日の中で、同じ数字が揃う瞬間は、たった3回・・・
 「00:00」・「11:11」・「22:22」の3度だけです。

 「00:00」と「22:22」はほとんど目にすることはないのですが、「11:11」だけはよく目にします (^_^ゞポリポリ

 ふと、時計に目をやった時に、「11:11」だったという事がよくあるんですよ (^^)v

 

 これも、人によってはそういう事はないという意見をお持ちの方もいらっしゃいます。
 ぞろ目の数字が並んだ時というのは、他の数字が並んでいる時よりもインパクトが強いので、見た時の印象が頭の中に残りやすいからよく見かけるように錯覚しているだけなんだと・・・ (^^;
 他の時刻の時にも、時計を見ていることは少なくないわけですが、そういう時の印象は薄くて記憶に残っていないので、結果としてぞろ目の時にだけ時計を見ているような錯覚に陥っているのだろうと・・・

 なるほど、説得力のある意見だと思います。

 

 しかし、私はそうは思っていない一人です (^◇^) 。。。ケラケラ

 確かに、ぞろ目の「11:11」という時刻を目にする機会は、他の時よりも断然多いと・・・ (^^;

 

 まぁ、「11:11」が近づくと、他の時間の時よりも時計に目をやる回数は間違いなく増えるので、それでぞろ目の「11:11」の時刻を何度も見ているような気になっているだけなのかもしれません (^_^ゞポリポリ

 

 さぁ、今日はどうかな・・・
 「11:11」の時刻表示を目にできるかな(爆笑)

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2009年3月 2日 (月)

小春日和

 「小春日和」ということばがあります。

 先日、某所で「小春日和」ということばを目にしたのですが、ああ、またかと・・・ (^^;

 よく誤用されがちなことばではありますが、「小春日和」とは今時分に用いられることばではありません

 

 そもそも、「小春」というのは、旧暦でいうところの10月の事を指しますから、現在の暦でいえば「11月頃」の事になります。
 この頃の気候は、冬に向かってどんどん寒くなっていく時期ですが、移動性高気圧に覆われて、穏やかで暖かな天候になることがあります。
 このポカポカとした気候が、まるで春のように感じられたところからこう呼ばれるようになったのですが、今時分は「春」そのものですから、あらためて「小春日和」と言わなくてもいいわけでして・・・

 俳句の世界でも、「小春日和」は「冬」の季語になります (^^)v

 ちなみに、「ひなたぼっこ」も冬の季語です(苦笑)

 

 どうでもいいような事ではありますが、こういう間違いを見つけると黙っていられないのが私の性分でして・・・ (^.^; ポリポリ
 だからといって、某所で直接コメントするのもはばかられたので今日の記事になったわけですが、いずれにしても、オヤジのツッコミで気分を損ねないでね ( ^-^)/ ♪

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2009年2月24日 (火)

不運と不幸

 「不運」「不幸」ということばがあります。

 どちらも似たようなことばだと思っていらっしゃる方も少なくないと思いますが、これは全く異質のことばであり、一緒に語る事はできないものだと私は思っています。

 

 「不運」というのは、外部的要因によってもたらされるマイナス的な出来事です。
 病気になってしまったり、あるいは事故にあったりなどの、いくら自分が注意していても遭遇してしまう、いわゆる「避けられない」ものが多いので、好むと好まざるとにかかわらず、黙って受け入れるしかないわけです。
 「なんでこんな事になってしまったんだろう」とか考えてみても、起こってしまったことは取り返しがつかないわけですから、善後策を講じるしか対策はないわけです。

 

 一方、「不幸」というものは、自分の心の問題であり、他人とは無関係の事が多いです。
 例えば、お金が無いとか、恋人がいないとか、そういう事を不幸だと思う人がいる一方で、同じ境遇にあっても不幸だとは思わない人もいるわけで、簡単に言えば、「不幸」はマイナス思考の持ち主に宿る「心の病」であり、実態のない「虚像」だとも言えるわけです。
 「虚像」ですから、心の持ち方一つで「避けられる」ものが多いのです。

 

 例えば、道を歩いていて誰かにぶつかってしまったとか、どこかに財布を落としてしまったとしましょう。
 それらは自分の不注意もあったかもしれません。注意はしていたんだけれど、やむを得ない状況でそういう事になったかもしれません。
 いずれにしても、起こってしまったことであり、「不運」な出来事と諦めるしかないわけですが、それらの出来事を「不幸」な出来事と思うか思わないかは人によるでしょう。

 ぶつかった相手と口論になり、ケンカになって傷害罪に問われたり、財布を落としたことによって当座の支払いができず、サラ金に手を出して抜き差しならない状況に陥ったりするのは、その人がその不運な出来事にうまく対応できなかったからであり、同じ状況に遭遇した人が皆そうなるわけではありません。

 もしかしたら、ぶつかった相手に謝り、気遣っているうちに、その人と親しくなって新しい友人になれるかもしれません。そこから交友関係が広がって仕事とかにも還元されるかもしれないじゃないですか(笑い)
 あるいは、落とした財布を拾った方から連絡があるかもしれないでしょ ( ^-^)/ ♪

 同じ出来事でも、心の持ち方一つでその後の人生は大きく変わってしまうものです。

 できる事なら、「不運」な出来事に遭遇しても「不幸」だと思わない、前向きの人生を歩んでいきたいと思いませんか?

 

 手前味噌ではありますが、1年前の2月1日に仕事中に信号待ちをしていてトラックに追突され、車は全損、私は救急車で運ばれるという不運な事故に遭ったことがありました。
 この時、不思議と「ラッキー」と思っていた私がいました (^_^ゞポリポリ
 その時に書いたのが「初めての救急車」という記事です (^^)v
 運送業界も未曾有の不景気で青息吐息の状況ですが、おかげで車は新車に代わり、仕事もそこそこ入ってきています(笑い)

 また、前から行ってみたかった「あやめ祭り」の会場に、仕事の帰り道に立ち寄った事がありました。その時に書いたのが「あやめまつり」という記事です。
 開催の前日だった事もあり、ほとんど咲いていなくてがっかりした事を書いたのですが、おかげでゆっくりと散策することができましたし、この記事がきっかけでマイ・ ティンクとの交際が始まりました(笑い)
 彼女との初デートが「リベンジ」という記事になったのですが、この時には照れくさいので記事中には登場してはいません (^_^ゞポリポリ

 

 「不運」な出来事に遭遇したとしても、「不幸」だとは思わなかったので、私自身も思っていなかった展開となり、結果として「幸福」に転じたのだと私は思っています (^^)v

 「不運」は避ける事はできないかもしれませんが、少なくても「不幸」は避ける事は可能ですよ o(*^▽^*)o

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2009年2月23日 (月)

あわただしい

 今月の13日に「はらただしい」という記事を書きました。

 「腹だたしい」ということばを、「腹ただしい」と言い間違えていることについて書いたものです。

 

 そうこうしているうちに、今度は「慌ただしい」ということばを耳にしました(笑い)

 「あわただしい」
 
 それとも

 「あわだたしい」

 私も、一瞬どちらが正しいことばなのかわからなくなって、辞書を手にしていました (^_^ゞポリポリ

 結果、やはり「慌ただしい」というのが正しかったです (^^)v

 

 「腹だたしい」という時には濁点が付いた方が正しい言い回しで、「慌ただしい」という時には濁点は付かない方が正しい言い回しということになります。

 

 日本語ってややこしいですね (^◇^) 。。。ケラケラ

 ただ、それだけのことなんですが・・・ (^_^ゞポリポリ

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2009年2月13日 (金)

はらただしい

 今さらという感じがしないでもありませんが、先日、TBSラジオを聞いていると、番組の中で「腹ただしい」というコメントを耳にしました (^^;

 う~ん、ことばを生業としているアナウンサーが、「腹ただしい」と言うのはいかがなものか・・・ (ノ_-;)ハア…

 本来は、「腹だたしい」と言うのが正しいわけですが、濁点を付ける位置がいまいちよくわかってないために、このような誤用をしてしまったものだと思われます。

 「腹だたしい」というのは、腹が立って仕方がない様子を言い表したものですから、漢字で書けば「腹立たしい」となり、「腹ただしい」が誤用なのは一目瞭然なわけですが、ひらがなで書くとどっちがどっちだかわからなくなってしまうようなこともあり得るんじゃないでしょうか (^^;

 こんなふうにして、だんだん「腹ただしい」ということばが人々の間に広まっていって、いつの間にか市民権を得て辞書にも載るようになるんでしょうか・・・ (__;)

 本当に、腹だたしい限りです・・・(怒り)

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2009年2月11日 (水)

20090211001  「投」という文字があります。
 文字通り、手に持ったものを遠くに飛ばす動作のことをいい、例えば「投球」とか「投石」などのように、「投」という文字の後に何かをくっつけることにより、「球」や「石」を投げるということを表わしています。

 

 ところで、このような例の他にも「投」という文字が付くことばがあります。

 「投資」「投機」、あるいは「投薬」とか「投宿」など、まだ他にもあると思いますが、とりあえず思いついたことばを挙げてみましたが、これらのことばに付いている「投」の文字は、どういう意味で付いているんでしょう・・・ (?。?)

 投資は資本となるお金を、投機は儲け話のチャンスを、それぞれ放り投げる・・・ということなんでしょうか(笑い)
 また、投薬は「薬」を、投宿は「宿」を、それぞれ投げ捨てるって事なんでしょうか(爆笑)

 違いますよね・・・ (^^;

 

 このように、実際には「投げる」わけではないものにも「投」という文字が付いたことばが日常の会話の中にもしばしば出てきます (^^;

 この場合の「投」という文字の表わす行為というか、意味はなんなんでしょうね?

 

 非常にどうでもいい内容で恐縮なのですが、こんな事をマジメに考えている私が居ます・・・ (^_^ゞポリポリ

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2009年2月 5日 (木)

再出発

 先週末、彼女を迎えにさいたま市のマンションに行きました (^^)v
 これは、毎週行なっている私の行動パターンなんですが、今回はちょっといつもとは勝手が違っていました。
 どこがどう違うのかといえば、彼女と一緒に、もろもろの荷物も同乗して成田に帰ってきたというわけで・・・ (^^;
 そして、迎えに行くだけで、日曜日になっても送って行くことはなかったからです (^_^ゞポリポリ

 そうです、先週末は彼女の引っ越し当日であり、つつがなく完了いたしました (^_^)V。
 そして、私たちはそのまま同居に入りました・・・

 ついに、この日が来ました~ ヽ(^◇^*)/

 もう、嬉しくって、嬉しくって (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 とりあえず、同居が先で、入籍の手続きは今月末の彼女の誕生日くらいまでには済ませようと話し合っています (^_^ゞポリポリ
 近日中に、婚姻届の用紙をもらってこなくちゃ (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 

 私たちは、お互い再婚同士ですから、これが人生の再出発という事になります。
 人生五十年なんて言われた時代もかつてはあったようですが、私たちはそこから二人で力を合わせて、生きていこうかなと (^_^ゞポリポリ

 さしあたっての目標は、二人で銀婚式を迎えることかな(笑い)
 彼女にもそのように約束しましたよ、一緒に銀婚式を迎えようねってね (〃'∇'〃)ゝエヘヘ

 私ゃ、その時には75才を過ぎていることになりますが・・・(爆笑)

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2009年1月16日 (金)

晴れ

 先日書いた「年明けうどん」の記事に対して、むうさんから「埼玉の農家ではハレの日に、一家みんなでうどんを食べたと聞いたことがあります」というコメントを頂きまして、そういえば最近は「ハレ」ナンてことばは聞かないなぁと思い、今日の記事になりました (^^)v

 

 「ハレ」というのは、「晴れ」と書き、「特別」とか「おめでたい」というような意味で、以前はよく使われました。

 皆さんも、「晴れ着」とか「晴れ舞台」なんてことばをどこかで耳にしたことがあると思います。

 私が子どもの頃は、まだ国中が貧しい時代だったので、着るものも「普段着」と「よそ行き」というように、明らかに違うものを身に付けるのが一般的でした。
 普段はみすぼらしい衣服を着ていても、お正月とか、あるいはどこかに出かけるとかの特別な時には、それ相応の上等の服を着たもので、それが「晴れ着」だったのです。

 

 一方、「普段」のことを言い表すことばが「ケ」です。

 ハレ、物が溢れる現代においては、すっかり「死語」となってしまった感がありますが、こういう気持ちはとても大事なんじゃないかと私なんかは思っています。

 普段から有りとあらゆる物を手に入れ、贅沢な暮らしをしていると、何が大事な物なのかを見失ってしまうようなことにもなりかねないんじゃないかと、要らぬ老婆心が頭をもたげてきます(笑い)

 

 そういえば、一張羅なんてことばも聞かなくなりましたね(爆笑)
 今時、晴れ着を一着しか持っていないなんて人は居ないからなんでしょうね (^^;

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2009年1月 6日 (火)

通信講座

 先日、ネッ友さんの日記で通信講座のことを書かれているのを目にしました。
 その方は、「社会保険労務士」の講座を受講なされていると言うことで、今年の目標はそれを修了するということで・・・

 

 思えば、私は子どもの頃から様々な通信講座を申し込んできた経緯があります。
 中学生の頃の「英会話」に始まって、「アマチュア無線」だの「ラジオ製作」だの、「ペン字」、「速記」・・・etc.、etc.・・・
 社会人になってからは「書道」なんてのもやったこともあります (^.^; ポリポリ

 しかし、いずれもそうですが、一つとしてマトモに終了したことはおろか、テキストだって最初の数ページを読んだだけで、ほとんど開いたことはありませんでした (x_x)☆\(- - )
 なんとなく、通信講座に申し込み、教材が一式送られてくると、それだけで満足してしまうというか、学習意欲が削がれ、一気に熱が引いてしまうのです・・・ (^^;

 私のようないい加減な人間には、誰かがそばについて教えてくれるような方式でないと、自分の都合でいつでも学べるという通信講座のメリットは、逆に大きなデメリットになるのだということをつくづく教えられました・・・(笑い)

 

 そういえば、昨年デアゴスティーニから「週刊 マイ ミュージック スタジオ」というシリーズが刊行されて、第1号からずっと定期購読をしているのですが、これも最初の2号目くらいまではマガジンを片手にやってみたのですが、その後の号については全く読んでいません (^^;
 そうこうしているうちに、昨日49号が送られてきました・・・ (^.^; ポリポリ
 もう、購読は止めようかなと思い始めていたところだったので、これを機会に次週刊行の50号を最後に、51号からの購読の解約を申し込みました(苦笑)
 正直、こんなものを定期購読するくらいなら、市販されているミュージック製作ソフトを購入した方がはるかに安く、はるかに高機能のソフトを手に入れることができますよ。

 

 相変わらず、進歩のない私が居ます・・・ □\(- -;)ハンセイ・・・

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2008年12月31日 (水)

大晦日

 今日で、2008年も終わりになります。

 今日も私は仕事が入っているので、お昼から働いてきます (^.^; ポリポリ
 年越しそばの配達と聞いています(笑い)
 ・・・といっても、出前ではなくて、セブンイレブンなんかに卸している麺工場から運ぶので、おそらく都内方面のコンビニとかを回って納品していくんだと思うんですが・・・ (^^;

 

 今年も不景気でたいへんな年ではありましたが、それでもなんとか乗り切って来れました。
 確かに、公私ともにいろいろとあった激動の一年間でしたが、それも人生かなと (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 まず、私を信頼して仕事を依頼してくれたクライアント達に感謝です。
 仕事の絶対量は減りましたが、それでもこの不況の時にあって仕事があるだけでも有り難い事です。

 

 健康面でも、特に病気とかしたわけでもなく、元気に働けた事にも感謝です。
 メタボの体型は、今年さらに進行しましたが、それでも高血圧とか糖尿病とか、そこまで深刻なわけではありませんから (^^ゞ
 ただ、今のうちになんとかしないとこのままではまずいなと・・・ (^^;

 

 交通事故にも遭いましたが、大事なく、数日の通院で済んだ事にも感謝です。
 これがきっかけとなって、前の車を諦める決心もつきました。
 今年は新車で仕事ができて快適でした (^^)v
 ついでと言ってはなんですが、保険屋さんの示談金で Vista のPCも買えましたし (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 ブログの方も、5日ほど更新できない日はありましたが、ほぼ毎日アップする事ができました。
 今年書いた記事は、この記事を含めて全部で419本、我ながらよく書いたなぁと・・・ (^◇^) 。。。ケラケラ
 これも、日々ノレンをくぐって頂いた皆様方のおかげです (o^∇^o)ノ
 皆様方の訪問数に背中を押されて、今年も一年間ブログを続ける事ができました。
 かなり独善的な内容の記事や、個人的な内容の記事もあったはずなんですが、呆れることなく通い続けて頂けた事を感謝します。
 今後とも、当居酒屋『夢』を、どうぞよろしくお願いいたします m(_ _)m

 

 また、このブログがきっかけで、彼女もできました・・・ (〃'∇'〃)ゝ
 何事も、続けていれば、そのうちに報われるというか、いい事があるという事なんでしょうか(笑い)
 来年は、ブログ上で入籍とかの報告ができればいいなぁと思っています (^_^ゞポリポリ

 

 それでは皆様・・・

 よいお年をお迎えください  

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2008年12月30日 (火)

今年の重大ニュース

 年も押し詰まってくると、よくマスコミは「今年の10大ニュース」みたいなタイトルで一年間を振り返ったりします。
 そこで、今日は私も今年の一年間を振り返ってみようかなと (^.^; ポリポリ

 ただ、「10大ニュース」だといかにも冗長なので、今日は「重大ニュース」という事でベスト5を挙げてみたいと思います (^^)v
 これだけでも、けっこう長い記事になってしまいましたが(苦笑)

 

 第1位 バツイチの私に彼女ができた (^^;

 やっぱり、今年一番の出来事はこれを外しては語れないでしょうね (^◇^) 。。。ケラケラ
 バツイチになって10年以上、しかも、自分で言うのもなんですが、私はかなりの変人であり、頑固者ですからねぇ、こんな私に寄り添ってくれる女性が居るとは正直思いませんでしたよ (〃'∇'〃)ゝエヘヘ
 7月19日に書いた「覚悟」という記事の中で、コメントに対する返事として恋愛中である事を明かしました(爆笑)
 それ以前の6月18日に書いた「当たり前」という記事で、新しい恋人である彼女に対する自分の思いを述べたのが、ブログに恋愛中である事を匂わせた最初の記事で、これ以降「夢の中へ」「雨の慕情」「アニバーサリー」と、表向きにはそれとわからないようにしながら、記事の中で彼女への想いをオープンメールみたいに大胆に書き続け、「覚悟」の記事まででその数は実に18本 (^◇^) 。。。ケラケラ
 彼女もこのブログを読んでくれている読者の一人である事は知っていましたから、成就を願って一生懸命でしたよ(笑い)

 こういうのは、遊び心というか、チョッとした悪戯心も手伝って、誰か気付いてくれないかなという想いもある反面、誰かに話してみたくてたまらないけど、公開するのはまだチョッと早いかなという想いもあって、けっこう楽しみながらブログを書いていました (^.^; ポリポリ
 で、ほぼ一ヶ月後の「覚悟」という記事の中で、デイジ~さんに「ピーターさんは2度目の覚悟をしたい時期なんでしょうか?それとも恋しているのでしょうか?」と指摘されて、恋愛中である事を暴露します (^_^ゞポリポリ

 6月中旬以降の私は、ほんとうに彼女が全てでしたね(爆笑)
 ほとんど、欠かすことなく週末は彼女と一緒に過ごした半年間でした (^^)v

 

 第2位 生まれて初めて救急車に乗った (^^;

 2月1日に、信号待ちをしていた私の愛車にトラックが追突してきて、はずみで前に止まっていたRV車との間に挟まれる形で前後を大きく破損、結果的に愛車は廃車、私は生まれて初めて救急車というものに乗ったのでした・・・ (^^ゞ
 この時に書いたのが「初めての救急車」という記事です(笑い)

 事故そのものは、別にたいしたことはなかったのですが、その後の保険屋さんとの交渉もありますから、念のために救急車を呼んでもらって人身事故扱いで対応してもらったわけです。
 実際に、首と腰に軽い痛みがあったのは間違いないし、こういう事故ではその時は気が張っているのでたいしたことは無いように思えても、後から痛みとかが出てくるのはよくある事だからです。

 しかし、救急車の乗り心地は最悪ですね (^^;
 二度と乗りたいとは思いませんよ(笑い)

 

 第3位 愛車を新車に買い換えた (^^)v

 先の、事故の結果として、2月17日に新車の営業車が納車されました (^^)v
 この時には「新車」というタイトルで記事を書きました (^_^ゞポリポリ

 5年チョッと乗った前の愛車は、38万キロという気の遠くなるような走行距離を残しましたが、10ヶ月あまりで新車の走行距離は5万5千キロを越えました (^^;
 一般の人の感覚からすると、凄い距離を乗っているように思えるかもしれませんが、仕事で乗っていると、このくらいの距離ではたいしたことは無いというのが正直なところです (^_^ゞポリポリ
 1年間に7~8万キロは走らないと、儲けはあまり出ないのが私の仕事の辛いところです(苦笑)
 ただ、それだけ乗り回すと、車の傷みも早いので、買い換えのサイクルも短くなってきますから結局は同じ事なのかもしれませんが (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 第4位 ジェフ千葉、奇跡の逆転残留決定 ヽ(^o^)尸

 開幕から、最下位を走り続けたジェフが、最終戦で奇跡の逆転勝ちを収め、上位に居た2チームを交わして奇跡的にJ1残留を決めました(笑い)
 この時に書いたのが「16分間の奇跡」という12月7日の記事です (^^)v

 辛い1年間でしたが、サポーターの気持ちを裏切らない選手達の熱いプレーに感謝です ヽ(^o^)尸
 ただ、根本的にチームを見直さないと、来年も同じ事の繰り返しになる事は目に見えていますから、なんとかしてほしいですね(苦笑)

 

 第5位 ソフトバンクホークス、最下位に沈む (__;)

 10月7日、私の愛するホークスが、最終戦で楽天に延長サヨナラ負けを喫して12年ぶりに最下位に沈んだ・・・ (ノ_-;)ハア…
 この時に書いたのが「祝!最下位」という記事で、10月8日の事になります。

 決して、最下位になるようなダメなチームではないんですが、アタマがダメだとどうにもならないというのが証明されたシーズンでした (ノ_-;)ハア…
 監督は無能、コーチは無策、フロントも働かないボンクラ揃いで、選手はロートルと三流の出来損ないばかり・・・ こんなんで勝てたら誰も苦労はしないわな(怒り)

 最下位に終わった今年のオフ、ここまで目立った補強は聞こえてこない・・・
 何をやってるんでしょうかね、このままではまた万年Bクラスの暗黒時代に逆戻りですよ・・・ q(`o')ブー!!
 オーナーの損正義氏がカネを出ししぶっているんでしょうかね(苦笑)

 

 以上、今年一年間の私の重大ニュース、ベスト5です (^_^ゞポリポリ

 人生、波瀾万丈、いやぁ、生きているってほんとうに楽しいですねぇ (^◇^) 。。。ケラケラ

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2008年12月26日 (金)

石橋

 以前、同僚の一人に「石橋」さんという方が居ました・・・

 その方は、いわゆる「デキル」人で、私も仕事の仕方とかを一から教え込まれて、個人的にも尊敬していました。
 とにかく、元気で声が大きく、よく気がつき、いつもキビキビと動き回っていました・・・
 責任感も人一倍強く、同僚に対しても遠慮無く、厳しく指導していました・・・

 職場の中でも、一目置かれる存在であり、実際にフロアの責任者でもあった「石橋」さんは、私ら同僚からは「ビシバシ」さんと呼ばれていましたっけ・・・ (^.^ゞポリポリ

 もちろん、陰口とかではなく、愛情を込めてそう呼んでいたわけで、もう20年近くも前の事ですが、今でも懐かしい思い出ですねぇ・・・(苦笑)

 「名は体を表わす」とは、よく言われることばではありますが、誰が言ったのか、「ビシバシ」さんは実に的を射たニックネームだったと今でも感心します。

 

 「石橋」さん・・・ 今頃、どこでどうしているんでしょうねぇ・・・

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2008年12月24日 (水)

山田ルイ53世

 最近・・・ 彼女が私の顔を見てよく言います・・・

 「山田ルイ53世+15才」と・・・ (^^;

 

20081224001  私は、バラエティとかほとんど見ないので、山田ルイ53世の事は知らなかったんですが、ネットなんかで検索すると、こんな顔が出てきます (^◇^) 。。。ケラケラ

 そりゃ、ねぇ・・・ (^.^ゞポリポリ
 丸い顔して・・・
 こんな感じのヒゲを生やして・・・
 体型もメタボだから・・・

 似てない事もないというか、はっきり言って、なるほどなぁと納得している私が居るのですが、う~ん、そうだったのか・・・ (^^;

 

20081224002_2  20年チョッと前は、まだかなりスリムだったし、陣内孝則に似ていると言われた事さえあった (^^; のに、30才を過ぎた頃からどんどん太りだし、10年くらい前はこぶ平(現九代目林家正蔵)と言われてました(爆笑)

 

 そっかぁ、今は、山田ルイ53世か・・・
  (_ _)ノ彡☆ギャハハ!!! バンバン!!!

 

 なんとなく、トシとともに、だんだんと見た目のレベルが落ちていくように感じている今日この頃です・・・ (^_^ゞポリポリ

 

 そんな私の顔を、可愛いと言ってくれる彼女の目は・・・
 運転免許証の条件等の欄に「眼鏡等」と書かれている程度の視力である事を、私は知っています・・・ (;^_^A アセアセ・・・
 もちろん、普段はメガネなどかけてはいません・・・(苦笑)

 

20081224003

 いっそ、今度は「ミル・マスカラス」とでも言わせたろか~(爆笑)

 でも、顔は覆面でどうにでもなるけど、素っ裸だと体型はごまかしが効かないから、ダメだな・・・ (^^;

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2008年12月23日 (火)

寄生虫

 今日は、天皇誕生日という事で、国民の祝日になっています。
 私らの世代だと、天皇誕生日といえば「昭和天皇」を指すわけで、4月29日という事になっていましたから、12月に天皇誕生日と言われてもいまだにピンと来ないんですが、何だかんだ言っているうちに平成も21年目を迎えようとしていますから、来年は初めて平成生まれの人達による成人式が行なわれる事になるんでしょう・・・
 その成人式も、ハッピーマンデーなんてアホな制度が始まってからは、毎年日付が変わるわけで、なんとなく国民からは遠ざかってしまったような感が拭えませんが・・・

 

 最初にお断りしておきますが、今日の記事は非常に独善的な内容なので、一応コメントは付けられるようになってはいますが、無用に願います (^^ゞ
 どうしてもという方は、ご自身の責任の下にお願いします(苦笑)

 

 私は、天皇廃止論者ですから、ナンで一人の人間の誕生日を国中が揃って祝わなくてはならないのか、非常に納得いかないのですが、そういう事を表立って言ったりすると、変人扱いされて生活も危うくなったりしますから、軽はずみな事は言えないんですが、それにしても、「天皇」というものの存在を、ムリヤリに国民に押しつけるようなこのやり方はどうなのかなぁと私なんかは常々苦々しく思っています。

 戦前は神扱いされた天皇ですが、戦後は「人間宣言」したとはいうものの、その存在自体は戦前と何も変わってはいません・・・ (ノ_-;)ハア…
 国事には相変わらず関与しているし、国民の「上」に君臨するその姿は、今も大なり小なり国民に影響を与え続けています。
 天皇の存在自体は特定の宗教というわけではないけれど、何かにつけて神道に則った儀式を行なうので、それに近い存在である事は間違いのない事ですから、政教分離の原則から言えば大いに問題ではないかと私は思っています・・・ (__;)

 もともと、日本に天皇なんてものは存在しなかったはずです。たまたま力のあった豪族の一人が、中国に倣って自ら天皇と勝手に名乗ったに過ぎないのに、どうしてこんなに長い間日本の歴史の中で存在し続ける事ができたのだろう・・・
 天皇なんてよけいなものが存在したために、その周囲でどれほど多くの血が流されてきたことか・・・
 はっきり言って、「疫病神」以外の何ものでもなかった、それが天皇という存在の全てです。

 

 まぁ、過去は過去として、現代において「天皇」なんてものの存在はナンの役にもたたないというのが私の持論であり、むしろ、日本の国益に大いなる害を及ぼすとさえ私は思っています。

 いわば「天皇」は、日本という国に棲みついた「寄生虫」であり、もっと言えば、日本をダメにする「悪性の癌」だと私は思っています。

 百歩譲って、皇族という一族が存在する事については認めても良い(笑い)
 しかし、その立場はかつての華族と同じ「名目的」なものに限定するべきであり、皇族だからといって特別扱いは一切するべきではない。
 もちろん、皇居などの公の建物内に居を構える事は厳禁であり、個人でガードマンを雇うならともかく、公費を使って身辺警護をする必要がどこにあるのよ(怒り)

 こういう、特定の個人が国によって保護され、あまつさえ国策にあれこれと影響を与えるようではダメだと思うんだけどなぁ・・・(怒り)

 議員の世襲とかには何だかんだと異論を唱える人達も、天皇の世襲については何も思わないのかい。それって、片手落ちだし、矛盾しているとは思わないんだろうか?
 世の中から、世襲なんて因習は、全て廃止すべきだと私なんかは思っています・・・
 もっとも、二世議員については、いくら本人が継がせたいと思っていても、最終的な決定権は有権者にあるわけですから、こういうのは世襲とは言わないというのが私の持論です。嫌なら投票しない事で阻止する事ができるわけですから・・・

 誕生日に皇居で行なわれる一般参賀のように、祝いたい人だけが勝手に祝えばいいと思うのだが、それではダメなんだろうか (?。?)
 なぜ、祝日まで設ける必要があるのだろう・・・
 天皇は特別な存在である事を知らしめるためである事は明白であり、そこに何か怪しい作為を感じるのは私だけなのだろうか・・・

 

 それはともかく、このところ明仁氏の体調が思わしくないようで、そうなると思い出すのは昭和63年の暮れの事・・・
 あの時は、日本全体が病床にある裕仁氏を慮って「自粛」ムードに覆われ、日本経済は著しく活気が削がれた。
 あの頃の日本経済はバブル期にあったので、国中が自粛ムードだったとしてもそれほど深刻な事態には陥らなかったけれど、世界的に大不況のこの時にあって、またあのような馬鹿げた自粛論が国中を席巻するようだと、仕事も職もほとんど無くなって、日本という国は本当に死んでしまうのではないか・・・

 そんな事を憂える天皇誕生日です・・・

 まぁ、今のところは精神的、身体的なストレスが原因の体調不良とだけ報じられているだけですから、そんなに大げさに考える必要は無いのかもしれないが、これだけ不景気だと、つい、そんなよけいな事まで考えてしまう私がいます・・・

 

 なぜ、一人の人間を「祝日」まで設けて国中で祝い、なおかつ、これほど世の中が振り回されなくてはならないのか・・・ (ノ_-;)ハア…

 どう考えても理不尽だと思うし、私には全く理解できませんよ・・・

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2008年12月13日 (土)

順子

 いきなり「順子」とかいうタイトルをご覧になったら、皆さんはどのような反応を示すのでしょうか (^◇^) 。。。ケラケラ

 別に、他意はありませんが、先日、ラジオでおもしろい事を言っていたので記事にしてみようかなぁと・・・ (^.^; ポリポリ

 といっても、タイトルは「順子」でなくても、「純子」でも「淳子」でも、「Junko」という名前であればいいわけですが、私がすぐに連想するのはどうしても長渕剛の「順子」という事なので、悪しからず・・・ m(_ _;)m

 

20081213001

 ただ、だからといって長渕剛の「順子」に何らかの思い入れとか思い出があるわけでもありませんが・・・ (^_^ゞポリポリ
 むしろ、「Junko」という名前なら、「桜田淳子」のファンだったので、私にとってはこっちの方を語ってみたいのですが、今日のところはそれもはしょって、後日に回します (^^ゞ

 

 で、本題ですが・・・ (^.^ゞポリポリ

 英語もおぼつかない私ですから、イタリア語なんかに縁があるはずもなくて、全く知らなかったのですが、欧米では文字として一様にアルファベット26文字を用いているという先入観が私なんかにはありまして、読み方は国によって違うにしろ、ある程度は共通なのかなぁなんて思っていたんですが、決してそんな事はないんですね(苦笑)

 例えば、イタリアでは「J」「K」「W」「X」「Y」の5文字は使用されないということで、ことばは実質21文字のアルファベットで書き表されることになります。
 これは、日本語の中にアルファベットという概念がないのと一緒で、人名などのイタリアにとっての「外国語」にのみ使われることがあるといいます。

 どういう事かというと、「順子」という名前の人が、例えばホテルなどにチェックインする時にフロントで自分の名前を記入する際、普通に「Junko」と書いたとします。
 でも、「J」はイタリアの文字の中には無い文字ですから、書かれてあっても読む時には無視されます (^^;
 で、イタリアの人は「Junko」という名前をどのように読むかというと、「J」をとった「unko」の部分だけを発音するんだそうで・・・(笑い)
 だから、理不尽ではありますが「うんこ」さんと呼ばれるのが、イタリアでの「順子」さんの宿命となります (^_^ゞポリポリ

 「うんこ 君の名を呼べば僕はかなしいよ  だから心のドアを ノックしないで ノックしないで・・・」

 

 どうしても、「うんこ」という呼び方に馴染めず、「じゅんこ」と呼んでほしいのであれば、「Giunko」と書けばOKです (^^)v

 「ja、ju、jo」の発音にあたるものは、
 「gia、giu、gio」と書くのがイタリア流ということになるそうで・・・

 

 ところ変われば・・・とはよく言われますが、こんな話題はいかがですか(笑い)
 これがホントの「ウンチク」という事で・・・

 

 

 全国の「Junko」さん、ごめんなさいね・・・ m(_ _;)m

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2008年11月20日 (木)

社員旅行

 私は、サラリーマン時代、何度も転職を繰り返したので、その時々で様々な人達といろんな所に社員旅行をしてきた経緯があります・・・ (^.^; ポリポリ

 

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 これは、79年の秋に、会津の印刷会社で働いていた時に行った磐梯山の麓に在る押立温泉に行った時の写真です。
 この時には泊まりではなく、日帰りで温泉とお酒を楽しんでまいりました (^.^; ポリポリ

 

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 これは、83年の6月26日の日付が写っています。有線放送の会社に勤務していた折、青森転勤を言い渡され、東北方面の各営業所総出での社員旅行でした。
 私は青森の営業所からの参加になり、これは松島での写真です。

 

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 これは、翌年同じ会社での社員旅行です。私は会津の営業所に戻っており、この時には岩手県の猊鼻渓に行って船下りを楽しんできました。
 前年の時もそうですが、この時ほどの規模の人数で行った社員旅行は、後にも先にも私には経験はありません (^.^; ポリポリ

 

20081119002 20081119001

 最初の写真は、85年の夏に行なった同じ会社での社員旅行ですが、この時には会津の営業所だけで行なったので、ずいぶん小規模になりました(苦笑)
 行った先は那須で、泊まりは川治温泉でした。

 次の写真は、同じ年の暮れに会津営業所と新潟方面の営業所との合同の社員旅行というか、はっきりいって忘年会です(笑い)
 場所は新潟県の月岡温泉にあるホテル泉慶 (^^)v
 うっすらと積もった雪がキレイだったことを覚えています。

 

 最近では、経費を極力押さえるためにも、社員旅行を取りやめる会社も少なくないと聞いています。
 それ以前に、会社の人達と一緒だと楽しめないからと、参加を渋ったり、断ったりする若い社員が増えているそうです。特に、女子社員からの評判はすこぶる悪く、お酌等のコンパニオンまがいのことを強要させられるからと、社員旅行などにはハナから関心のない方も居ます。

 会社とは、仕事をする場所であり、仕事以外のことで煩わしい思いはしたくないという愚かな考えの方も増えています。いわゆる自己中な輩です。そういう人達は、会社というところがどういうところであり、自分の役割はなんであるのか、根本的なことがわかっていないから平気でそういう事を口にすることができるのです。

 仕事というのは、目先の事だけをやっていればいいというものではありません。忘年会や社員旅行だって立派な仕事であり、ノルマのうちなんですよね(笑い)

 会社である以上、自分一人で仕事をしているわけでもないだろうし、多くの人達の協力があってこそ自分の仕事が成し遂げられるということを考えれば、勤務時間の間だけが仕事だと思っているのはあまりにも短絡的というか・・・ (^^;

 

 社員旅行なんかに参加すると、普段は顔を合わせたことのない違う部署の人とか、他の営業所や支店などからの参加者などと知り合いになるチャンスであり、人と人とのコミュニケーションの基本は相手を知る事だということを考えれば、せっかくの機会を自ら投げ出してしまっていることになるわけで、私に言わせれば実にもったいないというか、残念なことだと思わずにはいられません・・・

 社員旅行や忘年会、あるいは同僚同士などでの飲み会など、確かに仕事とは直接関係ないように見えますし、煩わしくもあり、それよりもプライベートの時間を大切にしたいと考えるのも無理のない事なのかも知れません。
しかし、それらは本当に無駄な事なのでしょうか?
 私はちっともそんなふうには考えていません。

 車のエンジンに入っているエンジンオイルは、それ自体は燃焼するわけでもありませんし、走りになんの役にも立っていないように見えますが、それが無いとエンジンはアッという間に焼きついてしまいエンジンその物が壊れてしまいます。社員旅行や忘年会、あるいは飲み会などもそれと同じで、会社という機構をスムースに動かすための潤滑剤だと考える事はできないものでしょうか?
 そうすれば無駄だなんて考え方をする人も少なくなるんじゃないのかしら・・・

 仕事だけをやっていればいいだなんて、そんな考え方の人達ばっかりの会社って、なんとなく無機質な感じがしませんか?
 いかにも「会社の歯車」ってイメージがしてくるんですけどね・・・ (^^;

 そういう潤いのない会社だと、社員の定着率も低そうだ・・・ (^^;

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2008年11月16日 (日)

 「新」という文字は、一文字だと「あらた」と読むということは皆さんもご存じだと思います。もちろん、私も知っていますが、これが「新しい」となるとどうでしょう・・・
 「あらたしい」とは読まずに、「あたらしい」と読むのが一般的だと思います。

 今まで、なんの疑問も持たずに、一文字だと「あらた」。
 そこに「しい」という送り仮名が付くと「あたらしい」と読んでいまして、そういうものだと思っていたのですが、「新しい」は、もともとは「あらたしい」と読んでいたと聞くと、なるほど、そうだろうなぁ・・・と思っている私がいます(笑い)

 

 本来「○×」ということばだったのが、いつの間にか「×○」というように、読みの順序が入れ替わってしまうことを「音位転倒」と言います。
 「音位転倒」は、それほど珍しいことではなく、言い間違いがそのまま定着してしまったものや、本来の言い回しが発音しにくいために、いつの間にか言いやすい方に入れ替わってしまったものなど、見渡せば身近にもけっこうあったりしますが、まさか「新しい」が音位転倒したことばだったとは思いませんでしたよ(笑い)

 例えば、「communication」は「コミュニケーション」と読まれるべきものですが、「コミニュケーション」と言っていたり、「simulation」も「シミュレーション」と読むべきなんでしょうが、「シュミレーション」と言っている方も少なくないのではないでしょうか (^^;
 このあたりは、本来の発音だと言いにくいために前後が入れ替わってしまった例です。

 英語なんかだと馴染みがない発音のためにそういう例はけっこうあるんですが、日本語だと最近言われているのは「雰囲気」「ふいんき」と読むという例・・・ (^^;
 今だからおかしいと笑っていられますが、おそらく近い将来「雰囲気」は音位転倒して、「ふんいき」ではなく「ふいんき」と読むのが一般的になるのではないか・・・ 私はそんなふうに思っています。

 「舌鼓」も、本来は「したつづみ」と言っていたのが、いつの間にか「したづつみ」と読まれるようになってしまったことばです。
 「鼓」は、「つづみ」という楽器のことですから、それがわかっていれば「したつづみ」が正しいのは一目瞭然なんですが、耳の方ではそうとは思ってくれないようで(笑い)

 

 いずれにしても、間違いがいつの間にか市民権を持ってしまって、教科書にも載るようになるわけですから、言い間違いなんていちいち指摘するのは無意味なことなのかもしれませんね (^◇^) 。。。ケラケラ

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2008年11月15日 (土)

なおざり

 日本語というのは本当に難しいもので、あらためてことばの意味を問われるとよくわからないものが多かったりします(笑い)
 しかし、そういう奥深いところが私は好きなんですが、今のお若い方たちなどは、自分たちで次々と新しいことばを生み出していきますから、あまりそういう事には無頓着なのかな・・・ (^^;

 

 ところで皆さんは「なおざり」ということばと「おざなり」ということばをお聞きになった事はありますか?
 どちらも似たようなことばであり、意味も「いい加減に扱う」というようなものなので、どちらがどちらというか、そういう区別をする事もなく口にしていることも少なくないのではないでしょうか・・・

 実際、私自身がそうであり、二つのことばの明確な意味を調べることもせずに今日まで生きてきました (^.^; ポリポリ
 その間、この二つのことばを口にしたこともあったはずなんですが、どういう時にどちらのことばを口にしたのかも今では覚えていません (^^;
 性格がいい加減ですから、そういう事もいい加減で・・・(笑い)

 で、先日、ラジオを聞いていると、両者の違いをわかりやすく説明してくれましたので、なるほどなぁと・・・ (^.^; ポリポリ

 

 「なおざり」というのは、「等閑」あるいは「猶避」と書きますが、私の愛用している三省堂の国語辞典には「猶避」という表記は載っていませんし、使用している日本語入力システムであるATOKでも「猶避」という変換はされませんから、あるいはこちらの方は正確なことばではなくて当て字なのかもしれません。

 一方、「等閑」は「とうかん」ということばで私の愛用している三省堂の漢和辞典にも載っていますから、こちらの方が漢字表記としては正しいのかな。
 「等閑」は、漢語であり、その意味は、物事に対してそのままの状態で放っておくこと、いい加減にして真剣に取り組まないことという事で、「なおざり」という平安時代にはすでに使われていたと思われる言い回しに対して「等閑」という漢字を当てたものと思われます。

 

 「おざなり」というのは、「御座成り」と書き、もともとは江戸時代の頃の芸者達が用いたことばだという事です。
 日本には、昔から「席次」というものがあり、お座敷に座る時には、年齢や役職などに応じて席に着く位置が細かく決められるのが普通です。「上座」とか「下座」などということばは皆さんも忘年会や結婚式の披露宴などの時に耳にしたことがあると思います。
 芸者さん達は、お座敷に伺った時に、それぞれの座っている位置を見てお客さんのランクを決め、扱いを変えたそうで、ランクの低い客に対しては「お座なりに」、つまりいい加減に、適当に、軽~くあしらったそうで、「おざなり」ということばにはそういう意味があるということです・・・ (^^;

 

 つまり、「おざなり」は、わかっちゃいるんだけれども、ついつい、いい加減に扱っちゃうことで、「なおざり」は、そういう意識すらなく、最初から何にもするつもりもないということで、どちらも「いい加減に扱う」という点では一緒ですが、意識レベルの上では、「おざなり」>「なおざり」という事で、なおざりの方が、より悪いということかな(笑い)

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2008年11月 3日 (月)

東北一周

 昨日、サイクリングの記事を書いたので、今日はその続きでもさせて頂こうかと・・・ (^^;

 

 当時、自転車に乗ってどこか遠くへ出かけてみたくて、中学生の頃はよく村のあちこちへ買ってもらったスポーツ車で出かけていきました。
 そんな事を繰り返しているうちに、次第に遠くへ、遠くへという思いがつのり、やがて村の外までへも出かけて行くようになります。この頃は、隣町の金山町とか田島町(現南会津町)とかへは、買い物目的で何度か出かけたことがあります。

 

20081103001

 そして、中学校3年の時の夏休み、私はかねてから計画していたロングツーリングに出かけることにしたわけです。
 気心の知れた友人と二人で、「東北一周」という遠大な目標を持って、ほとんど無計画に村を後にしました(苦笑)

 目標は決めていましたが、コースとか日程とかは特に決めていたわけではありません。根がいい加減な私は、行き当たりばったりで行動することが多いのはいつものことで、今も昔もそのヘンは変わりませんねぇ (^◇^) 。。。ケラケラ
 漠然としたイメージでは、国道13号線を使って北に行けるだけ行って、そこから国道4号線あたりを使って帰ってこようかなと・・・ (^.^; ポリポリ

 村を出るだけでも、高い山の峠越えですから自転車ではたいへんな事で、今は車でアッという間に会津若松に着きますし、峠の道も信じられないくらい整備されていますが、30年以上も昔だと、舗装されている道はほとんどありませんし、そこを自転車で走るなんて無謀も無謀、今では考えられない無茶をしたものだと思いますねぇ (^_^ゞポリポリ

 

 で、初日は、会津若松と喜多方の中間辺りまでたどり着いたので、そこで泊まることにしました (^^;
 国道から見えた小さな神社に勝手に上がり込んで、そこで寝ることにしたんですが、境内で火を起こして炊事をしていると、近所の人が訝かしんでやって来まして、何をしているんだと・・・ (^^;
 事情を話すと、夕飯の差し入れとかしてくれて、帰り際に火の後始末だけはしっかりしておくようにと言い残していかれました。
 当時は、このように人間関係にもどことなくほのぼのとしたおおらかなところがあって、優しい人達が多かったように思います。
 今なら、よそ者が神社で火なんか焚いていたら、不審者扱いをされて、パトカーがやってくるような事態になっていたかもしれません・・・ (^^;

 

 二日目は、喜多方から大峠を越えて山形県の米沢に抜けました。この道路も国道とは名ばかりで、今でこそ大きなトンネルがいくつもできて、米沢へも簡単に行けるようになりましたが、当時は険しい山道があるだけでした。
 そこを自転車で越えるわけですから、メチャクチャたいへんです。途中でへばって休んでいると、通りかかったダンプのおじさんが自転車を荷台に積んでくれて峠まで乗せていってくれました (^^ゞ
 おかげで、だいぶ時間を節約できたので、国道13号線で上山市まで行ってそこで泊まりました。
 この日は、国道沿いの大きなお寺にワケを話して泊めて頂きました。この日も、住職から夕飯にいろいろと差し入れをして頂きました (^_^ゞポリポリ

 

 三日目は、山形~天童~尾花沢~新庄と、国道13号線をひたすら北上し、秋田県との県境にある雄勝峠を越えたところにあった神社に上がり込んで寝ました。
 この付近には民家は無かったので、差し入れも無く (^^; 、疲れて泥のように眠った記憶があります。

 

 翌、4日目は朝から雨が降っていまして、雨の中を走るだけの気力は持ち合わせていない軟弱者だったので、それまでの疲れもあって午前中は神社の中で様子を見ることにしました (^^;
 しかし、いっこうに止む気配もなく、何も無い神社の中も退屈になってきたので、お昼頃に出発することにしたんですが、雨の中をこれ以上先に進む気力はなく、ここから引き返すことにしました(笑い)
 で、いったん新庄まで戻って、そこから国道47号線と345号線で鶴岡を目指しました。しかし、悪いことは重なるもので、新庄を過ぎたあたりで私の自転車の後輪がパンクしてしまいます (^^;
 泣き面に蜂というか、雨の中でパンク修理をしても、糊が乾かないのではないかということもあり、メンドウ臭かったので、予備のチューブと交換することにしたんですが、これが失敗のモトでした (^^;
 前輪なら難しい構造でもないので、外すことは簡単なのですが、後輪となるとそうはいきません。ギヤやら何やらワケのわからないものがごちゃごちゃと付いていて、タイヤを外すだけでも一苦労です。
 やっと外したタイヤからチューブを引っ張り出して、新しいチューブと交換して組み立て直したんですが、これがうまくいかなかったようで、思ったようには走ってくれなくなりました (^^;
 とにかくタイヤが上手く回ってくれず、車体がとても重いんですよ (^^;
 それでも、なんとか騙し騙し走り続けたんですが、そのうちに今度は後輪が回転しなくなってしまいました (^^;
 こうなるともうお手上げです。暗くなってきた道を自転車を引きずりながら自転車屋さんを探して飛び込みました。お店のおじさんはワケもなく治してくれました(苦笑)
 そんなこんなで、その夜はどこかの大きな橋の下で寝ました (^^;
 初めて建物ではないところで野宿をしたんですが、雨は凌げるものの、ヤブ蚊がひどくてほとんど寝ることはできなかった記憶があります(笑い)

 

 5日目は、雨は上がっていたように記憶しています。主に国道7号線を南下して新潟を目指しました。
 日本海を見たのは、この時が初めてだったと思います。走りやすい道路で、新発田から安田を目指した辺りで日が暮れたんだったかな (^^ゞ
 で、どこかの材木置き場のようなところを見つけたので、勝手にもぐり込んで寝ました (^^;

 

 6日目は、国道49号線で会津を目指しました。この頃になると、すっかり疲れきっていて、ほとんど口をきく気力もなく、スプライトのホームサイズ(500ml)をラッパ飲みしながら黙々とペダルをこいだ記憶があります・・・
 県境のトンネルをくぐる前に、道端にあった電話BOXからお互いに自宅へと電話をかけて、今日帰るという事を伝えました (^.^; ポリポリ
 西会津からは、国道400号線、国道252号線と走りついで、金山町経由で実家に戻ってきたんですが、もう、精も根も尽き果てたって感じで、風呂に入ってそのまま寝てしまいました (^_^ゞポリポリ

 

 以上、6日間の忘れがたい東北一周もどきの思い出です(笑い)

 東北一周はなりませんでしたが、もし4日目に雨が降らなかったら、秋田の先へとさらにペダルをこいでいたはずなので、そうなったら無事に家まで戻って来れたかどうか・・・ (^^;
 もしかしたら、体力が尽きてどこかで遭難していたかもしれないと思うと、あそこで半日間身体を休め、なおかつ引き返して正解だったんだと思えなくもありません(苦笑)
 なにしろ、ツーリングの間、マトモなモノは食べていませんし風呂にも入っていませんから、身体を壊したってなんら不思議でないわけで (^.^; ポリポリ

 

 まったく、若い頃は無茶を無茶とも思わないで、平気でバカをやれたなぁと、今振り返ると恐いです (^_^;

 おかげで、愛車は帰って来てすぐにガタが来て壊れてしまいました (^^;
 途中で壊れなくて、本当に良かったなと (^◇^) 。。。ケラケラ

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2008年11月 2日 (日)

サイクリング

 最近、ネッ友さんのブログで、サイクリングにはまっているという記事を目にしました。
 単に、自転車で走り回るだけではなく、専用の自転車まで購入したという事で・・・ヽ(^o^)尸

 

 思えば、30年以上も前の事、私が中学生だった頃にサイクリングが大ブームになった事がありました。
 70年代は、様々な雑誌とか、マンガや歌謡曲の中にまでサイクリングを題材として取り上げるものもあったくらいです。

 

20081102001 20081102002

 私自身も、「サイクルスポーツ」なんて雑誌を時々購入したり、少年キングで連載されていた「サイクル野郎」なんてマンガを真剣に読んでいたこともあります。
 雑誌やマンガを読みながら、あれこれと夢を膨らませるのが楽しみでした。

 しかし、当時でもサイクリング専用の自転車はとても高価でしたから、私が乗っていたのは、やっと買ってもらったミヤタのスポーツ車と呼ばれる普通の自転車で、上の写真のようなタイプのものでした (^^ゞ
 もちろん、ハンドルはごく普通のタイプで、ドロップハンドルなんて夢のまた夢でした・・・

 

20081102003  ただ、この頃流行だった「電子フラッシャー」というデカイ方向指示器が付いたハデな自転車をねだって買ってもらった記憶があります (^.^ゞポリポリ
 こんなモノ、動作させるためには電池をたくさん入れなければならないわけで、その分車体は重くなるわ邪魔だわで、その後は見かけなくなりましたが、当時は多くの子ども達がこの電子フラッシャー搭載のスポーツ車に乗っていたものです。
 今思えば、幼い子ども達が仮面ライダーのバイクに似せたオモチャの自転車に乗りたがるような、そんな感じだったんじゃないかと思います(爆笑)

 写真は、いずれもネットで探したものなので、私が乗っていたものとは違いますが、当たらずとも遠からずということで、感じはおわかり頂けるでしょうか・・・

 

 私の生まれ育った山村は、狭いながらもそれぞれの部落間はけっこう離れているので、友達の家に遊びに行くとなるとどうしても自転車が必要になるわけで、小学生の頃から、年がら年中サイクリングをしているような状態でした(笑い)
 私は村の中心部で育ったので、学校へ行くには徒歩でしたが、中学生になると周辺の部落からは、自転車に乗って中学校へ通うのが一般的でした。だから、中学生になると新品の自転車を買ってもらうのが入学お祝いの定番でしたね (^^)v

 私の場合は、学校の近くに住んでいるので、自転車通学は認められてはいませんでしたが、札付きの不良でしたから、そんなのはお構いなしで、中学校へはいつも自転車で通っていました (^^ゞ
 で、先生に見つかるとひっぱたかれるワケで(爆笑)
 それがいやなので、たいていは学校の近くの同級生の家に置かせてもらっていましたよ (^^;

 

 この当時、週一のクラブ活動として私が入っていたのが「サイクリングクラブ」でした(爆笑)
 課外活動として毎日行なう部活動とは違って、クラブ活動はあくまでも授業の一環なので、必ず何かのクラブに入らなければならない必修科目でした。
 クラブ活動とはいっても、このサイクリングクラブは、授業時間の1時限を使って村のあちこちを走り回るだけの、ほとんど遊び同然のものでしたが・・・ (^^;
 ただ、このクラブがある日だけは、授業で使うので学校公認で自転車で通学できました(笑い)

20081102004  左の写真は、中学三年生の時のもので、中央の黒い学ランを着ているのが私です (^_^ゞポリポリ
 もう、35年も前の事になるんですね (^◇^) 。。。ケラケラ

 これは、クラブで近くの畑まで土器を拾いに行った時のものだったと記憶しています。もちろん、それはタテマエですが (^_^ゞポリポリ

 当時の自転車も写っていますが、記憶ははっきりしないのですが、私のものではなく、部員の誰かのものだったと思います。

 

 今は、当時と違って車の数もぜんぜん違いますから、サイクリングも難しくなっているんじゃないでしょうか・・・
 反面、道路は当時とは比較にならないくらい立派なものになってはいますが・・・

 もちろん私も、サイクリングはこの頃以来ずっとやっていませんね (^_^ゞポリポリ

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2008年10月28日 (火)

バラ色の日々

 最近では、ほとんど毎週のように私の部屋を訪れて、泊まっていってくれる彼女なんですが、この週末はいつもと様子がかなり違っていて・・・ (^^;

 いつもですと、土曜日にやって来て1泊していってくれるか、金曜日に仕事が終わってから来てくれて、2泊していってくれるかというパターンがほとんどなんですが、先週は木曜日に家族の都合で仕事を休むということもあって、ついでだからと金曜日と、さらに月曜日まで三日間も休みを取ってくれたので、木曜の夜から月曜まで、五日間も一緒に過ごすことができましたヽ(^o^)尸
 月曜日まで休みを取ってくれたというのは、日曜日にソフトボールの試合後に宴会がある事があらかじめわかっていたので、一緒に参加して、二人で心ゆくまでお酒を飲むためです(爆笑)
 まぁ、それは冗談ですが、宴会の後に自宅に帰って行かなければならないとなると、どうしても帰りの時間を気にしながらという事になりますから、やはり心から楽しむことはできません。
 という事で、私を気遣って、ゆっくり宴会を楽しめるようにと月曜日まで休みを取ってくれたというわけで・・・

 こんなに長いこと一緒に居るのは初めての事だったので、まるで、プチ新婚生活みたいで、二人の時間をたっぷりと過ごすことができました(笑い)

 その間、お互いの事をじっくりと観察 (^^; することができたので、今まで気付かなかったようなことも見えたりして、とても有意義な週末になりました (^.^ゞポリポリ

 これなら一緒にやっていけそうだよねと、二人の楽しい生活を再確認して、夢のような五日間を終えたのですが、今日の記事は、そんな週末の五日間をチョッとだけ披露してみようかなと・・・ (^^;

 

 木曜日・・・ 仕事のついでに・・・といっては恐縮なのですが、たまたま仕事が彼女の家にほど近い場所で終わったので、そのまま迎えに行って、一緒に成田に帰ってきました(苦笑)

 金曜日・・・ これもたまたまですが、仕事の依頼が入らなかったので、これ幸いとほとんど一緒に居ましたね (^.^ゞポリポリ
 出かけたのも、夕方に土曜日着の荷物を引き取りに行ったくらいで、お天気も雨だったのでずっと一緒でした。

 土曜日・・・ 神奈川県の茅ヶ崎への納品ということで、彼女を車に乗せて、早朝に自宅を出ました (^^)v
 10時には納品を終えたので、かねてよりの予定通り、二人で江ノ島観光をして来ました(笑い)

 日曜日・・・ ソフトボールの準決勝があったので、この日も早朝に自宅を出て、一緒にベンチで応援してきました。
 予定では、勝ち上がって決勝にも出るつもりでいたのですが、残念ながら負けてしまった (^^; ので、いったん帰宅して、車で向かえに来てもらって13時からの残念会に二人で出席してきました。
 初対面の人達も多い中、皆さんたちとうち解けてくれたのが嬉しかったです。
 年末に行なわれるチームの納会にも、二人で参加してくださいと皆から言われたと喜んでいました(笑い)
 帰りは、監督の奥さんの運転する車で送って頂いて、一緒に帰宅しました。

 月曜日・・・ 私は仕事で出かけていましたが、その間に洗濯やら何やらと細々したことをしてくれましたヽ(^o^)尸
 私も、なんか安心して仕事ができたというか、帰りを待っていてくれる人が居るというのはいいもんですね(笑い)
 帰宅するのが楽しみで、仕事をしていても励みになります (^^)v

 夕方帰宅して、早めの晩ご飯を食べてくつろいだ後、彼女を家まで送っていきました・・・

 

 二人で過ごした五日間の間に感じたことですが、私の他に誰かが部屋に居るというのはいいもんだなぁとあらためて思いましたよ (^.^ゞポリポリ
 彼女は料理が大好きということもあって、台所に居ることも多いんですが、そんな時に台所から時々漏れ聞こえてくる笑い声とかを耳にすると、いつもと同じ部屋なのに妙に明るく感じて、私まで楽しくなってくるんですよね(笑い)

 彼女が居るだけで、まるで別の部屋や生活がそこにあって、私自身も妙にワクワクしているというか・・・ (^_^ゞポリポリ

 こんなバラ色の日々を過ごせる毎日が一日も早く訪れるようにと、そんな事を願いつつ昨夜は眠りにつきました・・・ (〃'∇'〃)ゝエヘヘ

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2008年9月20日 (土)

誰かのために

 最近、自己中なんてことばもあるように、自分の事しか考えない人が増えてきたように思います。
 「モンスター○○」なんてことばも生まれたように、何をするにも、何を考えるにも、「自分」が価値観や判断の基準になっているわけで、そういう事ではたしていいのかと・・・

 もちろん、自分を大切に思うことは当たり前の事ですし、自分の利益が行動の基準になってもなんら不思議ではないわけですが、「自分のために生きる」という、一見当たり前に思えることが、良いことなのかどうか・・・

 私は、スポーツ観戦が大好きなので、いろいろな中継なんかをテレビで見ることが多いのですが、このところ選手達の考え方が変わってきていると思えなくもありません。

 先日、北京五輪がありましたが、いつの頃からか、選手達が「競技を楽しみたい」なんて口にするようになりました。

 チョッと待て!
 楽しんで競技をするのはアマチュアレベルのハナシではないのか?

 まぁ、五輪に参加している選手達も、アマチュアの選手がほとんどなワケだから、競技を楽しんでも良いように思えなくもないが、それは大きな考え違いだろうと思わずにはいられない。

 私は、こういう考え方をしている選手を信用してはいない。なぜなら、アマチュアとはいえ、世界を相手に戦う選手が、競技を楽しんでいる場合なのかよと・・・
 リラックスするという意味で言っているのならまだしも、楽しんで戦って、それで良い結果が出るはずがないじゃないの (^◇^) 。。。ケラケラ
 世の中、そんなに甘くはないよ(苦笑)

 「楽しむ」という事は、とりもなおさず「自分のため」という事だから、こんな選手が増えているから日本のスポーツは世界に通用しないんだと思うよ(怒り)

 よく、読売巨人軍が、毎年毎年大物選手を他球団から引き抜いて、野手も投手も四番とエースばっかりだと言われ、戦力では他球団を圧倒しているのに、なぜ優勝できない年があるのかを考えたことはないだろうか・・・ (^^;

 チームの四番とかエースとか言われる選手達は、それなりにプライドも自信もあるから、団体競技の中では浮いていることが多い。他の選手達がそれなりの力しかない場合には、彼を中心にチームはまとまるけれど、そういうスーパープレーヤーばっかりだったらまとまるわけはないのは火を見るよりも明らかだ(笑い)
 要するに、オレがオレがでプレーしているから、アレだけの戦力を擁していても、まとまりがなくて勝てないわけで・・・
 これが、自分を捨てて、チームのためにと思ってプレーしていたら、結果は自ずと付いてくる。
 一人一人の力はそれほどではなくても、全員が同じ方向を向いてプレーしていたら、これは強いですよ。まして、アレだけの選手が揃っているわけでしょ、それが一丸となって戦ったら、8連勝で最大13あったゲーム差を2まで詰めたなんていっても、不思議でもなんでもないわけで (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 人間、自分のためにプレーしたり、生きたりしても、それほど強くはなれないんだな。

 これが、誰かのためにという思いでプレーしたり、生きていると、けっこう強くなれるんですよ。

 例えば、個人で走っているマラソンなんかですと、苦しくなったらいつでも止めることができますが、団体競技である駅伝では、どんなに苦しくても、止めることはできません。
 自分一人で走っているマラソンは、止めても自分しか困らないけれど、チームの一員として走っている駅伝は、自分が走ることを止めると、チーム全体に迷惑がかかってしまいますから・・・
 それに、駅伝の場合ですと、自分の実力以上の力で走っている事も多いんですよね。
 それが証拠に、フルマラソンを走っても、ゴールをした後に倒れ込むような選手は稀ですが、駅伝では5kmや10kmていどの距離でも、タスキを渡した後に倒れ込んで動けなくなる選手は少なくない・・・
 苦しいんだけれど、ここでもう少し粘る事で、チームとしての貯金ができると考えると、みんなのためにと頑張っちゃうんですよね。

 人生だって同じで、自分のために生きていると、辛いことや苦しいことがあったりすると、つい「まぁ、いいか・・・」なんて思って、止めたり後回しにしたりすることもできますが、女房・子どもがいたりすると、どんなに辛いことがあったとしても、簡単に投げ出すことはできませんから、人間的にも自然と強くなりますよね (^^)v

 人間は、自分のためにというモチベーションでは、たいしたことはできないものです。やはり、誰かのためにという思いこそが、大きな事を成し遂げさせる原動力だと私は思っています。

 下世話なハナシですが、オトコなんて、彼女に良いとこを見せようと思うから、ついつい頑張れちゃうんですよね(爆笑)
 だから、彼女のいないオトコは、意外と頑張れないものなんですよ 

 学生スポーツの監督やコーチ達は、試合がある時に彼女に応援に来てもらえと男子学生にハッパをかけるそうです。
 彼女が応援に来てくれると、男子の選手は良いところを見せようとイロケを出して、普段の実力以上の力を出して、良い成績を残すことが多いからなんですが、これが女子選手だと恋愛は御法度なんですよね (^^;
 女子は、彼氏が見ている前では、みっともない姿を見せることはできないと思うから、ムリはせずに、成績は平凡なものに終わることが多いからだそうです (^^;
 それ以前に、女子の選手は、好きなオトコができると、練習に身が入りませんから(爆笑)

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2008年7月10日 (木)

 皆さんは、「F」というタイトルから、何を連想なさるのでしょうか・・・
 F-1とか、Fリーグなんてスポーツもありますし、私のようにエッチな方なら、女性のブラのカップサイズとかを思い浮かべるのかもしれません・・・ (^^ゞ


 それはともかく、私は子どもの頃からへそ曲がりなところがあって、とにかく他人と同じ事をするのが嫌だという、変わった子どもでした (^.^ゞポリポリ

 そういう私ですから、モノにもけっこうこだわりがあって、そんな中の一つに鉛筆がありました。


20080710011_2 「F」というのは、鉛筆の硬度を表わす表示記号であり、一般にはあまり馴染みは無いと思われますが、「HB」と「H」の間に「F」が存在します。



 このH、B、Fといった記号ですが、「H」はHARD(ハード:硬い)、「B」はBLACK(ブラック:黒い)、そして「F」はFIRM(ファーム:しっかりした)という意味です。

 ちなみに、日本には「6B」~「2B」「B」「HB」「F」「H」「2H」~「9H」までの17種類の硬度の鉛筆が存在します。

 小学生だと、「HB」あたりが一般的によく利用される硬度でしょうか・・・
 もちろん私も最初は「B」とか「HB」あたりの無難な硬度の鉛筆を使っていたわけですが、ある日お店で「F」と書かれた鉛筆を見つけます。馴染みがない記号だったので、試しに買ってみたわけですが、これが実に具合が良かった。なめらかにかけるワリには、芯はそこそこ硬いので、けっこう尖ったままで書けるんですよね。

 第一、誰もそんな鉛筆は持っていないという優越感みたいなモノがあって、以来私はずっと「F」の鉛筆を使い続けました (^^)v
 それが、おそらく小学校の3年か4年くらいの事だったと思うのですが、懐かしいですねぇ (^_^ゞポリポリ

 その後、5年生くらいになるとシャープペンシルという画期的なモノが登場して、鉛筆はだんだん使わなくなっていくのですが・・・
 なにしろ、削らなくてもノック一つで新しい芯が後から後から出てくるのですから、これは便利だと (^◇^) 。。。ケラケラ

 皆さんは、最近は鉛筆なんて使っていますか?
 私自身は、もうずいぶん鉛筆は触っていませんねぇ・・・
 手にするのは、もっぱら、ボールペンかシャープペンシルです (^_^ゞポリポリ

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2008年7月 8日 (火)

科学の限界

 今は、科学万能の時代とよく言われます。
 タカが100年前と比べても、当時と比較していかに文明的な生活を送っている事か・・・
 そんなに大げさな事を言わなくても、たった10年とか20年くらい前の事を振り返っても、携帯電話とかPCとか、こんなに普及するとは考えられなかったのではないでしょうか(苦笑)
 医学なんかも飛躍的に進歩していますし・・・

 そして、その弊害として、科学崇拝主義者が増えた事は私なんかにとっては非常に残念な事で・・・ (__;)


 「科学的でない」とか「非科学的」ナンてことばは日常的に耳にするようにもなりました・・・
 しかし、私は思うのですが、この世の中には、科学で説明できないような事象なんていくらでもあると・・・
 科学をよりどころにする事は、悪い事ではありませんが、それに寄りかかり、全てを科学で説明しようとする事は愚か以外の何ものでもないと私は思っていますし、そういう人については哀れにさえ思います。

 テレビなんかでおもしろおかしく取り上げられる、オカルトみたいなハナシはともかくとして、「超常現象」と呼ばれるモノは確かにありますし、それらをむりやり科学的に説明しようとしても時間のムダというか、もっと広い視野を持って物事を見た方が有益なのではないかと私ナンかは思いますがねぇ(苦笑)


 例えば、もっとも身近な「命」とか「心」ナンてものの存在は、科学で説明できるんでしょうか・・・

 人間を始めとして、動物でも植物でも、「有機物」の多くはたいてい「命」を持っています。しかし、この「命」というものはある日突然に有機物の中に宿るもので、そこに始めから存在するものではないのです。
 動植物などの有機物は、炭素をメインとする元素から構成されています。これは誰もが納得している事だと思いますが、さて「命」はこの炭素の中にあるのでしょうか?
 1個1個の炭素の元素は、それ自体に「命」はありません。しかし、炭素が集まって有機体を形成すると、いつの間にかそこに「命」が宿るのです。
 同じ炭素の集合体であっても、無機質の石とかには「命」は無いのですが、なぜか有機物だと「命」が宿るわけですが、科学を崇拝する人達はこの事実をどのように説明するのでしょうか(苦笑)

 また、同じ有機物でも、植物には「心」は無いと言われています。動物には「心」があるのに、どうして植物には「命」があっても「心」は無いのでしょうか (?。?)
 わかりませんねぇ、誰か納得のいくように説明してもらえませんかねぇ(笑い)


 精子と卵子が結合する事を「受精」と言います。受精をすると新しい命が生まれると言われますが、それ以前の精子や卵子には命は無いのでしょうか?
 もしあるとすれば、二つの命が受精により一つになるという事ですが、そうなるとどちらかの命は消えてしまうという事なのでしょうか (^^;

 この時に、受精卵には「心」はあるのでしょうか? それとも、分裂を繰り返して成長していく過程で「心」が生まれるのでしょうか (?。?)

 こういう事を、科学的に説明しようとしてもムリがあるんじゃないかと私なんかは思うわけですよ。
 だから、科学万能主義者は愚かであると・・・ (^.^ゞポリポリ
 それよりも、「命」も「心」も、神が与えてくれたと考える方が、どれほど論理的で合理的である事か・・・
 第一、わかりやすいでしょ (^◇^) 。。。ケラケラ


 よく言われる事ですが、科学者の中にも、学問を突き詰めていくとそこにはどうしてもある何らかの「力」がある事を認めざるを得ないとおっしゃる方も少なくありません。
 それが科学の限界であり、人によってはその「力」を「神」と呼ぶのかもしれません。


 私も「神」の存在を信じてはいますが、一般に呼ばれているような「神」とはチョッと違います。
 大いなる「力」というか、「意志」というか、そういうモノは確かにあるのだと思いますし、それを「神」と呼ぶのならあえて否定はしませんが、仏陀だとかキリストだとかアラーだとか、そういうモノを神とは私は思ってはいません(爆笑)
 そういう意味では、「神」を信じてはいますが、私も「無神論者」というか「無宗教者」の一人だったりします。


 非常に個人的な事ではありますが、私が付きあう女性たちは、いずれも「霊感」というかそういう不思議な力を持っている方たちばかりだったので、私もいつの間にかそういう事を信じるようになりました (^.^; ポリポリ
 もちろん、別れたカミさんも非常に霊感の強い女性でした (^^;

 私がそういう力を持った女性を引きつけてしまうのか、あるいは私がそういう女性を心のどこかで求めていて、自然とそういう人を嗅ぎ分けてしまうのか、いずれにしても不思議な事ではあります (^^;
 私自身には霊感など、全くないのですがねぇ・・・ (^.^ゞポリポリ


 信じていない方にはバカバカしく思えるのでしょうが、「魂」の存在は否定できないと私は思っています。
 そして、魂が永遠の存在である以上、輪廻転生も単なる空論ではないとも思っています (^.^ゞポリポリ


 ああ・・・ ナンか、怪しい新興宗教の布教みたいな記事になってきた・・・
 

 危ないオヤジだと思われないうちに、止めときます・・・ (^_^ゞポリポリ

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2008年6月10日 (火)

人生の時計

 先日、私の時計が午後3時を回りました・・・

 といっても、これだけではナンの事かおわかりにならないと思いますが・・・ (^.^; ポリポリ
 今日は、「時の記念日」という事で、チョッとそんな「時計」のハナシでもしてみようかなと・・・ (^_^ゞポリポリ

 その前に、まず「平均寿命」の話しを語らなければなりません。
 2007年の5月に発表された日本の男性の平均寿命は79才で世界第2位、女性は86才で世界第1位と、世界に名だたる長寿国です。

 この「平均寿命」ということばですが、多くの人達は勘違いをしていると思います。

 昨年発表された男性の79才という数字は、今生きている男性達の平均寿命という意味ではないのです。
 「昨年に生まれた男の子」が、今の医療状況とか生活状況とかが今後とも同じ状態で続いた場合、79才くらいまで平均して生きられるだろうということで、今50才の私が79才くらいまで生きられるだろうという意味ではないのです。
 ちなみに、昭和33年生まれの私が生まれた当時の男性の平均寿命は約65才ですから、この時の平均寿命が私の年代の「平均寿命」という事で、私はあと15年くらいで天命を全うするだろうという事になります (^^;
 しかし、先にも述べましたが、医療技術の進歩とか、生活様式の改善とかで、平均寿命は年々延びているのが一般的ですから、少しは伸びているんじゃないのかな(笑い)
 もっとも、不摂生な生活を続けているから、逆に短くなっているかもしれませんが・・・ (^◇^) 。。。ケラケラ

 まぁ、様々な要因によって変化するこんな数字を鵜呑みにしても詮無いことなので、この記事では日本国民の平均寿命はだいたい80才という事にして話しを進めたいと思います。


20080610001  この80才という数字を、1日に換算するとけっこうおもしろい事になるんですよ(笑い)
 1日は24時間、これにそれぞれの年齢を当てはめていくわけです。



 午前零時が生まれた時・・・
 お昼が人生の半分の40才・・・
 そして、翌日の午前零時で80才を迎えるという具合です (^_^ゞポリポリ

 こういうふうに換算すると、3時間で10才トシを取ることになります。

 10才・・・ 午前3時、まだ夜明け前で睡眠中。一日の活動は始まっていません (^^;
 20才・・・ 午前6時、早い人なら起き出して一日が始まる頃でしょうか (^^;
 30才・・・ 午前9時、仕事が始まって、さぁ、これからという頃です(苦笑)
 40才・・・ 正午、一日の折り返し地点です。一服してこれから午後が始まります。
 50才・・・ 午後3時、チョッと休憩で、アフター5を目指します(笑い)
 60才・・・ 午後6時、仕事も済んで、これから楽しい自由時間が始まります (^^)v
 70才・・・ 午後9時、まだまだ夜はこれからです (o^∇^o)ノ  こんな時間に寝てしまうわけにはいきません(爆笑)
 80才・・・ 午前零時、ほとんどの人が寝てしまう時間ですが、まだ起きている人も中には居ます (^^;
 90才・・・ 午前3時、さすがにここまで起きている人は稀でしょうが、けっこう元気で起きている人も居ます(笑い)
 100才・・・ 午前6時、まぁ、こんなに起きている人はまず居ないでしょうが、中には徹夜でさらに起きている人も居ないわけではありません (^◇^) ヒャッヒャッヒャ・・・


 どうですか、それぞれの時間が、意外と人生の中でのそれぞれの年齢と重なっているように思えませんか (^^;

 この「人生の時計」の中では、20代とか30代とかはまだ午前中です。
 三十路とかを迎え、ずいぶん老けたなぁとか言っている場合じゃない・・・
  (_ _)ノ彡☆ギャハハ!!! バンバン!!!
 まだまだ、一日は始まったばかりじゃないですか(苦笑)


 冒頭で、私の時計が午後3時を回りましたと書きましたがこれはそういう事です。
 4月に、満50才になった私ですが、一般的には人生もそろそろ終わりに近づいてきたかなぁとか思うのかもしれませんが、1日の中での午後3時なんて、誰も1日が終わりに近づいたなんて思っている人は居ないんじゃないかしら(苦笑)
 むしろ、楽しい楽しいアフター5を待ち焦がれている人の方が多いんじゃないかな。
 そんなふうに考えると、50代とか60代って、とっても楽しい年代だとは思いませんか(笑い)
 少なくても、私自身は毎日が楽しくて仕方ないのですが (^^ゞ


 まぁ、皆が私と同じように考えるとは限りませんが・・・ (^.^; ポリポリ

 でも、時々は今自分が立っている位置が「人生の時計」の中でどのあたりなのかを確認する事は、けっこう有意義な事なんじゃないかと私は思うのですが・・・

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2008年6月 6日 (金)

符丁

 どこの社会にも、仲間内だけで通じる合い言葉があります。これを一般的に「隠語」とか「符丁」とか言いますが、これはその社会で生活したり仕事をしたりする時に用いる事によって、コミュニケーションをスムースに取る事が目的で生まれました。

 かつては、そういう社会は閉鎖的で、情報文化もそれほど発達していなかったので、一般の人達にはほとんど知られる事のないままにきましたが、マスコミが発達し、いろいろな情報が飛び交うようになると、知らなくてもいいような「符丁」をいろいろと耳にするようになりました。

 単に知識として知っているだけならまだいいのですが、中にはそれらのことばを使う事が「ツウ」な事であると勘違いをし、やたらと口にしたがる輩も目にしますから困ったモノだと思います・・・ (__;)


 「符丁」で有名なのは、ヤクザと呼ばれる人達が使っているもので、「ショバ」だとか「ゴロ」だとか、実にたくさんの隠語がありますが、一般の人達が用いるにはやはり特殊なことばが多いように思います。
 そんな中で、「ヤバイ」なんてことばは、今では女の子たちでさえ普通に使っているので、嘆かわしいとは思いますが、これも時代の流れで、しょうがないのかなぁと・・・(笑い)


 「符丁」がよく聞かれる職場の一つに「寿司屋」さんがあります。狭いお店の中で、カウンターを挟んで職人さんたちと客とが相対するわけですから、職人同士でやりとりしている会話は嫌でも耳に入ってきます。
 まして、威勢の良いのが寿司屋の職人ですから、声も大きいし、聞くなといってもそれは無理な話で・・・ (^◇^) 。。。ケラケラ

 で、そんな職人さんたちが使っている「符丁」の数々は、自然とお客さんたちも覚えて口にするようになります・・・ (^^;

 しかし、私は思うのですが、先にも述べたように「符丁」というのはその社会の中で使う事を前提にしているわけですから、部外者のお客がそれらのことばを口にするのはいかがなものかと・・・

 よく言われる事ですが、「生兵法は大怪我のもと」ともいいますし、よく意味も知らずに知ったかぶりをしてこういう符丁を使うのはあまり感心しません。


 例えば、お茶を「あがり」と言ったり、お醤油を「むらさき」などというのはまだ可愛い方で、お勘定をお願いする時に、お店の人達に対して「おあいそ」と言うに至っては何をか言わんやで・・・ (ノ_-;)ハア…
 おそらく、本人は何も知らないままに口にしているのでしょうが、そういわれたお店の方では良い気持ちはしないと思います (^^;

 この「おあいそ」ということばですが、「お勘定」という意味で使っている人がほとんどだと思いますが、「おあいそ」ということばに、本来そういう意味はありません。


 ここでいう「おあいそ」というのは、「愛想尽かし」という意味ですから、お店の人が、お客様に向かって「まことに愛想尽かしな事で申し訳ありませんが、お勘定をお願いいたします」と言ったのが本来の用い方であり、お客に対してへりくだった言い方だったわけです。
 これを、くだけた言い方に翻訳すると、「私どもの愛想が足りなかったから帰っちゃうんですよね、ホントにごめんなさいね。これは今日のお勘定ですが、できましたら、これに懲りずにまたお越しくださいね・・・」という意味で用いたのです (^^;

 それが、だんだん省略されて、「お愛想(をお願いいたします)」だけになっちゃったので、「おあいそう」=「お勘定」だと勘違いする人が増えてしまったわけで・・・

 ちなみに、お客がお店の人に対して「おあいそう」と言うと、「お前の店は、愛想が足りないからもうこれで帰るよ。さっさと勘定を済ませてくれないかな・・・」というような意味になってしまいます (^^;


 まぁ、これは極端な例ですが、符丁なんてどれもこれも似たようなものですから、部外者が知ったかぶりをして用いるようなものではないという事です。
 端で聞いていても、あまりいい感じはしませんし、普通に「お茶」とか「お勘定」とか言う方が良いと思いますし、マナーにもかなっていると思います。

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2008年6月 5日 (木)

握力

20080605001  「握力」とは、物を握る力という事で、おそらく小学校などの体育の時間なんかに、「身体測定」とか「体力測定」とかの名目で、握力計を使って計った事を思い出す方も多いと思います。


 成人の場合、一般的な握力は、男性で50kg程度、女性で30kg程度だと言われています。

20080605002 もちろん、個人差はありますから、スポーツ選手の中には100kgを超える握力を持っている人も多く存在し、私が子どもの頃に見ていたプロレスラーの中には、フリッツ・フォン・エリックという「アイアンクロー(鉄の爪)」を必殺技に持つ選手も居ました。
 彼は、200kgを超えるといわれた驚異的な握力で、相手の顔面をわしづかみにしてギブアップを奪うという、ただそれだけで人気のあるプロレスラーでした(苦笑)
 当時、ジャイアント馬場などが、ダウンを奪われ、その上にのしかかったエリックが、大きな右手を顔に近づけようとするのを、両手で必死になって避けようともがいている姿をよく見かけました(笑い)


 私なんかは、本当に体力がありませんので、学生の頃に計った握力は35kgくらいしか無く、女性とほとんど変わらないくらいの握力しかない情けないヤツでした (^.^; ポリポリ
 今でも、おそらくそんな程度ではないかと思います。
 ただ、自宅の鴨居に鉄パイプを取り付けて作った、手製のぶら下がり棒にぶら下がる事ができますから、一応35kgくらいはあるんじゃないかと思っています。そのくらいの握力がなければ、私の体をぶら下げる事なんてできないはずですから (^◇^) 。。。ケラケラ


 それはともかく、この「握力」というものは、生きていく上でとても大切な力であり、別名「生活力」ナンて言われたりもします。
 つまり、日常生活物を営む上で、物を握るという事はとても重要であり、物を握る事ができなくなったら生きていく事はできないという事で、人間が亡くなるその瞬間の、最後の最後まで残っている力がこの「握力」という力です。
 皆さんの中には、握力の大小なんてあまり意味のない事であって、普通の人達ならそれほど問題になるようなモノではないと思っていらっしゃる方も少なくないのではないか・・・
 しかし、先に述べたように、握力は人間が生きていく上でとても大切な力なので、これを無視しては生きていく事はできないのです。


 事故や病気などで身体的な機能を失った方は別ですが、一般的な病気をして体力が無くなっていくと、まず歩く事ができなくなります。そしてさらに症状が重くなると起き上がる事ができなくなり、やがて声を出す事もできなくなります。
 意外だと思いますが、声を出すという事はけっこう体力を必要とされていて、マラソンなどのハードな運動をした後には、疲れて声を出す事さえできなくなります (^^;
 だから、カラオケなどで歌を歌うという事は、見かけ以上にけっこう体力を使うんですよね(苦笑)

 さらに弱って体力がほとんど無くなると、目を開ける事さえもできなくなってしまいます。そんな状態であっても、病人の手を握ると、弱々しくではありますが握り返してくるわけで、亡くなるその瞬間まで握力だけは残っている事を確認する事ができるわけです。


 一般に、女性の握力はそれほど強くはないとは言われていますが、家事をこなす上ではけっこう物を握るケースは多いです。
 掃除をする際に掃除機を持ち上げたり物を片付けたり、洗濯なんかでは洗い終えた洗濯物を入れたカゴを持って庭やベランダまで運んだり、子育てで子どもを抱え上げたり抱っこしたり、あるいは買い物に行って重いレジ袋を両手に持ったりと、思っている以上に握力は鍛えられていますから、私なんかよりも握力のある女性はたくさん居ると思いますよ(爆笑)

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2008年6月 2日 (月)

地震・雷・火事・親父

 こんなことばを耳にしたことがあると思います。恐ろしいモノの代表的なモノを並べたという事で理解している人がほとんどだと思います。
 それは間違いではないのですが、これらの並んだことばを見ておかしいと思ったことはありませんか?
 地震や雷、あるいは火事が恐いというのは理解できるのですが、なぜここに「オヤジ」ということばがくっついてくるのでしょう (^^;

 一般的には、かつての父親は一家の大黒柱的な存在で、封建的で独善的だったこともあって、それで地震や雷などと同じような恐ろしいモノとして並べられているのだと思われているようですが、それは正しくはありません。


 このことばは、元々は「地震・雷・火事・山嵐」というもので、最後のことばは「親父(おやじ)」ではなくて「山嵐(やまじ)」ということばだったのですが、いつの間にか「やまじ」は死語となり、代わって語感のよく似た「おやじ」に変わってしまったというのがホントのところのようです。

 でも、「山嵐(やまじ)」なんてことばはまず耳にしたことはないと思います。
 これは、現代のことばに言い換えれば「台風」ということで、なるほど、それなら地震や雷と並んで恐いモノの代表として言われても不思議ではない(苦笑)

 しかし、こんな勘違いが当たり前に通用してしまうほど、かつての父親は家庭の中では絶対的な権力を誇っていました。
 それは良いとか悪いとか言うことではなくて、ごく当たり前の事だったわけですが、戦後、職業の多様化などもあって家族の生活様式も変化していく中で、核家族が主流になっていくと、「家族」の中でのお互いの立場や価値観も大きく変わってしまいました。


 一番変わってしまったのは「子ども」たちの立場でしょうか・・・
 かつてのような多子家庭は少なくなり、少子化で一人とか二人の子どもが一般的になっていくと、かつてのように父親が一家の中心ではなく、子どもが大切にされて家族の中心に座るようになっていきました。
 今では、全てが子どもを中心に考えている家族が当たり前なのではないでしょうか・・・

 多子家庭が一般的だった頃には、一人一人の子どもたちにそれほど手をかけている余裕はありませんでしたが、それが悪いこととか言うのではなくて、その頃には子どもは家庭の中だけで育てるようなモノではなかったのです。
 家庭でそれほど手をかけられなくても、地域が、社会が、皆で子どもたちを見守り、教育し、育ててきたんですよね。悪いことをすれば誰かれの区別なくキチンと叱ってくれましたし、いろいろと口やかましく言うオトナも多かったのです。
 しかし、今時他人の子どもに何か言ったりすると、変なオトナという目で見られてしまいがちです (__;)
 こんな事でいいんでしょうかねぇ・・・ (ノ_-;)ハア…


 その結果、地域の触れあいとか結びつきとかもほとんど無くなったのはもちろん、隣近所同志の付き合いさえ昔から比べるとずいぶん希薄になってしまったように思います。ウチはウチ、余所は余所という考えがあまりにも強すぎるんじゃないでしょうか・・・ (__;)


 アジアの国々はもちろん、欧米の国々でも、子どもたちに対する愛情は並々ならぬものがあるようです。決して子どもたちが家族の中で、その中心に座っているわけではありませんが、それは愛情が薄いのではなく、幼い子どもたちでさえ一人の人間として人格を認めているから必要以上の干渉をしないだけなのだという事らしいです。


20080602001  子育ても親たちだけでなく、隣近所とか地域とかのサポートが自然にできているそうで、とにかく子育てに必要以上のプレッシャーとか悩みとかを持たなくて済むというようなことが、兵藤ゆきが書いた「子どもがのびのび育つ理由」という著書の中に書かれています。



 かつては、日本でもそうだったはずなんですが、どうしてこんな住みにくい、おかしな世の中になってしまったんでしょうかねぇ・・・ (ノ_-;)ハア…
 みんな、自分の事しか考えていない、自己中でワガママ者ばかりの世の中だ・・・ (__;)


 それはともかく、昨年は台風の当たり年といわれました。
 できるなら、今年は一つも上陸してほしくないなぁ・・・ (^^ゞ

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2008年5月31日 (土)

一段落

 最近、アナウンサー達でさえ「ひと段落」ということばを平気で使っているのを耳にする・・・

 もちろん、これは「いち段落」というのが正しいわけで、「ひと段落」という言い方は存在しない。
 おそらく、「ひと休み」とか「ひと区切り」などということばとごっちゃになって、「一段落」を「ひと段落」と誰かが読んでしまったのが一般的に広まったのではないか・・・

 しかし、日常会話の中で私らがうっかり誤用するというのならわからなくもないが、話し手のプロと言えるアナウンサーが、放送の中で口にするのはいかがなモノか・・・
 こんなの、罰金でもいいのではないか・・・

 こういう、プロ意識のかけらもない人間達が、テレビの中で平気で口にすることばが、一人歩きを始めて世間に広まっていく・・・


 そういえば、「大地震」を「だい地震」、「大舞台」を「だい舞台」と言っているキャスターも時々居る。これはアナウンサー教育で良く取り上げられることばだから、「だい地震」とか「だい舞台」と言うようなアナウンサーはさすがに少ないとはいうものの、皆無ではないところが悲しい・・・
 しかし、そうはいっても、世間では「だい地震」や「だい舞台」ということばは市民権を得ているのではないのか・・・ (__;)

 そもそも、頭に「大」という文字が付いたことばというのは、「おお」と読むのが一般的で、「だい」と読むケースというのはそれほど多くはない。
 「大雨」「大津波」「大一番」・・・ いずれも「だい」とは読まない(笑い)
 「大王」ナンてのは「おお」ではおかしいので、「だいおう」と読むけれど、こういう例外的なことばを覚える方が簡単だと思う (^.^ゞポリポリ


 ただ、間違いだと言うのは簡単な事だけれど、ことばというモノは生き物であるから、使われているウチに誤用の方が社会的な地位が高くなってしまったことばだってたくさんある。
 「山茶花」と書いて「サザンカ」と読むのはもう常識なのだろう。今時「サンサカ」ナンて読もうものなら大笑いされてしまうのではないか・・・ (^.^ゞポリポリ


 最近、「雰囲気」ということばを「ふいんき」と読んだり、会話の中で用いたりする若者が増えているという。
 しかし、これも今は間違いだと言えるけれど、近い将来「ふいんき」という読みが定着してしまう事だって十分に考えられる。


 また、「ぜんぜん」ということばを普通に会話の中にちりばめて使っているケースもとても多い。
 もともと「全然」ということばは、「全然問題ない」などのように、その後に「・・・ない」という否定のことばとセットになって使われるのが正しい使われ方ですが、「全然平気です」とか「全然美味しい」みたいに、否定のことばが後に続かないまま使われているのがとても多い。
 もちろん、こういう使い方は誤用という事になるのでしょうが、今は気にしない人の方が断然多いんじゃないのかな (^^;


 私は、頭が固く、頑固なので、こういうことばの誤用を耳にすると気になって仕方がないが、先にも述べたように、ことばは生き物なので、いちいち気にしていても詮無い事なのかもしれない・・・ (^.^ゞポリポリ

 そういう私も、普段の会話の中では知らず知らずのうちにおかしなことばを使っているのに気付く時があります (^^ゞ
 「ら」抜きことばなんて、私もつい使ってしまったりすることが少なくないです(笑い)

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2008年5月17日 (土)

長泉寺から

20080517014


 昨日の記事でご紹介した、栃木県の那珂川町にある「長泉寺」から、思いがけないお便りを頂きました (^.^; ポリポリ

 写真を撮ったついでに、お参りを済ませ、置いてあったノートに住所氏名を書き残してきたからなのでしょうが、本当にマメなご住職ですねぇ (^^ゞ

 こういうハガキを頂いたのは、昔、福島県の二股温泉に泊まった時に、「大丸あすなろ荘」という旅館からお礼状を数年にわたって頂いたことがあるくらいでしょうか(苦笑)
 あ、房総にイチゴ狩りに出かけた時に、そこのノートに名前を残してきたことがあって、そこの農園からハガキを頂いたこともあったっけ・・・

 いずれの場合もそうですが、別にこういう事を期待して名前を書き残してきているわけではないので、思いがけないお便りに驚くと同時に、嬉しくなっちゃいました o(*^▽^*)o~♪


 このお寺が、いつまでもこの町の心の支えであり続けますように・・・ (-人-)

                                                            合掌

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2008年5月11日 (日)

大声

 昨日、久しぶりにお店で大きな声を出してしまいました (^.^; ポリポリ
 特にどうしたとかいうわけではありませんが、店員さんの応対が悪くて、つい・・・ (^^;
 ナンか、昔の自分の姿をその店員さんの中に見たというか、オレも昔はこんな「使えない」店員だったなぁと・・・
  (_ _)ノ彡☆ギャハハ!!! バンバン!!!


 そもそもの起こりは、一昨日、立ち上がらなくなったデスクトップPCを馴染みのPCショップに持って行って点検してもらった事が始まりです。
 お店は22時までやっているので、仕事の帰りに持ち込んで診てもらう事にしました。ただ、点検といってもけっこう時間がかかりますから、その間待っているのも冗長なので、一度自宅に戻ってお店からの連絡を待っていました。
 お店からの連絡があったのは、持ち込んで2時間くらい経った21時頃です。いろいろと試してみましたが症状は改善されないので、これ以上はメーカーでないとわからないという事で、メーカー修理を依頼したらどうかと言ってきたので、お願いしますと返事をしました。
 別に、今更使えなくても困らないPCではありますが、どこかのチョッとしたパーツくらいの交換で使えるなら儲けものですから (^.^; ポリポリ

 どこのお店でもそうですが、修理品を預かる場合には保証金としていくらか請求してくるのが普通です。
 見積金額を聞いて、そのまま修理をする場合には修理金額から保証金を引いた額を受け取る時に請求されます。
 もし、見積もりを聞いて修理をしない場合には、取り次ぎ手数料として保証金はお店にそのまま支払う事になります。
 なかなか合理的で良い方法だと思います。

 今回のPCも、メーカー修理に出す場合には保証金が必用なわけで、翌日以降にお店に行って、保証金を支払った上、預かり証の約款に自署でサインをしなくてはなりません。
 PCはいろいろとやっかいな代物ですので、あとからナニがどうしたとかのクレームを受けるリスクを回避するためにも、預かる際にはお客の了解を得ておく必用があるのです。
 この辺は、手術前に書く同意書のようなモノと思って頂ければ良いのかな (^^;


 で、昨日、仕事の途中でお店の近くを通る都合ができたので、これ幸いとお店に行って手続きをしてくる事にしました。何事も早いに超した事はないわけで・・・ (^^)v


 開店は10時15分、お店に着いたのは10時ちょっと前です。日替りの目玉商品を買い求めるためにすでに何人かお客さんがお店の前に並んでいました。
 で、整理券を配ったりするために、店員のお兄さんが一人、入り口のところに居てお客さんの相手をしていました。
 私も入り口のところに行って少しの間待ってみたんですが、修理の受付をするだけなら開店前でもやってくれるかもしれないなぁと思い、ダメ元でお兄さんに言ってみたんですよ。「昨日持ち込んだPCの修理をお願いしたいので、時間前だけど受け付けてもらえないか・・・」と (^^;
 案の定返事は「申し訳ありませんが、開店前なのでもう少しお待ち願えませんか」というものでした。
 これは想定していた返事なので、続けてさらにもう一言ダメを押してみました。このまま待っているのも時間がもったいないので、受付の書類を持ってきてもらえないかと。
 待っている間に記入しておけば無駄な時間を費やさなくて済みますから。
 しかし、これも開店前にはそういう事はやっていませんと木で鼻をくくったような返事。それだけなら私も大声を出すような事はしなかったと思うのですが、問題はお兄さんのその態度です。「うるせぇオヤジが来たなぁ、めんどう臭ぇので相手にするのは止めて放ってとこか・・・」という思いが見え見えの態度で、私の方を向き直りもせずに、顔だけこちらに向けて言うわけですよ (ーーメ

 カチンと来た私は、この若造を困らせてやりたくなって、つい大声を出し始めました。

 「何でそれくらいの事ができないんだ!」と。



 最近、悪質なクレーマーの事がいろいろとマスコミなんかでも取り上げられています。たいていは、無理難題を要求して、お店なんかを困らせるという事で、クレーマーは「悪人」扱いで、それを押しつけられて困っているお店側が「被害者」という図式で描かれる事がほとんどですが、私もクレーマーの一人として常々思っている事があります。
 本当にそうなのだろうかと・・・

 本当の被害者は、お店側ではなくて、クレームを付けに来ているお客の方だろうと思うのですよ。

 お金を出して買ったものが、意に反して使えないモノだった。
 お店のサービスが期待しているようなモノではなかった・・・

 お客の立場としては当然文句を言いたくもなります。それは当然の行為であって、それを「クレーマー」なんてことばでひとくくりにして片づけられてしまったら客としての立場がない。


 クレームは付ける方にも相当のエネルギーが必要なんですよね。
 ほとんどのお客は、いちいちクレームを付ける事もなく「黙って」そのお店から離れていってしまうものです。なぜなら、クレームを付ける事でお店の誰かともめるのが嫌だと思うからです。人と争うくらいなら黙って我慢してしまおうと考える人がけっこう多いんですよ。その方がクレーム付けるよりも断然楽チンだから・・・
 で、お店に言えなかった分、隣近所とか友人たちとか、言いやすい相手に不満をぶちまけるわけです (^^;
 「あそこのお店で買った○○がさぁ、××で、△△なのよ・・・」と(笑い)

 問題なのはクレームを付ける客の方ではなくて、クレームを受けるお店などが、そのクレームをどのように扱うかです。
 ハナから金品目的の「タカリ」は別にして、クレームを付けてきたお客のほとんどは、お店が真摯にお客の声を聞けば、たいていはその場で収るモノです。
 お客の怒りも、不満も、言うだけ言って吐き出してしまえば、最初ほどの勢いは無くなってしまうのが常なんですよ(笑い)
 有能なお客様担当係の人というのは、お客のクレームをいかに上手に交せるかではなくて、どれだけお客にしゃべらせることができるかがポイントなんですよ。つまり、「聞き上手」って事ですね (^^)v

 それなのに、腫れ物にでも触れるように、逃げ腰で恐々とクレームに応対するから、自分の言っている事を受け止めてくれない、聞いてくれないと感じたお客の怒りはどこまでいっても収らないんですよ。


 昨日のお兄さんの態度がまさにそんな感じ。放っておけばうるさいオヤジもそのウチに静かになるだろうなんて感じで、私のいう事をマジメに聞いてはいません。第一、私の方を見ようともしませんものね (^^;

 私だって、要求した事をやってくれないから大声を出したわけではありません。客の声をキチンと聞いてくれない事に怒りを感じたワケで・・・
 キチンと私の方を向いて、そのうえで同じように答えてくれていたら、私の態度も少しは違っていましたよ、きっと (^.^; ポリポリ
 人間、無視されることがなによりも我慢できないんですよね (ーーメ

 こういういい加減な仕事をしている人間を見ると、私の声は止まる事を知りません (^^;


 そのウチに、並んでいるお客たちが騒ぎ出す・・・
 「うるせぇよ」「いい年をしてみっともないとは思わないのか」etc.etc.・・・ (^^;;;

 日本では、人前で大きな声を出す事は「恥ずかしい事」「みっともない事」として捉えている人がいかに多い事か・・・
 まぁ、私のようにつまらない事にいちいち大きな声を出しているのもどうかと思いますが、そんな考えだから、日本人は言うべき時にも何も言えないのではないか・・・

 役人や政治家がやりたい放題やっていても、国民は黙ってそれに従うだけ・・・
 そんなんじゃダメだと思うけどなぁ・・・ (__;)
 実際、役人や政治家たちは、国民の事を見下してバカにしていますよ (^^;


 恥ずかしくても、みっともなくても、言うべき時には大きな声でしっかりとモノを言う・・・
 少なくても私は、そういう自分でありたいと思っています。


 ・・・しかし・・・
 昨日のあのお兄さん、朝からうるせぇオヤジにからまれちまって・・・ ついてねぇなぁ・・・とか思っているんじゃないのかな(苦笑)
 そんなんじゃ、ダメなんだけど・・・ (__;)

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2008年4月23日 (水)

満50歳

 私事ですが、今日は私の、満50歳の誕生日だったりします・・・ (^.^; ポリポリ

 といっても、自分ではそれほど老けたとか思っているわけではありませんが、子供の頃から実際のトシよりはずいぶんと年上に見られてきたので、今更どうという事もありませんが(苦笑)

 高校の入学式では、完璧に1~2浪はしていると同級生たちから見られていましたし、19歳で電気店の店員をしていた時には25~6歳くらいには見られていました(笑い)
 その後も、言わずもがなで、年齢相当に見られた事はまずありません (^_^ゞポリポリ


 皆さん方が「50歳」という年齢をどういうイメージで捉えているのかわかりませんが、少なくても私はそれほどマイナスには思ってはいません。

 よく、誕生日を迎えた人に「おめでとう」と言うと、この年になって何がめでたいのか・・・ナンて言って誕生日を疎んじるような言動をする人が居たりしますが、私はそれは大いなる勘違いだと思っています。
 「50歳の誕生日」というのは、「50回目の誕生日」という意味ではなくて、「50年前に私がこの世に生を受けた日」という意味なのです。
 だから、何歳の誕生日であったとしてもめでたい事に変わりはないわけで、変に受け取る方が素直でないというか、心の貧しい人ナンじゃないかと私なんかは思ったりしています・・・ (^^;


 昔から、「元旦(門松)は冥土の旅の一里塚」ナンて言ったりもします。戦前は数え年で年齢を数えるのが一般的でしたから、皆、誕生日ではなく、お正月に一つずつトシを重ねていったのでそのような事が言われたりもしたのですが、これだと年をとる事はマイナスのイメージになってしまいます (^^;

 それほどではなくても、多くの方が、年をとる事は死に近づくとか、肉体が衰えるとか、そういうマイナスのイメージで捉えているんじゃないだろうか・・・

 でも、本当にそうなのだろうか・・・
 年を重ねて老人になっていく事は、若い人と比べてそんなに悪い事なのだろうか・・・

 少なくても、私は、そんなふうには思っていない一人です。

 確かに、肉体的に見れば体力なんかは若い人にはとてもかなわない・・・ (^.^; ポリポリ
 でも、私には50年生きてきた「人生の経験」がある。
 そりゃ、のんべんだらりんと無駄に時間を費やして生きて来た人だったとしたら、そういう経験さえも若い人に劣るのかもしれないけれど、たいていの50歳なら二十歳やそこらのハナタレ小僧どもに遅れをとるとは思えない (^◇^) 。。。ケラケラ


 そういう「自信」を持とうよ (^^)v
 自分の歩いてきた人生に、もっと「誇り」を持とうよ。

 少なくても、自分の誕生日を「めでたい」と思えないような、そんな後ろ向きな生き方だけはしたくはないな。

 だって、年に一度の自分の誕生日を笑顔で迎える事ができないなんて、悲しすぎるじゃない・・・ (__;)

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2008年4月 6日 (日)

牛に角あり

   20080318001   20080318002


 「牛に角あり 午に角なし」・・・

 これは「うしにつのあり うまにつのなし」と読みます。

 「午(うま)」という文字は「馬」と同じ意味ですが、現代では十二支で「午年」ナンて言う以外ではほとんど用いられる事はありません。

 一応、「午前」とか「午後」ナンて言う時にも用いられますが、これは、昔の時刻の呼び名で「午の刻」というのが今の正午の事ですので、それよりも前の時間帯を「午の刻の前」、後の時間帯を「午の刻の後」という意味で、今でも用いられています。

 しかし、このことばは実にうまく言ったものだと思います。

 「牛」「午」も、たいへんよく似た文字ですが、ほんのチョッとした違いで全く違った意味を持つ文字となってしまいます。
 実際に「牛」には角がありますが、「馬」には角はありません。そこから、タイトルの「牛に角あり 午に角なし」ということばができました。
 ここでいうところの「角」というのは、てっぺんまで突き抜けた縦線の事で、一番上の横線よりも上に出ている部分を「角」に見立て、「角」が出ていれば「牛」という文字で、出ていなければ「角」は無いという事で「午」という文字になるという事を言い表しています (^^)v




   20080318003   20080318004_2


 これと似たことばに、「瓜に爪あり 爪に爪なし」というのがあります。

 これは「うりにつめあり つめにつめなし」と読みます。

 これも、良く似た二つの文字を区別するために、一番下にある「ム」に似た部分を「つめ」に見立てて、「つめ」があれば「瓜」という文字で、「つめ」が無ければ「爪」という文字になるという事を言い表しています (^^)v


 いずれも先人たちの知恵ですが、昔の人は実にうまい事を言うものですね (o^∇^o)ノ



 さて、今日はネッ友さんたちと、浅草でお花見です o(*^▽^*)o~♪
 幸い、お天気にも恵まれ、桜も今日あたりまではなんとかもってくれたようなので、これも幹事さんの人徳かな (^_^)V。

 まぁ、お花見というのはお酒を飲むための口実でしかありませんが・・・ (^.^; ポリポリ
 お酒を飲むので、今夜は津田沼の友人宅で1泊の予定です (^^;
 お酒を飲む度にホテル代わりに利用されるので、友人もさぞかし迷惑に思っているんじゃないかな・・・ (^.^ゞポリポリ

 ゴメンね~ ( ^-^)/ ♪

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2008年4月 1日 (火)

愛と愛情

 一昨日、「愛とは」という記事をアップし、それに対して、頂いたコメントにレスを付けているうちに、ふと思い出した事があったので、新しい記事を書いてみる事にしました (^.^; ポリポリ


   20080401001   20080401002



 「愛」ということばはよく耳にしますが、それと似たことばに「愛情」ということばも存在します。
 この二つのことばは、特に区別して使われる事は無く、ほとんどの方が同意語として用いていると思います・・・

 しかし、「愛」「愛情」とは、似て非なるものというか、その本質はかなり違います。といっても、国語辞典に載っているようなキチンとした解説ではなく、あくまでもことば遊び的な意味合いが強いので、あまり真剣に受け取られても困るのですが・・・ (^_^ゞポリポリ


 この二つのことばは、どういうふうに違うのか・・・
 皆さんは、おわかりになるでしょうか?


 「愛」にも「愛情」にも形はありません。だから、見えもしませんし、触ることもできませんが、でも確かにそれらは存在します。
 異性の誰かを意識し始め、それがやがて「恋」に変わり、お互いの間に気持ちが通い始めて「愛」に成長していきます。
 こうなると、もう二人は離れられなくなり、いつも一緒に居たいと思うようになります(笑い)
 さらに、その気持ちが高じると、二人は「恋人」同志という事になり、いつの間にか二人で生活するようにもなったりします。その形態は、「結婚」という事になるかもしれませんし、あるいは「同棲」という形かもしれません。
 いずれにしても、熱い熱いラブラブな毎日が続くことでしょう(笑い)

 しかし、「愛」というものは、いつまでも存在するわけではありません。どんなに熱く激しく燃えた「愛」であったとしても、時とともにしだいに冷めていき、やがて消滅していくことになります・・・ (^^;
 全ての「愛」が消えてしまうとは言い切れませんが、でも、ほとんどの「愛」は時間とともに自然消滅していくのが常なのです。


 ここで、「愛」「愛情」という二つのことばを見比べて下さい。

 「愛」には、「愛」という一つの文字だけしかありませんが、「愛情」には「愛」「情」という二つの文字があります。

 だから「愛」の方は、「愛」が消えてしまえば、後には何も残りません (^^;

 一方、「愛情」の方はどうでしょう。
 「愛」が消えても、後に「情」という文字が残ります (^^)v

 したがって、二人の間で、「愛」が「愛情」にまで育っていれば、「愛」が消えた後でも簡単に別れてしまうような事はなく、「情け」にすがっていつまでも寄り添っていけるのです。


 若いうちなら、「愛」だけでも一緒に居ることはできるのでしょうが、熟年になり、さらに年齢を重ねたご夫婦を見て頂ければ納得して頂けると思うのですが、決して二人は若い頃のようにラブラブではありません(苦笑)
 それでもお互いを信頼し合い、身を寄せ合って暮らしています。

 このような夫婦の場合、「愛」ナンて熱く激しい気持ちは、とっくの昔に無くなっていると思うのですが、もっと強い「情け」という深い絆でしっかりと結ばれているのです。


 まぁ、一朝一夕には、「愛」が「愛情」に変化するようなものではないと思いますが、「愛」が消えた後に、二人の間に何も残らないというのも淋しい事ですよね・・・ (^^;

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2008年3月22日 (土)

安物買い

 先日、某ネッ友さんの日記で、部屋の電球が切れたけど3日もそのままにしておいて、やっと替わりの電球を買って来たという記事を読みました (^^;

 さすがに、3日も暗いままというのは考えられないけれど、私のところでも昨日の朝、トイレの明りが点かない・・・ (^^;
 まさか、そんな記事を読んだからという事もないだろうけれど、前夜、就寝前に使った時には何事もなかったのに (__;)
 ウチのトイレは、窓が無いので、明りが点かないと真っ暗なんですよね (^.^; ポリポリ
 さすがに暗いまま用を足すわけにもいかないので、とりあえず洗面所の電球を取り外して、切れた電球の替わりに点けて用を足しました(笑い)


 で、昨日、仕事のついでにホームセンターに寄って新しい電球を買って来ました (^^)v
 立ち寄ったのは、羽田にある「コーナン本羽田萩中店」 ・・・


20080322002_2  そこで、クリア電球を1個買って来ました。
 価格は186円です。
 明るさはいつもの100W・・・ (^^;


 よく、無駄な事の喩えとして「便所の100W」という事が言われたりしますが、私の場合、トイレの中は本を読んだりPCでネットをしたりと、けっこう忙しい(爆笑)ので、暗いと困るんですよ (^.^; ポリポリ
 かなり昔からトイレの電球は100Wを使うようにしています。それも、普通の電球ではなくて、クリア電球という透明なガラスでできているモノがお気に入りです。
 ですから、一般の感覚からいうと、ウチのトイレは、むやみに明るくて違和感があるかも・・・ (^.^; ポリポリ
 このヘンのくだりは、過去に書いた「トイレの中で」という記事の中に書いた事があります (^^;


 ところで、昔から「安物買いの銭失い」ということばがあってよく言われたりもします。私も確かにその通りだとは思うのですが、あまりこのことばは信用していませんというか好きなことばではありません。
 買うモノにもよりますが、私はたいてい「安物」を買って、次々に新しい物に交換していく方が多いです (^^)v


20080322001  たとえば、今回の電球でも、売り場に行けば実にたくさんの種類の商品が置いてあって、どれを買おうか迷う人も多いんじゃないでしょうか。
 より明るく、省エネで、色も鮮やかとかいうような謳い文句で、そのうえ長持ちするとなればいう事はないのですが、そういう商品はけっこうなプライスが付いています。
 でも、私は、安い電球を買って、切れたらまた新しい電球を買って来て交換して使うようにしています。その方がいつも新しい電球を使っている感じがして気持ちがイイじゃないですか(笑い)
 いくら長持ちしても、古くなればそれなりの明るさしかしないわけですから、私は寿命が短くても安いものを次々に交換して使って行く方が好きですね。


 今年の1月に、居間の蛍光管を交換したのですが、この時には珍しく「良いモノ」を買ってしまいました (^.^; ポリポリ
 その時の記事がこれですが、居間は私の生活のほとんどを過ごす空間ですから、そのくらいは贅沢してもイイかなと思ったのがその理由です。


 また、似たような商品に、PCがあります。
 これも、安いものから信じられないくらい高額のプライスが付いたものまでありますが、皆さんはどのような基準でPCを購入しているのでしょうか?
 仕事で使うPCなら、それなりのモノを購入しなければ使い物にはならないのでしょうが、あくまでも趣味でプライベートな用途に使うだけという事になれば、そんなに高性能なモノは必要ないんじゃないでしょうか・・・


 という事で、私は、ベーシックな製品を買う事に決めています。だいたい、PCナンて1年もすればすっかり古臭くなってしまうので、安いものを次々に買い替えていった方がいつも新製品を使っている感じがするので気持ちも良いし (^.^; ポリポリ

20080322003  ちなみに、メインで使っているデスクトップは、2年前くらいに、79,800円程度で買ったものですし、サブのデスクは4年ほど前に買った、59,800円くらいのモノです。
 ノートも、74,800円ですし、おそらく皆さん方がお使いになっていると思われる10万円も20万円もするようなPCは必要ないので買う事はありません。
 いずれも、Windows XPだけインストールされているごくごくベーシックなモデルばかりです。


 近い将来、Vistaが入ったPCを買おうかとも思っていますが、今のところ狙っているのは6万円程度のPCです (^^)v
 それでも、今私が使っているどのPCよりもずっと高性能なスペックを持っています (^^;
 世の中なんて、そんなモノです。買った時には凄いPCでも、1~2年すればすっかり旧式のPCになってしまうのが常なのですから、最初から大きな金額を投資するのは無駄なんじゃないかと私は思っています。


 私が、できるだけ良いモノを買おうと考えるのは、今のところ「愛車」くらいのモノでしょうか・・・ (^.^; ポリポリ
 仕事で乗り回すものですし、1日の中でもけっこう長い時間座っているものですから、これだけは不満の少ないものを選ぼうと思っていますが、その他は、家電でも衣類でも雑貨でも、とにかく「安い」モノを買う事が圧倒的に多いです。
 そして、使えなくなったらすぐに新しい物に替える・・・ これが私の生活の基本です (^^)v


 皆さん方はいかがですか?
 良いモノを買って長く大事に使う方ですか?
 それとも、私のように、安物をとっ替え引っ替え使う方ですか?

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2008年3月14日 (金)

 日本人は「薬」が大好きだと言われる・・・ (^◇^) 。。。ケラケラ
 ドリンク剤からさまざまなサプリメントに至るまで、日常的になんらかの「薬」を用いている人がほとんどなのではないか・・・

 しかし、ここに大きな誤解がある・・・

 「薬」が、病気を治したり、体を何か良い方に改善したりすると思っている人がほとんどで、「薬」は体に良いモノだと信じ込んでいる人がいかに多い事か・・・

 確かに、風邪や、今時だと花粉症とかの疾病の際に「薬」を用いるのは普通だし、それで症状が改善したり、和らいだりする事はある。
 しかし、それは「薬」がそのようにしたわけではない・・・

 「薬」というのは、症状がそれ以上悪くならないようにしたり、症状の進行を遅くしたりするだけのモノであって、あくまでも病気を治すのは自分自身の「自然治癒力」だ。

 頭痛薬などのように、痛みを取り除く「薬」は、痛みを感じる感覚を麻痺させて、一時的に痛みを感じないようにするだけであって、痛みそのモノを治しているわけではない。
 風邪薬も、症状の進行を食い止める事はできても、風邪そのモノを治せるわけではない。

 そういう事がわかっていないから、例えば風邪をひいた人が必要以上の量の薬を欲しがったり、注射を打って下さいなんて簡単に言ってみたりする人も居る・・・ (^^;
 飲み薬だとなかなか治らない風邪も、注射一本で簡単に治ったりしますが、「病は気から」ということばもあるように、心持ちしだいで症状なんてどうにでもなるものです (^^;


 そもそも「薬」と名の付くモノに、体に良いものなんてあり得ない。
 なぜなら「薬」と「毒」は、基本的に同じものだからだ (^^;


 ウイルスなどの抗体にダメージを与えるものなら、人体にだってダメージを与えると考えるのが普通だ。
 実際に「薬」は人体にダメージを与えるから、用法や用量を誤ると、症状を良くするどころか、とんでもない事にもなりかねない・・・


 だから、私はなるべく「薬」は利用しないようにと思ってはいますが、実際には私も「薬」を多用している一人です・・・ (^.^; ポリポリ

 日常的に、一番良く利用している薬は「目薬」です (^^;
 仕事がら、目が疲れる事も多いので、車の中には常に目薬があります。愛用しているのは「サンテFXネオ」 (^^)v  注した時のあの爽快感がたまりません(笑い)
 信号待ちなんかをしている時に取り出して目に注す事も少なくありません。信号待ちをしている時に手にしているのは、デジカメだけではないのです (^^)v
 この時期だと、花粉症対策に「アルガードクールEX」も併用しています (^^;

 あとは、お腹の調子が悪い時に飲むための「正露丸」・・・ (^^;
 具合が悪いからといって、そう簡単にトイレがあるわけでもありませんし、そうなる前に、おかしいなと思ったらすぐに口に入れられるようにと、これも車に常備しています (^^)v
 別に、胃腸が弱いとかいうわけではありません (^.^; ポリポリ
 私くらいの世代だと、赤チンとか正露丸とかは、万能薬みたいなところがあるんですよ (^◇^) 。。。ケラケラ
 赤チンは外傷に、正露丸は体の中に効く万能薬です (^^)v

 そういえば、昔は赤チンは定番の薬でしたが、いつの頃からか全く見かけなくなりました・・・ (^^;
 やっぱ、見た目が悪いからなのかな(苦笑)


 まぁ、なんにせよ、「薬」なんて利用しないに越した事はないんですがねぇ・・・ (^.^;

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2008年3月 3日 (月)

雛祭り・・・

 今日は、雛祭りという事で、女の子のお祭りの日という事になっています。


 実は、私のいとこに3月3日生まれの男性が居ます (^^;
 幼なじみですから、昔からよく一緒になって遊んだのですが、なんというか、無口でおとなしくてね、外見ナンかもチョッと見ると女性と言われても違和感なく通ってしまいそうなほど優しそうな顔立ちをしていて・・・ (^.^; ポリポリ

 やはり、雛祭りの日が誕生日というのが少なからずナニか影響しているんだろうかと思ったりもしています・・・ (^^;

 一方、実家の近所に、5月5日生まれの女性が居まして (^^; 、こちらもトシが一つ下で妹の同級生という事もあってよく一緒に遊んだのですが、ナンというか、とても活発な女性でした (^.^; ポリポリ
 昔風に言うと、オテンバというんですが、声も大きいですし、いつも外で元気に遊んでいました (^.^; ポリポリ

 う~ん、やっぱ、誕生日というのは侮れないのかなぁと・・・(爆笑)


 皆さんの知り合いに、3月3日生まれとか、5月5日生まれの人は居ませんか?

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2008年3月 2日 (日)

掃除

 以前、掃除は苦手だという記事を書いた事があります (^.^; ポリポリ

 でも、プライベートならともかく、仕事でならそんな事は言ってられませんよね(苦笑)


20080229001 20080229002 20080229003


 これらは、街で見かけた、お店の掃除をしているところを撮ったものです (^^)v
 いずれも、開店前などに、前の通りやお店の建物などを掃除をしているところです。

 掃除の効用というのは、単にお店やその周囲がキレイになるというだけのモノではなく、そこで働いている人達の気持ちもリフレッシュしてくれるんですよね (o^∇^o)ノ
 仕事に愛情がなければ、掃除だって身が入らないでしょうし、真ん中の写真のように、楽しそうに掃除をしている女性たちが働いているお店だったりすると、なんとなくステキなお店ナンだろうなぁと思えるわけですよ。
 だって、コレから仕事が始まるわけでしょ、その前に笑顔で掃除をしているワケですから、おそらくお店も仕事も、彼女たちには楽しくてしょうがないんでしょうね (o^∇^o)ノ

 また、ラーメン屋とか定食屋ナンかですと、店構えや調度もどことなく薄汚いお店の方が美味しいお店が多いとか言われたりもしましたが、ひと昔前ならともかく、もうそういう時代は終わったと思います(笑い)
 私は、今はそういう汚いお店で飲食をしたいとは思わなくなりました。お店が汚いという事は、そこで調理している料理人のレベルやでき上がった料理も、店に見合ったモノでしかないというのが私の持論です。
 つまり、汚い店では美味しい料理ナンてできないという事です。

 飲食店だけではなく、例えば窓や床が汚い美容室だったりしたら、そこの美容師もロクな仕事はできないという事で、これはおそらく間違ってはいないだろうと私は思っています。

 お店や会社は、そこで働く人達の心を如実に写し出す鏡なのではないかとも私は思っています。

 「破れ窓理論」という考え方があります。
 「小さなことをおろそかにしてはいけない」という事で、建物の窓ガラスが1枚割れているのをそのままにしておくと、やがて他の窓ガラスも次々に割られていき、やがては建物そのモノが荒れ果ててしまうというモノです。
 ゴミが一つ落ちているのをそのままにしておくと、そこはやがてゴミでいっぱいになってしまうでしょう。


 これは、掃除だけに限った事ではないのではないかな。

 よく、人は外見で判断してはいけないなどともっともらしい事を言ったりしますが、私はそうは思いません。
 だらしのない服装をしていたら、中身もそれ相応のだらしのない人間だと私は思っています。
 心の乱れは、必ず外見に表われるものです。

 また、形から入るということばもよく聞かれます。スタッフがキチンとした服装をしており、掃除の行き届いたキレイなお店なら、そこはまず間違いのない仕事をしていると思って間違いないんじゃないのかな (^^)v

 だいたい、だらしのない格好をした人間が、マトモな仕事などできるわけないじゃないですか (^◇^) ヒャッヒャッヒャ・・・

 そもそも、だらしのない格好のまま仕事をしているなんて、仕事や客をなめている証拠でしょ、ふざけるなと言いたいですよ(怒り)

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2008年2月28日 (木)

いたずら

 私は、幼い頃から、とにかく好奇心の旺盛な子供でした・・・ (^.^; ポリポリ


 見た事が無いものに接すると、とにかくナニがどうなっているのか知りたくて、そうなると衝動はどうにも止まらなくて、例えばブリキのオモチャの車とかを買ってもらうと、最初のうちはおとなしくそれで遊んでいるのですが、すぐにバラバラに分解してしまって、中に入っているはずみ車ナンかを取り出してコマにして遊んだりと、そんなアホな子供でした(苦笑)
 親父ナンかは、買ったその日に哀れな姿になってしまったオモチャを目にして、もう二度と買ってやらないと何度言っては怒った事か・・・ (^.^; ポリポリ
 でも、長男の私にはトコトン甘い親父でしたから、舌の根も乾かないうちに新しいオモチャを買って来ては、また同じ事の繰り返しでした (^^;


 そんな私でしたから、幼い頃は好奇心が高じて、冗談では済まされないような「いたずら」はよくやったものです・・・ (^^;

 今でも私の記憶に残っている大きないたずらは、5才の時に「はとバス」で都内観光をした時の事、私が座った席は非常扉の設置してある部分だった事もあり、扉のそばに付いている赤い部分に触っているうちに大きな音でベルというかサイレンというか、とにかく非常装置が作動して、運転手が慌てて車を止めて対処した事がありました (^^;
 突然鳴り出した大きな音に、車内は半分パニックで・・・ (^.^; ポリポリ
 この時は、運転手に親は怒られていましたねぇ (^^;
 私はというと、何が起こったのか理解できずに、目を丸くしているだけでした (^◇^) 。。。ケラケラ


 また、同じ頃、社員旅行で熱海に行った時の事、親たちは大広間で宴会をしていましたが、子供の私には退屈なだけの時間でしたから、こっそりと抜け出してホテルの中の探検を始めました(^^)v
 なにしろ、ホテルなんて初めて泊まった事もあり、見るもの全てが興味津々で、トイレなんて水洗でしょ、見た事もないワケですから何をどうして良いのかもわからず、探検しているうちに、個室に入り、いろいろいじっているうちに、扉の内鍵を中からかけてしまい出られなくなってしまいました (^.^; ポリポリ
 そうなると、子供ですから泣くしかできないわけで、そのウチに私が個室で泣いている事に気付いた誰かが騒ぎ出して、宴会は中断、皆トイレに集まって、ああでもない、こうでもないと私の救出作戦が開始されました (^◇^) ヒャッヒャッヒャ・・・
 表では、ああしろとかこうしろとかいろいろと私にアドバイスをするのですが、5才の子供には言っている事がなかなかわからなくてね、お手上げでした・・・ (__;)
 そのうち、冷静な誰かが隣の個室に入って、内鍵の構造をよく見て、私に同じようにやってみろという事で、隣から細かに言ってくるわけですよ。おかげで無事に脱出は成功しましたが、宴会はしらけてしまって、そのままお開きになってしまったと記憶しています。
 私は親に怒られるし、親は周りからしつけが悪いと責められるしで、散々な社員旅行になりました・・・って、私にはそんな認識はありませんでしたが・・・(苦笑)


 この頃のいたずらの極めつけは、床屋さんごっこでしたかね (^.^; ポリポリ
 妹を相手に、床屋さんの真似事をして、ハサミで妹の髪の毛をジョキジョキと切ってしまった事がありまして、切っている途中で母親に見つかって、死ぬほど殴られましたっけ・・・ (^^;
 挙げ句に、表の木に縛り付けられて、半日泣いていました・・・ (^.^; ポリポリ
 あれは、今思い出しても堪えましたねぇ・・・ (^^;
 もちろん、仕事から帰宅した親父にも、後でしっかりと怒られましたっけ・・・ (__;)
 幼い頃の事とはいえ、妹にはホントに気の毒な事をしました・・・ (^^;  


 私がそうだったのでよくわかるのですが、子供が静かにしている時はたいていロクな事はしていないものです (^◇^) ヒャッヒャッヒャ・・・
 子供心にも、イケナイ事をしているという認識があるので、見つからないようにと静かにコトを行っているに過ぎません(爆笑)
 やんちゃにしていた子供が、急に静かになったら、ナニか怪しいと気がつかないといけません (^◇^) 。。。ケラケラ

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2008年2月27日 (水)

旧友

 昨日の昼過ぎ、仕事中の私の携帯に会津若松に住むから電話が入った・・・
 今時分、何だろうと思って電話に出ると、私のこのブログを読んでいて事故の事を知り、心配してかけて来たものだった・・・ (^.^; ポリポリ


20080227003_2  去年のお盆に帰省して、会津若松の居酒屋に皆で集まった時に、手作りの名刺を配ってブログをPRしてきたので、それで時々覗いてくれているらしい (^.^; ポリポリ

 まぁ、このブログは、私の生存報告みたいなところもあるので、記事がアップされている限り、生きているという事で・・・ (^◇^) 。。。ケラケラ


 とは、喜多方高校の1年の時に同じクラスになって以来の付き合いで、3年間ブラバンで一緒だった・・・
 その後も、バンド仲間として長い付き合いをさせてもらっています。という事は、もう30年以上の付き合いか・・・ (^^;


 でも、オフで知り合った方々と違って、私の事を、裏も表も知り尽している「旧友」がこのブログを見てくれているというのは、嬉しい反面、やはり照れ臭いですねぇ・・・ (^◇^) ヒャッヒャッヒャ・・・
 私の素顔は、誰も知らないという前提で書いている記事も多いですから・・・ (^_^ゞポリポリ


20080227001_2  20080227002_3


 この写真は、正確な日時は記憶にありませんが、25~26才の頃のモノだと思います。 ポプコンの県大会に出るための練習をしている時に撮ったもので、から、ギターの、ドラムの、そしてベースのσ(^-^; です。
 次の写真が、カメラ目線のです(笑い) ギターとボーカルを担当していました。




20080227004 20080227005


 会津若松には、の他にも喜多方高校時代の友人が何人も居ます(^^)v
 やはり彼等も、喜多方高校の同級生で、同じブラバン仲間であり、バンド仲間です o(*^▽^*)o~♪

 これらの写真も、同じ頃に山形蔵王にスキーに行った時に、ロッジで休憩した時に撮ったものです。

 最初の写真が、から、Bの奥さん (^^; 、後輩の、そしてσ(^-^; です。

 次の写真は、から、、σ(^-^; 、Bの奥さんで、以外は皆同級生です(^^)v  もちろん、全員喜多方高校出身です。
 ちなみに、はドラム、はギターとボーカル担当でした(^^)v

 私以外は、スキーは皆お手のモノですが、私の場合は「曲がらない」「止まらない」ですから、皆と一緒になってリフトで頂上まで行った時には、下まで下りてくるのがたいへんでした (^^;
 私が下のロッジまで下りてくる間に、皆は2本とか3本とか滑っていましたから・・・ (^^;
 この時は、ウェアはBからの借り物、用具はスキー場でレンタルでした。もちろん、私以外は皆自前の用具を持って行きました。


20080227011 これは、81年のお正月に、Mの自宅に集まった時の写真です。
 いつものメンバーで、背中を向けているのが、中央が、ベースを弾いているのがです。
 私が会津に居た頃は、大晦日から元旦にかけて誰かの家に集まって、ゲームをしたり、このように歌を歌ったりと、ワイワイと大騒ぎしながら年越しをするのが毎年の恒例行事でした(^^)v
 日付が替わって、元日になったら、その足で皆で揃って鶴ヶ城に初詣に行くんですよ。
 暗いうちもありましたし、明るくなってからの事もありました。お酒が入っているので、雪道を危ない足取りで・・・ (^.^; ポリポリ
 雪国ですから、積雪があったりすると車を停める場所も限られていますから、皆歩いてお参りに行くのが常なのですが、当時は本当によく歩きましたねぇ (^.^; ポリポリ


 勝手に皆の写真を全国公開してしまいましたが、怒られるかな~・・・ (^^;



20080227006 20080227007


 また、こんな写真もあります(笑い)
 81年の5月に、4人で那須にドライブに行った時に撮ったものです。という事は、全員22~23才の時という事で、やっぱ若いですね(爆笑)
 から、σ(^-^; 、です。

 次の写真ですが、この時に那須で知り合った女性のグループと一緒に撮ったものです (^_^ゞポリポリ
 場所は「殺生石」という事で、ムードもナニもあったモンじゃありませんが・・・ (_ _)ノ彡☆ギャハハ!!! バンバン!!!

 この頃の私は、体重が50kg、ウエストも70cmと、今の私からは想像もつかないスリムな体型をしています (^^;
 スリムというよりも、骨と皮だけみたいなガリガリだったので、夏は半袖になるのが恥ずかしかった頃です (^.^; ポリポリ
 今じゃ、体重は5割増、ウエストは2割増ですから、体が重くて・・・
 (x_x)☆\(- -



 おい、~、おまえ、仕事がらオレなんかよりもパソコンに詳しいんだろ、HPかブログ持ってないのか~?
 メルアドも教えてくれないくらいだから、持っていても内緒かぁ (^^;
 あんまり、水臭いじゃないか・・・(笑い)

 心配させちゃったみたいだけど、電話有り難うね~ (o^∇^o)ノ
 ゴールデンウィークには、また集まって飲もうよ、そんときゃ、よろしくね~ (o^∇^o)ノ

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2008年2月19日 (火)

本の虫

 私は、子供の頃から本が大好きで、本さえあれば何時間でもおとなしく過ごせるので、そういう意味では手間のかからない子供でした (^.^; ポリポリ


 ごく幼い頃の3年間、私は父の仕事の都合で、神奈川県の宮ヶ瀬に住んでいた事があります。昔の宮ヶ瀬大橋のたもとに住んでいた事もありますが、丹沢などの山の中で暮らした事も多かったので、周囲に友だちが居なくてね、その頃の友だちは父が買い与えてくれる「本」だけでした・・・
 本といっても、3才とか4才とかの頃の事ですから、当時でいえば「よいこ」とか「幼稚園」とかの幼児向けの雑誌です (^.^; ポリポリ
 でも、他にやる事もないので、日がな一日同じ本を読んでいるわけで、付録に付いていたひらがなの五十音表や、その他の学習教材もどきの遊具で遊んでいるウチに、その頃にはすでにひらがなやカタカナは、拾い読みではなくて普通にスラスラと読めるようになっていました (^.^; ポリポリ


 そうなると、そういう雑誌では物足りなくなり、古紙回収のオジサンのリヤカーから、隙を見てこっそりとマンガ雑誌を失敬したりした事もあります(^^;
 その時のマンガというのが、手塚治虫の「アトム誕生」で、今でもよく覚えています。

 当時のマンガというのは、とても手をかけて作られていて、フキダシの中の漢字にはいちいちルビ(ふりがな)がふってありましたから、ひらがなやカタカナが読めさえすればマンガを読む事は可能だったわけです。

 そんなわけで、「よいこ」や「幼稚園」ナンて雑誌とは早々にサヨナラして、5才当時のお気に入りは「少年」という漫画の月刊誌や「週間少年マガジン」でした(^^;


 小学校に入ると、国語の授業ナンかでよく朗読をさせられました。教科書をスラスラと流暢に読む私は、先生のお気に入りだったようで(^◇^) 。。。ケラケラ

 また、小学校には図書室というモノがあったので、私の好奇心を十分に満たしてくれる夢のような場所でした。
 読みやすいものから手当たりしだいに借りて読み、田舎の小学校の小さな図書室ですから、卒業するまでの6年間に、辞書みたいなモノは別にして、ほとんどの本は読み切ったと思います(^^)v

 低学年の頃にはただ借りて読むだけの普通の児童でしたが、高学年になると、部活動がありましたから、私が入ったのは図書部・・・ (^^;  以後、卒業まで図書部に居ました。
 で、6年生になると部長を任されまして、そうなると職権濫用で、一度に10冊とかまとめて借りるとか、「禁帯出」とラベルの貼ってある、原則持ち出し禁止の本を家に持ち帰るとかの悪さを繰り返してやりたい放題でした(爆笑)
 で、そのうちに先生に見つかって大目玉をくらった事もあります(爆笑)

 そんなこんなで、高校の頃までは、けっこういろんな本を読みました。
 でも、社会人になると、イッキに熱が冷めて、それまでほどには活字は読まなくなりましたが、映画とかドラマとかに刺激されて、山本周五郎の「樅ノ木は残った」とか山岡荘八の「徳川家康」、吉川英治の「三国史」などの時代物や、「猿の惑星シリーズ」や「復活の日」などのSFモノを中心に、思い出したようにのめり込んだりする事も少なくありません (^.^; ポリポリ

 最近でこそ、めったに文学的な本は読まなくなりましたが、もしかすると、私が読むはずだった一生分の本をすでに読んでしまったからなのかも・・・(苦笑)

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2008年2月15日 (金)

あしたでも・・・

20080212001


 これは、風香さんという方がお作りになった詩で、題名は「あしたでも 百まででも」というものです。
 私は、永六輔の「誰かとどこかで」というTBSラジオのミニコーナーでこの詩を知りました。

 短い詩ではありますが、実に内容の濃い、重い詩だと思います。

 けっこう、賛同する方も多いのではないか・・・


 私も、基本的には風香さんの思いと一緒ではありますが、ただ、百まで生きたいとは思ってはいません (^.^; ポリポリ
 私風に言うならば、「あしたでも 今この時にも」・・・かな(笑い)

 人間、1秒先も1分先も、「今」の延長で同じように生きていると思っている人がほとんどだと思いますが、ホントのところ、その保証はどこにもありません (^^;
 偶然に偶然が重なって、たまたま生き延びていられるだけにすぎません。

 でも、誰もそれを有り難いだなんて思っていないんじゃないかしら・・・
 1秒先、1分先にも、自分が生きている事は当たり前の事だと・・・

 でも、よく考えてみて欲しい・・・
 人間は、いつか必ず死ぬんですよ。
 これだけは間違いのない事で、誰もそれから逃れる事はできないワケで・・・

 それは何年も先の事かもしれないし、もしかしたら次の瞬間かもしれないわけでしょ (^^;
 今まで生きてこられたから、明日も生きていられるだろうナンて考えは、ハッキリいって甘いと思います。

 まぁ、そんな事言ったら、人生、夢も希望も無くなってしまいますが・・・ (^◇^) 。。。ケラケラ


 ・・・で、私なりにこの詩を言い換えると・・・


20080212002


 こんな感じになるのかな・・・ (^.^; ポリポリ

 いつ、人生の終わりを迎えても、やり残した事や思い残すことの無いように・・・ (^^)v


 ただ・・・
 「明日できる事は、今日やらない」というのも、ズボラな私のモットーではありますが・・・ (^◇^) ヒャッヒャッヒャ・・・

 言ってる事が180度違うか・・・ (。_°☆\(- - )

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2008年2月12日 (火)

無礼な電話

20070912003  今時、電話の無い生活なんて考えられない・・・
 自宅にある、固定電話はもちろん、携帯電話が信じられない勢いで普及して、今や個々人がどこにいても、電話で話しをする事が出来る・・・

 しかし、便利さが当たり前になってしまって、「電話」というモノがどういうモノなのかを、いまさら深く考えた事など無いのではないだろうか・・・


 私は、電話がかかってくる度に、よく思う事がある・・・
 この「電話」というヤツは、ナンて「無礼」「失礼」な奴なんだろうと・・・ (__;)

 おそらく、この世の中で「電話」ほど「礼儀しらず」「無礼」な輩は存在しないのではないかと私は思っています。


20080212011  当たり前の事ではありますが、「電話」というモノは、話しをしたい相手にダイヤルする事から始まります。
 今はもう、この「ダイヤルする」ナンてことばさえ死語になっているのかな(苦笑)
 でも、相手の番号をプッシュするというのもなんだかおかしな表現だ (^◇^) 。。。ケラケラ

 とにかく、何か用事があって電話をかけるわけですが、この行為はあまりにも一方的過ぎるのではないか・・・ (__;)
 電話を受ける相手の都合など一切考えてはいない。ただ、かけ手が「今」話しをしたいからという「かけ手」側の都合だけで成り立っている・・・ それが電話だ。

 今、かけようとしている相手がどのような状況であるかなんて気にして電話をかけている人はほとんど居ない。
 もしかしたら、先方はお風呂に入っているかもしれないし、トイレに座っている真っ最中かもしれない(爆笑)
 あるいは、お気に入りのドラマを見ている時かもしれないし、美味しい食事ができて食卓に並べられ、いただきますという事で口に入れたその瞬間かもしれないけれど、そういう「受け手」の都合は全く考えてはいない。
 いきなり突然に容赦なく、電話のベルが鳴る・・・ (^^;
 もちろん、中にはかかってくる事があらかじめわかっていて、今か今かとベルの鳴るのを待っている場合もあるかもしれないが、たいていはナンの前ぶれも無く、突然に電話のベルが鳴るのが普通だ・・・ (^^;


 それでも、電話が一般の家庭に普及し出した頃には、かけ手側にもある程度のマナーがあった・・・
 あまり遅い時間だと、もう先方が休んでいるかもしれないとか、そういう「気遣い」があったものだ・・・
 だから、深夜とか、あるいは早朝なんかに電話のベルが鳴ると、緊急の用事という事で、何かあったのではないかと受け手もそれなりの心の準備をして電話に出たものだった・・・ (^^;

 また、固定電話しか無かった時代は、誰が電話に出るかわからないから、かける方もそうそう無茶な事はできなかったわけですが、携帯電話の普及がそういうかけ手のマナーを根こそぎぶち壊してしまった・・・ (ノ_-;)ハア…

 携帯の番号の先には、目的とする相手しか存在しないわけだから、お互いが了解していれば深夜だろうが早朝だろうがお構いなしで電話をかける事ができる。

 ところが、この「いつでも」、「どこでも」かける事ができるというメリットが、電話の「無礼」にさらなる拍車をかけてしまった・・・ (__;)
 携帯電話を持っている人は、私もそうですが、たいていどこに行くにも携帯電話を肌身離さず持っています (^.^; ポリポリ
 外出する時はもちろん、家の中に居てさえ、お風呂場だろうがトイレの中だろうが、いつ電話がかかってくるかわからないので手放せないのです (^^;

 便利な反面、とにかく無礼な事このうえない・・・ (__;)
 少しはオレの都合も考えてくれと言ってみたくなる・・・(苦笑)



 ところで、皆さんは「テレビ電話」をどう思いますか?
 私が子どもの頃から、夢の電話として紹介されていて、皆さん方の中にも憧れている人も多いんだろうけど、私はこのテレビ電話は否定派です (^.^; ポリポリ
 こんなモノ、ビジネスでならともかく、一般の家庭には普及はしないだろうと (^◇^) 。。。ケラケラ

 他の人はどう思っているか知りませんが、「テレビ電話」ですからねぇ、話している相手の顔が見えるわけですよねぇ・・・ (^^;
 いつもいつも完璧にメイクしているわけでもないだろうし、寝ているところにかかって来たらスッピンで電話に出なければならないワケですよね(爆笑)
 しかもパジャマなどのナイティを着た姿で・・・ (^^ゞ
 浮気の最中だったら、絶対に電話には出られませんよね(苦笑)
 お風呂に入っている時にかかって来たら、どうするんでしょうかねぇ・・・
 まさか裸で出るわけにもいかないだろうし・・・
  (_ _)ノ彡☆ギャハハ!!! バンバン!!!

 第一、私の部屋ナンかとても他人サマにはお見せできませんよ、恥ずかしくて・・・ (^◇^) 。。。ケラケラ
 そうでなくても、どこの誰かわからない人に、平気で部屋の様子を見られてしまう危険性もあるわけで・・・ (^^;
 もしかして、間違い電話やセールスを装ったストーカーかもしれないし・・・ (^^;;;

 電話は、声だけでつながっているから、安心して出られるという事もあるんじゃないかな。私は、電話に画像なんて要らないと思いますよ (^.^; ポリポリ
 好きな人に電話をかけて、プライベートのだらしない姿を見て、夢が壊れるナンて事だってあるかもしれないでしょ (^◇^) 。。。ケラケラ

 「テレビ電話」だと、いつかかってくるのかもわからない電話に、プライバシーを完全に侵害されちゃいますよね (^^;
 その点、かける方はイイですよね、準備万端でダイヤルできますから(笑い)


 本当に、「電話」ほど「無礼」「礼儀しらず」な奴は、この世の中に存在しないのではないか・・・


 セールスの電話ナンか、「無礼」とかを通り越して、「迷惑」ですよね (^◇^) ヒャッヒャッヒャ・・・

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2008年2月11日 (月)

燃えない器

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 これは、私が時々食べる、アルミ鍋で作るうどんの一つですが、こういったうどんとかの他にも、一人用の鍋とかがコンビニなんかでも売っていて、手軽で重宝なので、晩酌のお友にと買って来る事もあります。


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 その調理方ですが、商品に付いている「アルミ鍋」に一定のお水を入れて、このように直接コンロにかけるワケで、でき上がったら火から下ろしてそのまま器として食べる事ができるので、まことに便利で、お手軽な商品です (^^)v


 しかし、皆さんは不思議に思った事はありませんか?
 なぜ、このアルミ鍋は燃えてしまわないんだろうと・・・ (^^;

 そりゃ、アルミ鍋だから、薄くても燃えないんだろうとか思っているとしたらチョッと甘いです(笑い)
 このような商品には、必ず「鍋の空炊きは、容器に穴があきますので絶対にしないで下さい。」と書かれているのが普通で、実際に食べ終わった後のアルミ鍋を火にかけてみるとおわかりだと思いますが、火に当たった瞬間にアッという間に穴が空いてしまいます・・・ (^^;

 でも、それならばなぜこのアルミ鍋で調理ができるのでしょうか・・・

 それは、鍋の中に水が入っているから・・・ という事になります (^^)v


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 これは、別にアルミ鍋でなくても、紙コップなどでも同じで、紙コップに水を入れて直接コンロにかけても、コゲはしますが燃えたりはしないで、ちゃんとお湯になります・・・
 ただ、弱火で・・・という条件の下で・・・ですが (^^;
 強火だと、燃えはしませんが、焦げたところから穴が空いてしまいます (^^;


 モノが燃えるためには、「燃える物」「酸素」が有り、その上で「発火点」まで温度が上昇する事が絶対条件になります。
 つまり、このうちのどれか一つでも欠ければモノは燃えないという事になるワケで・・・

 先のアルミ鍋や紙コップの場合ですと、「燃える物」と「酸素」はあるのですが、「発火点」まで温度が上がらないから燃えないで調理ができるという事になります。

 水の沸点は100度であり、これ以上はいくら温めても温度が上がる事はなくて、水蒸気となって蒸発していくだけです。
 つまり、水に接している部分のアルミや紙は、いくら火にかざしても、熱は水に吸い取られて蒸気となって空気中に拡散してしまい、発火点には達する事がないので「燃えない」のです。ちなみに、紙の種類にもよりますが、紙の発火点は、およそ300度前後だという事です・・・


 紙コップでお湯が沸かせるなんて、考えた事ありましたか(笑い)

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2008年2月 9日 (土)

ダメな医院

 今朝、事故で受けたケガの診察という事で、整形外科に行ってきました。

 最初運ばれたのは、事故を起こした現場に近い江戸川の病院だったので、診断書とかはそこでもらって来るしかなかったので、あの雪の影響の残る月曜日に、大渋滞の中行ってきたわけですが、成田から通院するには遠すぎるので、紹介状を書いてもらって地元の医療機関にかかろうと思って、今日はその2回目・・・


 9時の受付開始前に駐車場に車を停め、受付を済ませて待合室で待たされること1時間以上・・・ (ノ_-;)ハア…
 まぁ、医者なんてどこでもこんなモノなんだろうが、10時過ぎにやっと名前を呼ばれて診察室へ・・・ (^^;

 先生の前の椅子に座って問診を受けること二言三言・・・
 「その後、どうですか・・・?」
 「だいぶいいんですよ、痛みももうほとんどありませんし・・・ 気にすれば痛いかなぁと思えるくらいで・・・」
 「そうですか・・・ で、どうなさいます? 何か要望はありますか? 薬とか・・・」
 「もう、大丈夫だとは思うんですが、念のために貼り薬だけお願いします・・・ 前の病院で頂いたものもほとんどないので・・・」
 「わかりました・・・ で、次回はどうなさいますか? 今日で終わりでもこちらとしては構わないんですが・・・」
 「でも、念のため、一週間ほどしてから、もう一度見てもらいたいのですが・・・ (^^; 」
 「わかりました、じゃ、来週お出で下さい。 お大事に・・・」

 こんな感じで、私の体に触れるワケでもなく、簡単な会話だけでお終い・・・
 診察室に入ってから3分も経っていないぞっと (^^;
 まだ、カップラーメンもできない時間だ (^◇^) 。。。ケラケラ


 しばらくして、名前を呼ばれ、処方箋を受け取って医院を後にして、薬局から貼り薬を受け取って自宅に帰りついても、まだ11時前・・・ (^^;
 診察室に入ってから自宅に戻るまで、1時間も経っていない計算です (^^;;;

 典型的な、医療機関だな・・・ (^.^; ポリポリ


 ところで、タイトルの「ダメな医院」ですが、この長~い待ち時間や、短すぎる診察時間とかの事を言いたいのではなくて、1時間以上待たされている待合室で、ヒマを持て余している時に、思ったことです (^.^; ポリポリ

 病院の待合室とかには、たいていいろんなお知らせが壁などに貼り出してあります。そんな中の1枚にこんなポスターがありました・・・ (^^;


20080209001


 花粉症に対する告示ポスターで、なるほどと思って内容を読んでいるウチに・・・

 な・・・ ナンだ! コレは~!!!
  (゚◇゚;)・・・


 ポスターの下の方に、日本の地図が描かれており、桜前線ならぬ、スギ花粉の飛散量の予想が紹介されています。
 しかし、そのタイトルはというと・・・

 「2003年春の花粉予想」・・・ (^^;

 バカにするなよ、いったい、今、何年だと思っているの・・・ (ノ_-;)ハア…
 こんなモン貼り出しておいて、ナンの役に立つというのだろう・・・(怒り)

 ・・・で、さっそく受付の男性事務員を呼び出して、クレームの開始です (^◇^) 。。。ケラケラ

 「あのさぁ、ナンのためにこんなモノ貼ってあるの?」
 「・・・はぁ?・・・」
 「こんなモノ貼って、いったいナンの役に立つの?」
 「花粉症の人に対していろいろと役に立つと思いますが・・・」
 「でもさぁ、これ、5年も前のモノでしょ、こんなんじゃなくって、どうして今年のモノを貼らないの、怠慢だと思うなぁ、やる気ないんじゃないの?」
 「いや、(ムッとして)やる気はありますよ、これしかないんですよ」
 「バカ言ってんじゃないよ、その気になれば、こんなモンいくらでも手に入るでしょうが・・・ この年にしか作ってないわけじゃないでしょ、似たようなものは毎年作っているんじゃないの?」

 ・・・という事で、院長に伝えておきますという事で事務室に戻って行きました・・・(笑い)

 よく見ると、全体的に色も褪せているし、平気でこんなモノを貼り出している神経がわからない・・・
 仕事に対して愛情も熱意も無い証拠だ。事務員やナースたちが何人も居るのに、誰もこういう事に疑問とか違和感とか感じないんだろうか・・・
 いずれにしても、こんな役立たずの従業員しか居ない医院は、ダメだと思うなぁ・・・ (__;)

 もしかしたら、気づいた人は居るのかもしれませんが、そういう事を上に言えない雰囲気があるとすれば、それはそれでダメな企業だと思うし、そういう報告を聞いていながら何もしようとしないのであれば、もうこれは論外です。 

 あえて医院の名前は挙げませんが、成田市内には整形外科の開業医は何軒も無いので、三里塚に住んでいる私の近所の医院と言えば1軒しかありませんから、わかる人にはわかると思います・・・ (^.^; ポリポリ


 これに限らず、期間が過ぎたポスターとかをいつまでも貼ったままのお店ナンかをよく見かけます。気が付いた都度、お店の人には注意するのが常ナンですが、その反応というか、対応は様々で、見ているとおもしろいですよ (^◇^) 。。。ケラケラ
 その人の人間性や、雇っているお店の程度もわかりますから・・・ (^^;

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お金と幸せ

 人は、「お金持ちになりたい」と思ったり、口にしたりする事がよくあります。
 また、「お金が無いから不幸だ」と嘆く人も居たりします。

 単純に、お金があればナンでも買えるし、贅沢もできるから、お金持ちは幸せな人生を手にしているようにも思えなくもない・・・
 だから、人は誰でもお金が欲しい、金持ちになりたいと思うのだろう・・・

 でも、「お金」と「幸せ」の間には、ナンの関係もないんじゃないのか?

 むしろ、私は「お金はあればあるほど、人は不幸になる」という持論を持っています。

 もちろん、お金が全く無ければ生活ができませんから、衣食住に関わる最低限のお金は必要ですが、問題はそれを超えるお金の事です。


 「ALWAYS 三丁目の夕日」ナンて映画が話題になり、続編まで作られるヒットになった事は記憶に新しい。
 私も、昭和30年代を生きた一人だから、あの頃の生活はよく覚えています。
 確かに、国中が貧しくて、その日その日を細々と生きているような人々が多かったけれど、モノが溢れている今よりも、人々はずっと幸せで心の豊かな暮らしをしていたと私は思っています。

 お金が無ければ、人々は寄り添って生きていかざるを得ません。
 お互いに助け合って生きていかざるを得ません。


 住んでいる家も狭くて部屋数も少ない・・・
 もちろん、子供部屋なんて夢の世界で、居間のちゃぶ台で勉強をせざるを得ない・・・
 でも、それは悪い事ではないんですよね。家族全員に目が行き届きますから、嫌でも子どもたちの事に目がいくわけで、勉強もわからないところナンか親や兄弟たちがその都度教える事ができるから・・・ (^^)v
 これが、給料が増えて、大きな家に住めるようになって、念願だった子供部屋も持てた・・・
 普通に考えるなら、前の生活よりは幸せになったと思うのでしょう。でも、本当にそうでしょうか・・・ (^^;
 子供部屋ができた事により、子どもたちは学校から帰って来ると、真っ直ぐ自分の部屋に直行してしまって居間には近づかなくなってしまいます。学校でどんな事をしているのか、どんな友人たちと付き合っているのか、勉強の進み具合はどんななのか・・・
 親は子どもの事がだんだんわからなくなっていきます・・・ (^^;
 そのウチに、子供は部屋に鍵を取り付けて、家族が入って来るのを嫌がるようになります (^^;;; 
 もしかして、イジメとか何かの理由で部屋に引きこもったまま出てこなくなったりして・・・(苦笑)
 悪い友達と付き合うようになっても、生活が荒れていても、部屋に入れないから親は気づかずに、やがて学校や警察から電話をもらって初めて子どもの現実を知る・・・
 ・・・な~んて、これは極端な例ですが、まんざらあり得ない事でもなくて、今の親子って、多かれ少なかれこんな感じなのではないでしょうか・・・
 これって幸せな事ですか? 私は、狭い家で、家族が寄り添って生活していた頃の方が、ずっと幸せだと思うのですがねぇ・・・
 だいたい、子供部屋がないと勉強ができないなんて、考えすぎですよ (^◇^) 。。。ケラケラ  子供たちにとって一番必要ないのが「子供部屋」なんじゃないのか(苦笑)
 穿った見方をすれば、子供部屋に追いやっておけば親たちが楽だからそんなモノを与えているんじゃないのかな。
 まぁ、中学生くらいになれば、男女を問わずプライバシーが欲しいと思うものなんだろうけれど、少なくても小学生に子供部屋は要らんでしょ。
 実際に私は小学生まで自分の部屋なんて持っていませんでしたが、勉強するのに困ったなんて思ったことは有りませんでしたよ (^.^; ポリポリ
 まぁ、私は勉強が大好きでしたから、どこででもできたのでしょうが (^◇^) 。。。ケラケラ


 私は、テレビのない生活も知っています (^.^; ポリポリ
 だから、家にテレビが来た時は嬉しかったですね (o^∇^o)ノ
 でも、貧しいから、家にテレビは1台しかない。親も子どもたちも、それぞれに見たい番組はありますからこの時代には「チャンネル争い」ナンてことばも生まれました(笑い)
 結局はお互いに譲り合って、早い時間は子ども向けのマンガを見て、8時くらいからは親が野球とか時代劇とかを見たりするのが一般的だったように思います。
 でも、小さいながらも2台目のテレビを買うゆとりができて、そのテレビを子どもたちに与え、親はモトのテレビで好きな番組を楽しむ・・・
 普通に考えるなら、前よりも便利になって、良かった良かったという事になるのでしょうが、本当にそうなのでしょうか・・・ (^^;
 子どもたちは自分たちの見たい番組を見ようと別の部屋に籠もり、親と子の間に溝ができはじめたのに気づかない。自然と親子の間の会話も減り、子どもの事がわからないようになっていく・・・
 あとは、先のパターンと同じで、「親子の断絶」なんてことばもこの頃は聞かれたりもしました・・・ (__;)
 貧しくても、1台のテレビを囲んで、お互いの事を思いやりながら同じ番組を見て、談笑している生活の方がずっと豊かな生活だと私は考えています。


 また、マイカーなんかも、かつては考えられませんでした。個人で車を持っている人というのは、自営をして商売で使っている車を持っているか、金持ちくらいしかなくて、一般の人達は自転車に乗るくらいがせいぜいでした。
 働いて働いて、やっとマイカーを持った時の喜び・・・ 今じゃそういう気持ちはわからないだろうなぁ・・・ (^.^; ポリポリ
 その1台の小さな車に乗って家族でドライブをする・・・ そういうのがホントの幸せというんじゃないかなぁ(苦笑)
 やがて、子どもも大きくなって、自分で中古車を買って乗り回すようになる・・・
 一家に2台の乗用車なんて、昔は贅沢でした (^^;  だから、普通に考えるなら、1台しか車を持っていない時よりも幸せだという事になるのだろう・・・(笑い)
 しかし、本当にそうなのだろうか(苦笑)
 子どもは子どもで自分の車に乗るようになり、揃ってドライブに行くような事は無くなってしまった・・・
 そのウチに、奥さんまで、買い物には車で行きたいと言いだし、軽自動車を購入・・・
 所有している車は全部で3台になった・・・ すごい幸せな家族だ(笑い)
 でも、行動はそれぞれ違うから、家族の心もバラバラになり、そうこうしているウチに奥さんが買い物の帰りに人身事故を起こしてしまった・・・ (__;)
 車が1台しか無かったら、もしかしてこんな悲劇は起こらなかったんじゃないだろうか (^^;


 さらに言うならば、かつては食事なんて質素なもので、好きなものをお腹一杯に食べる事に憧れた時代もあった・・・
 その頃は糖尿病なんて一部の人達のモノで、「贅沢病」ナンて揶喩された事もあったけれど、飽食の現代では、糖尿病はごく普通の病気になってしまった。私も含めて、「メタボ」と呼ばれ、糖尿病予備軍と言われる人がいかに多い事か・・・ (ノ_-;)ハア…
 これも、国民が裕福になり、好きなものを好きなだけ食べられるようになったからで、それは幸せな事のハズなのに、こうした陰の部分もクローズアップされるようになってしまった。


 お金があれば幸せになれるナンてのは、一種の「妄想」でしかないのではないか・・・

 明確なビジョンがあって、「お金が手に入ったら、○○をしよう・・・」などと考えている人はほとんど居ない。
 せいぜい、マイホームを購入して、イイ車に乗って、海外旅行でもしたいなどといったところが関の山ではないのか (^◇^) 。。。ケラケラ

 そんな心の貧しい人ばかりだから、実際に大金を手にして、お金持ちになったとしても、不幸になる事はあっても、決して幸せにはなれないんだよ。お金を生かすことを知らない人が大金を持っても、そういうのは「猫に小判」と言うんじゃないのか(爆笑)


 宝くじに当たって、高額当選金を手にしても、それで幸せになったなんて報道は聞いた事がないもの(苦笑)
 逆に、醜いお金