2016年10月21日 (金)

人材

 先日、テレビを見ていたら、おもしろいというか、非常に興味深いハナシを耳にしまして、思わず「へ~~ ・・・ 」と (〃⌒∇⌒)ゞ ♪
 
 
 「人材」ということばはよく耳にしまして、会社やチームなど、たくさんの「人」が集まってできる「組織」にとってはとても大事な存在であり、誰しも有能な人材を欲しがりますから、そういう人はどこの組織でも引っ張りだこです。
 そういう「人材」ですが、実は組織の中には4種類の「ジンザイ」が居るんだそうで、なるほどと ・・・  (^◇^;)
 
 一つ目は「人と呼ばれる類の人たちです。
 こういう人は、黙っていても一人でなんでもやってしまうスーパーマンで、組織にとっては財産ともいうべき「宝」です。
 
 二つめは「人と呼ばれる類の人たちです。
 こういう人は、指示された仕事をそつなくこなす、組織にとっては無くてはならない働きバチで、この手の「ジンザイ」が組織には一番多く存在するようです(笑い)
 
 三つめは「人と呼ばれる類の人たちです。
 この手の人たちは、たいした仕事はしない代わりに、大きな失敗をすることもなく、いわゆる組織の中に居るだけの存在で、毒にも薬にもならない「ジンザイ」です (^_^;
 
 そして最後の四つめが「人と呼ばれる人たちで、この手の「ジンザイ」は数こそ多くはありませんが、組織を蝕む最悪の人種ですから、一人でも居ると困った事になります ・・・  (ノ_-;)ハア…
 
 
 私は、さしたる取り得も無い、ただのオヤジでしかありませんから、「人財」にはなり得ませんが、せめてクライアントから必要とされる「人材」でいたいとは思っています (〃⌒∇⌒)ゞ ♪
 
 間違っても、「人在」とか、「人罪」にはなってはいけないなと ・・・  (^◇^;)

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2016年3月23日 (水)

安全運転

 私は職業ドライバーの一人ですから、日常的にハンドルを握ってアチコチを走り回っているわけで、一日の走行距離も、平均200kmくらいにはなります。

 ここ2年ほどは傭車を使う事も多いので、以前から比べれば走行距離はだいぶ少なくなっているとはいうものの、それでも一日平均150kmくらいは走っていますから、一般のドライバーから見れば相当の距離を走っていると思われるかもしれませんが、仕事で走っているわけですから、このくらいの距離ならかなり少ない方だと思います (^◇^;)

 

 ただ、車を運転するという事になりますと、どうしてもついて回るのが「交通事故」という事になるワケですが、誰しも事故を起こしたいとは思っていないはずで、慎重に慎重に運転しているとは思いますが、それでも無くならないのが交通事故という悪夢です ・・・  (__;)

 私自身は、運転は決して上手な方ではなく、どちらかといえば下手な方ですから、そんな私が職業ドライバーになるなどとは全く考えてもいませんでした (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 そんな私ですから、過去には交通事故の加害者になった事も被害者になった事もあるわけですが、20年の運送屋家業で学んだ事も少なくなく、そういう苦い体験から、事故を起こさないテクニックというか、ノウハウを自然と身に付け、日々「安全運転」に勤しんでおります (^^)v

 

 ただ、一口に「安全運転」とは言いますが、様々な注意ポイントがいくつもあるワケで、これこそが「唯一無二の極意」みたいなものは無いわけですが、事故を起こさないように運転する上で、心がけるべき一番大事なポイントを敢えて一つ挙げるとしたら、皆さんなら何を挙げますか?

 人それぞれに思うところもあると思いますから、これが正解というような完璧な答えは無いと思いますが、数ある答えの中から一つだけを挙げるとすると、おそらく多くの方はスピードを出さない事、いわゆる「制限速度を守る事」とお答えになる方が圧倒的に多いのではないかと思います。

 もちろん、スピードが上がれば上がるほど危険は増しますから、スピードを控え、制限速度を守る事も大事な事なのかもしれませんが、私は速度を抑える事よりも「流れに乗る事」の方が、安全運転のためにはずっと大事だと経験から学んでいるので、周りに車が走っていないような時は別として、普通に道路を走っている時には、ことさら速度を控えようとは思っていません (^_^;

 第一、流れを無視して独り善がりなスピードで道路を走っていると、その車自身は事故を起こさないかもしれませんが、交通の流れは著しく悪くなりますから、その車が原因で周りの車が事故を起こす可能性もあるわけで、速度を控えることが即、安全運転をしている事にはならないだろうと私は思っています ・・・  (;^_^A アセアセ・・・

 

 では、私が考えて実行している、安全運転をする上での一番大事な事は何かと申しますと、「車間距離」という事で、私にはこれ以外の答えは考えられません (^^)v

 「車間距離」ということばはよく聞かれますが、文字通り、車と車との距離の事ですから、前方だけの距離の事を指しているわけではありませんで、自車の前後左右、全ての距離が適切でなければ「車間距離」を保っているとは言えないわけです。

 

 車を運転する上で「車間距離」はとても大事である事は、誰もがご存じのはずですが、意外とおろそかにされがちなのも車間距離というもののいい加減なところです(苦笑)

 実際、車間距離をそれほどとらずに走っている車を見かける事はよくある事で、一般道でも高速道路でも、どうしてあれほど前の車にピッタリとくっついて走らなければならないのかと首を傾げたくなるような事は毎度毎度の事です (^^;

 特に、大きなトラックやバスなどの後を走っている時には注意が必要で、決して直後にピッタリとくっついて走ってはいけません。

 なぜなら、大きな車の後ろを走っていると、その車の前方は大きな車体に隠れて見えませんから、思わぬ危険に遭遇する事もあるからです (^_^;

 例えば、交差点に差しかかった時に、前方の信号が「赤」なのか「青」なのか、前を走る大きな車の車体に遮られて見えない事はよくあります。

 そんな時に、大きな車が当たり前のように交差点の中に入っていったので、てっきり信号はなんだろうと思って後について交差点の中に入っていくと、信号はすでにに変わっている事があったりして、ビックリする事があったりします。

 慌ててそのまま交差点を突っ切ろうか、それとも交差点の中に止まっていようか、どちらにしても危険である事には違いないワケで ・・・ (;^_^A アセアセ・・・

 

 また、バスなんかですと停留所で止まる事はよくある事ですから、直ぐ後ろを走っているといきなりウインカーを出して止まり、乗降客がある間は避けようにも身動きできなくなる事もあったりします ・・・  (^◇^;)

 ですから、一般の車の後ろを走る時はもちろんですが、大型車の後を走らなければならない時には、より大きな車間距離をとって走る事にしています。

 そうすれば、ある程度前方の様子もわかりますし、予期せぬ状況に遭遇したとしても、余裕を持って対応することが出来ますから ・・・ (^^)v

 

 また、走っている時はもちろんですが、信号待ちなどで止まる時にも、前の車との距離はある程度空けて止まる事にしています。

 そうしないと、「何か」あった時に、にっちもさっちもいかなくなる事があるからです (;^_^A アセアセ・・・

 「何か」というのは、例えば後ろから追突された時に、ぶつかったはずみで前に押し出されてサンドイッチ状態になり、ぶつけられた愛車の後ろだけでなく、前も破損する事になったりします (^^;

 また、信号が青に変わって走り出そうとした時に、前の車が思わぬトラブルで動かない事も無いわけではありません (^◇^;)

 そうした時にも、前の車との間にある程度の車間距離がないと、車を動かす事ができずに困ってしまう事になります。

 上の例は、二例とも私自身が体験した事で、追突の際には私が真ん中の車でサンドイッチに、信号が青になって走り出そうとした時には、私の車が突然の故障で走り出す事ができず、私の後ろに止まっていた後続車にだいぶ迷惑をかけました ・・・  (^_^ゞポリポリ

 

 かように、安全運転をする上では、「車間距離」はとても大事だと思うようになって今に至ります (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 皆さんも、車を運転する際にはくれぐれも「車間距離」にはご留意ください ( ^-^)/ ♪

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2016年3月11日 (金)

あれから5年

 今日は、東日本大震災の発生から5年目の節目という事で、おそらくテレビやラジオでは特番が組まれるのだろう ・・・

 私は千葉県の成田市に住んでおり、地震による直接的な被害はなかったコトもあり、「もう5年」という意識が強いんですが、おそらく東北にお住まいの方、特に直接的な被災地である福島、宮城、岩手にお住まいの方にとっては、「まだ5年」という思いの方も少なくないのではないかと思います ・・・

 

 あの日 ・・・

 2011年3月11日は、今日と同じ金曜日で、私はたまたま自宅で家内とくつろいでいたのですが、いきなりアパートが揺れ出したのもつかの間、直ぐに大きな横揺れとなり、家内と共に屋外に飛び出したのですが、いつまでもグ~ラグ~ラと揺れ続ける地震に、家内と二人、身をすくめて成り行きを見守り続けるだけでした ・・・  (^_^ゞポリポリ

 その時の様子は、翌日に「大地震」という記事で語った事があるのですが、アレだけの大地震を体験したのは生涯二度目ですが、事、「恐怖感」という点では5年前の東日本大震災の時よりも、33年前の日本海中部地震の時の方がはるかに恐ろしい思いをしました (^_^;

 なにしろ、震源地の直近で起きた大地震でしたから、その時に目にした光景は今でも目の奥に焼き付いていて思い出すことが出来ます。

 2階の窓の外では、電柱が大きく揺れ、火花を散らしながら電線が切れ、とにかく足元にしゃがむことが精一杯の避難行動でした ・・・  (__;)

 その後、津波が襲ってきて海岸線付近に遠足に来ていた小学生達が波にさらわれたとか、デパートの天井が落ちたとか、鉄道が不通になったとかのニュースが矢継ぎ早に報じられたのですが、あの時は本当に生きた心地はしませんでした ・・・  (^^;

 

 ところで、未曾有の大震災というと、「関東大震災」を始め、過去にいくつも起こっているワケですが、私の記憶の中では「阪神・淡路大震災」「東日本大震災」がどうしても強烈に思い出されるのですが、奇しくも、この二つの大震災が起きた時の総理大臣は、自民党の政治家ではありませんで、前者の時の総理大臣は社会党の村山富市であり、後者の時の総理大臣は民主党の菅直人でした。

 どうして自民党以外の政治家が総理大臣を務めている時に限って大地震が起きるのか、単なる偶然だとは思うんですが、日本国内では自民党が政権の座に座っている時の方がはるかに長いというか、自民党以外の政党が政権を握っていた時の方が例外的なわけですから、その時に限って未曾有の大天災が起きるというのも不思議といえば不思議です (^◇^;)

 どちらの大震災の時も、その後の対応の悪さが原因となって両首相は辞任に追い込まれ、社会党も民主党も政権も失ってしまうワケですから、穿った見方をすれば、「天」が自民党以外の政権を天災を起こして政権の座から追い落としたとも思えるわけですよ ・・・

 まぁ、上は冗談ではありますが、おそらく自民党の連中は口にこそ出しませんが、心の中ではそのくらいの事を思っているんじゃないのかな ・・・  (^◇^;)

 

 それはともかくとして、今日は、嫌でもあの大震災を思い出してしまう1日になるのだと思います ・・・

 あらためて、被災なされた方々には、心からお見舞いとお悔やみを申し上げます ・・・

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2016年3月 6日 (日)

踏み間違い

 3日の早朝、群馬県の高崎市内において、集団登校中の小学生の列に乗用車が突っ込む事故があり、小学1年生の男児が全身を強打して死亡したと報じられた。

 車を運転していた73才の男性は、「アクセルとブレーキを踏み間違えた 」などと供述しているという ・・・

 ハッキリ言って、「またか」と思う事故なんですが、アクセルとブレーキを踏み間違えた事が原因となって起こった似たような事故は後を絶たず、平成25年にはペダルの踏み間違えに起因する事故は、年間6500件もあったそうです ・・・ (__;)

 

 このペダルの踏み間違いによる事故の特徴ですが、75才以上の高齢者が他の年齢層の2~5倍と高い割合となっていまして、多くの方が加齢による老化現象で運動神経等が鈍り、それでうっかりとペダルの踏み間違いをしてしまうのだろうと単純に考えているようですが、それは大きな間違いだと私は考えています。

 中には、高齢者は動作も判断力も低下しているので、車を運転するべきではないなどとおっしゃる人まで出てくる始末で、世論はおおむね高齢ドライバーに対して冷淡だと感じている私がいます (ノ_-;)ハア…

 

 ペダルの踏み間違いに高齢者が多いのには二つの大きな理由があり、一つは彼等の世代はマニュアル車で運転技術を身に付け、長年マニュアル車で道路を運転してきたワケですが、昨今はほとんどの車がオートマチック車になっているので、基本的にアクセルを踏みさえすれば車はエンストする事無しに走り出すわけです。

 そしてもう一つは、これが事故の根本的な理由だと私は考えていますが、車の構造上の問題で、ペダル類の配置が以前とはずいぶん変わっている事が原因ではないかと私は考えています。

 この辺りの事は、3年前にも「タイヤハウス」という記事で嘆いたことがあるのですが、ハッキリ言ってペダルの踏み間違いによる事故は、ドライバーの運転ミスというよりは、自動車メーカーによって作られた「欠陥車」を運転していたから起きたというのが私の持論です。

 と申しますのも、長年運転していて身体に染みついてしまった動作というのは、ちょっとやそっとで矯正できるものではなく、平常時にはアタマで理解してアクセルやブレーキを操作することができますが、反射的にというか、無意識にというか、咄嗟の時には思いとは裏腹に身体が勝手に動いてしまうわけで、慌てて車を止めようと思って強く踏み込んだ右足の先にあったのは、ブレーキペダルではなくアクセルペダルだったというのがこの手の事故の真相だと私は常々考えています。

 

 「欠陥車」と書きましたが、別に機械的な欠陥があるワケではなく、構造上取られたやむを得ない欠陥ですから、リコールみたいな対策が取られるワケでもなく、本来ブレーキペダルがあるはずの位置にアクセルペダルが設けられているという、危険極まりない「欠陥車」が堂々と公道を走り続けており、ペダルの踏み間違いによる事故は後を絶たないという事態を招いています。

 今回の事故でもそうですが、事故の原因を「運転ミス」として一方的にドライバーに押しつけるのは、亡くなった被害者はもちろんのこと、運転していた加害者にとっても「悲劇」という他はないのではないかと私は考えています。

 

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 という事で、写真は上の2枚が最近主流になってしまった、足元にタイヤハウスが大きくせり出し、これによってアクセルペダルとブレーキペダルを大きく左側に寄せて配置された、私が言うところの「欠陥車」の例で、左がワゴンR、右がハイゼットのペダル周りで、下が私が以前乗っていたサンバーの足元です。

 ご覧のように、両者の違いは一目瞭然で、下のような車なら「アクセルとブレーキを踏み間違えた 」などという凡ミスは起こりにくいと思うんですが、上のような不自然な位置にペダル類が設けられている車に乗っていたら、両者をうっかり踏み間違えるミスがあったとしても不思議ではないと思いませんか?

 少なくても、私は踏み間違いがあっても当然だろうと思っている一人なので、こういうクルマは明らかな「欠陥車」だと声を大にして世に問いたいですねぇ q(`o')ブー!!

 

 こんな欠陥車を製造した自動車メーカーはどうして糾弾されず、責任も問われないのでしょう ・・・  (ノ_-;)ハア…

 こんな欠陥車を運転していたら、ペダルの踏み間違いによる悲惨な事故は、今後も無くなりはしないだろうと私は思いますねぇ ・・・ (怒り)

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2016年3月 4日 (金)

墨田区横網

     20160304001

 

  昨日、仕事で両国国技館の近所に行って来ました。

 両国国技館の住所は、東京都墨田区横網1-3-28という事になっていますが、写真は、そのそばの清澄通りで撮ったものです。

 

 似たような記事は、9年前にも「両国国技館」という記事で書きましたが、私はこの仕事を始めるまでは「横網」という住所を、「よこづな」だとばかり思い込んでいまして、納品に行った際に「よこあみ」だと教えられて恥ずかしい思いをしたことがあります (;^_^A アセアセ・・・

 

 「両国国技館」と言えば「大相撲」

 そして、「大相撲」には「横綱」が付きものですから、いかにも相撲の街らしい地名だと勝手に思い込んでいました (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 私は、かなりそそっかしいというか、早合点をしてしまう悪いところがありまして、一度こうだと思い込むと、途端に周りが目に入らなくなるところがあります(苦笑)

 こういう失敗も、普通なら笑って済ませるところなんでしょうが、仮にもプロの運送屋が地名を誤読するというのは、例えるならタクシーの運転手が道に迷ってしまうみたいなミスですから、かなりバツの悪い思いをしたものです (;^_^A アセアセ・・・

 

 どうですか?

 皆さんは、写真の地名をご覧になって、「よこあみ」と直ぐに読めましたか?

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2016年2月29日 (月)

ジェネリック

 世に「ジェネリック医薬品」というモノがありまして、特許期限が切れた先発医薬品を基に作られたコピー商品であり、一般には「後発医薬品」という名で呼ばれています。

 元々「ジェネリック」というのは、「一般的な」という意味なんだそうで、「ジェネリック医薬品」とは一般的に広く使用され、効能や安全性が確立された医薬品の事を指すそうです。
 公に認められたコピー商品ですから、オリジナルの新薬よりも安価で販売されており、利用者にとっても有り難い商品であると言えます。

 

 ところで、オリジナルと同じ成分、同じ製法で作られているといわれている「ジェネリック医薬品」ですが、本当にオリジナルの新薬と同じ効能があるモノなのでしょうか ・・・  (;^_^A アセアセ・・・

 同じ成分、同じ製法で作られた薬なら、効き目も同じだろうと思うのが、合理的で一般的な考え方だと思うのですが、私はそのようには考えておりません (;^_^A アセアセ・・・

 ただ、医師から新薬とジェネリック、どちらの薬を処方するかと訊かれたとしたなら、どちらでもいいと答えることにしています (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 両者にそれほどの違いはないと思ってはいますが、だからといって同じ効き目を持つ同じ薬だとも思ってはおりません(苦笑)

 例えば、名の通った一流の料理人が、自分のメニューのレシピをすっかり公開したとして、そのレシピ通りの食材と手順とで料理を行なったとしても、一流の料理人が作った料理と全く同じモノが出来上がるとは限らないからで、似てはいますが、おそらく同じ味わいの料理にはならないだろうと思います。

 いくら同じ食材を揃え、同じ手順を踏もうとも、料理というものには作り手の「真心」というべき見えないスパイスが加味されているのが普通で、それは例えば「愛情」とか「ノウハウ」みたいな曖昧なことばで表現されるものなのかもしれませんし、「隠し味」などと表現される独特の料理法なのかもしれませんが、レシピに書かれた「文字」では伝えきれない「何か」が知らず知らずのうちに加えられているからこそ、一流の料理人の料理として高く評価され、味わい深い料理として食べる人の心を打つわけです。

 それと同じで、同じ成分、同じ製法で作った薬であっても、新薬には長い開発期間の間に得た様々なノウハウがたくさん詰まっているわけで、別のメーカーが真似て作ろうとしても、同じ効能を持つ薬を一朝一夕に作り上げることは不可能だろうと私は考えているからです。

 

 まぁ、そう言ってしまうと身もフタもないという事になってしまいますが、「同じ薬」ではないにしても、「似た薬」であることには間違いないわけですから、「ジェネリック医薬品」の存在価値もそこにあるのだろうと私は思っています。

 

20160228001  という事で、「正露丸」という胃腸薬がありまして、私も子どもの頃から何かにつけてお世話になってきた常備薬です。

 元々は大幸薬品が「正露丸」という名前の商標権を持っていたワケですが、国民に広く浸透している事実を持って商標無効の判決を受け、多くの類似品が「正露丸」という名前で市場にいくつも出回っています。

 

 そんなワケで、ラッパのマークの正露丸以外にも、似たような正露丸がたくさんありまして、類似品の全てがジェネリック医薬品というわけでもないんでしょうが、なんとなく昔から愛用しているという、それだけの理由で、私はラッパのマークが描かれた大幸薬品の「正露丸」を買い続けています (^◇^;)

 古来より「病は気から」とも言われていますし、「イワシの頭も信心から」ナンてことばもありますから、私のお腹にはなんとなくラッパのマークの正露丸が一番効くような気がしましてね (^◇^) 。。。ケラケラ

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2016年2月23日 (火)

FAB

 世に「ジョーク」というものがありまして、えてして日本人はユーモアのセンスが無いなどと言われたりもしますが、特に欧米においてはビジネスシーンでも日常会話においても、機知に富んだジョークはその場の緊張をほぐし、場をなごませるのに役立つという事で、重要視されているという文化があります。

 しかし、そういう「ジョーク」にも、「ルール」というか「マナー」というか、最低限守らなければならない約束事があるという事で、今日はそんなハナシです ・・・  (^^ゞ

 

 タイトルの「FAB」というのは、そういうジョークを言う際に守らなければならないルールを指したことばで、「FABのルール」というような名前で呼ばれています。

 1:Family  (家族)・・・ 他人の家族の悪口になるジョークや自分の家族を卑下するジョークは慎む。

 2:Appearance(容貌)・・・ 他人の容貌やスタイルに関するジョークは、極力避けるよう心がける。

 3:Beliefs  (信条)・・・ 自他の宗教や政治的信条などを間違ってもジョークのネタにしてはならない。

 という事で、それぞれの頭文字をとって、「FAB」というワケです (^^)v

 

 「FAB」は、ジョークの際にだけ気をつければいいというものではなく、日常の会話などでも、一般的には相応しい話題ではないので、十分気をつける必要があります。

 例えば、去年の1月、フランスのパリに在る「シャルリー・エブド」という出版社が武装した一団に襲撃され、12人が犠牲になるという惨劇がありました。

 この出版社が発行している週刊誌には、イスラム過激派を挑発するような風刺画が掲載されており、事件はそれに反発したイスラム教徒の犯行とされましたが、先の「FABのルール」に照らせば、他の宗教をネタとして風刺画を描いた「シャルリー・エブド」に非があったと言われても仕方がないような気がします・・・ (ノ_-;)ハア…

 この辺りの事については、昨年の5月に「表現の自由」という記事を書いて嘆いたことがあります・・・ (__;)

 

 「FABのルール」などということを声高に標榜しているワリには、やっている事は他者の排斥という事で、欧米人というのは何とも理解しがたい人種だと思えてなりません (;^_^A アセアセ・・・

 フランスにしろ、アメリカにしろ、多くの移民で成り立っているような国のはずで、その国で移民を排斥するような言論が堂々と行なわれているのは、いかがなものかと私は思う次第です・・・ (__;)

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2016年2月12日 (金)

鷹の選択

 

 

 先日、ラジオで「鷹の選択」というハナシを耳にしまして ・・・  (^^;

 このハナシ、元々は「Motivational - Rebirth of an Eagle」というタイトルで、5年前にYouTubeにアップされたのが最初という事で、その後、動画を見て共感した大勢の人の手によって再加工され、日本語版としてもアップされたそうで ・・・

 

 動画は、5分を超える冗長なモノなので、ご覧になりたい方はお止めはしませんが、そうでない方のために、以下に全文を貼り付けました。

 鷹は、長生きできる鳥としてよく知られています。
 鷹は最高70年生きられると言われていますが、
 このように長生きするためには、約40年が過ぎた時に
 重要な決断をしなければなりません。

 鷹は約40歳になると、爪が弱くなり獲物が上手く取れなくなります。
 くちばしも長く曲がり、胸につくようになります。
 羽も重くなり、徐々に飛べなくなります。

 ここで鷹は、2つの「選択」に置かれます。
 このまま死ぬ時期を待つのか。
 それとも苦しい自分探しの旅に出るのか。

 自分の変化の道を選んだ鷹は、まず山の頂上に行き巣を作ります。
 その後、鷹はとても苦しいいくつかのことをやり始めます。

 まずくちばしを岩で叩き壊し、なくします。
 そうすると新しいくちばしが出てきます。
 それから出てきたくちばしで、爪を一つずつ剥ぎとります。
 そして新しい爪が生えてくると、今度は羽を一本ずつ抜きます。

 こうして半年が過ぎ、新しい羽が生えてきた鷹は、新しい姿に変わります。
 そしてまた空に高く飛び上がり、残りの30年間を生きて行きます。

 

 人は誰でも、過去より成長することを願います。
 成長を望み、もっと新しい自分を見つけるためには、
 心の底から「変化」を期待し、行動しなければなりません。

 大切な人生の生きる意味に気づき、「涙」と「笑顔」で成長する
 自分と向き合う為には、この鷹が見せてくれた とても苦しい
 「選択」という勇気ある決断が必要なのかもしれません。

 人生の価値は「速さ」と「広さ」ではなく、
 「方向性」と「深さ」にあることを忘れない。

 あなたが心から探し求めている「生きる意味」は何でしょうか?
 どのような自分を求めていますか?
 変わりたい自分が「心の扉」をたたくのであれば、その気持ちと
 素直に向き合い、最も大切な事を選ぶ「勇気」を忘れない。
 そして「成長」を求める自分を否定しない。
 これが生きる意味と向き合う私たちにおくる
 鷹からの「教訓」かもしれません。

 

  誰が考えたハナシなのか知りませんが、もっともらしいハナシなので、感銘を受ける方も少なくないのでしょうが、悪意があるとまでは言いませんが、こんなわかりやすい「作り話」であっても、鵜呑みにしてしまう人がいるというコトが私には信じられません ・・・  (ノ_-;)ハア…

 そもそも原文では「Eagle」となっており、「Hawk」ではありませんし、鷲であっても70年も生きる個体が存在するとはとても思えません (^◇^;)

 という事で、これはいわゆるマユツバものの与太話の類だと私は思います (^_^;

 まぁ、いいハナシだと感銘を受けるのは個人の自由ですから、止められないとはいうものの、少なくても得意げに他人に語って聞かせたり、ネットで拡散したりするのはイカンだろうと私は思います ・・・ q(`o')ブー!!

 

 鷲も鷹も、タカ目タカ科に属しており、生物学上は同じ種別の猛禽類ではあるというものの、両者には明確な違いがありまして、それが「大きさ」という事になるんですが、人間であっても大きな人や小さな人がいるように、小さな鷲や大きな鷹もいないわけではないので、名前は単なる目安にしかならないという事でしょうか (;^_^A アセアセ・・・

 鷹よりも身体の大きな鷲であれば、そしてそれらの鷲の中には一般の鷲よりは多少は長生きする個体もいるかもしれませんが、それでも70年はいくらなんでも、さば読みすぎだろうと ・・・  (^◇^) ヒャッヒャッヒャ・・・

 第一、くちばしを岩で叩いて壊し、無くしてしまったら、新しいくちばしが再生するとはとても思えないし、モノを食べることも出来なくなって、直ぐに飢えて死んでしまうのではないかと ・・・  (^◇^;)

 バカバカしいにもホドがあると私は思わずにはいられない (ノ_-;)ハア…

 

 一応、前半の鷹のエピソードは置いといて、後半の『人は誰でも ・・・ 』以降の一文は、「鷹」ということばを省けば、それなりに頷けるところもあるのですが、どうなんですかねぇ ・・・

 今後も「鷹の選択」という与太話は、いいハナシとして、まことしやかに広まっていくんでしょうか ・・・  (ノ_-;)ハア…

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2016年1月15日 (金)

祝日

 今日15日は、私ら昭和世代にとっては「成人の日」という事で、本来は国民の祝日のはずでした。

 今でも、「成人の日」といえば1月15日というイメージの方が断然強い私なんですが、どこかのアホが1月の15日から第二月曜日に変更してしまったために、毎年「成人の日」の日付がコロコロ変わってしまうというおかしな事になってしまい、後から振り返っても、自分の成人の日はいったいいつだったのか、正確に覚えている人はまずいらっしゃらないんじゃないかと思います (ノ_-;)ハア…

 

 「祝日」というのは、何らかの理由があるからこそ、その日を特別に祝うわけで、誰かの都合によって勝手に日付を動かすのはいかがなものかと思う次第です・・・

 ちなみに、「成人の日」というのは、「大人になったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝い励ます」ことを趣旨としているワケで、1月15日小正月であり、かつて元服の儀が小正月に行われていたことに由来して、1月15日が「成人の日」と定められていたわけです。

 にも関わらず、そういう「祝日の持っている意味」を蔑ろにし、一方的に「月曜日」に固定してしまうというのは、「成人の日」という名の「単なる休日」を設けたに過ぎず、国民にとっても「祝日」という意味合いはほとんど無いだろうと私は思う次第です・・・ q(`o')ブー!!

 

 私は、成人式から36年経っていますが、今でもいつどこで成人式を迎えたのかをキッチリと答える事が出来ますが、「ハッピーマンデー制度」が導入された2000年以降に成人式を迎えた人達は、自分の成人式が行なわれた日が、1月の何日だったのか、覚えているんでしょうか・・・ (^◇^) 。。。ケラケラ

 人生の中でも、「成人式」というのは子供から大人へとその立場が大きく変わるという事で、誰にとっても大きな「節目」だろうと私は考えるわけですが、その大切な節目を祝う大切な日が、毎年毎年コロコロと変わってもいいものなのでしょうか・・・ (ノ_-;)ハア…

 少なくても、私自身はそういう「いい加減なコト」を善しとしない一人です。

 

 「ハッピーマンデー制度」によって、日付が固定されていない国民の祝日は、「成人の日」以外にも、「海の日」・「敬老の日」・「体育の日」と全部で四日ありますが、いずれもそれなりの理由があって設けられた祝日のはずで、いつでもよかったわけではないと私なんかは思うんですがねぇ、このダメな制度が導入されて以来、「国民の祝日」は「祝う」コトよりも「休む」コトが優先されるという、本末転倒の世の中になりつつあります・・・ (ノ_-;)ハア…

 こんなおかしなコトがまかり通るんなら、いっその事、全ての国民の祝日を第二か第三月曜日にした方が「ハッピーマンデー制度」の効果もずっと上がるんじゃないかと思うんですが、どうしてそうしないんでしょうかねぇ・・・ (^◇^) 。。。ケラケラ
 
「ハッピーマンデー制度」を提案した人にその理由を訊いてみたいものです。

 

 例えば、「天皇誕生日」を12月の第三月曜日にしようと言ったら、当然反対の声が上がるわけでしょ。
 一方の祝日の日付は固定され、一方は毎年移動するという事で、「天皇誕生日」「成人の日」と、両者の間に何か違うところがあるんでしょうかねぇ・・・ (ノ_-;)ハア…

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2016年1月 7日 (木)

あけおめ

 新年を迎え、今年もネット上では「あけおめ」という不思議な挨拶を目にする事が少なくない・・・ (^^;

 

 ツイッターが一般的になってからイッキに市民権を得て世間に広まった感がありますが、「あけおめ」ということば自体は1980年代の終わり頃にはすでにネットで使われていたという情報もありますし、中には江戸時代の下町や落語で使われていたという未確認情報まであったりします (;^_^A アセアセ・・・

 そういう情報がはたしてどこまで本当なのかはわかりませんが、少なくても私自身が見聞きしたのはここ5年くらいのものだと思っていますし、ネットの世界に足を踏み入れ、すでに20年を超えましたが、つい最近まで「あけおめ」ナンてことばを目にした記憶は一度もありません。

 

 文字数に制限のあるツイッターや、文字で会話をするチャットなどでは、そういう省略したことばを用いた会話も、ある程度やむを得ないだろうと私も思いますが、一般の掲示板やブログなどで「あけおめ」というくだけた省略語を使わなければならない理由がどこにあるんだろうと・・・ (ノ_-;)ハア…

 「明けましておめでとうございます」と言うのが、本来の新年の挨拶である事は言うまでもなく、親しい友人同士で交わすというのならともかく、不特定多数の人が目にするであろう掲示板やブログで用いるのはいかがなものか・・・

 

 単にウケを狙って軽い気持ちで「あけおめ」と書込んだつもりでも、私のように失礼ではないかと思っているアタマの固い人も、中にはいるかもしれないし、そもそも、一年に一度の新年の挨拶くらい、省略せずにキチンと言えないものなのだろうか・・・ (ノ_-;)ハア…

 昔からことばを省略して使うのが日本の文化だという事くらい私でも知ってはいますが、新年の挨拶というのは普段の挨拶とは違い、多少なりともあらたまった感がしませんかね?

 新年の挨拶は、日頃友達同士で交わし合う、「おっはー」とか「バ~イ」とかいうのとは、明らかに違う類の挨拶だろうと私は思っています。

 

 普段の挨拶とは違って、日に何度も口にするものだから、つい「あけおめ」とか「ことよろ」ナンて省略して用いたいと思う気持ちもわからないでもないんですが、だからこそ、「明けましておめでとうございます」「今年もよろしくお願いいたします」とキチンと言うのが、相手に対する礼儀であり、スジではないかと私なんかは思うんですがねぇ・・・

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