2016年3月27日 (日)

青春のうた Best Collection その45

 みなさん、どうもです (^^)/
 今回も収録曲に沿って当時の思い出をつれづれに(^^;・・・
 お付きあい頂ければ幸いです。

 

 という事で、今回の収録曲は、私が江戸川から故郷の会津若松市にUターンして独り暮らししていた頃の作品が中心です。

 

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   《収録曲》

 1:花/喜納昌吉&チャンプルーズ 80年6月発表
 2:まちぶせ/石川ひとみ 81年4月発表
 3:思い出がいっぱい/H2O 83年3月発表
 4:ロンリー・ハート/クリエーション 81年4月発表
 5:桃色吐息/佐藤 隆 85年3月発表
 6:ダンシング・オールナイト/もんた&ブラザーズ 80年4月発表

 

 「花」(すべての人の心に花を)は、当時ラジオでよく耳にした作品です。

 沖縄民謡の旋律を取り入れた喜納独特のメロディは、当時の人達の耳にもセンセーショナルに聞こえたようで、日本国内に止まらず、海外でも多くの歌手によってカバーされた大ヒット曲です。

 元々は「すべての人の心に花を」というタイトルだったものが、レコード会社が付けた「花」というシンプルな副題の方が一般には広く浸透しました。

 

 「まちぶせ」は、石川ひとみの最大のヒット曲かもしれません (^^ゞ

 ユーミンが作って提供した作品の一つで、「『いちご白書』をもう一度」と共に、ユーミンの提供曲の中でも秀逸な作品であり、私も大好きです (^^)v

 石川ひとみという歌手の事は、私自身はほとんど知らなかったんですが、会津若松市に住んでいた頃、友人とロックバンドを組んでポプコンの地方予選に出場した時、郡山市で行なわれた県大会の決勝まで進みまして、その時の会場にゲストで招かれていたのが石川ひとみという事で、目の前で「まちぶせ」を聴いたのを今もよく覚えています (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 当時、アイドルと呼ばれた芸能人に会ったことはありませんでしたから、眩しいくらいに輝いて見えたのを思い出します(苦笑)

 

 「思い出がいっぱい」は、流行った当時というよりは、千葉に出てきてからよく耳にしたように記憶しています。

 そもそもはアニメのエンディングテーマとしてヒットしたという事ですが、私自身はこの当時テレビを見ない生活をしていたから知らなかっただけなのかもしれません (^^ゞ

 

 「ロンリー・ハート」は、クリエーションのヒット曲ですが、よく耳にしたワリには何度聞いても覚えられない作品で、ソレはおそらく歌詞にちりばめられた英語がネックになっているんだと思うんですが、個人的には馴染めないというか、肌に合わない作品です (^^ゞ

 

 「桃色吐息」は、高橋真梨子のヒット曲としても有名ですが、佐藤隆はその作曲者であり、後に自身のアルバムでセルフカバーしたのがこの作品です。

 佐藤自身も、「マイ・クラシック」や「カルメン」などのヒット曲を発表していますが、どちらかといえば作曲家として他のシンガーに提供した作品の方が有名かもしれません (^^;

 個人的には好きなアーティストなので、「佐藤隆」の名前でもっと売れてもいいと思うんですが、世間的にはそれほど知られていないのが残念でなりません ・・・  (__;)

 

 「ダンシング・オールナイト」は、大ヒットしましたねぇ (^◇^) 。。。ケラケラ

 もんたよしのりのハスキーな歌声がとにかく格好良く思えたのと、リズミカルなサウンドが心地好くて、私も大好きだった一曲です (^^)v

 蛇足ですが、「もんたよしのり」は本名で、漢字で書く「門田頼命」の「かどた」を「もんた」と読ませただけです (^^ゞ

 

 以上 ・・・  (^^ゞ

 

 一応、この企画は、シリーズ最終号となった「その100」まで続けるつもりではいたんですが、なかなか記事が書けないまま月日だけが過ぎ去り、10年間で半分も紹介できませんでした ・・・  (__;)

 非常に心残りではありますが、今回の「その45」を持って、この企画も打ち切りとさせて頂きます ・・・  (;^_^A アセアセ・・・

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2016年3月12日 (土)

青春のうた Best Collection その44

 みなさん、どうもです (^^)/
 今回も収録曲に沿って当時の思い出をつれづれに(^^;・・・
 お付きあい頂ければ幸いです。

 

 という事で、今回の収録曲は、私が中学生になった前後の頃の作品です。
 大阪万博や札幌五輪が華々しく開催され、日本中が活気に満ちていた頃です。

 

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   《収録曲》
 1:ナオミの夢/ヘドバとダビデ 71年1月発表
 2:イメージの詩/よしだたくろう 70年5月発表
 3:悩み多き者よ/斉藤哲夫 70年2月発表
 4:淋しい気持で/シバ 72年4月発表
 5:夢は夜ひらく/三上寛 72年4月発表
 6:少年/浅川マキ 71年10月発表

 

 「ナオミの夢」は、イスラエル国籍の男女デュオ、ヘドバとダビデが1970年に行なわれた「東京国際歌謡音楽祭」で歌い、グランプリに輝いた作品で、当時よく耳にしました。

 テレビでというよりは、私の場合はもっぱらラジオで聴いた印象が強いのですが、歌謡祭に招かれた外国人アーティストという事で、2曲目以降の作品があったのかどうかは記憶にありません (^◇^;)

 おそらく、歌謡祭で歌ったこの一曲で消えていった「一発屋」のデュオだったんだろうと ・・・  (^^ゞ

 

 「イメージの詩」は、吉田拓郎のデビュー曲になるワケですが、当時はこんなアクの強い内容の歌を歌っていたわけで、「結婚しようよ」でブレイクした吉田拓郎ですが、初期の頃はこんな感じのメッセージソングも多く歌っていました。

 だからこそ、「結婚しようよ」がヒットした時に、作風の違いに戸惑い、「軟派」だ、「商業主義」だと非難するファンも多かったわけで ・・・  (^_^;

 この作品は、おそらく長い間に書きためたネタとなる詞を、一つにまとめて作品にしたのではないかと思えるほど、様々なシチュエーションの短い詞がたくさん集まって出来ています。

 長い歌ですが、そう考えればこの作品が出来た背景も垣間見えるようです。

 

 「悩み多き者よ」は、斉藤哲夫のデビュー曲ですが、10年後に「いまのキミはピカピカに光って」がヒットするまではほとんど知られる事もない、いわゆる売れないアーティストでした。

 個人的にもあまりよく知らないんですが、たまたまNHK-FMで耳にした「さんま焼けたか」が耳に残った程度です (^^ゞ

 よって、この「悩み多き者よ」も知ったのはずっと後の事で、特に語るような事もありません (^^ゞ

 

 「淋しい気持で」は、シバこと三橋誠のデビューアルバムの中の一曲という事で、このコレクションのCDで初めて聞きました (^_^;

 三橋誠という名前がありながら、なんでシバという名前で歌っているのかも存じ上げない、私にとっては謎のアーティストの一人です ・・・  (^_^ゞポリポリ

 

 「夢は夜ひらく」は、園まりがオリジナルで、その後、藤圭子も歌詞を変えてカバーし、「圭子の夢は夜ひらく」というタイトルで大ヒットしました。

 この三上寛の「夢は夜ひらく」も、一連の「夢は夜ひらく」と同じメロディに、独自の歌詞を乗せたものですが、あまりに過激な内容のために放送禁止になってしまったという事で、当然の事ですが私は一度も聞いたことがありません (;^_^A アセアセ・・・

 

 「少年」は、浅川マキの作品ですが、そもそも浅川マキの作品は「夜が明けたら」くらいしか知らないので、この「少年」も今回のCDで初めて聞きました (^^;

 独特の世界を歌い上げる浅川マキですが、どうも私好みのアーティストではなく、それでほとんど知らないんだろうと思います (;^_^A アセアセ・・・

 

 ということで、今回の収録曲は馴染みのない作品が多かったので、実のない記事になってしまいました・・・ (;^_^A アセアセ・・・

 悪しからず・・・ m(_ _;)m

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2016年2月17日 (水)

三分間のドラマ

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 上は、アメリカを代表するロック歌手である、ブルース・スプリングスティーンのことばです。

 

 私が子どもだった半世紀近く前には、歌謡曲は「三分間のドラマ」と呼ばれたものです。

 当時の歌謡曲はほとんどが三分間前後の長さに収っていまして、その三分間の歌の中に、起承転結がしっかりと納められており、聴いているだけでアタマの中に歌のドラマが想い描けたモノで、そんなところから誰言うとなく、歌謡曲は三分間のドラマとしてその存在感を示していました。

 おそらく、ブルースもそういう思いからこのことばを残したのだろうと思われます。

 ただ、最近の歌はやたらと長いものが少なくなく、4分なんてのはザラで、中には5分を超えるような冗長な作品も少なくなく、さらにはどうでもいいような「ことばの羅列」で出来た「歌詞のない歌」が主流となってきているので、「三分間のドラマ」ということばも死語になってしまった感が否めませんが ・・・  (ノ_-;)ハア…

 

 私自身も、これまでの人生でたくさんの歌を聴いて育ってきましたから、やはり様々なコトをそんな歌の中から学び、成長してきたように思います。

 まぁ、そんな事を意識したことはこれまでありませんから、具体的にどの歌からどんな事を学んだのかは思い出せませんが、例えば、三橋三智也が歌った「武田節」の中の一節に『人は石垣人は城 情けは味方仇は敵』というのがありまして、私の座右の銘にもなっています。
 元々は、戦国最強といわれた武田騎馬軍の総大将、武田信玄のことばとして知られていまして、そういう事もあり、たくさん存在する戦国武将達の中でも武田信玄は私の一番のお気に入りだったりします (^^)v

 

 また、東日本大震災の直後に書いた「元気が出る歌」の中で紹介させて頂いた、谷山浩子の「お早ようございますの帽子屋さん」と、チューインガムの「風と落ち葉と旅びと」の二曲にも、半世紀近く元気を頂いてきました (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 「お早ようございますの帽子屋さん」の歌詞の中では ・・・

 誰だってみんな 優しい人ばかり

 疲れるだけですよ 憎んでみたところで

 一言話をすれば 誰でも友達

 

 「風と落ち葉と旅びと」の歌詞の中では ・・・

 風は友だち 落葉はなかま

 ひとりで旅する 心のなかま

 こんなフレーズがお気に入りで、私の心の支えだったりします (;^_^A アセアセ・・・

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2016年1月28日 (木)

We Are The World

 世に「名曲」と呼ばれる作品は星の数ほどありますが、誰しも心の中に「この一曲」というような、思い入れのある特別な作品が少なからずあるのではないでしょうか?

 

 ちなみに、家内の「この一曲」は、ルイ・アームストロングの歌う「この素晴らしき世界」だそうで、4年前に「What a Wonderful World」という記事を書いてご紹介した事があります (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 一方、私の「この一曲」も直ぐに書くつもりではいたんですが、なかなか記事を書こうという意欲が湧かず、ネタとしては常に温めてはいたのですが、ずっと形になる事はありませんでした・・・ (^^;

 というワケで、あの記事からずいぶん経ってしまいましたが、今日は私の「この一曲」を披露させて頂こうかなと・・・ (^^ゞ

 

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 上は、1985年にアメリカで発表された「We Are The World」という作品です。

 ちょうど、昨年の暮れにBS-TBS「We Are The World」の制作秘話が放映されまして、昨年は楽曲の発表からちょうど30年というコトで、「え~、もうそんなに経ったのか!」という驚きもあり、ようやく重い腰を上げる事にしました・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 1984年、飢餓に苦しむアフリカの人々の救済を目的に、イギリスのミュージシャン達が立ち上がり、バンド・エイドとしてチャリティーソングを発売した。

 それに触発されたハリー・ベラフォンテが、「アメリカのアーティストも何かしなければ・・・」と、多くのアーティストのマネージメントを手がけていたケン・クレガンに話を持ちかけ、ライオネル・リッチーとマイケル・ジャクソンが曲を作り、クインシー・ジョーンズがプロデュースを務めて出来上がったのが、「We Are The World」という事で、1985年に発表されて全世界で販売されました。

 

 当時、会津若松市内に住んでいた私も、友人からこの歌の存在を聞かされ、さっそくレコードショップに足を運んで30cmシングルを購入しました (^_^ゞポリポリ

 私は、洋楽はほとんど聴かないんですが、この「We Are The World」だけは別で、英語が出来ませんから歌詞の意味は皆目わからないんですが、そういうコトを超越して、文句なく私の人生においても最高の一曲だと思っています (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 というワケで、私が人生のベストソングとして挙げたい一曲は、「We Are The World」で、後にも先にも、これを超える作品というのは私にはありませんねぇ (^^)v

 当時、ジャンルや年齢、所属するレコード会社等の垣根を全て取り払い、45人ものトップアーティストが一堂に会して出来上がったこの一曲!

 おそらく、もう二度とこういう企画は実現しないだろうと思われます・・・

 もし、やろうとしても、ギャランティだけで天文学的数字が必要になると思われますし、それぞれのスケジュールを調整するだけでも不可能なんじゃないかと・・・(苦笑)

 

 それにしても、「We Are The World」が発表される「前」の私の人生と、発表された「後」の私の人生とでは、いつの間にか後の人生の方が長くなってしまっているんですねぇ・・・ (;^_^A アセアセ・・・

 これには、正直ビックリさせられました・・・ (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 というワケで、「We Are The World」の動画を下に貼り付けましたので、よかったらご覧ください ( ^-^)/ ♪

 

 

 

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2016年1月11日 (月)

かぐや姫

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 月に一度、土曜日の19時からBS日テレで地球劇場」という音楽番組が放送されていまして、私もお気に入りのアーティストが出演する日には好んで見ています。

 一昨日の土曜日、南こうせつがゲストで招かれ、伊勢正三と共に「かぐや姫」時代の作品をいくつか披露してくれました。

 

 私は、中学、高校という思春期の感受性の強い時期に、当時世に台頭してきた「フォークソング」という新しいジャンルの歌に出会い、それにどっぷりと浸かって成長して来ましたから、フォークソングがとにかく大好きです。

 あまた居るフォークミュージシャンの中でも「かぐや姫」が一番好きで、かぐや姫命と言っても過言ではないくらい大きな影響を受けたアーティストがかぐや姫だったりします (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 もちろん、かぐや姫だけでなく、当時のフォークシンガー達はグループも含めて一通り聞いて知ってはいますし、大好きなアーティストや作品もたくさんあるのですが、私にとって「かぐや姫」は本当に特別な存在として、今でも心の片隅にしっかりと根付いています・・・

 

 「かぐや姫」といえば、ナンと言っても代表曲は「神田川」でして、この曲で「かぐや姫」というグループの存在を知ったワケですが、それが私が中学三年生の時の事・・・

 一度耳にしただけで私の琴線に触れ、「ああ、いい歌だなぁ・・・」と (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 以来、「かぐや姫」は私の心のよりどころとなって40年以上が経ちました・・・ (*^.-^*)♪

 といっても、当時はここまで長い付き合いになるとは思ってもいませんでしたが、高校生として過ごした三年間は、いとこと共にフォークデュオを組み、かぐや姫のコピーとオリジナル曲作りにひたすら励みました (^_^ゞポリポリ

 

 それはともかくとして、一昨日の番組中にも、代表曲の「神田川」は当然のごとく生演奏で歌われたのですが、もちろん子どもの頃にも「神田川」は大好きな作品の一つではあったのですが、個人的にはそれよりも「赤ちょうちん」の方が詞・曲共に大好きで、アレンジも良くできていて思い入れもあったのですが、30代に入った頃からでしょうかねぇ、それまでとは違って「神田川」から受ける印象が大きく変ったというか、「ああ、この歌って、こんなにスゴイ作品だったのか・・・」という事で、作品の持っている奥の深さが少しわかったような気になり、今に至ります (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 おそらく、子どもの頃にはわからなかった「何か」が、社会に出、世間の荒波に揉まれる事によって人生経験も積む事ができ、多少なりとも考え方が変わったというか豊かになったというか、いわゆる「オトナになった」というのが、同じ曲を聴いても受ける印象が違う理由なんだろうと思うのですが、それ以来、「神田川」を耳にすると、場合によっては涙さえ浮かんでくるようにもなりました・・・ (;^_^A アセアセ・・・

 

 蛇足ですが、「神田川」にはアンサーソングといわれる姉妹曲があったりしますが、その存在はかぐや姫ファンであってもそれほど知られてはいません。

 「神田川」が収録された「かぐや姫 さあど」というアルバムが発表された翌年の1974年3月、「三階建の詩」という4枚目のアルバムが発表されまして、その中に収録されている「おまえのサンダル」という作品がそれで、「神田川」は過去の同棲生活を女性側から、一方の「おまえのサンダル」は男性側から歌っているのが、「神田川」のアンサーソングとか姉妹曲とかいわれる所以です。

 この辺りの事については、9年前に「おまえのサンダル」という記事で語った事がありますので、興味があればご一読頂ければ幸いです (*^.-^*)♪

 

 皆様方にも、他の歌手とは一線を画する、人生さえ左右されたような、思い入れの深いアーティストが一人や二人いらっしゃると思うのですが、私の場合はフォークグループの「かぐや姫」がそういう特別なアーティストだったりします・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

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2015年11月 1日 (日)

大島花子

 先日、ラジオで大島花子の歌う「親父」という作品を聴いた・・・

 

 

 

 おそらく、大島花子と言われてもピンと来ない人が少なくないんじゃないかと思います。

 いや、もしかしたら知らないのは私だけで、世間的にはけっこう有名な芸能人なのかもしれませんが、少なくても私自身は今回初めてその名前を聞いたように思います (^^ゞ

 まぁ、私が芸能事情に疎いのは今に始まったことではないので、どこかで耳にしたことがあるのかもしれませんが、ハッキリと聞いたという記憶は無いので、おそらくは初めてなんだろうと・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 でも、坂本九の名前なら、日本人なら知らない人はいないんじゃないだろうか。

 

 大島花子は、国民的歌手だった坂本九の長女なんですが、坂本九が日航ジャンボ機墜落事故で亡くなってからでさえすでに30年経つわけですから、その子供といっても40才を若干超えた妙齢の女性です。
 40代の女性に対して「妙齢」ということばが相応しいかどうかはこの際置いとくとして、娘さんも歌手をしていた事は知りませんでした (^^ゞ

 坂本九が亡くなった時、長女の花子さんはまだ11才・・・
 しかも、父親は有名人でしたから、おそらく親子としての触れあいも思い出も、一般の親子と比べれば少なかったんじゃないかと思われるのですが、父を偲び、父が自ら作詞作曲をした「親父」という作品をカバーして歌う・・・

 大島花子の歌を聴いているうちに、なんとなくしみじみとしてきて、目頭が熱くなってしまうのは私だけなんでしょうか・・・ (^_^ゞポリポリ

 

 それはともかくとして、私は中学を卒業すると高校に通うために下宿をして実家を離れましたから、父と一緒にお酒を飲んだ経験はありません (^^ゞ

 ただ、お正月などの祝いの席では多少なりとも酌み交わしたことがありますが、それは乾杯と同じで、形だけの祝い酒ですから、一般にいうところの「お酒」とは意味合いが違うので、一緒にお酒を飲んだという事にはならないんじゃないかと・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 高校を卒業し、単身上京してからは、実家は距離的にも精神的にも遠くなってしまったので、両親と顔を合せる機会も減り、しみじみとお酒を飲むようなこともありませんでした (^^;

 私が折に触れ、実家に帰省するようになったのは30才を超えてからのことで、その頃には親父の年齢も還暦間近という事でかなり老け込んでおり、若い頃のような体力も晩酌の量もすでに無く、ホンの申し訳程度にしか口にすることはなかったので、一緒に食卓を囲んで晩酌をしていても、差しつ差されつという事はありませんでした (^^ゞ

 ですから、こういう歌を聴くと、親父と一緒に酒を飲んで酔っぱらってみたかったなぁと思います・・・ (__;)

 

 そういえば、私が昔から好きだった歌の中に「野風増」というのがありまして、『お前が20才になったら 酒場で二人で飲みたいものだ』という歌詞に無性に憧れたものです。

 残念ながら私には子供がいないので、息子とも親父とも、そういう機会を得ることはついに出来ませんでしたが・・・ (^_^ゞポリポリ

 

 大島花子の歌う「親父」・・・

 冒頭に、動画として貼り付けてみたので、よかったらお聞きになってみて下さい ( ^-^)/ ♪

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2015年10月23日 (金)

青春のうた Best Collection その43

 みなさん、どうもです (^^)/
 今回も収録曲に沿って当時の思い出をつれづれに(^^;・・・
 お付きあい頂ければ幸いです。

 

 という事で、今回の収録曲は、私が高校を卒業し、江戸川区内の電器屋で働き始めた頃の作品です。
 生まれ育った会津を離れる淋しさよりも、都会で独り暮らしをする期待感の方が圧倒的に勝り、ワクワク感でいっぱいでした (*^.-^*)♪
 家具や家電の類はほとんど無い、ガラ~ンとした四畳半一間のアパートに、初めて手にする毎月の給料をほとんどはたきながら、一つ、また一つとステレオのコンポーネントを買い揃え、音楽を聴いていた頃が懐かしく思い出されます。

 

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   《収録曲》
 1:流星/吉田拓郎 79年5月発表
 2:人間の証明のテーマ/ジョー山中 77年8月発表
 3:てぃーんずぶるーす/原田真二 77年10月発表
 4:傷心/大友裕子 78年12月発表
 5:気絶するほど悩ましい/Char 77年6月発表
 6:あんたのバラード/世良公則&ツイスト 77年11月発表

 

 「流星」は、自身が起ち上げたフォーライフレコードの二代目社長に就任した吉田拓郎の作品ですが、この頃は社長業が忙しく、目立った音楽活動はしていなかったこともあり、また、かぐや姫やアリス、グレープなどのメジャーなフォークグループが次々に解散し、ユーミンに代表されるニューミュージックと呼ばれるアーティストが次々に登場してきた世代交代の時期という事もあって、吉田拓郎の作品はほとんど聞かれることはありませんでした。
 そんな頃にあって発表された「流星」は、原点回帰と言いますか、初期の頃に多かった、独り言に近い実に内面的な歌詞を、拓郎節で「歌う」というより「語る」ように訴えかける独特のスタイルで、拓郎の健在ぶりを世間に示した一曲になりました。

 そういうワケで、この頃はソロになったさだまさしや、中島みゆきなどを中心に聴いていた私がいます (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 「人間の証明のテーマ」は、角川書店の角川春樹が肝いりで製作し、宣伝をした角川映画の「人間の証明」の主題歌として発表されました。
 当時、CMや映画の中で語られた「母さん、僕のあの帽子どうしたでしょうね」という西條八十の詩の一節が、今も耳に残っています・・・
 この作品を歌ったジョー山中も、4年前に鬼籍に入ってしまいましたが・・・

 

 「てぃーんずぶるーす」は、フォーライフレコードの二代目社長に就任したばかりの吉田拓郎がプロデュースして大成功を収めた原田真二のデビュー曲です。
 当時は少なかったピアノの弾き語りというスタイルは、原田真二の登場で広く世間に認識されるに至ります。

 

 「傷心」は、大友裕子のデビュー曲ではありますが、私自身はほとんど知りません (^_^;
 ハスキーで振り絞るように歌うスタイルは、浅川マキや葛城ユキに通じるところがあるようにも思います。
 もっとも、葛城ユキのヒット曲である「ボヘミアン」も、大友裕子のカバーだったことを考えれば、私がそう思ったとしても不思議ではないワケで・・・ (^^ゞ

 

 「気絶するほど悩ましい」は、当時天才ギタリストの名を欲しいままにしていた Char が、阿久悠の詞で歌って大ヒットした作品で、この一曲で Char の名前は全国区になりました。
 ただ、私自身は Char の作品はほとんど聴くことはありませんでしたが・・・ (^◇^;)

 

 「あんたのバラード」は、世良公則&ツイストのデビュー曲で、当時露出度もかなり高かったので、日本中で聞かれた作品です。
 セクシーで派手な世良のボーカルは、多くの世良ファンを魅了しました。
 蛇足ですが、今回の記事に登場した原田真二、Char、世良公則の三人は、ロック御三家と呼ばれたこともあったそうで、時代の寵児でした。

 

 以上・・・(^^ゞ

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2015年9月13日 (日)

青春のうた Best Collection その42

 みなさん、どうもです (^^)/
 今回も収録曲に沿って当時の思い出をつれづれに(^^;・・・
 お付きあい頂ければ幸いです。

 

 という事で、今回の収録曲は、私が小学生の低学年だった頃の作品が中心です。
 奥会津の山村ですから自然だけはふんだんにありましたが、文明とは無縁で、レコード屋はおろか、本屋も無いような田舎でした。
 テレビもNHK以外は民放が1局だけという状況で、しかも関東のキー局からは1~2週間くらい遅れての放送だったようで、情報にはいつも飢えていました (;^_^A アセアセ・・・
 そんな、今から思うと隔世の感のある時代に流れていた懐かしい歌です (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

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   《収録曲》
 1:雨のバラード/ザ・スウィング・ウエスト 68年5月発表
 2:野バラ咲く路/市川染五郎 67年3月発表
 3:からっぽの世界/ジャックス 68年10月発表
 4:禁じられた恋/森山良子 69年3月発表
 5:いつまでもいつまでも/ザ・サベージ 66年7月発表
 6:さすらい人の子守唄/はしだのりひことシューベルツ 69年6月発表

 

 「雨のバラード」といえば湯原昌幸のヒット曲ですが、ザ・スウィング・ウエストはその湯原昌幸が所属していたGSです。
 GSといってもガソリンスタンドのことではなく、1960年代後半くらいに一世を風靡したグループ・サウンズの略で、ザ・スパイダースやザ・タイガースなどが有名でした。
 ただ、この「雨のバラード」は、ザ・スウィング・ウエストの作品としてではなく、湯原昌幸の作品という印象しかないのですが、あの当時雨後のタケノコのように登場したGSは玉石混淆で、私もいちいち覚えてはいませんねぇ(苦笑)
 ザ・スウィング・ウエストもそんな記憶のないGSの一つです (^^ゞ

 

 「野バラ咲く路」は、九代目松本幸四郎が六代目市川染五郎を名乗っていた頃に発表した自身のオリジナル作品です。
 私自身はこの曲を耳にしたのはずっと後のことでして、私が小学生当時、音楽を聴くといったらテレビくらいしかメディアはありませんでしたし、テレビといってもNHKと民放一局だけしか入りませんでしたから、そこで耳にできる音楽なんてタカがしれていますので、私の音楽に関する見聞も本当に狭く、音楽番組に出演していない歌手やグループの存在はほとんど知りません (^_^ゞポリポリ

 

 「からっぽの世界」も、そんな知らないグループの知らない作品です (;^_^A アセアセ・・・
 同じジャックスでも、ボニージャックスなら多少は知っているんですが・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 「禁じられた恋」は、今も第一線で活躍している森山良子のごく初期の作品です。
 と申しましても、この当時の常として、森山本人の作品ではなく、一流の作詞家と作曲家が手がけた作品で、森山としても不本意ながら歌っていたようです (^_^;
 例によって、私が森山良子を知ったのは、この3年後、出産による休業から復帰した直後に発表した「遠い遠いあの野原」をラジオで聴いて・・・です (^^ゞ
 当時から森山良子の歌唱はずば抜けていまして、ああ、いいなぁと・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 「いつまでもいつまでも」は、寺尾聰が在籍していたザ・サベージというGSの作品です。
 GS時代の寺尾聰は全く記憶にないんですが、「ルビーの指環」のヒットで一躍時の人となった事で、あらためて寺尾聰の存在を知った次第です (^^ゞ
 今では俳優というイメージしか無い寺尾聰ですが、かつてはけっこう音楽活動にのめり込んでいたこともあったというコトで・・・(苦笑)

 

 「さすらい人の子守唄」は、ザ・フォーク・クルセダーズのメンバーだったはしだのりひこが、フォークル解散後に結成したグループで、デビュー曲の「風」の大ヒットに続いて発表したセカンドシングルでした。
 グループ名の「シューベルツ」は、シューベルトをもじったモノであることは明らかですが、それだけではなく、「Shoe Belts(靴ひも)」という意味もあったそうで、これは今回の解説本で初めて知りました (^^ゞ

 

 以上・・・(^^ゞ

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2015年6月28日 (日)

富士の国

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 6月22日、長渕剛が新曲の「富士の国」を発売し、私もつい買っちゃいました (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

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 いつものように、amazonで購入したのですが、届いたCDを撮ったのが上の写真です (^^)v

 CDとDVDとの2枚組で、1,688円は安いと (*^.-^*)♪

 

 それはそれとして、長渕剛はこのブログでも過去に2度取り上げた事がありまして、12年の5月に「Stay Alive」を、14年の7月に「傷つき打ちのめされても」という記事を書いて、長渕剛のCDを購入したことを語ってきました (^^ゞ

 他にも、08年の12月には「順子」という記事も書いたことがありますが、これは長渕の作品のことを語ったものではなく、「Junko」という名前について語ったものなので、「淳子」でも「純子」でもよかったのですが、あの時にはたまたま「順子」というタイトルにしてみました・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 これだけ長渕剛を取り上げた記事を書いているのですから、さぞかし私は長渕剛のファンなのだろうと思われる方も多いのかなと思うのですが、そんなコトはなくて、どちらかと言えば好みではない方のアーティストです (;^_^A アセアセ・・・

 最近の長渕作品にやたらと多い、説教っぽいメッセージソングは妙に鼻についてガマンならないコトも少なくないんですが、反面、そういう歌の中に心に訴えかけてくる「何か」があるのも否定できず、若い頃からずっと聴き続けています (^◇^;)

 

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 先の「Stay Alive」の記事の中でも語ったように、私が好きだった長渕はごく初期の頃の爽やかな風貌だった長渕剛であり、爽やか路線を離れ、今に通じる男臭い感じへとイメチェンを行なった頃からどんどんキライになっていきました・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 長髪をバッサリと切って短髪にし、肉体を鍛え、強い酒でうがいをするなどして、喉を焼き切ってまで作り上げたしわがれ声・・・

 ナニを好き好んで・・・というのが、私の偽らざる気持ちの全てです (ノ_-;)ハア…

 

 まぁ、長渕のファンは、今の長渕だから好きだと言う方も多いのでしょうが、個人的には今の長渕はどうも好きにはなれなくてね (;^_^A アセアセ・・・

 同じ事は、松山千春なんかにも言えますがね(苦笑)

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2015年6月17日 (水)

三人兄弟

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 1年ほど前に「東京大衆歌謡楽団」という記事を書いて、路上ライブなどで昭和の懐かしい歌謡曲を歌っている3人組の事を紹介した事があったんですが、その彼等が今日、めでたくメジャーデビューの運びになったそうで (*^.-^*)♪

 

 まぁ、平成の今、オリジナル曲ではなくて、あえて昭和時代の懐メロを歌うということ自体が極めて普通じゃないと思うんですが、だからこそ、私らのような高齢者達などにはウケるんでしょうな (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 なぜなら、単に懐かしいというだけではなく、最近のワケのわからないJPOPとは違って、耳に馴染んだ昭和歌謡は耳に優しいというか、安心して聴いていられるからじゃないかと私なんかは思っています。

 

 もちろん、昭和歌謡を聴きたければそれらを歌ったオリジナル歌手のCDやレコードを聴いた方が完成度も懐かしさも段違いだとは思うんですが、この「東京大衆歌謡楽団」のように、お若い世代の人達があえてナツメロを歌っているという事が私のような高齢者達にとっては嬉しいわけで・・・ (^_^ゞポリポリ

 なぜなら、そういう懐メロを知ってくれているということがまず嬉しく、今ではめったに耳にすることのない耳に馴染んだメロディーを歌っているという事がまた嬉しいわけで、しかもそれが当たり前の年配者が歌うのでなく、意外な「若者」が歌っているコトが昭和世代の私らにとってはありがたいんですよね (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 それはともかくとして、前回の記事でも書いたんですが、あらためてメンバーを紹介すると・・・

 髙島孝太郎:ボーカル    昭和58年 8月 15日生(31)
 髙島雄次郎:アコーデオン  昭和60年 4月 29日生(29)
 髙島龍三郎:ウッドベース   昭和62年 8月  6日生(27)

 

 実は、今年の3月までは髙鳥 玲というメンバーがウッドベースを担当していたんですが、脱退したため、満を持して三男の龍三郎が加わり、三人兄弟での再スタートとなりました。

 それにしても、脱退したウッドベースの高鳥ですが、「高島」でなくて「高鳥」なんですよね (;^_^A アセアセ・・・
 偶然なんでしょうが、チョッと見は高鳥でも三人兄弟に見えますよ (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 しかも、この三人兄弟の生年月日をご覧くださいな (^◇^;)

 何かお気づきになりませんか?

 8月15日は、終戦記念日。
 4月29日は、昭和天皇の誕生日。
 8月 6日は、広島に原爆が投下された日です。

 いずれも「昭和」を語る上では忘れてはならない特別な日という事で、そういうコトも彼等が昭和歌謡ナンてノスタルジックな歌謡曲を歌っている「縁」なんじゃないかと私なんかは思うんですが、皆さんはどう思います? (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

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