2018年4月 7日 (土)

危機管理

 先日、久々に咬み付きたくなるニュースが報じられた ・・・  (ノ_-;)ハア…
 
 事の顛末は以下の通り。
 
 4月4日、京都府の舞鶴市内で行なわれた大相撲の春巡業中に、舞鶴市長が土俵上での挨拶中に突然倒れ、それを助けようと土俵上の市長に駆け寄った女性数人に対し、直ちに土俵上から降りるようにと場内アナウンスが複数回流されたというもの ・・・
 
 この件に関しては、各方面から様々な苦情が寄せられ、八角理事長も直ちに謝罪のコメントを発表して事態の収拾を図った。
 
 
 しかし、私は思うのだが、今回のこの不祥事はいったい何が問題で、何が間違っていたのだろうと ・・・
 「伝統では人命は救えない」などともっともらしいコメントを述べた識者もいたようですが、応急処置をしていた女性に対し、土俵から降りるようにと言ったことが間違っていたのだろうか?
 いやいや、「事」はそんな単純なことではないだろうと私は思うのだ。
 
 
 そもそも、角界の人間であれば土俵上は女人禁制であることは誰でも知っていることで、それが「女性差別」だとか「時代錯誤」だとかは私自身は全く思っていない。
 
 しかし、「伝統」を守るためには角界側の努力も必要であり、伝統の上にあぐらをかいているだけではダメだとも思っています。
 
 
 今回の報道でまず私が思った事は、なぜ土俵の周囲に「男性の医療関係者」が一人も居なかったのかということ。
 
 大相撲の地方巡業は今回に始まったことではなく、毎回開催していることですし、巡業中にケガをする力士や体調を崩す力士が出るかもしれないことを考えれば、男性の医療関係者も当然の事として巡業に帯同していてしかるべきだと思うし、そういう準備が整ってさえいれば、今回の突然の不幸に際しても浮き足立つこともなく、大相撲の関係者だけで粛々と救命措置と事態収拾が図られていたはずで、万が一にもあんなみっともない騒動にはならなかっただろうと私は思うワケです。
 
 
 とにかく、相撲協会という組織は、何に付けても後手後手に回ることが多く、組織としては未熟この上ない q(`o')ブー!!
 昨年から今年にかけて、角界では様々な不祥事が起こって世間を騒がせていますが、これも相撲協会に危機管理能力がないからだとも私は思っています。
 
 今後も「国技」だとか「神事」などという言葉を相撲協会が使い続けたいのであれば、協会もそれなりの努力をしなければ、国民には支持されないだろうと私は思いますがねぇ ・・・  (ノ_-;)ハア…

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2018年1月23日 (火)

明治150年

 皆さん、お久しぶりです (〃⌒∇⌒)ゞ ♪
 この居酒屋の更新も昨年の1月29日以来ですから、ほぼ一年ぶりという事になります。

 

 それはともかくとして、今年は明治元年から150年の節目に当たるそうです。
 
 とかく昨今は、幕末がブームになっていることもあり、テレビのドラマなんかでも幕末の倒幕から明治維新にかけての諸々を取り上げることが多く、NHKの大河ドラマでも、今年の「西郷どん」を始めとして、15年の「花燃ゆ」、13年の「八重の桜」、10年の「龍馬伝」等々、明治維新の立役者となった人物やその関係者を取り上げることが実に多い。
 
 まぁ、幕末を取り上げれば間違いなくそこそこの数字は稼げますし、そこに登場する人物たちも魅力的に描かれることが多いので、歴史上のヒーローとして人気も高いのが日本という国の特徴です (^^;
 特に、土佐の坂本龍馬の人気は群を抜いており、英雄として祀りあげられることも少なくなく、龍馬に傾倒している人も実に多い。

 

 しかし、何事も表があれば裏があるのがこの世の常なので、私自身は鳥羽伏見の戦いに端を発する「明治維新」への流れとその後の明治政府の政策を好意的には考えていない一人です。
 まぁ、多くの日本人は旧態依然とした幕藩体制を廃し、海外に対し国交を開いて新しい世の中を作り上げた「明治維新」を高く評価していますし、学校の歴史の授業でもそのように教えられたのではないだろうか ・・・

 

 しかし、私が思う「明治維新」とは、260年も続いた太平の世をぶち壊し、日本を再び戦乱の世に落し入れ、その後の百年近くもの間、日本国民がどれだけ多くの血を流し、どれだけ悲惨な思いをさせられたのかを考えると、本当に明治維新は正しいことだったのかと、かなり懐疑的に考えています。

 

 「平和」が大事だということは誰でもわかっていると思うのですが、徳川幕府に代わって日本を統治することになった薩長土肥を始めとする明治新政府は、わずか百年足らずの間に日清戦争日露戦争、そして太平洋戦争と、大国を相手に次々と無謀な戦争を起し、中国や朝鮮など、近隣の国々に対し今でも大きな禍根を残す結果となったことは明白な事実です。
 
 もし、徳川幕府が実権を握ったまま明治を迎えていたとしても、緩やかにではありますが別の形の「明治維新」は行なわれたと思うし、、諸外国ともそれなりにつきあえていたとも思う。
 そして、現代へとつながる繁栄にもつながっていたように私には思えてならない (ノ_-;)ハア…
 どうして明治新政府は、ああも性急な富国強兵策を行ない、海外の列強と次々と戦争を繰り返さなければならなかったのだろう ・・・  (__;)
 
 太平の世を心から願った徳川家康の志を継ぐ、徳川幕府が中心の新政府だったなら、もしかして日清戦争も日露戦争も、そしてあの忌まわしい太平洋戦争も起こすことなく、中国や朝鮮の国々とも友好的な関係が続いていたのではないか、少なくても私はそんなふうに考えている一人です。

 

 「明治維新」ナンてもっともらしい名前が付いてはいますが、所詮は不満分子が武力で幕藩体制を転覆させ、自らが中心の軍事政権を実現させただけという、単なるクーデターの一つでしかない。
 軍事政権なんて、為政者の為政者による為政者のための政権でしかありませんから、国民の事なんてこれッぽっちも考えていないのが普通で、そんな明治維新が讃えられるのは私としては納得いきません ・・・  q(`o')ブー!!
 
 奇しくも、現職の安倍総理は山口県所縁の人物ということで、明治維新風に言うならば長州の士ということになりますか ・・・  (^_^;
 そんな安倍氏だからこそ、折々の言動の端々に、きな臭さを感じてしまうんだろうか ・・・  (;^_^A アセアセ・・・

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2016年3月24日 (木)

鉛筆

 「鉛筆」といえば、筆記具の代表的な存在で、誰もが手にしたことのある馴染み深いアイテムだと思います。

 ところが昨今、その「鉛筆」にある変化が見られるという ・・・

 

 その変化とは、これまでシェアの半分ほどを占めていた「HB」が、急激にシェアを落とし、代わって「2B」がシェアの4割近くを占めてトップに躍り出て、「HB」のシェアは2割程度にまで落ち込んでいるというのだ (^^;

 「H」とか「B」という鉛筆の記号は、「芯の硬さ」を表しており、JIS規格における鉛筆の規格は、芯が柔らかいものから順に、6B5B4B3B2BBHBFH2H3H4H5H6H7H8H9Hという、全部で17種類の芯があります。

 ちなみに、Bは「ブラック=黒い」で、Hは「ハード=硬い」、中心に位置するFは「ファーム=しっかりした」という意味があります。

 この辺りの事は、8年前に書いた「F」という記事の中で語ったことがあります。

 あまり一般的ではない「F」という記号が書かれた鉛筆を、小学生の頃好んで使っていたことがあり、その事を語ったものです (;^_^A アセアセ・・・

 

 他人の使っている鉛筆の硬さなど、それほど気にしたことはありませんが、おおむね小学校入学当時は「B」とか「2B」などの柔らかめの鉛筆を使う事が多く、学年が上がるにつれて、だんだんと硬めの鉛筆が好みとなって「HB」あたりが中心となり、中学校に上がると「H」とか「2H」などの硬めの鉛筆を使うクラスメートが増えますが、それでも「HB」を使っているクラスメートが圧倒的に多かったように記憶しています。

 私のように、「F」の鉛筆を愛用している級友は見たことがなく、それが天の邪鬼な私のチョッとした優越感になっていたワケですが、それにしても、学年が上がっても「B」や「2B」などの柔らかい鉛筆を使い続けるという事に、昭和を生きて来た私なんかにはとても違和感を感じるんですが、今はそうでもないんでしょうか・・・ (?。?)

 

 第一、軟らかい鉛筆だと必然的に文字の線が太くなりがちですから、ノート全体が黒っぽく見えるのが私には抵抗がありますし、学年が上がるとノートに書く文字の量も次第に増えていきますから、必然的に学年が上がると共にだんだんと硬めの鉛筆を愛用する事で小さくて細かい文字が書けるようになると思っていたのですが、いつまでも柔らかい鉛筆を使い続ける事で、そういう細かい文字が書けるんでしょうか (?。?)

 もちろん、芯を削れば細かい文字も書けますが、そもそも芯が柔らかいわけですから、細い芯も書いているうちに直ぐに丸まってしまうと思うので、書く文字の量が圧倒的に多くなる高学年には、軟らかい鉛筆は不向きだと私は思うんですがねぇ・・・(苦笑)

 今は、そういう事も杞憂に過ぎず、黒くて太い文字が好まれる時代なんでしょうか ・・・  (;^_^A アセアセ・・・

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2016年3月 6日 (日)

踏み間違い

 3日の早朝、群馬県の高崎市内において、集団登校中の小学生の列に乗用車が突っ込む事故があり、小学1年生の男児が全身を強打して死亡したと報じられた。

 車を運転していた73才の男性は、「アクセルとブレーキを踏み間違えた 」などと供述しているという ・・・

 ハッキリ言って、「またか」と思う事故なんですが、アクセルとブレーキを踏み間違えた事が原因となって起こった似たような事故は後を絶たず、平成25年にはペダルの踏み間違えに起因する事故は、年間6500件もあったそうです ・・・ (__;)

 

 このペダルの踏み間違いによる事故の特徴ですが、75才以上の高齢者が他の年齢層の2~5倍と高い割合となっていまして、多くの方が加齢による老化現象で運動神経等が鈍り、それでうっかりとペダルの踏み間違いをしてしまうのだろうと単純に考えているようですが、それは大きな間違いだと私は考えています。

 中には、高齢者は動作も判断力も低下しているので、車を運転するべきではないなどとおっしゃる人まで出てくる始末で、世論はおおむね高齢ドライバーに対して冷淡だと感じている私がいます (ノ_-;)ハア…

 

 ペダルの踏み間違いに高齢者が多いのには二つの大きな理由があり、一つは彼等の世代はマニュアル車で運転技術を身に付け、長年マニュアル車で道路を運転してきたワケですが、昨今はほとんどの車がオートマチック車になっているので、基本的にアクセルを踏みさえすれば車はエンストする事無しに走り出すわけです。

 そしてもう一つは、これが事故の根本的な理由だと私は考えていますが、車の構造上の問題で、ペダル類の配置が以前とはずいぶん変わっている事が原因ではないかと私は考えています。

 この辺りの事は、3年前にも「タイヤハウス」という記事で嘆いたことがあるのですが、ハッキリ言ってペダルの踏み間違いによる事故は、ドライバーの運転ミスというよりは、自動車メーカーによって作られた「欠陥車」を運転していたから起きたというのが私の持論です。

 と申しますのも、長年運転していて身体に染みついてしまった動作というのは、ちょっとやそっとで矯正できるものではなく、平常時にはアタマで理解してアクセルやブレーキを操作することができますが、反射的にというか、無意識にというか、咄嗟の時には思いとは裏腹に身体が勝手に動いてしまうわけで、慌てて車を止めようと思って強く踏み込んだ右足の先にあったのは、ブレーキペダルではなくアクセルペダルだったというのがこの手の事故の真相だと私は常々考えています。

 

 「欠陥車」と書きましたが、別に機械的な欠陥があるワケではなく、構造上取られたやむを得ない欠陥ですから、リコールみたいな対策が取られるワケでもなく、本来ブレーキペダルがあるはずの位置にアクセルペダルが設けられているという、危険極まりない「欠陥車」が堂々と公道を走り続けており、ペダルの踏み間違いによる事故は後を絶たないという事態を招いています。

 今回の事故でもそうですが、事故の原因を「運転ミス」として一方的にドライバーに押しつけるのは、亡くなった被害者はもちろんのこと、運転していた加害者にとっても「悲劇」という他はないのではないかと私は考えています。

 

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 という事で、写真は上の2枚が最近主流になってしまった、足元にタイヤハウスが大きくせり出し、これによってアクセルペダルとブレーキペダルを大きく左側に寄せて配置された、私が言うところの「欠陥車」の例で、左がワゴンR、右がハイゼットのペダル周りで、下が私が以前乗っていたサンバーの足元です。

 ご覧のように、両者の違いは一目瞭然で、下のような車なら「アクセルとブレーキを踏み間違えた 」などという凡ミスは起こりにくいと思うんですが、上のような不自然な位置にペダル類が設けられている車に乗っていたら、両者をうっかり踏み間違えるミスがあったとしても不思議ではないと思いませんか?

 少なくても、私は踏み間違いがあっても当然だろうと思っている一人なので、こういうクルマは明らかな「欠陥車」だと声を大にして世に問いたいですねぇ q(`o')ブー!!

 

 こんな欠陥車を製造した自動車メーカーはどうして糾弾されず、責任も問われないのでしょう ・・・  (ノ_-;)ハア…

 こんな欠陥車を運転していたら、ペダルの踏み間違いによる悲惨な事故は、今後も無くなりはしないだろうと私は思いますねぇ ・・・ (怒り)

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2016年2月28日 (日)

組体操

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 組体操での事故が相次いで報じられる中、千葉県の柏市と流山市の教育委員会が、小中学校での組体操の全面中止を決定し、松戸市でも中止を検討していると報じられた。

 上は、先日ラジオで聴いた川柳なんですが、いやいや、見事だなと (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 上の川柳に「我が格言」ということばがありますが、福沢諭吉が「学問のすすめ」の中で述べた『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』というのがそれに当たります。

 諭吉の場合は、人間はすべて平等であって、身分の上下、貴賎、家柄、職業などで差別されるべきではないということを語っているわけですが、「人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」というそのことばがそのまま組体操のタワーやピラミッドにも当てはまるワケで ・・・  (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 私は、組体操というものを一度もやった事がありませんが、素人目から見ても何段も積み上がった人垣というのは相当な重さになるんじゃないのかと思うので、それが崩れた時によくケガをしないもんだと思っていました ・・・  (;^_^A アセアセ・・・

 組体操とはチョッと趣が違いますが、「チアリーディング」という競技がありまして、あのアクロバティックな技が大好きで、時々テレビで観たりもしますが、ああいうことは「やりたい」と思う人達が集まって技を磨いているからこそできる事であって、いくら運動神経とかが優れている人達であっても、それを「やりたい」と思う気持ちが無かったらとてもマネ出来るものではありません。

 

 それと同じで、組体操も「やりたい」と思う生徒だけを集めて行なうべきで、全員参加という今のシステムでは、個々人の体格や体力、能力等に著しい差があることも少なくないので、そこに気持ちがともなわない、わかりやすく言えば「やる気の無い」生徒が加わっていれば、事故が起こるのは当然とまでは言いませんが、あっても仕方がないように私には思えます。

 第一、危険だからというただそれだけの理由で、「全面的に」中止することがいいことだとは私にはどうしても思えないんですよね (^^;

 そういう消極的な理由がまかり通るようだと、ケガ人が出る度にその競技は危険だという事になって、運動部なんてどれも存在できないことになってしまいますよ(苦笑)

 

 危険な面も無いわけではないけれど、どうやったら危険を回避しつつ競技を続けていくことが出来るのか ・・・

 教育に携わる関係者なら、そこンとこ考えるのが仕事なんじゃないの?

 全面中止というのは、要は何かあった時に責任を問われたくないと言ってるだけでしょ q(`o')ブー!!

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2016年2月25日 (木)

不手際

 元日に群馬県で行なわれたニューイヤー駅伝で、沿道の観客が連れていた飼い犬がコース内に飛び出し、先頭集団を走っていた選手を転倒させたとして、高崎市内に住む70才の男性を「高崎市動物愛護条例」の係留義務違反の疑いで書類送検したと報じられた。

 

 このアクシデントにつきましては、私も翌日に「ニューイヤー駅伝 2016」という記事の中で、あってはならない妨害行為として紹介した事があります。

 飼い犬がコース内に飛び出した件については、不可抗力と言うよりも、明らかに飼い主による過失ですから、非難されても仕方がないとは思うものの、さすがに書類送検となると、そこまでやる必要がホントにあるのかと疑問に思わないワケでもありません・・・ (__;)

 

 そもそも、駅伝の応援にペットを連れてくるということ自体が非常識なわけで、昨今はペットブームも過熱気味で、飼い犬にリードを付け、街中を散歩させている飼い主をよく見かけますが、少なくてもああいう不特定多数の人が大勢集まる賑やかな場所に、平気でペットを連れてくるという神経が私には理解できませんねぇ・・・ q(`o')ブー!!

 第一、沿道に集まっている観客達は、大声を出したり小旗を振ったりと、一様に興奮しているわけで、そんな異常な雰囲気の中に置かれたら、普段はおとなしいペットだって驚いて暴れ出したりするかもしれないくらいの事がどうしてわからないんでしょうかねぇ・・・ (ノ_-;)ハア…

 

 確かに連れてきたペットを管理できなかった観客にも問題があった事は否めませんが、そういう不測の事態を予測できずに、選手の転倒を防げなかった運営側の不手際こそ非難されるべきなんじゃないかと思うと、今回の書類送検は、主催者側の怠慢には目を瞑り、観客側に一方的に責任を押しつけて幕引きを図ったという事で、なんとなく片手落ちの感がするのは私だけなんだろうか・・・

 「ニューイヤー駅伝」も、歴史の浅い大会でもあるまいし、少なくても群馬県内では30回近い開催実績があるわけですから、事前にペットを連れての観戦はお止めくださいとか、お子さんの手やペットの紐をしっかりと握って離さないでくださいとかのアナウンスがあってしかるべきで、そうすれば観客側にだってそれなりの心の準備や注意が出来たんじゃないかと思うと、運営サイドに慣れによる慢心があったか、それとも危機感が足りなかったのか、いずれにしてもお粗末極まりないハナシなんじゃないかと・・・ (ノ_-;)ハア…

 

 今週末には、国内最大規模の「東京マラソン」が開催されますが、二度とこういうアホな観客が現れないことを祈らずには居られません。

 それと共に、大会の運営には万全の備えで臨んで欲しいと思います。

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2016年2月18日 (木)

無くなりそうでなくならないもの

 先月末、「gooランキング ニュース」で、「無くなりそうでなくならないものランキング」というものが発表されました。

 詳細はそちらをご覧頂くとして、結果は以下の通りです ・・・

 

 1位 タバコ

 2位 和式トイレガラケーが同率2位

 

 う~ん、なるほど ・・・  (;^_^A アセアセ・・・

 確かに、言い得て妙かも ・・・  (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 

 1位の「タバコ」はなんとなくわかりますねぇ(苦笑)

 喫煙人口も減り続けていますし、喫煙場所も限定されることが多くなってきた昨今、愛煙家たちは非常に肩身の狭い思いをしているのだろうと思われます。

 私自身も、二十歳でタバコを止め (^^; まして、以後は一度も口にしていませんから、別に無くてもどうという事はないんですが、家内が喫煙者でして、一箱400円を超えた今でもいっこうに止める気配はありません(苦笑)

 家内は、タバコを吸わない私に対して、何某かの遠慮というか、負い目というか、そういう気持ちを少なからず抱いているようですが、私の方には家内がタバコを吸っていても、特別な感情は抱いておりませんで、好きで吸っているわけですから、それはそれでいいんじゃないかと ・・・  (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 仮に、私に対してお酒を止めるように家内が言ったとしても、私がそれに従うようなことは無いわけで、個人の嗜好についてどうこういうつもりはありませんが、私も古い人間ですから、女性がタバコを吸うことについては否定的に考えている一人ではあります (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 ところで、2位の「和式トイレ」「ガラケー」ですが、そうですか、無くなりそうだと考えている方が多数派なんですね ・・・  (;^_^A アセアセ・・・

 今は、どこの家庭でもトイレには洋式の便座が付いているのが一般的で、新築の場合でも敢えて和式の便器を付けたりはしないんでしょうが、だからといって和式トイレが無くなるというのはどうかと思っている一人です。

 どちらが便利で使いやすいかと問われれば、誰だって洋式トイレの方に軍配を上げると思うんですが、正直なところ、私自身も公共の場にある個室に入る時にはずっと和式を選んで入るようにしていました (^◇^;)

 理由は、誰がどのように使ったのかわからない便座にお尻を乗せるのは、かなりの抵抗があったからなんですが、そんな私でさえ、いつの間にか和式トイレと洋式トイレが併設してあった場合、空いていれば洋式トイレの方に入るようになりましたから、生まれた時から洋式便座しか使ったことがない世代にとっては、例えば学校や公衆トイレでしか目にすることのない和式トイレは違和感アリアリなんでしょうな ・・・  (;^_^A アセアセ・・・

 女性用のトイレは、長蛇の列が見られることも珍しい事ではないんですが、そんな時でさえ、和式は敬遠されるそうで、和式の個室が空いても、苦手なのでよかったらどうぞと次の人に譲る人も少なくないそうで、どうしてそこまで敬遠されるのか、私には理解できません(苦笑)

 だいたい、皆が思い浮かべる公共のトイレって、駅とかショッピングモールとか、そういう管理の行き届いている場所を想像しているわけでしょ。
 公園とか、街中とかに設置してある屋外の公共トイレに入ったことあります?
 そういうところのトイレは清掃だってそう頻繁には行なわれませんし、その個室が洋式だけだったら使用をためらうケースは少なくないと思いますよ (;^_^A アセアセ・・・

 私は仕事がら、そういう屋外のトイレを利用する機会が多いのでよくわかるのですが、さすがに以前ほど汚いトイレは少なくなったとはいえ、やはり屋内に設置してあるトイレから比べるとその差は歴然としています (^◇^;)
 で、そういうところに在るトイレは圧倒的に和式の便器が多いワケですが、和式だから観念して用を足そうかという気持にもなるのですが、これがもし、洋式の便座だったらと思うとゾッとしますねぇ・・・ (;^_^A アセアセ・・・
 いくら頑張っても、そういうところの便座に腰を下ろす気にはなりませんから・・・ (__;)

 

 話は変わって、私も愛用しているガラケーですが、便利で使いやすいという点ではスマホの比ではないと思っているので、相変わらず手放せないでいます (^^ゞ

 なぜガラケーの方がスマホより便利で使いやすいのかといえば、片手だけで操作が出来るからで、こればっかりはスマホには逆立ちしたってマネの出来ない芸当じゃないかと思っています (^◇^) 。。。ケラケラ

 右手に握った携帯の人指し指でパカッとフタを開け、親指1本でボタンを押せば全ての用が足りるガラケーは、もはや私の身体の一部と言ってもよく、今さらこの便利さからは逃れられない私です (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 まぁ、スマホだって片手で扱えないことはないのかもしれませんが、あの大きな画面を片手で持つだけでも容易なことではないように私には思えるので、さらに文字を入力するとなるといったいどうやっているのかと不思議でね (^◇^) 。。。ケラケラ

 

 ちなみに、4位以降のランキングは以下の通りだそうです ・・・  (^◇^;)

 4位:ぜい肉  (^◇^) 。。。ケラケラ

 5位:年賀状  (^^;

 6位:二槽式洗濯機

 7位:悩み  (^_^ゞポリポリ

 8位:二千円札

 9位:インスタントカメラ

 10位:紙の書籍

 

 蛇足ですが、8位の「二千円札」について語った事が昔あるので、興味があればご一読願います。
 世の中には、二千円札に対してこんな事を考えている人もいるんだというコトで ・・・  (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

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2016年2月 4日 (木)

人間のクズ

 警視庁は2日、覚せい剤取締法違反で、清原和博を現行犯逮捕したと報じられた。

 マスコミ的には「衝撃」とか「激震」とかの見出しが躍ったようですが、こんな陳腐なニュースが報じられて、驚く人が本当にいたんだろうか ・・・  (^◇^) 。。。ケラケラ

 清原なんて、とっくの昔にというか、十代の頃はともかくとして、二十歳を過ぎてからは人間としてすでに終わっているんじゃないのと・・・ q(`o')ブー!!

 

 私は、現役の頃から清原という男がとにかく大嫌いで、見るのも嫌な選手だった ・・・

 理由は、有り余る才能の上にあぐらをかき、いつもチャランポランに生きて来たダメ人間だったから ・・・  (ノ_-;)ハア…

 清原和博が、どれだけチャランポランな人間だったのか、9年前の今頃「無冠の帝王」という記事で語ったことがあります。

 清原がチャランポランな人間だったという事に納得いかない方は、どうかそちらの記事でご確認頂きたい。

 

 人間的にはともかくとして、清原はこと野球に関しては他の追随を許さない「天才」でしたから、そのオーラはハンパなものではなく、それがためにスーパースターとして讃えられてもきましたから、ファンとして清原を崇める方も相当数いらっしゃるんでしょうが、清原みたいなダメな選手になってはいけないという「反面教師」としてならともかく、マジで清原を目指しては人生を誤ってしまうという、良いお手本になったんじゃないでしょうか (_ _)ノ彡☆ギャハハ!!! バンバン!!!

 まったく、「無冠の帝王」ナンて言われていた頃が、清原の野球人としてのピークだったんでしょうな・・・ (__;)

 

 ナンで覚せい剤なんかに手を出したのか・・・

 詰まるところは、それだけの人間だったという事なんでしょうね・・・

 まぁ、私にとっては、どうでもいいコトではありますが・・・ (苦笑)

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2015年12月25日 (金)

松戸市長

 千葉県の松戸市長といえば、「すぐやる課」で全国に名を馳せた松本清が断然有名ですが、今日語りたいのは松戸市の市長の事ではなく、お隣の船橋市の市長のことです (^_^ゞポリポリ

 

 どういう事かと申しますと、船橋市の現在の市長さんは「松戸徹」というお名前だそうで、言うならば「松戸船橋市長」というのが正式な役職名となるのかな・・・ (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 略して、「松戸市長」というコトになると思うのですが、「松戸船橋市長」と紹介されても、松戸市の長なのか、船橋市の長なのか、実に紛らわしい名前だと思いませんか (^◇^) 。。。ケラケラ

 という事で、下が船橋市の公式HPに掲載されている市長プロフィールですが、興味があればご覧になってみてください(苦笑)

http://www.city.funabashi.chiba.jp/shisei/shichoushitu/0001/p004832.html

 

 ところで、名前に付きものの「苗字」ですが、けっこう地名と同じものが使われていたりします。

 「福島」とか「千葉」などというのはけっこうポピュラーな例だと思いますが、そうであるならば「松戸」という姓の人が船橋市の首長であったとしてもなんら不思議でも珍しい事でもないわけです。

 ではありますが、「松戸船橋市長」というのはけっこうインパクトがあると思いませんか・・・(苦笑)

 私は、ラジオでこの事実を知った時、不謹慎ながら「おもしろい!」と思ってしまいました (〃⌒∇⌒)ゞ ♪

 そんなコトを思うのは、私だけなんでしょうか・・・ (^_^ゞポリポリ

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2015年12月23日 (水)

夫婦別姓

 最高裁大法廷は12月16日、「夫婦同姓は合理性がある」などとして、憲法に違反しないという判断を初めて示したと報じられた。

 

 「夫婦別姓」については、それぞれに考えがあると思いますが、私は夫婦別姓など、およそあり得ないと思っている一人です。

 よく、「結婚」は本人同士が納得してさえいれば、親や親類の意見は関係ないなどと平気で口にするお若い方も少なくなく、あまつさえ結婚式の会場に「○○家」・「××家」と掲げられた看板を見て、「家同士が結婚するワケじゃない」とかおっしゃる方も居たりしますが、結婚するというのはお互いの「家」を抜きには考えられないワケですよ (^^;

 確かに、結婚するのは当人同士かもしれませんが、結婚後の長い人生、それぞれの家との付き合いは避けて通れないのは言うまでもない事で・・・

 

 その上で、「家族」となった二人が、どちらか一方の姓を名乗るのは、むしろ当然の事で、結婚した後も別々の姓のままというのは、あり得ないだろうと・・・ (;^_^A アセアセ・・・

 第一、結婚した後も旧姓を使い続けたいというのは、自分の事しか考えていないから言えるワケであって、家族の事を考えたら口が裂けたってそういうワガママな事は言えないんじゃないだろうか・・・ (ノ_-;)ハア…

 

 結婚して姓が変ると、運転免許証や銀行の通帳などの公的書類の手続きが必要になり、面倒くさいとか、旧姓で築き上げた仕事などのキャリアが無くなってしまうとか、そういう個人的な事を指して「ワガママ」と言うのだと私は思う。

 別に、結婚するしないに関わらず、引越しをすれば警察署や銀行へ赴き、住所変更等の手続きはしなければならないわけだし、転職をして職場や取引先が変る事は今は珍しい事ではない。

 姓が変ったからといって、その瞬間から「別人」になるワケではなく、要は本人の気持ちの問題が大きいのだと私は思う。

 それが証拠に、結婚して姓を変えた人達は皆、通って来た道であり、ほとんどの人は嫌々ながらも受け入れ、乗り越えてきたのではないか・・・
 仕事関係でも、各方面へ結婚して姓が変った事をキチンと説明すれば、誰もがすんなりと受け入れてくれると思いますし、もし旧姓でなければダメだとか言うような会社や取引先があったとしたなら、それは「姓」の問題ではなく、培ってきた人間関係が問題なのだろうと私は考えます(苦笑)

 

 夫婦別姓で問題となるのは、そういう個人的なワガママではなく、もっと現実的な問題が待っているという事です。

 夫婦がそれぞれ別の姓を名乗るという事は、玄関に掲げられた表札にも別々の姓が書かれるという事で、事情を知らない人は別の家族が同居しているのかとか、同棲か事実婚の二人が住んでいるのかと思われる事もあるという事です。

 まぁ、そんなのは別姓を選択した当人だけの問題で済みますが、子供が出来るとどちらかの姓を名乗らせる事になります。
 その場合、夫の姓にするのか妻の姓にするのかでもめそうですし、二人目、三人目の子供が出来た時にも同じ問題が生じます (^_^;

 もしかすると、子供同士で姓が違う不思議な家族ができるかもしれませんし、第一、子供がパパとママの姓が違う事に違和感を感じる事はないのでしょうか・・・ (;^_^A アセアセ・・・

 さらに、PTAなどに保護者が参加した際、子供とそれぞれの保護者の姓が違っていたら面倒な事にもなりかねないのではないでしょうか(苦笑)
 子供を迎えに行った際に、姓が違っていたら親と信じてもらえないとか・・・ (^◇^;)

、また、最近は亡くなってまで夫と一緒の墓に入りたくないなどと言う妻も珍しくないようですが、そもそも姓が変っているのに旧姓の「○○家先祖代々の墓」に入るという事はいかがなものかと思いますし、逆に、別姓の夫婦が一つの墓に入るというのもいかがなものかと思う次第です (^_^ゞポリポリ

 

 個人的には、一つ屋根の下に、二つの姓が同居している姿を「家族」だとはどうしても思えないんですがねぇ・・・ (;^_^A アセアセ・・・

 そういうのは、事実婚だけでいいんじゃないのか・・・ (ノ_-;)ハア…

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